空白始点   作:サングレ

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一回休み わたしの日記、誰かの手記

 

一通り泣いて、むしろ整理が出来た。

泣き腫らした瞼を初夏の風が優しく撫でた。

 

兄とはぐれた。探し回って、早数日。

見つけられなかった。

その事実は結風の胸中に鉛のように重い何かを落とした。

もういっそこのまま死んでしまいたい。現実と夢の間を彷徨いながらぼんやりとそう思ったが、実行に移す気力も勇気も無い自分がいた。

怖い。死ぬ事も生きる事も。

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流れるままに、死も生も意識せず、ボロボロになった足を引きずって迷い犬の様に歩き回って、長い階段を登りつめて、境内に倒れこんだ。口に入る砂が気持ち悪い。倦怠感に体を動かす余裕も無い。

また、泣いた。泣きすぎて頭がクラクラする。底無しの涙腺が憎く思えた。

 

死ぬ?

気楽に自分に問えど、もう何も考えたくない、悩みたくない。

こんなに疲れているのに死ねるわけが無い。どう死ねと?自分の馬鹿さ加減に参って訂正する気も起こらず、ただ漠然に生きる事に悩んでいた。

 

 

 

 

 

夜明けの柔らかい光。体は清められ、傷は丁寧に手当てされていた。和室で清潔な布団に寝かされていて、花の香りがする。 掛け布団を剥いで身を起こす。床の間にジャスミンが活けてあった。古いが、手入れが行き届いていて、昔からある物を大事に使っているという印象があった。窓からは夜明けの海が綺麗だった。

 

「あらあら、おはよう。早いのね」

 

襖を開けて盆に茶を乗せて品良く微笑んだのはこれまた品の良さそうな老婆だった。藍染の着物に檜皮色の帯を締め、白髪頭を一つに纏めている。

 

「ここのご主人様がね、神社で倒れていたからって、運んできたのよ。大丈夫?体はだるくない?」

「だいじょうぶ、です。助けてくださり、ありがとうございます」

 

結風は布団の上で正座をして深々と頭を下げた。

 

「やめて、お礼なんて。ご主人様も私にも欲しくないわ。貴女が元気ならそれでいいの」

 

爽やかな匂いのするお茶に口をつけながら、部屋を見渡した。

なんて事のないただの日本家屋だった。長い年月を感じて、建物そのものが上品に背筋を伸ばしているように感じる。

 

「ここは、何なんでしょう?」

 

ガラス戸を引き、風を通していた老婆に尋ねる。

 

「ここはね、生きることに迷った人たちが来る所なの」

「生きることに?」

「そう。ここに来る人たちはみんな、迷ったか、疲れてしまったの。だから此処に来て、如何するか悩むのよ」

 

朝の陽光に目を細めながら老婆は続けた。

 

「悩むための場所なの。幼い貴女もそうでしょう」

 

結風はじぃ、と老婆を見つめた。

品が良くて愛想も良くて、物事に裏があるとも思わなそうな純粋な人間。

その言葉は結風の心にゆっくり染み入り、心地よかった。

 

「悩んで、いいのですか?」

 

そう、言葉がこぼれた。

 

「生きることに、悩んでいいの? こんな、わたしが」

 

老婆は満面の笑みで頷いた。

 

「とことん悩んでいいのよ。ここは、その為の場所なんだから!」

 

 

 

 

 

生きる事に悩む為の場所、もとい「くしゃみ亭」で働き始めてから半月が経った。次第に夏も盛り、庭の朝顔とノウゼンカズラがそれを表している。

基本的に接客はしない。一人になれる空間を作ることが仕事という。

部屋に泊まって一日中読書をしている若い女性もいれば、日がな一日海を見ている老年の男性もいた。

彼らの求めに応じて、茶や菓子を用意するのが結風で、提供するのが老婆というサイクルがいつの間にか出来上がるくらいには、結風もこの生活に馴染んでいた。

流石に結風ほど身体的な怪我を負った客は居なかったが、それ以上に心の壊れた客は沢山いた。嬉々として人形を飾り立て、結風に紹介する老婦人を見たとき得体の知れない恐怖を感じた。

否、自分も、彼女らの仲間なのだ。

不思議なことに、手負いの結風を運んで来たという「ご主人様」は、今まで目にしない。老婆が言うには、稀にしか寄らないという。

かく言う結風も生きるのに悩む客の一員だが、部屋にいるよりは体を動かしていた方がいいと申し入れた。そういう客もいるらしく、出来る仕事が割り当てられた。

早くに母を亡くした結風にとって、兄以外から褒められるのは初めてだった。

夕食の仕込みの手伝いを終えて、結風は夕日に沈む神社を訪れた。

裏手の芙蓉の木陰は夕日を遮り、涼しい風を通す。其処に座って、透き通った池を見るのが楽しみだった。

流れる水音、頰を撫でる涼しい風。西日の当たる水面はマグネシウムを焚いたように白く輝いていて、いつだかテレビで見たスケートリンクによく似ていた。

持って来たノートを広げて鉛筆で今日の出来事を書き付ける。文字は老婆に習い、簡単な漢字なら難なく書けるようになった。

___兄さんと会えたら、教えてあげよう。

いつになるか解らない想像を心の拠り所にして、今日も一日が終わろうとしていた。

 

