たとえ全てを忘れても   作:五朗

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第十七話 選定の剣

 

 

 

 

 

 ―――頬を、風が撫でた。

 

 

 乾いた、風だ。

 

 

 触れた頬が、切り裂かれたような痛みを訴える。

 

 

 眼前に広がるは、何も無き荒野。

 

 

 草木はなく、動くものもなく、ただ罅割れた大地が広がるのみ。

 

 

 仰ぎ見た空は赤く燃え。

 

 

 日入りか、日の出か、燃える空に照らされた大地もまた、血を流しているかのように赤い。

 

 

 荒れ果てた、何も無い、荒野――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何かが、頬に張り付いた。

 どろりと頬を滑り垂れたそれが、口の端に触れる。

 それは、熱かった。

 それは、鉄の味がした。

 

「――――――」

 

 深く深い泥のような暗闇の中から、意識が浮上する。

 粘りつき、引き戻そうとする手を振り払いながら、戻ってくる意識。

 意識が戻るにつれ、壁越しに聞いているかのような不鮮明な音が耳に触れる。

 硬い何かがぶつかり合う音。

 一度だけではない。

 何度も、何度も、何度も聞こえてくる。

 爆音にも似たその音は、その余りの数と速度から、まるで大きな一つの爆発音にさえ聞こえてくる。

 次第に鮮明になるその音を耳に、ゆっくりと瞼を開く。

 まるで全身が鉛になったようで、目を開けることすら大変な重労働にさえ感じる。

 そして、開かれた目が視界を取り戻す。

 映り込む世界は未だぼんやりとハッキリとした象が浮かばない。 

 眼前に広がるのは瓦礫。

 石畳が砕けた大小の欠片が、崩れた建物の残骸が散らばっている。

 そんな崩壊した世界の中で、咲き誇る花が見えた。

 大きな―――大きな花だった。

 毒々しい極彩色の花弁を開いたその花は、花弁の奥に開かれた獣の牙を剥き出しにして、何度も大地へとその牙を、その身に備わう触手を振り下ろしていた。

 牙が、触手が大地へと振り下ろされる度に、硬い、硬い金属音が響き渡る。

 ギン、ギン、ギン―――と、鉄を叩くかのような音が。

 鍛鉄の音が響く中、焦点が合っていく。

 視界が次第に鮮明になっていく。

 そうして、見えてきたものは―――。

 

「―――ぇ?」

 

 一人の男が、戦っていた。

 巨大な食人花に比べれば、余りにもちっぽけな体躯で、その両の手に握った双剣で戦っていた。

 人の腕ほどもある触手が一度に何十と振り回されるのを、腕が霞む程の速度で剣を振り回し、その全てを受け、逸らしていた。

 その度に、鉄を叩くような音が響く。

 その度に、赤い、紅い雨が降る。

 ほら、また頬に、熱い雨が降りかかってきた。

 

「あ゛―――ぁ―――あぁ゛―――」

 

 食人花が、頭をもたげたかと思うと、一気に男へと口中の牙を剥き出し襲いかかっていく。

 剣で捌けるような代物ではない。

 逃げてと、避けてと言いたかった。

 しかし、その前に全てが終わっていまう。

 何も言えないまま、食人花の牙が男を捕まえる―――その刹那。

 男は両の手で握る剣を体ごと振るう。

 自身をまるで一つの剣のようにして振るわれた一撃は、食人花の一撃を逸した。

 進路を強引に逸らされた食人花は、その勢いのまま脇道の商店街へと突っ込んでいった。

 そして男は―――空を飛んでいた。

 吹き飛ばされたのだ。

 自明の理、だった。

 男の力では、食人花の力に勝てる筈もない。

 その進行方向をずらしただけでも驚嘆に値する。

 瓦礫の上を転がる男。

 もはや立ち上がれはすまい。

 まだその身体が人の形をしている事が奇跡。

 服は既にその様を成さず、僅かにその身を隠しているだけ。

 ボロ切れとなった服が赤いのは、元の色か、それとも男から流れ出た血で染まったものか。

 男は動かない。

 死んでいるのかもしれない。

 駆け寄りたい、男が無事か、今すぐにでも確かめたい、なのに未だ身体はピクリとも動けない。

 目の前の光景が信じられなくて。

 目に見える光景を信じたくなくて。

 声も上げず、声を上げる事が出来ず、ただ、見ているだけ。

 ガラガラと、瓦礫が崩れる音が聞こえた。

 視界の端で、大きな影が動いた。商店に頭を突っ込んでいた、身体を起こしたのだ。頭をフラフラと周囲へと向けた後、食人花はこちらを見た。開かれた口から、だらだらと粘液が溢れている。

