霞が関駅の地上へ出た瞬間、冬の空気が肺の奥まで鋭く入り込んだ。
僕は小さく息を吐く。
白い霧が口元からゆっくりと流れ出る。
母に頼まれた父の着替えを手に、警察庁へ向かう途中だった。
念のため父へ電話を入れる。
ぴ、ぴ、ぴ――
『留守番電話サービスに……』
僕は眉をわずかに寄せた。
「……珍しいな」
父は会議中でない限り電話に出る。
それが出ない。
胸の奥に、ほんのわずかな違和感が沈殿する。
警察庁の受付へ入ると、そこには奇妙な光景があった。
揉めている。
受付の男と、ひとりの女性。
遠目にも分かる。
黒いロングヘア。
背筋の伸びた立ち姿。
声の調子は決して荒くない。
だが、言葉には揺るぎがない。
――本部と昨日約束をした。
――それなのに本部に誰もいないのはおかしい。
そんな主張をしているようだった。
僕は立ち止まる。
――本部に誰もいない。
その言葉が頭の中で反響する。
父の電話は留守電。
そして本部は空。
……何かが起きているのか。
僕は受付に着替えを渡した。
すると受付の男が僕に向かって話し始める。
保険金殺人事件の話。
以前、僕の助言で解決した事件だ。
それをこの女性の前でわざわざ話す。
そしてこう聞いてきた。
「キラ事件も推理しているのか?」
僕は軽く笑った。
「ええ。うまくいけばLを出し抜けるかも」
その瞬間だった。
女性の視線がこちらへ向く。
僕はその目を見た。
――大きい。
だが、それだけではない。
瞳の奥にあるもの。
それは単なる好奇心ではない。
決意。
執念。
何かを必ず達成する人間の目。
その種類の目を僕はよく知っている。
なぜなら。
僕自身が同じ目をしているからだ。
僕は自然な調子で言った。
「父はキラ事件本部の長なんです。よければ取次ぎますよ」
受付の男が横で小言を言う。
一般人にそんなことを、と。
だが僕は気にしない。
そして女性をもう一度観察する。
顔の筋肉。
呼吸。
立ち方。
焦りはある。
しかし、混乱はない。
理性が勝っている。
――信用できる。
少なくとも、軽率な人間ではない。
「この女性は信用できます。目を見れば分かります」
僕はそう言った。
半分は本当。
半分は計算だ。
女性は軽く頭を下げた。
外へ出る。
冬の街を歩きながら、僕たちは話し始めた。
キラ事件。
彼女の言葉は驚くほど整っていた。
推理の筋道。
情報の扱い方。
仮説の組み立て。
どれも素人のものではない。
そして彼女は言った。
キラは顔と名前が必要だと。
そこまでは警察と同じだ。
だが。
それ以上の能力がある、と。
僕は一歩先に進んでみた。
「キラは、人を殺すだけでなく死ぬ前の行動も操れます」
女性は歩みを止めた。
そして僕を見た。
その視線には驚きがあった。
「私と同じ考えを持っていたなんて……」
僕は内心でわずかに驚いた。
そして彼女は続ける。
「それだけじゃない。キラは心臓麻痺以外でも殺せる」
僕の背中を冷たいものが流れた。
冬だというのに。
汗が一滴落ちる。
――心臓麻痺以外。
それは僕自身すらまだ考えていなかった。
しかし。
言われてみれば。
理屈は通る。
キラが能力の条件を隠すなら。
あえて心臓麻痺を基本にする。
そうすれば。
事故死や自殺は誰も疑わない。
僕は思う。
この女。
鋭すぎる。
「知り合いがキラに会っています」
その言葉に僕は止まった。
キラに会った?
そんな馬鹿な。
「FBI捜査官でした」
そして。
「私の婚約者です。そして彼が調べていた人物こそが……キラ」
彼女は続ける。
バスジャック。
8時間前のコンビニ強盗。
その後のFBI死亡。
すべてを一本の線で結ぶ。
僕の脳裏にある顔が浮かぶ。
――レイ=ペンバー。
僕は表情を歪める。
だが。
その裏で僕の思考は高速で回転していた。
――推理はほぼ正しい。だが……