何時ものように、お母さんの作る朝食の匂いに起こされてベッドから立ち上がる。
開いた窓から吹き込んでくる春風にふわりと揺られたカーテン。ダイニングに行けばもうお父さんも起きていた。新聞から目を上げて優しく微笑みおはようと声をかけ、私もそれに返す。私だけが寝間着姿なのは少し恥ずかしかった。みんなで席に着いて、いただきますを言う。
バターをたっぷり塗って蜂蜜を垂れるほど乗っけた甘い温かいトーストを齧って、思わず笑みをこぼす。目玉焼きと一緒に焼かれたベーコンとソーセージが一個ずつ。お気に入りの桃色のマグカップに注がれた、ゆらゆらと湯気を立たせる紅茶。
他愛もない話をする、この時間が一番好きだ。
私の幸福は、今ここに______
泥の様な意識。浮遊するような生暖かい微睡みの中。体をピクリとも動かせない。ここは何処だ。鏡花はずっと繰り返される在りし日の記憶を見続けていた。
戻りたいと思える資格など無い。
全て自分が壊したのだから。
この後、夜になって父が帰ってくる。珍しく手を滑らせた母が包丁で自分の指を切ってしまう。
その赤に、呼応するように、夜叉白雪は目覚めた。
それが正しい記憶の筈だ。しかしその記憶は切り取られ、再び日々が繰り返される。それが十を数えた時と共に、数えるのを止めた。
こんな夢見たくない。縋り付く過去などもう見たくない。
自分が両親を殺した過去は拭えない。拭い去ってはいけない。忘れてはいけない。ずっとずっと心に留め、背負って行かなければいかない己が罪なのに。
何故、何故その意思すら否定しようとする。
在りし日の中で何も知らない顔して笑う自分が憎い。何もかも忘れて幻想の父と母に縋り付く自分が恨めしい。
自分は……泉 鏡花は背負わねばならない。
親殺しを、そして数多の罪を。
消えてくれ、幻想よ。
もう、お前など見たくもない……!
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「頑張るなぁ」
カチコチとアンティーク調の時計がリズミカルに刻を刻む。夕陽色の間接照明で照らされた窓の無い部屋は天井から可愛らしいモビールが幾つも釣り下がり、たすき掛けするようにフリルの多いリボンが横断する。毛足の長いふかふかのカーペット、お伽話がたっぷり収録された重厚な本。所々に散らばる色とりどりの花……否、造花。あまりに精巧な作りにふとこの部屋の中に花畑でも作られているのかと錯覚するほどだ。
甘い甘い、香水とは違う自然な甘い匂いが空間を満たしていた。
さっぱりとした短い髪を飾るはやはり造花。まるで童話のお姫様のような衣装に身を包んだ少女は、使い込まれたキャンパスノートに鉛筆で何やら書き込みながら部屋を歩き回る。
造花が小さな足に踏みつけられ、ペキ、と音を立てた。
「溺れるのが怖いんだね。可愛い子。泳ぎ方を知っているからかな。それも随分と拙いようだけど……」
騰々と流れるように言葉を紡ぐ。舞台の進行役のように、少し手振りを交えながら。誰も聞く者も居ない部屋の中。
造花を踏み荒らして、緩い空気をかき混ぜて。
そしてピタリと行動を止めた。
「ちょっと待つかなぁ。そのうち、目覚めることすら怖くなるよ、鏡花」
鉛筆をクルリとひと回し。
ノートの文字が、光を薄っすらと帯びた。
「白雪姫はね、眠っているからこそ王子様に見初められたんだよ。目覚めちゃったら価値はないの。……君に、王子様はやって来ないんだよ」
文字が一人でに綴られゆく。
「白ゆき、白ゆき、眠りなさい。希望と羨望を湛え孕んだ箱庭で。貴女の居場所は其処にある」
可愛らしい声が紡ぐ。悪夢の歌を。
「白ゆき、白ゆき、眠りなさい。現世の約定を消し去って、枯れぬ夢の泉の中で、幸福の夢に溺れなさい____」
意識がまたぼやけていく。
嗚呼、誰か助けて