――事件というものは、表面だけを見ていては決して姿を現さない。
むしろ重要なのは、その裏側にある「意図」だ。
私は受話器を持ったまま、もう一つの電話を耳に当てていた。
二つの回線。
二つの思考。
そして二つの現場。
夜神総一郎さんの声が向こうから聞こえる。
緊張している。
しかし理性は失っていない。
さすがだと思う。
「では夜神さんは5分後にそのまま外へ出て下さい」
私は淡々と告げた。
その言葉の裏には、いくつもの計算が含まれている。
もし第二のキラが顔を見て殺す能力ならば、
対策は単純だ。
顔を見せなければいい。
だがそれだけではない。
第二のキラが視覚情報以外――
声、姿勢、特徴、あるいは直感的な何かで識別する可能性もある。
人間の思い込みは危険だ。
だから私は常に、
複数の可能性を同時に走らせる。
五分後。
総一郎さんが建物の外へ出る。
画面越しにその光景を見て、私は小さく頷いた。
外には黒いスモークシールドで顔や体を覆い隠した警察官たちが並んでいる。
まるで黒い壁だ。
人の形をした壁。
この状況では、外から内部の人間を特定することはできない。
そして案の定、
第二のキラ――
いや。
弥海砂は。
その様子を観察するしかなかった。
人を探す目。
焦り。
不満。
しかし。
何も見えない。
それでいい。
私は静かにコーヒーを一口飲んだ。
甘い。
いつものように砂糖を大量に入れている。
思考を回すには、
糖分が必要だ。
総一郎さんが本部に戻ってきた。
捜査本部の空気は、どこか重い。
だが私はすぐに動いた。
テープ?
違う。
私は机の上の封筒を手に取った。
重要なのは、
声ではない。
痕跡だ。
封筒を裏返す。
そして目を細めた。
(……大阪の消印ですか)
なるほど。
関西。
だが。
私はすぐにその推理を否定した。
(しかし)
キラの能力を思い出す。
死の前の行動は操れる。
つまり。
犯人が大阪にいる必要はない。
例えばこうだ。
大阪にいる人間を操る。
郵便を出させる。
それだけで、
消印は大阪になる。
つまり。
この情報は――
証拠ではなく、罠かもしれない。
「相沢さん」
私は封筒を差し出した。
「鑑識に回してください」
相沢はすぐに動いた。
彼は真面目だ。
そしてこういう人間ほど、
捜査では貴重だ。
そのあと私はテープを再生した。
一度。
二度。
三度。
何度も。
人間の声というものは、
聞けば聞くほど情報を漏らす。
呼吸。
間。
抑揚。
そして感情の揺れ。
日本警察の長官か。
それとも。
Lの首か。
どちらかを差し出せ、と。
私は顎に指を当てた。
普通の人間なら、
ここで恐怖を感じるだろう。
だが私は違う。
むしろ。
興味が湧く。
第二のキラは明らかに幼い。
精神が。
思考が。
計画が。
すべてが未熟だ。
だが。
(能力は強力ですね)
もし私の推理が正しければ。
第二のキラは。
顔だけで殺せる。
私の能力よりも
はるかに効率的だ。
つまり。
場合によってはこの存在は最悪の敵になる。
この第二のキラは。
敵なのか。
それとも。
味方なのか。
私はゆっくりと椅子に体を沈めた。
甘い菓子を口に入れる。
思考は止まらない。
迷宮はさらに深くなった。
第二のキラ。
そして。
夜神月。
私は静かに呟く。
「面白くなってきましたね……月君」
***
――人間の世界というものは、ある瞬間を境に、まるで別の舞台へと姿を変えることがある。
その夜、僕は自室でテレビの中継を見ていた。
机の上には参考書が開かれている。大学の講義の予習だ。だが今の僕の視線は、そこには落ちていない。
画面の向こうでは、さくらテレビのスタジオが混乱に包まれていた。
人が倒れる。
