空白始点   作:サングレ

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第六話 縋る夢にて狂を知る

海風の中で泉 鏡花は空を見上げた。白鯨が消え去った空を。心地よい程の失意の底。遠くから騒がしい足音がする。

しかしその音に悲鳴が混ざった。

そして、打撃音。涙の跡もそのままに鏡花は振り返った。警官隊が口から泡を流して倒れている。そこに居たのは警官隊一人を踏みつける白髪赤目の青年と、その少し後ろで控える使い込まれたキャンパスノートを両手で大切そうに待つ、絵本に登場するお姫様のような衣装に身を包んだ少女だった。

その少女がゆっくりと口を開いた。

 

「それがあなたの願いなの?」

 

事態が飲み込めない鏡花は情報を静かに見つめていた。

 

「"二度と私を光で照らさないで"。それが貴女の願いなのね?」

 

流れるように言い続ける。

 

「そうね、それも一つの答えよ。お姫様になれない女の子は魔女になるしかないもの。雪が美しいのは空で舞うその時まで。地に落ちたら溶けて土と合わさり醜くなって、汚い側溝で泥となる。泥を、誰も雪だなんて思えないでしょ?」

 

その言葉が呪詛のように鏡花の骨の髄まで染み渡った。

 

「ぼくはそれでもいいと思うのだけれどね、あなたは嫌なんでしょう?」

 

何も考えられない。思考能力が溶けていく。それを異常とも思えず、鏡花は自分と同じか、それより幼い少女を見続けていた。視界がぼやけて、微睡みが濃くなる。

 

「さぁ眠りましょう白雪姫。空に舞う夢を見て、何もかも忘れましょう」

 

焦点が狂い始め、少女と背景が何重にも見え色が遠く。自分が何の仕草をしているのかわからない。少女は鏡花の前に歩み出て、開いたキャンパスノートを鏡花の前に突き出した。何も書かれていないそのページが光を帯びて、細く細く文字が綴られていく。

 

「ねぇ、あなたのお話、聞かせて?」

 

その言葉が、その言葉だけがはっきりと聞こえて________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

診断を担当した与謝野は首を横に振った。

 

「ダメだね。反応もしやしないよ」

 

診断書を捲りながらどうした物か、というような表情をした。

 

「行方不明の時にロクなモン食べてなかったからか脱水症状気味だけどネェ。

それ以外は健康体だよ」

 

それ以外、と言いながらベッドの上の鏡花を見る。視線につられて太宰も其方に目をやった。

恐ろしい程に穏やかに眠る鏡花。一瞬、息をしていないのではないかと疑いたくなる程だが胸が僅かに上下し、確かに寝ている事を表していた。

 

「何の異能かね?コレは。アンタの【人間失格】でも解けてないんだろ?ていうかアンタが運んで来たんだからその時点で解けてないんだろうね……」

「残念ながらそうでしょうね……」

 

顎に手を当て太宰は考える。何者かの異能。それで間違いない。こういう事に詳しい人間を知っているが、向こうも火事場のような物だ。変に刺激したら八つ当たりに会う。現在は接触したくない。

ならば、どうするか。

 

「鬼札は積極的に使いたくないんだけどなぁ……」

 

太宰のぼやきを、点滴のパッケージを引き裂く与謝野は聞こえないフリをした。

 

 

 

 

 

 

______

 

 

 

 

 

 

春の日の事だった。真っ先に駆けつけた男は先に来ていた複数の家族が泣き叫んでいるのを見た。その数秒後、車体だった部品の下に、娘を見つけた。ほぼ反射的に動いた身体は元はバスの外装であっただろう鉄板を押しのけ、娘を掻き抱いた。娘はぼんやりと空に視線を向けていた。

違和感には直ぐに気付いた。娘の身体が異常に軽い。顔を横に向けて見た光景に呼吸を忘れた。

 

娘の足が、無い。

 

膝から下が、無い。襤褸襤褸になった座席に押し潰されていた。金属板が足を切断し、血と脂と繊維がこびりついていた。出血は目も当てられない程で娘が気に入っていた可愛らしい服が元の色が解らない程血で染まっていた。血の気が失せた顔を男に向け、弱々しくゆるゆると口を開いた。

 

______パパ、

 

掠れた声が、自分を呼ぶ。

 

_____痛いよ、

 

その目が、恐怖と混乱に染まる。

 

______死にたくない、痛い、いたい、しにたくない、パパ、

 

その目に涙が溢れ、溺れる様に血を吐いた。口内に血が残るその口で絞る様な声を紡いだ。

 

______たすけて

 

程なくしてその目が光を無くし、娘の身体から力が抜ける。開いたままの目は、しかしもう何も映さない。ぬめる血潮が手に、指に、爪に染み込む。徐々に温もりを失っていくその体。

