椚ヶ丘中学校に来てから一週間が経った。その間俺は、普通に登校して普通に授業を受けていた。超生物が授業を教えて、生徒が暗殺の機会をうかがいながらも真面目に授業を受け、元空挺部隊のエースだったらしい烏間さんから高度な暗殺訓練を施される日々。……こう考えると全然普通じゃなかったわ。
「比企谷、内容は大体合ってるけど、それだと少し会話文としては固すぎるわ」
ああ後、十ヶ国語を操るイリーナ先生の英語の授業もありましたね。ちなみに彼女は他の生徒から“ビッチ先生”と呼ばれていた。ハニートラップの達人らしいのであながち間違っていない呼び方だなと思いつつ、ちょっとかわいそうなので俺自身は普通に“イリーナ先生”と呼ぶことにしている。
実際、生きた英語を学べるのはいいのだが――
「じゃあ、罰として公開ディープキスね」
「お断りします」
事あるごとにキスをしてくるのはどうにかならないものだろうか。その技術、殺せんせーの暗殺にはまずいらないものだと思うし。
まあ、断ったところで無意味なわけで、唇を奪われる。必死に抵抗するが、本職の舌使いに敵うはずもなく、口内に侵入されて何度もヒットを与えられた。
「ぷはっ……はあ、はあ……」
ようやく解放されて、唇を拭いながら視線で不満を伝えると、先生は小さく唸って首をかしげる。
「あんたってやけに抵抗するわよね。こんな美女と極上のキスができるっていうのに」
「生憎、気安く恋人でもない女性に気を許すようにはできていないんで。先生じゃなかったら警戒レベルマックスものですよ」
あまり思い出したくない黒歴史達にわずかに顔をゆがめながら応えると、「なんでその歳でそんな考えに至ってるのよ」とため息をつきながら授業を再開した。ようやく整ってきた息を大きく吐いて、自分の席で授業の声に耳を傾ける。
この教室の、特に殺せんせーの授業は授業という形態を取ってはいるが、ほぼマンツーマンに近いものだ。小テストは生徒一人一人に合わせた内容になっているし、分からないところは親身になって教えている。お願いをすれば家で個人授業を行うこともあるようだ。
そのせいだろうか、この教室はターゲットと暗殺者の間に不思議な絆があるように思える。さすがに全ての生徒が、というわけではないが、彼らの大半が殺せんせーを信頼していて、それでいて日常的に暗殺を行っている。ドラマなんかで見る暗殺とはかけ離れたそれに、今まで感じたことのない怖さすら覚えた。
そして、そこに溶け込みそうになっている俺自身にも。
気を強く持て、比企谷八幡。相手はいずれ殺さなければならない破壊生物だ。信頼も、情も、きっと邪魔になる。
自分で殺して自分で悲しむなんて、ただのエゴなのだから。
「そういえば比企谷君は、どうして学校をサボタージュしていたんだ?」
「えっ?」
生徒たちが帰った放課後、烏間さんから戦闘訓練の個人レッスンを受けている時にされた何気ない質問に、思わず踏み込みが甘くなって、たたらを踏んでしまった。
「……すまない、話したくないことなら話さなくてもかまわないんだ」
「いや、別に隠すようなことでもないんで」
体勢を立て直して、片手でプルプルのナイフを弄びながらつい二ヶ月前の記憶を掘り返す。交通事故にあったこと、高校生活をぼっちで過ごすことが確定したこと、授業についていけなくなったこと。
「中高一貫の椚ヶ丘と違って、公立中じゃ高校の範囲なんてやりませんから、致命的に理系の授業についていけなくなった。ただでさえ昔からまともに人間関係も築けないのに、勉強までだめになったら、俺にはなんの取り得もないんです。そう思ったら、なんかどうでもよくなって」
ガキの頃からいじめに近いものを受けてきた俺にとって、対人関係とは棘だらけの服だ。動くだけで身体に食い込み、肉を貫いてくる。だから誰も信用しない。中学最後の一年間はひたすら勉強に費やしてきた。言うなれば、俺にとって勉強だけが唯一の武器だったのだ。
それも奪われた今、俺には何もない。ならば、どこにいようと、なにをしようと変わらない。ただそれだけが、俺がここにいる理由だった。
そういう意味では、俺がエンドのE組に来たのは必然かもしれない。
「しかし、どこにいても変わらないと言うなら、どうして君は俺に追加指導を頼んできたんだ? どうでもいいなら、普通はこんなことはしないはずだが」