心地よい眠気がやって来て、うとうと頭を揺らしていたが……ふと、意識が妙に覚醒した。

流れる水音の中に、ぷつぷつと沸き立つような音を聞いたのだ。例えるなら、水の中で何かが息を吐いているような。

不規則に鳴るその音に連れられるように這って池の淵から覗き込んだ。

乱反射で真面に見えない水面に自分の姿が映り、水底に自分の影が映る。

身を乗り出して良く水底を見た。ぷつぷつと沸き立つ音はまだ聞こえる。しかし水泡が何処にも見えない。

眩しい反射に目を細めて気づいた。沸く音が池からでは無く、池の周りから聞こえる事が。

それが少しづつ、近づいていることも。

 

ぷつぷつ、プツプツ、ぷつぷつ、プツプツ………ごぼ、ごぼ、ごぼ、

 

耳元にまで近づく音。水の中にいるような錯覚。後ろから冷気が忍び寄り、皮膚を粟立て地肌を這う。

背後から近づく形容し難き狂った気配。それが人でないことに結風は気づいていた。

 

プツプツ、ごぼ、ごぼ

 

目を見開いて水底の影を凝視する。自分の呼吸が煩い。額にかいた汗が水に落ちていく。水の中のように息が苦しくなる。背中から腹へ汗が伝い、冷えた。

 

ごぼ、ごぼ、ごぼ、

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()_______

 

 

 

「戯れも其処までじゃ」

 

 

ぱんっ、と周りの気配が弾けた。息苦しさが嘘の様に消え、何の例えでも無く周りの空気が軽くなった。

弾かれた様に顔をあげ、勢いに任せて振り向く。

 

夕闇の中に一人の男が立っていた。

襤褸の和装に奇怪な鬼の面。

泥を連想させる瞳。

 

「すまんのうお嬢さん。悪い奴らでは無いのだが、些か悪戯好きでの。儂も手を焼いておる」

 

結風には見えていた。

その男に纏わり付くように漂う、溶けかけた魚の様な影が。

それが水音を発しているのも、聞き取れた。

 

「君もまた、見えるのか。その齢では珍しく無いのだが……もう一つあるのう」

 

男は結風の視線を自分の視線でなぞりながら泥のように微笑んだ。

 

「お嬢さん、異能者か」

 

今度こそ男を視線で捉えた結風は、多量の疑問を零した。

 

「なん、で、わかった……の……」

 

驚愕で目を見開く結風と、ただ微笑むだけの男。

妙に聡い少女と、いづれ妖術師と形容される男は、夏風の中、邂逅を果たしていた。

 

 

 

数日に一度、男は夕涼みをする結風の元に訪れた。お互い素性も明かさず、ただ他愛もない会話を、夕方の鐘がなるまでしている。

花盛りの芙蓉の下、芝生に腰を下ろして夕日を見ながら語っていた。

 

「ねぇ、貴方は一体だれなの」

「君が儂に求める姿が、それじゃ。つまり、儂はそういうものだからね」

 

諭すように柔らかい口調でそう語る男。結風は少し考えて、言った。

 

「カミサマ?」

「ほう、何故そう思ったのかの?」

 

微笑む男の後ろに存在する気配を感じながら結風は言った。

 

「その()たちを王様みたいに従えるから、カミサマかなって」

「そうかそうか」

 

結風の答えに男は満足そうだった。初対面のような怪奇の気配は無い。ただ、穏やかな気配を纏うこの得体の知れない男を、結風は気に入っていた。

だから、男が笑えば結風も嬉しかった。

くしゃみ亭に帰ればその事を日記に書き付ける。男と語らった日の日記は、どの日付よりも輝いて見えた。

思えば、昔からそういうものに憧れていた。

例えるなら、シンデレラの魔法使い……人間の常識では解明できないような力を持つ、賢く強い存在を。

今思えば、なんと幼く、愚かだったか。

 

 

 

 

 

 

「……わたしね、自分はなんでこんな異能を持って生まれたんだろって昔から思ってたんだ」

 

その日の語らいは結風のそんな一言から始まった。

 

「兄さんの異能はすごいよ、どんな物も切れるの。でも……私の異能、すごく無いよ。自分にしかつかえない。……ちっちゃい異能だよ」

 

社に繋がる階段に腰かけた二人の髪を、サラサラと、夏風遊ぶ。池に夕日が反射して、痛く輝いた。

 

「……いつか、役に立つ時が来るって母さんは言ってた。けど、それがいつかわからない。兄さんの異能で助けられた事はたくさんあるよ。怖い人に殴られてたときも、兄さん助けてくれた」

 

声は小さく、震えていく。

 

「わたしの異能は、兄さんを助けられるかな」

 

俯いた結風の心情を男は分かっていた。

強大過ぎる兄の戦闘向き異能。そして汎用性は高いが戦闘に向かない少女の異能。

この少女にとって、助けるという事は戦って勝つということ。

 

