逸見エリカに憑依したある青年のお話   作:主(ぬし)

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エリみほはいいぞ


そのエリカ、猟犬につき②

麗しき乙女が岩に立ちて(Die schönste Jungfrau sitzet Dort oben wunderbar,)

黄金の櫛を手に(Ihr goldnes Geschmeide blitzet,)

その美しい髪を梳いている( Sie kämmt ihr goldenes Haar. Sie kämmt)

乙女が口ずさむ歌の音色の(es mit goldenem Kamme, Und singt ein Lied dabei;)

いと妖しき魔力に魂は迷い彷徨う(Das hat eine wundersame, Gewaltige Melodei.)

 

 

 

 それは不思議な光景だった。

 降り続く豪雨にうねる谷川の河心に、ポツンと一つ、歌う少女の上半身が浮いている。成人前の透き通った歌声は遠雷の間をすり抜けて地平の果てまでも届くようだった。肩まで届く銀白色の髪は芯まで濡れそぼち、黒色の衣服が張り付いて肢体の凹凸を強調する様はあらゆる男をかどわかして目を離させない妖艶さを漂わせている。まるでライン川の人魚(ローレライ)伝説を仄めかすような少女だったが、その下半身は魚の尾ひれのような生易しいものではなかった。豪雨に濁った川水の中に、漆黒色の巨大で硬質な何かが鎮座している。少女はその上部に開いた開口部(ハッチ)から半身を覗かせていた。

 不意に、激しい濁流を物ともしない鋼鉄の塊の内から、少女とは別の少女たちの声がした。

 

副隊長(・・・)、応急修理完了しました。S装備(・・・)はもう限界です。着水の衝撃が強すぎました。通信装置も浸水にやられてます。なにせ、付け焼き刃の耐水処理でしたから」

「機銃もダメです。衝撃で砲身が曲がってます。主砲の遠距離用照準器(スコープ)も使えません」

「駆動系にも問題があります。機関内にまで少しずつ水が入ってきてますから、いつ壊れるかわかりません」

 

 哀愁に満ちた歌声がピタリと止み、しばし濁流の轟々とした音だけが世界を支配した。暗闇の中、息を殺して返答を待つ少女たちの気配は、その絶望的な報告の内容とは正反対に猛々しく尖っていくようだった。

 

「―――へえ、とっても素敵な話じゃない(・・・・・・・・・・・・)

 

 じわり、と銀白色を帯びた双肩に闘気が立ち昇る。いや、もはや狂気(・・)というべきか。目を潰され、爪を剥ぎ取られ、耳を千切られ手足を失おうと、敵に喰らいつく牙さえあればいい。余計なものを削ぎ落とした方が本来の力を出せる。その熾烈さ、飽くなき闘争本能こそ、彼女が狂犬(・・)と恐れられる由縁だ。そして、この一年間、彼女と共に軍場(いくさば)を馳せてきた少女たちもまた、幸か不幸かその影響を存分に受けていた。狂犬の激情に焙り立てられるように、少女たちの息遣いも獣のように荒く激しく高ぶっていく。狂犬に見出されたアウトローたちが、瞳を光らせ犬歯を剥き出しにして群長(むれおさ)の命令を今か今かと待っている。

 

「―――行くわよ。火を入れなさい。みほが待ってるわ」

了解(ヤヴォール)、ヤヴォール、フラウイツミ」

 

 命令に対し一切のタイムラグのない応答を返し、少女たちが弾けるような動きでそれぞれの機器を操作する。瞬間、鞭打たれた海中の獣がゴゥンと力強い咆哮をあげて目を覚ます。もはや枷でしかなくなった壊れた装備を次々にかなぐり捨て、身軽になった戦場の王虎が前進を開始する。水面を掻き分けてゆっくりと姿を露わにしていくそれは、凶悪な破壊力を秘めた人造の巨獣だ。全てを砕き流す濁流を真正面から跳ね返し、轟雷豪雨に負けじと唸り声を轟かせて前進する。

 

「さあ、作戦開始(・・・・)よ。戦車前進(パンツァー・フォー)

 

 

 

 恐るべき狂犬が背後から迫っていることに、彼女たち(・・・・)は気づかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――ごろごろごろ……

 

 

