二度目の中学校は”暗殺教室”   作:暁英琉

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案外その一歩は――

 高校二年生が始まってもうすぐ一ヶ月が経とうとしている。元E組の面々とは昼休みなり放課後なりによくつるんでいる俺であるが、意外なことに――自分で言っててなんだが心外だ――教室でぼっち、というわけではなくなっていた。

 

「ヒキガヤくーん、今日の英語の宿題ってやった?」

 

 その理由がこのいかにもウェイ系なしゃべり方のクラスメイト、戸部である。名前を呼ぶときのイントネーションが若干おかしいが、そもそもこいつ最初の頃は『ヒキタニ』って呼んできたからな。中学時代の黒歴史を想起させられる呼び名に比べれば、格段の進歩である。

 話しかけられたきっかけはほんの些細なこと。休み時間読書、いつもどおり読書に興じていた俺にこいつが声をかけてきたのだ。ちょうどその時読んでいたのが話題の映画の原作だったので、興味を引かれたらしい。まあ、試しに貸してみたら五分で飽きて手元に戻ってきたけど。文字を読め文字を。

 そんなこんなで、たまにこうして声をかけてくるようになったのだ。

 

「ん、もうやったけど」

 

 先週出された英語の課題。それの提出期限が今日なのだ。読んでいた本から目を離して教室を見渡してみると、ちらほら必死にプリントを解いている姿が目に付いた。なぜ人間は面倒事をギリギリまで引き延ばした上、土壇場でひーこら言いながら悪あがきをするのか。人類最大の謎である。

 まあ、俺は元々課題には早めに取り組む性分であるし、そうでなくてもあの教室の影響で勉強癖に磨きがかかっているのも問題なく終わらせているわけだが。

 そして目の前のカチューシャで茶髪の前髪を擬似オールバックにしている少年は、いかにも俺側の人間ではないわけで。

 

「さっすがヒキガヤくんだわー。ぱないわー。マジリスペクトっしょ!」

 

 もうその全力のヨイショで次の言葉が分かる。たぶんカマクラでも予知できる。どうせやっていないから見せてほしいのだろう。

 だが戸部よ。非常に申し訳ないが、お前の期待には応えられそうにない。

 

「いや、俺一昨日提出したから」

 

「えええ!? 早すぎだべそれ!?」

 

 リアクションが大きすぎる。前原でもこんな些細なことでそこまで大仰な反応はしないぞ。

 確かに提出期限は今日。しかし、別に「今日の授業で回収する」とは言われていないのだ。パッと見ただけで割と面倒な課題だったから、週末にさっさと終わらせてしまった。

 

「べー、俺昨日まで忘れてたべ。なんか去年の終わりぐらいから課題めっちゃ難しくなったし」

 

「そ、そうなのか。俺は去年いなかったからなぁ……」

 

 ごめん戸部。たぶん課題の難易度が上がったの、俺のせいだわ。

 二学期期末試験の問題を見た理事長と殺せんせーが「問題の質」云々などと話していたわけだが、どうやらあの元理事長、本当に総武にテコ入れをしていたらしい。テストの問題はともかく課題などに関しては俺が比較することはできないが、どうやらかなりレベルアップしているようだ。

 まあ、確かに三学期の定期試験はかなり応用問題多めだったからな。その事前学習たる課題の難易度も上がるのは当然か。

 

「つうか、俺じゃなくて葉山に見せてもらえばいいじゃねえか」

 

 戸部がよくつるんでいる葉山――確か部活が同じとか言っていた――は『優等生』を絵に描いたような人間だ。勉強も運動もそつなくこなし、その上社交性まである。文字に起こすとなんだこの完璧人間。

 まあ何はともあれ、そんな優等生たる葉山が課題を疎かにしているはずがない。俺よりもあいつに頼るのが普通であろう。

 

「いやぁ、それがさー」

 

「俺も昨日提出したんだよ」

 

