二度目の中学校は”暗殺教室”   作:暁英琉

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無表情の奥に見えるもの

 一ヶ月前から着手した期末試験の勉強期間も瞬く間に過ぎていき、椚ヶ丘中学校は現在試験の真っ最中だ。総武高校の期末試験は一週間後なので、俺は先生たちと一緒にE組の教室で久しぶりに普通に読書をしていた。「比企谷君は一度やる気を出すと根を詰めすぎるきらいがあります。定期的に息抜きをすることも覚えましょう」という殺せんせーの教えにより、今日の昼間は読書タイムということになった。読書タイムって言い方だと小学校感あってなんか嫌だな。

 読書のついでに今あいつらが解いているテストに目を通してみたが、一学期期末よりも難易度が跳ね上がっていた。まず問題が鬼のように多い。その上一問一問の難しさも上がっているのだから始末に負えない。おそらく、最後の問題まで行きつける人間は、最難関進学校の椚ヶ丘と言えども半分がいいところだろう。

 

「どっちの教育が正しいか、白黒はっきりさせようってことですかね」

 

 高校受験でだってここまで難しい問題はないであろうテスト用紙をひらつかせると、殺せんせーはそうですねぇと間延びした声で肯定してくる。

 

「彼は自分の作り上げた教育に、絶対的自信と正義を持っています。それは日本に名を轟かせる椚ヶ丘学園十年の歴史という実績故でしょう」

 

「後は……過去の失敗故、ですかね」

 

 続けた俺の言葉に柔らかい首を捻る殺せんせーをよそに、スマホを操作する。途中で俺が何をしようとしているのか理解した律が作業を引き継いで、一つのアプリに圧縮されたデータを殺せんせーのスマホに送り込んだ。ブーと低いバイブの音に気付いた担任教師は自分のスマホを開き、驚いたように小さな目を一回り大きくした。アプリ内の情報には、浅野から提供された資料の他に律が収集したデータ、そして俺が聞き込みを行った情報も入っている。

 椚ヶ丘学習塾第一期生である森さんや永井さん、それに他の元塾生数名から聞いた話を総合すると、やはりあの塾の教育方針は今の学園のものとは違っていた。特に一期生の二人は人数が少なかったせいか、その方針をよりはっきりと聞かされていたらしい。

 

「『良い生徒』を育てる。それぞれの『良い』を伸ばすための教育。それが、浅野學峯の元々の教育だったそうです」

 

 どういう過程で人を育てるという道に進むことにしたのかは理事長本人にしか分からない。しかし、十数年前の理事長は確かにその教育理念を信じ、教えるために自分自身が全ての「良い」を熟知しようとした。元々の化け物のようなスペックがなければとても無理だろうが、それでもその信念があったからこそ、今の万能な浅野學峯という人間の基礎ができたのだろう。

 当時廃校になっていたこの校舎を借りて、雑音のない環境で各自の長所を存分に伸ばす。もちろん長所があれば欠点も存在する。それをケアし、将来社会で遺憾なく長所を発揮できるような、思いやりを持ち、自分の長所も他人の長所も理解できるような、そんな生徒に育てたいと、中学受験のための勉強だけでなく山の自然を使った散策などいろいろやっていたらしい。

 

「ふむふむ、やはりそうでしたか」

 

「気づいてたんですか?」

 

 どこか納得したように頷く殺せんせーは、どうやら俺と同じ疑問を持っていたらしい。

 

「本当にE組が理事長にとって“ただの見せしめ”ならば、先生が伸ばしたところを刈り取ってしまえばいいですからねぇ。自分で任命権があると言っておきながら教育方針をぶち壊している私に何もしてこない時点で、同じ教育者として確信めいた答えが浮かんでいました」

 

 ――きっと先生の教育は、理事長が目指しているものと同じなんだとね。

 

「そうですね。きっと、あの事件がなければ、理事長は今でも『良い生徒』を育てる教育を続けていたんでしょうね」

 

「あの事件? ……これは」

 

 律が超生物のスマホに関連資料を表示したのだろう。口をつぐんでじっと資料に目を通している。

 もう一人の第一期生、池田陸翔さんの自殺。中学、高校と質の悪い先輩から暴力を受け、金銭もむしり取られていたらしい。抵抗することなく、誰にも告げることもなく、自ら命を絶った教え子。きっと理事長は、こう考えたはずだ。

