「成る程、な」
天井に備え付けられた電灯から柔らかな光が降り注ぐ夜の寮室で、夏希はパソコンに向き合いながら小さく呟いた。モニターに表示されているのは、織斑千冬の経歴とドイツ軍IS部隊及びラウラ・ボーデヴィッヒの情報。どれも国が運営するHPに掲載されているものであり、非合法な手段で手に入れた秘匿情報と言うわけではないが、昼間にラウラが口にした言葉と併せて考えれば、二人の確執の原因を予想するには十分な情報だ。そしてそれは恐らく、過去に関する一方的な感情であるだけにややこしい問題であると、夏希は判断した。不可逆な事象に関する悪感情は、それを抱いている側の意識を変えない限り取り除くことは出来ない。だが、昼間のラウラの態度から考えると話し合いだけで彼女の思いを変化させることは不可能だろう。いや、巧みな話術を身に着けている人間であればもしかしたら可能かもしれないが、残念ながら夏希にそのような能力は存在しない。多くの大人たちの庇護の下、良好な人間関係の中で今まで生きてきた夏希にとって、不和の調停などと言う経験は皆無に等しい。友人の難事に手を貸すことが出来ないもどかしさに、夏希は小さく溜息を吐いて椅子に身を沈めた。
「出たよ、夏希」
シャワールームから戻ったシャルルに手を上げて答え、肘掛を指先で軽く叩いた。再び纏まらない考えに意識を沈めようとする夏希。その背中に、シャルルの声が届く。
「何を調べてるの?」
「昼間のこと、ちょっとね」
そういって夏希は、閉じていた目を開きもう一度モニターに視線を向ける。シャルルは少し首を傾げると、夏希の元に向かいながら口を開いた。
「昼間……ボーデヴィッヒさんのこと?」
「そう、それ」
夏希は自分の肩越しに画面を覗き込むシャルルの言葉を肯定し、マウスを操作して過去の新聞記事を呼び出した。そこに書かれていたのは、ドイツで発生した織斑一夏誘拐事件の顛末。千冬の大会二連覇を妬む者たちの犯行はドイツ軍の働きにより無事解決し、誘拐された一夏も無傷で解放されたとある。
「発端は多分、一夏が誘拐されて織斑先生がモンデ・グロッソの決勝戦を棄権したことだと思う。当時の記事を読む限りでは二人に対して同情的な意見が殆どだったけど、見方を変えれば、ボーデヴィッヒさんの言うように一夏のせいで先生が大会二連覇を成し遂げられなかったと捉えることも出来る。現に、ゴシップ誌の中にはそんな内容の記事を掲載したものもあったみたいだしね。もっとも、その記事は世間から大ブーイングを受けて、雑誌も廃刊に追い込まれたみたいだけど」
「待ってよ、でもそれってボーデヴィッヒさんには関係ないことじゃないか。有り得ないことだけど、織斑先生がそういう感情を抱くならわかるよ。だけど、ボーデヴィッヒさんがあそこまで怒る理由にはならないんじゃないかな」
当然と言えば当然だな、と続ける夏希に、しかしシャルルは納得できないと声を上げる。だが、そこに繋がる事柄も夏希は既に調べていた。
次いで表示したのは、日本IS委員会が運営するホームページに記載されている千冬の略歴。その中のある部分を指で示して、夏希は口を開いた。
「誘拐事件の後、織斑先生はドイツ軍に教導官として派遣されている。多分、ボーデヴィッヒさんはその時に織斑先生と出会ったんじゃないかな。織斑先生をいつも教官って呼んでるのは、先生がIS学園の教師だからじゃなくて、過去に先生の教導を受けた経験があるからだと思う。その時に織斑先生に心酔してああなった可能性は、十分に有り得る」
