たとえ全てを忘れても   作:五朗

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第十六話 千の妖精

 爆音に似た咆哮が轟く。

 蕾が花開き、満開に開かれた花弁の色は極彩色。

 毒々しい花弁の中心には、無数の牙がズラリと並ぶ獣の口腔。

 天へと咆哮する口は白く濁った粘液をぼとぼとと垂れ流すその奥には、陽光を反射させた魔石が鈍く輝く。

 

「蛇、じゃなくて―――花って……ッ!?」

 

 その正体を露わにしたモンスターの姿に、ティオナが驚愕の声を上げる。

 蛇のような細長いその身体は、植物の幹であり、頭だと思われた流線型の頭部は蕾であった。

 獣と植物を織り交ぜた醜悪な頭部を晒した食人花のモンスターは、空へと向けていた頭を倒れ伏したレフィーヤへと向ける。開かれた口と、そこから涎のように溢れ出す粘液から、その目的は明らかであった。レフィーヤの身体を突き刺した触手を地面から次々に現出させたモンスターは、その身体をくねらせ獲物のもとへと這い寄っていく。

 

「ッ!? レフィーヤ逃げなさいッ!!」

「レフィーヤ―――ッて、もうッ邪魔ぁあ!!」

 

 レフィーヤ救出のため駆け出すティオナ達の前に、地面から現れた無数の触手が襲いかかる。食人花のモンスターと同じ黄緑色をした触手を、ティオナ達は必死に叩き伏せレフィーヤに駆け寄ろうとするが叩けども叩けども起き上がり襲いかかる触手の群れに、その歩みは遅々として進まない。

 焦るティオナ達が必死に呼びかけるも、レフィーヤは動かない―――動けない。

 やがてモンスターはレフィーヤの眼前に迫り、その口腔を開き―――。

 

 

 

 

 

 巨大な塔のように屹立するモンスターは空に輝く太陽の光を遮り、死の宣告のように黒い影が身体を覆っている。

 狂いかねない痛みに正気を侵食される中、レフィーヤは自分を覆う影の主を見上げていた。

 悲鳴を上げる声なき声の中に、痛みを訴えるものとは違う言葉が浮かぶ。

 

 ―――嫌だ。

 

 それは拒絶。

 肉体を蝕む苦痛をも押さえ込む忌避の意思。

 見えない壁越しに聞いているように奇妙に鈍く聞こえるのは、逃げ遅れた市民の上げる悲鳴と、避難を誘導する冒険者の声。そして『逃げろ』と必死に声をかけてくるティオナたち(仲間達)の声。

 その言葉に従いたいが、どれだけ身体に鞭打とうとも、動く様子は見られない。

 

 ―――嫌だ。

 

 叫ぶ。

 足掻く。

 悶える。

 どれだけ必死に心の中で暴れようと、現実の肉体には何ら動きは見られない。

 時は無情にも過ぎ、粘液に濡れた牙を鈍く光らせ、口を開いたモンスターが迫ってくる。

 

 また―――なの……。

 

 また、私は―――。

 

 白く鈍る視界の中、歪む世界で嘆きの声を上げる。

 

 嫌だ、嫌だ―――と。

 

 弱い自分が許せず。

 強くあろうとした。

 強くなろうとした。

 何時か彼女の隣に立てるように。

 胸を張って、あの中に飛び込めるために。

 なのに―――これで、自分は終わりなのか?

 また、自分はここで―――このまま、見ているしかできないのか。

 私は―――また―――。

 

 

 

「ッオオオオォォォォォォッ!!!」

「―――ッ!」

『アアアアアアアアアアアアアアァァァァッ!!?』

 

 

 

 朧に霞む視界に、赤と金、そして二条の銀線が走る。

 赤が放った銀線に頭を下から勝ち上げられたモンスターは、空を翔ける金の銀線にその首を切り飛ばされた。

 赤と金の輝きが、歪む視界に眩いまでに映り込む。

 

 ―――守られる、だけなのか。

 

 

 

 

 

