二度目の中学校は”暗殺教室”   作:暁英琉

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人間らしさを見出すために

 次の日には治るだろうと思われた風邪は、どういうわけかよけいに悪化していた。熱、喉の痛みに加えて節々が軋み始めたので、これはやばいと病院に赴いた。早めのインフルエンザだったら千葉で今年初めてのインフルエンザマンになってしまう。

 

「うーん、風邪ですねー。インフルエンザではないですー」

 

 しかし、診察してくれたヒョロヒョロの男性医師は間延びした声で普通の風邪と診断した。ぶっちゃけほぼ百パーセントインフルエンザだと思っていたため、逆に驚きすぎてむせてしまったほどだ。

 

「インフルエンザ検査も引っかかってませんからねー。ただ、へんとう線の腫れが酷いですねー。リンパもちょっと平常ではないですしー……なんか無理なこととかしませんでしたー? 今までと違う事とかー」

 

 無理……はよく分からないが、違うことと言われると真っ先に思い浮かぶのはやはり暗殺訓練だろうか。適当に「運動を」とか言ってはぐらかすと、その後もいくつか質問をしてきた医師は「ふーむ」と自分の顎を手で撫でながらカルテにサラサラと読むのが難解な文字を書き連ねていく。

 

「たぶん身体が限界を迎えちゃったんですねー。今までほとんど運動をしていなかったのにいきなり激しい運動を始めちゃったからー。若いから今まではそこまで気にする状態になってなかったんだろうけどー、少しずつ溜まった疲労でだいぶ免疫力が落ちちゃってたんでしょうねー」

 

 それで、このタイミングでドカンとでかい風邪を引いてしまったということらしい。同じ訓練量で俺だけこんなグロッキーになるとかおかしくない? やだ、俺の体力……なさすぎ?

 

「いえ、八幡さんの訓練量が他の皆さんと同じはさすがに謙遜にも程があるかと……」

 

 診療が終わって帰りのバス停までの道中にぼやくと、律に盛大に呆れられた。そんなことはないと思うんだが。訓練メニューなんてあいつらとほとんど変わらないし。

 

「まあ……無自覚ならそれは別にいいですけど、今後は少し自主訓練のセーブをお勧めします」

 

「うーん……そうだな、また倒れても元も子もねえもんな……」

 

 マスクの中で咳まじりにモゴモゴ返していると、バスがやってきた。平日の昼間ということで、車内はガラガラだ。

 医者からは数日は安静にするようにと言われたわけだが、さてその間どうやって過ごしたものか。いつも風邪の時はゲームをしたりして過ごしているが、律が全面的に禁止してきて本格的にやることがない。結果的に律と話すくらいしか選択肢が残されていないんだよなぁ。

 

「あ、そういえば。イリーナ先生は今日来たのか?」

 

 ゴトゴトとバスに揺られている間はさすがに二次元娘と会話をするわけにもいかず、その話題を切り出したのは家の近くのバス停で降りた後だった。その質問に対して律はすぐに答えることはなく、だからこそ答えは明確に伝わった。

 イリーナ先生が学校に来ていない。

 

「携帯には繋がらないのか?」

 

「すみません、どうやら電源を落としてしまっているようで……」

 

 さすがにネットワークではチート級の能力を誇る律でも、電源を落とされた携帯端末への介入は無理か。ということは自宅にいるのかも分からない。いや、自宅にいたら殺せんせーあたりに突撃される可能性があるからいる可能性はほぼなし、か。

 一度壊れた関係を戻すのはリセットするよりも難しい。前までの俺なら難しいとすら言わず、不可能と切って捨てていただろう。

 けれど、この数ヶ月、間違えながらも、壊れながらも戻ってきた俺たちの関係を考えると、イリーナ先生だってやり直せるはずだと、今の俺は思う。

 ただ……。

 

「対話ができなきゃ、謝ることもできねえんだよな……」

 

 結局現状のE組は、ただ待つことしかできなかった。

 考えるだけ無駄だということは分かっているが、なにか方法はないかと熱で茹で上がる脳みそを働かせているうちに家に帰りついた。手洗いうがいの衛生管理をしてから小町が用意した昼食――食欲はあまりないと言ったらフルーツヨーグルトを作ったようだ――を二階の自室に持ち込む。スプーンでヨーグルトと缶詰のみかんを一度に口に放り込むと、冷たくてさわやかな味が舌の上に広がって、その冷たさのせいか少し思考がクリアになる。

 

「そういや、烏間さんはイリーナ先生がいなくなったことどう思ってるんだ?」

 

 間接的には、というか根幹的にはゲスなあいつらの責任だと思うが、多少なりとも烏間さんの落ち度もあるように思われる。というよりも、堅物にしてもどうも伝え聞いた烏間さんの言動はいつもと違う気がするのだ。

 

「烏間先生は……『プロである以上情けは無用』と」

 

