「はっちゃーん! 帰ろー!」
それはホームルーム終了直後の教室に、場違いなほど異質に響いた。
いや、正しくそれは場違いだったであろう。なにせ、本来この教室で聞くことはない声なのだから。
当然、まだ帰り支度や雑談に興じていたクラスメイト達の視線が集中する。当の本人が全く意に介していないの、素直にすごいと思います。俺だったら音より早く消えるまである。そもそも俺があんな元気な声出すわけないですね。
「……どうしたんだよ、倉橋」
ゆるふわウェーブの髪を揺らす倉橋は堂々と教室を横断し、俺の席までやってくる。上級生の教室で物怖じしない度胸は暗殺で身に付いたものか、はたまた元からの気質なのか。たぶん後者だろうな。俺が“転校”してきたときもこんな感じだったし。
「えへへ……来ちゃった」
「ヤンデレかよ怖い」
ネタ提供元は竹林で間違いなかろう。どうもあいつは去年の中旬あたりから倉橋に様々なネタを提供して遊んでいるようだ。一般的にマイナーな所謂オタクネタが多いせいで、彼の期待通りの反応をするのが俺と不破くらいしかいないのが残念なところであるが。いや、別に残念ではないな。
「ごめんね比企谷君。陽菜ちゃんが今日は比企谷くんと帰るんだって意気込んじゃって」
後から幾分申し訳なさそうに入ってきた矢田の弁に納得する。倉橋はどことなく“茅野カエデ”と似ているところがあり、一度決めたら脇目もふらず突っ走るところがある。それが所謂女子校生らしいのかは俺には分からないが、俺も幾度となくその行動力に巻き込まれてきた。
まあ、そのアクティブさは素直に尊敬しているところだし、妹分が楽しんでいるのなら気にすることでもあるまい。
ただ、今はそのせいでちょっと辛いのだが。具体的にはクラスの視線が俺にまで向いてきて辛い。ぼっちに視線を集めるとは……おのれ倉橋め。
で、これだけ目立っていればあいつが声をかけて来ないはずもなく――
「っべー、ヒキガヤくんの知り合いだべ?」
戸部が興味あり気に近づいてきた。というか、ご丁寧にグループ全員ついてきていた。ちょっと! 戸部や葉山だけならともかく、碌に親しくない人が集まってくると結構困るんだけど!
なーんて口が裂けても言えるはずもなく、黙して頷くことしかできないのがコミュ障の辛いところよ。なんなら視線を適当に逸らすオプション付き。
そこでふと、視界の端に違和感を覚えた。一度逸らした方向、葉山グループの面々に顔を向けると、ほぼ全員が倉橋と矢田を見ている中で一人だけ、視線をどこに飛ばすでもなく泳がせている奴がいる。
光の反射の関係か、ピンク寄りに染まっている茶髪を片側でお団子に結っている女子生徒。名前は確か……由比ヶ浜、だったろうか。クラスでは葉山の次に発言力があるであろう三浦がよく口にしているから、たぶん合っているはずだ。
まあ、俺自身は全く話したことがないのだが……その泳ぐ目の動きがどうも気になった。
まるで、視線を避けているように見える動きが。
「あー、どうかしたのか? えっと……由比ヶ浜、だっけ」
葉山達の集団に所属している彼女が俺のように「視線が怖い」なんて思っているとは考えられない。だからこそ、その動きは気になったのだ。
「え!? い、いやなんでもないし! あ、優美子! あたしちょっと用事あるから先行くね!」
「え! ちょっと結衣!?」
故に、思わず声をかけてしまったのだが……当の本人は露骨に肩をビクつかせて跳び上がらんばかりに驚いたかと思うと、バタバタと荷物をひっつかんで出て行ってしまった。あまりに突然の行動に、その場の全員が固まってしまう。
状況がまるで分からないが、どうやら俺は地雷を踏み抜いてしまったらしい。いや、その地雷が何なのかすら分からなかったのだが。やっぱりあれかな……。
「話したことないのに突然声かけたから、キモがられたかな……」
「や、さすがに悲観的すぎでしょ。結衣そんな子じゃないし」
三浦に慰められてしまった。いや、分からんぞ。中三の時に俺の近くで話してた女子の会話に入ろうとしたらめっちゃ引かれたことあるし……あるし……なんで思い出したのそんなこと……。
「まあ、本当になんか用事があったんじゃない? 最近よく放課後とか昼休みいなくなるし」
「ほーん」
まあ、必ずしも所属しているグループが一つということはないだろう。そもそも新しいクラスになってまだ一月弱。前の学年での繋がりもあるだろうし、そこら辺との用事と考えるのが無難か。見るからに友達多そうだしな、あいつ。
まあ、俺のせいで機嫌を損ねたのでないなら一安心、ということにしておこうか。
「なんでもいいけど、一緒に帰れないなら先に一言言ってほしいし……」
代わりに由比ヶ浜のフォローをした三浦が若干不機嫌になってしまったが。なんで自爆してるのこの子。や、気持ちは分からんでもないが。
まあいいや。慰めるのは葉山とか海老名さんあたりに任せよう。そう考えて倉橋達に視線を戻すと――なぜか二人して口に両手を当てていた。なに? 二人して年収が低かったの? 俺らまだ学生なんだけど。
「はっちゃん……」
「おう」
「クラスにちゃんと、友達いたんだね……」
「いや、さすがにそんなことで涙ぐまれても困るんだけど……」
お前らにとって俺のイメージって……いや、そりゃあこいつら家に連れて行っただけで妹が涙流したけどさ、流したけどさ! 確かにコミュ障だけどさ!