 切り飛ばされた頭部は、悲鳴を細らせながら建物の一角に突っ込んだ。

 モンスターの首を両断した勢いのまま地面へと向かったアイズだったが、くるりと身体を器用に回し両足で地面に降り立つ。軽くレイピアを振るい、地響きを立てながら倒れいくモンスターへと振り返ったアイズは、地面に転がるレフィーヤへと顔を向ける。

 レフィーヤの前には、アイズよりも先にモンスターの前に躍り出ていたシロの姿があった。倒れているレフィーヤの横に膝をつき、シロは怪我の様子を見ている。アイズは自分も急いでレフィーヤの元へと駆け寄ろうとした時、

 

「アイズ!」

 

 声を上げ自分に向かって駆け寄ってくるアマゾネスの姉妹がいた。

 アイズはレフィーヤへと手を伸ばそうとするシロから一旦視線を離すと、近づいてくるティオナ達に応えるように片手を上げ―――。

 

「―――ッ!?」

 

 グラリ、と地面が揺れるのを感じ総身に予感を抱いた。

 

 ―――まだ、終わりではない、と。

 

 アイズが反射的に剣を構えると、足元の石畳が隆起した。

 ここまで来ると、流石にその場にいた全員が気付いた。

 

「嘘っ! またぁ!?」

「あ~もうっ! 鬱陶しい!」

 

 慌ててブレーキを掛け、立ち止まるティオナ達の前で、石畳を下から吹き飛ばしながら、三匹の新たな食人花のモンスターが姿を現した。新たに現れた食人花のモンスターは既に蕾を開き、大口を開け咆哮を放っている。全身でモンスターの咆哮に揺れる大気を感じながら、アイズは改めて剣を構え、モンスターに向かって斬りかかろうと柄を握る手に力を込めた時であった。

 

 ―――ビシリ、とアイズが握る剣が破砕したのは。

 

 元より頑丈さよりも速さ鋭さを求めて造られた剣であるレイピアである。アイズ(第一級冒険)の手による攻撃に使われれば、材料が不壊物質の武器でなければ自壊するのも仕方がない。

 

「―――ぇ?」 

「ちょっと―――」

「な、何でっ?!」

 

 無意識のうちに愛剣と同じ扱いをしてしまった代理の剣では、アイズの力に耐え切れなかったのだ。

 助っ人(アイズ)が持つ突然の武器の破壊に、本人だけでなくそれを見ていたティオネとティオナの戸惑いの声が響く中、食人花はそんな三人の動揺など関係なく動いていた。新たに現れた三匹の食人花は、一斉にアイズに向かって突き進む。

 直ぐに我に帰ったアイズが、間近に迫った一匹の食人花の手元に残った剣の柄の頭でもって殴りつけながら跳躍して逃げる。風を纏ったその攻撃は、並のモンスターならば一撃で倒せる力がある。しかし相手はティオナ達の打撃すら大したダメージを与えられない身体を持っていた。如何に風の力を加えたとしても、僅かにその体皮をへこませることしかできない。

 

「何でまたこっちを無視すんのっ!?」

「魔法に、反応してる?」

 

 執拗にアイズを追う食人花へとティオナとティオネの二人は何度も攻撃を加えるが、モンスターの矛先はアイズから外れる事はなかった。

 アイズは倒れたレフィーヤから離れるように逃げ回る。食人花の攻撃はその身体を使った超重量による体当たりや噛み付きだけでなく、地面から無数に生えた触手による鞭擊。厄介なのは地面から生えた触手による攻撃であった。一つ一つはアイズが身にまとった風を破れはしないが、何より数が多い。現状ティオネたちの援護もあり被弾は一度もないが、同じようにアイズたちも有効な攻撃の手段がなかった。

 

「アイズ―――一旦魔法を解いて!」

「―――でも」

「武器がなくても一匹なら大丈夫だって!」

 

 モンスターの興味はどうやら魔法だと直感したティオネが、アイズに魔法を解くよう指示する。しかしアイズはモンスターの矛先が他へと向かうことを恐れ逡巡する。

 

「「アイズっ!!」」

 

 ティオナ達が真っ直ぐアイズを見た。

 揺るがないその瞳に、アイズは魔法を解除することを決めた。

 確かにこのモンスターは厄介である。第一級の冒険者の攻撃を耐えるタフネスは異常といってもいい。禄な武器がないとしても、Lv.5が三人もいて苦戦する相手だ。しかし、それでもこの二人なら大丈夫だとアイズは思った。それだけの信頼と信用が二人にはあった。

