二度目の中学校は”暗殺教室”   作:暁英琉

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日常に戻っても、染みついたものは消えはしない。

「おはようございます、八幡さん」

 

「……おう、おはよう」

 

 いつものように目覚まし律によって起床する。まだ覚醒しきっていない微妙に輪郭のぼやけた視界を枕元に置かれた時計に向けると、窓から入ってくる陽光をかすかに反射したデジタル表示板は今が午前十時であることを示していた。

 一瞬遅刻か、と冷や汗を流しかけたが、よくよく考えたら今日は土曜日だ。週休二日制によって学校は休みである。

 ノロノロと壁伝いに洗面所に向かって顔を洗う。冷水によってようやく完全に覚醒すると、今度は胃が空腹を訴えてきた。そのままリビングに向かい、ラップに包まれた朝食をいただくことにする。小町は最近通い始めた塾に行っているのだろう。両親は当然のように仕事だ。

 それにしても、このご時世に完全週休二日制ではないとは、改めてうちの両親は社畜である。それでも毎朝可能な限り朝食を用意するかーちゃんすごい。それがまた社畜レベルを上げている気がするけど。

 せめて週二回はしっかり休みたいよな。可能であれば働きたくない。無理だけど。

 はてさて、そんなわけで受験生でもなければ週末の課題も昨日のうちに終わらせている八幡くんは暇である。この休日という時間をどう過ごそうか。ニュースというよりはバラエティ寄りの番組を眺めながら思案する。神崎たちとネットゲームをするのは明日の午後だし、かと言って一人でソロプレイという気分でもない。

 

「……ふむ」

 

 塩ジャケの最後の一欠けらを口に放り込んで少し考え、片付けもそこそこに部屋に戻ることにした。

 男の部屋としては割と片付いている方であると自負している私室。その隅に置いていた長物を手に取る。

 ワルサーWA2000モデルエアガン。去年俺が愛用していた狙撃銃だ。本物の総重量は七キロほどになるが、多少改造しているとはいえプラスチック製のエアガンであるこいつはその半分程度。片手で苦も無く持ち上げられる。

 押し入れからエアダスターや各種掃除用品を取り出す。とりあえず午前中はこいつのメンテナンスをしようと考えたわけだ。

 

「マメですねぇ」

 

 広げた新聞紙の上で準備をしていると、脇に転がしたスマホから律の声が聞こえてくる。まあ確かに、先週も同じようにメンテをしたばかりだからな。使っていないものの手入れ頻度としてはマメと言えるだろう。

 暗殺教室が終わり、それまで使っていた暗殺道具、備品は防衛省に返還した。まあ、その大半がプルプルのタコ型生物以外には碌な意味をなさないものだったが、奥田や竹林の専門であった薬品や爆弾は十分危険物だったからな。

 そんな中、俺を含めて何人かは暗殺道具を手元に残せないか頼んだ。所詮はエアガンやゴムみたいなナイフがほとんどだし、超体育着も防御力はあっても攻撃力はない。報酬三百億の大半を返還したこともあって、特に渋られることもなく要望は通った。押し入れの奥には超体育着も眠っている。

 

「ま、もう使うことはないんだろうけどさ」

 

 メンテナンスも慣れたもの。ドライバーで最小パーツにまで分解し、大きいパーツは刷毛で埃を落とし、全パーツまとめてエアダスターを吹き付ける。バネやメカボックス内の装填ギアにはグリスを薄く塗っておく。もちろん砲身内の掃除、グリス塗りも忘れてはいけない。

 後は組み立て直すだけ。慣れてしまえば簡単だが、初めてフルメンテに挑戦した時はメンテ前と同じ挙動をしてくれるか心配でビクビクしたものだ。サブウェポンであったコルトのハンドガンはシンプルなエアーコッキング式だったこともあり比較的簡単だったが、こいつはパーツ数がアホみたいに多いからな。

 

「もうメンテナンススキルはサバイバルゲームプレイヤー顔負けですね。八幡さんはサバゲーはなさらないんですか?」

 

「サバゲー? ……いや、俺はネットゲームで十分だよ」

 