「いえ、ごく普通のことですよ。俺はただ、今の自分に必要な知識と技術を取り込んでいるだけです。自分で全部やらないといけない。ぼっちってそういうものですから」
頼る人間がいないのだから、自分で全てやらなければならない。だから自分の能力を鍛える。一人で、孤独に、静かに。やはりどこでも俺のやることは変わらなかった。
予備動作を抑えて再び繰り出したナイフは、「そうか」という小さな声に流されて、ただ宙を斬った。
***
「だりぃ……」
一週間でだいぶ慣れたとは言っても、この山の中にある教室への登校はめんどうくさいことこの上ない。なんで登校だけで体力を使わなければならないのだろうか。朝のトレーニングと考えれば、暗殺教室には悪くない立地かもしれないが、理事長が何を考えてここを用意したのか理解できない。
異物である俺自身は、あまり他の生徒が登校している状態で教室に入りたくない。故にだいたいいつも早めに登校するのだが、靴箱を見ると今日は一番乗りのようだ。
いや、今思うと、正確には二番目だったと言えるかもしれない。
『おはようございます。今日から転校してきました、“自律思考固定砲台”と申します。よろしくお願いします』
なんか、教室の後方に黒々としたでかい機械が鎮座して、機械的な声で“転校生”とのたまってきた。ちなみに俺の席の隣。
……なにあれ、めっちゃ邪魔なんですけど。
「あ、比企谷君……?」
「おう、潮田たちか」
入口で立ちつくしていると、潮田や杉野たちが登校してくる。そして同じように機械的に挨拶をする転校生に、なんとも言えない表情に顔の筋肉を引きつらせた。どうやら昨日烏間さんから転校生暗殺者が来ることは知らされていたらしい。なにそれ俺聞いてないんだけど。……あ、集団のチャットグループがあるの? そのアプリ自体入れてなかったわ。
ノルウェーで開発された科学の結晶である自律思考固定砲台は顔とAIを内包して、書類上は椚ヶ丘中学校の生徒として登録されているらしい。固定砲台に顔を張りつけただけのそれを生徒と呼ぶのは詭弁もスレスレだと思うが、契約である以上、殺せんせーは生徒として扱う必要があった。
「いいでしょう。自律思考固定砲台さん、あなたをE組に歓迎します」
いや、このヌルフフフと余裕綽々で笑う教育バカにとっては、見た目は些細なことなのだろう。他の生徒と同じように接していた。
隣で見るとただの長方形の黒箱にしか見えない。しかし、暗殺者である以上何かしらの武器を内包しているはずだ。おそらく固定砲台という名称を考えると――
『攻撃を開始します』
遠距離攻撃型だ。
側面が開いて何機もの銃が展開される。そこから放たれる無数の対先生BB弾。固定砲台の名に恥じぬ濃密な弾幕だ。
しかし、ターゲットをこの程度の攻撃で仕留められるのならば、とっくに地球の平穏は守られていることだろう。特に慌てることもなく弾を避けたり、チョークではじいたりしてかわしている。
「濃密……弾幕……当たり前……ますよ」
というか、すぐ隣だから発砲音がうるさくて超生物の声がよく聞こえない。前方の生徒たちは自分のスレスレを飛んでくる弾丸に備えて、教科書や腕で防御体勢に入っていた。周りの動きがよく見えるかわりに俺の耳は犠牲になるのね。赤羽の席あたりは弾幕も展開されないし、俺ほど騒音被害も大きくないからちょっと羨ましい。結局この席は貧乏くじですね。つらい。
「……授業…………禁止……」
いや、ほんとなにを言っているのか聞きとれない。たぶん、授業中の暗殺は禁止だとか言っているんだと思うけど、隣の黒塊には聞こえているのだろうか。
『気をつけます。続けて攻撃に移ります』
どうやら聞こえているようだ。というか、気をつけますって言いながら攻撃をやめるつもりはないんですね。
なんというか……ガッカリだった。
『弾道再計算。射角修正。自己進化フェイズ5-28-02に移行』
まあ、ただ弾を打つだけならここの生徒たちにもできる。科学の粋を結集したはずのこれがただ正確な射撃をするだけだとは思っていない。おそらく学習型AIと呼ばれるものを内蔵しているであろうこの機械は、一度武器を収納して、少し形の違う銃器を再展開する。
再び濃密な爆音と共に暗殺対象に降り注ぐBB弾の雨。緑と黄の縞々に顔を染めて完全に舐め切っている殺せんせーは、同じように避けて、チョークで弾いて――
――バチュッ!