 アイズは目で二人と意思を交わしあい、魔法を解除するタイミングを図る。

 そして、何度目かのアイズを喰らおうとする三匹のモンスターの攻撃が回避される。再度襲いかかろうと、身を起こすモンスターの動きが止まるその一瞬。その隙を逃さずアイズは魔法を解除し―――

 

「―――ぁ」

 

 アイズの視界の隅に、小さな少女の姿が映り込んだ。

 モンスターとの戦いで破壊された屋台の影に、一人の少女が座り込んでいた。眼前で繰り広げられるモンスターと冒険者の死闘。まだ幼い少女の心を恐怖に染めるには十分であった。余りの恐ろしさに悲鳴を上げる事もできず、ただ震える少女の瞳が、アイズの姿を映す。

 アイズの思考が加速する。

 

 魔法を解除。

 逃走する方向。

 モンスターの向かう先。

 自分の位置と味方の位置。

 味方(ティオナ達)は少女に気付いているのか。

 応援は間に合うのか。

 

 一秒にも満たない間に様々な思考が錯綜し、結果を弾き出す。

 このままでは、逃げ遅れた少女を巻き込んでしまう、と。判断は一瞬だった。解除するはずの魔法を最大展開。少女を巻き込まない方向へ逃げる。だが、残された道の結果(行き先)は既に見えている。それでも、アイズは迷うことなくその道を選ぶ。僅かな可能性に掛け、全力で逃げ―――捕まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぁ―――っ」

 

 奇妙な浮遊感を感じながら、レフィーヤは意識を取り戻した。右腕に、何やら硬い感触を感じ、揺れる視線を右へと向けると見知った顔が間近にあった。

 

「―――かはっ」

 

 名前を呼ぼうとした口からは、血煙しか出なかったが、身体を支えていた人物にレフィーヤの意識が戻った事を気づかせた。

 

「あまり動くな。直ぐにこの場から離れるぞ」

 

 シロが労わるような声をかけると、レフィーヤはぼうっとした視線を向けると、眉をしかめた。まだ現状を把握できていないのだろうと判断したシロは、そこで自分たちの下へと駆け寄ってくる人影を見つけた。

 

「―――大丈夫ですか!? って、シロさん!?」

 

 駆け寄ってきたギルド職員は、負傷した女性冒険者を支える男が、自分の知る者だと気付くと素っ頓狂な声を上げ立ち止まった。

 

「エイナか、丁度いい。彼女を連れてこの場から離れろ。腹部にかなりの負傷がある。応急処置はしたが、内臓が幾つか傷ついている可能性が高い。直ぐに治療させてくれ」

「わ、わかりましたっ! え? あれ、シロさんはどうするんですか?」

 

 シロは助けに来た人物が自分の担当の案内係(エイナ)だと気付くと、慎重にレフィーヤの身体を渡した。レフィーヤの負傷について簡単な説明をし終えると、シロはエイナに背を向けたが、直ぐにその背中に戸惑いの声が向けられる。

 シロは振り返る事なく、当たり前の事を口にするように応えた。

 

「決まっている、アレを何とかしなければいかんだろ」

「―――なっ、あれはっ! ばっ、馬鹿なことを言わないでください! あなたも逃げるんですよっ!」

 

 シロの視線の先を目にしたエイナが、レフィーヤを肩で支えながら大声を上げた。怒りが混じった大声を耳元に聞いたレフィーヤが、その柳眉を顰める。エイナの怒声が意識に掛かったモヤのようなものを晴らしたのか、意識を取り戻した時よりも幾分ましになった頭で、遅まきながらもレフィーヤは周囲の状況の確認を始めていた。

 

「あなたはLv.1なんですよ! あなたに何が出来るって言うんですか!?」

「さて、囮役程度は出来ると思うが」

「ふざけている場合じゃないですっ! 食べられちゃいますよっ!」 

 