 天上の湖に穴が空いたかのようだった。ドウドウと滝のように降り落ちる雨が泥濘んだ地面にぶつかり、湯煙のような濃密な靄が森林深く立ち籠めている。時折、世界そのものに亀裂が走ったような稲光が暗雲に走ったかと思うと、続け様に大地を叩きつける轟音が鳴り響いて四囲の木々を青白く浮き立たせる。

 そんな激しいスコールの直下にあっても、この動く鋼鉄の茶室(・・・・・・・)には―――聖グロリアーナ女学院フラッグ車、チャーチル歩兵戦車 Mk.VIIの内部には常に一定の静けさと芳醇な紅茶の香りが漂っていた。砲塔を打ち付けるやかましい雨音も、足元で無限軌道履帯(キャタピラ)が石を踏み砕く音も、見当はずれな敵の砲撃が頭上を飛び越えていく音も、特別な防音加工が施されたカーボンコーティングのおかげでまったく不快ではない。グロリアーナの戦車には必須の湯沸し器(BV)が立てるコポコポと小さな音すら聞こえるほどだ。

 

「……どうせ黒森峰を倒すのなら、西住まほさんと戦いたかったですわね」

 

 カチャ、と耳心地の良い音を立て、ソーサーにカップを置いた美貌の乙女が至極残念そうな溜息を落とした。砂金色の髪を後ろで丁寧にまとめた少女は、この素晴らしいチャーチル歩兵戦車の車長でもあり、グロリアーナの隊長でもあるダージリンである。半分ほどになった彼女のカップに沸かしたばかりの紅茶を注ぎ足しながら、彼女の腹心でもあるオレンジペコが「仕方ありません」と苦笑を伴って応える。

 

「西住まほ前隊長(・・・)はこれまでも国際強化選手として文科省から長らくお呼びがかかっていましたから、むしろ前回の準決勝(プラウダ)戦まで隊長の立場に留まっていられたことの方が僥倖なのでしょう。来年の国際大会に向けて政府は国をあげて取り組んでいるようですし、お役人様からしてみれば、大事な人材に怪我でもされたらたまらないというお考えなのかもしれません」

「それは(わたくし)もわかっていますわ。だからこそ、まほさんに対して疑問や不満が残るのです。どうして、このタイミングで隊長を譲って(・・・・・・)しまった(・・・・)のか……。これではまるで、優勝旗を放り渡されたようなものだわ」

 

 ダージリンは眉根をほんの少しだけ寄せて、シミひとつ無い眉間に有るか無しかというほどの皺を作った。それをチラと横目に入れたオレンジペコは、彼女の慕う冷静沈着な隊長が何時にない苛立ちを覚えていることを察して角砂糖を一つ多めに彼女の紅茶に入れる。そして、自身の紅茶にも同じように一つ余計に角砂糖を落とした。

 

(ダージリン様のお怒りも無理ないわ。こんな、湿気てしまったクッキーみたいな戦いなんて)

 

 胸中に不満を吐露し、眼前に備え付けられた視察窓(バイザー)を何気なく覗きこむ。戦闘車両特有の光量を落とした灯火管制灯(ヘッドランプ)が暗闇を弱々しく押し広げ、かろうじて正面数フィート程度の光景を淡く照らしている。しかし、オレンジペコの膝上に広げられたラップトップ・コンピュータには、グロリアーナの諜報力によって作成された現フィールドの綿密な俯瞰図(マップ)が投影され、進むべき進路を精確に表示していた。現在、彼女たちが進んでいるのは巨木が連なる森林に挟まれた幅100フィート(30メートル)ほどの鬱蒼とした藪道だ。その終着点まで視線を這わせれば、敵車両の予想位置を示すマーカーが―――今や見る影もなくなったかつての強豪校の群れが恐怖に身を寄せ合っていた。

 

「袋のネズミ、ですわね」

 

 ダージリンの別命(・・)に従って特殊な照準器(スコープ)に視線を注ぐ砲手のアッサムがさもつまらなさそうにボソリと呟く。それは今の黒森峰の例えとして適確に過ぎた。

 遠い昔に落ちた隕石の痕跡だろう。マップには、森のなかに突如ポツンと開けた窪地(クレーター)が映し出されている。追い立てられた黒森峰女学園は、18両の残存戦車をまるで身を縮こませるようにしてそこに無理やり押し込ませていた。彼女たちの背後となる北側には自然の脅威を感じさせる巨大な岩山がそびえ立ち、それ以上の後退を阻んでいる。そこに向かって、クルセイダー巡航戦車5両を率いるダージリンたちの本隊が南側からじわじわと進軍している。それだけではない。本隊とは別に、東西両側からもそれぞれグロリアーナの一隊が木々を薙ぎ倒して迫る手筈となっている。北は壁に阻まれ、南からは敵本隊、東西からも挟み撃ち。まさにネズミ一匹逃げる隙間もない。逃げ場を奪った状態で、各6両編成の3隊が三方から襲いかかる完璧な包囲網だった。