ラウラがそのような感情を抱くまでに何があったのかは、夏希にはわからない。それを知るには、ドイツが発表しているラウラのプロフィール程度の情報ではなく、もっと深く、それこそドイツ軍内部でのラウラの日常生活まで調べてみる必要があるだろう。ラウラの思いの原点を知りたいとは思うものの、そこまで首を突っ込む気は夏希には無かったし、さらに言えば、ここから先を調査する技術も持ち合わせてはいない。千冬かラウラに直接聞けば答えが出るかもしれないが、二人が素直に話してくれるとは思えない以上、夏希に出来ることは何もなかった。
夏希は机の上に置かれた缶ジュースの蓋を開けて口を付けた。予測を交えた説明はこれで終わり。そう言外に告げる夏希に、シャルルは憤りを隠せない様子で口を開く。
「そんなの、身勝手じゃないか。本人に関係ないところで相手を、一夏を憎むなんて」
その言葉は、シャルル自身も驚くほど固い響きを伴い静かな室内に響き渡った。それは一夏の事を思ってか、それともラウラの行いに何かを重ねてか。身の内に渦巻く激情を鎮めるように、シャルルは小さく頭を振った。
「そうかもしれないけどさ。ボーデヴィッヒさんの中で織斑先生がそれだけ大きな存在なんだと考えれば、一概にその身勝手を責めることは出来ないよ。まあ、かと言って一夏にどうこう言うのも筋違いなんだけどさ」
しかし、夏希の言葉はシャルルの欲していたものでは無くて。再燃する思いに、シャルルの言葉は自然と険しくなる。
「……夏希は、ボーデヴィッヒさんの肩を持つの?」
夏希に当たり散らすのは間違っている。そう思ってもなお、シャルルはその言葉を飲み込むことが出来なかった。信じていたものに裏切られたかのような、勝手な感情。それを胸の内に抱えたまま、夏希の言葉を待つ。そんな険しい空気を纏うシャルルに対し、夏希は普段と変わらない様子で口を開いた。
「そういうわけじゃない。俺だって一夏の力になりたいし、一夏とラウラが対立してたら一夏の味方をするさ。けど、ラウラの考えを頭ごなしに否定するのも違うと思うんだ。織斑先生に織斑先生の理由があるように、ラウラにもラウラの理由がある。俺はそれを知りたい」
そう静かに告げた夏希に、シャルルは呆けたような表情を見せた。それは、彼が考えることすらしなかった答え。シャルルは、ラウラのことを初めて見た時から――最初の顔合わせで、周囲の人間を見下すような、威圧するような、そんな視線を辺り構わず向けているのを目にした時から、その在り方が気に入らなかった。そしてその思いは、初日の一夏に対する行為や、今日のアリーナでの出来事により、修正できぬほど大きくなっていた。それ故に、夏希のその考えは理解できても納得できるものではなかった。だからシャルルは、夏希の真意を探るために一つの疑問を口にした。
「理由を聞いて、自分の考えと合わなかったらどうするの?」
理由を聞いてそれで終わりなのか、それともまた別の何かがあるのか。僅かな反意を抱いて問われたその言葉に、夏希は僅かな躊躇も無く答えた。
「正面から向かい合うさ。対立するにしろ、協力するにしろ、目を逸らしてちゃ始まらない。拒絶するのは簡単だけど、そうするとそこで終わりになるからね。そして敵対したとしても、いつかは普通に話し合える程度の関係にはなりたいと思うよ」
それは、綺麗事のような言葉。どれだけ対話を重ねようとわかり合えない人間がいることは、シャルルも、そして夏希もわかっている。だがそれでも、最初から不可能と諦めることを夏希は良しとはしていなかった。不可能だと思っていた相手の中に、ただ一人でもわかり合える相手がいるかもしれない。そう考えることが出来るのが、夏希の強さだった。
夏希の静かな宣言を耳にしたシャルルは、呆然としたままベッドに座り込んだ。ぐるぐると渦巻いたまま形にならない思考を纏めようとして、不意に一つの疑問が零れ落ちる。