 身体を支えてくれているギルドの職員らしきハーフエルフの女性が、何やらシロと言い争いをしているのを眉を顰め耳にしながら周囲を確認していたレフィーヤが、一体何を言い争っているのかと彼等が視線を向ける先に視線をやった時であった。

 レフィーヤの目が―――いや全てが停止した。

 目の動きも、体の震えも、呼吸も、そして未だに身体を蝕む痛みすらもその一瞬停止した。

 レフィーヤの視線の先。

 言い争うシロたちの視線の先に、壁を粉砕された商店があった。巨大な木造りのその建物には、一体のモンスターが頭をめり込ませている。そのモンスターは大口を開け、更に建物に自身の頭を食い込ませようとするが、何かがそれを妨害していた。

 その何かが()であるか理解したレフィーヤが、反射的に身体を前へと動かしていた。

 

「きゃっ?!」

「レフィーヤっ」

「―――っ」

 

 半ば反射的にエイナの肩を押すように前に出たレフィーヤだったが、その身体に受けたダメージは深刻であり、足に全く力が入らず一歩も前へ動くことなく前のめりに倒れていく。だが、その身体が再度地面へと打ち付けられる前に、振り返ったシロがその身体を受け止めた。

 レフィーヤはシロの身体を握り締めると、震える身体で急いで顔を上げた。

 シロの身体越しに見える光景は先程と全く変わっていない。

 アイズがモンスターの大口に捕らわれていた。半ばモンスターの口の中にいるためか、その身に纏う風が球形の小嵐となっている。食人花は噛み砕こうと必死に顎を上下させるが、アイズの風が砕かれる様子は見られなかった。残りの二匹の食人花も、両脇からアイズに食ってかかっている。

 シロたちがいる離れた場所にあっても、アイズの風の鎧を食い破ろうとするガツンッ、ガツンッという硬い何かが砕かれるような音が聞こえてくる。ティオナやティオネが必死になってアイズに群がる食人花を引き離そうとするが、単純な力でモンスターに叶うことがなく、引き剥がすことができないでいた。

 

「動かないでくださいっ! 酷い怪我なんですよ。彼女は大丈夫です。【ガネーシャ・ファミリア】の方がもう直ぐ来られるはずですから、あなたはこのまま―――」

「レフィーヤは、気持ちはわかるが今は下がれ。怪我をしたお前では―――」

 

 シロの腕の中で必死に前へ、アイズ達の下へと行こうとするレフィーヤを思い止めようとする。

 それを耳にしたレフィーヤは、

 

 

 

「―――ってるッ!!!」

 

 

 

 ―――叫んだ。

 

 

 

 

 

 怪我をしている。

 

 助けが来る。

 

 行ってもどうにもならない。

 

 役にたたない。

 

 何も、できない。

 

 そんな事は、ずっと前からわかっている。

 

 わかっているから、頑張ってきたんだ。

 

 自分が今助けに行っても、ただの足でまといにしかならない。

 

 【ガネーシャ・ファミリア】の冒険者なら、間違いなくアイズ達を助けてくれるだろう。

 

 そんな事はわかっているのだ。

 

 このまま痛みや苦しみに目を閉じ、意識を手放せば、目を開けた時には全てが終わっているだろう。

 

 誰も自分を責めない。

 

 それどころか何もできなかったのに、良くやってくれたと言ってくれるだろう。

 

 そう、彼らは優しい。

 

 彼女たちは優しい。

 

 私を傷つけないように、守ってくれる。

 

 守って、くれる。

 

 

 

 私は―――そんな事望んでなんかいないッ!!!!

 

 

 

 私は、守られたいんじゃない!

 

 私は、立ちたいんだ!

 

 あの人の隣に!

 

 あの憧憬(輝き)に、私は追いつきたいんだ!

 

 例えそれが叶うことのない願いであっても!

 

 例えそれに手が届かなくても!

 

 私は―――手を伸ばすっ!

 

 前へと、進むっ!

 

 どれだけ傷ついたっていいっ!

 

 彼女達の力になりたいっ!

 

 彼女達の強さを見るたびに、何度も心が折れた。

 

 でも、その度に立ち上がった。

 

 彼女達の―――あの人の輝きを見るたびに、それでもと―――っ!  

