天から月光の何倍も、太陽かと勘違いしてしまいそうな眩い光が降り注ぐ中、それで眼前を蛍のように揺蕩う光の粒子に目を奪われる。
幾百、幾千もの光の粒は、まるであの先生の顔のように七色に輝いているように見えた。黒、白、赤、朱、橙、青、藍、紫、緑……そして黄色。
「――――」
ぼそりと紡がれた声は、本来なら俺の鼓膜を無意味に震わせるだけだっただろう。鈍感系主人公を気取るなら「え、なんだって?」なんて空気の読めない返答をしてしまうであろうほどの小さな言の葉。
けれど、その声は光の粒子に乗ったのか、はたまた音とは違う伝達方法がなされたのか――不思議と、自然に、理解することができた。
――卒業おめでとう、と。
常時の半分も込められていないであろう握力で握っていた触手の感触が、ゆっくりと消えていく。人魚姫が故郷の海に泡となって還るように、初めからそうあるべきだったと言うように、形を失い、光の粒子へと姿を変えていく。
何となしに光の粒を掴んでみるが、崩壊した触手の残滓はその感触すらも残してくれなかった。
「うっ……うっ……」
「ひぐ……っ」
始まりは誰だったろうか。男女、高低入り混じった嗚咽を齢十五の子供たちが抑えきることなんて到底できず、やがて校庭を震わせんばかりの絶叫にも似た啼泣に成った。触手生物を閉じ込めるための光の檻『地の盾』すら揺らいだように錯覚するほどの、感情を乗せた叫び。
ある者は涙と鼻水を滴らせ臆面もなく泣き叫んだ。ある者は泣き顔を見られまいと顔を覆った。またある者は決して嗚咽を漏らさぬように奥歯を噛みしめて両頬に滴の跡を作り、あの赤羽ですら、年相応の表情で大きな粒を一つ、二つと地面に落とした。
いなくなってしまったことが悲しかった。もう会えないことが辛かった。別の結末を迎えられなかったことが悔しかった。
けれど同時に、嬉しくもあったのだ。感謝もあったのだ。
彼が全て満ち足りたような顔で消えることができたことが、そんな彼と一年間一緒に過ごすことができたことが。
悲しくて悔しくて、うれしくてありがたくて。
相反する感情の逃げ道を求めるように濡れた頬を拭って顔を上げた。
「ぁ……」
本来超破壊生物を殺すはずだったレーザーの光。それに比べれば太陽光を反射しただけのちっぽけな光のはずなのに、隣に浮かぶ三日月は凛々しさすら感じるほどに堂々と俺たちを照らしていた。
彼の象徴だった。俺たちの象徴だったその三日月の中に大好きな、大好きだった先生を幻視して――
「――――――――ッ!」
慟哭するように、喉が張り裂けんばかりに……感情を弾けさせた。
***
「…………朝、か」
カーテンの隙間からも出てくる日の光のせいか、外からかすかに聞こえてくる雀の音に誘われたか、ごく自然に意識が覚醒した。ベッドから上半身を起こすと厚手の毛布が半分捲れ――露出した裏地に水が落ちてかすかに濡れてしまった。
「は、リアルでも泣いてやんの」
思わず自嘲気味に笑いながら指の腹でそれを拭う。浅黒い跡が若干残ったが、放っておけば乾くだろう。
「八幡さん、大丈夫……ですか?」
枕元のスマホから聞き慣れた声が聞こえてくる。腹のあたりに落としていた視線を向けると、スマホのディスプレイに映る自律思考固定砲台、律が不安げな表情を見せていた。たぶん俺が起きる前からそこに待機していたのだろう。いつもはこっちの気も知らないで情け容赦なく起こしてくるというのに、こういう日は空気を読むのだから本当にずるい奴だ。
「別に、大丈夫だ」
「それなら、いいんですけど……」
スウェットの袖で顔を拭う。一通り目元の水気を拭い去って再び視界を開けさせると、律はやはり不安そうな顔をしながら所在なさげにスカートの裾を弄っていた。