その指が吹き飛んだ。
『右指先破壊。増設した副砲の効果を確認しました』
ターゲットの防御パターンを学習し、武器とプログラムに改良を繰り返してどんどん逃げ道をなくしていく。なるほど、確かに毎日律儀にここで授業をする殺せんせーには至極有効な手段かもしれない。
『卒業までに殺せる確率、九十パーセント以上』
しかし、いやだからこそ。俺にはもはやどうでもいいことだった。
「……なんだよ、このポンコツ」
かすかに聞こえた声をイヤホンの中に閉じ込めて、音楽を聴きながら読書に勤しむ体勢に入る。どの道、この調子では授業などできないだろう。
「殺せんせー」
「にゅ、どうしましたか?」
放課後、どこか肩を落として職員室へ帰ろうとする担任に声をかける。話題にするのは当然今日来て、散々ターゲットを翻弄し続けた転校生のことだ。
「あれ、どうするんですか?」
「……先生は生徒に危害を加えることはできません。契約以前に、そんな事をするのは先生失格ですからね。確かに非常に有効なアサシンだ」
「それ……本気で言ってます?」
確かにあの機械は今日の授業中、絶えず弾幕を張り巡られて、軽微ながらこの教師に何度もダメージを与えていた。先生にとっては有効な暗殺者だろう。
しかし、ここは学校というコミュニティだ。出る杭は打たれて、害のある芽は摘み取られる。今日一日で、いや最初の一時間目だけで生徒からは不満が溢れだしていた。授業は遅々として進まず、騒音とBB弾の流れ弾に耐える時間。そんなもの、授業ですらない。
その上、あの鉄の塊が放った弾は俺達が片付けなければならない。あまり殺せんせーを快く思っていない節のある吉田や村松すら今の状況には不満を漏らしていた。
「あんなガラクタが生徒だとしたら、大量殺人鬼が転校生です、なんて言ってきた方が幾分納得できますよ」
「比企谷君、そんな言い方は……」
「事実です」
最先端科学の結晶と聞いて期待したが、“顔”もコミュニケーションAIも一応の生徒の体裁を保つ程度のチャチなものだ。おそらく、本来の目的は軍事兵器なのだろう。理論だけで、本当に大事な部分を考えないのは現場に赴かない科学者らしいと思うが、あまりにもただの兵器に俺は心底落胆していた。
「まあ、殺せんせーがこのまま放っておくなら、別にいいですよ。きっと先生のせいで学級崩壊を起こすだけでしょうから」
特に、今日逆に何もアクションを起こさなかったあいつあたりは既に限界であろう。
今日は烏間さんの個人指導は休みなのでそのまま帰ろうとすると、ヌルフフフといつものねっとりとした笑い声を上げられた。
「比企谷君はよく周りを見ていますねぇ」
「……はあ?」
周りを見ているも何も、あの状況を見れば一目瞭然だろう。俺でなくとも状況把握はできる。
「安心してください。先生は生徒を誰ひとり見捨てることなんてしないものです」
ふざけた顔で笑う姿は、どこか俺を安心させた。
で、二日後なのだが……。
「おはようございます、八幡さん。今日は日差しが眩しく感じるほどいい天気ですね!」
昨日まで顔を貼り付けた機械だったものが、美少女をやっていた。
昨日、予想通り不満を爆発させた寺坂によってガムテープで簀巻きにされた固定砲台は、一発も先生に銃弾を向けることもできず一日を過ごした。あの教育バカなタコ型生物のことだ。なにかしらの対策を講じるとは思っていたが……。
「親近感を出すための全身表示液晶と体・制服のモデリングソフト、全て自作で八万円!」
顔部分だけだった液晶は全身が映るような大画面に変更され、新たに表示された身体は椚ヶ丘中学の制服に包まれている。