 

 私を受け入れてくれた彼女たちに。

 

 幾度も救ってくれた彼女たちに。

 

 私は―――。

 

 私は―――一緒にいたいっ!

 

 共に、戦いたいっ!

 

 だから―――

 

 

 

「わ、たし―――は―――、私はっ、戦うッ!!」  

「―――ッ!??」

「…………」

 

 両手でシロの身体を突き放し、よろよろと立ちながら文字通り血を吐くような叫びに、エイナは口にするはずだった言葉を飲み込んでしまう。反射的に伸ばした手が、レフィーヤに振り払われる。どうすれば良いか分からず、エレナは縋るような視線をシロへと向けた。

 だが、その視線を向けた先の人物は、ただ黙ってレフィーヤを見つめているだけであった。

 無茶をするなと諌めるでもなく、馬鹿なことを言うなと怒ることもなく、ただじっと、静かな目でレフィーヤを無言で見つめていた。

 

「っ―――ぁ―――ふ……」

 

 肩を激しく上下させ、口の端から血を血を流しながら、レフィーヤは目の前に立つ(シロ)を睨みつけていた。

 退かなければ、倒してでも先に行くとでも言うような、噛み付かんばかりの視線であった。

 しかし、シロはそんなレフィーヤの決死の視線を受けながらも小動もしない。

 動かない二人。その間も時間は過ぎ、モンスターたちはアイズに群がっている。

 焦ったレフィーヤが、疲労と痛みを押さえ込み、駆け出そうとした時であった。

 

「―――無駄だ」

「―――ッ!?」

 

 鋭く冷ややかな言葉の剣が、レフィーヤの身体を貫いた。

 感情を全て廃した、純然たる事実をそのままに形にしたような言葉は、燃え上がる心を一気に冷却した。

 

「その身体で、一体何ができる」

 

「何も出来はしない」

 

「足手纏いにしかならない」

 

「無駄死にだ」

 

 シロの言葉は容赦なくレフィーヤの心に突き刺さり、気付けば前へと進もうとする足が止まってしまっていた。

 あれだけ燃えていた(意思)も、何時の間にかすっかり冷え切ってしまっている。

 否定することができない。

 ずっと、考えていたからだ。

 シロの口にした言葉は、全てレフィーヤが考えていたことだ。

 確かにそれでも、と立ち上がった。

 一人蹲り、ただ守られるだけが嫌だから、立ち上がった。

 しかし、この男を前に、この男の言葉を前にして、レフィーヤは自分の覚悟が揺れてしまう。

 理由はわからない。

 もしかしたら、一度彼の姿に憧れを幻視したからかもしれない。

 彼女に、無理だと言われた気がしたのかもしれない。

 

 視界が歪む。

 目に熱が込もり、目尻から水が流れる。

 痛かった。

 苦しかった。

 身体が、何よりも心が。

 様々な感情が渦巻く。

 

 戦いたい―――逃げたい。

 

 守りたい―――守られたい。

 

 彼女達の下へと行きたい―――離れた場所で見上げていたい。

 

 矛盾する気持ちが何度も交差する。熱と冷気が幾度も身体を駆け巡る。高揚とも、悪寒ともつかない奇妙な熱が全身を包む。

 レフィーヤは目を閉じた。

 多くの人が瞼の闇に浮かんでは消えていく。

 学区の同胞の姿もあれば、このオラリオで出会った人達の姿もある。

 しかし、一番多く映るのは、家族の姿。

 【ロキ・ファミリア】の冒険者たち。

 その中に、一際輝く人影がある。

 金の髪を持つ、美しい少女。

 

 

 

 自分の―――憧憬。

 

 

 

「―――それでも、私は、戦います」

 

 

 

 気付けば、真っ直ぐにシロを見上げながら、レフィーヤは言葉にしていた。

 己の内から湧き出た言葉を真っ直ぐに、そのまま……。

 挑むようなその視線に、シロは一瞬口元に笑みを浮かべ―――。

 

「ならば―――名乗れ」

 

 シロの口元に浮かんだ笑みは、レフィーヤが瞬きした内に消え去り、今は厳しく引き締められていた。

 

「【ロキ・ファミリア】の誇り高きエルフよ。戦場に赴くというのならば、名を名乗り、己の意志を示せ」

 

