たとえ全てを忘れても 作:五朗
『迷宮都市オラリオ』。
『世界で最も熱い都市』とも呼ばれるそこには、様々な建築物が立ち並んでいる。
『ダンジョンよりもダンジョンしている』とまで冒険者から呼ばれる『ダイダロス通り』。
様々な国の異国情緒溢れた建築様式を所狭しと並べ立てた『歓楽街』。
オラリオで、いや、世界で最も高い建築物と言っても良い、この迷宮都市の中心でありダンジョンの蓋でもある摩天楼施設『バベル』。
等々と、オラリオには特徴的な建物が数多く存在する。
しかし、その中でも特に異彩を放つ建物が一つ。
初めてそれを見た者は、ソレを建物とは思わないことだろう。白い壁に囲まれた広い敷地の中心に、それはあぐらをかいて座っていた。
像である。
それは、象の頭と若い男の肉体を持った巨大な像であった。
巨大、巨大である。
全長三十
ここは、オラリオで随一の構成員を誇る【ファミリア】―――【ガネーシャ・ファミリア】のホームであった。
夜―――無数の大型の魔石灯でライトアップされた、見るものに微妙な気持ちを抱かせるその建築物の中では、とある宴が執り行われていた。
その宴とは―――『神の宴』。
随分と大仰な名であるが、それは文字通りの意味であった。
参加者は全て神。
とは言え、その中身と言えば、下界に降り立った神々がただ顔を合わせるためだけの会合でしかなかった。この宴、主催するのは別に何処の神かとは決まってはいない。毎回宴をしたい神が開き、そして宴に参加したい神が参加するという、神々の適当さがわかる催しであった。
そして、今夜の宴は【ガネーシャ・ファミリア】の主神―――ガネーシャが執り行っていた。
主神の巨像というふざけた建物の中では、宴が開かれている。外観からは想像も出来ない落ち着いた内装の大広間では、様々な神が宴を楽しんでいた。
そしてそこには、弱小ファミリアである【ヘスティア・ファミリア】の主神であるヘスティアの姿もあった。
「あら? 久しぶりヘスティア」
「ん? あっ! ヘファイストスっ!!」
並べられた料理の数々に手を付けることなく、何処かぼうっとした様子でワインの入ったグラスを片手に揺らしていたヘスティアは、背後からかけられた声に振り向き驚きの声を上げた。
ヘスティアの後ろに立っていたのは、一柱の女神であった。
燃えるような紅い髪と同じく紅いドレスを身につけた女神の名はヘファイストス。
女性的な豊かなスタイルを持ちながら、何処か鋭角的な、刀剣を思わせる美しさを身にまとう彼女だが、最初に目が行くのはその炎のような美貌ではなく、その顔の半分を覆う黒い革布である。顔の半分近くを覆う眼帯をした女神が、ワイングラスを片手に首を傾げていた。
「どうかしたの? 何だか元気がなさそうだったけど? 心配事でもあるの?」
「ん? いや、そうじゃないんだ。まあ、ボクの事は置いておいて。良かったよ君に会えて」
ほっと息を吐くヘスティアの姿に、ヘファイストスは眉根を寄せ微かに顔を顰める。
「何よ。私に会えて良かったって……一応言っておくけど、お金なら一ヴァリスでも貸さないからね」
「失礼だなっ! もうそんな事はしないよっ! 何せこっちにはシロくんとベルくんがいるんだかねっ!」
「そういえばそうね。あなたは信用できないけど、シロがいるし……」
「その言葉の真意を知りたいところだけど、まあ、いいや。それよりも、実は君に―――」
顎に手を当て、そう言えばと納得するヘファイストスをジト目で睨みつけていたヘスティアが、ぽんと手を叩き何かを言おうとしたが、それは背後からかけられた声により遮られてしまう。
「あら? ヘスティアじゃない」
「っ?!」
「ん?」
振り返った二人の前に、女神が立っていた。
