『捕まえたー!!』
その触手でしっかりと黄色い
しかし、その刹那の瞬間。マッハ20で動く物体を余裕で捉えられ、数百メートル先の小さな昆虫すら発見できる優れた視力を有するが故に、殺せんせーは大男の被るヘルメットのバイザーのむこうに見える顔が分かってしまった。
鼻から上しか見えなくとも、それで殺せんせーには十分だった。何故なら、その顔は最強生物である殺せんせーが、
最強の生物となった彼をして、この世で唯一自身を殺し得ると判断した男。
自身に残された命を使った暗殺教室を永遠に中断させる存在。
そして、
ならば、
殺せんせーとしては期限を迎えて爆発するのではなく、自殺するのではなく、出頭して殺処分されるのではなく、無関係の殺し屋に殺されるのではなく、他でもない彼らに殺して欲しかった。
だからこそ、殺せんせーは
椚ヶ丘中学校特別夏期講習沖縄離島リゾートで生徒達の策に追い込まれて披露した完全防御形態も、触手の一部だけを圧縮してエネルギーを取り出す方法も、本来はゴルゴ13を警戒し、その対策として準備していたものだった。
不審者対策のパトロールと称して密かに椚ヶ丘をマッハ20で飛び回るのも、実のところはその男がこの街に潜んでいないかを警戒しての行動だった。
一応、一つ一つの技能で言えば、初代死神も、殺せんせーもこの男に優っている点は少なくなかった。薬学、工学の知識等も、専門性で上回っていたし、男が有していないであろう相手の意識の波長を読み取る力や変装技術なども有していた。触手という力を手に入れてからは、さらに男との間にある優位性は広がったとも言えよう。
しかし、多くの分野の技術で凌駕しておきながら、
そう、
――
――
唯一、
そして、その懸念はついに現実のものとなった。
自身に覗き魔容疑を擦りつけようとしていた下手人を捕まえ、その正体がゴルゴ13であることを理解した途端、殺せんせーは最大速度で飛び退こうとした。この男が仕掛けてきた以上、必ずここには何かがある。とにかく、何が起こるかわからないが逃げるのが最善策だと判断した。
しかし、触手の扱いは精神状態に大きく左右される。ただでさえ、
ゴルゴ13を捕まえ、地面に倒し、バイザー越しにその正体を看破してから離脱すべきと判断するも、動揺からか実際に行動に移すまでに僅かに0.1秒ほどであるが時間を
また、最高速度はマッハ20といえど、初速からその速度が出るわけではない。初動の1mほどは、せいぜい時速600km程度なのだ。1m離れるだけでまた1000分の6秒ほどの
合計でも、コンマ数秒のロスであり、1000分の6秒あればさらに1mも距離が稼げる。あのゴルゴ13でさえ0.1秒以内に早撃ちできないのだ。それだけあれば殆どの脅威から逃れられるはずだった。
――だが、ゴルゴ13はそんな
――この男の前で「ありえない」などということは、「ありえない」のである。
突如、殺せんせーの全身に激しい衝撃と、焼け爛れるような痛みが襲った。マッハ20の超高速移動物体すら余裕で見切る殺せんせーの動体視力でも自身を襲い、衝撃と痛みをもたらしたものの正体を理解できなかった。
予期せぬ衝撃。自身の動体視力を持ってしても捉えられず、時速600kmで飛び退いても回避することが叶わなかった謎の攻撃。それは、殺せんせーの思考能力はコンマ数秒、混乱と動揺によって正常に機能しなかった。さらに、身体も衝撃からか自身の思い通りに動かない。
そして、コンマ数秒の思考の空白とそれに伴う硬直が、殺せんせーの運命を決めた。
気がついたときには、既にゴルゴ13は懐から引き抜いた銃を殺せんせーの
殺せんせーには全てがクリアに見えていた。だが、身体は動かせない。殺せんせーはただ自身の心臓に吸い込まれるように向かってくる対先生弾を見ていることしかできない。
そして、対先生弾が殺せんせーの心臓を貫く。己の肉が穿たれる感覚と共に、意識が薄らいでいくのを殺せんせーは感じていた。
――これが『死』か。
今まで、数え切れないほどの人々に自分が与えてきたものであるが、自分の身体でそれを体験するのは当然のことながら殺せんせーにとって初めてのことだった。薬物で気を失うときの、どこか全てが遠くなる感覚とは違い、どちらかというと、自然な眠りにも似たゆるやかで安堵すら覚える感覚だった。
死んだら人がどこへいくかなんて、数え切れぬ人を『死』に送ってきた死神だった彼ですら分からない。ひょっとしたら、死の先は無なのかもしれないし、「天国」や「地獄」があるのかもしれない。
だが、別に死の先が無であろうが、罪人が送られるという地獄であろうが彼は恐怖を感じたりはしない。せいぜい、もしも死の先に天国とやらがあるのなら、そこで自身を教師として導いてくれた彼女に会えないのは残念と思うくらいだ。
ただ、生徒たちを卒業まで導けなかったことが唯一彼にとっては心残りだった。
まだ教えていないことがたくさんあったし、まだ自分自身も教えてもらうことがたくさんあった。そしてなにより、彼らと過ごす時間がここで終わってしまうことが心苦しくてならなかった。
だが、それはこれまで自分が死神として殺してきた人々もきっと今際の際に抱いたであろう気持ちだ。であるならば、自分だけがその気持ちを受け入れないというわけにはいかない。
