鋼の天蓋   作:箪笥の角

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大変長らくお待たせしました。当初は軽く流す予定だった話が何故か納得行かずに何度も書き直すことになり、またリアルの事情も相まって一か月もの時間を空ける羽目になってしまいました。次回からはこのようなことが無いよう、頑張ろうと思います。
では、ある種の転換点となる第八話、お楽しみください。


第捌話 夜は密かに

 人影の絶えた夜の校舎を、夏希は独り静かに歩く。星の無い沈んだ空。窓の外には墨を垂らしたような闇が広がり、遠くに浮かぶ誘導灯の明かりだけが、虚空にぽつりと輝いていた。

蛍光灯の白い光に照らされた長い廊下が、何とも言えない薄気味悪い雰囲気を醸し出す。ふと頭に浮かんだ怪談を思考から追い出して、夏希は足を僅かに早めて寮への道を急いだ。

時刻は既に夕食時、現在の時間を考えると食堂へは行けそうにない。部外秘の書類を食堂に持ち込む気は夏希には無かったし、そもそも今から食堂に行くのでは、単独で女子生徒達の中に混じることになってしまう。それが出来る勇気を、まだ夏希は持っていない。三食全て栄養スティックの世話になることに思う所はあるが、それでも予想される精神的疲労と天秤にかければ味気ない夕食の方が遥かにマシだと夏希は考えていた。

 学校を抜け学生寮のエントランスに辿り付くと、辺りに活気が戻ってくる。夕食時であることもあって、普段と比べれば人影は少ないが、それでも夜の校舎とは比べるべくもない。夏希はすれ違う女子達に軽く挨拶し、呼び止められたり囲まれたりする前に急いでエントランスを通過する。先日の千冬の雷が効いたのか、夏希を前に騒ぎ出す生徒も居らず、無事自室に帰還することに成功した。

 

(シャルルは……夕食か。そう言えば、一人の夕食ってここに来て初めてだな)

 

 部屋の中に人影は無く、シャワールームから漏れる音も無い。夏希は一度室内を見回し、ベッドの脇に設置された空っぽの貴重品庫を開くと、その中に紙の書類入れを丁寧に収めた。カードキーは少し考え、学生証のケースに入れておくことにした。

 二、三度貴重品庫の扉を引き、鍵が閉まっていることを確認した夏希は、大きく伸びをしながら立ち上がると、キッチンの食品庫から段ボール箱を引っ張り出し、その中に隙間無く詰め込まれた栄養スティックを二箱取り出す。味のバリエーションは一切無く、全てキャラメル味。これは別に夏希がキャラメル味を好んでいるわけではなく、安売りしていたのを買い込んだだけである。後さき考えず段ボール買いしてしまったことを後悔している夏希であった。

 冷蔵庫から飲みかけのミネラルウォーターを取り出して中身を一口呷ると、夏希は栄養スティックの封を開けながら自分の椅子に深く腰を下ろす。そして栄養スティックを齧り、眉間に皺を寄せて顔を顰めた。わかっていたことだが、あまり美味しいものではない。研究所に居た頃の自分は何故こんなものを食べ続けていられたのかと、夏希は本気で疑問に思った。

 

(何と言うか、味覚って改善されるんだな……)

 

 IS学園に入学してから、夏希の食糧事情は大きく変化した。具体的には、三食栄養スティックやインスタント食品、学校給食以外サプリメントのみなどと言った問題のありすぎる食卓から、少なくとも一食はIS学園の学食でまともな、どころか世界最高レベルの食事を食べることが出来るようになった。のだが、そのせいで最近では舌がかなり肥えてしまい、栄養スティックの味に我慢が出来なくなってきているのである。それが進化なのか退化なのか判断が付かないと夏希は本格的に頭を悩ませているのだが、心の底からどうでもいいことである。

 二箱分の栄養スティックを食べ終え、ペットボトルの水を飲み干すと、夏希は本格的にやることが無くなってしまった。仕方なしに上着を脱いでベッドに寝転がるが、時間が中途半端なためうたた寝すら出来そうもない。授業の予復習をしようかとも考えたが、それも何となく気分が乗らない。結局何をしようかと頭を悩ませる内に時間はどんどん過ぎて行き、入り口の鍵が開く音を耳にした時には既に三十分も時間が経過してしまっていた。枕元に置かれた時計でその事実を知った夏希は、暇潰しが出来たことに喜ぶべきか、それとも本末転倒気味に無為な時間の使い方をしたことを悔やむべきかと微妙な気持ちになった。