 横に振った首は、自分でも力を感じさせないのが分かるほど弱々しかった。

 別に、興味がないわけではない。千葉にだってサバゲーができる施設はそれなりにあるし、やろうと思えばすぐに参戦可能だろう。

 けれど、俺にとってこの武器と共に過ごした日々は、己を比企谷八幡たらしめるためのものだった。あの一年間を無駄にしないための、未来に繋げるためのものだった。

 故に、暗殺とは関係なくなったこの環境で、この愛銃を標的に向ける気にはなれないのだ。

 ま、結局こいつで仕留めることは出来なかったあの恩師は、仮に俺がサバゲーに明け暮れる人間になったって「それもまた生き方の一つです」なんて笑うんだろうけどさ。

 

「……よし」

 

 最後のネジを止めてふっと息をつく。ずっしりと重さを感じさせるワルサーWA2000は、組み立て前と同じ姿で俺の腕に抱えられている。

 …………。

 少しだけ瞑目して、極々普通のBB弾を三発、銃に込めた。手繰り寄せた椅子に肩肘を乗せて身体を固定し、ワルサーを構える。

 狙いは、ベッドの上に乗っている枕。

 使い古されてだいぶくたくたになったそれに照準を合わせ――浅く息を吸い込むと同時に引き金を引いた。

 ――――ッ!!

 破裂するような音とほぼ同時に、ボスッと枕が凹む。

 オートマチックタイプのエアガンは、その性質上エアーコッキング式に比べると大きな音が鳴る。当然ながら実弾銃のようなサイレンサーもついていないため、マシンガンタイプあたりを連射すれば騒音不可避だろう。

 初撃は良好。次は自動装填機構が正しく稼働するかの確認。

 構えを解かずにもう一度照準を合わせる。余計な動作は必要ない。ただ思うがままに引き金を引けばいい。

 ――――ッ!!

 どうやら俺の調子も好調なようだ。直径六ミリの弾丸は、先の一発目と寸分違わず同じ場所に吸い込まれていた。

 構えを解いていなかったとはいえ、完全に同じ場所に当てるのは意外に難しいものだ。得物の性能にも左右されるし、己の精神状態でも目を見開くほど影響を受けてしまう。

 

「お見事です!」

 

「おう」

 

 なので、スマホから聞こえてきた賞賛は素直に受け取っておくことにした。千葉ならいつでもどこでも平然とやってのけそうだが、比べても詮無いことだろう。

 何はともあれ自動装填部分も問題ない。メンテナンスの全工程は終了だ。

 となれば、最後の一発は――

 構えを解く。肺に溜め込んでいた空気を一気に吐き出すと、緊張していた身体が弛緩する。

 一瞬の瞑目の後、すぐに焦点を枕に合わせ直し、ワルサーを構え直した。

 動かない的を狙うのは慣れた。だから、狙い定めるのはほんの数瞬。

 

「…………っ」

 

 ――――ッ!!

 やはり今日の調子はすこぶる最高だったらしい。音が聞こえてきそうなほど強く呼吸を止め放った最後の弾丸は、先の二発と全く同じ場所に命中し――

 

「あ……」

 

 直後、部屋に羽根が舞った。

 

「……これはもう、使い物になりませんね」

 

 電動駆動のエアガンによって全く同じ場所に与えられた攻撃は、枕の薄い布を貫き、その中身を溢れさせたのだ。

 いや全く予想外。結構年季が入っていたとはいえ、まさかBB弾で枕に穴が開くとは……。

 まあ、なにはともあれ今現在最大の問題は――

 

「……新しい枕、買いに行かないとな。はあ……」

 

 出かける理由ができてしまったことだったりする。

 

 

     ***

 

 

「……ここも久しぶりだな」

 

 最低限舗装された坂道。視線の先に簡素な正門が見えて、思わずひとりごちた。

 三年E組という特別クラスは、渚達が卒業を迎えたと同時に廃止となった。暗殺教室という危険な状況に生徒を巻き込んだ事実を後押しとして、PTAやマスコミから批判を受けたためだ。

 当然こんな時代遅れの木造校舎、理事長が退任した椚ヶ丘学園が再利用するはずもない。聞いた話では、即時取り壊しが検討されていたらしい。

 そこで、不要なものならと俺たちが山ごと買い取った。幸いこちらには国から支給された三百億があったし、新生椚ヶ丘上層部も少しでも体裁をよくしたかったのだろう。見積もりよりだいぶ安い金額で交渉は成立した。

 

「うへえ、一ヶ月でも割と荒れるもんなんだな……」

 

 春の陽射しにあてられたのか、グラウンドには思いのほか雑草が目に付く。春でこんな調子なら、夏の頃にはもっと草が生い茂るに違いない。

 

「こりゃ、夏休みには一回手入れしないとだな」

 