というか、友達……なのか? ため息を漏らしながら、内心考えてみる。
クラスメイトではある。戸部や葉山は知り合いと言ってもいいだろう。
しかし友達か、と聞かれると……自信がない。結局あの一年を通してE組に対しては仲間とか妹分弟分の印象で通していたことも相まって、友達の定義というものはとんと分からないのだ。
「そりゃあ、ヒキガヤくんはもうマブダチだべ!」
「勉強教えてくれるからか?」
「隼人くーん、それはひどすぎだべー!」
だから、当の本人たちがそれを否定しなかったことに、嬉しさより困惑が先に出てしまったのは仕方がないことかもしれない。
幸い、倉橋と話す彼らには見られなかったようだが。
「比企谷君は難しく考えすぎなんだよ」
「……そんなもんかね」
周りに聞こえない声で話しかけてきた矢田に短く返す。たぶんその声色には疑心が混じっていただろう。
小学校や中学校で友達だと思っていた連中は、その尽くが俺に牙を剥いた。いや、きっと自業自得な部分もあったであろうし、俺が勝手に勘違いして勝手に失望しただけなのだろうが、少なくともあそこに友達はいなかった。
だから、あの教室での一年を通しても、この部分だけは変わらなかった。変えられなかった。自分の中の定義なんて、曖昧すぎて変えようがなかった。怖くて変えたくなかった。
まったく、自分でも面倒な性格をしていると思うよ。今の自分の性格は好きだが、こういうところは少し嫌いだ。
まあただ、せっかく踏み出した一歩。
あるいはこいつらは、なんてまた性懲りもなく勝手に期待してしまうのは、仕方のないことかもしれない。
「そういえば、結局二人とヒキガヤくんはどういう関係なん?」
「妹!」
「おいこら倉橋! 誤解生むような発言はすんな!」
せめて“分”をつけろ“分”を!
***
「……疲れた」
盛大にため息を漏らすと、隣で矢田が乾いた笑いを漏らしてきた。なぜ元凶でないこいつの方が申し訳なさそうにしているのか。これが分からない。
あの後当然のように戸部たちの質問攻めにあった。やれ妹とはどういうことかだのいつ知り合ったのかだの、ところでハヤトベをどう思うだの……ちょっと待て、最後の明らかに関係ないだろ。誰だよそんな質問したの。
まあ幸いなことに一番騒いでいた戸部が部活に遅れると葉山に連れられて出て行ったので、思いのほか早く解放されたのだが。あいつらの部活がなかったら、そのまま夕方になっていたかもしれない。
「あんまり俺で遊ぶのはやめてもらえませんかね、倉橋さん」
「えへへー、ごめんなさーい」
はーこの全く反省していない顔よ。許すけど。相変わらず甘いなと自分でも思うが、こればっかりは性分としか言いようがない。
「つうか、ほんとなんで突然一緒に帰ろうなんて言い出したんだ?」
この一ヶ月、時間が合えば元E組の誰かしらと帰ることも何度かあった。今更理由がなくちゃ一緒に帰ってはいけない間柄だとは思っていない。
ただ、今回は何かしら理由があるような気がしてならなかったのだ。そういう雰囲気を、二人は醸し出していた。
はてさて、鬼が出るか蛇が出るか。
「ふっふーん! 二駅隣に美味しそうなクレープ屋さん発見したから、皆で食べに行こうと思って!」
「ちょっとそういうことはもっと早く言ってくれない?」
出てきたのはスイーツでした。詰まるところ、買い食いのお誘い。
元から甘党を自負してはいたが、E組にはやたら甘い物に詳しい奴とかやたらそういうのをうまく作る奴とかがいたせいか、この一年でまた甘党レベルが上がってしまった。もう身体が砂糖でできそうなレベル。運動してるからむしろいい養分です。たぶん。
「そういうことなら、茅野も誘えばよかったな」
つい、もう一人の甘党娘を思い浮かべてしまう。殺せんせーの触手を植え付けた人間は、その趣味嗜好が変容する。完全にトレースしたような堀部の趣味や、茅野自身の異常なまでの巨乳への怨嗟がいい例だ。いや、茅野の巨乳嫌いはたぶん元からだと思うが、そこに触手が拍車をかけたであろうことは間違いないだろう。
しかし、しかしだ。こと甘いもの好きという点に関してはあの元演技派子役、どうも素であるらしい。もはや元E組でマッカンを常用しているのは俺とあいつだけだし、たまに聞く渚とのお出かけ――残念ながらデートではない――でも、かなり高確率でスイーツに手を出している。