 ともあれ、時間が経過したことには変わりなく。夏希はベッドから起き上がり、戻って来たシャルルを迎えようと扉の方へと視線を移す。しかし、部屋に入って来たのはシャルルだけではなく。

 

「あ、ただいま夏希。ごめんね、置いて行っちゃって」

 

「っと、夏希も帰ってたのか。お邪魔するぜ」

 

 シャルルの後に続き、一夏が夏希に向けて口を開く。その生真面目なセリフに内心で苦笑を漏らしながら、夏希は右手を上げて二人を迎え入れた。

 

「ん、お帰り。それといらっしゃい。医務室で別れてから連絡取ってなかったし、気にしないでいいよ。あ、飲み物用意するから適当に座っててくれ」

 

「俺も手伝うぞ」

 

 夏希はベッドから立ち上がり、キッチンに向かった。その後に続こうとする一夏だったが、その歩みはシャルルの手によってやんわりと止められた。

 

「駄目だよ一夏。そう言うのはホストに任せて、ゲストはちゃんとお持て成しを受けなきゃ」

 

 シャルルの柔らかい微笑みに、一夏はイマイチ納得しきれない様子でソファに腰を下ろす。恐らく、ただ待つだけと言う行為が落ち着かないのだろう。どこかそわそわした様子の一夏に、シャルルはテーブルの上に三つのグラスを並べながら小さく笑みを浮かべた。

 

「そう言えば、二人とも。昼間の黒いISのことなんだけどさ」

 

「ああ。……へ?」

 

 程無くしてオレンジジュースのペットボトルとスナック菓子を手に戻って来た夏希が、ジュースのキャップを開けながらおもむろに口を開いた。その何気ない切り出しに、一夏は一度返事をしてから再び聞き返し、シャルルは驚きに目を見開きながら夏希の顔を凝視した。

 

「え、なにその反応」

 

「あ、いや、何と言うか……」

 

 予想もしなかった反応に軽くたじろぐ夏希に、一夏はバツの悪そうな表情で言い淀む。そんな一夏に代わり、シャルルが僅かに目を伏せながら口を開いた。

 

「僕も一夏も、どうやってそのことを聞こうかって考えてたから、こんなにあっさりと聞かせてもらえるとは思ってなくて。機密とかもあるし、僕たちは部外者だしさ」

 

 そのシャルルの言葉には、黒いISの暴走を前に、ただ見ていることしか出来なかったことに対する悔しさが滲み出ていた。それは一夏も同様であり、二人は黒いISに対して矢面に立った夏希に、ある種の負い目を抱いていた。夏希はそんな二人の内心をおぼろげに感じ取りながら、あえて声のトーンを軽くしてシャルルの言葉に答えた。

 

「流石に機密に踏み込む内容にまでは触れられないけど、事件の概要くらいなら説明できるよ。何から何まで秘密にしておくには、目撃者が多過ぎるしさ」

 

 一度言葉を切り、夏希はジュースで唇を湿らせてから二人の様子を見遣った。

 

「で、聞きたい?」

 

「あ、ああ、頼む。千冬姉の姿を騙ったあれが何なのか、俺は知らなくちゃいけない」

 

「うん。僕も聞かせて欲しい。次にあんなことがあった時、ちゃんと戦えるように」

 

 一夏とシャルルは、そう言って表情を引き締めた。

部屋の空気が、ピンと張り詰めたものに変わる。夏希は二人の答えに黙って頷いてみせると、グラスをテーブルの上に置き、膝の上で手を組みながら、静かな声で語り始めた。

 

「あの黒いISは、ヴァルキリー・トレース・システムと呼ばれる機能の恣意的な暴走によって生み出された存在だ。ヴァルキリー・トレース・システム、便宜的にVTシステムと呼ぶが、その本来の機能は織斑先生の戦術機動を機体にトレースする、言わば補助輪としての側面が強かったんだけど、次第に織村先生の動きを再現することに重点が置かれ始め、今では目的が完全に置き換わってしまっているんだ。二人はVTシステムを知っているか?」

