紆余曲折あって、ようやく暗殺教室の一員という意識がついたわけだが、その直後に俺は壮絶なアウェー感を味わっていた。
「……暇だ」
「そうですねー」
椚ヶ丘中学校球技大会。例年E組は本校舎生徒への見せしめと見世物のために男子は野球部、女子はバスケ部とのエキシビジョンを行うらしい。弱者を徹底的に使いつぶす。多少極端だが、実力主義な私立らしいと言えば私立らしい。
だが、今のE組生徒は学校の思惑通りみすみす見世物のペットを演じるつもりはなく、できることなら一矢報いたいと意気込んでいた。そして、主に男子はそれを受けた殺せんせー改め殺監督の集中特訓が始まったのだ。
いくら暗殺教室に所属していると言っても、俺は他校のしかも高校生だし、律は人前に出るには四角すぎる。必然的に皆の特訓中は二人して見学だ。いや、仕方ないんだけどさ。
「お暇なら八幡さんも参加してくればいいじゃないですかー。四角い私と違って特訓には参加できるんですからー」
「……参加できなかったから拗ねてんのか?」
別にー、とそっぽを向く彼女に苦笑するが、律を置いて参加する気はなかった。一応断っておくが、決して律を一人残しておくのが可哀想とかそういう理由ではない。誰が好き好んで、必要性もないのに三百キロの球と向かい合ったり、なに言われるか分からん囁き戦術など受けるか。なんだあの殺人投法、見てるだけで怖いわ。後怖い。
「ま、今は俺達にできることをしようぜ」
「はい」
律はうなずくと目を伏せる。今彼女の内部ではデータの高速処理が行われているのだろう。野球練習――やっぱあれ野球じゃねえな――に気を取られている殺せんせーがこっちに気がつかないか注意していると、スマホのバイブが一度だけ震えた。『触手に関する中間報告』という文面から始まっているそれを開く。
「先日イトナさんが切断した殺せんせーの腕の触手を烏間先生が国防省に送り、解析研究をしていたようです」
さらっと日本の中心にハッキングをかけていることに関してはツッコまないでおこう。こいつのことだから気付かれるような余計なことはしていないだろうし、どの道俺達の環境ではこうでもしないと最新情報は手に入らない。
「細胞は柔軟にして強靭、自然界にて未観測……ね」
どんな圧力を加えても元の形状に戻り、引張応力は測定不能。そもそもエネルギーを消費すると言っても本体には再生能力もある。自力で多少傷をつけられてもすぐに再生されてしまうわけだし、やはり攻撃するなら対先生物質は不可欠なわけだ。
「ですが、対先生物質に関しても触手細胞を化学反応で分解するだけで、触手の正体にはたどり着けそうにありません」
「そもそもその提供元が暗殺対象本人って……」
俺達が主に調べているのは殺せんせー自身のこと――ではなく、殺せんせーがあの身体になった原因の実験、ひいてはそれを主導していたであろうシロの正体だ。
だが、触手の細胞解析を見ても、律にすらどういう原理で人間細胞から変化したのかが分からない。現代理論の枠を超えた未知の変化と考えるべきだろう。
そうなると、その元となった研究に行きつくのは困難。
「情報が足りねえなぁ……」
シロの正体を暴きだして一発殴ってやろうかと思って調べ始めたが、調べる相手が未知の存在の超生物では打つ手がない。
「少しずつ調べていけばいいじゃないですか。暗殺に成功すれば、時間はまだあるんですから」
「……そうだな」
暗殺に成功すれば、それは間接的な人殺し、教師殺しを意味する。それがこのE組にどんな影響を与えるかは分からない。
まあ、心配なのは事実だが、それはこの前ほどじゃない。あの先生がただ生徒につらい思いをさせるとは、思えなかった。E組の生徒達を信じようとしているのだから、その担任を信じようとしても罰は当たらないだろう。
「ところで、この抜群の吸水性ってなんだ?」
なに? 触手はタオルなの? ヌルヌルのタオルとか需要なさすぎるでしょ。
「水中のみならず、高湿度空間でも水分を吸収し、三十三パーセントから五十パーセント細胞が肥大化するようです」
そういえば、雨の日に顔が肥大化していたな。その分重量も重くなるはずだが、そもそも最高速度をどれくらいの重量でまで出せるのか、殺せんせー自体のポテンシャルが分からないと何とも言えないか。
「あれ? けど、堀部は雨を触手で弾いてきたはずなのに、触手は肥大化してる様子なかったよな」
対先生ナイフで破壊されたのだから、構造は超生物の触手と同じはず。となると当然雨を弾いた触手も水分を吸って俺達に隠すことは不可能だったのではないだろうか。
そんな俺の疑問に「これはあくまで推測ですが」と律が答えた。
「殺せんせーは粘度の高い粘液を体内で生成、触手から流すことができるようです。それでイトナさんは触手をコーティングしていたのではないでしょうか」
ああ、潮田が前にネバネバの触手で赤羽が拘束されたことがあったとか言っていたな。
「調べれば調べるほど規格外だな、あの触手生物」
ただ、それを観察するのがなかなか楽しいのも事実である。人間観察が趣味と言って差し支えない俺にとってはこれほど観察しがいのある相手もいないだろう。