人体は死んだ瞬間から腐敗が始まるという。娘のその小さい体から溢れた血液は蒸発し、鉄錆と、腐った肉のような匂いが辺りに充満し始めた。それが事故車によって発生した焦げ臭い臭いと混ざり、鼻腔の奥まで入り込み、喉を通り抜け肺まで落ち、体の奥まで染み渡る。嘔吐感を引き起こすそれが死体が気化した臭気だと認識すると頭を殴られたような頭痛がし、目の焦点が合わなくなって手が震えた。自分が抱き抱えてる娘は、もう。目の前の事が受け入れられず、目を見開いたまま緩く首を横に振った。

赤く揺らめく血溜まりの上で、妻に良く似た娘を、もう二度と目覚めない我が子を胸に強く、強く抱きしめ、男は……

フランシス・フィッツジェラルドは、慟哭を上げた。

獣のような声だった。

狂人のような声だった。

置き去りにされた子のような声だった。

 

今しがた生まれた名状し難き感情と遠くのサイレンの音が飽和して狂うような心地だった。燃え盛る炎の様に激しく世界を憎み、恨み、そして後に残ったのは空白だった。

 

 

 

 

 

目が覚めた。恐ろしいほど簡単に瞼が開き、眼球を朝の冷気が乾かした。自室のベッドの上、体が睡眠状態らしく頭位しかまともに動かせない。夢と現を彷徨い、漸く体が思い通りになってから身を起こした。分厚いカーテンを開ければ夜明け前の灰碧の空が広がって、東の方が薄ら明るくなっていた。

何度目だろうか。ここ最近、あの夢しか見ない。決して忘れる事のない初春の記憶。

悪夢という名のそれを忘れてない。その事に恐怖と安心を同時に覚える。娘の最期を何度も思い出すという恐怖と、まだ娘の事を忘れていないという安心。

ベッドサイドに置いた写真立ての中の妻が、娘と寄り添って笑っている。

 

もう一度、この笑顔を取り戻す。

妻を、幸せに…………。

 

しかし彼は気づかない。彼はあまりにも利他的過ぎた。

 

 

 

 

_______

 

 

 

 

 

その日のスキールニル本部地下モニター室は荒れていた。

 

「Repeat after me!!人間はタだの肉!!!」

「人間はただの肉!!!」

「いいぞォソの調子だ!人間はただの肉!!」

「人間はただの肉!!」

 

久遠寺と雪島の掛け合い。英介は一人細々とパソコンを操作し時にマウスを動かしながら民間警備会社の防犯カメラをハッキングしていた。

六つのモニター其々に景色が映る。大通りに港に観光スポット、その他諸々。

 

「……久遠寺」

「人間はただの肉!……あァ、終わッたの、アリガトウ血液あげる」

 

そう言って羽織ったパーカーの内側から事も無げに血液パックを取り出し英介に渡した。

 

「あのよ、不定期開催のその謎の掛け合い何?」

「気合が入ルよ。英介もやる?」

「お兄ちゃん同レベルに落ちたくない」

 

血液パックを開封し、まるでパックジュースを飲むように口をつけた。

 

「で、何だよ。わざわざハッキングして迄知りたい事ってよ」

「ねェ、私らが逃がした探偵社の事務員どうなッタか知っテる?」

 

モニターを眺めながら久遠寺は言った。

 

「マフィアの構成員の精神操作系の異能に囚わレた虎の子に怪我させらレたんだト」

「はぁ!?精神操作系!?」

「珍しーよネ。そりゃ一人は知ッテるけど死んでるし」

「……あ、そうか。彼奴も」

「ソ、京極夏彦。まァちょっと違ウけどな……そう……精神操作系……」

 

語尾が小さくなり、握った手が震える。

突然カッと目を開き、吠えた。

 

「アァアアアあああ嗚呼あああああアアあ!!!!あノ男のせーで!てユーかあの男が関わっタでアろう事件に巻き込まれて何人ウチの仲間が死んだと思ってやがル!!吐瀉物吐き散らしテ頭砕かれて死ねよ爺!!いっそ地獄に堕ちちまえェエ!!!」

「待って!もう死んでるッスから!!死んでるッスから!!」

「おい落ち着け久遠寺!今日お前変だぞ!!!」

 

一頻りギャンギャン吠えて、気力が途絶えたように床に俯いてへたり込んだ。ポツポツと喋り始める。

 

「あのネ、探偵社とマフィアがね、前にも増シて緊張状態なノ」

「そりゃあ……そうッスよね」

「ダからチョットした事でスイッチオンなの。超感応型小型爆弾と化してるノ」

「クラスター爆弾より先に国際レベルの条約で廃止すべきッスねその爆弾」

 

雪島は久遠寺の横にしゃがんで背を優しく撫でた。

 

「まーネ。夢ノまた夢だけど、探偵社とマフィアには仲良クして貰いたイんだよ……主に今後の我がスキールニルの財政ノ為に」

「その一言で全て台無しッス」

「いやァ、二つが仲良くしたラ結構金回リ弄り安くなるンだよなァ。更にちょちょイと情報操作してソれが私らのお陰だって日本政府が知れバもうケチつけて来なくなるシ?」

 