 

「……いや。知らないけど、そんなものが世界中で研究されてるなんて」

 

 夏希の語るその冒涜的な存在に、一夏は湧き上がる怒りに身を震わせた。だが、シャルルが一夏の言葉を否定する。

 

「違うよ一夏。確かにVTシステムは過去に色々な国で研究されてたけど、今ではアラスカ条約で全面的に禁止されてるんだ。……授業でやらなかった?」

 

「…………」

 

 無言で顔を背ける一夏に向けたシャルルの視線が、呆れを含んだものに変わった。実際、このVTシステムが話に上がったのは鈴音と一悶着あった代表戦の直前で、その時期の一夏は授業とISの板挟みで色々と余裕がなかった。それでも千冬のことであれば、一夏とて聞き流すことはしなかっただろう。しかし自分の功績をひけらかすことを嫌う千冬は、VTシステムの説明で、その内容をとある人物の機動を模倣するものとしか説明しなかったため、一夏の脳にその情報が留まることは無かったのである。

 

「ああ、うん、まあ、シャルルの言う通り、VTシステムの研究は競技の公平性と人道的側面から、現在では条約で固く禁じられている。システムの使用は元より、研究が発覚しただけでも、ISの開発ライセンスの停止やコアの没収などかなり重いペナルティを負うことになる。だから、システムの研究を行っている機関は存在しない、はずなんだけどな」

 

 いつの世も人の目を盗んで悪事を働く人間はいるもので。資料で見た違法実験の数々を思い出し、夏希は内心で顔を顰めながら封を開けたスナック菓子に手を伸ばし――シャルルの問いかけに、その動きを止めた。

 

「ねえ、夏希。人道って、どう言うこと?」

 

 それは、夏希の言葉を聞いた者なら当然抱く疑問であった。それは一夏も同様で、グラスに口を付けながら黙って夏希の返答を待っていた。

 

(ああ、余計なことを言ったな)

 

 夏希は数瞬前の自身の浅慮に、重い溜息を吐いた。非人道的な研究。その言葉から一夏とシャルルがどのような想像をしているのかは夏希にはわからない。しかし、二人の表情から察するに、その想像が夏希の知る事実よりも軽いものだと言うことは十分に予想できる。果たして、どこまでを話すべきか。夏希は事実の秘匿よりもむしろ二人の心情を慮り、結果ある程度事実をぼかして、特に酷いものは口にせずに二人に伝えることにした。

 

「近接戦闘時に操縦者が抱く恐怖心を麻痺させるための薬物投与、身体能力増強のための人体実験、あるいはVTシステムに適合する人間を人工的に生み出す、所謂試験管ベイビー。操縦者がVTシステムの挙動に付いて行けなくなった段階に至って、研究は危険な方向に過熱して行ったんだ。特に酷かったのが、条約加盟国の中でもコアの所持数量が少なかった途上国で、技術的にも劣る彼らはVTシステムによって一発逆転を狙ったようだ。もっとも、今ではその国は条約から除名されて、コアも剥奪されてるんだけどね」

 

 渋面でそう語った夏希に、一夏とシャルルは表情を凍らせた。だがこれらの研究はまだ常識的な――少なくとも、被験者の生存率の面から見て、まだマシな部類であった。コアを人体に埋め込むものや、操縦者の意識を奪い、人ではなくISのパーツとして扱うもの、その他にも口にするのもおぞましい実験の数々を、夏希は知識として知っていた。そして、恐らくその実験を扇動した国が他に存在するだろうと言うことも。だがそれを口にするつもりは夏希には無い。きっとそれは、誰にもいい影響を与えないだろうから。

 

「とまあ、そう言うわけでだ」

 

 重苦しい雰囲気の中、夏希は殊更に明るい口調で声を上げた。暗い話は終わり。そう言外に口にする夏希によって、部屋の空気が若干軽くなった。

 

「話を纏めると、今回の事件はシュヴァルツェア・レーゲンに搭載されていたVTシステムの暴走によるもので、ドイツ軍はそれに関して、少なくとも組織としては一切の関与をしていない。多分、ボーデヴィッヒさんの方も同様で、主犯に関しては現在調査中とのことらしい。ボーデヴィッヒさんの様態は、打撲と擦過傷だけで目立った傷は無し。取り調べがあるからすぐに復帰ってわけにはいかないけど、今週中には授業に出れるんじゃないかな。話せる内容は以上だけど、いずれドイツ本国から公式発表があるだろうからそっちを待っていればいいと思うよ」