さらに発見がないかスマホに目を落とす俺を、律はニコニコと眺めていた。
***
球技大会は女子が惜敗、男子が辛勝で終わった。律を通して教室で様子を見ていたが、女子はともかく男子のあれはもはや野球じゃないだろ。理事長も殺せんせーもえげつないことやるなぁ。普通なら怪我人が出てもおかしくないゲームだったろうに。
そして夏本番の七月に入った最初の休日、読んでいたシリーズの最新刊を早く読みたい衝動に駆られてしまい、不肖八幡は仕方なく外に繰り出していた。そんな言い方をしたら、まるで俺が引きこもりみたいじゃないか。……休日に関しては否定できないな。
「あれ……?」
目当ての本を買ってホクホクしていると、隣のゲーセンで見覚えのある黒髪を見つけた。流れるような清楚系長髪ストレートがこれでもかというくらい周りから浮いていたが、当の本人はまるで気にしていないようだ。
「ふむ……」
いや、学校ならともかくこんなところで声をかける必要もないだろ。相手は気付いていないみたいだし、ここはそのまま退散を決め込むのがベストアンサー。
……なんだけれど、ちょっとこう……ね? 好奇心的なのは当然あるわけで。清楚系お嬢様な彼女、神崎がゲーセンでなにをやっているのか、気にならない方が無理というものだろう。
自然に自然に店内に入って――この時点ですでに自然じゃない自信あるけど、店員は特に俺を警戒してないしセーフ――神崎の少し後ろからゲームの筺体を覗きこむ。格闘ゲームか、ますます場違いというか……え!?
ストーリーモードらしいゲーム画面では筋骨隆々のNPCが絶えず空中に浮き続けていた。正確には、神崎の操るキャラによって延々とコンボを食らわされていたのである。人の皮を被った悪魔め? それは自己紹介かなにかかい?
というか、神崎の手の動きがやばい。キーボードでも打ってんのかと思うほど高速で、コントローラーの上を指が踊っていた。
そのまま、結局NPCは一度も体勢を整えることもできずにHPを削りきられ、画面には“You Win Perfect”の文字がでかでかと表示された。
「すげえ……」
その鮮やかすぎるプレイに意図せず声が漏れてしまったのは仕方ないことだろう。そして、その声は当然のごとくスーパープレイを見せた本人にも聞こえてしまうわけで――
「ぇ……えっ、比企谷君!?」
俺を認識した神崎は少し不安げな表情で酷く狼狽してしまった。びっくりさせちゃってごめんね?
「ほれ」
「あ、ありがとうございます……」
自販機で買ってきた飲み物を渡すと、彼女は申し訳なさそうに受け取った。いや、申し訳ない気持ちでいっぱいなのは俺の方だから……。
神崎が座った隣の壁に背中を押しつけて自分用のマッカンを口に含む。いつも通りの甘さのはずだが、緊張のせいか申し訳なさのせいか、いまいち味が分からなかった。
「あー、そのなんだ、お前んち、この近くなのか?」
「いえ、私の家はここから七駅先です」
七駅というとそこそこ距離がある。ここのゲーセンは確かになかなかの規模だが、わざわざここまで来なくても、その道中にもっと大きいゲーセンもあったと記憶しているが……。
なんでわざわざ、と聞いてしまいそうになるが、そこはぼっちによって培われた人間観察力。突っ込んでほしくなさそうだったので話題を変えることにした。
「ていうか、お前あんな特技持ってたのな」
「意外……ですか?」
「意外っちゃ意外だが、すごいことに変わりはないだろ。……なにその顔」
いつもより幾分間の抜けた表情に眉を寄せると、少し慌てた様子で目を伏せた彼女は、少し上ずった声をあげた。
「い、いえ……E組のクラスメイト以外は皆、お父さん達もすごいなんて言いませんでしたから……」
お父さん達――その言葉とわざわざ遠い場所に来ているという事実で、なんとなく彼女が俺を目にした瞬間怯えていた理由が察せた。割と放任主義なうちの両親とは違い、ゲームやアニメに理解を示さない大人が多いことは知っている。神崎の親、特に父親もそういう人間なのだろう。
「日本屈指の文化だぞ? 尊敬こそすれ、侮蔑する理由はないだろ」
まあ、新しい文化に否定的になる気持ちは分からなくはない。たとえば百年前、ミステリー小説は幼稚な文学、読むと頭が悪くなるなどと言われていたらしい。まんま今のライトノベルに向けられる目と同じようなものだ。
なら、常にアウトローな比企谷八幡はそういうものに理解を示したくなるわけですよ。
「大体、俺だってゲームにはそこそこ明るいからな。美少女神ゲーマーにすごいって言わずになんて言うんだよ」
「び、びしょ……っ」
なぜか赤くなった慌てる神崎は「じゃ、じゃあ」と恥ずかしそうに尋ねてきた。
「一緒に対戦でもしませんか?」
ふむ、神ゲーマー様からゲームのお誘い、大変光栄だ。ならば俺の返答も決まっているだろう。壁から背中を離して神崎に向き直り――
「お断りします」
頭を下げて拒否の意思を示した。
「な、なんですかっ!?」
「いやだって、おしとやかに格ゲーでバスケされたら精神的につらいし」
あんなの見せられたら……ねえ?