 さらに情け容赦のないことに、その地形特性として窪地は周囲より一段低くなっている。古来より、戦いではより高所を確保した方が有利とされる。低地からは角度のせいで狙いはつけにくく、高地からは逆に狙いやすいからだ。その証拠に、前方の暗闇から放たれてきた砲弾はまたもや的はずれな弾道を描き、遥か手前の樹木の根本を抉るに留まった。前面最大装甲圧6インチ(152.4ミリ)を誇る重防御のチャーチルなら例え正面から直撃しても大したダメージにはならないだろうが、ヘッドランプをつけて真正面から迫る相手に掠らせることも出来ないとは素人同然だ。先ほどから絶えず砲撃音は聞こえるものの、直撃弾は数えるほどもない。「いったいどこを狙って撃っているのかしら」とアッサムが嫌悪感すら滲ませて呟く。黒森峰の砲手たちが冷静さを欠いているのは明らかだった。

 この鬱陶しい森を抜ければ、グロリアーナは高所から黒森峰を見下ろし、一斉砲火で嬲り尽くすことになるだろう。まともな反撃すら来ない状況で、あっと言う間に、一方的に、黒森峰を駆逐してしまうだろう。ダージリンたちは優勝を目前にして、宿敵との決着のあまりの呆気なさに、その後に噛み締めるだろう後味の悪さに、今から辟易しているのだ。

 今の黒森峰に勝ち目などないことは1年生であるオレンジペコにも胸に痛みを覚えるくらい理解できた。世界に名を馳せた強豪校がよりによって決勝戦でこんな無様を晒すなんて。これからの人生でこんな戦い方をする側にだけはなりたくないと、目を背けたくすらなった。

 

 

―――ごろごろごろ……

 

 

 相変わらず豪雨は止むどころかどんどん激しさを増している。踏破性能の塊である戦車にとって、水たまりや泥濘み程度は何の障害にもならない。問題となるのは頭上で生じる凶悪な放電現象だ。

 

「東西の別働隊との無線はまだ繋がらないのかしら?」

 

 雷は、発生すると強力な電磁波を非常に幅広い周波数帯で広範囲にわたって放射するため、無線通信の大敵として知られている。東西から伝わる遠雷の中に時々砲撃音が交じるのは微かに聞こえるが、肝心の通信が出来ない以上、別働隊の動きがまったく把握できていないのが現状だった。

 

「は、はい。あらゆる周波数を試していますけど、返ってくるのは雑音ばかりですわ。ほんの15分前までは西側の部隊とギリギリ繋がっていたんですけど……。たった数キロしか離れていないのに、この距離で通信すら出来ないというのは初めてです。よほどひどい電磁波が発生しているのかもしれません。この様子では、天候が回復するまで通信は不可能だと思いますわ」

「そう……。通信でタイミングを合わせられないのでは、三方同時攻撃は無理ね。まあ、いいわ。こんなこともあろうかと侵攻速度はあらかじめ揃えておいたのだし、コンピューターマップは全車両に配備されてる。それに、無線が使えない条件は相手も一緒。むしろ、精確な地図で連携をとることのできる私たちの方が有利だわ。私たちの勝利は決して揺るがない。だから、そんなに心配なさらないでいいのよ」

 

 通信手の気まずそうな報告にもダージリンは揺るがない。不安げな通信手をその微笑みでやんわりと窘めながら「せめて最期は一瞬で終わらせてあげたかったわね」と頬に手を当てる。その表情に、先ほどまでの苛立ちなど微塵も見つけられない。

 敵が失敗を犯せば、そこに全力でつけ込むのがグロリアーナの流儀だ。それは決して卑怯なことではない。手心を加えることこそ悪質極まる侮辱だ。敵に対して真に敬意を払うのなら、全身全霊を持って堂々と完膚なきまで叩き潰すことこそが騎士道。そう信じて疑わないのが、押しも押されぬ強豪校である聖グロリアーナ女学院の隊長、ダージリンなのだ。

