「ぴにゃあああああああああ!!」
昼休み。たまには食後にのんびり風にでも当たろうかとマッカン片手に廊下に出て、やっぱこの時期は寒いな、なんてアホなことを考えていると、教室から律の聞いたことのないような悲鳴が響いてきた。今日は殺せんせーも一緒に飯を食っているし、まさか偽死神のように堂々と侵入、なんてことはないと思うのだが。
心持ち気を張って教室の中に入ると、特に敵影は見えず、そして律本体である四角い黒棺の前には岡島と中村、それと赤羽が気味の悪い笑みを浮かべて佇んでいた。とりあえず、暗殺者から何かしらの被害を受けたわけではないらしいので、ふっと張っていた気を緩める。
「なにやってんだ、お前ら?」
「あ、比企谷君。ちょっと律と思い出話してただけだから気にしないで」
近づいてきた俺に中村はケタケタと楽しそうに笑いながらひらひら適当に手を振ってくる。さっきの悲鳴はとても思い出話をしていた声ではないと思うのだが、どうせ岡島がまたエロ話でもしたんだろう。最近、律も恥じらいというものを覚え始めたのか、岡島のエロ談義に顔を赤くすることが増えてきた。そのせいで岡島が調子に乗って、俺からまた比企谷家出禁を食らったのだが。後女子から思いっきり白い目で見られていた。岡島に未来はあるのだろうか。ちょっと心配。
ということで、なにか問題があるわけではないので面倒事は気にしないことにした。頑張れ律。弄られることも人間よくある話だと思うぞ。
「あ、そうだ。比企谷くーん」
しかし、面倒事というものは避けてもなぜかついてくるもので、ポンと手を打った赤羽があくどい笑みを浮かべて近づいてきた。手に持っているのは岡島の物らしいスマホ。
「実は偽死神との戦いのときにモバイル律がハッキング食らっちゃってさ。これ、その時のスクショなんだよねぇ」
「ほーん」
確かにあの建物内は圏外になっていたし、本体と繫がっていなければ、モバイル律のハッキングは比較的容易なのかもしれない。いや、あくまで比較的であって、普通はほとんど無理に近いと思うのだが。たぶん逆に端末をハッキングされておしゃかにされてしまうんじゃないだろうか。それができてしまうのが、偽物とはいえ万に通ずる死神の恐ろしいところか。
「カ、カルマさんだめで……あぁ」
律の必死の制止も虚しく赤羽がスマホの画面を俺の目の前に突き出してきたことで強制的に俺はその画像を視認してしまうことになった。
「……うん?」
それを見た第一声がこれである。ハッキングと言うからあざとさ全開なAI娘にあるまじきあくどい顔でもしているのだろうかと想像していたのだが、表示された画像にはゴミが適当に散らかった部屋でシャツとパンツ姿の律がおっさんのように寝転がって昼ドラを見ているものだった。あくどさとは程遠い超がつくほどだらしない姿に、最初は捻っていた首をゆっくりと隣の箱に向ける。
「休日の独身彼氏なしのOLかよ」
「これは! 偽死神にハッキングされて孤立したモバイル律がこんな状態にされてしまっただけで! 私は! 本来こんなだらしない格好にはなりません!」
強調マシマシで反論されてしまった。いやしかし、これは本当にあいつがここまでなるようにハッキングしたのだろうか。もしそうなら偽死神物凄いお茶目だし、そんなことされる余裕があるくらいモバイル律の対ハッキング耐性が弱かったということになる。そういえば、この間セキュリティ強化のバージョンアップをしたとか言っていたか。今の律の狼狽具合を見ると、本人も相当気にしているようだ。
「八幡さんちゃんと私の説明聞いてますか!?」
「聞いてる聞いてる。洗濯は休日にまとめて派なんだろ?」
「全然聞いてない!?」
気にしているのはハッキングされたことにか、それによって醜態をさらしたことにか。どっちかは本人しか知らないことだろうが。
***
「むうぅぅぅ……」
「悪かったって。ちょっと調子乗りすぎたよ」
ジョギングを済ませた帰り道。スマホから伸びたイヤホンから、さっきから鳴りやまない律の唸り声が鼓膜を震わせて来ていた。
あの後、調子に乗って赤羽たちと律を弄っていたらキレてしまった律が本体から最大規模精製した銃器を展開してきたので、慌てて全員で慰めにかかった。殺せんせーも慌てて「人に向けて発砲するのはいけませんよ! 片付けが発生して他の皆さんへの迷惑にもなります!」と止めたことで発砲は阻止できたが、当然律の気は収まらず、結局四人で謝った上で岡島が所有していたスクリーンショットの削除、そして岡島が比企谷家出禁という条件提示でなんとか気を収めてくれた。なぜ律からの条件に俺の家への出禁が存在するのかはいまいち分からないが、「なんで!?」と目玉が飛び出そうなほど慌てだした岡島が面白かったので良かったということにしよう。