「そうですね。今度皆さんに声をかけましょうか。私はお手伝いできませんけど……」

 

 むしろ自律思考固定砲台に雑草抜き機能なんてついていても困るだろう。内心苦笑してしまう。

 一ヶ月ぶりに入った校舎の中は、少し埃っぽいように感じた。雑草除去もそうだが、同時に定期的な清掃も必要か。

 かつて自分が使っていた机の埃を雑に払いのけ、机に置いた鞄から超体育着を引っ張り出す。最初はいつものジャージにしようかとも思ったのだが、これからすることを考えるとこちらの方がいいだろう。

 軽くストレッチをして身体を解しながら校舎を出る。向かうのはグラウンドの反対側、木々に覆われた裏手側だ。

 全身の余計な力を抜いて林の中に足を踏み入れ――一気に地を蹴り上げた。

 

「ふっ――と!」

 

 規則性もなく乱立した木々を避け、具合の良さそうな一本に狙いを定める。トップスピードの運動エネルギーを利用して脚力だけで目標の木を登り、太めの枝に手をかけた。そのまま全身をバネにして木々の間を飛び跳ねる。

 あの教室で身につけた技能の一つ、フリーランニング。こいつばっかりはおいそれと練習できるものではない。街中でやるわけにもいかないし、そもそも私有地に入らなければ碌な練習にもならないだろう。

 だからここに来た。この山は俺たちの所有物だから何をしようが文句は言われないし、一年間慣れ親しんだホーム故に、どう動けばいいかは身体が覚えている。考えるよりも先に最適な動きができる。

 一度木から飛び降りる。三メートルはゆうに超える高さだが恐れはない。圧倒的防御力を誇る超体育着もあるし、そもそもこういう時の対処法はこの技術の最初で嫌というほど叩き込まれた。

 身体を緩く丸めて一回転。止まる必要はない。そのまま地を踏みしめ、木々の合間を縫い駆ける。

 やっぱ超体育着でよかったわ。こんな動きしてたら、普通のジャージはすぐボロ雑巾と成り果ててしまうに違いない。

 再び手頃な木を足掛かりに枝に手をかけて――

 

「ん?」

 

 視界の端を人影が掠めた。鉄棒の要領で掴んでいた枝に足をかけ、自立する。

 警戒はしない。万が一くらいの確率で近所のガキンチョやチンピラの可能性もなくもなかったが、そもそも俺と同じようにフリーランニングでこの山を駆け抜けるチンピラなんて早々いるわけがない。いたら忍者を疑う。たぶん風魔あたり。

 まあ、実際そんなことあるわけないし、俺たちの所有物であるこの山はある意味国の保護を受けているとも言える。一時期同業だった本職の方々が足を踏み入れる可能性はほぼない。

 となると考えられる可能性は――

 

「あ、やっぱ比企谷君だった」

 

 クラスメイトくらいしかいないだろう。俺より高い位置の木の枝に降り立った影は、流れるような器用な動きでスルスルと地面の方へ降りていく。それに倣って俺も木から降りることにした。

 

「よう、岡野。お前もトレーニングか?」

 

「まあそんなとこ。家にいてもやることないしさぁ」

 

 クラス一のフリーランニングの達人であった他称“すごいサル”岡野は、近くの幹に体重を預けながら肩をすくめる。……今更だけど、すごいサルって完全に蔑称である。命名したのはどこの女たらしクソ野郎だろうか。

 

「部活は?」

 

「今日は休み。二週間に一回は完全休養日なんだってさ」

 

「おう、なら休めや」

 

 岡野は東京の私立に入学した。偏差値的には総武校と同じくらいで、特に体操部が有名なところだ。身体を動かすのは好きだが、将来にも備えたいという考えからの進路選択。

 

「休めって言われると、なんだか余計に動きたくなるんだよね。先輩たちも結局どっかで自主練するって言ってたし」

 

「完全休養日がコーチにしか適用されてねえな、それ」

 

 今の様子を見る限り、楽しくやっているようである。

 まあしかし、他の部員とは自主練の度合いが違うんだろうなぁ。中学でも総武でも体操部がないこともあって練習を見たことはないが、少なくとも山の中をフリーランニングする体操部員はおるまい。

 そもそもフリーランニングができる体操部員が日本に何人いるのかって話ですね。

 

「というか、私としては比企谷君が来てることの方が意外なんだけど」

 

「そうか?」

 