「あー、カエデちゃんははっちゃんの教室行く前に誘ったんだけど、先生に用事があるって言ってたんだよね。授業内容で聞きたいことがあるって」
「カエデちゃん勉強熱心だからなぁ」
ぽしょりと矢田が漏らした言葉に、倉橋と並んで同意する。
それは俺たちが知らなかった一面、いや“茅野カエデ”の頃から勉強に力は入れていたと思うが、あそこまで真面目な姿はきっと“雪村あかり”本来の持ち味なのだろう。
考えてみればあたり前だ。どんな役でもこなす演技派子役。その下地に、想像もつかないような学びに対する努力があることは疑いようがないのだから。
「まあ、思いのほか教室で時間食ったし。案外今帰ってる最中だったりして……」
「皆さん! 大変です!」
「「「っ!?」」」
つい今しがたまでだいぶ緩かった空気が、一瞬で固形化したように固まった。ポケットから聞こえてきた律の声に三人して驚き、しかし即座に臨戦態勢を取ったのだ。
暗殺教室は終わった。けれどあれからまだたった一ヶ月だ。一年間鍛え上げた殺し屋のスキルが自然と引き出される。呼吸は浅くなり、周囲に意識をばらまいて索敵する。
即席とはいえ俺たちの気配察知能力は十分実践級だ。そして三人がかりの索敵網に引っかかる怪しい気配はない。本職の人間ならすり抜けも可能だろうが、普通の学生に戻った俺たちを狙うとは思えないから却下。
となると、わざわざ律が声をあげた理由は――
「茅野さんが……」
「っ、場所は」
荒くポケットからスマホを取り出すと、茅野のスマホからGPS信号を拾っているのだろう。開かれた地図アプリには二つのアイコンが表示されていた。片方が俺の現在位置だから……割と近い。
「三点から取り囲むようにしよう。倉橋と矢田は律の指示で動いてくれ」
「「分かった!」」
指示もそこそこに気配を消し、民家の塀に飛び乗る。大体のルートを確認して一つ大きく息を吐き――その身を躍らせた。
フリーランニング。これをまた街中で使うことになるとは思っていなかった。道路を突っ切り、屋根を駆け抜け、最短ルートを突き進む。
「……いた」
音を立てないように屋根瓦に足をかけ、口の中で言葉を転がす。眼下には見覚えのあるウェーブがかった黒髪の少女、茅野に……一人の男が言いよっているのが見えた。
ナンパ……ではないだろう。いくらかよれたスーツ姿はとてもではないがそういうことに向かないだろうし、そもそも顔立ちからして四十前後といったところ。ただ、やけにしつこく声をかけている。
少なくとも暗殺者ではない。立ち振る舞いからして違う。
では一体……。
『どうやら、フリーのジャーナリストのようです』
『マジかよ。緘口令は解けてないはずだろ』
声を上げれば聞こえてしまう距離。文章で対話しながら小さく舌打ちしてしまう。
磨瀬榛名突撃取材、という可能性も考えてみたが、すぐに否定する。それならば茅野もあそこまで露骨に嫌な顔はしないだろう。あいつは演技の場に負の感情を抱いていないのだから、あの表情の説明が付かない。
となれば、暗殺教室に関する取材と考えるのが無難というもの。身体が小さいのも相まって狙いやすい茅野が、一人で帰宅するところを狙っていたのか。
「……どうすっかな」
渚がいればクラップスタナーで……いや駄目だ。どんな形であれ怪我でもさせようものなら何を書かれるか分かったものではない。
だったら俺の殺気で意識を逸らして、茅野が逃げる隙を作る? それでも「やましいことがあったから逃げ出した」なんて書かれるかもしれない。
なんとか茅野が関係しない事柄でジャーナリストが逃げる状況を作る……しかないのだが、妙案が思いつかない。そもそも縛りがきつすぎる。
『はっちゃん! 私にいい考えがあるよ!』
どうしたものかと頭を捻っていると、自信ありげな文章が送られてきた。名前を確認するまでもなく倉橋からだ。
促されるままにスマホ、正確にはスマホのスピーカーを未だに茅野にしつこく絡んでいる不届き者に向ける。
そして、一体どうするのかと首を捻っている俺をよそに――それは始まった。
『わ、ちょっと何あれ。なんかおっさんが女の子に詰め寄ってるんだけど』
『うわ、ほんとだ。やばくない? 女の子泣きそうじゃん』