「なら格ゲー以外……あ、戦略ゲームなんてどうですか?」
「ほう?」
いいのかい、神ゲーマーさん。
「それならいいぜ、やるか」
そのジャンルは俺の得意分野だぞ?
「………………」
「…………あの」
「………………」
「……神崎……さん?」
「……負けました」
あ、割とガチで落ち込んでるやつだこれ。
さすが神ゲーマー神崎名人、対戦型戦略ゲームでもその才能を遺憾なく発揮してきた。おかげでこっちも本気でやらざるを得ず……。
「比企谷君のプレイスタイル、えげつなさすぎです」
対人で嫌がられる戦法オンパレードで戦ってしまい、このざまである。八幡君ちょっと不器用すぎない?
「人のこと神ゲーマーと言って持ちあげてから落とす時点で性格悪いです」
「いや、ただちょっと得意ジャンルだっただけでですね?」
中学生相手に思わず敬語になってしまう高校生がいるらしい。間違いなく俺である。悲しいのは、相手が中学生の中でも大人びている分傍から見てあまり違和感のないところだろう。
えーっと、こういう時はどうすればいいんですかね。頭撫でて宥める……は小町専用コマンドだし、そもそも小町以外にこんな状況になったことがないんですが。結論的に手詰まりである。
「……よしっ、次はなにで対戦する?」
なので、引き伸ばした。まだ勝負は付いていないぜ、ということにすることにした。
そんな俺に、落ち込んでいたはずの神崎は少し考えてふっと微笑んだ。わーい、どんな温情を見せてくれるのかなー?
「それじゃあ、格ゲーにしましょう」
うん、知ってた。だって目がギラギラしてたもん。
そもそも、そんな原因を作ったのは他ならない俺自身なわけで――
「……せめて、永続コンボのないゲームでお願いします」
その程度の妥協案の提示しかできなかった。
「いいですよ。どの道完封するつもりですから」
……ああ、これは死亡コースまっしぐらですね、間違いない。
まあ、神崎の機嫌も治ったようだし、それになにより学校だと見る機会のなかった負けず嫌いな一面を見れた分のお代と思っておこう。
……ちなみに一応報告しておくと、宣言通りノーダメ完封されました。しかも三試合連続。
***
「あれ? パソコンでゲームですか?」
夜、自室に置いてあるパソコンを立ち上げるとディプレイ脇に当然のように律が現れた。うちのネットワーク回線が完全に律に掌握されているんですが。
「ちょっと神崎とゲームやることになってな」
あの後、結構な時間を神崎とゲーセンで遊び倒したわけだが、知り合いと一緒にゲームをするという経験があまりなかった俺達、特に神崎はまだまだ遊び足りなかったようで、インターネットでのPCゲーム対戦を所望してきた。
俺自身、小町以外の知り合いとゲームをしたのは初めてであり、そのお誘いはまんざらでもなかったのだが、おかげでそこそこ値の貼る神崎お勧めのアケコンを買うことになってしまった。学生の財布に大打撃である。……今度親父強請って臨時収入得ようかな?
存在だけは知っていたPC交流神器“SKYPE”をインストールし、アカウントを作って事前に教えてもらったIDを入力。連絡先リスト追加申請とかいう普段の俺なら無視か拒否される未来しか見えない申請をクリックすると、即座に連絡先共有がなされた。
楽しみにしすぎだろ神崎。まあ、俺もなんだけどさ。
USBタイプのアケコンを繋いで、神崎に教えてもらった無料の格闘ゲームを開く。SKYPEのチャット欄には一言だけ。
『胸を借りさせてもらうぜ、神崎名人』
「八幡さん、えっちなのはいけないと思います!」
「そういう意味じゃねえよ!」
このAI娘はどこからそんな知識を得ているのだろうか。八幡、律の将来が心配です。
神崎さん回でした。暗殺教室キャラでなぜか神崎さんだけはさん付けになる不思議。
そういえば、暗殺教室クロスって神崎さんヒロインが多いですよね。私が過去に読んだ作品も六、七割くらいがハーレム含めて神崎さんヒロインだった記憶があります。
神崎さんと言えば杉野が出てきますが、まあ公式でいい友達なんて言われてるからしゃーなしなのかなーなんて思ったり。杉野……。←暗殺教室SSで杉野を不遇キャラとして使っている人間の発言。
神崎さんは前から出したかったキャラではあったんですが、いかんせんE組の中では大人しいタイプなので他の子達を優先してここまで引っ張ってました。八幡が精神的にもE組の一員になったので、ようやく絡ませる決心がついた感じ。
ということで今日はここまで。
ではでは。