「だって、フリーランニングの自主練とかあんまりやる方じゃなかったじゃん」

 

 ふむ。岡野の指摘に少し昔を振り返る。

 時間は有限。特に去年は勉強に暗殺にと、課外の時間がとにかく足りなかった。近接戦闘、遠距離射撃、隠密、移動術、エトセトラエトセトラ。手を広げすぎては全部中途半端になる。かと言ってどれも必要な技能で、完全に捨てるわけにはいかない。

 となると、一部に重きを置きつつ残りは最低限、という形に落ち着く。そして俺が重視したのが近接戦闘術と隠密であった。後半は烏間さんから本格的な格闘術も習ったし、たまに来る殺し屋屋には都度隠密能力の手ほどきを受けた。

 そうなれば当然、フリーランニングに充てる時間は少なくなる。しょっちゅう山の中を駆けまわっていた岡野や木村あたりからすれば、フリーランニングへの興味が薄いと取られるのも仕方ないかもしれない。

 

「ま、一人じゃ格闘術は型くらいしかできんし、消える機会なんてクラスが不穏な空気になるときくらいだからな」

 

「不穏な空気って……」

 

「いや、安心しろ。今のところほぼ百パーセント百合空間になってる」

 

「は?」

 

 いやほんとね。由比ヶ浜と三浦がなんか険悪なというか、由比ヶ浜の態度に三浦がイライラし始めて、「あ、これはやべえ。消えて逃げよ」って隠密使って、時間空けて戻ってくるとなぜか由比ヶ浜が抱き着いているのだ。ほぼ百パーセント。分からん。話の流れがまるで分からん。たぶん葉山あたりが仲裁してんだと思う。

 ちなみになぜか由比ヶ浜からはあれ以来ずっと避けられている。露骨に避けられているというよりも気が付いたら距離を取られている感じなので、俺の勘違いかもしれないが。ほんと、何かやっただろうか……うーむ。

 まあなにはともあれ。暗殺教室が終わった今、あの頃重視していたトレーニングの優先度は低くなっているし、そもそも時間に焦る必要もない。色々つまみ食いしても許される平和だ。

 それに――

 

「こないだの茅野の件でフリーランニングしたんだけど、だいぶ鈍ってたからな」

 

 せっかく覚えた技能も、いざという時使えなければ意味がない。今日ここに来たのは、そんな考えもあってのことだった。

 

「あー、あの記者のやつかぁ」

 

「烏間さんが動いて監視対象になってるみたいだから、あれは大丈夫だろ」

 

 律から報告を受けた烏間さんの対応は早かった。相手が茅野だとバレないように加工した映像をネット掲示板にアップし、拡散。「女子校生に執拗に言い寄る中年ジャーナリスト」として群衆を用いてあのジャーナリストに大バッシングを浴びせ、かつ警察を通じて厳重注意の追い打ちというダブルコンボを決めていた。

 これ以上良からぬことをしたら即拘束できるように監視はつけているそうだが、話を聞く限り完全に生気を抜かれてしまって大人しくしているようだ。まあ、当分はマスコミ業から干されるのは確実。頑張って生きてくれって感じだ。

 

「お前のとことか大丈夫か?」

 

「んー、特にそういうのはないね。連絡もらった時前原とも話したけど、向こうも問題ないみたい」

 

 ふむ、現状被害は茅野だけっぽいな。まあ、国家どころか世界も関わっている緘口令の中特攻してくるアホがそう何人もいてもらっては困るのだが。

 そして思わぬところで前原とも仲良くやっていることを知ることができた。これは棚ボタである。うんうん、二人が仲いいみたいで、お兄ちゃんうれしいぞ。この間また他校の女子とデートしてたって聞いた時は大丈夫かと思ったが、まあ前原だし大丈夫だろう。一週間出禁にしたけど。

 閑話休題。

 なにはともあれ、鈍った技能の習熟が今日の目的である。しかしながら、ただ自主練をするだけでは勘は取り戻せても、その先へはなかなか進めない。自分の間違いを見つけること自体がなかなかに難しいことであるし、その解決法に独学で辿り付くのはそれ以上に難しい。

 そういう時どうするか。昔の人はいい言葉を残している。

 

「岡野、ちょっとこの上登ってみてくれね?」

 

「ん? ――こんな感じ?」

 

 目で見て盗め。

 俺が登るときに違和感を覚えた木を、岡野はまるで平地を走るように登っていく。その足運び、伸ばす腕の位置までつぶさに観察する。……なるほど、どうやら二歩目の足の位置が悪かったらしい。