 実際、気象によって無線が限定されるという想定外の事態下に遭遇しても、非の打ち所のない指示を配し、状況に応じて部隊を3つに再編し、あらかじめ目星をつけておいた窪地に敵を追い詰めて3方から完全包囲する陣形を整えてみせた手腕は、到底常人に真似できるものではない。少なくとも今のオレンジペコには絶対に出来ない。それほどの神業を成し遂げたにも関わらず、興奮の一端も滲ませることのない人形の如き横顔を見上げ、オレンジペコはあらためて彼女が自分たちの敵でなかったことを運命の神に感謝した。

 

「そういえば、川に落ちた(・・・・・)という黒森峰の一両(・・・・・・・・・)は、無事なのかしら」

 

 こうして事故を起こした敵のことを心配する慈愛すら見せつけるのだから、つくづくこの人は恐ろしい。将来、果たして自分はこの偉大な人の後を継げるような逸材となれるのだろうか。今の黒森峰の隊長のように、グロリアーナの歴史に泥を塗ってしまわないだろうか。オレンジペコは内心に焦燥の冷や汗を浮かばせ、それを意地で押し隠して応える。

 

「わかりません。かなり高いところから落ちたらしいです。目の前で目撃したM3スチュアートの娘たちによると、“見たこともないゴテゴテした戦車が川にまっすぐ落ちていって、黒森峰はそれに見向きもせずに去っていった”とか。スチュアートはその直後に撃破されてしまったので、戦車の車種も、その後どうなったのかも不明です。大会運営側の回収車に助けられていると思うのですけど……」

 

 茶道華道に並ぶ女子の嗜みの一つとはいえ、元は兵器だったものを使う戦車道には負傷はおろか命を落とす危険も当然存在する。操縦区画用強化炭素繊維防護内壁(コックピット・カーボンコーティング)の技術が向上した現在は危険性もかなり少なくなったが、浸水に対してはさすがの特殊コーティングも無力だ。特別な装備(・・・・・)でもしない限り、戦車は水中を進むようには作られていない。敵同士とはいえ、同じ戦車乗りとして心配に思うのは当然だった。

 

「そう……。その戦車の娘たちが無事であることを祈りましょう。でも、いくら劣勢とはいえ川に落ちた仲間を助けにも行かないだなんて、悲しい話だわ。私なら助けに行くわ。絶対に」

 

 それは彼女の本心だ。陶器のような白頬に人間らしい赤みが差したのを見て、オレンジペコとアッサムは一瞬目を合わせて穏やかな微笑みを交わした。こうだからこそ(・・・・・・・)、ダージリンはグロリアーナの全員から慕われている。厳しくて優しい。この人のようになりたいと、心から思える。

 

「そうそう、こんな格言を知っているかしら」

 

 この豆知識を披露したがる奇妙な癖さえなければ。

 

「“人間のなすことにはすべて潮時がある”」

「……ウィリアム・シェークスピアの言葉ですね。人間の人生にも満ち潮と引き潮があるとか」

 

 ダージリンに付き従ううちに、オレンジペコだけはなんとかダージリンの唐突な問いかけにも相槌を返せる程度には物知りになった。オレンジペコだけは。たしかに偉人たちが残した真理の言葉から学べることは多いが、話が長くなる上に、戦いの途中でのんびり「へえそうなんですか」と感嘆の声をあげて反応するほどの余裕は常人にはない。「お相手は貴女に任せるわ」というようにアッサムはさっさと照準器に目を押し当てて本来の特別任務に戻る。見渡せば、操縦士も通信手も同じように背中で「任せた」とオレンジペコに伝えていた。それらにしかめっ面を向けるオレンジペコのことなど露知らず、腹心の返答に満足気に頷いたダージリンは「そうよ」と続ける。

 

「“西住流に逃げると言う道は無い”、だったかしら。まさに言うは易し行うは難し。まほさんは隊長として体現できたけど、妹さんには難しかったようね。でも、それも当然のような気がするわ。あの娘、まほさんとは全然違っていましたもの」

 

 オレンジペコは、試合前の挨拶でダージリンと向かい合っていた気弱そうな少女の顔を思い起こす。冷静沈着を体で表していた前任者の姉と違い、優しくておっとりしてそうで、とても黒森峰の隊長には見えなかった。緊張で随所の動作がギクシャクと覚束ない様子は、決勝戦で突然隊長に任命された1年生の身としては無理もないとは言えあまりに部下を率いる指揮官らしさが欠如していて、オレンジペコの方が頭を抱えたくなるほどだった。