「……なるほど」

 

 鈍感鈍感と言われる烏間さんだが、イリーナ先生のアプローチに気づいていないはずはなかったか。しかし、あくまで彼は地球防衛の最前線にいる人間であり、教師として残っている以上、イリーナ先生も最前線で暗殺に取り組むべきプロだ。

 

「色恋で鈍るような刃なら、ここで仕事をする資格はない……か」

 

 だからこそ、わざと突き放すような言い方でイリーナ先生の覚悟を確かめた。

 いかにも仕事に誠実で、俺たちのような素人から始まった学生暗殺者すら対等な立場として接する人の言葉だ。非情で、人間的で、合理的。きっと最初の頃の俺なら、無条件で納得していたであろう指揮官としての選択だ。

 けど、だけれども……。

 

「なーんか、自分でもめんどくせえ性格になったもんだなぁ」

 

 合理的とか理論的とか、そういうのを度外視にイリーナ先生にあの教室に残ってもらいたいと思っている。獣的な感情論を優先しようとしている。俺ってこんなタイプだったかな。もっと理性で生きている自覚があったんだが。

 

「ふふっ」

 

 スプーンを咥えたまま考え込む俺の耳に、律のおかしそうな笑い声が聞こえてきた。なんだよ、とディスプレイが見えるように立てかけたスマホに目をやると、当のAI娘はなおもクスクス笑いながら謝罪してくる。

 

「ごめんなさい。でも、私から見たら今の八幡さんは十分“人間的”だなと思いましたから」

 

「……そうか?」

 

 感情に訴えかけるやり方は、大事な論点を見失うかもしれない。俺たちは生徒であると同時に最前線で暗殺を行っている殺し屋だ。もっと理性的に行動したほうがいいのではないかと思うのだが。

 

「八幡さんの言う人間的、獣的という人間のあり方も昔からある考えということは、私も理解しています。高度な知識を有する人間であるが故に、理性的に、常に冷静に行動するのが人間らしい。しかし、あくまで機械であり、人工知能である私は最近の考え方である人間的、機械的というものも、結構納得しちゃうんですよ」

 

 人間的。これは具体的にどういう意味を成しているのだろうか。獣的、動物的と対をなす人間的は感情や本能で動く獣と違い、理性的なのが人間らしいというものだ。冷静に状況を判断し、感情に流されず決断、行動する。

 しかし、人間的の対が機械的になったら? 今まで人間的だと思っていたものは機械的と言われ、人間らしさとは感情によって動くものだと言われてしまう。まるで言葉の意味が変わってしまうのだ。“人間的”という言葉の意味を正確に詳しく説明しろと言われたら、いったい何人が誰もが納得する説明ができて、何人が答えを見出せずに発狂してしまうだろう。

 では、人間的とは、人間らしさとは何かと言われれば……。

 

「結局、人それぞれってことか」

 

「そういうことです」

 

 イリーナ先生の恋愛にあるいは本職の刃すら崩されそうになる獣的な面も、烏間さんの一見非情で機械的な面も、結局のところどちらも人間的な面であるのだ。概念として固定できないが故にこそ人間らしい。

 

「そういう意味じゃ、お前も十分人間らしいけどな」

 

 最初の頃に比べると、機械的に答えを打ち出すのではなくよく考えるようにもなったし、感情のようなものを表に出すようにもなった。物語に関する感想も自分の考えを持って説明するようになってきたし、少しずつではあるが国語への理解力も上がってきたと殺せんせーも言っていた。堀部のラジコンを使って男子陣が盗撮をしようとしているときなんかはリアルに女性陣がやりそうな目をしているしな。

 人間的、人間らしいの定義が固定でないのなら、俺から見ればこいつはもう、“人間”に違いなかった。

 

「いえいえ、私もまだまだ学習が足りません。この程度で満足していては自律思考固定砲台の名折れです」

 

 だから、もっと勉強させてくださいね、と律が笑いかけてくる。つまり、この後の話し相手のお誘いというわけだ。この学習意欲の高さは機械的なのか、はたまた人間的なのか。

 

「眠くなるまでな」

 

 どうせ勉強もさせてもらえないし、それなら彼女の学習ついでに暇つぶし相手になってもらうとしよう。イリーナ先生と烏間さんに関しては何か動きがあってからだ。

 けれど、意味は違えどそれを同じく“人間的”と言うのなら、あるいは……。

 

 

     ***

 

 

 医者の診察通り、相当免疫力が落ちていたようで、次の日も休むことになった。と言っても前日よりは身体も動かしやすくなってきたので、ベッドでゴロゴロ転がりながらストレッチをしていたら律に怒られたのはご愛敬。ちなみにフォルダの中の秘蔵画像を拡散されないように平謝りだった。もう面倒くさいしどの道律がしょっちゅういるせいで秘蔵画像なんて見る余裕ないし、さっさと消してしまおうかしら。電子的弱みを消さないと律に頭が上がらない。