この場面で政府機関の名前が出てくる辺り、久遠寺は本気なのだろう。

元よりこの女、常人には理解及ばぬ突飛な事を本気で信じ、叶いそうなら全力を持ってして叶える人間なのだ。

雪島は思う、この性格に救われて来た事など最早数え切れないがそれは自分を含めた「社会で真面にやってけない人間」だけが享受出来る事柄。普通の人間から見れば最悪で究極に自己中心的な性格に見えてるであろう。

この女が利他的であるなど先ずあり得ず、常に自己的に生きている生物だ。

自分が決めた枠組みの中の「正義」は徹底的に守り、利己的に他者を救い時に裁く。

だからこそ、雪島は。

 

「リーダー」

「ナァに?」

「一生ついて行くッス」

「……ん?何故このタイミングで……マァいいや、アリガト」

 

雪島の頭を撫で、久遠寺は立ち上がった。次なる目標を定め、組合に徹底的な嫌がらせを。その思考を終えた瞬間、足元から爆発的な冷気が沸き起こった。

恨み、憎み、祟り、狂う。全身を刺す針のようなそれは間違いよう無く殺気だ。

生々しい程の感情の塊に流石の久遠寺もたじろぎ、滝の様に汗をかいてしまった。源泉のように地下から吹き出すその殺気にこの場にいる全員が気づき、表情を固まらせた。

世界の明度が下がったような心地。次の変化が起きたのは画面の中だった。

爆発音と悲鳴。それが、幾つも。

画面の中の人々が、目から血涙を流しながら、人を傷付いている。

 

「なっ!?」

「全モニターに切り替エて!ゆきじー!」

「ハッキング続行中ッス!……モニター、写します!」

 

キーボードに齧り付く勢いで操作する雪島。壁一面のモニターに映る街。

道路がひび割れ配管が露出し、電線が垂れてスパークを起こす。女が男の首を絞める。男が男に爪を立てて襲う。

 

「音声、入れるッス」

 

雪島がエンターキーを叩く。質のいいスピーカーから、生々しい音声が流れてるきた。

 

「殺す!殺す!殺す!」「助けてぇぇえ!!」「消えろ!!」「お母さぁぁあん!!お父さぁぁあん!!」「きゃぁぁああああ!!」「何処にいるの!返事をしてぇええ!!」「殺される前に!殺される前に!!」「あああああああああああああああああ!」

 

怨嗟の声、嘆きの声、助けを求める声、親を呼ぶ声、子を呼ぶ声。

何処からどう見ても、異常だった。

 

「んだよこれ!?バイオハザードか!?」

「どっからどう見ても誰かの異能ッスよチーフ!」

「一体誰ノだ、こンな広範囲に……」

 

ある一つの仮説が閃く。マフィアに所属している精神操作系の異能者。太宰は何と言っていたか。

そうだ、野放しにされていると言っていたでは無いか。それを組合が利用したのか。

 

「トコトン壊す気かよ、フィッツ野郎……!」

 

味方さえ無事なら戦場がいくら壊れようと関係無いのか。モニター室の扉が荒々しく開けられ、血涙を滂沱して流す警備班の青年が久遠寺にVz61スコーピオンを向けた。

 

「死ねぇ!」

 

ありきたりにそう叫ぶと引き金を引いた。

 

「【Elpis】!!」

 

フルオートで発砲された十数個の弾丸は久遠寺の叫びと共に展開した水壁に受け止められ、沈んだ。手を振って水を四散させればリノリウムの床に軽快な音を立てて弾丸が落ちた。

 

「英介」

 

そう一言彼女が言えば訓練された警察犬の様に英介は青年に飛び掛かり、その首筋に服の上から噛み付いた。青年は狂ったように英介を引き剥がそうとするが、その動きが次第に弱くなり、遂には体の力が抜けて床に倒れた。

口元から垂れる一筋の血液を拭い、口の中に残ったそれをゴクリと嚥下した。

その間にも血涙を流すスキールニル構成員がモニター室に流れ込んでくる。

そのうちの一人を水の鞭で吹き飛ばし、久遠寺は英介と雪島を連れ立ってモニター室を飛び出した。

通路は、お互いがお互いを傷つけ合う地獄絵図と化していた。既に事切れた構成員が男女問わず点在していた。

 

「リーダー!こちらへ!」

 

反対側の通路の先から結風の声。一斉に駆け出し合流を果たした。三人を先に行かせて結風は発煙筒の安全ピンを引き抜き尚も追走する正気を無くした構成員達に向かって投げた。

通路に落ちた発煙筒からケバケバしい紫色の煙が噴出し、充満していくのを確認して結風はその場を離れた。

 

 

 

 

 

 

 




目標は一話あたり六千文字なんですが、中々行きません。悔しい。そして始点がコロコロ変わって非常に見づらい。
さて、鏡花ちゃんが眠り姫になってしまいました。目覚めの口づけをしてくれる王子様は誰なんでしょう。
・・・なんかとても恥ずかしい文章だな。

敬具、これが春休み中最後の更新となります。これからは二週に一度くらいの頻度になると思います。遅くなりましたがいつも閲覧してくださる皆さんに心からお礼申し上げます。
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