 朗々と、託宣のようにシロは言葉を口にする。

 レフィーヤは、シロの言葉を一つ受ける度に、その身に力が満ちる事に気付く。心が、高揚するのを感じる。

 シロの目は、しっかりとレフィーヤを見つめていた。

 守るべき対象ではなく。

 共に戦う戦士を見つめる目で。

 認められている。

 否―――確かめられている。

 ここが分水嶺だと、レフィーヤは感じ―――目尻に涙が残る双眸を勢い良く見開いた。

 

「私はっ―――私はレフィーヤ・ウィリディスッ! ウィーシェの森のエルフッ!」

 

 騎士が戦場にて名乗りを上げるかのように、レフィーヤは堂々とその己が標を示す。

 

「神ロキと契りを交わした、このオラリオで最も強く、誇り高い、偉大な眷族(ファミリア)の一員!」

 

 立っているだけでやっとであった身体の何処に、これだけの大音声を出せる力があったのか、レフィーヤは己の事ながら不思議に思いながら自分を見つめるシロを見る。シロは変わらず、無言のままレフィーヤを見つめていた。身体に、痛みではない熱が込もる中、レフィーヤは自身の身体に一本の芯が通り、力が漲るのを感じていた。

 数瞬の後、シロはレフィーヤに背中を向けた。

 レフィーヤは一瞬キョトンとした顔になったが、シロの背中を見て直ぐに表情を崩した。

 言葉もなくとも、何故かレフィーヤは理解していた。

 シロが、自分を認めた事を。

 共に戦う者であると。

 その大きな背中を見て、レフィーヤは知らず顔を綻ばせていた。

 一つ、鼓動が大きく鳴った。

 

「最強の魔法を撃て」

 

 シロがレフィーヤに背中を向けたまま言葉を掛けてきた。

 その声には、ただ真っすぐにレフィーヤに向けられる。

 お前の魔法なら、この戦局をどうにかできるという確信に満ちた言葉。

 

「わかりましたっ!」

 

 レフィーヤの思わず力が込もった声に、シロの僅かに笑みが混じる言葉が返ってくる。

 

「敵の攻撃は気にするな。詠唱の間、俺がお前を守る」

 

 まるで、どこぞの騎士のような言葉を口にして走り出したシロの背中を、顔を真っ赤にしたレフィーヤは睨みつけたが、直ぐにその背中を追いかけた。

 シロは直ぐに足を止めた。モンスターに群がれているアイズからはまだ距離があった。しかし、レフィーヤの口からは文句は出てこない。何故ならば、この距離はレフィーヤの射程圏内であるからだ。どうして自分の魔法の射程がわかっていたのか聞きたかったがそれどころじゃない。直ぐにレフィーヤはアイズに群がるモンスター達を見据えると、詠唱を始めた。

 

「【ウィーシュの名のもとに願う】!」

 

 大きな背中に守られながら、レフィーヤは詠う。

 

「【森の先人よ、誇り高き同胞よ。我が声に応じ草原へと来れ】」

 

 今、自分はシロに守られている。

 しかし、不快感はない。

 悔しさもない。

 それは、シロが自分を一人の戦う者として認めているからだ。

 守る対象ではなく、共に戦うものであると。

 

「【繋ぐ絆、楽宴の契り。円環を廻し舞い踊れ】」

 

 (シロ)はきっと気付いていた。

 自分が何度も諦めかけた事を。

 幾度も意志が折れていたことを。

 だけど、彼は言った。

 

「【至れ、妖精の輪】」

 

 『名を名乗り、己の意志を示せ』と。

 そうだ。

 折れてもいいんだ。

 何度だって、倒れてもいいんだ。

 ただ、そこからどうするかが問題なんだ。

 倒れて、そのままなのか。

 それでも、それでもと、立ち上がれるのか。

 己の意志を、示せるのか。

 

「【どうか――――――力を貸し与えて欲しい】」

 

