それは、刃の擦れるような、ギロチンのような音だった。
来るはずの衝撃は来ず、代わりに何かが切り落とされる水っぽい音とそれが地に堕ちる生々しい音がした。
「やレやれ、私は諦めノ早い男は嫌イなんだケドなァ」
その場の中心に立っていたのは、周りに水滴を浮遊させている……
「リーダー!!」
久遠寺叶都、その人だった。触手全てを切り落とした水を自身の周辺に引き戻すと、腕を組み、口元には緩い笑みを浮かべた。
「さァて……そこの君」
そう言ってスタインベックに目を向けた。
「そのポケットの中身は通信機かナ?繋がッてる先ハ……組合の作戦立案員か、団長か」
スタインベックは笑って肩を竦めた。
「どっちも正解。……団長が貴方と話したがっているよ」
シャツのポケットから黒い小型通信機を取り出すと、久遠寺へ放る。
イヤホンを耳に捻り込もうとして、少し考えた後引き抜いてスピーカーへと切り替えた。
『ご機嫌如何かな?ミス・久遠寺』
「お前のお陰デ最悪さァ、ミスタ・フィッツジェラルド」
久遠寺は猫のように目を細め、口角を吊り上げ笑っていた。
「まず先に、此処での闘争の停止ヲ求めたイ。拒否しタら……」
指を鳴らす。途端に現れた水の帯がスタインベックとラヴクラフトを締め付けた。もがくが、その程度で取れる拘束ではない。
「可愛い仲間ガ圧死するよ。ジリジリと締め付けらレ、内臓を破壊される苦しみを味わいながら吐瀉物と血を撒き散らシてな。片方は無理ダトしても、もう一人はイケるよね」
ラヴクラフトを見て、そしてスタインベックを目に写す。既に拘束が縮まり始め、スタインベックは額に脂汗をかいていた。肉が締め付けられ骨が軋み血流が淀み始め痛覚が遠退き始める頃合いだ。それでも助けを請わないのは組合のプライドか。
『……ああ、構わない。君を引き出すのが今回のメインだからね』
「探偵社員は二の次ッてか、で、用は?」
もう一度指を鳴らし、水を四散させる。僅かな雑音の先、相手は、フィッツジェラルドは静かに答えた。
『今一度聞こう、協力する気は?』
「一切無い。何度言わセる」
『望むモノをあげても?』
「もう二度と手に入ラないさ、アレは」
『ふむ、困ったな』
表情は見えないが、声音から推測出来る。恐らく全く困ってない。
『強行的な作戦は、あまり好きでは無いんだ』
「……へェ、何をする?」
その次に放たれた言葉に、何の誇張も無く固まった。
『スキールニルから異能特務課の情報が漏洩し、組合が襲撃……中々良いシナリオだろう』
つらつらと述べられるその言葉。
『この国には重要監視対象の異能者が数人いるな。その中の一人は探偵業をやっていて二十四時間狙撃部隊による監視が成されている』
「……特一級危険異能者が、スキールニルの情報漏洩で死んだとなリャ、上から下まで煮湯。スキールニルは壊滅ッテか。中々良いシナリオじゃネーカ」
一瞬にして思い浮かんだ想像。その言葉を聞いた結風は何の逡巡も無く端末を取り出し何処かに通信した。
「なァ、聞かせロよ」
ごく淡々と、でも聞きようによってはゆっくりと久遠寺は問うた。
「お前が求めてるのは、『本』か?」
滑らかに吐き出される言葉。通信相手は何も言わない。
「お前の事調べさせてもらッタよ。お前、子供がイたよな。三年前でその子ノ通院記録が途絶エて、死亡届が出さレてる。自動車六台が絡む事故で子供が乗ってたスクールバスも巻き込まれた……だッタか。その一月後から奥さんの精神病院の通院記録があル。今月は来週の水曜日カ。……仮説だが、子供が死ンで奥さん心が壊れ、それで求めタのが『本』か?」
その紡ぎ出される言葉は、何とも言えぬ落ち着きを持ち、その場に染み込んでいく。
『……流石スキールニルだ、何で分かったか知りたいな』
「お前がこっちの警備班に差し向ケたチンピラから『約定の地』ってワードが出てなァ」
完全推測だが、と付け足した。
『子供を……娘を取り戻す』
吐かれた回答に久遠寺は目を細めた。