暖かさと柔らかさを得たかのような大理石の如き肌に、細くも女性的な柔らかさを感じさせる肢体は、動く度に誰しも魅了させてしまう芳香を漂わせ。小ぶりでありながら、服の上からでもその柔らかさを感じる臀部。折れそうな程に細いのに、一種の豊かささえ感じる腰。大きく胸元が開いた金の刺繍がされたドレスから溢れる二つの大きな双丘が造り出す峡谷は、男女関係なく見るものを吸い込ませる。
一つの究極の美が、そこにはあった。
ワイングラスを片手に立つその美の女神は、涼しげな切れ目の瞳を細め、長い銀髪を指先でついっと直すと、ヘスティアたちの下へと歩み寄っていく。
「ふ、フレイヤ……何でここに君が……」
美に魅入られた神―――フレイヤの名をヘスティアが口にすると、疑問を投げかけられた張本人は、あら? とばかりに小首を傾げて見せた。
「ヘファイストスに声を掛けられたのよ。久しぶりーって話ししていたら、何時の間にか一緒に会場を回ることになっていたの」
「そうか、君のせいだったのかヘファイストス……」
「私のせいって言うのはどういうこと? 何か悪いことでもしたとでも言うつもり?」
「そういう、理由じゃないけど……」
「あら? じゃあどう言う意味かしら?」
常に微笑を口元にたたえているフレイヤだけでなく、ヘファイストスも口元に笑みを浮かべながらヘスティアへと躙り寄っていく。
「むぅ……ただ、ちょっとボクは君の事が苦手なだけだよ……フレイヤ」
「あら、それは残念ね。私はあなたのこと嫌いじゃないんだけど?」
「まあ、ボクも君のことは嫌いじゃないよ。ただ、苦手なだけで……」
ワイングラスを傾けながら、苦笑を浮かべるヘスティアに、フレイヤも笑みで返す。
フレイヤが浮かべる笑みに見蕩れる周囲の神々を横目にしたヘスティアは、小さくため息を吐いた。
確かに、先ほど言った言葉に嘘はない。
ヘスティアはこの“美の女神”であるフレイヤを嫌ってはいない。ただ、苦手なだけであった。彼・彼女等“美の神”は、容姿に優れる者が多い神の中でも、特に美しい者たちであった。それが、ただ容姿に優れているというだけならば、まだいいのだが、この“美の神”達は、
しかし、それがヘスティアが
それも確かにあるが、それ以上に明白なもの。
それは
個性的で自由奔放、他にかける迷惑は神のご加護だと言い張る面の厚さもあるが、それ以上に厄介な食えない性格であった。
このフレイヤも勿論例外ではない。
何せこの女神、他所のファミリアに気に入った子を見つけると、自分のファミリアへと入れてしまうのだ。他のファミリアへ変わる事は、容易ではないが不可能ではない。神と本人が認めれば、
(……大丈夫だとは思うけど、一応警戒しておかないと、ね)
【ヘスティア・ファミリア】には、現在Lv.1しかいない。
しかし、そのどちらも神々の興味を抱かせるには十分な素質を持っている。
ベル・クラネルの【
どちらも日々“未知”という存在に飢えている神々にとっては、垂涎の的だろう。
そう、ヘスティアが苦笑いを浮かべながら警戒していると、遠くから手を振りながら近づいてくる女神が一柱現れた。
「お~い! ファーイたん、フレイヤー……に、ドチビー!!」
「……あっちは大ッッ嫌いだけどね!」
「あらあら」
口元に手を当て笑うフレイヤに足音荒く背を向けながら、ヘスティアは近づいてくる女神―――ロキに対峙した。
朱色の髪を夜会巻きにまとめ、その細い―――悲しいまでに細い身体を黒のドレスで飾った女神は、髪と同色の瞳を見えないくらい細めヘスティアの前で立ち止まった。
「ああ、ロキじゃない」
「……ふんっ、何しに来たんだよ君は……」
「ほいほいファイたんおひさー……で、相変わらずやなドチビは、なんや、今日は『宴じゃー』ってノリで集まってんやろ? そんなとこで理由探すなんてほんま空気読めんな相変わらず」
「―――ッ! ふ……ふふ」
肩を竦めながら見下ろしてくるロキの細められた目と声に含まれた嘲りに、ヘスティアは沸き起こる怒りに肩を震わせる。
「なんや? 何か言いたいことでもあるんか?」
「―――いや、君も本当に懲りないものだと思ってね。だってそうだろ?