 だから、歌おう。

 確かに自分は弱い。

 彼女達の遥か後ろにいる。

 歩みは遅く、追いつけるかどうかもわからない。

 彼女は待ちはしない。

 今も、これからも歩み続ける。

 振り返りもしないだろう。

 だけど、それでいいんだ。

 彼女は、真っすぐに歩いていけばいい。

 私は、そんな彼女に憧れたのだから。

 だから、せめて聞いて欲しい。

 私の、歌を。

 何時の日か、私の歌が、彼女を癒し、守り、彼女を脅かす敵を打ち払う事ができるように。

 私は、詠う。

 私だけに許された、歌を―――詠い続ける。

 森で踊る妖精のように。

 愛する者を救ってきた精霊のように。

 私は、詠う。

 あなたに、届けと。

 この、魔法(うた)を―――。

 

「【エルフ・リング】」

 

 詠唱を続けるレフィーヤの足元。山吹色に輝いていた魔法円(マジックサークル)が、瞬時に翡翠色へと変わった。

 

「「レフィーヤっ!?」」

「―――っ!?」

 

 レフィーヤへ集まる強大な魔力に、アイズ達が気付く。だが、気付いたのはアイズ(仲間)たちだけではない。アイズを噛み砕かんと風の鎧に牙を突き立てていた食人花たちもまた、レフィーヤに収斂する魔力を察していた。今自分達が噛み付いている魔力よりも更に巨大な魔力の出現に、食人花たちは一斉に矛先を変えた。向かう先は詠唱を続ける一人のエルフ。しかし、その前に立ちふさがる者がいた。

 凶暴なまでの魔力を集中させるレフィーヤと、それを後ろにモンスターの眼前に立つシロの姿に、アイズ達の目が驚愕に見開かれる。

 

「【―――終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に風を巻け】」

 

 レフィーヤの詠唱は続く。

 一度は完成した筈の魔法に、更に詠唱を上乗せすることで別種の魔法を構築している。

 通常ではありえないそれは、レフィーヤが習得した魔法によるもの。【ステイタス】に確保される最大三スロットの最後にレフィーヤが習得した魔法。

 その魔法の名は―――召喚魔法(サモン・バースト)

 同胞(エルフ)の魔法に限定するが、詠唱及び效果を完全把握する事が条件の―――前代未聞の反則技(レアマジック)。その他にも、使用には二つ分の詠唱時間と精神力を消費するが、その代わり彼女はエルフの魔法ならば全てを使用できる可能性すらある。

 上限が三までと決められた、魔法の取得限界を超える使用できる魔法の種類の膨大さ。

 いずれ彼女が使える魔法の数は百か千か―――故に、彼女にオラリオの神々が名付けた名は―――

 

 ―――【千の妖精(サウザンド・エルフ)

 

「【閉ざさえる光。凍てつく大地】」

 

 召喚するものはかの英雄たるエルフの王女―――リヴェリア・リヨス・アールヴの魔法。

 時をも凍らせる氷雪の嵐。

 紡がれる詠唱。その中に、レフィーヤとは違う美しき玲瓏なる声が混じる。

 詠唱は終わりに近づき、翡翠の如く魔法円が眩いほどに輝いた。

 

『―――――――――ッ!!!???』

 

 食人花のモンスターは、際限なく未だ止まる事ない魔力の高まりの下へ―――レフィーヤへと急迫する。

 

「こ―――のッ!!」

「大人しくっ! してろッ!!」

「ッ!」

『アっ、アアッ?!』

 

 だがレフィーヤへと躍りかかる直前、その背に追いついたティオナ達が殴り、蹴り、叩きその進路を強制的に変えてしまう。吹き飛ばされる三匹のモンスター。その姿を眼前にしながら、シロはピクリとも動かない。ただ、両手に握る剣の柄を僅かに強めただけ。

 一瞬の空白の後。

 シロの眼前の地面から無数の触手が飛び出してきた。槍のような硬く鋭い切っ先が狙う先には、最後の詠唱を紡ぐレフィーヤの姿。迫る脅威を目の前にし、しかしレフィーヤの顔に恐れの色は全くと言ってなかった。

 強き眼光はただ真っ直ぐ前へと向けられている。

 その身を貫いた触手を前に、怯えの色はない。

 ただ、強い信頼がそこにはあった。

 彼女は信じていた。

 男の言葉を。

 『俺がお前を守る』と口にした男を。

 そして―――。

 