 声がしたほうに顔を向けると、教室の窓側後方にある彼らグループの定位置から件の葉山が近寄ってくるところだった。その顔には苦笑が浮かんでいる。

 あるいは同情の表情だろうか。同じ戸部に課題を写させてくれと頼まれた人間への。

 

「まあ、早めに提出するよな」

 

「当日になって家に忘れるのが一番怖いからな」

 

 そう、それが一番怖い。ちゃんとやっているのに提出は早くて次の日以降になってしまうから、「実は帰ってから慌ててやっただろ」とか言われても反論できないのだ。……う、中学の頃の黒歴史が……。

 まあ何はともあれ、俺たちから戸部が課題を借りることは不可能、ということである。

 

「っべー、二人とも真面目だべ」

 

「戸部は早く課題やれよ。少なくとも白紙よりかは怒られ方もマシだろ?」

 

 葉山に促されると戸部はべーべーぼやきながら自分の席に戻っていく。つうか白紙なのか、戸部よ。思い出したの昨日って言ってたよね?

 鞄から課題のプリントを取り出して唸りながら課題に取り組み始めたのを確認し、視線を手元にあった本に戻す。途中で葉山の顔が視界を掠めたが、呆れたような顔をしていてちょっと笑ってしまった。まあ、課題とは自力で解いて自分の力にするべきものであるので、その表情も致し方ない。是非もなしである。

 

「あれ、比企谷。もう前の本読み終わったのか?」

 

 のんびりと三行ほど読み進めていると、そんな問いかけが降ってきた。書店で付けてもらったカバーが昨日と違うからだろう。

 

「スラスラ読めたからな。……続きはたぶん買わないけど」

 

「お気に召さなかったのか。前に読んだけど、俺は結構好きだったなぁ」

 

「まあ、全員幸せになって大団円、なのは別にいいんだけど、後半妙にご都合展開な感じがしてな。いや、無理やり過ぎたかって言われるとそこまで極端ではないんだが……うーん」

 

 感想をまとめようとしたが、どうもうまくまとめられない。感情としては「気に入らない展開だった」なのだが、その理由を説明してみようとするとなぜ気に入らなかったのか自分で分からなくなるのだ。しかし気に入らなかったのは紛れもない事実で、覆ることがない。もやもやするという結果だけが蓄積されていく。

 

「……とかく人の心は難しい」

 

「……肌に合わなかったってことはよく伝わった」

 

 眉尻を下げて曖昧な笑みを浮かべてくる葉山に内心謝る。ごめんね、八幡ちょっとめんどくさい人間ってのは自覚してるから。

 

「で、今は何読んでるんだ?」

 

「これか? 経済書」

 

「ほんと、ジャンル問わず読むなぁ」

 

「元から割と雑食だったけど、こういうのまで読むようになったのは去年からだな」

 

 ――唯一の善は知識であり、唯一の悪は無知であることである。

 ソクラテスの言葉をあの先生が用いたのはいつのことであったか。知識の重要性は世界中の格言、ことわざで語られているものであると言われ、それまで見向きもしなかった実用書の棚に足を運んだのはいい思い出だ。

 実際、暗殺の経験だって日常生活に役立つことがあるのだ。将来、経済に関わる仕事をすることはないだろうが、きっとどこかでこの本の知識も役にやってくれることだろう。

 その後も、ノロいペースで本を読み進めながら葉山とぽつりぽつりと会話を続ける。こいつは話を膨らませるのがうまいので、気まずい沈黙が起こることはない。俺もそんなスキルがあればなぁ。ビッチ先生の特別講義を矢田たちと受けるべきだったか。けどなぁ、絶対特別講義でも無差別キスしてただろうからなぁ。

 

「つうか、向こう行かなくていいのか?」

 

 別に俺は構わないのだが、クラストップカーストの主が俺のようなぼっちのところにいていいのか。そんな念を込めて尋ねてみれば、葉山は何も言わずに視線だけをグループの定位置に向けた。

 

「? ……ああ、なるほど」

 