『何、簡単な事さ。妻の幸せを取り戻すだけだ』
久遠寺が口を開く。その回答には、酷く滑らかで、淀みのない言葉が与えられた。
「駄目だよ」
その首は横に振られた。
「その解では至らない」
憐れみに満ちたその声で紡ぎ続ける。
「もう、解ってるんだろう?」
脳裏に過る、忘れもしないあの日の記憶。幼い自分の手に抱いたのはまだ暖かいあの子。窓の外、八月の空がやけに青かった。閉じられた瞼はもう二度と開かない。
死んだら、置き去りにされて、それで終わり。
置き去りにされたのは、私なのか、あの子なのか。
全ての記憶を振り払い、その目は残酷な程に無垢な輝きで満ちた。
「それでも求めるのナラ、何処まデも落ちるといいサ。地獄までの片道切符は高すぎテ金持ちしか買えなイらしいからな」
水が通信機を包み、水圧でひしゃげた。
時が止まったような場に目を向け、だれに言うという訳でも無く、言った。
「あとは頼むよ」
建物の陰から飛び出してくる軍警一同。
滑り込んでくるパトカーからも何人も飛び出した。
「まァ、通報してナイとは言ってナイよね」
スタインベックは肩を竦め笑い、静かに両手をを挙げた。
「一つ忠告するよ、逃げた探偵社社員が何もないと思う?」
「ダイジョーブ、こっちに来れなかッた探偵社の奴らが回ってル」
_______
ハンドルを握る春野綺羅子は、恐怖に顔を歪ませていた。それは助手席の谷崎ナオミも同じ。
ほんの数分前、脱出を計った旅館内で探偵社御用達の情報機関の少女が二人の前に立ち塞がった。曰く、脱出の手伝いをさせてほしいと。自分が時間を稼ぐからそのうちに探偵社の調査員と落ち合えと。そう言ってナオミの姿を模し、笑って見せた少女に二人は純粋に驚いた。
裏口からの銃撃音に背中を押され、車のアクセルを踏み込み旅館敷地内を脱出した。
しかし山道のある一点を通過した時、一枚の紙切れが散った。青いインクで何かが書かれたそれは一見したら幻にも見える光景だった。しかし次の瞬間それは人の背丈の数倍もある巨大な獣と化し、その巨大な爪でボンネットを破壊しエンジンに止めを刺した。
ガソリンの漏れる嫌な臭いが車内に充満するが、二人は動けなかった。
体毛から覗く血走った目が此方を向く。
涙が溢れた。呼吸が奪われた様に細くなる。唇を濡らす息が酷く冷たくなっていた。いつ死んでも可笑しくない職業、死ぬ覚悟は出来ていたはずだった。だが本当は事務員だから、と安心し切っていた自分がいた。諦めを通り越し、ハンドルを握る手から力が抜ける。大凡の希望を捨てかけた時、発砲音が連続して轟いた。獣の背後に見えたのは、国木田と谷崎だった。
獣の意識が国木田に向いているうちに、谷崎は歪んだドアを無理矢理こじ開けて二人を救出した。
「お兄様!」
「早く!五分後に麓の鉄道を旅客列車が通る!十秒だけ止まる様に話を通してあるからそれに飛び乗れ!早く行くンだ!」
二人の背を押して送り出し、不安げに振り向いたナオミに頷いてみせ、獣と相対した。そして、使う事などとっくに決意した拳銃を服の下のホルスターから抜いた。安全装置を外し、まだ引き金に指を掛けず照準を獣に合わす。
「谷崎、喜べ。この獣、銃火器は問題なく効くそうだ」
撃たれた場所から白煙が細く上がっている。心なしか苦しんでいる様にも見える。なら何も怖くはない、
心してかかれば勝てる相手だ。
そして引き金に指をかけ、迷い無く二人同時に力を入れた。
左右から撃ち抜かれ、足を砕かれ顎を吹き飛ばされ目玉を貫通され、喉に大穴を開けられ。その巨大な獣は塵に帰り行くほんの一瞬前、最後の脚力を振り絞って国木田に襲いかかった。直後の爆音。
国木田は獣の眉間を撃ち抜いた。
ほんの数分の出来事だったかもしれない。目の前で塵芥に還り空を舞うそれを見て国木田はその精悍な眉を寄せた。
「おかしいな、今の化け物。まるで戦闘能力を持たん。最後の攻撃を喰らっていたとしても……流血と打撲で済んだかも知れん」
