たとえ全てを忘れても 作:五朗
「ねえ、ベルくん。強いって、言うけど―――ベルくんは、さ……シロくんがどれくらい強いか知っているかい?」
「え?」
ポツポツと降り出した雨に当たりながら、ヘスティアは道の真ん中で動くことなく雨雲で覆われた空を見上げている。
段々と激しさを増し始める雨に打たれながら、ヘスティアはすっ、と目を細めた。
「シロくんは、多分、ベル君が考えているよりもずっと強いよ」
「そう、なんですか?」
「うん、何せシロくんは―――」
『最強のLv.0』―――それがうちが聞いた噂や。
うちがそん噂を聞いたんは、だいたい二ヶ月くらい前やったかな?
まあ、言ってしまいや、一つの【ファミリア】が全滅したって話や。
ん? 何処の【ファミリア】やって? そこまで詳しい話は知らん? 噂を聞いた時は、特に興味もなかったんでな。
ま、それもそうやろ。
このオラリオじゃあ、【ファミリア】の全滅ってのは、そう珍しい話やない。
遠征の失敗、他の【ファミリア】との抗争。
まぁ色々あるわな。
でもな、その全滅の原因ってのが、ちょっと信じられん話やった。
言ってしまえばたった一人のヒューマンが、十数人の冒険者を叩きのめしたって話や。
しかもLv.2が何人かおったそうやで。
あん? 自分にも出来る?
はっ、そりゃ当たり前やろ。Lv.5ならLv.1みたいな雑魚がいくら集まろうと大した意味はないんやから。
それじゃ、何で噂になったってか?
ん~今でも信じられんのやけど……でもまあ、否定はしきれんくなったな。
あ~あ~言う言う。
言うからそう急かすな。
……まあ、その、なんや。
そのヒューマンっちゅうのがな、なんと、Lv0やったって話なんや。
―――ちょ、やめいっ! 皿投げんなやっ! う、噂やって言うとるやろが……流石にそれ聞いた時にゃ、そりゃうちも随分なふかしやなと思って馬鹿にしとったけど……でもまあ、あの男―――冒険者になったのはつい最近やったって言うとったよな。
…………黙るなや。
うちも信じてへんかったけど……まあ……なんや……。
あの男の強さを見ると、そん噂も馬鹿に出来んと思うてな……。
「……そ、それ、ほ、本当なんですか?」
「ボクは嘘なんか言わないよ。本当だよ。シロくんは、たった一人で、それも【恩恵】もない状態で、十人以上の冒険者を倒してしまったんだ」
ザーザーと雨粒が空気を切り裂き激しく地面を叩く中、近くの軒下に移動したヘスティアとベルは、隣りあった状態で互いに視線を前にしながら話しをしていた。
「信じられません―――っか、神様が信じられないって事じゃなくて」
「分かってるよ。ベルくんが信じられないのも無理はないだろうね。ボクだって、話で聞いたら信じられなかっただろうけど……目の前で見せつけられたら……」
「目の前、で?」
ベルが戸惑った顔をヘスティアに向ける。ヘスティアはベルの視線を感じながらも、顔を横に向けることなくただ前を見ていた。夜の闇は雨のカーテンに覆われ、手を伸ばせば闇の中に自身の指先さえも見えない。
「ベルくんは、さ―――シロくんを強いって、言ったね」
「は、はい。でも、そんなに強いだなんて……」
「じゃあ、ベルくんは、シロくんがどうしてそんなに強いのか、その理由がわかるかい?」
「え?」
雨から隠れた建物の屋根から、雨粒が落ちてくる。落ちて砕け、霧雨となった雨粒に濡れた髪を一房持ち上げたヘスティアが、くるりと、その白い指先に漆黒の髪を巻きつけた。
「才能?」
濡れても更に艶を増した髪が、スルリと指先から流れ落ちる。
「努力?」
雫のように流れ落ちる髪先に視線を落とす。
「経験?」
やがて視線は雨の向こう。
「それとも―――」
陰る瞳に浮かぶのは、闇に沈む―――あの日の光景。
あの日―――シロくんがボクの
何も覚えていないと言ったシロくんに、何か見覚えがあるところはないかとオラリオを案内していた時だった。
丁度通り掛かった神に、一人も【ファミリア】がいないとボクは馬鹿にされた。
あいつは、ボクと同じ時期に地上に下りてきた神の一柱で、ボクとは違って、もう十人以上の【ファミリア】がいた。
Lv.2もいるのだと、自慢げに語っていたあいつは、ボクを指差して笑っていた。
恥ずかしくて、悲しくて、悔しくて……何も言えず震えるだけのそんなボクの前に、シロくんは、立ち塞がってくれた。