 

「あの娘は上手に満ち潮に乗れなかったのね。でもね、こんな格言を知っているかしら?“コップを唇に持っていく間隔までには多くの失敗がある”」

「英国のことわざですね」

「そうよ。誰でも最初は失敗するものだわ。大目に見てあげるべきよ。それに、家と姉の余光を受けて隊長になれたとはいえ、私たちの猛追を受けながら未だに18両を残しているだけでも十分に優れたもの。試合の後に賞賛すべきね。私の作戦では、追い立てていく過程で半数程度に討ち減らすか―――」

 

 唐突に、その声がスッと温度を落とす。

 

あの一両(・・・・)だけでも仕留めてから、包囲するつもりだったのだけれど」

 

 “あの一両(・・・・)”。

 そう告げたダージリンの言葉は、たしかに警戒心を越えた感情を帯びて張り詰めているように聞こえた。敵の半数を撃破するにも等しい脅威を有する一両。それがどの戦車を―――否、何者(・・)を差した言葉なのか、オレンジペコは脳で理解する前に本能で理解した。車内の空気が一瞬で冷えきったような錯覚が顔面の皮膚を突っ張らせ、全身の筋肉がギクリと強張る。

 

 

 準々決勝で敗れたサンダース大学付属高校曰く―――

 

「あれは首無し騎士(ヘッドレス・ホースマン)よ。スリーピー・ホロウ村の伝説のように、森の暗闇に潜むあの亡霊は油断した獲物が前を通り過ぎようとした瞬間に血まみれの剣で襲いかかって、その首を狩り盗ってまた闇中に去っていくのよ」

 

 

 準決勝で敗れたプラウダ高校曰く―――

 

「あれはエルミールの悪魔山羊(プロクリャーチ・カズリオーナク)よ。少年エルミールが呪われた水死人の墓で見つけてしまった白ヤギのように、目と歯を剥き出しにして不気味に哄笑しながら獲物をどこまでもどこまでも追いかけてくるのよ」

 

 

 そして、それらの戦いを観戦していたダージリン曰く、

 

 

「―――アッサム、バスカヴィル(・・・・・・)はちゃんといるかしら?」

「心配ありませんわ、ダージリン様。私の目も暗視装置も良好。先ほど、飼い主に連れられて逃げていく後ろ姿をちゃんと捉えましたわ。魔犬(ヘルハウンド)飼い主(・・・)の傍を離れていません」

 

 よかった。オレンジペコはホッと安堵の息をつく。アッサムの後ろ姿がこれほど頼りがいがあるように見えたことはない。グロリアーナでもっとも視力に富んだ砲手のアッサムに与えられた別命。これこそ、特別な暗視装置を備えたスコープである特定の(・・・・・)たった一両の戦車(・・・・・・・・)を捕捉し続けるという、通常では考えられないものだった。

 

「“地獄の犬が我々の後を追ってくる。()こう、ワトソン。悪魔が荒野に出てきたのか、見届けてやろうではないか”」

「……シャーロック・ホームズの『バスカヴィル家の魔犬(バスカヴィル・ヘルハウンド)』ですね」

 

 有名な英国小説の不気味な一文を引用してみせ、「あの娘にはピッタリでしょう」とカップに口をつける。一見すると余裕そのものの笑みだ。しかし、いつも傍にいるオレンジペコは、彼女の尊敬する隊長が胸中で胸を撫で下ろす気配を察することが出来た。

 それも当然だろうと、オレンジペコはまだ自分が入学する前に起きた出来事に―――ダージリンが銀髪の狂犬に執着することになったキッカケに思いを馳せ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

―――ごろろろろ……

 

 

 恐るべき狂犬が背後から迫っていることに、彼女たちは気づかない。




あ、あの、ごめんね? いつもウットリしてるから、どんな音楽聴いてるのかなぁって、ちょっと気になっただけなの。ご、ごめんなさい、もう勝手に聴こうとしたりしないから、怒らないで。何も聴いてないから。ほんとだから。あ、は、ハンバーグ! ハンバーグが美味しいお店を見つけたの。今度一緒に食べに行こう? ね? だから……あ、許してくれるんだ。ありがとう……。………ねえ、女の子にコショコショって囁かれる音楽が好きなの……? きゃあ、ごめんなさい、怒らないで!泣かないで!

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