 釣られて見てみれば、さっきは戸部しか見ていなかったから気が付かなかったが、戸部以外の面々も軒並み課題攻略中のようだ。大和と大岡――二人の苗字は会話で聞いたのだが、どっちがどっちかまでは知らない――は戸部と同じように自分の席に齧りついてプリントとにらめっこをしているし、女性陣は一塊になってあーでもないこーでもないと唸りあっている。よくよく観察してみると海老名さん、だったか。眼鏡の女子だけは課題を終わらせているようで、たまにアドバイスをしているようだ。

 まあ、あそこに葉山が行けば友人たちが集団になって教えて見せてと群がってくるのは目に見えているか。実際戸部はそれを実行したわけであるし。

 

「けど、それでなんで俺のところに来るんだよ」

 

 ただ、そこが一つ疑問であった。あそこに居づらいのは事実であろうが、こいつの交友関係は把握している限りでもアホみたいに広い。わざわざ俺なんかをチョイスせずとも、いくらでも話し相手には困らないはずなのだが。

 

「なんでって、俺が比企谷と話したいからに決まってるだろ?」

 

「――――」

 

 想定していなかった返答に、一瞬息が詰まった。幸い目の前の少年にその不審な動作は気取られなかったようだが、おかしなことを聞かれたと言いたげに肩をすくめられた。

 

「比企谷と話してみたいって奴は結構いるぞ。戸塚とか、去年は一応同じクラスだったみたいだし」

 

「戸塚?」

 

 視線で促された先では、学校指定のものとは違うジャージに身を包んだ生徒が隣の席の女子と談笑していた。あの後ろ姿には見覚えがある。いつも昼休みに一人で自主練に励んでいるテニス部員だ。いつも遠目に見る程度だったから分からなかったが、女子だったのか。

 そして書類上は俺の去年のクラスメイト。いや、去年誰が同じクラスだったのか欠片も覚えていないけど。

 

「結構有名だったんだぞ? テストの時だけひょっこり現れる猫背男子」

 

「猫背男子……」

 

 いやまあ、義務教育でもない高校でテストの時だけ学校に来る奴とか異常だよね。けど猫背男子って……俺、そんなに猫背酷いのかな……。

 内心密かにショックを受けていると、不意に戸塚と目が合った。

 

「…………」

 

 なんか小さく手を振られた。なんですかその仕草、可愛いんですけど。

 

「気になるなら話しかけてみたらどうだ?」

 

「えぇ……やだよ怖い」

 

 コミュ障だから、入学早々ぼっちスタートだったのだ。話しかけるのが怖いから、今も碌に友達がいないのだ。それをなんとも気軽に言ってくれる。お前や戸部と話すのだって、未だに少し緊張するというのに。

 しかし、そうか。なんだかんだ有名だったのか、俺。

 ということは――

 

「お前が話しかけてきたのも、その猫背男子がどんな奴か気になってってことか」

 

 去年一年間で比企谷八幡に付与された特異性。そこに興味を持ったからこそ、声をかけてきた。考えてみればそうだよな。そんな理由でもない限り、クラスの中心であるこいつが俺なんかに関わろうとするはずもない。

 

「うーん……そういう理由もなくはなかったけど……」

 

 俺のどこか嘆息混じりの問いかけを、口元に手を当てたクラスの実質的リーダーは断片的に肯定してくる。つまり、逆説的に断片的に否定してきたわけだ。

 けど、の後に何が続くのか気になって、本を閉じて葉山を見据えた。けどもなにも、それしか理由がないだろうと思ったからだ。別に俺の成績がバレているわけでもないし、他に興味を持つ要素が存在しない。

 

「せっかく一緒のクラスになったんだから、仲良くなりたいって思うのは当然じゃないか?」

 

「…………」

 

 しかし、言葉を切ってしばらく黙っていた葉山は、人の良さそうな笑みを浮かべてそんなことを言ってくるもんで、即座に言葉を返すことができなかった。

 仲良くなってみたいからなんて、そんなことを言ってきたのは、あいつらだけだったから。

 ――はちにいは深く考えすぎなんだよ。

 いつだったか、昼休みの指定席で茅野に言われた言葉を思い出す。そうなのだろうか。現実は、もっと単純なのだろうか。

 分からない。考えれば考えるほど分からなくなる。

 