きっと、あの時の光景は、どれだけ時が経っても忘れない。
大きくて、広い背中。
泣きたいほどに、頼もしかった。
嘲笑に晒されるボクの前に立って、シロくんは悪意からボクを守ってくれた。
何が切っ掛けだったのか、あいつらはシロくんに殴りかかってきた。
冒険者でも何でもないシロくんじゃ、例え相手が一人だったとしても、絶対に勝てる筈はなかった。
やめてと。
逃げてくれと叫ぶボクに笑いかけてくれたシロくんは、たった一度も攻撃を受けることなく、一人で倒してしまった。
十人以上の―――それもLv.2がいた【ファミリア】を、たった一人で。
目の前で起きた光景が信じられないで、ただ目と口を開いて立ち尽くすボクに、君は何事もなかったように笑ってみせた。
今でも、目を閉じれば直ぐにでも思い出せる。
赤い紅い―――夕日の中。
日が沈む夜との境界。
黄昏の世界で、消えゆく光の中に見えた君の笑顔。
ボクは、覚えているよ。
覚えているよ。
うん、覚えているんだ。
君が教えてくれた―――君の記憶を―――。
君が目を覚まして、微かに残っていると、教えてくれた、君の記憶。
あの日―――君がボクの【ファミリア】になった日。
君の背に現れた、見たことも、聞いたこともない【ステイタス】。
……迷って、悩んで、決意して、ミアハにお願いして君の身体を診てもらった。
記憶を失っているから、念のためと君に嘘をついて、ミアハに診てもらった結果は―――想像の外だった。
『……結論から言わせてもらうと、彼の記憶喪失は、喪失ではない』
『消失―――消滅と言ってもいい』
『原因は、彼の左腕だ』
『気付かなかったかね? 右腕と左腕―――左の方が、少し大きいことに』
『そう。左腕は彼の本来の腕ではない』
『移植―――そのように思われる、が、それだとおかしい点が幾つかある』
『私の経験から言わせてもらうが、他人の腕ではこうまで上手く繋がることはありえない筈なのだ。しかし、この腕は、肉体だけじゃない、霊体も完璧に繋がっている』
『他人の腕では、こうまで見事に繋がることはありえん―――そうだ。例え私であってでも、だ』
『……ありえん。この左腕は、間違いなく彼本来の腕ではない。最初は気付けなかったが、良く見ればヘスティアも気付けた筈だ』
『明らかに、彼の左腕の“霊格”は彼の身体と比べ別格だ』
『これほどのものは、子供達ではありえん。一番近いものといえば―――“精霊”……か』
『待て待て。そうではない。近いものはといっただろ。似ているだけで、この腕は“精霊”のものではない。それは間違いない』
『……わからない。本当にわからないのだ』
『わからないことばかりだが、しかし、わかったこともある』
『彼の記憶喪失―――いや、消失は、まだ続いている』
『落ち着けヘスティア。安心、とは言えんが、幸いにも【恩恵】がその進行を妨げている。今すぐどうかなるというわけではない』
『それでも、少しずつ進行していっている。日が経つにつれ、確実に彼の記憶は失われ、肉体は変化していくだろう』
『その結果どうなるかは、私でもわからない』
『不可能だ。例え左腕を切り離したとしても、侵食が止まることはありない』
『【恩恵】の力で、十数年は持つとは思うが……だが、保証はできん』
『何が切っ掛けとなって、侵食が進むかわからないからだ』
『その通り。確かに【恩恵】を破る事はない』
『しかし―――ヘスティア。彼がそれを望んだ場合は、どうだろうか』
『彼は、私たちの想像を逸脱している。今後、彼がどうなるかなど、『
『……もう一つ、想像でしかないが、多分、彼はこの腕がどういうものかわかった上で、繋げたのだろう』
『はは……ただの勘でしかないよ』
『……きっと、彼には譲れない何かがあったのだろう』
『そのために、彼はこの腕を繋げ、そして戦った』
『その結果、どうなるかを理解した上で……』
『ヘスティア』
『人とは、こうまで強く、恐ろしく、悲しくなれるものなのか?』
『何が、彼をそこまで駆り立てたのか……』
「―――ベルくん」
「は、はい」
ベルを見上げる。
微かに濡れた髪を、闇の中、遠く明かりを灯す魔石灯がぼんやりと浮かばせる。
「ベルくんが強くなりたいのは、好きな人に近づきたいからだよね」
「……そうです」
ゆっくりと、噛み締めるようにベルの頭が上下する。