 動きをトレースして駆け上る。まだぎこちなさは残るものの、さっきよりはスムーズに登れることを確認して、受け身を取ってまた地面に降り立った。何度か練習すれば、完全にものにできるだろう。

 身体の動きなど、やっている本人も説明が難しいものはこれで身につけるに限る。俺も消える技術に関しては半ば感覚でやってるところあるからな。早々盗ませる気はないのだが。

 そう、この“目で見て盗む”という行為には一つ弱点がある。俺のステルス技術がそうであるように、言語化できない技術というものは往々にして“教えたくない”技術なのだ。教えたくないから脳が言語化を拒否しているのかもしれない。

 

「おー、やるじゃん比企谷君」

 

 まあ、何が言いたいかというと――

 

「じゃ、比企谷君もスキルアップしたことだし、一本杉まで競争ね! 負けた方が駅前のパフェ奢り!」

 

「あ、ちょっと待て!」

 

 盗まれると大抵不機嫌になるのである。

 こちらの制止も聞かずに木々を移動し始める岡野。一瞬その後姿を見送って――ため息と共にさっきと同じ要領で木を駆け上がった。スマホが楽しそうに震えるが、今は無視である。

 これが全く知らない赤の他人なら無視して帰るところ――そもそも赤の他人にパフェを賭けて勝負挑まれるってどういう状況だ――だが、これは親愛なる妹分との勝負……すっぽかしたら後でLINEを使った集団批難にあうのは確実。

 それに、駅前のパフェは意外と高いんだよ!

 

 

 

 まあ、負けたわけですが。

 

「勝った!」

 

「そりゃあ最善手ずっと取られたら追いつけねえよ……」

 

 そうでなくとも熟練度の違いでズルズルと差をつけられるというのに。苦肉の策で無理やりルートを変えても差は縮まらなかったところを見るに、先行させた時点で負けは確定だったわけである。

 得意分野で一切手心を加えずに確実に報酬を手にしようとは、なんと鬼畜の所業か。これを戸部あたりがやってきたら二本背負いあたりを決めているところである。妹分たる岡野だから許すけど。パフェ奢るけど。お兄ちゃんの財布の紐緩すぎない?

 

「お前、来週はここ来るの?」

 

「来週は部活だけど……なに、特訓付き合ってほしいの?」

 

「や、また奢れって言われないように接触を避けようと」

 

「酷くない!?」

 

 ここは財布の紐に手をかけないように予防策を張らねばなるまい。固く締め直すって選択肢がないあたりすごくアレ。

 まあ、なんだかんだ岡野の動きは参考になるし、授業料と考えれば週一でパフェくらいならそこまで手痛い出費では……いや、こういう妥協がいかんのだ。八幡知ってるぞ。そうやって妥協した結果、気が付いたら複数人に奢る構図が出来上がってしまうのだ。慢心、妥協、ダメ絶対。

 アームホルダーにつけたスマホを見てみると、今から向かえば駅前に着くことにはちょうど三時、おやつ時というやつだ。ついでだから、俺もパフェ食べようかな……や、そういえば今日はあんまり財布に金入れてない気がする。たぶん二人分頼んだら帰りの電車代がなくなる。走ればいい? バッカお前、家からここまで走ったのなんて、去年の夏の一度きりだわ! ……いかん黒歴史が。

 まあ、普通にコーヒーでも頼もう。マッカン置いてあるといいな。

 ちなみに律はパフェの話が出た瞬間「誘惑には屈しません!」などと謎の捨て台詞を残してスマホから消えた。最近あいつ、マジで味覚に飢えてんな。そのうち、本当に味覚エンジン装置を設計しそうだ。頼むから俺のスマホに取り付けようとはしないでくれよ?

