二度目の中学校は”暗殺教室”   作:暁英琉

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彼は、その道を諦めないのである。

「ただいまー……っと、お?」

 

 放課後、速攻帰宅という帰宅部の鑑のようなムーブをかますと、玄関に家族のものではない革靴が置かれていた。俺のものより少し大きめのそれはしっかりと磨き込まれ、品のいい艶を出している。どう考えても親父のものではない。親父の奴はくすんでよれたものしか見たことがないからな!

 使う人間によって、物の見た目も変わるもんなんだなぁ、などと考えながらリビングへと足を運ぶ。先々週来た時にはこっちのタイミングが悪くすれ違いになってしまったようだが、会えるなら会っておかなくては。

 

「あ、お兄ちゃんおかえりー」

 

「やあ、比企谷君。久しぶりだね」

 

「ただいま。理事長もお久しぶりです」

 

 そう、この元椚ヶ丘学園理事長、浅野學峯には。

 

「もう理事長ではないよ。しがない一人の家庭教師さ」

 

「いや、正直他の呼び方が……」

 

 眉尻を下げた苦笑に、こちらも苦笑で言葉を濁してしまう。

 初対面からずっと理事長呼びだったわけで、今更変えろと言われてもなかなか難しい。浅野さん……はなんか軽い気がするし、浅野先生は俺の立場からするとちょっとずれているし……うん。やっぱ理事長でいいや。知り合いに理事長経験者とかこの人以外いないし、たぶん今後も理事長の知り合いとかできんだろ。

 さて、教育界の風雲児として名を馳せた彼であるが、去年の殺せんせー雇用やE組問題の件で椚ヶ丘を去っている。あの記者会見は我が恩師の世界的印象を悪くする意図もあって大々的にメディアで放送されたこともあり、特に教育界でのイメージはバグってプラスになるレベルでマイナスだろうから致し方ない。

 そういえば、事が済んでから色々と当時のメディアの動画や記事を律に頼んで確認させてもらったのだが、いくつかのメディアはやけに理事長を擁護していたんだよな。まさか洗脳? 洗脳なの? やっぱこの人怖いわ。擁護記事書いた人は閑職に左遷されたりしてそうだなぁ。化物に関わったのが運の尽き。ご愁傷様です。

 閑話休題。

 そんなわけで教育界から干されてしまった彼であるが、干された程度で止められるなら競争相手たちは苦労しないだろう。年度が変わったタイミングから、早速フリーの家庭教師として動き始めた。

 と言っても、流石に大々的なものではない。今のところ請け負っている生徒は元教え子の兄弟や親戚に絞っているようだし、一人当たりの頻度は二週間に一回程度。まあ、頻度が少ない理由は資格取得などして改めて自分の能力を向上させたいかららしいのだが。これ以上能力上げてどうするのだろうか。向上心の塊すぎる。

 そんな彼がここにいる理由はもう言わずもがなといったところであるが、教え子の一人が小町だからだ。

 俺が理事長の元教え子になるかと言われると首を捻りたくなる部分もあるが、うちの両親は去年一年の俺の変化もあり、理事長や殺せんせーへの印象は悪くなかったようだ。というか、当時のE組の親の大半は彼らに悪感情を持っていない。実際矢田や磯貝の兄弟も生徒のようだし。これは手入れが行き届いていますね。ほんと、アフターケアまで完璧な先生だこと。

 後、単純に小町の成績がね、やっぱ不安だよね。

 

「小町の方はどんな感じですか?」

 

「ああ、この二週間はしっかり勉強していたようだね。最低限の知識の定着はできていそうだ」

 

 にこやかな笑顔と共に数枚のプリントを渡される。内容に目を通してみると、理事長お手製であろう小テストだった。パッと見た感じだと、正答率七割といったところか。

 さすがに二週間に一回では教えられる量にも限界がある。いくら理事長が通常の十倍分かりやすい授業を二十倍速く教えることができるとは言っても、肝心の小町がついていけなければ意味がない。椚ヶ丘の秀才集団であったA組でギリギリついていけるかどうかなレベルにうちのアホの子が耐えられるわけがないのだ。

 というわけで、家庭教師のない日は通い始めた塾や自学で下地を作り、理解の浅い点を理事長が補強する。という基本方針でやっていくようだ。正直布陣が完璧すぎる。なんならこの時点で総武高校合格は決まったようなものといっても過言ではない。本人が慢心しないように言わないけど。

 いやしかし、これが“最低限”……か。

 

「あの、理事長」

 

「ん?」

 

 別の小テストに取り組みだした小町に聞こえないように気をつけながら、教育の化身に尋ねてみることにする。

 総武高校へ合格するだけなら、彼が教える時点でほぼ確実といっていい。竹林のようにプレッシャーでミスをしてしまった、などがない限り問題はないだろう。自分の受験成績から合格者の正答率を類推すれば、基礎が七割で最低限、というのも理解はできる。

 ただ……それをこと教育というジャンルに関しては妥協を許さないこの人が口にするのは意外だったわけで。

 

「ちょっと物足りなくありません?」

 

「…………ふふ」

 

 思わず尋ねてみて、ちょっと後悔した。

 理事長は少し笑っただけ。しかし、その笑みは何度も見たことがあるものだ。

 そう、殺せんせーと戦う時に必ず見せていた無邪気な、それでいて黒い笑みだ。何かとんでもないことを企んでいる時の笑みだ。

 おっと、これはマズいのでは? うちの妹とんでもないことになるのでは?