彼らを信じて、先に逝こう。最後まで導けなくとも、彼らは彼女と自分が持てる全てをもって向き合った生徒たちだ。きっと、彼らは自分自身の脚で歩いていける。自分がいなくとも、いつかきっと暗殺教室を自分の脚で駆け抜けて卒業してくれる。彼はそう信じることにした。
そして、彼の意識は瀬戸内の海岸に打ち寄せる小波のように緩やかに、静かに引いていく。その意識は二度と戻ることのない深い、それでいて大きな闇へと消えていった。
意識を失った殺せんせーの身体が眩しく弾け、光の粒子へと変貌を遂げる。粒子はすぐに拡散、消滅し、後には彼が来ていた服だけが残った。
地球を破壊しうる超生物の命脈はここで絶たれ、地球は滅亡から救われた。さらに、同時に一つの事実が確定した。
「一番優れた殺し屋は誰か」
この議論に、ついに明確なかたちで決着がついた。
かつて死神と呼ばれた殺し屋は、ゴルゴ13の前に敗れ去ったのである。
ゴルゴは、粒子となって消滅した標的を見届けると、激痛に蝕まれる身体に鞭を打って立ち上がった。
――予想よりも、怪我は重い。だが、立てないほどではない。
ゴルゴはゆっくりと身体の調子を確認しながら立ち上がると、近くの茂みで倒れている5人の少年少女に歩み寄った。息使いから察するに、どうやら全員意識を失っているらしい。一応、一人づつ意識の有無を触診で確かめるが、全員気絶していることは間違いなかった。
全員に意識がないことを確認したゴルゴは、彼らの靴を回収する。彼らの靴には今日の授業時間中に小型のスタンガンが仕込まれており、彼らは突如足の裏から放たれた強力な電流によって意識を失っていたのである。
元々、このような露骨な罠で
いかに中学生とはいえど、仕事を見られたからにはその口を封じるのがゴルゴが自身に課した絶対のルールだ。ゴルゴ自身に落ち度があったり、「一切口外しない」という約束を信用できた場合には目撃者を見逃すことがあるが、それは一部の例外にすぎない。
しかし、ゴルゴとて目撃者となりうる人物がいると事前に分かっていれば、まず目撃されないことを優先する。口封じをすることも重要だが、まず仕事を見られないようにすることがそれより優先される。
どうせ後で口封じをすればいいからといって、目撃者となる可能性がある人物に対して対策を施さないということはない。仕事を見られない配慮をして、それでも偶然目撃者が出てしまった場合には口封じのために殺害するのも已む無し。それがプロとしてのゴルゴのスタンスなのである。
今回も、彼は自身のスタンスに沿って、中学生らに自身の仕事を目撃させないためにこの仕掛けをした。ゴルゴとしても、できれば彼らがこの場所に入れないような手配をしたかったが、そこまですると中学生たちが次にどんな行動に出るかは分からない。不確定要素を減らすために、ゴルゴは敢えて中学生たちをこの場所で気絶させたというわけだ。
念のために彼らの持つ情報端末を破壊し、ゴルゴは行きと同様に静かに合宿施設の壁を跳び越えた。そして、壁のむこうにあらかじめ用意してあった車に乗り込んで椚ヶ丘市の夜の闇の中に消えていった。
「……うぅ」
身体に激しく打ちつけられる雨粒の刺激と、濡れて肌に張り付く服の感覚、耳元で聞こえる大きな雨音で、赤羽業は目をさました。隣を見ると、寺坂も渚も茅野も不破も全員が意識を失って倒れていた。
自身も何故か靴を履いていないし、足の裏には火傷でも負ったような痛み。そして、傍には全員分のスマートフォンの残骸が落ちている。
一体何が起こったのか、E組随一の優秀な頭脳を持つ彼であっても理解できなかった。だが、彼はこんな時に最初にやるべきことは理解していた。倒れているクラスメイトに駆け寄り、呼吸があることと脈があることを確認し、まずは寺坂の鳩尾に蹴りを入れて、強引に意識を取り戻させる。
「グフゥ!?……な、何しやがる!!」
「あ、元気みたいだね。とりあえず、そこでのびてる渚君を起こしといてよ。茅野と不破は俺が起こすから」
「あぁ!?……クソ。一体何だってんだよ!?」
文句をいいつつも、追究よりもまず業の言うことにすんなり従ってしまうあたり、寺坂は随分操られることに慣れてきているらしい。
「……一体何があったの?業君」
寺坂に起こされた渚は、すぐに業に問いかけた、それに対し、業は静かに指をある一点に向けた。
「何があったのかは俺にもわからない。でも、一つだけ確かなものがある」
彼の指差した先、降り注ぐ雨と夜の闇で分かり辛いが、そこには彼らの見慣れたものがあった。
「ま、まさか……」
不破が驚愕から口に手を当て、寺坂も信じられないと言わんばかりに目を見開いている。茅野は膝を付き、渚は目の前の光景が現実と思えずに呆然とした。
「ああ。……多分、アレは」
そこには、彼らの担任教師がいつも来ている大きな黒いガウンがあった。しかし、ひとつだけそのガウンにはいつもと違う点があった。
「殺せんせーのガウンだ」
その夜、椚ヶ丘市一帯には1時間に100mmの豪雨が降り注ぎ、主を失った大きな黒いガウンはただ雨粒に打ちつけられながら水溜りを浮き沈みしていた。
この日を最後に椚ヶ丘市でここ数日多発している連続浴室覗き事件は終焉を迎えた。
そして、
ゴルゴ13の取った手段の種明かしは次話にて行います。乞うご期待。