「さすがに一月やそこらで完全には乗り越えられねえってことだな」
あの日から、たまに夢を見る。全く同じ夢というわけではない。けれど、決まってあの先生が出てくる夢。
たぶん他の奴らだって少なからず俺と同じなはずだ。あの超生物とともに成長したとはいえ、まだ高校生になったばかりなのだ。鍵付きの引き出しに放り込む勇気は、なかなか持てるものじゃない。
「……私には、ちょっと皆さんが羨ましいです」
「ん?」
「だって、夢の中なら殺せんせーに会えるんですよね?」
カーテンを開けようと立ち上がりながら律を見ると、一度瞑目した彼女は少し悲しそうに笑った。
フラッシュバックのように唐突にやってくる夢に、俺たちは涙する。けれど、そもそも“睡眠”が存在しない彼女は夢を見ることもないのだ。気づいたら流れてしまう涙がない代わりに、大好きだった先生に会うこともない。
なるほどな。確かに夢とはいえあの先生に会えるのだと考えれば、寝起きの涙なんて安い駄賃なのかもしれない。
「……まあ、そんなにいいもんでもないぞ」
そこまで考えて、さっきとは違う笑いと一緒にため息が漏れた。俺の言葉が意外だったのか、画面越しの少女はキョトンとした顔をする。
今日のような過去の出来事そのままな夢はまあ、いい。悲しいし悔しいが、やはり感謝と嬉しさが大きいから。
ただ……。
「たまにある殺せんせーの自分語りな夢、あれ地獄だぞ」
卒業の時に渡されたアドバイスブックの話をし始めたかと思えば、先生が主人公のラブコメファンタジーの話をしだしたりするのだ。なぜか手元にある対先生用ナイフとエアガンで攻撃しても尽く避けながら語り続けるから質が悪い。何あの人。実は精神体になって夜な夜な俺たちの中に潜り込んでんじゃないの? それはさすがに怖い。なんでもござれの死神でも普通に怖いから本当ならやめてほしい。
「なんか、それはそれで殺せんせーらしい気もしますけどね」
「夢の中まで暗殺続行とかマジ勘弁……」
ため息の後に間が少し、どちらからともなく笑い出す。夢に出てくると涙が出る先生だが、話題に出すと笑みが出る先生でもある。ひょっとしたらギャグキャラを演じていたのもアフターケアの一環だったのかもしれない。さすがにそれは考えすぎか。
いずれにしても、カーテンを開けて見慣れた自室からの外を眺めるころには心はだいぶ軽くなっていた。
「さて、そろそろ着替えるか」
「私はもう着替えてますよ!」
「あ、うん。そうだな」
「反応が軽い!?」
いやだって……君さっきからその格好だったじゃん。起きた時から気づいていたが、画面越しの律の格好が総武高校の冬服に変わっていた。彼女がリアクションを取るたびにチェック柄のスカートが楽しそうに揺れる。あくまで3Dモデルデータのはずなのに実物の制服かと思うほどリアルな質感と動きだ。
「昨日徹夜で作ったのに……」
「自作かよ……」
律が今まで着ていた服のデータは殺せんせーがインストールしたプログラムによるものだったはずだが……ついに自分で服を作るまでになったか。AI娘のスペックがまた強化されてしまった。そのうち私服のデザインとかまで始めるのではないだろうか。将来の職業がデザイナーになる日は近いな。いや、知らんけど。
まあ、妹分が成長するのは喜ばしい限りだ。人差し指で頭の部分をなぞると嬉しそうに目を細めて顔の彫りを深くしてくる。
それを確認して――
「あっ」
スマホを画面を下にして倒した。ついでにPCの有線LANも抜いておく。なんかスマホから抗議の声が聞こえる気がするが気のせいだろう。うん気のせい気のせい。