「ッッ!!? こんっクソガキがぁああっ!!」
ヘスティアが胸の下で腕を組み、その豊かな双丘を強調し、ロキを挑発的な眼差しで見上げる。眼下にそびえ立つ巨大な山脈に晒されたロキは、怒りの沸点を容易に突破し、怒声と共にヘスティアへと飛びかかっていった。
周囲の神々たちが『始まった! 始まった!』と声が上がるのを背中に、ヘファイストスは片手で顔を覆い高い天井を仰ぎ、フレイヤはグラスに口をつけながら微笑した。
ロキはその長い手足を利用し、ヘスティアの手が届かない位置からヘスティアの頬を両手で掴むと、むみょんむにょんと餅のように引っ張っては縮めてを繰り返した。背が低く、それゆえに手足も短いヘスティアにはなすすべもない。二柱の女神のキャットファイトは、終始ロキが優勢に進んだが、攻撃の度にヘスティアの胸が大きく揺れ、それを間近に目撃するロキは少しずつ、だが確実にダメージを喰らい、結果として両者ともに疲労困憊に床に座り込む羽目となった。
肉体的ダメージがなかったロキが、頬をさすりながら床に突っ伏すヘスティアよりも先によろめきながらも立ち上がると、未だ倒れたままのヘスティアの背中に指を突きつけた。
「ふ、ふんっ! こ、今度あった時には、その無駄にでかい乳を引っ張ってやって、婆ぁみたいに垂らしてやるからなこんアホぉっ!!」
「はんッ! ならこっちもその絶壁を引っ張ってやって、少しは見れるようにしてやるよっ! まあっ! 掴めればの話だけどねッ!!」
腰を曲げて見下ろすロキと、床に突っ伏しながらも頬を撫で見上げるヘスティア。
ギリギリと睨み合う二人。このまま第二ラウンドか? と思われていたが、すっと腰を伸ばしたロキが、首を振りながら天井を仰ぎ見た。
「ああっ……やめや、やめや。今日あんたに会いに来たんは喧嘩しに来たんちゃうわ」
「……じゃあ、一体何なんだよ」
床に手を突き立ち上がりながら、ヘスティアは警戒が多分に混じった声を上げる。
ヘスティアがロキを嫌いな理由は、先も口にした通り何か集まりがある度にこうやって馬鹿にしてくるからであった。そのため、こういった集まりがある際は、できるだけ関わり合いにならないようにしていた。それは今回も同じだが、しかし今はできればこの
シロと【ロキ・ファミリア】の一件。
なら、
【
基本、暇を持て余し日々謎や娯楽を求める神達にとって、
ヘスティアが、危機感を募らせながら見つめていると、ロキは周囲で騒いでいた神たちが立ち去っており、近くにはヘファイストス、と遠巻きにこちらを見ているフレイヤしかいない事を確認すると、低い声で小さく言葉を口にした。
「シロ、とか言うあの男―――……一体何者なんや」
「何者って……ボクのファミリアだよ」
「そんなん本人の口から聞いたわ。うちが聞きたいのは、あん男の過去や。一体どないな経験をしたらあないな男が出来るんか聞きたいんや」
「シロくんの、過去……」
躙り寄るロキから顔を背けるヘスティア。歯を噛み締めながら、どうすればはぐらかす事が出来るか考えるヘスティアの後ろから、予想だにしない相手がロキの質問に応えた。
「無駄よロキ。ヘスティアも
「なんや? ファイたんも知ってんのかあん男? って言うか本人も知らんって何やそれ?」
「ヘファイストスッ!?」
ヘスティアからヘファイストスへと顔を向けたロキが、頭を掻きながら首を傾げた。怒りを滲ませたヘスティアの声音に、ロキはヘファイストスの言葉に嘘の可能性は少ないと考えていた。
「ヘスティア。ロキに対して下手に隠し事をしたら禄な事にならないわよ。ある程度は話して適当に好奇心を満たしてやらないと、ほんと何しでかすか分からないし」
「―――っ」
「酷い言い草やなファイたんは、ま、否定はせんけど―――って、ファイたんもあん男のこと知ってんのか?」
細めた目を開いて驚きを見せるロキに、空になったグラスを近くのテーブルに置いたヘファイストスは、肩を竦めて苦笑いを浮かべた。
「まあ、
「へ? 鍛冶場を? どゆこと?」
開いた目を更に丸くさせたロキに、ヘファイストスは苦笑いを湛えたまま頷いた。
「そのままの意味よ。ヘスティアが
「へぇ……で、どうなんや」
「……まあ、うちに欲しいくらいは腕は良かったわ」
「それは―――ますますわからん男やな」
世界で最も知名度が高いといっても過言ではない【ヘファイストス・ファミリア】。この迷宮都市において、唯一ダンジョンによる生計を立てていないファミリアだが、その代わりある分野での収入により生計を立てている。