 内心冷や汗を流す俺をよそに、湯気の立っていないカップを優雅に口へ運んだ家庭教師様が小さく喉を鳴らし、琥珀色の液体を嚥下する。なんかこう、あまりにも仕草が優雅すぎて貴族に見えてくるレベル。今補正で頭に“悪徳”ってつく貴族だけど。

 

「今の段階で最低限というのは嘘ではないさ。最終的に満点が取れるようになればなんの問題もない」

 

「やっぱ、主席合格させるつもりですか……」

 

 まあ、去年のテストを見て他校にテコ入れしちゃうような人だからなぁ。ただの合格で満足しないよね。

 そもそもの話、学校のレベルとは生徒のレベルによって変動していくものだ。テコ入れしてテストだけ難しくなっても、生徒が付いていけず平均点が落ち込んでしまえば意味はない。生徒に合わせる為、テストのレベルを下げざるを得なくなってしまう。

 それならどうすればいいか。一人でも多く入学者のレベルを上げてしまえばいいのだ。

 幸い、今の一年は元E組も多く在籍していることもあり問題はない。そこで次に白羽の矢が立ったのが今の受験生、というか小町なわけだ。コミュニケーション能力のある小町が人に教えられるくらいの成績になって入学すれば、周りを引き上げることに繋がるとも考えているのかもしれない。

 いやしかし、去年の小町ちゃん、結構やばい成績だったんだけれど……。

 

「安心しなさい。君に似て元々の頭はいい。一年かければ無理なく目標達成できるだろう」

 

「まあ、無理しないならいいですけど」

 

 頭が良くて困ることはない。妹の才能を引き出してくれるというなら、家族としても大歓迎……のはずなのだが。……なんだろうね、この拭いきれない恐怖感。いや、杞憂なんだろうけどさ。

 

「エンジンをかけるのは、夏休みに入ってからだね」

 

 杞憂……だといいなぁ。

 一抹の不安を抱きつつ、マッカンを飲んで誤魔化すことにした。さすがマッカン、不安すらかき消してくれる。糖分は幸福成分だからね。

 

「ん?」

 

 マッカンに感動――現実逃避ではない。絶対にない――していると、スマホが振動する。震え方からして、律からのアクションだ。

 

「こんにちは、理事長先生!」

 

「やあ、律さん。可愛らしい制服だね」

 

 ポケットからスマホを取り出すと、総武高校の制服に身を包んだAI娘が顔を出した。そして理事長がナチュラルに服装を褒めた。やっぱイケメンはアクション一つ取ってもイケメンですね。

 

「聞きました、八幡さん? ネットやドラマでも数多く見ましたが、やっぱり今のが正しい反応ですよ! 投げやりにあしらうのは間違ってますよ!」

 

「根に持ってるなぁ、お前……」

 

 恐らく初めて制服姿を見せてきた時のことを言っているのだろう。律はプンスカプンスカとあざとさ倍、エフェクトマシマシで不機嫌を主張してくる。視覚的に感情が分かりやすいのだが、そういうとこだぞ。

 

「比企谷君、それはあまりよろしくないな。相手のいいところを見つけ、それを褒めるというのは大事なことだよ。気の置けないやり取りももちろん大事だが、そればかりではいけないんだ」

 

「う……確かにそうですけど……」

 

 おっと、なぜか理事長が乗ってきた。しかも不利な状況に追い打ちかけてきた。理事長、もう勝負ついていると思うんですけど。

 まあ、言われていることはよく分かる。理事長に至っては彼の教育の本質だし。

 ただ、理解できるし、大事なことなんだが……それを実践できるかと言われると難しい。特に俺のような捻くれた人間には些かハードルが高いのだ。

 

「お兄ちゃんは人を見るの得意なのに、それを伝えないからタチが悪いんですけどねー」

 

「……うっせ」

 

 ついには小町まで下手くそにペン回しなんぞしながら会話に混じってきて、後一人いたらリアル四面楚歌状態である。なんなら小町の言が的確すぎて二面分担っているまである。

 元々人間観察が趣味などと言っていた――痛い――時期もあったし、実際にステルススキルのために観察力も鍛えてきた。あの教室のおかげで、それまで粗探しに使っていたその技能で、相手の長所を見ることもできるようになってきた。