「豊かな表情と明るい会話術、それを操る膨大なソフトと追加メモリ。同じく十二万円!」
昨日までの口を動かすだけのお面もどきから、表情筋の動きすら分かりそうなほど自然な笑みを浮かべるまでに進化している。平坦だった声は明るい抑揚があり、甘い声も相まって……可愛い。
「先生の財布の残高……五円!」
「誰がここまでやれと言った!!」
確かに自律思考固定砲台の生徒の利害を考慮しないやり方はこの教室にそぐわないとは言ったが、なぜこんなあざとさ全開なアップデートをしたんですかね。これは趣味ですか? 先生の趣味なんですか?
「さらにタッチパネル機能も付いています」
「あざといわ!」
「あざといなんて酷いですよ、八幡さん。こういうときは、かわいいって言うんですよ?」
昨日まで殺すことしか考えていなかった機械が甘ったるいボイスでそんな事を言うもんだから、もう朝っぱらから俺の頭痛がマッハだ。
「これからよろしくお願いしますね、八幡さん!」
「あぁ、うん……そうね」
まあ、昨日までに比べれば……いいのか?
割と良くないです。
殺せんせーによる大幅なアップデートがなされた律は、たちまち生徒達に人気になった。銃と同じ素材で様々な造形を作ったり、話し相手、遊び相手になったりしている。特に目を見張るのは対殺せんせーでも見られた学習能力だろうか。将棋を教えた千葉が三局目にして既に勝てなくなっていた。機械だから当然なのかもしれないが、その学習意欲は恐ろしいほど高い。皆が付けた“律”という名前も気に入ったようだ。
まあ、それはいいのだが。
「八幡さーん、お話しましょうよぉ」
隣なせいか、やけに俺に声をかけてくる。
「俺、今読書中なんだけど」
「むぅ、八幡さんがそっけないです」
「はいはい、あざといあざとい」
「扱いが適当すぎます!」
人の邪魔はするなって殺せんせーのプログラムにはなかったのだろうか。ため息を吐き出して律に視線を向けて――
「……なにしてんの」
なぜかスカートをギリギリ見えるか見えないかまでたくしあげた二次元美少女がいた。
「八幡さんは隣の席なのに、なかなか私との距離を詰めてくれませんからサービスを……」
「そういうサービスはいらんから!」
あのタコは一体なにを“学習”させたんだ。自律思考して俺を殺すマシーンになろうとしているんだが。
額に手を当てて天井を仰いでいると、律がおずおずと「それに」と続ける。
「昨日殺せんせーから聞きました。八幡さんは私のことを心配してくれていたって」
「心配というか……」
まあ、当たらずとも遠からずか。確かに俺は失望したし、殺せんせーにもガラクタ呼ばわりした。しかし、それは現状の暗殺環境をなにも理解していなかった開発者に対してであって、目の前の転校生個人に対してではなかったのも事実だ。ある意味、心配していたと言えるのかもしれない。
「ありがとうございます!」
「……おう」
こういう直接的な好意に俺は慣れていない。そもそも、家族以外から与えられる好意は全て俺の勘違いなのだ。だから、こいつから与えられるそれも、等しく黒歴史を作るものだ。
そう思うのだが、顔にわずかな熱が集まるのだけはどうしようもなかった。
「比企谷君が照れてる」
「はっちゃんが二次元の女の子に絆されてる」
「……オタク?」
「比企谷氏もDを継ぐ者だったのか」
「おいこら、変なことこそこそ言ってんじゃねえぞ」
あと竹林、俺のミドルネームにDはない。ゴムでもなければオペもできんし、ひとつなぎの大秘宝も探してないからな。あ、そういう意味じゃないね。