 自分の教育が間違っていた、と。

 当時の塾生は、ある日を境に先生の雰囲気が変わったと言っていた。常に険しい表情をしていて、ただひたすら自分たちに勉強を教えていたと。

 そして最後の塾生たちを志望中学に合格させると理事長は塾を閉め、あらゆる強さを探求した。データでしか調べられなかったが、武道、スポーツ、格闘技などおよそ強いを自覚できるものは網羅していたように見える。自分の教育で三年で死んでしまう生徒を生んでしまったという意識が、他人を蹴落としてでも生き残ろうとする強い生徒への渇望に繫がったのだ。

 

「けれど……」

 

 けれど、それでも無意識のうちにE組を用意することで本来の教育を続けているとすれば。

 

『確かに、テレビや雑誌で見る浅野先生はどこか昔と違っていました。でも、私たちのネクタイピンはいつも忘れずにつけてくれていて、私たちのことを忘れたわけじゃないんだって』

 

 理事長がいつもつけている椚の葉のネクタイピン。それは一期生が塾を卒業するときに彼に贈ったものなのだそうだ。それを彼はいつも身に着けている。それは亡くなった池田さんへの楔なのか、それとも……。

 

「……まあ、一ヶ月じゃ俺に調べられるのはそれくらいでした。まともに動けたの休日だけでしたし」

 

 スマホと本を机に置いて、背もたれに体重を預ける。ググッと肩を伸ばして体勢を元に戻すと、殺せんせーはススッとスマホをスライドさせて内容を確認していた。紙媒体ならもっと早く見れるんだろうけど、かさばるからね。許して。

 

「ちょうど先生も理事長の昔のことを調べようと思っていたので、この資料はありがたいです。比企谷君が聞いてない人には先生が聞いてきましょう」

 

 しかし、と言って担任教師は顔色を紫に変えてバツ印を表示させる。

 

「勉強以外もやるなんて無理をしすぎです。目標達成できなかったらどうするんですか」

 

 まあ、確かにあいつらに比べたら勉強時間は多少減ってるからな。怒られるのも無理はない。

 

「大丈夫ですよ」

 

 ただまあ、ある意味この調べ物で俺の意識も少し変わることになったわけで。恩師“達”のためにもここで無様な結果なんて晒すわけにはいかなくなってしまった。

 

「ちゃんと、学年一位もぎ取ってきますから」

 

 読書休憩を終えてテキストを取り出した俺に殺せんせーは一瞬キョトンと固まって、一つ頷くと窓から飛んで行った。

 

 

     ***

 

 

「……うちでビリって寺坂だよな」

 

 たった一晩で採点を終えたらしいテストが返却されて、殺せんせーが貼りだした学年トップ五十のリストに皆顔を近づけて自分の順位を、そしてE組全員の順位を確認する。E組で最下位は寺坂の317点。そして、その寺坂の順位が――46位。

 つまりは……。

 

「「「「やったぁ!! 全員五十位以内ついに達成!」」」」

 

 クラス全員の歓声が教室内に響き渡る普段はあまり声を大きくしない神崎や奥田なんかも表情と身体全てを使って喜びを表現していた。

 上位争いも五英傑を引きずり降ろして上位十人中八人をE組が独占してほぼ完勝。そして赤羽は全教科満点を叩き出して浅野を抑えての総合初一位を獲得していた。浅野の依頼もほぼ完遂と言ったところだろうが、あいつ負けて悔しがっているだろうなぁ。

 今まで以上に勉強に力を入れていたのと、生徒同士の相互授業で赤羽の能力はその完成度をかなり上げていた。そんな赤羽と浅野の勝敗を決めたのは数学の最終問題。俺には部分点を取るので精一杯そうな極悪難易度に見えたが、赤羽曰く「皆と一年過ごしていなきゃ解けなかった気がする問題」だったそうだ。ほんと、この教室にいるとどの経験がいつ役立つか分からなくて面白いと続けた赤羽は、穏やかな表情で笑っていた。

 A組は結局、後半のテストになるにつれてどんどん躓く生徒が増えていったらしい。憎悪によるドーピングが切れてしまったのだ。その反動で普通よりずっと思考能力が削がれてしまい、最後の数学は半数以上がかなり初期で躓くことになってしまったらしい。