「物は使い様と思い様じゃよ、お嬢さん。血を流して戦うだけが人の世では無い。人を騙して、陥れて、狂わせる事も謂わば戦いじゃ。流血沙汰を伴う戦いは、数多にある戦いの中の一例に過ぎん」

 

あまり幼年の少女に聞かせる様では無い話を男は語る。それが必要だと判断して。

 

「拳で勝てぬなら言葉を使えばいい、正攻法で勝てぬなら騙せばいい。嫌な事だが、それが許される世の中じゃ。……君自身、自分が将来どの様な道を歩むか、想像は出来ているのだろう?」

「……うん」

 

日の当たる場所に住む事は望み薄だろう事は、結風も結風の兄、龍之介も理解していた。

 

「"置かれた場所で咲きなさい"、そんな言葉がある。同じ母の胎で生まれたなら置かれた場所は同じじゃ。共に咲いていれば、いつかは機会は巡って来る」

 

一通り語り終えられたその話に、結風は首を傾げた。男は静かに、泥の様に笑った。

 

「いずれ、嫌でも理解する時が来る。逃げは通用しないのが時間じゃ。今はただ生きればよい。目の前だけしっかり見据えてな」

 

そうしてこの言葉で締めくくった。

 

「今はただ、好きなものだけ追い求めなさい」

 

広域放送のスピーカーにスイッチの入る音。一拍おいて街の隅々にまで響き渡るような音楽が流れ出した。夕方のチャイム、子供は帰る時間だ。

 

「……行かなきゃ」

 

そう言って結風は立ち上がり、駆け出した。あと一歩で境内を下る階段に差し掛かった場所で、男を振り返って夕方のチャイムに負けないように声を大きくして言った。

 

「貴方は、何が好きなの?カミサマ」

 

社に上る階段に座る壮年の和装の男。鬼の面をずり上げ泥の様に笑ったが、結風には何も答えなかった。しかし彼女はそれで充分だとばかりに幼く明るく笑って、夕焼けに染まる長く連なる石の階段を駆け下りて行った。

 

 

 

8月2日

これが、最後の日記です。

わたしは兄さんを探しに行きます。

 

 

 

その日の夜、書き置きを残して結風は消えた。

 

 

 

 

 

✳︎✳︎✳︎

 

 

 

 

 

一生忘れない光景を見た。

百億の名画すら乏しいその光景を。

 

少年の黒衣が穢らわしい人間を貫く。貫いて、首を落とす。

返り血すら浴びず、少年の視線は今しがた命を奪った人間に向けられ、やがて踵を返して歩き出す。

 

なんと、なんと美しい。

しなやかな筋肉を潜めるその体。流水のように流れる黒髪、柔い曲線を描く喉、骨張った腰、長い睫毛に縁取られた切れ長の黒曜石のような瞳、石膏のように磨かれた肌、破滅を囁く薄い唇。

そして、一切の罪悪感無く命を奪うその異能。

黙示録に出て来るならこう描写されるだろう、死を与える類なき死の王と。

否、王ですら生温い。神でもまだ足りない。例える言葉が足りない、その少年を表すには地上を形容する陳腐な言葉では足りない。

 

そう、世界だ。

 

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少年は神でも王でも無い、しかしながら世界を形容出来る! なんと、なんと罪深く美しい事か!あの脆弱の権化のような少年は何より強大な力を秘めている! 何という不釣り合いな肉体と能力。否、それこそ常世に満ちる残穢を断ち切り天上へ導く、世界の理!

これを奇跡と呼ばずして何と呼ぼう!

 

 

興奮覚めぬ瞳で男は視線を上に上げた。

葬儀場を連想させる痛く静謐なその空間は天窓より降る月明かりのみで照らされていた。古びた板張りの空間は年月を感じられる木の上品な芳香を漂わせていた。床と壁の間には無理やり木々が芽吹き、床の一部は既に土に還って今は鉄砲百合を咲かせていた。

鉄砲百合の冷たい野性味のある香りと冷酷な静寂。ともすれば触れれば弾けてしまいそうな脆弱さを持った自然に飲まれそうなその聖堂。

男の脳内に記憶が清流のように静かに流れ込んできた。目を閉じ身を委ねれば黒髪の青年が映る。

 

 

時は経ちかつては少年だった彼は青年へ。確実に時を刻んでいた。

何年も待った。……もう、いいだろう。

 

「芥川君、君が欲しい。そのために私は全てを捨てた」

 

 

狂った笑い声が空間を劈く。人を凌駕し力に溺れ、外道に溺れた風来坊、ロビンはタガが外れたように笑っていた。

 

天窓から伸びる天蚕糸の先には六個の白い子供の骨盤が、インテリアのように吊るされていた。まるで虫籠の中の紋白蝶のように。

かつての斬撃により男の手に落ちた子供達の一部。

虚ろな骸は何も言えず、男を見下ろしていた。

 

 




アニメ黒の時代のジイドの死に顔が美しすぎる。死に方まで美しいと好きになってよかったって思えます。
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