悲鳴が上がる。
アナウンサーの声が震えている。
普通の人間なら、ただ恐怖を感じる場面だろう。
しかし僕は違った。
僕の興味は、倒れた人間ではなく――
その背後にある論理に向いていた。
僕は腕を組み、ゆっくりと呟いた。
「作り方といい……どこから来たか分からない人間を次々に殺していることといい……」
映像を見つめながら、思考を組み立てる。
「これは今までのキラとは違う」
今までのキラ事件は、ある意味で整然としていた。
犯罪者。
心臓麻痺。
一定の基準。
そこには一種の“秩序”があった。
しかし今テレビに映っているものは違う。
雑だ。
衝動的だ。
そしてどこか、幼い。
僕は小さく息を吐いた。
「第二のキラ……とでもいうのだろうか」
その言葉を口にした瞬間、頭の中でいくつもの仮説が並び始める。
まず能力。
これは明らかだ。
「殺傷能力はキラより高い……」
もし今の推理が正しいなら、この人物は
顔を見るだけで殺せる可能性がある。
少なくとも、名前を書いたり調べたりする必要はなさそうだ。
つまり。
今までのキラよりも、はるかに迅速な殺害が可能になる。
僕はしばらく黙って画面を見つめていた。
普通なら恐ろしい事態だ。
しかし僕の中に浮かんだのは、恐怖ではなかった。
むしろ――
可能性だった。
「……しかし」
僕は椅子の背にもたれた。
「これは逆にチャンスではないだろうか」
この事件の中心には、常に一つの存在がいる。
L。
世界最高の探偵。
そしてキラを追い続ける男。
もしLが第二のキラと繋がってしまえば――
それは最悪の展開になる。
だが。
もし違うなら。
僕の思考は、ゆっくりと一つの結論に近づいていく。
「僕が第二のキラを見つけて……」
僕はテレビの画面を見つめた。
「どのように殺しているか分かれば……」
その瞬間、胸の奥で何かが燃えるように熱くなる。
「Lを逮捕できる可能性はある」
Lは、今までキラ事件の中心にいた。
しかしキラの力の正体は分からない。
もし僕がそれを解き明かせば――
この事件の構造を、すべて説明できる人間になる。
そしてそのとき。
Lでさえ、僕の推理から逃げられない。
僕はもう一度テープの映像を見直した。
編集。
構成。
言葉遣い。
すべてが粗い。
「テープの作り方やキラからのメッセージの内容といい……」
僕は断言した。
「本物のキラよりは、はるかに劣る」
つまり。
この人物は、キラに憧れた模倣者かもしれない。
そして模倣者というものは――
必ずどこかに隙がある。
僕は窓の外を見た。
夜の街が広がっている。
あの中のどこかに、第二のキラがいる。
「僕が見つけ出せる可能性は高い」
同時に。
警察やLも見つけやすい。
つまり。
この事件は長く続かない。
「これは短期決戦になるな……」
僕は静かに結論を出した。
「ここはLを監視しつつ第二のキラも追う」
そして、そのための最短の場所は――
一つしかない。
「捜査本部に出入りすることだ」
僕はゆっくりとテレビを消した。
この事件は、
ただの殺人事件ではない。
これは――
知能の戦いだ。
そして僕は、その戦いに参加する。
***
――人間というものは、極度の緊張の中に置かれると、かえって滑稽な姿をさらすことがある。
次の日。
捜査本部の空気は、どこか重かった。
壁に並ぶモニター。
机の上に散らばる資料。
そして沈黙。
その沈黙の中心で、私はケーキを食べていた。
椅子の上に両足を乗せ、背を丸める。
まるで猫のような姿勢だと、よく言われる。
フォークでショートケーキを切り分け、口に運ぶ。
甘い。
非常に甘い。
思考を回すには、この程度の糖分は必要だ。
部屋の人間たちは、私の姿をちらちらと見ている。