「……ねえ、夏希」
それは無意識問いだった。言うべきじゃない。聞くべきじゃない。気が付いたシャルルが必死に言葉を止めようとするも、まるで体の支配権を失ったかのように、勝手に言葉が流れ出る。
掠れる声を隠しながら、軋む心を抑えながら、揺れる瞳を夏希に向けて、シャルルは静かに問いかける。
「もし、だよ? 友達だと思っていた相手が自分を騙してて、それで夏希が大切なものを盗まれたりしたら、どうする?」
不安を悟らせない自信はあった。けれど、自分に向けられる夏希の視線に、シャルルは全てを見透かされていると錯覚してしまった。今ある時間が、この夢のような楽しい日々が終わってしまいそうな不安。今まで感じたことも無いような気持に、シャルルは小さく震えていた。
「追いかけて行ってとっ捕まえて、腹を割って話し合う。それが悪意によるものだったら殴ってでも取り返す。だけど」
そんなシャルルの心中に気付く様子も無く、夏希は何でもない事のようにそう告げる。缶ジュースを飲むために途切れた言葉。その続きを、シャルルは死刑宣告を待つ囚人のような思いで待ち――
「そこになにか、止むを得ない理由があったとしたら、俺はそいつに手を貸すよ。折角知り合ったんだ。そこで関係を終わらせるのは寂しいから」
思いもしなかった言葉に、シャルルの思考は今度こそ完全に停止してしまった。それはまるで、相手を許すと言っているようにシャルルには聞こえて。
「怒ら、ないの? 相手は夏希の大切なものを盗んだんだよ?」
「怒る。んで、一緒にどうすればいいのか考える。誰かに命令されたんならそいつに直談判しに行くのもやぶさかじゃないし、盗んだものがどうしても必要だって言うなら……まあ、物によるけど、そいつに上げてもいいしな」
そう言って笑みを浮かべた夏希に、シャルルは思わず見惚れてしまった。見栄も気負いも告げられたその言葉は、夏希の本心であることが十分に感じられて。それがシャルルに向けた言葉でないことは、問いを投げかけた彼自身も理解している。しかし、それでも。
(ああ、夏希は優しいんだ。僕が今まで出会った誰よりも、ずっと)
シャルルの心に沈む重りは、彼の言葉によって確かに取り除かれたのだ。そして同時に思った。この心優しい友人を裏切るような真似は、絶対にしてはいけないと。
先ほどの問いがどうしたのかと首を傾げる夏希に、何でもないと手を振って誤魔化しながら冷蔵庫へと向かう。取り出したリンゴジュースは、シャルルのお気に入りの逸品。彼はそれを二つのグラスになみなみと注ぎ込むと、片方を夏希に手渡し、ベッドの上に腰を下ろした。少し行儀が悪いかと思ったが、今だけはいいだろう。こんなに気分がいいんだから、多少の粗相も仕方がないことだ。見るからに上機嫌な様子でそんなことを考えているシャルルを怪訝に思いながら、もう一度ラウラのことを調べてみようとパソコンに向き直る夏希。その背中に向けて、シャルルは小さく呟く。
「――ありがとう」
その言葉は、夏希に届くことなくどこかへ消えて行き。
「ん? なんか言った?」
「ふふ、夏希は優しいなって、思っただけだよ」
微笑みに乗せたその言葉に、夏希は照れ臭そうに頭を掻いた。
鋼の天蓋
第伍話 小さな言葉
「なあ、二人とも。なんか今日、みんな変じゃないか」
喧騒に満ちた食堂の片隅で、一夏は昼食の鮭の切り身を箸で解しながら夏希とシャルルに問いかけた。彼の脳裏に浮かぶのは、朝のクラスの様子と、今回珍しく別行動になった三人――朝から何やら頭を抱えている様子だった箒と、妙にやる気に満ち溢れた雰囲気でどこかへ去って行ったセシリア、いつもなら昼休みの開始とともに一夏の下へと突撃してくるのに、今日は姿を見せなかった鈴音のこと。夏希とシャルルが転入してこの方、どう見ても一夏に恋をしているのが丸わかりな三人が全員別々に昼休みを過ごすことなど今まで無かっただけに、二人も小さくない違和感を覚えていた。
