六月某日。陽射しは柔らかく、暖かい風が僅かに少年の黒い髪を揺らした。
鹿島夏希は、肩に掛けていた黒いボストンバックを地面に下ろすと、ぼんやりとした様子で目の前の建物を見上げた。
IS学園。実に単刀直入かつ何の捻りもない名前のこの建物は、その名の通り、ISと呼ばれる兵器を扱う人材を育成するために設立された学術機関である。ISとは、簡単に言えば女性のみが扱うことの出来る特殊なパワードスーツのようなものであり、戦闘機や戦車など、旧来の兵器とは隔絶した戦闘能力を個人単位で発揮することの出来るトンデモメカだ。その関係者を育てるための学校であるのだから、中身は推して知るべし。校舎から聞こえる華やかな少女達の声に、夏希は何とも言えぬ居たたまれぬ思いに駆られた。
場違いだ。圧倒的に、どこからどう見ても、言い訳のしようも無く、完膚無いほど場違いだ。夏希は、胸に去来する鬱屈とした感情を溜息と共に吐き出すと、右手に巻いた腕時計に視線を向けた。約束の時間まで残り十分ほど。目的地までの道のりを考えると、あまりゆっくりしてはいられない。が、どうにも夏希の両足は、まるでそこだけ重力が増したように動こうとしない。こうしている間にも秒針は少しずつ進んで行き、同時にタイムリミットが刻一刻と近付いて来ると言うのに。
(ええい、覚悟を決めないか鹿島夏希! こうなることは既にわかっていただろうが!)
パンッと両の頬を叩いて気合いを入れ直し、バックを振り回すようにして肩に掛け、重い足を意志の力でねじ伏せて歩き始めると、学園の正面玄関、ではなく、校舎の外周を回り校庭に向かって行く。その際に、微妙に身を縮ませて、なるべく他人に見つからないようにしているのはご愛敬。幸運な事に、現在の時間はSHRの終わった短い休み時間。その上、彼の知らない事ではあったが、ちょっとした事件、と言うか生徒達対学園注目度ナンバーワン男子生徒及び転校生の追走劇が繰り広げられている最中である。そのため周囲に人気は無く、まるで未踏査のダンジョンを進むが如き慎重さで道を行く夏希の努力は、完全無欠に無駄なものであった。だかしかし、そんなことなど露ほども知らない夏希は、道中誰とも遭遇しないことを信じもしない神に祈りながら、現在の自分が置かれた状況に心中で不平を垂れる。
(大体、なんでいきなり授業の中に乱入しなきゃならないんだ。普通は受付とかで手続きを済ませた後、一日置いてからクラスに参加するんじゃないのか)
前々日に伝えられた、あまりに忙し無さすぎるスケジュール。所属する組織の都合から朝のHRに参加することが出来なかった夏希は、学園到着後、そのまま授業に参加するようにとの指示を受けていた。とりあえず、学園側にも色々と理由はあるのだろうと渋々ながら納得した案件ではあったものの、その指示の理由が、実は転校生を一日で纏めて紹介して面倒事を減らそうと言う目論見から来ていると知った時、彼は一体どんな反応を示すのだろうか。
ともあれ、始業のチャイムを二分後に迎えた辺りで、夏希の視界の中にようやくこれから参加することになるクラスの一団が映った。彼女達から少し離れた位置で静かに佇むのは、市販のジャージに身を包んだ麗人の姿。その前に整列する体育着姿の少女達の存在に少し足が引けてしまうが、ここまで来れば今更だと小さく息を吸い込み、先頭に立つ女性教師の元へ近付いて行った。
「……え?」
夏希の存在に気付いた少女の一人が、呆けたような声を出す。その視線を辿るようにジャージ姿の麗人が夏希の方へ顔を向け、同時に四十を超える視線が一気に浴びせかけられた。
(恐っ!?)
