研究所襲撃の深夜のことである。その日、男は憤慨していた。
表面的には落ち着いた様子をみせてはいたが、内に渦巻く秘められたやりようもない感情は、確かに憤慨だった。
全四十七の区に分けられたこの世界を影から平穏を守ってきている一大組織。
――抗魔局(アンチマジック)。
世界の中心地である二十三区のアンチマジック本部には、C級以上の戦闘員が在籍している。魔法使いに関する案件に対して、各地で駐屯している戦闘員で対応ができない場合、すぐさま上級の戦闘員を派遣できるような仕組みとなっているためだ。また、世界の中心地であるため、最高の戦力を集めておく必要性も兼ねている。
在籍している戦闘員たちは、いずれも一癖も二癖もある曲者ぞろいだが、その実力は本物であり、全魔法使いたちが最も恐れなければならない人物たちが揃っている。
当然の如く男もその一人であった。
「一体どういうつもりなのだ」
アンチマジックを束ねる局長室はビルの上層に設けられており、なるほど権力者たる者には相応しい景色が一望できる位置である。
その部屋の主たる局長の背中に男は静かに尋ねた。
「いきなり押しかけて来ておいて、随分と機嫌が悪そうではないか。天童守人」
まるでガラスのように、脆く、儚く散ってしまいそうなほどに張り詰められていた空気は壊れることなく、なお一層増していく。
局長はこれから何を問い詰められるのか、ある程度の予想はしていた。だが、あえてはぐらかすようにしたのは、あまりその件に触れられたくなかったからだ。
それを分かっていた天童守人は、くどい回り道はせずに局長の秘した部分に斬り込んでいく。
「決まっているだろう。例の研究所襲撃事件とこれまでの不可解な指示についてだ」
「……」
やはりか……と局長は内心でつぶやく。魔法使いには一切の容赦がない天童守人のことだ。いつかは問い詰められるだろうとは思っていた。
局長はどう返答すべきかと思案に耽ったのち、あまり刺激を与えないように言葉を慎重に紡いでいった。
「あの命令に何か不服なところでもあるのか」
「無い、とでも?」
「……」
押し黙る局長に天童守人は内心に抱えた疑問をぶつけていくことにした。
「なぜ、キャパシティの魔法使いを生かしておく必要があった?」
「それは、連中の拠点を探るための情報収集をするためだと説明したが? 聞いていなかったとは言わせんぞ」
「私は異を唱えたはずだ」
捕えた二人の魔法使いは、何を隠そう天童守人の手柄なのだ。しかし、それは組織の方針で仕方なく受け入れてやったまでのことだ。魔法使いの殲滅を最優先としている天童守人にとっては、これほど理解の出来ない指示はなかった。
「連中を確保したのはいいが、結局拠点は最後まで吐くことすらなかったではないか。それどころか、奴らに奪い返される体たらくだ」
欲をかいて捕えた結果、研究所は崩壊させられ、挙句の果てには逃亡までも許してしまっていた。すなわち、裏社会で暗躍する秘密犯罪結社の一員を再び、野に放ってしまったのだ。天童守人の怒りももっともなところだろう。
「確かに最悪の事態に陥ってしまったかもしれないが、今まで素性が全く知れなかったキャパシティの副リーダーが現れたのだ。亡くなった者たちには悪いことをしてしまったが、組織の今後の運用としては、上々な成果が得られたことも確かだ」
対立しあっている組織の構成員との接触が行われたこと自体には、アンチマジックに多大な影響を与えたことだろう。
「奴一人と我々の損害が天秤に吊り合うとは思えんな」
「足りない部分は副リーダーの戦闘能力及び、キャパシティの危険度を再認識出来たことで補える。まさか、神威殊羅と同等の魔法使いがいるとは……」
アンチマジックの誇るS級戦闘員。その頂点に立つ男に張り合うほどの魔法使いの存在には慄くばかりである。
「脅威的だろうな。だが、そもそもは幹部級の二人を生かしておいたこと自体が間違っていたのだ。連中の最高戦力である以上、奪い返しにくることは容易に想像できたはずだ」
「――その通りだ。だから、穂高緋真を捕えた際にメディアで報道させて、奴らを誘ってやったのだよ」
その件のことを知らされていなかった天童守人は、急に顔色を変えた。
「キャパシティが動くと分かっていたのならば、なぜ私をこちら側へと異動させたのだ。S級が二人がかりで挑めば研究所の襲撃どころか、副リーダーすらも無力化できただろう」
「確かに君がいれば、可能だったかもしれないだろう。しかし、今はそれどころではなくなったのだ」
「……どういう意味だ」
「外部で問題が発生した」