 

「はっちゃーん! やったよ!!」

 

「おう、おめでとう」

 

「ふふふ、今なら風遁雷遁・風螺旋丸くらいなら使えそうな気がするわ」

 

「それ、誰との合体奥義なんだよ……」

 

 倉橋が差し出してきた頭を撫でたり、不破のネタに呆れながらツッコんでいると、マナーモードにしているスマホが小さく一度だけ震えた。ポケットから取り出してメールを確認すると、浅野からのメールだ。その内容を確認して――

 

「……殺せんせー。理事長がこっちに向かってきているらしいです。……重機を引き連れて」

 

「にゅやっ!?」

 

 浅野の狙い通り、E組への敗北によってA組の生徒たちは理事長の洗脳教育から目を覚ますことができた。今のやり方では勝つことはできない。負けを経て強くなった、E組や浅野のようなしなやかな強さには敵わないと。

 理事長のこの十年の教育だって、きっと間違ってはいない。きっと今の教育は理事長の一種の防衛本能の結果だ。もう二度と悲しい結末を生むまいと、自分の心を殺して気丈に、非情に振る舞って。

 その想いの装甲は、一度の敗北だけでは剥がしきることはできない。

 

「……ひとまず皆さん、教室を出ましょう」

 

 

 

「おや皆でお出迎えとは。浅野君あたりが知らせたのかな?」

 

 重低音の駆動音を響かせるショベルカーや解体用のグラップルを引き連れてきた理事長は、いっそ感情がないような目を一瞬俺に向けて、E組全員を見渡す。

 

「今朝の理事会で決定しました。この旧校舎は本日を以て取り壊します」

 

 やばい……これは、完全に壊れている。

 系統は違うが、俺はあの目に近いものを知っている。夏休みの離島、鷹岡が見せた目と同じ匂いを感じさせるそれには、きっと理屈は通じない。

 校舎を取り壊した後、E組は来年度開校する系列学校の新校舎に移り、卒業まで校舎の性能テストに協力するようにと続ける。刑務所を参考にしたという牢獄のような、いや、牢獄そのものの環境。それをやはり無感情な目で説明する理事長は、本当はどんな気持ちでいるのだろうか。

 

「どこまでも、自分の……教育を貫くつもりですね」

 

 殺せんせーが途中であえて入れた間の中に入る言葉を、俺はなんとなく分かる気がした。そしてそれでもなお無感情で居続ける理事長の奥に潜む感情も。

 そんなことは気にしていないのか、そんな余裕もないのか、理事長は「勘違いなさらずに」と胸ポケットを探る。取り出したのは、今までどんなに対立しても殺せんせーには見せたことのなかった――解雇通知だった。

 

「私の教育にあなたはもう用済みだ。今ここで私があなたを殺します」

 

「「「「――――ッ!?」」」」

 

 理事長だけが持つ、物理攻撃以外で殺せんせーに効力を発揮する伝家の宝刀。生物の枠から色々と逸脱している殺せんせーは、しかし“教師”である以上規則や約束事に力技で対抗したりはしない。今だってフリップや立札を複数用意して一人デモを……って、「浅野學峯は腹を切って地獄の業火で死ぬべきである。だって横暴だもの」って意外と強気だなこのタコ。

 いや、強気というよりも、この超生物も気づいているのだろう。この解雇通知は、死の宣告に過ぎないということを。理事長が言った「あなたを殺します」という言葉の意味は、社会的にとかいう比喩表現ではないことを。だからそんな冗談をやっていられるのだ。

 

「早合点なさらぬよう。これは標的を操る道具に過ぎない」

 

 ――あくまで私は、あなたを暗殺しに来たのです。

 そう続ける理事長の目はどこまでも無感情で無感動で機械的で、しかし強者としての自信を持っていて。

 そして、ひたすらに苦しそうだった。




ちょっと短めですが、切りがいいのでここで区切ります。
森さんとの会話を直接書くか悩んだんですが、間接表現にしてみました。

理事長はやっぱりなかなか難しいです。もうちょっとキャラを前に出せればなぁと思いつつなんですが、むぅ……難しい。

それでは今日はこの辺で。
ではでは。

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