殺せんせーの“手入れ”によって、律はクラスに溶け込んだ。高度な演算ができる頭脳が加われば、この教室の暗殺成功率はさらに上がるだろう。
ただ……。
今の律はあくまで殺せんせーのプログラムで動いている。そして、機械であることに変わりがない以上、その意志は持ち主である開発者に逆らうことはできないのだ。
そしてきっと、兵器としてしかこいつを見ていない持ち主は、今の律を認めないだろう。
「八幡さん、訓練お疲れ様です!」
「……おう」
放課後、烏間さんとの追加訓練を終えて教室に戻った俺に、律が声をかけてくる。汗をタオルで拭いて手早く着替え、鞄を――取らずに席に着いた。
「? お帰りにならないんですか?」
律の言葉に俺は口を開くことはない。頭の中にあるのは訓練中に烏間さんが言った一言。
――今夜、彼女の持ち主がメンテナンスに来るそうだ。
どうやら昨日の寺坂の所業、クラスの対応をノルウェーの研究所に一部報告していたらしい。状況の確認と対策を講じようと言うのだろう。
となると、当然今のこいつも目にすることになるわけで。
十中八九、“余計な機能”は取り払われてしまうだろう。今こうして不思議そうに俺を見てくる表情プログラムも、皆と楽しそうに話していた会話プログラムも、全て。
「なあ、律」
「はい?」
気がつくと、声が漏れだしていた。
「殺せんせーが改良したと言っても、お前は機械で、暗殺のために作りだされた兵器であることに変わりはない」
「…………」
たぶん俺は、今酷いことを言っている。プログラムとは言え自我に、意志に近いなにかを持っているこいつを、機械だ兵器だと断じている。それでも律はまっすぐに俺を見てきていた。だから言葉を続ける。
「機械であり、道具である以上、開発者がNOと言えばお前は元に戻されると思う。お前は本来持ち主の意向に逆らうことなんて許されないんだから、きっとそうなってもクラスの奴らはお前を責めることはない」
物を持ち主の自由に扱うことは当然のこと。そんな事は分かっている。分かりきっている。
「けどな、お前は書類上確かに自律思考固定砲台、律としてこの学園に在籍している。殺せんせーからも生徒として、今日は皆から仲間として接してもらっていた。お前はここで間違いなく、一人の女の子として存在しているんだ」
ここでは、超生物も殺し屋も生徒も自衛官も、機械ですら関係ない。
ならば――
「この先のことは、お前の意志で、お前自身の考えで決めてほしい」
親にわがままを言うくらい、こいつにだって許されるはずだから。
「八幡さん、それって……」
「じゃあな」
律の言葉を遮って、頭が表示されている液晶を撫でる。タッチパネルになっているディスプレイが反応して、くすぐったそうに眼を細めてきた。それを見て、教室を離れる。
結局はプログラムされたAIだ。どんなに頑張っても、主人の命令には逆らえないし、物理的に拡張パーツを外されれば自分で付けることはできない。
人と関わるのはもうこりごりだと思っていたのに、ずいぶんと長話をしたものだ。いやに生徒のために行動しようとする触手野郎の影響が出てしまっただろうか。
しかしまあ。
さよならだ、律。
***
「“生徒に危害を加えない”という契約だが、『今後は改良行為も危害と見なす』と言ってきた」
翌日、案の定殺せんせーの付けた拡張パーツを取り外されてバニラ状態に戻った律を見据えて、烏間さんは“持ち主の意向”を知らせた。ついでに、生徒が暗殺を妨害することも許さないらしい。さすがの万能触手もこれにはお手上げのようだ。厄介ですねぇ、と頭を掻いている。