 

「ああ、分かったぜ。ありがとな、教えてくれて」

 

「気にするな。どうせいつかは知ることだし」

 

 そう言って夏希は、今度こそスナック菓子を口に運んだ。当然と言えば当然だが、栄養スティックよりもスナック菓子の方が味覚に優しく、今度から食事を学食以外はこちらに切り替えようかと、極めて不健康なことを考える夏希であった。

 

(……やっぱり僕がお弁当作った方がいいのかな)

 

 そして、そんな夏希の思考を表情から読み取ったシャルルは、溜息を吐きながら黙ってグラスを傾ける。夏希はその風貌に反してかなり表情が豊かで、そして非常に考えがわかりやすい。真剣な面持ちでスナック菓子を凝視するその様子は、初めて学食に行った時に彼が浮かべていた表情とほぼ同じであり、翌日から栄養スティックの消費量が目に見えて減少したことを考えれば夏希がスナック菓子を常食に使用などと言う間抜けな思考をしていることが、シャルルには手に取るようにわかった。

 

(うん、やっぱり夏希の食生活改善のために、僕が一肌脱ぐしかないよね。材料は後で街に出て買うとして、お弁当箱って購買に売ってるのかな。やっぱりこれも街で一緒に買った方がいいのかな。あ、夏希って食べられないものあるのかな。お弁当作る前に聞いておかないと)

 

 決意を新たに食生活改善プロジェクトの計画を組み立て始めるシャルル。そんな彼の思考など露知らず新しいスナック菓子の袋を開ける夏希に、一夏はふと思い付いたことを夏希に問いかけた。

 

「そう言えば、夏希は今度の学年別トーナメントで誰と組むんだ?」

 

「……は? 何それ、クラス対抗戦じゃなくて?」

 

 一夏の言葉は、夏希にとってまさに青天の霹靂であった。何せ、学年別トーナメントなどと言うイベントも知らなければ、誰かと組むなんてルールも初めて聞いたのだ。それ以前に、クラス対抗戦のことを最初に口にしたのは一夏であるから、彼の口から全く関係ないイベントの話題が出る理由など及びも付かない。いや、予想は付く。そして、一夏の性格からその可能性が十分に有り得ることもわかる。だが、流石にそのようなミスを犯すなど常識的に考えれば有り得ないことで。

 

「……あ~」

 

 しまった、とばかりに顔を引き攣らせた一夏に、夏希は冷え切った視線を叩き付けた。こいつ、勘違いしてやがった。

 

「おい一夏、俺はクラス対抗戦って聞いたんだけど」

 

「わ、悪い! 完全に勘違いしてたんだ!」

 

 パン、と両手を顔の前で合わせて、一夏は身を縮ませながら謝罪の言葉を口にした。その大きな声に、シャルルがびくりと肩を震わせて一夏に顔を向けた。

 

「な、なに、どうしたの!?」

 

「ああ、一夏が学年別トーナメントをクラス対抗戦だと勘違いしていたらしくてな」

 

 謝る一夏を無表情で見下ろしながら、夏希は感情の籠らない声でそう言った。

 

「あ、そのことか」

 

 対してシャルルは、それがまるで既知の事実であるように口にした。

 

「そのことかって、シャルルは知っていたのか?」

 

「ええと、今日夏希が保健室から出て行ったあと、女の子たちが雪崩れ込んで来て。その時に初めて知って、なし崩し的に一夏と組むことになったんだけど」

 

「組むってまさか」

 

「今回のトーナメントは二人一組なんだって」

 

 神は死んだ。夏希は死んだ魚の目でソファに身を沈めた。

 

「な、夏希? その、本当にスマン!」

 

「……いいさ、過ぎたことだ」

 

 それよりも今の夏希にとって重要なのは、明日自分の下に来るであろうペアの申し込みをどう捌くかと言うことだ。未だこの学校の雰囲気に慣れていない夏希としては、親交の薄い女子とペアを組むなどと言うことはあまり考えたいものではなかった。かと言って、頼れる人間は既に無く。

 

「オルコットさん達は?」

 

「鳳さんと組むって。ボーデヴィッヒさんにリベンジをするって張り切ってたよ」

 

 これも想像できたことで、箒のことが微妙に苦手な夏希としては、セシリアか鈴音のどちらかと組めればまだ気安かったのであるが、その希望も潰えてしまった。気安さで言えば、学校案内から度々話すことになった本音も候補に挙がるのだが、ペアを持ちかけるには少々勇気が必要だ。いっそ出ないと言う選択肢もあるが、千冬がそれを許すとは思えない。

 

(男子の転校生カモォォォォォォォォォォン!!)