「こう、浮き足立ってるって言うか、ざわついてるって言うか」
「ああ、一夏の言わんとしていることはわかる。箒さんたちの様子も気掛かりだし」
言葉を探すように首を傾げながらそう述べた一夏に夏希は同意の言葉を返し、二本目の栄養スティックの封を開ける。シャルルはその様子を何か言いたげな表情で見つめながら、食べかけのサンドイッチを皿の上に置いて一夏の言葉に応えた。
「雰囲気的に悪い感じじゃないんだけど、少し気になるよね。なんか遠目で見られてる気もするし」
「見られているのはいつも通りじゃないか?」
「あ、うん、そうなんだけどさ。今日のは何と言うか……」
茶化すような夏希の言葉に、シャルルは小さく呻きながら考えを纏めようとする。だが、この学園に来てから日が浅いシャルルでは、このいつもと違う雰囲気を言葉で説明するのは不可能だった。
「駄目だ、上手く説明できないや。ごめんね」
ややあって、どうしても纏まらない思考に困惑しながら、シャルルは心底の申し訳なさそうに謝罪の言葉を述べた。その気真面目さに、一夏と夏希は苦笑を漏らす。シャルルの言わんとしていることは、なんとなくであるが二人も理解していた。昨日までとは視線の質が違う。どう違うのかを説明することは難しいが、確かにそんな感覚があった。
「まあでも、別に悪い雰囲気じゃないし、気にしなくてもいい、のか?」
そして、自分や仲間たちに危害の及ぶことで以外には、非常におおらかな性格をしているのが一夏と言う男である。周りから注目されることに慣れてしまっただけに、彼は今の自分を取り巻く環境に対し、危機感が薄れてしまっていた。だからこそ、一夏は俗に言うラッキースケベに遭遇することが非常に多いのであるが、それを自覚することは恐らくないだろう。
一方で、女子生徒ばかりの環境にある程度慣れたとは言え、自室以外では未だに警戒心を保ったまま生活している夏希には、この事態を放っておけば後々面倒なことになると言う確信めいた予感があった。
「……なんだろう、微妙に嫌な予感がするんだけど」
出来れば外れて欲しいものだが、無視するわけにもいかない。そう顔を顰めながら語る夏希に、シャルルは神妙な顔をして言った。
「夏希のそういうのってよく当たるよね。織斑先生に叱られた時もそうだったし、この間自販機の中身が滅茶苦茶になってた時もそんなこと言ってたし」
「ああ、あのアリーナ脇に自販機か。全力でIS動かした後にあったかいお汁粉は正直拷問だったぜ」
夏希の直観が的中した、ある意味で悲惨な事故に、一夏は苦虫を噛み潰したような表情で言った。それは、機械の故障によって出て来る商品が完全にランダムになってしまうと言う大惨事だった。訓練を終え、喉の渇きを癒すために買ったスポーツドリンクがあったかいお汁粉に化けた時の一夏の気持ちは、それを体験した者にしかわからないだろう。
「セシリアはコーヒー引き当てていたな。なんかものすごく葛藤していたけど」
一方のセシリアは、英国淑女のプライドと勿体無い精神の狭間で酷く思い悩んでいた。イギリス人がコーヒーを飲まない、などと言う話は完全な迷信だと思っていた夏希は、良くわからない感動を覚えながらその様子を固唾を飲んで見守っていた。手を貸すつもりは最初からなかった。結局その場はシャルルが助け船を出したことで、セシリアの面目は保たれたのであるが、あのまま見ていたらどのような結末を迎えたのかが非常に気になる夏希であった。