 ずるずると、蛇のように身体を滑らせこちらへと迫っていく。

 逃げられない。

 身体が動かない。

 死を目前に、静まる思考が冷徹に告げていた。

 お前は、ここで死ぬのだと。

 その、私の前に、赤い背中が見えた。

 男の背中だ。

 迫る死から私を守るため、男が死の前に立ちふさがっていた。

 そのまま倒れていればそこで終わっていた筈なのに、その動かない筈の身体を動かし、私の前に男は立っていた。

 

「し―――ロ、さ……ん」

 

 たどたどしい、囁くような小さな声が口から溢れた。

 男の名を呼ぶが、返事は―――。

 

「―――」

 

 ―――ない。

 食人花(モンスター)の前に、男は背中を向け無言のまま立ちふさがっている。

 その赤い背中を向けて。

 

「―――ッ!?」

 

 息を呑む。

 男の背中が赤いのは、赤い服を着ているからではなかった。

 何度も打たれ倒された身体を守っていた服は既に身体の一部に張り付いているだけで、その用を成していなかった。

 では、その背中の赤は何なのか。

 血だ。

 男は己の身体から流れる血で背中を―――全身を赤く染めている。

 赤い服を着ている。

 そう、勘違いするほどまでに、男は血を流していた。 

 

「に、げ―――て」

 

 男の身体が細く震えているのは、体力の低下だけではなく、血を流したことによる体温の低下もあるのだろう。

 あれほどまでに、逞しく不動に感じられたその背中が、今は余りにも弱々しい。

 震える身体で、震える声で、必死に男へ逃げてと伝える。

 だが、

 

「―――や……く、そく……した、だろ」

 

 え? と一瞬の空白が生まれる。

 男は、背中を向けたまま、何処か苦笑を滲ませた声音で。

 剣を振るう。

 迫る触手を打ち払ったのだ。

 ギンッ、と鈍い音が響く。

 目の前で、男が剣を振るう。

 無数の触手が襲い来るのを、男は両手に握る双剣でもって迎え撃つ。

 剣戟の結界を持って、私の身を守っていた。

 男の動きは、魔法使いである私でもわかる程に、早く、上手く、強く―――私の知るどの剣士よりも優れていた。

 あの―――アイズ・ヴァレンシュタインさえも彼の剣技の前では霞んでしまう。

 それほどまでに、彼の技術は際立っていた。

 流れる水のように流麗で。

 草原に吹く風のように軽やかで。

 聳え立つ山脈の如く重厚な。

 まるで、踊っているかのよう。

 しかし、その舞の代償は男の命。

 剣を振るう度に男の命が削れていく。

 血風纏う剣の舞。

 私は、見惚れた。

 自分の命が風前の灯火であると理解しながらも、目の前で広がる剣戟の極地とも言える光景に見入っていた。

 それほどまでに、際立っていた。

 それほどまでに、美しかった。

 何十、何百と触手が振るわれたのだろうか。

 何十、何百と剣が振るわれたのだろうか。

 永遠に続くと思われた剣戟は、唐突に終りを告げた。

 甲高い、悲鳴のような音が辺りに響いた。

 男の剣が折れたのだ。

 仕方ないことだろう。

 これまで持ったこと自体が奇跡に等しいのだから。

 砕けたのは男が左手に持つ剣だった。

 剣が砕けた瞬間、一瞬の停滞もなく男はそれを食人花へと投擲していた。

 だが、何の魔法も、それどころか刃さえ失った柄のみとなったそれでは牽制にさえならなかった。

 牙を剥き出しにした食人花の頭が、男へと迫る。

 男の頭上高くから食人花の頭が落ちてくる。

 その一撃は、きっと耐えられないだろう。

 彼も、そして私も。

 これで全てが終わる。

 だけど、動けない私は駄目でも、まだ彼は間に合う。

 身体も、心もボロボロだった。

 上げる声は掠れ、罅割れたものだった。

 しかし、声を上げる。

 彼に、傷付いて欲しくないから。

 彼に、死んで欲しくないから。

 だから、叫んだ。

 逃げてと、もう、十分だと。

 もう、私なんかを守らなくてもいいと。

 叫んだ。

 血を吐きながら、掠れた声で叫んだ。

 だけど、逃げない。

 彼は、一歩たりともその場から動かない。

 それどころか落ちてくる食人花を迎え撃つため、残った剣を両の手に握り構えている。

 最早その身体では受け止める事は出来ないだろう。

 軌道を逸らすことなど不可能だろう。

 なのに、彼は震える身体でもって向かい合っている。

 迫り来る死と相対して、その背中からは欠片も怯えは見えない。

 彼は、立つ。

 私の前に。

 背中を向けて。

 私を、守るために。

 声を上げていた。

 燃えるような熱が身体の奥底から溢れ、それが炎となって口から溢れ出した。

 名前を、呼んでいた。

 彼の、名を。

 