別に着替えを見られないようにとかそんな自意識過剰な理由じゃないぞ? LANケーブルを抜いたのは……ほら、オフラインがセキュリティ的には最強だから。つまりはそういうこと。
***
「お、こことか良さそうだな」
昼休み、小町特製の弁当を片手に校内をぶらついていた俺は校舎と校庭の間、駐輪場のスペースで足を止めた。臨海部から吹いてくる風が存外心地いいし、均等に植えられている広葉樹がいい感じの影を作っている。夏場あたりにはいい避暑地になりそうだ。冬は寒いだろうけど。
今更確認することでもないが、俺はほぼ一年間この学校にいなかった。つまり二年生とはいえ、この学校はアウェーのようなものなのだ。
そんな俺がまずするべきことが一つあった。
そう――昼食を食べる場所の確保である。
「……教室で食べればいいんじゃないですかね」
俺の心の内を読んだのか、手にしたスマホから律がシラーッとしたジト目を向けてきた。HAHAHA、そんな目をしたって俺はちょっとしか傷つかんぞ? ちょっとは傷つくけど。三日は落ち込むくらい。
まあ、律の意見は尤もだ。E組では昼食は教室で食べていたし、ここでもそうすればいいという理屈は分かる。
けどね、考えてみて欲しいんだりっちゃん。
「ぼっちに教室で昼食はハードル高い」
転校生でもないのに二年からのうのうと学校に来たこの比企谷八幡。いかんせんクラスに友達がいない。なんなら知り合いもいないまである。自己紹介の時間とかもなかったからマジでクラスの人間の名前も知らないし。なんか窓際のところにいる「隼人」と「戸部」だけはよく名前が出てくるから覚えたけど。
や、それでも昔の俺なら教室で一人、誰とも関わらずにもそもそ飯を食っていたのだろうが……。
「どうしてもあの教室と比べちまうからなぁ……」
話下手でコミュ障な俺に、そんなことをまるで気にしないと言わんばかりに絡んできた倉橋や矢田。まるで十年来の仲のように遊びに誘ってくる杉野。たまに自分の描いた絵だとか彫刻だとかを見せてくる菅谷。他にもどいつもこいつも積極的に話しかけてきてくれた。
そんなあの教室を体験した後だと、四十人近くいる空間で誰にも話しかけられないという状況に耐えられないというか。
「いっそのこと誰もいないところの方が気楽なんだよ」
相も変わらず、こういうところが変わっていない。自分から話しかけてコミュニティの中に入ればいいのだろうが、それができればコミュ障なんてやっていないのだ。最初の第一歩が……怖い。殺し屋と相対したときよりずっと怖い。
「まあ、そういうのは八幡さんのペースでやっていけばいいとは思いますけど」
ここなら私が話してても問題なさそうですしね! と続ける彼女に苦笑する。そもそも昼休みに人が寄り付かない特別棟。その陰ともなれば余計に誰かが来る心配はないだろう。校庭脇のテニスコートでテニス部員が壁打ちをしているが、この距離なら相当騒がなければこいつの声が聞こえることはあるまい。っていうか、一人で練習とか熱心だなテニス部。
「ま、教室じゃ律にはずっと黙っててもらってるからな」
さすがにインターネットに居座るAI娘の存在を公言なんてできない。時々反応を示すようにポケットをバイブで震わせてくるが、先月までの生活を考えればそれも窮屈かろう。
いつかは踏み出さねばならない、踏み出したい第一歩。
「それでは、午前中に読んでいた新刊のお話でも――」
「それ俺まだ読んでないよね?」
その勇気が出るまでは、もう少しだけ妹分に甘えることとしよう。
当初の予定とはちょっと違う話になりましたが、まあRTAとかも皆オリチャーを発動するものだからいいよね! 予定してた話は次書くと思います。たぶん、おそらく、きっと、メイビー。
それでは今日はこの辺で。
ではでは。