BEST ASSASSIN   作:後藤陸将

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PART 2 右妻の決断

国際会議の舞台を後にした右妻は、晩餐会を終えて宿泊先のホテルに向かった。自身に宛がわれた部屋に案内された右妻は、補佐官達も自室に招いた。右妻は補佐官たちをテーブルに着かせると、部屋に用意されていた水をコップに注ぎ、一気に仰いだ。

「相変わらずの傲慢さだよ、全く」

 このホテルは、官邸スタッフの手によって盗聴対策も万全にしてある。それを知っているからこそ右妻は押さえ込んできた暴言を遠慮することなく口にした。

「あのLAST ASSASSIN(最終暗殺プロジェクト)なんぞ、超大国のエゴイズム丸出しの計画じゃないか。奴らは反物質という新しい玩具を手に入れてかなり自惚れているらしい」

「かつて、核の火を手に入れた時も彼の国はそうでした。原子力が万能の力だと信じ、核の力が文明の叡智であり、全ての国を屈服させ、アメリカこそが神に選ばれた国としての永遠の繁栄を得ると信じてやまなかった」

 補佐官の一人が言った。

「一時はあらゆる兵器に原子力を取り入れようとし、世界を滅ぼせるだけの核兵器を配備した国です。この触手も、同じように利用する可能性は否定できません」

「あのゴルゴ13ですら敵ではないとまで言い出した。もはやソ連もなく、恐れるものは何も無いと思っているんだろうな。反物質まで我が物とした今、もはや神ですら恐れるに足りないとまで言い出しそうだ」

 右妻は眉間に皺を寄せ、顔を顰めた。

「あの神を気取った傲慢なジャイアニズムの権化は知らんのさ。君達も覚えているだろう、HAL事件を」

 

 

 ――HAL事件。

 数年前にこの国で発生した未曾有のテロ事件だ。

 ことの発端は、当時、脳科学とコンピューターサイエンスを研究していた錯刃大学教授、春川英輔が自身の脳内の電気信号のやり取りを正確に複製、データ化し、コンピューター上にプログラム人格、“電人HAL”を組み立てたことである。

 そして春川はHALと共に、人間が抱える個々人の願望を軸とし、映像刺激や音声刺激でシナプス回路を組み替えることで脳の片隅に兵隊としての別人格を作り上げるプログラムを完成させた。後にこのプログラムは、その存在を掴んだ警視庁によって『電子ドラッグ』と命名された。

 HALはその後、自身の生みの親であり起源(オリジナル)でもある春川英輔の命脈を電子ドラッグで洗脳した春川の助手の手で断ち切り、何者の制止も受け付けなくなる。そして、HALは自身の生存と性能強化を目的に動き出した。

 続いてHALは電子ドラッグをこの国にばら撒き、電子ドラッグの中毒者が持っていた深層意識の犯罪願望を解放させることでこの国を暴動一歩手前の状態にまで混乱に陥れる。しかし、この混乱は単に警察の目を惹きつけるための陽動に過ぎなかった。

 この混乱の隙を突く形でHALは横須賀に寄港中のウィルクス・ブース級原子力空母二番艦“ハーヴェイ・オズワルド”の回線に侵入、モニターなどの映像媒体から電子ドラッグを発信し、短期間で空母の全乗員を洗脳、自身の支配下に置くことに成功した。

 原子力空母の全機能を支配下においたHALはその後、全世界に声明を発表し、二つの要求をだした。一つ目の要求は、自身と自身を積んだ原子力空母に決して危害を加えないこと。そして、二つ目の要求は現在世界中で使われている全てのスーパーコンピューターの使用の権限をHALに与えるというものだった。

 当然のことながら、その二つの要求を呑むことは到底許容できなかった。

 いつでも原子力空母内部のものの意思で東京都を二万五千年の間生き物が暮らせない死の街に変えることができる状態そのものが、政治、経済、外交全てに影響する。実際、株式市場においては、日本企業株が揃って大暴落し、下手をすれば世界恐慌かと思われるほどに人々の不安を掻き立てていた。

 そして、二つ目の要求も呑めば世界中のスーパーコンピューターを使用している科学や医療などの最先端分野の研究もストップし、科学技術の進歩に大きな遅れをもたらしかねなかった。

 例え要求を拒んだとしても状況は何一つ好転しない。寧ろ、原子力空母が東京湾の奥に居座るだけで日本は追い詰められるのだ。敵対する行動を取ろうとしてもすぐさまHALに察知され、電子ドラッグの餌食になる始末。空母の持ち主であるアメリカ海軍、並びにアメリカ国防省もこのような事態は想定すらしておらず、まともな対応を取ることはできなかった。

 しかし、政府や関係機関が何ら有効な手立てを講じることができないでもたついている内に、HAL事件は一人の探偵の手によって解決された。世界的歌姫であるアヤ・エイジアの殺人トリックを暴き鮮烈なデビューを遂げた女子高生探偵桂木弥子。彼女は単身HALが支配下においた原子力空母に乗り込んでHALを説得したのである。

 説得の結果、HALは自身の計画と生存を破棄し、電子ドラッグの正式な治療薬(ワクチン)プログラムを桂木弥子に託して消滅した。

 首都東京は放射能汚染の危機から救われ、街に溢れていた電子ドラッグに感染した犯罪者は、あらゆる映像媒体の発信源にインストールされ、四六時中サブリミナルを流し続けた治療薬(ワクチン)の効果によって一人残らず洗脳から解放されたのである。