「やはりお掃除機能も付けるべきですよね。自分の意志で発砲できないのはこういう時歯がゆいです」
「人に向けて発砲も駄目だからな? 何お前、ルンバにでもなりたいの?」
お前の発砲機能は殺せんせーを殺すためにあるんだから、お願いだから触手教師の言った人相手に発砲しちゃいけないってところもちゃんと守ってね。
「いやですね八幡さん。時代はルーロ君ですよ」
「なぜ君付け……」
ちなみにルーロ君は三角型の形状をしているロボット掃除機である。その形状のおかげでルンバなどの円形では届かない部屋の隅まで掃除することができるらしい。決してチーバ君の親戚ではない。
「まあ、冗談は置いておきまして」
コホンと一つ咳ばらいをすると、律は声のトーンを落として真面目な雰囲気を出してくる。
「八幡さんが調べるようにと言った件、ようやく調べ切りましたのでその報告をしたいのですが」
「……あれか。ちょっと待て」
スマホに向けていた視線を上げて、周囲に意識を向ける。今いるのは俺の家のある住宅街の入り口。家からはいつも通りの生活をする人の気配。奥の塀では猫がくつろいでいるようだ。
そして、俺たちの後方。大体五十メートル程度のところに隠れている気配。性別や体形は分からないが、気配をある程度消しているところを見るに素人ではない。まあ、何者なのかは想像がつくが。
殺気がないので襲ってくる心配はなさそうだが、内容が内容だけに万一聞かれたら面倒なことになるかもしれない。そう考えた俺はメモ帳アプリを起動させて、フリック入力でクイクイと文字を書き込んでいった。
『念のため、これで話そう』
書き込んだ俺の内容に律はコクリと頷くと、俺の書き込みの下に『了解です』と瞬時に文字を表示させた。そうか、こいつ文章のインプットが必要ないから普通に話しているのと同じ速度で文字を書き込むことも可能なのか。なにそれちょっと便利。
『理事長先生クラスの人間という基準が正直なところ曖昧でしたが、大体のスペックを数値化してネットワークに繫がる範囲内で全人類を調べました』
期末試験の勉強中、俺は一つだけ勉強にも、椚ヶ丘学習塾にも関係ないものを律に調べてもらっていた。
それは、「理事長と同レベルのハイスペックな人間で、近年行方不明になっている人間はいないか」というものだ。
殺せんせーの頭の良さがベースの人間のものなのか、それとも触手によって伸ばされたものなのかは未だに分からない。しかし、堀部の話や実際に触手を手放した前後の彼を見た限り、少なくとも触手移植者は思考面が触手によって低下すると考えていい。移植者の思考力を奪う触手が、逆にベースの知能指数を上げるとは少々考えにくかった。
期末試験の前に三村が「理事長は勉強の腕でマッハ二十の殺せんせーとタメを張れる」と言った。しかし、逆に理事長に殺せんせーがタメを張れていると考えるのはどうだろうか。マッハ二十で動けることで理事長にはまねのできない教え方をできる殺せんせーだが、それはある意味の力技であり、「理事長とタメを張れる授業の分かりやすさ」とはまた別物だ。
仮定として殺せんせーのベースである人間が理事長とタメを張れるほどの人間だった場合、その人数は全人類で見ても一握りだ。そうなるとその中で行方不明者がいればその人物が殺せんせーのベースである可能性が発生する。うまくいけば、シロの正体まで辿り着けるかもしれない。
『結果から言えば、理事長先生と同程度のスペックを持つ方は全世界で4036人いらっしゃいます』
さすが理事長。全人類で換算しても百万分の一に入っちまうのかよ。
『その中で月が爆発する前までに行方不明になられていた方は全員生死は関係なく、ご家族の元に戻っているようです』
『なるほど』
ここで絞れればと考えていたが、そう上手くはいかないか。理事長ほどの能力を持っていれば、大抵何かしらの形で有名になっている。安否確認は非常に容易だし、ほぼ確実だろう。いや、ひょっとしたら死んだと思わせて裏で何かしらの研究をしていたという可能性もあるが……そもそもそこまで考えても、まさか墓荒らしをして一人一人確認するわけにもいくまい。そこにばかり注力していたらシロの正体に行きつく前に地球のタイムリミットが来てしまう。
まあ、あくまでもしかしたらと思って調べてもらったことだし、分からなかったのなら仕方が――
「……待てよ?」
はた、と立ち止まって思考を巡らせる。そういえば、殺せんせーはやけに暗殺者に対して熟知していた。確かに地球中から狙われる身なのだから逃走者側の考え方は嫌でも身につくだろう。しかし、暗殺者特有の思考を知ることはできないはずだ。何より偽死神の指に仕込まれた仕込み銃のカラクリ、あの時は急いでいてなんとも思わなかったが、普通あの程度の情報だけでそこまで行きつくだろうか。