「―――ッオオオアアアアアッ!!!!!」

 

 十字に重ねた双剣を、一気に開く。

 衝撃さえ伴い振るわれた剣の一撃が拮抗する。第一級の冒険者の力をもっても砕けない身体(武器)。シロは幾本もの鋼の糸をより集め造られたかのような異形を見た。その余りの硬さに、剣を握る両の手が一瞬緩んだほどであった。

 だが、

 

「ッオオオオオオ!!!」

 

 己の力を、持てる技術の全てを使い―――一息の後槍衾の如く触手の攻撃を弾き飛ばした。

 空白がその場に満ちる。

 モンスターの攻撃が不発に終わり、一瞬の停滞が生まれ。

 

「【吹雪け、三度の厳冬―――我が名はアールヴ】!」

 

 レフィーヤの魔法が完成した。

 

「【ウィン・フィンブルヴェトル】!!」

 

 三条の吹雪が通りを駆け巡った。

 射線上からは既にアイズ達は逃れている。大気すら凍りつかせながら突き進む純白の死の嵐が、モンスター達を飲み込んだ。頑強な体皮が凍りつき、毒々しい花弁は白く染まり、絶叫は氷が軋む音の中に消えていった。死の嵐が駆け抜けた後、残されたのは三体の氷像。

 白と蒼の二色に染められた街の通り。

 細かな氷の粒が陽光に照らされキラキラと輝く中、三つの影が走り抜ける。

 ティオネ、ティオナ、そしてアイズの三人。

 ティオナ達アマゾネス姉妹は無手で、アイズは何時の間にか手にしたいた剣を片手に、白く凍りついた大地を駆け―――。

 

「いっくよぉ~~~ッ!!」

「このっ! 糞花がぁああっ!!」

「っ!!」

 

 三者三様の気合の入った一撃は、三体のモンスターの氷像を打ち砕いた。

 涼やかな音を立て砕けるモンスターの残骸。

 レフィーヤは目に、揺らめく金の長髪が青い燐きの中、一際美しく輝いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 砕けたモンスターの残骸が空に撒かれ。細かな粒となったそれが未だ中空で光を受け輝く中、モンスターの氷像を砕き歓声を上げるアイズ達の姿がある。窮地を脱する力となったレフィーヤを見つめ、口々にその功績を讃えながら手を振るアイズたちに、瓦礫となった商店の影から現れたロキが近付いていく。

 

 手を上げ何やらアイズたちに話しかけながら歩いてくるロキは、片手に魔石を弄んでいる。

 

 ロキの言葉に何やら苦笑するアイズたち。

 

 遠目にその姿を目にしたレフィーヤの口元にも、笑みが浮かんでいた。

 

 そこには、紛れもない油断があった。

 

 危機を脱し、緊張が緩んでいた。

 

 誰も責める事は出来ない。

 

 誰も、想像すら出来なかったのだから。

 

 ただ一人。

 

 訝しげな目で地面を見つめていた男を除き。

 

 地面が揺らぎ。

 

 一瞬の空白が生まれ。

 

 警告の声が上がった時には、全てが遅かった。

 

 大地を砕き、二つの影が空へと伸びた。

 

 地面から飛び出した影の一つは、その身が操る幾十もの極彩色の触手で、ロキたちを一息に包み込んだ。

 

 残りの一つは、未だ強力な魔力の残滓を残す少女へと襲いかかる。

 

 状況が把握出来ず、ただ目の前で起きた悪夢を呆然と見つめる少女へと牙が突き立てられんとしていた。

 

 逃げる事も、戦うことも出来ず立ち尽くす少女。

 

 怪物の口腔に収まる直前。

 

 少女の眼前に紅い背中が映り込んだ。

 

 瞬間―――全身を衝撃が貫いた。

 

 限界まで酷使された肉体には、それは耐え切れなかった。

 

 視界が暗く染まっていく。

 

 遠のく意識の中。

 

 伸ばされた指先には何も触れる事はなく。

 

 少女は―――レフィーヤは意識を手放した。

 

 

 

 

 

 




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 ぎりぎりで完成したので、手直しがあるかもしれません。

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