 けれど、見えることとそれを褒めることはまるで違う技能だ。後者をスマートにこなす能力は、まだ俺にはない。まず羞恥心に勝てない。

 

「お兄ちゃん絶対心の中ではE組の皆ベタ褒めですからね」

 

「いいからお前はさっさとテスト終わらせろ」

 

 なんなの? こいつ読心術でも使えるの? なに? お兄ちゃん限定? はーーーーそういうところだぞお前。

 これ以上余計なことを言わせないようにテーブルに齧り付かせてやろうかと腰を浮かせると、当の小町は一瞬表情を引きつらせ、速攻で勉強に戻ってしまった。結果、残されたのは半端な姿勢の兄だけである。

 

「ふふふ、比企谷君は小町さんから学ぶことが多そうだ」

 

「否定はしませんけど……」

 

 クツクツと喉を震わせる理事長に思わず口を尖らせる。実際、俺を反面教師としてハイブリットぼっちという新ジャンルを確立させた小町から学べることは多いだろう。そもそもこいつが俺の対人能力の基礎だしな。頭が上がらないのである。

 はあ、なんかどっと疲れた。せっかくだから俺もここで勉強しようかしら。昨日解いた問題集で理解がふわふわしたところがあったし、ついでに理事長に教えてもらおう。……追加料金とか発生しますか?

 

「そういえば、律さんは何か私に用があったのではないのかな?」

 

「そうでした。実はこちらなんですが」

 

 適当に放っていた鞄から勉強道具を取り出していると、律がスマホの画面に何かを表示させ、理事長に見せていた。ナチュラルに俺のスマホに色々データを入れている点はツッコむまい。なんならパソコンの方は俺の把握し切れていないデータのせいで容量がカツカツになっているまである。割と真面目にパソコンの拡張を検討しているところだ。

 で、一体なにを見せているのだろうか。

 

「全国の問題集や総武高校と同じレベルの学校の試験を参考に、私なりに問題をいくつか作ってみたので確認してもらいたいんです」

 

 うわ……。

 画面の内容を理解して、声に出さなかった自分を褒めてやりたい。

 手のひらサイズの画面はびっしりとテストを想定したような問題で埋め尽くされていた。いくつか、なんて言うから試しに数問程度と思っていたが、ファイルのページ数を見ても既に問題集一冊分くらいはありそうだ。このAI娘、“いくつか”の意味を勘違いしているのではないだろうか。

 そしてざっと中身に目を通した――速読で内容全部理解してそう。怖い――理事長は……両の瞳をキラキラと輝かせた。

 

「素晴らしいよ、律さん。まだ荒削りな部分はあるけれど、十分買い取らせて欲しいレベルの完成度だ。いや、むしろ今ここで買い取らせて欲しい」

 

「理事長先生でしたら無料でもいいのですが」

 

「無料はいけない。対価を支払うということは重要なんだよ」

 

 物の十数秒で売買契約が締結されてしまった。理事長が即決すぎる。

 しかし、当然といえば当然の反応と言えるだろう。膨大な過去問や他問題集のデータがあれば、類似問題の作成なんて思考力がリアルスパコンな律にとっちゃ朝飯前。そんな彼女が作り出したオンリーワンの問題集なんて、日々生徒のために自作問題を作っている理事長には垂涎ものに違いない。問題作りって結構時間かかるだろうし。

 

「私も、小町さんのお役に立てればと思いまして」

 

「助かるよ。流石に自己研鑽もしていると、問題の作成を全て一人で、というのは限界があってね。少し困っていたんだ」

 

 再び問題集を流し見し始めた理事長はお気に入りのおもちゃで遊ぶ子供のように楽しそうだ。ほんと、教育に関して筋金入りなんだよな、この人。全然違う造形なのに、不思議とその表情が恩師と重なって見えて、こちらも自然と口元が緩む。

 

「これなら……もう少しペースを上げることもできそうだ」

 

「…………」

 

 ぼそりと、誰に聞かせるでもなかろう呟きは空耳だったということにしておこう。小町、お兄ちゃんは何も知らない。何も悪くない。そう、何も悪くないんだ。

 ちなみに、質問は無料で受けられた。めちゃくちゃ分かりやすくて完璧に理解できたのだが、間髪入れずに類似問題を取り出されたことだけが気がかりである。俺が躓くことが分かっていたのだろうか。予知能力まで身につけたんですかね。




 今回は理事長のその後でした。やったね小町ちゃん! ほぼ確合格コースだよ!(暗黒微笑

 原作でも書かれてましたが、理事長は数年で地位復活させそうだなと思います。なんなら新しい城で渚を雇用とかね、あると結構アツいなって。
 ついでに律ともタッグを組んでもらって、今年は小町を完璧に仕上げてもらおうと思います。大丈夫だ小町。ちゃんと夏休みに千葉村には行かせてもらえるから。

 それでは今日はこの辺で。
 ではでは。

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