局長が発した言葉の意味。天童守人は、その意味を示すところを理解していた。
「……興味深いな。一体何事だというのだ」
「魔障壁を破壊されたあとぐらいからだったか。この国と同じように、世界各地で暗躍している秘密結社が何やら動きをみせているらしい」
「海の向こう側にある外の世界。そっちでも似たような組織が存在していると聞いたことはあったが……」
記憶を手繰り、その名前を引っ張り出してくる。
「――連合結社。そんな名前だったか」
「十にも満たない組織の集まりだがな。ちなみに非公式だが、この国で活動しているキャパシティもその連合結社の一端を担っている」
「……まさか」
天童守人は疑いを持つ。なぜならば、この国は長年閉ざされてきているのだ。外の世界と関わりを持っていたとは到底信じられなかった。
「キャパシティの上層部もおそらくは、何らかの方法で海を渡った先との交流を行っていたのだろう。そう、我々アンチマジック上層部と同じように」
「なるほど、すでに交流手段だけはアンチマジックの方も確保しているのか。いや、していた。の間違いか」
天童守人の驚きは続いたが、今まで伏せられていた世界の様相に興味を奪われた。
「この国が壁で塞がれる以前からな」
「なるほどな、”あいつ”の言っていたことは真実だったか……」
「……? 一体誰の話しをしている?」
「いや、こちらの話しだ。……すべて事実なのだとしたら、局長も過去の災厄にはさぞ詳しいのだろうな」
「……! そのことまで……。貴様、どこまで知っている?」
「……ふふ、さあ、どこまでだろうか。想像にお任せしよう」
不吉な笑みを浮かべた天童守人に局長は畏怖を覚えた。S級とはいえ、本来は知らされていない深い事情にまで潜りこんでいたからだ。
どこでそれを知り。どこまで知っているのか。
いくらS級とはいえ、知らなくてもいい事実をどうやって聞きつけたのか、疑問が積もるばかりだった。
「まあ、その件に関しては置いておくとしよう。それよりも、そろそろ話しを戻させてもらおう。君をこちら側へと呼んだ訳。それは、キャパシティと連携してうごめき始めた連合結社の動向を、外部のアンチマジックと協力して調査してもらいたい」
「……」
「キャパシティを含めて、今まで鳴りを潜めていた連合結社が壁の崩壊と共に活発に動き始めたのだ。連合結社に動きが見られる以上、こちらも結託して対抗する必要があると考えた」
遠い遠い彼方、そびえ立つ壁の更に向こう側を見通すようにしていた局長は、天童守人の名を呼んだ。
「国内でもっとも多くの魔法使いを殲滅してきた男。その数は三百を超え、情け無用の戦闘員――天童守人。
君は国内代表として、外部に存在するアンチマジックの母体から要請が来ている」
天童守人は魔法使い殺しの成績は国内一位。その素性が明らかになっているからこそ、天童守人にはまさにうってつけの人材と言えた。だが、しかし。
「その申し出。断らせてもらう」
「……ほう」
淀みなく却下の意を示す天童守人。彼にとって、この新天地はまさに己が才覚を存分に振るえるはずだった。
局長は渋い顔をして天童守人の話しに耳を傾ける。
「おそらく、キャパシティはこの国で外部と連動した計画を仕掛けてくるつもりなのだろう。ならば、いまは外部のことよりも、国内に目を向けているべきではないかね」
「君の言い分も理解できるが、それはこちらが困る。悪の芽は早々に摘んでおかなければ、後々取り返しのつかないことになりかねんからな。それは、すべてを知った君なら理解ができるだろう」
「……世界の成り立ち。なるほど、その件を含めば確かに放っておけるような事態ではなかろうな」
事情は呑み込めた。しかし、天童守人にも譲れない物もあった。そう簡単には首を縦に振ってやる訳にもいかないのだ。
「だが、やはり今は他所を気にする必要はない。外部のことはアンチマジック母体に任せておけばいいだろう。局長が外部を気にかけていたせいで、国内ではキャパシティが猛威を振るい始めているのだからな」
研究所の襲撃。いままで詳細すら明かされていなかった副リーダーの登場。これは、アンチマジックとしては、実に由々しき事態と言える。
「キャパシティも連合結社の一角を担っているのなら、まずはそこを叩けばいい。そのあとに、世界の連中と結託して連合結社と関わればいいだけのこと」
「現状にとらわれ過ぎだ。過去を顧みろ。貴様はあの災厄を繰り返そうとしているのだぞ!」
「
とうとう声を荒げる局長。だが、天童守人は冷ややかに無言で返した。何を言われようとも天童守人は自国のことを優先するつもりでいる。
そして、それは取り出した銃器によって証明される。