「鈴は確か青汁だっけ」
「面白がって買うからそんなことになるんだよ、まったく」
鈴音の場合は完全な自業自得である。悲嘆に暮れる二人の姿を見て、冒険心がくすぐられたのか単純に好奇心に負けたのか、魔の自販機に硬貨を投入してボタンを押してしまった。そして出て来たのは、瑞々しい輝きを放つ五百ミリペットボトルの青汁。その威容に涙目になった鈴音であったが、今回ばかりは誰も手を差し伸べてはくれなかった。
ちなみに、シャルルと箒は夏希の嫌な予感発言により、ちゃっかり危険を回避することに成功していた。
「でも、そっか。夏希が嫌な予感がするって言うなら、確かに少し注意したほうがいいかもしれないな」
「んな深刻に考えるなよ。ただ何となくって感じだし」
鮭の身を口に運びながら深く頷く一夏に、夏希は軽い調子でそう言った。それは予感が外れて欲しいと言う願望を多分に含んだ言葉であったが、その予感に二度も救われているシャルルには、夏希の言葉を軽視することは出来なかった。それに、シャルル自身もこの学校の生徒達なら何をやらかしても不思議ではないと言う思いがある。故に彼も、多少の注意はしておくべきだと判断した。
「僕も一夏と同意見かな。みんな何というか、こう、元気だし、何かあるかも」
そう言って苦笑を浮かべるシャルルに、一夏はげんなりとした表情になった。
「あれを元気で済ますシャルルもすげーと思うぞ」
一夏の脳裏に浮かぶのは、シャルルが転校してきた日の朝に繰り広げられた追走劇。幾度と無く包囲され、逃げた先では待ち伏せされ……と、学生とは思えない無駄に高度な連携をにより、二人はあわやと言う所まで追い詰められてしまった。無事に逃げ切ることが出来たのは、運が良かったと言う他無い。
あんな思いは二度と御免だ。一夏は溜息とともにそう呟くと、小さく身を震わせた。
「夏希は大丈夫だったのか?」
「何が?」
一夏の問いに、夏希は怪訝そうな表情で問い返す。
「転校してきた時さ、追い掛けられたりしなかったか? 俺とシャルルは大変だったよ」
「あー、そうらしいな。シャルルから聞いたよ。俺はあの時、直接織斑先生のところに行ったから道中誰とも会っていないんだ。だから、別にトラブルはなかったよ」
学園の最外周を、息を殺しながら進んだことは黙っておくことにした。こんな所で自分の恥を晒す趣味は夏希には無いのである。
「そうなのか、運が良かったな」
一夏の言葉に、夏希は乾いた笑いを浮かべて栄養スティックを口にした。遅れて転校してきたことが幸を奏したと、改めて思った。そして、あまり美味しくない栄養スティックの味に、僅かに顔を顰めた。
(それにしても、夏希ってなんでいつも栄養スティックを食べてるんだろう。あんまり好きじゃなさそうなのに)
いかにも不味そうに栄養スティックを頬張る夏希を見て、シャルルは小さく首を傾げる。もし自分が昼食を作ってあげたら、食べてくれるだろうか。そもそも、夏希の好物は何なのだろうか。あまり多く食事を取らないが、小食なのだろうか。そんなことを考えていると、ふと彼は前々から夏希に聞こうとしていたことがあったのを思い出した。しかしそれは、もしかしたら秘匿情報かもしれない。だとすれば、夏希を困らせてしまうことになる。どうするべきかしばらく悩んだシャルルであったが、知るべきでない情報なら夏希がそう言うだろうと判断し、とりあえず聞いてみることにした。
「そう言えば、どうして夏希って少し遅れて転校してきたの? ISの熟練度から見て、転校の一二週間前に動かせたわけじゃないと思うんだけど」
その問いの答えを、夏希はあっさりと口にした。