 

 頭を抱えながら内心で絶叫する夏希。その様子に凄まじい罪悪感を覚えた一夏は、明日はせめて女子達の防波堤になろうと思ったのだった。

 

 

 

 

 

                   鋼の天蓋

                 第捌話 夜は密かに

 

 

「いっ……?」

 

 体中を走る鈍い痛みに、ラウラの意識は急速に浮上していった。霞がかかったような茫洋とした意識のまま、ヘテルクロミアの瞳をふらふらと彷徨わせる彼女の視界に映るのは、病的なまでに白い無機質な天井。違和感の残る体をそのままに、首だけを動かして辺りを見渡したラウラは、横に並べられた清潔そうなベッドや室内の調度品から、この場所が病室であると判断した。しかし、何故自分が病室に運び込まれたのかがわからない。ラウラの記憶にあるのは、セシリアと鈴音を圧倒し、奇襲により夏希に翻弄され、一転して武器を切り替え猛攻を食らわせると言う一連の戦闘風景のみである。戦いの結果も、どちらかのシールドエネルギーを削り切ったであろう最後の一撃も、ラウラは何一つとして覚えていなかった。

 あまりに不自然な記憶の喪失。ラウラの瞳が、不安げに揺れた。

 

(いや、待て。そもそも、この記憶は何だ?)

 

 そして、欠けた映像を思い出そうとすればするほどに大きくなって行く違和感。ブレードを握る自分の記憶が、まるですりガラスの向こうに広がる景色を眺めているように酷く曖昧だった。

 不可解な点はそれだけではない。記憶の中で廻天の装甲を砕いた黒い近接ブレードに、ラウラは全く心当たりが無かった。現状でシュヴァルツェア・レーゲンに搭載されている近接武装はプラズマ手刀のみであり、記憶にあるような太刀状の武器は存在しない。それに、よく思い出してみるとその太刀筋もラウラのものではなかった。その機動はまるで――

 

(有り得ない。私が教官のように戦うことなど)

 

 記憶の中のラウラの動きは、確かに千冬のそれと酷似していた。しかし、ラウラは千冬から剣の扱いを教えられたことは無く、またあのような動きが自分に出来るとも思っていなかった。そしてそれ以前に、シュヴァルツェア・レーゲンの機動力ではあのような徹底したインファイトは不可能だ。アンロック・ユニットのレールカノンやAICなどと言ったPICの処理を必要とする武装を複数搭載しているシュヴァルツェア・レーゲンは、細かい機動制御能力が他のISに比べていささか劣っている。そのため、記憶にあるような機敏な動きをすることは不可能と言っていい。それは、長い時間をシュヴァルツェア・レーゲンと過ごしたラウラが一番知っていることだった。

 知らない記憶と、理解できない現状。不安に身を震わせたラウラは、無意識の内に太ももへと手を持って行った。IS学園の制服とは違う、薄手の病院着の感触。ラウラは、その下にあるはずの待機状態のシュヴァルツェア・レーゲンに触れることが出来なかった。

 

「なっ、あ……!」

 

 予想だにしなかった事態に、慌てて身を起こすラウラ。しかしその瞬間、全身に先ほどとは比べ物にならない痛みが走った。苦痛に呻き声を上げ、ラウラは再びベッドに倒れ込んだ。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 その声を聞きつけ、カーテンの向こうから白衣を着た養護教諭が姿を現す。くすんだ金髪の若い女性教諭は、焦ったような表情とは裏腹に優しい手つきでラウラの姿勢を体に負担の少ないものに変えると、急いで千冬に連絡を行った。

 

「失礼します」

 

