防衛省から支給された新しい体育服。米軍と企業が共同開発した強化繊維は衝撃、切断、引っ張り、熱や火、あらゆる耐性が世界最先端を誇るもので、靴まで一式持ってもジャージより軽い。さらに靴には跳躍アシスト加工が施されており、服の軽さも相まって高い跳躍力を実現していた。
さらに服の塗料には特殊な揮発物質に反応して一時的に色を変化させることのできるものを使用。全五色の組み合わせで、どんな場所でも迷彩効果を発揮することができる。菅谷の迷彩スキルと組み合わせれば抜群の効果を発揮するだろう。
背中、肩、腰など各部に衝撃吸収ポリマーが仕込まれているしフードを被って首を保護するエアを入れれば大抵のアクションにおいて身体を完全に守ってくれる。激しい戦闘などそれでは耐えられない衝撃を受けたとしても、服の内部に張り巡らされたゲル状の骨組みが瞬時に固まり、身体を守った後は音を立てて崩れて再びゲル状に戻る、ダイラタンシー現象を利用した防御フレームが組まれていた。
間違いなく地球上で最強の体育服。いや、地球上最強の戦闘服だ。
そして皆はその体育服のお披露目と、自分たちの考えを伝えるために……全力で担任に嫌がらせをしていた。いやあれほんと嫌がらせでしょ。中村はまだしも千葉とか完全にジャンプのページしか狙ってなかったし、赤羽に至っては嬉々として殺せんせー作の塑像――本人曰く芸術的なロケットおっぱい――を破壊していたからな。フードを突き抜ける悪魔の角が見えたのは俺だけじゃないはず。
ただまあ、この先生がそこに関して本気で怒ることはなく――
「約束するよ、殺せんせー。私たちのこの力は……誰かを守る目的以外で使わないって」
そう伝える生徒たちにいつもどおりのシンプルな顔で頷くだけだった。
そして明日から通常授業に戻ることが伝えられた放課後、俺はいつもどおり椚ヶ丘市内をジョギングしていた。正確にはちょっといつもどおりとは違うのだが。
「うへぇ、これを毎日は私にはちょっと無理かも……」
俺に並走しながらぼやくのは不破だ。どちらかというと後方支援型の彼女だが、もう少し体力をつけて前線組を支えたいとのことで、ジョギングに向かう俺に同行を申し出てきた。
「訓練の時の運動量に比べたらたいしたことないだろ」
「それはそうだけど、訓練はその日によっていろいろ変わるからなぁ」
どうやら不破は同じ事を淡々とこなすのが苦手なタイプのようだ。そんなことでは立派な社会の歯車にはなれないぞ? いや、進んで歯車になろうとする人間はいねえな。人間のままがんばって!
ちなみに不破は新しい体育服に身を包んでいるが、俺はいつもジョギングで使っているジャージで走っている。別にジョギング中に習った技術使うつもりないから、この格好でも問題ないだろう。
「くしゅっ……」
「……なに比企谷君、風邪?」
走りながら出てしまったくしゃみに鼻を啜っていると、下から覗きこむように不破が顔を見せてくる。くしゃみ一つで心配性だな、こいつ。
「この時間帯は少し冷え込むから、そのせいだろ」
実際夜はもうタオルケット一枚では寝られなくなってしまったし、頬を撫ぜる風も冬の身を切るものほどではないにしろ十分に冷たくなってきている。それに鼻が反応してしまっただけだろう。
「超体育着なら案外寒くないよ? 比企谷君もこれ着て走ればよかったのに」
「……それ、そんな名前だったか?」
「だってこの世で最強の体育服だよ? これはもう“超”ってつけるしかないでしょ!」
体育服の襟を指で摘んで呆れてくる不破に論点をずらして呆れ返すと、なぜか今度は目をキラッキラ輝かせて力説してきた。こいつのこういう時は下手な男子より男子っぽくて、一周回って対応しにくかったりするよな。いや、別に普段が扱いやすいわけでもないんだが、結構唐突に少年漫画脳のオンオフが切り替わるからね。びっくりしちゃうんですよ。
「……まあそうな」
再び一度鼻をずびっと啜って、とりあえずぼそりと短く返した。不破よ、すまんがその感性は中二くらいのときに捨ててしまったんだ。たぶん赤羽あたりは賛同してくれると思うぞ。
「ですが八幡さん、いつもよりも息の乱れが激しい気がしますが……本当に大丈夫ですか?」
「あん?」
少し走る速度を上げようとする俺に律がイヤホンを通して……いや、今回は不破のスマホのスピーカーを通して声をかけてきて、思わず自分の胸に手を添える。律はやけに心配しているような声色だが、そんなにいつもと違うだろうか。
自分ではよくわからなかったのでちょっと違う程度だろうと気にせず走り続けようとして、両肩をつかまれて強制的に停止させられる。首だけひねって後ろを見ると、不破ががっしりと俺の肩をホールドしていた。もうガチッって感じ。お前案外パワーあるな。
というか、なんでそんな額に怒りエフェクトついてそうな黒い笑み浮かべてんの?