「俺がISを動かせたのは、一夏の発表があった直後だな。廻天に使われてるコアは、少し特殊でさ。何が悪かったのかわからないんだけど、誰が乗ってもエラーを吐き出すだけで動いてくれなかったんだ。勿論俺も整備で何度も触っていたんだけど何ともなくて、だけど一夏がIS動かした後、こいついきなり反応しやがったんだよ。それからここに来るまで、ずっと研究所に泊まり込みで打鉄を使ってデータ取り。一日の半分はISに乗っていたかな」
実は夏希の存在は彼がIS学園に入学するまでマスコミに伏せられており、徹底的な情報統制の下、彼の存在は世間に対してひた隠しにされていた。しかし、アラスカ条約加盟国には夏希のことはかなり早い段階で公開されており、夏希が言ったことは秘匿情報でもなんでもなかったのである。ただし、研究所で使用していたISに関しては事実とは異なる部分がある。確かに国際IS委員会に提出するデータは打鉄搭乗時のものであったが、大部分の時間を費やしたのは廻天の運用テストの方であった。IS学園転校直前に完成したと委員会に申告した廻天は、実は夏希がISを動かした時点で完成していたのである。
「うへぇ、なんか凄いな」
「うん、そんなにISに乗ってたなんて思わなかったよ」
予想よりも遥かに長かった夏希のIS搭乗時間に、一夏とシャルルは感心した様子で声を上げる。確かに、IS初心者にしては夏希の戦闘機動は堂に入っていた。距離によって武器を切り替え、イグニッションブーストにまで対応して見せたその操縦技術は、ISを動かしたばかりの初心者では習得し得ないものだ。
「でも、それなら夏希の機動があんなに上手いのも納得かな」
「動きにばっかり集中していたせいで射撃はボロボロだけどな」
シャルルの言葉に、夏希は笑いながら答えた。それは紛れもない本心からの言葉であったが、一夏は夏希の謙遜と取ったようで。しみじみとした様子で頷いてみせると、力強い笑みを浮かべた。
「成る程なー、やっぱり夏希も努力してたんだ。クラス対抗戦もあるし、俺も頑張らないとな」
そう何気なく呟いた一夏の言葉の中に、夏希は聞き覚えの無い単語を見付けた。一夏の口振りからすると間近に控えたイベントのようだが、さて何のことだろうか。疑問に思った夏希は、一夏に聞いてみることにした。
「一夏、クラス対抗戦って何だ? 初耳なんだけど」
「ああ、クラス対抗戦って言うのは、クラスの代表者が出場して優勝を競う大会なんだ。一対一で戦うから自分の力だけが頼りだし、今からでもしっかりと練習しとかなきゃなって」
決意を秘めた表情でそう語る一夏に、シャルルは口の端を引き攣らせた。まさかとは思うが一夏のことだ、気付いていない可能性は十分にある。夏希も同じことを思ったのであろう、互いに何とも言えない表情で目配せし合うと、シャルルは一夏に向かい言葉を発した。
「ねえ一夏。もしかして、みんながざわついてるのって、そのクラス対抗戦が近いからじゃないのかな?」
「あ」
シャルルの指摘に、一夏は呆気に取られたような表情で声を上げる。そのあまりに間抜け過ぎる失態に、夏希は半眼で一夏を睨みながら、大きく溜息を吐いた。
「一夏、お前そんな重要なこと普通忘れるかね」
「い、いや、忘れてたわけじゃなくてだな、その、えーっと……悪い」
そう言って肩を落とす一夏を見て、シャルルはクスクスと笑い声を上げた。その声に釣られて笑い出した一夏と夏希であったが、この時の彼らは知らなかった。朝の騒ぎは生徒達の間で流れている噂のせいであり、そもそも次に開かれるのはクラス対抗戦ではなく学年別トーナメントであると言うことを。
彼らが事実を知るのは、もう少し先のことである。