そのまま熱線でも放たれそうな視線に足を止めかけた夏希であったが、鋼の意志を以てその圧力を振り払い、足早に、なるべく少女達を視界に入れないように努めながら、自身を待つ女性教諭の元へと歩を進めた。
「来たか、鹿島。間に合ったようだな」
「お久しぶりです、織斑先生。ギリギリになってしまい、申し訳ありません」
努めて普段通りに振舞おうとする夏希の内心を知ってか知らずか、織斑千冬は口元に笑みを浮かべながら比較的――教師としての千冬に慣れ親しんだ者たちからすれば驚くほど柔らかい声で、夏希の労をねぎらった。
「間に合っているのだから問題ない。授業が始まるまで、ここで待機していろ。……ああ、荷物が邪魔になるな。どこか、授業の邪魔にならない場所に置いてこい」
千冬の指示に了解の意を示し、夏希は校庭の隅に向かう。適当な場所を見繕い、鞄を置いて元の位置へと戻ったところで丁度授業開始のチャイムが鳴り、僅かに遅れて更衣室の方からISスーツに身を包んだ二人の少年が駆け足で向かって来た。このまま急げば、担任による手痛いペナルティはギリギリ回避出来たかもしれない。が、迂闊なことに、二人は千冬の隣に立つ見慣れない人影に、つい足を止めてしまった。審判は平等にして無慈悲である。我に返り、審判者の元へ馳せ参じた彼らの頭上に、伝家の宝刀“出席簿”が振り下ろされたのは、当然の事であった。
「さて」
二人の罪人を処断し、千冬は何やら緊迫した様子で夏希を凝視し続けている生徒達に向き直った。
「まずは、全員整列して腰を下ろせ。――よし。こいつの事が気になっているようなので、授業の前にこの場で自己紹介をしてもらう。鹿島」
「……はい」
何の罰ゲームだ。そう思ったかは定かではないが、僅かに裏返ってしまった声を意識から閉め出し、夏希は一歩前に出ると、向けられる視線を返しながら、ゆっくりと口を開いた。顔に浮かぶ笑みは引き攣ったものであったが、それでも表情を繕うことが出来たのだから、夏希にしてはよくやった方だろう。
「えーと、国立先進技術研究所、第八研究室実務主任、鹿島夏希です。本日よりこのクラスで皆さんと共に過ごすことになりました。ええと……」
夏希は一度言葉を区切ると、中空に視線を泳がせた後、列の最後尾のさらに奥に目を向けて再び話し始めた。
「見ての通り、性別は男です。皆さんには色々と迷惑をかける事になるかと思いますが、これから一年、よろしくお願いします」
腰を曲げ、一礼。そして、何の反応も無いことを訝しげに思いながら顔を上げた直後、音響兵器の如き驚異的な高周波が、雲一つ無い空へと高らかに響き渡った。
鋼の天蓋
第壱話 頭の痛い現実
(視線が……視線が痛い……!)
じりじりと背中を焼くメンチビーム。最早物理的な熱量すら有しているのではないかと錯覚させるほどの視線の束に、夏希は心底居心地が悪そうな表情で身震いした。視線の先には空中で激突する三機のIS。スペックの劣る大量生産品であるはずのラファール・リヴァイヴが、完全なワンオフ機二機を相手取りなお圧倒すると言う、早々見ることの出来ない貴重な光景である。にも拘らず、彼がいまいちそちらに集中し切れていないのは、前述の視線と、時折聞こえてくる囁き声に意識を散らされているからであった。
「うわ、身長高い! それにイケメン!」
「銀縁眼鏡のクール系ね! 執事姿が似合いそう!」
「お、お嬢様って言われたい……!」
(ああ、気が散る……!)