『こんなところでナンパぁ? いい年したおっさんが女子校生相手とかやばくね?』
『これ事案っしょ。警察に通報しようぜ!』
『だな』
『それな』
「な、なんだ?」
突然ジャーナリストの周りに広がる聴衆の声。明らかに自分たちのことについて話している上、“通報”なんて単語まで聞こえて、男は露骨に混乱しだす。
焦燥にかられた顔で周囲を見渡すが、その双眸が声の主たちを見つけることはない。
当然だろう。なぜなら、今もジャーナリストに向けて投げられている声たちは、俺たちのスマートフォンから発せられているものなのだから。
律による音声合成――どうやら葉山達クラスメイトの声色を参考にしているようだ――とバイノーラル技術による音源隠ぺい。科学技術の粋を集めたこの陽動は、プロの殺し屋でも看破することは難しいに違いない。
不特定多数の人間から不審者だと思われているこの現状。切羽詰まっての特攻ならともかく、保身の考えを持つ人間なら取る選択肢は一つしかない。
「くっ……!」
一本道なのになぜこれだけの集団の声が、と考える余裕もなかったのか、つー、と汗を滴らせた男は脇目もふらず走り去っていった。もう少し冷静だったら電柱の影に隠れていた矢田に気づいたかもしれないが、まああの状況では無理な話か。
「大丈夫、カエデちゃん!」
「倉橋さん……矢田さんにはちにいも。そっか、さっきの声は皆が」
男が完全に見えなくなったのを確認して、茅野に駆け寄る。見た感じ少し疲れているようだが、怪我をしている様子もなく、思わず安堵の息が漏れた。
「俺たちがたまたま近くにいたのは不幸中の幸いだったな。まさか緘口令を無視して接触してくるマスコミがいるとは」
緘口令によって椚ヶ丘の卒業式を境にメディアはゴシップ雑誌も含めて暗殺教室については一切の報道を禁止されているし、唯一卒業式後に報道された報酬の大半を国に返還した件で、世間的にも俺らの敵ばかりというわけでもない。下手に突いて世間からの当たりを強くするマスコミはそういないと思っていたが。
「まさかこんなことしてくるなんてね。さっきの追い払い方も、そう何回も使えるものじゃないし……」
最低限こちらに不利になるようなことを書かれない状況には持って行けたが、矢田の言う通り放っておけば今後もめげずに特攻を仕掛けてくるのは明らか。何か対策を講じなければ、最終的にこちらが何かボロを出して面倒なことになりかねない。
あの記者をこのまま野放しにするのは危険、か。
「律」
「既に烏間先生に事の次第、今回の画像を送信済みです!」
早いよ。まだ名前しか呼んでないよ。このAI娘、いつのまに読心術なんて習得したんですかね。まあ、こっちの手間が省けるからいいけど。
いずれにしても、後は烏間さん含め国の方が交渉なりなんなりしてくれるだろう。化物理事長ならともかく、多少弁の立つ一般人にあの人が後れを取るとは思えないし。
「あ、そうだカエデちゃん。今からクレープ食べに行こうよ!」
「え! 行く行く! 甘いもので気分転換だ!」
ならば後のことは全部任せて、当初の予定通り甘味を楽しむとしようか。災い転じて福をなすとはよく言ったもの。うちの甘党妹も合流したことだし、予定以上に楽しい茶会となりそうだ。
「八幡さん! やっぱり私にも味覚エンジンが欲しいんですけど!」
「……自分で設計して堀部あたりに作ってもらえば? 俺のスマホにつけるのは却下だけど」
「私もスマホが重くなるのは勘弁かなぁ」
「私も……」
「同じく……」
「皆さん酷いです!!」
まあ、一人仲間はずれがいるのだけれど、それはいつものご愛敬ということで。
またクラスでの一幕とビッチ先生弟子コンビとの帰宅風景でした。全然帰宅してないけど。
まあ、これは次回への導入みたいなもんなので許して!
早いものでもう年が明けてしまいました。去年はあまり投稿できなかったので、今年はもうちょっと投稿ペース上げたいですね。的なことを毎回投稿するたびに思っているんですが、なかなか難しい現状。まあ、目標を作るのは大事だから、次の作品(これとは限らない)も頑張ります。
■お知らせ■
冬コミのFGOフランちゃん本の委託予約が始まりました。詳細は活動報告でさせてもらいます。
それでは今日はこの辺で。
ではでは。