「ひ・き・が・や・くん?」
「お、おう。どうしたんだ? この状態だと走れないんだが」
「今日はもう帰るよ」
「え、いや、まだ折り返し地点も……」
「か・え・る・よ?」
「…………はい」
妹分に反論できずに従ってしまう兄貴分の姿が、そこにはあった。というか俺だった。仕方がないので踵を返して来た道を戻る不破の後ろを歩いてついていく。律といい不破といい、お前らちょっと心配性すぎるんじゃない? 別にどうってことないのに……。
***
「……それで完全に寝込んでたら、どうしようもないですね」
「うるせー……」
小町が学校に行って俺だけになった自宅の俺と律だけがいる自室に、自分でもびっくりするくらい情けない声が響く。
あの後一度教室に戻った俺たちは、着替えて即帰った。……俺んちまで不破に付き添われて。普通そういうのって逆なんじゃねえのと文句の一つも言いたかったが、目がガチすぎて何も言えなかった。そもそも結果的に次の日三十八度の熱出してしまっているのだから、まじでなんも言えない。
「私にサーモグラフィ機能があれば、もっと早く気づけたのですが……」
「俺のスマホを魔改造しようとするのはやめてもらえません?」
サーモグラフィ機能くらいだったらノルウェーの開発者たちに頼めばアップグレードしてくれるのではないだろうか。殺せんせーの探知にも使えそうだし。ただ、それ搭載するなら本体だけにしてね。俺のスマホちゃんはありのままの姿でいさせて。
「とりあえず、今日はお薬飲んでしっかり休んでくださいよ?」
「分かってるよ。小町も昼の分まで飯用意してくれたから問題ない」
とりあえず熱っぽいのと喉がひりつく以外は目立った症状もない。薬飲んで寝ておけばすぐ直るだろう。朝の分の風邪薬はもう飲んだし、ベッドに潜り込んで……。
…………。
………………。
寝れん。なんか妙に目が冴えてしまって、目を閉じてもすぐに瞼が上がってしまう。これはあれだな。元気が有り余ってるんだな。寝込んでるのに元気が有り余ってるというのもおかしな話だが。
「ちょっと勉強をしてから……」
「ダメです! ご飯のときとトイレの時以外寝てないと、小町さんに報告した上で八幡さんのロックフォルダの中身をE組にばら撒きます!」
「それはやめて!?」
なんという脅しをしてくるんだ。というか、鍵付フォルダが役割果たしてない。個人情報保護法仕事して!
ただまあ、不破とか律とかに迷惑をかけたのは事実なわけで、そんな中さらに迷惑をかけてしまうのも問題といえるだろう。
「わーったよ。今日は大人しく休むさ」
「はい。眠れないのでしたら、私が話し相手か子守唄を歌ってあげますよ?」
…………。
「……じゃあ話し相手で」
律はなにやら頬を膨らませて抗議してきているが、そんなもん話し相手一択だわ。前に目覚ましで歌を歌ってきたことがあったのだが、あざとさマシマシの激甘ボイスで歌いだすから、背筋ゾワゾワきて一瞬で目が覚めたのを覚えている。あんなの聞いてたら絶対寝れないって。
***
「ぁ……目が覚められました?」
「……あぁ」
結局午前中は律と適当に駄弁って過ごし、昼飯に小町が用意していたおかゆを温めなおして食べたあたりでようやく体力が尽きてきたのか、眠気が来て寝てしまった。外を見るとだいぶ太陽は住宅街の向こうに傾いているようで、空を紅く染め上げている。もうE組の連中も帰宅する頃だろう。
それはともかくとして。
「なんか……あったのか?」
起きた時に聞こえてきた律の声が、やけに覇気がないように感じた。身体を起こしてスマホを覗き込むと、ディスプレイ越しのAI娘は口をもごもごと動かしてそっぽを向く。女子たちから学んで、自分なりに落とし込んだらしい“言いたいけど言い出せない時のしぐさ”を数度繰り返した彼女は、申し訳なさそうにため息をついた。それと同時に、LINEが強制的に起動される。個人チャット画面が開き、そこには一時間ほど前に倉橋が送ってきたらしいメッセージが表示されていた。
倉橋陽菜乃
(はっちゃん大変! ビッチ先生がいなくなっちゃった!!)