中身の半分ほどしか聞き取れないが、その内容が自身の事であるのに気付けないほど、彼は鈍感ではない。何せ、時折「鹿島君」と言う言葉が漏れ聞こえてくるのだから。
だがしかし、その事に対して苦言を呈する事が出来るほど、夏希は度胸が据わってはいなかった。情けないなどと言うこと無かれ。この年代の女子の集団に立ち向かうと言うことは、大移動するヌーの群の前に身を躍らせることと同義なのである。つまり自殺行為。
「なあなあ」
そんな中、一切合切空気を読むこと無く、頭を抱える夏希に話しかける強者が一人。世界で初めての男のIS操縦者、織斑一夏その人であった。
救われた、と思ったかは知らないが、夏希は一つ咳払いをすると、声の主へと向き直った。一夏の隣には、夏希よりも一瞬だけ早くこの学園に編入してきたもう一人の男性IS操縦者の姿。視線が合うと、金髪の貴公子は身に纏う空気に似つかわしい微笑みを夏希に向けた。釣られて笑みを浮かべた夏希に、外野が沸き立つ。
「ええっと、鹿島、でいいんだっけ?」
「夏希で構わない。どうにも、名字で呼ばれるのに慣れていなくて」
「そうか。俺は織斑一夏。一夏でいいぜ」
「僕はシャルル・デュノア。僕のこともシャルルって呼んで。よろしくね、夏希」
三人で握手を交わし合った後、何とは無しに揃って空を見上げた。甲龍が、ラファール・リヴァイヴから放たれたアサルトライフルの弾丸を回避せんと動き、ブルーティアーズのコントロールするビットと衝突する。そうして出来た一瞬の意識の空隙を捉えたラファール・リヴァイヴは、瞬時加速により甲龍の懐に滑り込み、持ち換えたショットガンを至近距離で叩き込んだ。
「……凄いな」
専用機に乗る代表候補生二人を、まるで手玉にでも取るかのように翻弄する副担任の勇姿を目の当たりにした一夏は、誰に聞かせるとも無く、ぽつりと呟いた。
「そうだな。あの先生……山田先生って言ったっけ。専用機二人の行動を完璧にコントロール出来ている」
「どういうこと?」
真剣な面持ちで空を舞う三機の挙動を目で追う夏希の言葉に、シャルルは小さく首を傾げて問いかける。同様に、興味深げな表情で顔を向けてくる一夏の二人に、夏希はどう説明したらいいかと指先をくるくると遊ばせながら、意識して言葉を選びつつ言葉を紡いだ。
「人間の動きってのいうのは、ランダムなように見えてその実かなり規則性を持っているものなんだ。例えば、飛んで来たボールを回避するのか受け止めるのか。回避するならどう動くか、受け止めるならどっちの手を使うか。人間の行動は、本人の個性によってある程度予期する事が出来る。特にそれが反射的な動作であった場合は顕著で、山田先生はその癖をあの短時間で分析しながら、回避のタイミングと方向をコントロールしている。同じように、攻撃の癖も読み取っているな。例えば」
背後に陣取ったビットの一撃を、ラファール・リヴァイヴは慌てること無く回避する。結果、撃ち出された光条は虚空を穿ち、今まさに矛を振り下ろさんとしていた甲龍の胴体を綺麗に撃ち抜いた。
「あの青いISは、相手の背後にビットを回そうとする癖がある。対してあの重そうな方は、中距離から前傾姿勢で突撃をかけるパターンが多く見られる。肩の固有武器についてはよくわからないけど、乱射しながら無理やり距離を詰めるためのものじゃないみたいだな。それと、少し視野が狭い。これらの傾向を読み取り、ビットとISの同一線上に自身を配置してフレンドリーファイアを誘発させ、そうして生まれた一瞬の隙に、手堅くシールドを削る。こんなの、早々出来ることじゃない」
口にするのは容易いが、実行するのは至難の業。複数の火線の中心に身を晒すと言うことは、それだけ意識を振り分ける対象が増えると言うことだ。いくらハイパーセンサーによって全周囲が視界になると言っても、意識の死角が無くなるわけではない。見落とせば、見失えば、その瞬間自身のISは蜂の巣になる。それほどのリスクを背負いながら、一度の攻撃で削れるシールドエネルギーはそれほど大きなものではない。これを何度となく繰り返すのにどれだけの忍耐力と集中力を要するのか、それを語る夏希にも想像することすら出来なかった。
「……あの動きだけでそこまで分かるんだ」
つらつらと語られた説明に目を見開く二人に、夏希は苦笑しながら肩を竦める。
「まあ、仕事柄ISの動きを見ることは多かったからね。その経験かな」