 この事件で発生した政治的、経済的、社会的混乱の余波は、野党に攻撃の材料を与えるのに十分であり、この未曾有の混乱の余波を抑え切れなかった発足当時の時の内閣はしばらくして倒閣した。

 後になってこの事件後の内閣の対応は、ベストではなかったが、非常にベターなものであり、時の内閣の手際は責任を取らねばならない程に拙いものではなかったと評されたが、内閣が倒壊した後となっては後の祭りである。

 そして、この事件の時に発足したばかりの内閣こそ、現在の日本国内閣総理大臣、右妻鷹之丞が組閣した第一次右妻内閣であった。

 

 

「あの時と同じさ。技術的に何ら問題がなく、正しく整備、運用されているということが、イコールで絶対安全ということではないということを、やつらはあの事件を経てもなお理解できないのだ」

 右妻の脳裏に過ぎるのは、かつて自分が想像した地獄――首都東京の目の前に陣取った原子力空母が、内部から最大限の悪意を持って考えうる最悪のかたちで使用した結果だ。

 あの時も、“ハーヴェイ・オズワルド”の横須賀入港の直前までアメリカ軍極東方面軍司令官は事故の可能性など皆無だと言い切った。

 実際にHALに原子力空母が乗っ取られた後も有効な対策は何一つ打ち出せず、事件が高名な探偵の手によって解決された後も原子力空母の――ひいては原子力や空母の存り様に疑問符をつけることすらしなかった。

 否、正確に言えば、疑問符をつけようとする声を掻き消したのである。

「奴らにとっては、反物質も核と同じような代物なのだろうな……技術的には何ら問題なく、正しく整備、運用されていれば月の悲劇は二度と起こらない――反物質こそ、人類の叡智と発展の礎となる新たなる夢のエネルギーだと思っている。反物質は使い方を誤れば地球を一瞬で破壊してしまう、核以上に危険なエネルギーだというのに」

 右妻は続けた。

「核に反物質……どちらも人が扱う以上、扱う人間にモラル、慎重さ、責任感など資質が問われる」

「機械が、理論が、技術が完璧でも、結局はそれを扱うのは人間だからでしょうか?」

 補佐官の質問に右妻は静かに頷いた。

「その通り。しかし、それらを兼ね備えた優秀な人間を集め、万全の体制を敷いたとしても、絶対はない。人間が扱う以上必ずアクシデントは発生すると私は考えている。それが人為的なものだろうが、偶発的なものだろうがね」

 右妻は窓から見える三日月を見やる。

「やつらはそれを一度身をもって知るべきだ。いや……この世界のため、人類のため、そして何よりも我が国の国益のために、一度そのことをあのジャイアン気取りに教えてやるのもいいかもしれないな」

「総理……一体何を?」

 不穏な発言をした右妻に補佐官が訝しげな表情を浮かべながら尋ねた。

「アメリカが口を出してくるまで、私はゴルゴ13に()()の暗殺依頼を出すつもりはなかった……最期の手段であるし、ここで我々だけが手札を晒すことは、我が国の損にしかならないからな」

「では、まさか……」

「状況が変わった。来年度があるのなら、ここでアメリカの方針を挫いておくことこそが我が国の将来の国益になる」

 そして、右妻は不敵に笑った。

「あそこまで大言壮語してみせたんだ。アメリカさんのお望みどおり、依頼してやろうじゃないか。ゴルゴ13にな」

 

 

 

 

 

 数日後、総理補佐官の一人が東京都千代田区神田神保町にフラリと立ち寄った。普段から休日に古書店をチョクチョク巡っては本を買っていく趣味があった彼は、勝手知ったる古書店街を数時間かけてじっくりと巡っていく。

 そして、日が沈みかけたころになって彼は古本屋街の片隅にある「杉本書店」にフラリと立ち寄った。店主は愛想の全く無い寡黙な老人で、客が入ってきたというのに声をかけるどころか顔を上げようともせずに商品である古本を読みふけっている。

「すみません、ラテン語の聖書を探しているのですが、どこにありますかね?」

 彼が話しかけると、ようやく老人は顔を上げた。

「……うちには、一番奥の棚の一番上の左側に一冊だけラテン語の聖書がおいてある」

「ありがとう」

 彼は一番奥の棚の一番上の左側にある古ぼけた聖書を迷わず手に取ると、パラパラとページを捲りだした。そして、お目当てのページが()()()()()ことを確認して店主の座るカウンターに向かった。

「ご主人、このラテン語の聖書ですがね……どうもヨハネ黙示録の13ページが欠けているみたいです」

 彼の言葉に反応し、無愛想な店主の眉が僅かに動いた。

「……ヨハネ黙示録の13ページを取り寄せるかね?」

「そうですね。できるだけ急いで、()()()()()取り寄せて下さい」

「ここに名前を書いてくれ……こっちには連絡先だ……」

 彼は店主に促されて連絡先と名前を教え、静かにその店を後にする。それを確認した店主は、奥で静かに緑茶を啜っていた妻のもとに向かい、一言だけ呟いた。

「……依頼だ」

 妻もまた、寡黙な夫に習うかのように無言で頷いた。




まだゴルゴでません。次こそ、次こそは……

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