それは鍛冶。
そう、【ヘファイストス・ファミリア】は鍛冶師のファミリアであった。
そのファミリアの永遠の現役社長であるヘファイストスは、天界で神匠と謳われた実力はこの地上でも現役であり、鍛冶師の腕を見る力もまた、同じであった。そのヘファイストスが、『腕が良い』とまで口にする実力者。
謎が解けるどころか、ますます深まるばかり。
眉根に皺を寄せるロキに、ヘファイストスが同意するというように頭を上下させた。
「私もそう思ったわ。下手な【
「そんで、そん答えは?」
「『わからない』、だって。本人曰く、このオラリオに来るまでの記憶がないらしいわ」
「記憶がない……そりゃほんまかドチビ」
「……っ、ちっ……そうだよ。シロくんは
機嫌悪く舌打ちしながら睨み付けてくるヘスティアに、ヘファイストスはバツが悪そうに頬を掻きながらそっぽを向く。
「下手に黙って痛くもない腹を探られるよりましでしょ。
「ふんっ」
「うちの悪口は聞こえんところでやってーな。で、どういうことや? 記憶がないって、そりゃほんまなんか?」
「……本当だよ。だから、何でシロ君がああも強いのか、鍛治の腕がいいのかも全くわからない。ボクも、本人も、ね」
「……そりゃ、また……難儀やのぉ」
片手で顔を覆い大きく頭を左右に振るロキに、ヘスティアが訝しげな表情を浮かべる。
ヘファイストスも同じようにロキの何処か哀れみを思わせる声に戸惑う様子を見せた。
「何がさ」
「……ドチビは、あの男とうちの【ファミリア】の間で何があったか知っとるか?」
「シロくんがそっちの【ファミリア】の子を一人ぶっ倒したんだろ」
「えっ!?」
苦い顔をしながらヘスティアが呟くと、ヘファイストスは驚きの声を上げた。
二人の間―――シロとロキの【ファミリア】の間で何かあったのだろうとは予想していたが、まさかそんな事が起きていたとは思いもよらなかったのだ。
「そうや、で、具体的な事はどうや?」
「聞いてない、けど、それがどうかした―――」
ビクリ、とヘスティアの身体が震えた。
直ぐに気を取り直すようにロキを睨みつけたが、ヘスティアの敵意が含んだ言葉は途中で立ち消えてしまう。
予想外のモノをみてしまったからだ。
痛ましげな目で自分を見るロキの姿を。
「なん、だよ……」
「いいか、よく聞けやドチビ。あん男はな、うちの
―――っ、だめ、だ。
「……それが、どうしたんだよ」
「わからへんのか?」
何処か苛立たしげに問い詰めてくるロキの姿に、内から湧き出してくるドロドロとした不安にヘスティアの背中が粟立つ。
―――知りたく、ない。
言いようのない寒気に襲われたヘスティアは、身体をぶるりと一度大きく震わせると、ゴクリと喉を鳴らした。
「何、が……」
―――分かりたくない。
「一線級の冒険者の一撃を喰らえば、Lv.1の頭なんて卵よりも簡単に潰れてしまうわ……それくらいは
「そりゃ、まあ……」
―――言わないで。
「なのにや、
ずいっ、と吐息を感じられるまでの距離へと顔を寄せたロキが、ヘスティアを睨み付ける。
ヘスティアは動けない。
―――ソレを、口にしないで。
魅入られたように、ロキの紅い瞳から目を離せないでいた。
―――嫌だ。
そして、ロキはゆっくりと口を開き、その言葉を口にした。
―――そんな事はもう―――
「あん男―――どっか
―――知っているのだから。
「ヘスティア……」
ロキが立ち去り、残されたヘファイストスが呆けて立ち尽くしているヘスティアに躊躇いがちに声をかけた。
ヘスティアはぴくりと肩を揺らすと、ゆっくりとヘファイストスへと顔を向ける。
「……何だい?」
「い、いや、その……ごめんなさい」
「……何を……君が謝るような事は、何もないよ」
ヘファイストスがバツが悪そうに顔を俯かせると、ヘスティアは強ばっていた頬を微かに緩め、小さく頭を振った。
「でも―――少しでも悪いと思ってくれてるのなら、ボクのお願いを一つ聞いて欲しいんだけど」
「……まあ、その内容次第だけど、お願いって何よ?」
顔を上げたヘファイストスが尋ねると、ヘスティアは指を一本立てた手を突きつけた。
「―――一つ、剣を造って欲しいんだ」
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