次の日。
土曜日の朝だった。
世界中の都市が、まだ半分眠っているような時間である。
だが私はすでに起きていた。
いや、正確には――
ほとんど眠っていないと言うべきだろう。
私の生活には、昼も夜もあまり意味がない。
人間というものは太陽の昇り沈みに合わせて生活するらしいが、私はそういう習慣からかなり遠い場所にいる。
薄暗い部屋。
カーテンは半分だけ閉じられている。
机の上にはパソコン、資料の山、空になったお菓子の箱、そしていくつものコーヒーカップ。
その中央で、私はいつものように椅子の上にしゃがみ込み、奇妙な姿勢で新聞を読んでいた。
朝刊。
世界の出来事が、紙の上に小さな活字となって並んでいる。
私は新聞の端をつまんだ。
右端と左端を同時につまみ、ぱたりと広げる。
そしてそのまま、背後にいるリュークへ見せた。
「テスト結果発表か」
リュークが興味深そうに覗き込む。
新聞の見出しには、大きな文字が踊っていた。
『コンビニ強盗 逆に店員に刺され死亡』
私はその見出しをじっと眺めた。
数秒。
ほんのわずかな沈黙。
そして私は小さく呟いた。
「すごいですね……デスノート」
机の上には、一冊の黒いノートが置かれている。
世界のどんな兵器よりも、
どんな毒薬よりも、
恐ろしい道具。
そのページには、昨日私が書いた文字が残っていた。
中岡字 松四郎 出血多量死
その下には、さらに細かい記述が続いている。
セブンイレブンにナイフを持って押し入り、その日の売り上げを要求。
警察に連絡しようとしたコンビニ店員に対して即座にナイフで切りつけようとするが揉みあいになる。
持っていたナイフが自分の腹部に刺さり、1時30分死亡。
私は新聞とノートを見比べた。
結果。
完全一致。
新聞には当然、デスノートの存在など書かれていない。
ただの不運な事件として処理されている。
だが私には分かる。
これは偶然ではない。
完全な再現。
人間の行動をここまで操れるとは、正直、予想以上だった。
私は何も言わず、机の横に置いてあった箱を持ち上げた。
そしてそれをリュークの前に差し出す。
箱の中には――
リンゴ。
しかも大量に。
赤く艶のある、いかにも美味そうなリンゴが山のように詰まっている。
リュークの目が光った。
「何だよ」
私は淡々と言った。
「すみませんが、リュークに少しお手伝いしてもらうことがあります」
「その前払いです」
リュークはリンゴを一つ取り、かじった。
シャクッ。
心地よい音が部屋に響く。
「どういうことだ?」
私は答える代わりに、パソコンの画面を開いた。
警察データベース。
犯罪者リスト。
その中のNEWの欄をクリックする。
画面に一枚の写真が表示された。
男の顔。
どこか荒んだ、神経質そうな顔。
名前。
恐田奇一郎。
私はその顔を眺めながら、昨日のニュースを思い出していた。
銀行強盗未遂。
金は奪えず、銀行員と一般人を撃って逃走。
麻薬常習犯。
社会の底辺を這いずり回るような人生。
私は少しだけ首を傾けた。
人間という生き物は、実に不思議だ。
こういう男は世界中に無数にいる。
しかし、その中のたった一人が、
私の実験材料になる。
それだけで、この男の人生は、ほんの少しだけ意味を持つ。
私はパソコンの画面を見つめたまま言った。
「今回の実験には、死神であるリュークが必要です」
リュークが眉を上げる。
「ほう?」
私はさらに続けた。
「場所はすぐそこです」
指で画面の地図を示す。
「目の前のスペースランド行きのバス停」
「ここで行います」
私は窓の外をちらりと見た。
確かに、そこは目と鼻の先だった。
人通りの多い通り。
バス停。
週末の街。
人間が無数に集まる場所。
実験には、ちょうどいい。
リュークはリンゴをもう一つ手に取った。
「ふーん」
そして大きくかじる。
シャクッ。
果汁が飛び散る。
リュークがニヤニヤ笑った。
「分かったよ」
「別にお前の為じゃない」
もう一口かじる。
「リンゴの為だからな」
私はそれを見て、小さく笑った。
死神。
人間。
デスノート。
そして、これから起こる実験。
すべてが静かに動き始めている。
私の胸の奥で、久しぶりに――
ほんの少しだけ、退屈が消えかけていた。