 そうして学校を休み始めて三日目。布団に入っていると布団が俺の身体から蓄える熱のせいか、夜しっかり寝ても昼頃には眠くなって三時間ほど昼寝に入るのが休みの間の日課になっていた。

 

「八幡さん! 起きてください、八幡さん!」

 

 眠っている意識に突然聞こえてくる律の声。その切迫した声色に、まどろみすらスキップして一気に意識が覚醒した。

 

「どうした!?」

 

「そ、それが……」

 

『ビッチ先生が攫われちゃったんだよ!』

 

 枕元に置いていたスマホから聞こえてきたのは律の声と、それを遮るように響いた倉橋の声。どうやらLINEの通話を繋げたらしい。というか、イリーナ先生が攫われたってどういうことだ?

 

「先ほど、校舎に『死神』を名乗る男性が現れました。その男が、この写真を」

 

 スマホに表示されたのは両手両足を拘束されて狭い鉄枠に押し込められたイリーナ先生の姿。律曰く画像加工の可能性は極めて低い、ということらしい。つまり、本当にその「死神」はプロの殺し屋一人を誘拐したのだ。

 死神。夏休みの暗殺訓練の際、ロヴロさんから聞かされた世界最強の殺し屋の通り名。ありきたりな呼び名であるが、殺し屋業界で「死神」と言えばただ一人を指し、その素性、能力の底、何もかもが情報網に引っかからない伝説の殺し屋。殺し屋屋はこの二年ほどなりを潜めていると言っていたが、どうやら渚たちと接触をしたという花屋に化けて潜んでいたらしい。ひょっとしたらかなり長期的にE組の周囲を調べていたのかもしれない。

 

「百億の賞金に動き出したってことか」

 

「そのようですね」

 

 教室に堂々と現れた死神は、イリーナ先生の命を守りたければ、先生、親などに一切伝えずに全員で指定の場所まで来るようにと命令してきた。

 

「『来たくなければ来なければいい。その時は彼女の方を君たちに届けます。平等に行き渡るように二十八等分小分けにして』」

 

「えっぐいプレゼントだな……」

 

 つまり全員で行かなければイリーナ先生のバラバラ死体が出来上がるわけだ。死神は次の獲物をおびき寄せる“花”を摘み取るだけ。次に“花”になるのは俺たちのうちの誰かだ。

 

「ここで従わなきゃ、結局従うまで一人ずつ殺されるな」

 

『どどど、どうしよう、はっちゃん!?』

 

 完全に狼狽している倉橋を宥めながら考える。数日休んだおかげでだいぶ熱も落ち着いてきた。今なら十分考えを巡らせることができる。

 相手は世界最高の殺し屋と謳われる死神だ。鷹岡をボコるための潜入ミッションで警備員を魅了したイリーナ先生を烏間さんが「優れた殺し屋ほど万に通ずる」と言ったように、なにをしてくるかわかったものではない。普通に考えれば俺たちだけで相手の指示に従うなんて、みすみす人質を増やすようなものだ。

 しかし、この教室の連中に誰かを犠牲にするなんて選択肢はない。そして俺も、誰かを犠牲にしたくはないのだ。

 俺たち全員の能力を活かせば死神を何とかできなくても先生の救出は可能かもしれない。そうすれば後はうちの教師陣がどうとでもしてくれるだろう。けれど、やはりリスクが高すぎる。プロの殺し屋と数度戦ったことは確かにあるが、あの時は指揮してくれる先生たちがいた。あの時だってギリギリだったというのに、指揮官がいない状態での成功率はもっと下がる。だが、ここで指示に従わなければイリーナ先生が二十八等分に――

 

「……ぁ」

 

 いや待て、ひょっとしたら……。

 ベッドから起き上がると、通学用のバッグにしまっていた新しい体育着を取り出す。守るために使おうと決めた力だ。おそらく俺に聞くまでもなく、通話越しのあいつらも準備を進めているだろう。

 

「倉橋、俺もすぐにそっちに向かう。作戦会議はついてからだ」

 

『わ、わかった!』

 

 通話を切って、手早く超体育着を着込む。十分に睡眠もとったし、熱も身体中の痛みもだいぶ引いてきた。この程度なら問題ない。

 

「八幡さん……緊急事態なのは重々承知ですが、あまり無理はなさらないでくださいね」

 

「分かってるさ。というか、ひょっとしたら今回は俺が一番楽なポジションかもしれないぞ?」

 

 はい? と首を傾げる律が映ったスマホをポケットにしまい込み、ステルスを全開にして家を飛び出した。




というわけで死神回はまだ続くんじゃ。

久しぶりに自宅に帰れたので、多分明日はがっつり書けると思います。

早いですが今日はこの辺で。
ではでは。

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