「そう言えば、夏希の仕事って――」
ふと漏らした一夏の問いかけに重なるように、一際大きな爆発音がグラウンドに響き渡る。黒い煙の中から緩やかに落下してきたのは、青と紫の二機のIS。勝者は一人、目立つ被弾も無く、大空を背景に佇むラファール・リヴァイヴだけだった。千冬はその光景を当然の事のように受け止めると、そのまま地上で言い争いを始めた代表候補生二人を黙らせ、模擬戦、と言うか男三人を見学していた一団に向き直り口を開いた。
「さて、これで諸君にもIS学園教員の実力は理解できただろう。以後、敬意を持って接するように。……それと、明日までに模擬戦の内容を八百字程度のレポートに纏めて来るように。しっかりと見ていたのなら、造作も無いはずだ」
各所から悲鳴が上がった。
「諸君の賛成も得たところで、実践訓練を開始する。専用機持ちの六人をグループリーダーとして、一グループ八人で実習を行う。質問はあるか?」
「あの、ち……織斑先生」
つい名前を呼びそうになり恐ろしい眼力を受けた一夏は、即座に呼び方を修正すると、おずおずと手を挙げ千冬に問いかけた。
「何だ、織斑」
「ええと、専用機持ちって、俺とセシリアと鈴と……?」
「デュノア、ボーデヴィッヒ、鹿島だ」
視線が夏希に集中する。夏希は居心地悪そうに身を縮めると、千冬に何とも言えない微妙な視線を向けた。が、千冬はその視線を受け流して、パンッと手を叩き生徒達に指示を出した。
「では、分かれろ」
その言葉を聞くや否や、案の定、と言うべきか。二クラス分の女子が先を争うように三人の元へとなだれ込んだ。そのあまりの剣幕に、小さく悲鳴を漏らしたのは同年代女子に対して微妙に耐性がない夏希。一夏は表情を引き吊らせ、シャルルは苦笑いである。
「織斑君、一緒に頑張ろうね!」
「私も、私もお願いします!」
「鹿島君! 手取り足取り、時に優しく、時に厳しく教えて!」
「鹿島君、にっこりと微笑んでお嬢様って言ってみて!」
「デュノア君、お願いします! 第一印象から決めてました!」
「こいつらは……!」
千冬は額に手を当て、頭痛を堪えるように呻いた。自らの浅慮を悔いているのか、それとも自身の欲望に素直過ぎる少女達の行動に苛立っているのか。眦をつり上げ、眉間に皺を寄せながら、千冬が大きく息を吸う。
「ええい、黙れ馬鹿者ども! 出席番号順にさっさとグループに分かれろ! 三分以内だ! もたつくようなら今日は一日中ISを背負ってグランドを走らせるからな!」
一喝。散々動き回っていた生徒達は、一瞬で指定された通りに整列した。そのあまりの手際の良さに、夏希は呆けたような表情を浮かべて硬直してしまう。
「えっと、よろしくね、鹿島君!」
「ああ、ご先祖様、感謝します……! この名字のお陰で織斑君と……!」
「で、デュノア君、その、優しくしてね……?」
「……はぁ」
「鳳さん、よろしくね。後で織斑君のお話を……」
「…………………………」
それぞれ、夏希、一夏、シャルル、セシリア、鈴音、ラウラの班である。夏希は、隣に整列し重苦しい雰囲気をまき散らしているラウラの班を不憫に思いながら、同時に班員にあからさまに溜息を吐かれ、表情が引き吊っているセシリアに同情しながら、自身を見つめる八対の瞳をどうするか頭を悩ませていた。
「ええと、みなさんいいですかー。まずは飛行訓練をしますので、これから訓練機を一班一機取りに来てください。打鉄とリヴァイヴが三機ずつありまーす。早い者勝ちですよー」
「……だそうだけど、みんなどうする?」
夏希は思考を止め、班員達に向き直る。すると、鮮やかな金髪を短く切り揃えた少女が勢い良く手を挙げた。
「はい、二組のアンナ・ウェストウッドです! 鹿島君のお勧めはどっちですか?」
「打鉄は分厚い装甲と高い整備性から、多少雑に扱ってもビクともしない信頼性がある。対して、リヴァイヴは挙動が軽く戦況を選ばないオールラウンダー。格闘を主軸に戦法を組み立てるなら打鉄、そうでなければリヴァイヴだ。まあ、今回は飛ぶだけだし、どちらも操作性に癖は無いから、好きな方を選べばいいと思う」
『おおー』
淀み無く答える夏希に、女子達は感心したように声を上げる。それが何となく恥ずかしく、夏希は手を叩きながら彼女達に決定を促した。
「はいはい、それでどっちがいい?」
「打鉄で!」
「私はリヴァイヴ!」
「私も!」
「敢えて打鉄!」