「確かに……もしかしたら、僕らの足止め専用だったとか……?」
「ありえなくもないな」
二人は旅館の方面が俄かに騒がしくなっているのに気づいた。騒々しいサイレンと車のエンジン音がする。
国木田は端末を開き、受信メール欄の一番上を選択し、今一度開いた。
『旅館にうちの精鋭送り込んだから、組合の事はあまり気にしなくていいよ。山道でちゃんと落ち合ってね。 k.k』
k.k……恐らく、久遠寺叶都。今回何かとバックアップに周り組合にかなりえげつない方法でちょっかいを出している。
組合側が彼女らスキールニルに何かしたのだろう。福沢もそれは既に理解し、乗れる話であれば乗る様に、との事だった。手数の少ない探偵社としては乗れる波にはとことん乗っておく。
「行くか。礼もしなければ」
「そうですね」
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英介は走る。人が出せない様な速度を保って裏路地を走る。
水溜りを踏みつけゴミ山を飛び越え、目指すは平凡なビルの上。六階相当の非常階段を駆け上がり、厳重に封印されている柵を片手をついて乗り越え屋上に着地した。
今まさにある筈のない異常が行われていた。防護服に身を包んだ内務省の数人の男は皆倒れ、たった一人が許可も無いのにサイレンサー付きのライフルを何処かへ構え引き金を引こうとしていた。英介に背を向けているので気付いていない。帽子とサングラスとイヤープロテクターで必要最低限の所しか見えないが、その男がこの場に居てはならない人物だと理解はできた。
理解出来たので英介は駆け出す。時間にして一瞬、勢いを殺さず男の背に飛び蹴りを食らわせた。
直後放たれた弾丸は明後日の方向へ飛んでいき男の体はフェンスを乗り越え間抜けな悲鳴をあげながら路地裏へ落下していった。バシン!と叩きつけられる音がした。そっと覗き込めばあらぬ方向に手足が曲がり口から溺れるように血を吐いた男が白目を剥いて事切れている。
血が体から染み出し男を中心に広がる。
「……危ねぇ」
弾丸が飛んで行った方向をみて、ライフルを拾い上げスコープを覗く。
雑居ビルの窓辺に映し出されたのは読書に勤しむ鳥打帽を被った茶髪の青年。今、この屋上で伸びている男達が見張っている特一級の危険異能者なのだ。
あと数分来るのが遅かったら、弾丸はあの青年の心臓を貫いていただろう。そう考えれば寒気が走る。
結風の連絡を受け走ればこの有様だ。
片付け位はしておこう。そう思い、ある番号をコールした。数コール後、相手は答える。
「よぉ安吾、ヒマ?」
『修羅場です。何の用ですか兄さん』
不機嫌な声で出たのは坂口安吾。英介の弟だ。破天荒な兄とは違い、頭脳明晰で落ち着きがあると久遠寺は評価をし、異能特務課と司法取引の類をする場合は必ず彼を介する。
「特一級危険異能者の綾辻を見張ってる奴らの中に組合の刺客がいた。始末しといたから後片付けヨロシク」
『待って下さい、詳しく話を』
「ウチが組合とドンパチしてんのは知ってんだろ?その延長線で特務課が利用された」
『……は?』
「昔みたいにお兄ちゃんって言ってくれれば事細かに詳細話すぜ!」
『頭蓋骨割りましょうか?』
「やめて一番再生が遅い場所じゃん……まぁ冗談さておき、組合は恐らく俺らが思ってる以上に特務課の情報を握ってる。警戒は怠らないでくれ、あと何かあったらお兄ちゃんに連絡しな」
『いざという時はあなた方に責任を押し付けても?』
「構わねぇ。元は俺らが組合に喧嘩売ったのが原因なんだし……それに、組合相手じゃ何されたって動けないだろ?異能特務課は」
『……わかりました。それでは』
役目を果たした端末をポケットに仕舞う。嫌な程強い風が海側から吹いてきて英介を叩いた。その冷たさに身を竦め、程無くして英介は其処から立ち去った。
安吾さん登場(声だけ)。綾辻先生登場(後ろ姿だけ)。
次に誰を登場させるか悩みます。