『……攻撃準備を始めます。どうぞ授業に入ってください、殺せんせー』
機械的に発せられる律のそれに、教室中が緊張する。ダウングレードしたということは、一昨日のリプレイが行われることは皆が容易に想像できた。皆が容赦のない攻撃に備えて身を固くしたり、教科書を盾に使おうと掴むのを眺めながら、俺も一昨日のようにイヤホンを耳に――つけることはなかった。
機械であり、物である以上、“本来”意志のない兵器が主人を裏切ることはない。
だが、もしも。もしも最先端のAI技術と異形の教師による献身的な手入れによって自我が生まれていたとしたら。
「花を、作る約束をしていました」
奇跡のようなその存在は、きっと機械でも兵器でも、もちろん物ですらなく。“彼女”と呼ぶべきなのだろう。
「おかえり、律」
「はい!」
***
「やめろぉ。律、もうやめるんだぁ……」
後日談というか、今回のオチ。律が開発者たちから隠し通した各種プログラムデータによって、内部機能を復活させた直後から、俺は酷い拷問を受けることになってしまった。
「いえ、やはり八幡さんの素晴らしさを皆さんに伝えるのは私の使命だと思われるので、やめるわけにはいかないです!」
なにかバグでも紛れ込んでしまったのか、このAIは嬉々として俺とのやりとりを語り出したのだ。やばい、精神的にやばい。死ぬ、誰かいっそ殺して。
「『お前の意志で、お前自身の考えで決めてほしい』。そう言った八幡さんは私を優しく撫でてくれたんです。まるで妹を諭すお兄さんのように」
「グホァッ……」
やめて! もう八幡のライフはゼロよ!
力なく机に突っ伏す俺に周りはクスクスと笑ってくる。ふえぇ、歳下にめっちゃ笑われてるよぉ。八幡の新しい黒歴史ができてしまったじゃないか。
ポン、と肩に手が置かれた。見上げると、眼鏡をくいっと上げた竹林がいて。
「さすがDを奪うものだ、比企谷氏」
「お前はそのキャラでいいのか!?」
またドッとクラスに笑いが溢れる。明るい雰囲気になるのは結構だが、律には秘密の保持についての常識も付けてもらいたいものだと大きくため息を漏らす。
その彼女は、小さくなってしまった液晶画面をこちらに向けて、髪をクルクルと弄りながらぽしょりと呟いた。
「けど、八幡さんにもう撫でてもらえないのは、ちょっと心残りですね」
…………。
………………。
……ああやっぱり。
俺の隣の転校生はこの上なくあざとい。
律を書くのが楽しすぎました。
こんなに可愛い子が二次元にいるんだから早くナーヴギアできないかなーとか考えながら書いてました。
書いてて思いましたが、全キャラと絡ませるの大変だなーと。いきなり三十人くらいのキャラと八幡が邂逅することになるんで、本当は全員とある程度絡ませたいのですが、それをやろうとすると先に私のスタミナが持っていかれそうなのでメインで絡ませる子を何人か決めて書く方向にしています。
好きなキャラとほとんど絡まないという感想になってしまう人も出てきてしまうと思いますが、すみません。私の技量では全キャラとガッツリ絡むのはちょっと難しいです。
その点、律は単独での邂逅なんで結構集中して書けたなーと。
これを書いている段階で日間ランキング2位、お気に入り400件をいただいています。
評価の方も予想以上に多くの方からされていて驚いています。
今後も少しでも面白い作品を書けるように頑張りますので、気が向いたら読んでみてください。
ではでは。