それに拘束された死神を見下ろした殺せんせーのあの声、あの表情――あれはまるで。
生徒を見る先生そのものだった。
『律、伝説の殺し屋“死神”のパーソナルデータは分からない、だったよな』
『はい。男性か女性かも誰にも知られていないそうです』
暗殺家業に身を置くものは一度死んだことになっていたり、元々戸籍の存在しない出生の人間も多いと聞いた。いずれにしても裏の人間だから、潜入でもしていない限りネットワーク上に情報が引っかかることはない。
『夏休みの特訓のとき、ロヴロさんは確か死神はここ最近姿を現さなくなったって言ってたよな』
『正確には二年ほど活動をしていなかったようです』
それまで千を超える屍を築いてきた職業暗殺者がなぜ二年もぱたりと活動をやめた? 足を洗ったのか、弟子が“死神”を名乗っていたから現役引退や死亡の線もある。
しかしもしも、“万に通じる”と言われているその暗殺者が別の理由で活動できなくなっていたとしたら? ロヴロさんの話から二年前。つまり月が破壊される約二年前から、何かの研究のモルモットにされていたとしたら? 伝説とまで言われる万の才能は、理事長にも十分匹敵しうる刃なのではないだろうか。
「……さすがに飛躍させすぎか」
これが小説なら殺せんせーから「たいした発想力です。君は案外小説家も向いているかもしれませんねぇ、ヌルフフフ」なんて言われかねないほどの超理論。けれど……。
「…………」
人が教鞭を取る理由は自分の成功を伝えたいときか、自分の失敗を伝えたいときかの二つだと言ったのは理事長だったか、殺せんせーだったか。
嘘が下手な担任が見せた悔やんでも悔やみきれないという目に、生徒を危険に晒した偽死神に対してではない怒りを孕んだ声。一度想起された光景が頭から離れない。メモ帳に入力した「仮定」の文字を自分の頭が否定する。仮定なんて生易しいものではないと、直感した頭の中の俺が叫んでいる。
「どうせ、これでどうにかできるわけでもない」
スマホのマイクに拾われないように音にならない声で呟いて、「仮定」の文字の後に続けて「分からん」と入力した。
『分かりました』
そう表示させた律は優しげに微笑んでくる。どうやら俺が本当に書き込もうとしたことを読み取られてしまったらしい。お前は本当に、いつの間に俺の思考を読むまでに成長したのだろうか。メモ帳アプリを閉じるついでに画面下から顔を覗かせていたAI娘の頭をくすぐるように撫でる。
「帰ってさっさと小町の飯食うか」
「うー、やっぱり私も味覚エンジン欲しいです!」
「だからそれは開発者に言えって」
再び声での会話を再開しながら入力に集中して狭くなっていた歩幅を大きくする。どこかの調べでは、歩幅を大きく歩くとその分幸福に感じやすくなるらしい。所詮は気持ちの問題だろうが、今は少しでも気を紛らわせるのならと、一層歩幅を大きくしてみる。
殺せんせーが伝説の殺し屋“死神”だったとして、元々足が辿れない人間がベースではシロの正体には行きつけない。それが一番高い可能性であるというのならば、もうこれ以上調べても無駄と言うだけだ。
自分の恩師が人間の頃に千人以上を暗殺してきたとしたらと考えてみる。自分の中に問いかけたその問いに「どうでもいい」と即答されて、思わず苦笑しそうになった。
そう、そんなことはどうだっていいのだ。過去にどんなに残忍なことをしてきていたとしても、俺たちに教鞭を取っている担任は「ヌルフフフ」と親身になって俺たちを教育してくれている事実に変わりはないのだから。
きっと自分の“手入れ”もしながら。
ちょっと伏線回収がてらオリジナルの話をペタリ。そういえばハッキングされたときの律とか後で本人に見せたら面白そうだなと思っていたので。
今回はここに書くことも少ないので前にも一度書きましたが少し宣伝を。
まだ当落も出ていない状態ではありますが、夏のコミックマーケットで数名の俺ガイル書き手で俺ガイルSS合同誌を出す予定です。というか出します。
一般誌とR-18の2冊に別れていて、私はR-18の方で参加します。このシリーズが一段落ついたらちょこちょこ書いている冊子用の話に注力するつもりです。エッロエロな話が書きたいところです。
スペース落ちた場合は落ちた場合で知り合いのスペースに置いてもらうと思います。スペースの情報などはTwitterやハーメルンで今後投稿するシリーズのあとがき、あとpixivなんかでもすると思うので、よろしくお願いします。
特にハーメルンは規約的に同人誌のサンプルを投稿するのはNGらしいので、試し読みサンプルはpixivのみの投稿になる予定です。申し訳ありません。
それでは今日はこの辺で。
ではでは。