 ラウラの痛みが幾分か和らいだ頃、養護教諭に呼ばれた千冬が医務室を訪れた。千冬と二、三言葉を交わした女性教諭は、入れ替わるように医務室から姿を消す。それは、今から行われる会話が機密レベルの高いものであるが故の処置であった。

 女性教諭の後姿を見送り、千冬は身を起こそうとするラウラを制止すると、隣のベッドに腰を下ろして口を開く。その瞳の奥に浮かぶ安堵を見付けることは、精神的に余裕の無いラウラには不可能だった。

 

「さて。気分はどうだ、ボーデヴィッヒ」

 

「申し訳ありません、教官。このような格好で……」

 

「構わん。怪我人に鞭打つほど私も鬼ではない」

 

 千冬の言葉に、視線を落とすラウラ。その生真面目な態度に小さく溜息を吐くと、千冬は僅かに身を乗り出してゆっくりと言葉を続ける。

 

「さて、ボーデヴィッヒ。貴様は、昼間のことをどの程度覚えている?」

 

 千冬の問いに、ラウラは小さく身を震わせた。その様子に、千冬はふむと呟いてから再び口を開く。

 

「答えられないか? ならば質問を……」

 

「いえ、そうではありません。昼間の戦いのことは覚えています。ですが、途中から記憶が酷く曖昧なのです」

 

 だが、その言葉を遮るように、ラウラは沈んだ声でそう口にした。

 

「記憶の中の私は、途中から近接ブレードを用いてあの碧のISを追い詰めていました。しかし、その太刀筋が……」

 

「私の太刀筋と同じだった、と?」

 

 千冬の言葉に、ラウラは驚いたように目を見開く。千冬が管制室にいたことを知らないラウラは、千冬に自分の考えが当てられたことに心の底から驚いた。もっとも、普段のラウラであればその可能性にもすぐに思い至るだろう。だが、冷静な思考を欠いている彼女は、それが出来なかった。

 ラウラの表情からいくつかの思考を纏め、千冬は数度小さく頷いた。ラウラの反応は概ね千冬の予想通りで、だとすればラウラが今回の件で罪に問われる可能性はかなり低くなる。そのことに安堵を深めた千冬は、浅く息を吐きながら、確認するように口を開いた。

 

「まあ、システムの不完全性か、はたまた他の要因が存在するのか、戦術自体は私のものとは似つかないものだったが、なるほどな。少なくとも、私の太刀筋を認識できる程度には、暴走時にも意識はあったと言うことか。類似が最も多く見られるパターンだ」

 

「暴走? それは、どういう……」

 

 ラウラは怪訝そうな表情を浮かべた。千冬の言葉はラウラの予想だにしないもので、それ故に口を衝く言葉も力無いものになってしまう。

そんなラウラの内心を理解した千冬は、混乱を深めないよう簡潔に要件を述べることにした。

 

「貴様はVTシステムを知っているな?」

 

「は、はい。教官の動きをトレースし操縦者を動かす機能だと……まさか!」

 

VTシステム。その単語から違和感の正体に気付いたラウラは、事の重大さに顔を青くする。その様子に、千冬はラウラが今回の件に能動的な関与をしていないことを確信した。

 

「昼間の戦闘時、シュヴァルツェア・レーゲンがVTシステムに起因すると思しき形態変化を行った。その後、シュヴァルツェア・レーゲンは暴走、その場に居合わせた生徒、鹿島夏希の働きにより制圧され、システムに取り込まれていたボーデヴィッヒはこの場所に搬送された。IS学園とドイツ政府との合同調査によれば、基幹プログラム内にVTシステムの痕跡を確認したとのことだ。それがクライネルト社会民主党議員の手引きによるものだと言うことも判明している」

 

「クライ、ネルト……? あの、反軍事派のですか?」

 

「そうだ。面識はあるか?」

 

「いえ、直接は」

 

 千冬の質問に、ラウラは首を振って否定した。

流石に直接接触するような愚は犯さないか。千冬はそう考えながら、先ほど報告された内容をラウラに伝える。

 

「先ほど取り調べがあり、容疑を大筋で認めたようだ。ボーデヴィッヒの転入手続きの直後にシステムのインストールを行ったと証言しているが」

 

「それについては、覚えがあります。一月ほど前、AICの制御プログラムの更新を行いました」

 