「何の真似だ」
天童守人が常に携帯している止めの銃器。拳銃を取り出した天童守人は照準を局長に合わせる。
「過去の繰り返し。大いに結構! 魔法使いを根絶やしにするためには、丁度いい手段じゃないか」
「貴様……! 正気か!」
「無論」
淀みのない返答にただ脱帽を隠せない局長。この男は自身のこれから取る行動の一切の責任を取り、過ちを受け入れる気でいる。
「局長。あなたは私の為すべき大望の邪魔だ。即刻、我が舞台から降りてもらおう」
轟く銃声はただの一発。やけに反響した銃声は、きっと外まで漏れ聞こえていることだろう。
胸に穴を空けられ、溢れ出す流血に苦悶の表情を浮かべた局長をゴミみたいに見下している天童守人。
彼は局長という存在に情を持つことなどはなかった。
「貴様は……世界の、命運を……破滅へと追いやろうとしているのだぞ」
「あの歴史を繰り返すかどうかは、現時点では誰にも分からんよ。それよりも、”今”を解決するべきだ」
外界を覗ける窓際にもたれ掛かった局長は、すでにいつ死を迎えようともおかしくはない状況である。だが、それでもなお倒れるわけにはいかないと経ち続けるその姿は、痛々しさを越えて見苦しい。いや、もしかすると執念か。
天童守人を見返す瞳には、いまだ気力の灯は消えていなかった。
倒れられない。局長としてアンチマジックを束ねている以上、この男の愚行を見過ごすわけにはいかない。
だから、倒れられない。
絶対に果てるわけにいかない。
それこそが局長の執念だ。
「……これより先は、私が局長としてアンチマジックの義務を果たさせてもらう。安心して逝くがいい」
自分の死が近づこうとも、天童守人を止めるため。局長は、ありったけの力を込めて口を動かした。
「これは、立派な反逆行為だ……。貴様が局長の座につくなど、誰が……認めるものか……」
「誰もが認める。私には、それ相応の実績があるからな」
国内で最も多くの魔法使いを屠り、最高ランクのS級にまで昇り詰めた男。その業務姿勢はまさに戦闘員の鑑とも言えた。
だからこそ、局長には返す言葉もなかった。局長が奏でた歯ぎしりには悔しさが滲んでいた。
「――守人さん」
不意に開かれた扉から、一人の青年が現れる。青年はこの現場を目の当たりにしたが、何も驚くことはなかった。まるで、この状況を理解できているかのようだ。
「まだ終わらせていないのですか。さっさと仕上げに入って頂けないと、人が来ますよ」
血まみれになっている局長に目を配る青年。そのとき、二人の目が丁度あった。
「お前は……たしか、天童守人の子飼いだった、な――樹神鎗真。……なぜ、F級如きの貴様がここにいる。本部は、お前のような底辺が招かれるような……場所じゃないぞ」
「さあてね。これからアンチマジックから抜けるお前に話すことなんざ何もありませんよ。元、局長さん」
「……若造が」
「一応、敬意は表しておいてやれ。抜けるとは言っても殉職をしてもらうのだからな」
再び、拳銃を局長に定める。その言葉を現実のものへと変えるために。
「ほざけ! 今に見ておけ、騒ぎを聞きつけた職員や戦闘員らが、俺の死体を目撃すれば……お前らもただでは済まんぞ……」
「叶うといいがな。その望み――」
簡素に、息苦しく生きている局長よ、安らかに眠れ。と最後の弾が送られた。
それは本当に、あっけなく終わった。
「鎗真。逃げた魔法使いの駆除と拠点を探れ」
「キャパシティの……いえ、正式には”教団”のですね」
「そう、”教団”だ。それと”アレ”の調整が済み次第、試験運用も兼ねて動かしておけ」
「……”アレ”、ですか。フっ……了解です」
悪巧みを企む餓鬼のような笑みを零す樹神鎗真。すでにアンチマジックの支配権を握った二人にとっては、組織の運営はたやすいものだ。
これより、数多の戦闘員たちが一斉に放たれる。
脱獄したキャパシティのメンバーを抹殺、及び運悪く目を付けられた魔法使いたちが犠牲となる粛清が行われるだろう。
「それでは、今回の件を片付けた後に我々も動き始めるとします」
「手筈通りに事後処理を頼むぞ」
「お任せを」
樹神鎗真は簡潔に返事を返した。
「さぁ、キャパシティよ。戦の火種はばら撒いてやった――運命の日まで、どこまで抗うか見物だな」
今宵、アンチマジックの支配権は移り変わった。それを静かに称えるは、傍らに寄り添う従順なる僕のみ。
だがしかし、それは夜が明けるとともに組織一大を挙げた祝福となる。
同時に、裏社会に大きな変化が起きることも確かである。
これまで以上に死人が多発するであろう裏社会の前日は、静かに幕を閉じた。