「リヴァイヴ!」
「打鉄がいいかな」
「私も打鉄で」
「私は鹿島君!」
『それだ!』
「……四対三で打鉄だな。あと最後の奴、織斑先生に報告して来る」
「ごめんなさい」
その場で土下座を始めた白髪のロシア人に、じゃあ言うなよと胡乱気な視線を向けて、夏希は打鉄の乗せられた台車を取りに行った。一瞬、偶数で多数決して決まらなかったらどうする気だったんだろうと自己を省みた夏希であったが、結果が出た以上どうでもいいことだとすぐに意識を切り替えた。
「――さて、これから飛行訓練を行う訳だけど、とりあえず実演してみせるから、よーく見ててくれ」
夏希はそう言って、座った状態のISに身を預けるように乗り込んだ。セットアップ。展開していた装甲が閉じ、夏希はあらゆる神経が鋭敏化するような感覚を覚えた。
手始めにシステムを巡航モードにしたまま上昇、高度十メートルに達したところで一度滞空し、あまり速度を出さず基本的な挙動を実演する。ピッチ、ループ、ヨー、ロールからスプリットSへと繋ぎ、速度を落として班員の前に着陸する。その流れるような曲芸飛行に、大きな歓声が上がった。
「ええと、まあ、一見するとすごい動きに見えるかもしれないけど、ISだと結構簡単に出来るから皆も頑張ってくれ。これから五分間自由に飛んでもらうけど、可能ならループまで試してくれるといい実習になると思う」
少女達から向けられる賛美に照れつつ、夏希は説明を続ける。彼が口にした基準は、実習用のISを受け取りに行った時に真耶から授業進度を聞いて設定したものだ。教師陣からは五分間の飛行を、としか言われていないが、何の目標も無いよりは目安があった方がいいだろうと言う判断であるが、果たしてその目論見は当ったようで、彼に視線を向ける少女たちのやる気が大きく増加していた。その内心は、夏希にいい所を見せたいと言う不純なものであったが。
「あと、飛行時は俺も一緒に空に上がるから、墜落の心配はしなくていい。わからないことがあればその都度聞いてくれ。なるべく頑張って答えるから。今のところ質問は?」
『ありませーん』
「よし、それじゃあ始めようか。まずは、えーと」
「はい、1ーB、谷川優花です! 囁くように優しく『優花』って呼んでください!」
「……谷川さんね。この並び順でやるから、準備しておくように」
谷川優花と名乗った女子生徒の要求を聞き流し、夏希は首元に下げられたドッグタグを握り込んだ。瞬間、夏希の体を目映い光が包み込み、その体に碧の鋭角的な装甲を纏わせる。頭部を覆う装甲は猛禽類のように鋭く、バイザー型のメインカメラと左右二対のサブカメラ、後方に伸びるブレード状のレーダーユニットが左右 側面に装着されている。肩から下は全て装甲に覆い隠され、肌の露出はほとんど見られない。さらに目を引くのは、腰から太股にかけて体の側面に装備された、大型のブースターだ。前に向かって口を開く、防弾処理を施されたエアインテークと、そこから後方に向けて、左右二対の垂直双発式推進機を納めたブースターボックスが伸びている。脚部パーツには爪先と呼べるものが存在せず、先端に向かって尖って行く足の先端に板状のランディングギアが収納されていて、空気抵抗を可能な限り少なくする工夫がなされている。フレームのほぼ全体が何らかのパーツに覆われており、通常のISと見比べると、かなり装甲が多いように見受けられるが、全体のバランスは非常にシャープに纏まっていて、スマートなシルエットを形成していた。
夏希は視線を落として、展開されたISを軽くチェックする。やはり専用のスーツでないため少々挙動が重いが、別に戦闘するわけでもないので、そこは気にしないことにした。そこでふと視線を感じ、顔を上げる。と、グラウンド中の生徒の視線が。彼に集中していた。
止まる作業。
後ずさる夏希。
殺到する質問。
数十秒後、そこに鬼教官の怒声が叩き込まれたのは、最早言うまでもない事だった。
その後、初の実践訓練はつつがなく進行し、終了した。途中織斑班で、生徒が立ったままISから降りてしまうアクシデントがあったが、一夏が女子を抱えてISに乗せる事で事無きを得た。なお、夏希が睨みを利かせた影響か、鹿島班では同様のトラブルは起きなかった。が、空中で姿勢を崩した女子を支えようとした結果正面から抱きかかえるような体勢になってしまい、かえって場を沸き立たせてしまったのはどうでもいいことである。