「その気持ちは、大切なものだってことはわかる。努力するのもわかるんだ。そのために、危険に身を晒すことも……必要な時があるってことも、わかってる」
「は、い……」
顔を俯かせたまま、ベルは視線だけをヘスティアへ向ける。
ヘスティアは、真っ直ぐにベルを見つめている。
「シロくんも、きっと、そうなんだよ」
「え?」
「シロくんも君と同じように、強い想いがあって、だから、強くなった……強く、なれた……」
離れていた位置にある魔石灯の明かりが微かに照らすヘスティアの身体が、今にも消え去りそうなほどに、儚げに映る。
「身を削られるような、心を削られるようなことがあっても、強くなりたいと思ったんだ」
大切な何かを包むように握り締めた両手を胸元に抱きしめる。
強く、強く押し付けた両手に、柔らかな胸元がぐにゃりと歪む。
押し殺したような、苦し気な声が、ヘスティアの口から溢れる。
「想いが、願いが、きっとシロくんを強くした……―――悲しいほどに、強く……」
「神、さま?」
「だから、さ、ベルくん。君も強く、強く想えば、きっと強くなれるよ。この
あまりにも何時もと様子の違うヘスティアに心配を覚えたベルが、手を伸ばす。しかし、それを拒絶するかのように、ヘスティアは顔を上げる。ヘスティアの深い蒼の瞳が、ベルの深紅の瞳と交じり合う。
「……君の
「シロ、さんにも……」
「でもね、ベルくん」
噛み締めるかのように、ベルが強く握った拳を震わせながらシロの名を呟くのを見たヘスティアは、震えるベルの拳を両手でそっと包み込んだ。
「たとえ強くなったとしても、君の目指す先に届いたとしても、想いが消えてしまえば、意味はないんだよ」
「え?」
「……死んだら、意味がないってことさ」
小さく笑みを口元に浮かべたヘスティアに、ベルが苦笑を浮かべる。
「はい」
「君が無茶をしてでも強くなりたいというのなら、ボクは止めない。でも、その前に、頼って欲しいな。もちろんボクじゃ君の力にはなれないけど、シロくんがいる。きっと彼なら、君の願いの力になってくれる」
「はい……」
「だから―――ほら」
ヘスティアは闇の向こうへ指を差す。
緩やかになる雨の勢い。それでも夜の視界を遮るのには十分だ。しかし、そんな中、ぼんやりと闇の中浮かび上がる影があった。
「え?」
「いってきな」
「シロ、さん」
段々と大きくなるその影は、ベルにとっては良く見慣れた人の姿だった。
それは、今最も会いたくて、会いたくない人だった。
自分が憧れている人の中の一人。
そんな人の前で、馬鹿にされてしまった。
あの人の前で、シロさんの前で。
もし、シロさんに馬鹿にされたら、と思う……ありえない、とは思うけど……。
でも―――。
「君が、何をしたいのか、何処へ行きたいのか、何を目指すのか―――きっと、シロくんは君の力になってくれるよ」
「っ―――はいッ!!」
神様の言葉を背に、ベルはシロへ向かって駆け出した。
強く、なりたいという想いを抱いて。
あの人に、追いつくために―――。
小さくなる、闇の中に紛れる影の向こうに浮かぶ灰色の髪へと駆け出すベルの後ろ姿。
その背中を、ヘスティアはじっと見つめていた。
「……ベルくん。想いがあって、力があるんだってことを、忘れないでね」
ポツリと呟いた言葉は、空から落ちてくる雨粒にまぎれ消えてしまった。
「シロくん……君は、どうだったのかな」
思い出す。
彼が目を覚ました時の事を。
記憶がないと口にした彼が、少しだけ、覚えていることがあるといった言葉を。
『家族が、いた―――大切な、大切にしたいと、誓った、家族が―――』
彼が口にした
「君の願いは―――叶ったのかな……」
もう、彼が覚えていない、大切な記憶を―――。
そして―――脳裏に蘇るのは、彼の背に記された―――異形の……【ステイタス】…………。
■■■シロ■
Lv.1
力:I0
耐久:I0
器用:I0
敏捷:I0
魔力:I0
《魔法》
【■■■■■】
―――使用不能
派生魔術 ―――【■■】
―――使用不能
―――【■■】
―――使用不能
―――【■■】
―――使用不能
《スキル》
【 】
―――削れ
―――砕け
―――摩耗した
―――彼の魂の記憶を―――。
感想ご指摘お待ちしております。
映画、物凄く楽しみです。
小説を書きたくなるほど……。
映画……どっちのルートなのかな?