 そのためにまずは着替えねばなるまい。超体育着は訓練には最適なのだが、いかんせん人前に出るにはよろしくないのだ。機密ではないにしても、世界単位で最新鋭技術の結晶だし。

 

「それにしても、よくよく考えたら比企谷君と二人っきりって初めてじゃない?」

 

「そうだっけ? あー、そうかも」

 

 連れ立って校舎に戻りながら、去年を振り返ってみる。そもそもE組という集団は暗殺の作戦会議を行う関係もあり、やたら四人前後のグループで動くことが多く、放課後や休日に偶然遭遇しない限り二人きりになる状況は少なかった。課外のトレーニングにしても防衛相お手製アスレチックやフリーランニング重視だった岡野と近接戦闘、狙撃訓練メインだった俺では被ることは少なかった。

 まあ、俺と二人っきりという状況に然したる幸福性はないのだが。

 

「お兄さんを独り占めすると皆に睨まれそう」

 

「なにその少女漫画によくあるヒロインいびりみたいな展開」

 

 むしろ不幸性があるらしい。や、ねえだろ。俺にそんなバストアップ映しただけで星が煌めきそうな能力はない。ああいうのは葉山とか浅野あたりが持つべき能力である。実際に星煌めかせ始めたら怖くて他人のふりしちゃうけど。

 そういえば、浅野とも卒業式以来会ってないな。去年渡された図書館利用証はなんだかんだと理由をつけられて未だに俺の手元にあるし、たまには利用がてら挨拶にでも行くべきか。ついでに赤羽の様子を見るのもいいかもしれない。

 などと割とどうでもいいことに思考を割いていたのがいけなかった。それ以前に自分たちの山ということで完全に油断していた。

 

「うおっ!?」

 

「え?」

 

 一瞬足元の感覚が消え、気が付いた時には世界が反転していた。頭の上の方に首を動かすと、地面に足を付けて呆けた顔をした岡野と目が合う。

 所謂宙吊り。足元を見てみると、いつの間にかロープが括りつけられており、それが木の枝に俺を吊るしているようだった。

 

「…………」

 

「…………」

 

「罠って、確か全部撤去したよな?」

 

「うん。自衛隊の人たちにも手伝ってもらって確認もした」

 

 いくら俺たちが買い取ったとはいえ、私有地の山に平然と入って好き勝手やる常識知らずは多い。毎日管理できるわけではないということもあり、春休みのうちに無数に張り巡らせていた罠は全て撤去した……はずだ。

 

「とりあえず、写真撮っていい?」

 

「え、鬼?」

 

「というか、もう撮った。そしてLINEに上げた。律が」

 

「悪魔じゃねえか」

 

 さっきから碌に話に入ってこないと思ったら、なにやってんのあの子。

 流れるように人の痴態を流布するなよと思いつつ、ロープのかかった枝によじ登って足枷を外しにかかる。……なんか、やけに新しいな、このロープ。暗殺教室時代のものなら、もうちょっと傷んでいてもいいはずなのだが……。

 

「あ、犯人発見。カルマ」

 

「悪魔じゃん」

 

 まごうことなき悪魔だった。このクラス悪魔多すぎる。

 なんとか罠を外して自分のスマホを起動すると、LINEには赤羽の全く悪びれている様子のない言い訳が届いていた。

 曰く、この間のテストで浅野に負けた。むしゃくしゃしたからストレス発散にトラップ作ってみた。とのこと。

 事勉強において互いを明確なライバルと位置付けている浅野と赤羽。高等部に進学してからも互いに切磋琢磨しているのだろう。そして煽り合っているのだろう。……うん、あいつらのやりとり、普通に周りも精神すり減るからな。本人たちのストレスも半端ないに違いない。

 けどまあ、それとこれとは話が別である。

 

「あいつ……今度泣かす」

 

「できるの? あのカルマ相手に」

 

 できるできないではない。こういうときの躾をしっかりやるのが年長者の務めなのだ。

 どうしてくれようかと思考を巡らせながら、改めて校舎に戻るのであった。

 

 

 

 ちなみに、酷い目にあった兄貴分に対して、岡野は一切容赦なく一番高いパフェをたかってきた。

 ほんとこのクラス、悪魔ばっかりである。




お久しぶりです(定型文
ちょっと環境についていけなくて更新頻度が上がらない今日この頃(隙あらば自分語り

まあ、今回は日常回というか、暗殺教室時代の要素を交えつつのお話でした。E組は暗殺道具を記念品的な感じでそれぞれもらってそうな印象。特にイトナ。逆に竹林とか奥田さんは危険物メインなせいで思い出の品は少なそうですね。

というか今回書くにあたって久しぶりに自分の話を読み返したんですが、岡野の話が少なすぎる。というかこの二人、フリーランニング関係でしかまともに絡んでない。今回もフリーランニングですし。
奮闘する岡野と前原の話とかもね、書きたいよね。一応ネタは浮かんでるんですが、そのために必要な要件が二つほどあるので、形にするのはもうちょっと後になりそう。

それでは今日はこの辺で。
ではでは。

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