「ふむ、事前の調査と一致しているな」

 

 ラウラの発言に虚偽が無いことを確認し、千冬はゆっくりと頷いた。その様子を不安げな面持ちで見つめていたラウラは、躊躇いがちに口を開いた。

 

「教官。私は、どうなるのでしょうか」

 

 国際条約で禁じられているVTシステムを起動してしまったのだから、お咎め無しとはいくまい。そう言外に含ませながら、ラウラは千冬に問い掛ける。だが、千冬の答えはラウラの予想とは大きく異なっていた。

 

「今回の件は反体制派による犯行として処理される。VTシステムの件でボーデヴィッヒが処罰を受けることは無いだろう」

 

「よろしいのですか?」

 

 呆気に取られたような表情でラウラは言った。

 

「詳細は明日以降に行われる貴様の取り調べの結果を見て決定される。その場で虚偽の申告を行ったり、調査に非協力的な態度を取ったりすれば、また話は別だが……」

 

 そのようなことはするまい? そう問いかける千冬に、ラウラは首肯で答えた。

 

「話は以上だ。取り調べの日程については、明日の朝に追って連絡をするので、心しておくように。それと、ボーデヴィッヒには、今夜は大事を取ってこの場所で過ごしてもらう。注意点や規則など、養護のシモンズ先生に従え。わかったな?」

 

「……了解です、教官」

 

 僅かな逡巡の後、ラウラは小さく頷いた。その顔に浮かぶ不満気な表情を見止め、千冬は内心で溜息を吐くが、そこでキチンと話を聞き入れるようになっただけでも大きな進歩かと、無理矢理自分を納得させることにした。

 千冬がゆっくりとベッドから立ち上がり、スーツを整えると医務室の出入り口に向けて歩き出す。その途中、千冬はふと思い付いたかのように足を止め、ラウラに向き直り口を開く。

 

「ああそれと、貴様を助けた男だがな。奴はシュヴァルツェア・レーゲンのシールドエネルギーが枯渇していたことを一目で見抜き、自らの身の危険を顧みずにシステムに取り込まれた貴様を暴走するISから引き摺り出した。自賛は好きではないが、仮にも私の剣を相手に攻撃を受け続けたんだ。白兵戦等を不得手としているにも拘らずな」

 

 その言葉に、ラウラの心臓が大きく跳ねた。それはつまり、一つ間違えば自分の命がここに無かったと言うのと同義であり。

 

「シールドエネルギーが、ですか?」

 

「そうだ。恐らく、暴走後の機体を構成する流体金属の展開に、残るエネルギーをすべて使い切ったのだろう。それでもエネルギーが足らず、硬化させることが出来たのはブレードのみだったようだ。当初、鎮圧部隊は実弾を搭載していたのだが、それを制止したのも鹿島だ。……礼くらいは言っておけ」

 

「あの男が、私を? 何故……」

 

「さてな。私は鹿島ではないから、その本心までは知らん。だが、疑問に思ったのなら本人に聞くといい。存外甘い男だ、快く教えてくれるだろう」

 

 そう言って、千冬は今度こそ医務室から姿を消した。残されたラウラは、独り千冬の言葉を考える。顔もロクに覚えていないその男は、ラウラの記憶が正しければ、彼女が痛めつけた二人の代表候補生と比較的親交が厚かったはずだ。敵対者は再び戦う気を起こさぬよう徹底的に攻撃するべきであると考えるラウラには、友人関係にあるはずの人間に攻撃を加えた人間を命がけで救おうとする夏希の思考が、どうしても理解できなかった。

 

(そうするだけの価値を、奴は私に見出した? あるいは何か他の理由があるのか? わからない、どうしてだ。何故傷を負ってまで、私を助けようとした)

 

 ベッドに深く潜り込み、ラウラは静かに考える。彼女の心中に渦巻くのは、とても古い感情。それは、ラウラがこの学園に訪れて初めて感じた、他人への興味だった。

 




ご指摘にあったタグの書き換えを行いました。ハーレム的な表現が苦手な方には申し訳ありませんが、どうかご容赦ください。ただ、鈍感主人公や、恋愛までの展開が極端に早い話にはなりませんので、多少は緩やかに進みます。それでも構わない方は、これからも拙作をよろしくお願いします。

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