「…………お前さ、お節介ってよく言われない?」

 

 その結果出てきた言葉がこれなのは、自分でもどうかと思う。ほんま八幡コミュ障。

 

「それは……一回だけ言われた、かな」

 

 あ、あるんだ。しかもめっちゃ暗い顔された。ごめんね。不用意に人の黒歴史掘り返しちゃって。いやほんとごめん。

 

「隼人くーん、ヒキガヤくーん。やっぱこれ分かんないべぇ……」

 

 謝ったり気にしてないと苦笑されたりしていると、後ろの席から戸部の情けない声が飛んできた。両手を上げてお手上げのポーズを取っているお調子者の姿を見て、どちらからともなくため息を漏らす。

 

「はあ、今回だけだぞ」

 

「……俺も手伝う。まあ、アドバイスする程度だけど」

 

「それが戸部のためだな。どうせ完璧には終わらないだろうし」

 

 もう一度二人して盛大なため息を吐き、白旗を上げている戸部の元へ向かう。正直、丸写しでもしない限り英語の授業までに終わることはない量だ。担当教師には怒られるだろうが、戸部はそれを教訓に次回からちゃんと課題をやってもらうということで。

 

「俺の葛藤って、存外ちっぽけなものだったんだなぁ……」

 

 誰にも聞こえないように、ひっそりと胸の内を舌の上で転がしてみる。

 去年出遅れてぼっちから不登校になり、二年になった今更、同学年の人間と交流なんてマッハ二十の超生物を暗殺するより難しいこと、そう考えていた。だから最初の一歩が怖くて怖くて仕方なかった。

 けれど、蓋を開けてみれば、気が付かないうちにその一歩を踏み出していた。あれだけ無理だと思っていたことが、少しずつ当たり前になっていく。

 そんな事実に、これまでの俺って……なんて呆れてしまうわけですよ。

 

「……そうだな」

 

「ん? 何か言ったか?」

 

「や、なんでもない。最低でも大問一くらいは終わらせろよ、戸部」

 

「っべー、スパルタだべ……」

 

 俺の心を読んだようにポケットで震えたスマホに思わず反応してしまう。内心の狼狽を悟られないように戸部にターゲットをシフトして、指先でスマホを小突いてみた。なにやら嬉しそうな振動が返ってきて、また危うく反応してしまいそうになってしまう。

 あまりにも容易な一歩。けど、きっと去年ここを逃げ出した俺には絶対踏み出せない一歩だったはずだ。

 あの教室で手入れをされたから、おのれを磨いたからこそ容易になった一歩。小さいけれど、確かな一歩。

 新しい一歩を踏み出すたびに、俺はあの頃の俺と変わっていく。成長していく。

 それがたまらなく嬉しいのだと、今度あの裏山の旧校舎に行った時にぼやいてみよう。そう、思ったのだ。




 お久しぶりです。今回は教室でのワンシーンをパシャリ。
 なんだかんだF組での交流は戸部がキーになるなって思いながら書いてました。興味あることやってたら絶対十年来の友人にそうするように話しかけてきそう。いいぞ戸部、お前のそういうとこ好き。

 とりあえず仕事とか私生活とか、その他諸々とか、いろいろひと段落したので執筆ペースを上げていきたいなと思いつつ、年末は忙しいんですよね。ひょっとしたらこれが今年最後の投稿になるかもしれません。
 まあ毎度言っていることですが、エタるつもりは毛頭ないので、各シリーズ、および短編なんかものんびり待っていてもらえると幸いです。他にも面白いSSいっぱいあるしね!

■お知らせ■
 今更ですが、冬コミもサークル参加しています。と言っても、今回は「やせん」名義で私のFGO個人本があるだけですが。
 詳しい報告はまた活動報告でさせてもらいます。よかったら来てね! 私は仕事で行けないですけど!

 それでは今日はこの辺で。
 ではでは。

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