彼らには、きっと奇妙に映るのだろう。
世界一の探偵と呼ばれる男が、
このような姿でケーキを食べているのだから。
しかし外見など、どうでもいい。
重要なのは、頭の中で何が起きているかだ。
総一郎さん――夜神総一郎から聞いた話では、
警察庁長官の首ではなく、Lの首を差し出すことで合意したらしい。
つまり。
差し出されるのは――
私だ。
普通の人間なら動揺するところだろう。
だが私は苺をフォークで刺しながら、静かに言った。
「んー。キラに便乗された者……」
苺を口に入れる。
そして続けた。
「いや、第二のキラに殺されるのは納得はいかないですね」
その言葉で、部屋の空気がわずかに揺れた。
「第二のキラだと?」
「ちゃんと話してくれないか?」
相沢さんが身を乗り出す。
私はフォークを皿の上に置いた。
そしてゆっくりと説明を始める。
「まずビデオで殺すと予告殺人した犠牲者について……」
私は目を細めた。
眠そうに見える目だとよく言われる。
しかし実際には、その奥で思考が猛烈な速度で働いている。
「この犠牲者は女性週刊誌とワイドショーでしか報道されていませんでした」
部屋の人間が顔を見合わせる。
多くの人間は、ここでようやく気付く。
報道の偏り。
私は続ける。
「本物のキラならそんなザコでやってみる必要はありません」
キラの行動には一定の傾向がある。
犯罪者。
社会的影響。
そして裁き。
しかし今回の犠牲者は違う。
小物だ。
あまりにも小さい。
「しかし第二のキラ視点では事情が変わります」
私は指先を組んだ。
「本物のキラが殺す可能性のある犯罪者を予告には使えない」
もし使えばどうなるか。
本物のキラが先に殺してしまう。
そうなれば予告は外れる。
つまり。
第二のキラは――
本物のキラが手を出さない領域を選んでいる。
私は静かに結論を言った。
「第二のキラである可能性は……70%以上です」
部屋がざわつく。
だが私はその反応を気にしない。
むしろ気になるのは別の点だ。
私は少しだけ眉を寄せた。
「それともう一つ」
フォークでケーキの端を崩す。
「本物のキラは一定の基準で殺しています」
思想。
信念。
ある種の秩序。
だが。
「第二のキラは違います」
私は小さく息を吐いた。
「気まぐれです」
その言葉には、わずかな不快感が混じっていた。
秩序ある犯罪者よりも、
無秩序な犯罪者の方が厄介だ。
そして。
私はもう一つの駒を動かす。
「だからこそ」
私は総一郎さんの方を見た。
「夜神月君を捜査本部に呼んでほしい」
部屋の空気がまた変わる。
夜神月。
あの青年の頭脳は、すでに確認済みだ。
観察力。
推理力。
そして異様なほどの冷静さ。
この事件の中で、
彼は極めて有効な駒になる。
だが私は最後に言葉を付け加えた。
「ただし」
指を立てる。
「今回、第二のキラの存在は伏せておいてください」
なぜか。
理由は単純だ。
もし第二のキラが自分の存在を認識されたと知れば、
行動を変える。
それでは観察ができない。
私は椅子の上で体を丸めた。
猫のような姿勢に戻る。
そして思う。
第二のキラ。
未知の能力。
そして――
夜神月。
私はこの三つの点を頭の中で結びながら、静かにケーキを口に運んだ。
迷宮は深くなっている。
だが私は迷わない。
迷宮というものは、
構造を理解した瞬間、ただの地図に変わる。
そして私は思う。
この奇妙な事件は――
一つの実験に似ている。
未知の能力。
未知の人間。
未知の動機。
それらが同じ舞台に集まった。
ならば。
観察するしかない。
どちらが先に、この迷宮の中心に辿り着くのか。
第二のキラか。
夜神月君か。
それとも。
――私か。