本部の空気は、妙に乾いていた。
渋谷。
青山。
どちらにも、キラらしき人物は現れなかった――という報告が、すでに上がっている。
捜査官たちは顔を見合わせ、半ば冗談のように、しかしどこか本気の色を含んで言い始めていた。
「やはり……本当に30日の東京ドームなのではないか」
だが私は、その言葉を聞き流していた。
部屋の奥で、月君と私が向かい合って座っている。
月君は腕を組み、椅子の背に体を預け、じっとこちらを見ている。
あの目だ。観察者の目。
(青山にノートを持った不審者は現れなかった……渋谷の洋品店も同じ……)
彼の思考が、表情の微かな筋肉の動きから読み取れる。
(まさか、本当に東京ドームで……?)
私はと言えば、椅子の上で膝を抱えるような姿勢のまま、ぼんやりと手を動かしていた。
右手はグー。
親指だけを立てる。
いわゆる「GOOD」の仕草。
子供が遠くでテストの結果が良かったときに見せる、あの妙に誇らしげなポーズだ。
もっとも、私にそんな意味はない。
ただの癖だ。
親指の爪のあたりを、カリカリとかじりながら考える。
(……まぁ青山には第二のキラは来ていたでしょう)
そう考えるのが自然だ。
(今回発見できなかったのは仕方ありません……)
むしろ。
(これは月君の対応力の勝利です)
彼は私を現場から遠ざけた。
その一点において、今回は彼の一手が上だった。
だが――
(大事なのは……)
私と月君。
お互いが動かなかったこと。
第二のキラが、それをどう受け取るか。
そこに、次の一手が隠れている。
そのときだった。
扉が静かに開き、ワタリが入ってくる。
「L、第二のキラからお便りです」
手には、ビデオテープ。
部屋の空気が一瞬で変わった。
誰もがテレビの前に集まる。
私は椅子の上で姿勢を変えず、ただ視線だけを画面に向けた。
ワタリがビデオデッキにテープを入れ、再生ボタンを押す。
数秒のノイズ。
そして――
画面が映る。
女の声。
「キラを見つけることはできませんでしたが……」
捜査本部の全員が、息を止めた。
「キラと会いたいという気持ちが無くなったので、もう探しません」
――沈黙。
私は親指を口から離した。
(……どういうことだ……)
この第二のキラ。
思考も行動も、あまりにぶれている。
本来なら。
キラに会いたいのなら、もっと執拗にアクションを起こすはずだ。
それが――
突然の撤退。
(単に面倒くさくなった……?)
いや。
そんな単純なものではない。
頭の中で、情報を並べる。
ファッション誌に書かれた人間を殺した。
機械音痴。
感情の起伏が激しい。
ストレートに見れば。
10代後半から20代前半の女性。
そして。
まともな企業勤めではない。
学生。
フリーター。
あるいは――
もっと自由な職業。
ファッション誌を見る。
青山や渋谷を指定する。
つまり。
「おしゃれな人物像」。
……いや。
私はそこで一度思考を止めた。
青山の日付。
平日。
学生がサボることはできる。
だが。
わざわざサボるくらいなら、普通は休みの日にやる。
そうなると――
平日が休みの職業。
アパレル。
アクセサリーショップ。
美容師。
……違う。
正社員なら、ここまで行動がぶれない。
もっと自由だ。
もっと華やかで。
時間に余裕がある仕事。
芸能界。
モデル。
歌手。
声優。
そこまで考えたとき。
もう一つの違和感が、すっと浮かび上がった。
キラに会いたい。
それは。
崇拝。
だが。
それを上回る心の変化が起きた。
私は、その感情を経験したことはない。
しかし――
小説やドラマでは、いつも主役になる感情だ。
(……恋をしたんでしょう……)
(第二のキラは……)
その結論に辿り着いた瞬間。
肩の力が、ふっと抜けた。
その様子を、月君は見逃していなかった。
「L……なぜ第二のキラは感情の変化があったと考えている?」
月君の視線が、鋭く私を射抜く。
なるほど。
彼も気づいていたか。
「……月君も気付いていましたか」
私は小さくため息をついた。
「私の口から言うのは似合わないと思って黙っていました」
そして、少し間を置いて言う。
「……恋をしたということでしょうね」
その瞬間、松田さんが叫んだ。
「恋!!!」
本部の空気が一気に騒がしくなる。
だが私は、静かにシュークリームを口に運んだ。
甘い。
その横で、月君がゆっくり口を開いた。
「じゃあ、Lに代わって僕が説明するよ」
彼の推理は、見事だった。
キラを崇拝する人間が、簡単に心変わりするはずがない。
それを超えるものがあるとすれば――
恋。
そして彼は続ける。
第二のキラは、10代後半から20代前半。
一般企業ではない。
華やかな職業。
芸能界。
モデル。
コンパニオン。
(……やはり)
私は内心、微笑んだ。
(ほぼ同じ結論です)
本当に。
ここまで考えられる人間が、この世にもう一人いるとは。
実に――
楽しい。
そのときだった。
月君が、ゆっくり言った。
「父さん……逆だよ……チャンスだよ」
第二のキラは、キラへの興味を失った。
つまり――
寝返る可能性がある。
彼は提案する。
テレビで呼びかける。
逮捕免除。
協力の見返りに情報を得る。
月君の顔が、こちらを見た。
まるで獲物を狙う般若のような目で。
なるほど。
最初から、この展開を狙っていたのですね。
もし第二のキラが応じれば。
私がキラなら。
確かに危険だ。
そのとき。
背後で、死神が笑った。
『なぁL、内心震えてるんじゃねえのか?』
私は小さく笑った。
(ええ……震えていますよ)
(武者震いですがね)
ここまで追い詰めてくれるとは。
実に素晴らしい。
「いいでしょう」
私は言った。
「私はキラではありませんし……第二のキラが乗る可能性もあります」
そして微笑む。
「面白い。やってみましょう」
(もし第二のキラが名乗り出たなら……)
(月君と接触するのと、ほぼ同時)
(その瞬間)
(デスノートで殺す時間は、十分にあります)
むしろ――
この策は。
私がキラなら、絶対にやるべきではない策。
だからこそ。
やる価値がある。