「……は?」
思わず二回、三回と同じ文面を読み返すが、どうやら俺の見間違いではないようだ。
なぜこのタイミングでイリーナ先生がいなくなるんだ? まともな結果を残せていない彼女に、ついにロヴロさんが退去勧告を出したのだろうか。いやしかし、初めてロヴロさんが来たときにイリーナ先生は一度暗殺教室からの撤退を言い渡されたが、殺せんせーが執り行った勝負の結果イリーナ先生が勝ち、殺し屋屋も必ず結果を残せと言っていたはず。
「なにがあった?」
となると、残っているのは外部からの何かか、E組内での何かだ。
「実は……、ビッチ先生の誕生日プレゼントを烏間先生に渡させて、二人の仲を取り持とうと……」
俺たちがわかばパークで園長の代わりに働いていた十月十日。その日はイリーナ先生の誕生日だったらしい。イリーナ先生が烏間さんに気があることは俺も気づいていたし、夏休みの普久間島での最後のディナーで一部生徒と殺せんせーがゲスな計画を立てていたことも知っている。
そして、職員しかE組校舎に残っていなかった誕生日当日、当然というかお約束どおりというか烏間さんがいつもどおりで、イリーナ先生もハニートラップの達人というプライドが邪魔したのか素直に誕生日のことを言い出せず、結局プレゼントはもらえなかったのだと言う。
「それで、皆さんから集めたお金でプレゼントを買って、それを烏間さんに渡してもらおうと……。ちょうどこの間松方さんが怪我をされたときに救急車を呼んでいただいた花屋さんにお会いしたので花束を……」
ああ、そういえばあの一一九番は通りかかった花屋の人がしてくれたって言っていたな。俺が来たときにはもういなかったけど。
それにしても――
「……アホか」
「っ……ごめんなさい……」
ぼそりと呟いて天井を仰いだ俺に律がビクリと肩と一緒にスマホのバイブを震わせて、謝ってくる。
「謝る相手がちげえだろ。今回傷ついたのはイリーナ先生なんだから」
別にゲスかろうがゲスくなかろうが、恋愛の手伝いをすること自体は特に問題だと思っていない。恋のキューピットのおかげでカップルが成立した例なんて現実にも物語にもゴロゴロ転がっている。しかし、今回のやり方は離島でやった二人っきりで食事をさせるというものとはまるで違うのだ。
「自分たちの用意したプレゼントを烏間さんからって言って渡すなんて、詐欺と変わりないだろ」
そんなのじゃ、渡す側に想いがこもっていない。仮にその場を凌げたとしても、絶対どこかで綻びが起きる。そして今回は、その場を凌ぐことすらできなかったのだ。
そもそも、この場合落とす側である烏間さんを動かしたのがまずかった。恋愛に疎い俺が言うのもあれだが、本来恋愛支援とはアピールする側のサポートや場の提供などあくまで間接的なものであるべきはずだ。そんな結果だけを与えるやり方だと、見世物にされたと思うのも無理はないだろう。たとえ本人たちにその気がなくても。
倉橋にその旨をチャットで送ると、既読から少し経って謝罪の返事が返ってきた。いや、だから謝る相手が違うって。
「どうすればいいんでしょう……」
スマホを持ったまま、再び枕に頭を乗せる。まだ熱っぽい頭で思考を巡らせてみるが、どの道出てくる回答は一つしかなかった。
「明日にでも謝るしかないだろ。変にプライド高いのも問題だけど、悪いのはこっちなんだしな」
ただ、律から聞いた去り際のイリーナ先生の言葉。
『おかげで目が覚めたわ。最高のプレゼントをありがとう』
……どうも、嫌な胸騒ぎがして仕方なかった。
超体育着導入と次のお話への始まりでした。原作では超体育着の強化繊維は“軍と企業の共同開発”とされていて、ひょっとしたら自衛隊の可能性も考えなくはなかったのですが、自衛隊を軍というのもおかしいなと思って米軍と明記することにしました。
ところで、時々――というかシリーズものを書いていると割りとよく――あるんですが、
「このシリーズのヒロインは誰ですか?」
という質問をされることがあります。
前にも感想への返信で言ったことはあるのですが、ヒロインの構想は書き出しの段階からすでにできています。しかし、私の考えとして明確に「このカップリングの話だよ!」と一話目から分かるような話でない限りは、どういうカップリングになるかは明記しないようにしています。読んでいるうちに誰がヒロインかと分かっていったり、予想するのも楽しみの一つだと思っていますから。
そういうわけで、そのような感想をいただいても明確な答えを返すことはできないことは理解してもらえると幸いです。
それでは今日はこの辺で。
ではでは。