 

 

「―――シロさんッ!!!!」

 

 

 

 そして、食人花が迫り―――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 既に目は殆んど見えておらず、耳もまた、聞こえてはいなかった。

 何度、剣を振るったのか。

 幾十、幾百、幾千振るったのか分からない。

 両手に握った双剣を振るう度に、身体の内から筋繊維が一本一本ぷつりぷつりと千切れる音が耳に入る。

 その度に、声にならない痛みが心と身体を襲う。 

 モンスターが無数の触手を振る度に、その巨体を暴れさせる度にあらゆるものが砕け崩壊する中、静寂の世界でただ一人、剣を振っていた。

 最早、モンスターの攻撃は、勘で対処しているような状況だった。

 剣を一振りする毎に、ガリガリと、ナニかが削れているような気がした。

 命なのか、肉体なのか、それとも別のナニかなのかはわからない。

 それがわかっていながらも、その場から逃げる事は一瞬たりとも選択肢に浮かぶことはない。

 モンスターが迫る。

 その巨体からは考えられない速度で襲いかかってくる。

 避ければいい。

 その場から動けば避けることができる、問題のない攻撃だ。

 だが、それは出来ない。

 自分の背中(後ろ)には―――いるからだ。

 この場から動けば、モンスターは自分の相手などせずに、後ろにいるあの子に襲いかかるだろう。 

 なら、この場から動くのは論外だ。

 大丈夫だ。

 まだ、いける。

 両手に握る剣を握り直し、全身に力を込める。

 己の身を一振りの剣と化し、その一刀を振るう。

 身体の何処かが砕ける音がした。

 内蔵が持ち上がる不快感。

 空を、飛んでいる。

 直後、背中に衝撃が。

 全身に、削られるような痛みが走る。

 地面を転がっているのだろうか。

 目や耳が聞こえないというのに、痛みだけは未だにハッキリと感じる。

 それが、唯一自分がまだ生きているという証だった。

 モンスターが身をもたげる気配がした。

 ならば、立ち上がらなければ。

 立って、彼女の前に立て。

 モンスターの前に、立ち塞がれ。

 血を流しすぎたのか、身体の芯から寒気が感じられる。

 ぶるりと身震いを一つし、迫るモンスターの気配の前に立つ。

 ふと、自分を呼ぶ声が聞こえた。

 最早耳など聞こえない筈なのに、彼女の声が聞こえた気がする。

 何と言っているのかはわからない。

 しかし、何故か自分を気遣う言葉だろうという確信があった。

 あの子は、優しい。

 逃げろとか言っている事だろう。

 しかし、それは出来ない。

 彼女は、約束を守った。

 己の最強の魔法を放ち、モンスターを倒した。

 なら、今度は自分の番だ。

 約束を、守るのは。

 そう想えば、自然と身体が動いていた。 

 何処に残っていたのかわからない程の力が、身体の奥から湧いてきた。

 剣を、振るう。

 無数の触手が襲い来る。

 全てを迎撃できるわけがない。 

 だから、自分に当たるものは最低限に、背中にいる彼女を傷つけるものだけを選び対処していく。

 彼女を守る。

 そう想えば、不思議なまでに、剣は冴え渡った。

 己の理想の剣線を寸分の狂いもなく剣がなぞっていく。

 最低限の対処しかできなかった触手の嵐に、余裕さえ感じるまでになる。

 それが、いけなかったのか。

 左手の剣が、砕けた。

 致命の事態。

 それでも、身体は一瞬の停滞もなく動いていた。

 柄だけ残った剣をモンスターへと投げつける。

 人の頭ぐらいなら砕く一撃だが、この食人花には意味はなかった。

 モンスターが、迫る。

 剣が一本だけとなった今、先程と同じように攻撃を弾くことはできない。

 最早残った一振りの剣と、この身だけで何とかするしかなかった。

 身体は、まだ何とか動く。

 逃げる事は可能だ。

 だが、彼女は逃げれない。

 俺が動けば―――死ぬ。

 彼女を連れて逃げる事は不可能。

 ならば、やることは決まっている。

 覚悟は、とうの昔に。

 守るべきものは背中にいる。

 その機能を停止した筈の耳が、背中越しに彼女の声が俺に伝わる。

 か細い、掠れた少女の声だ。

 逃げてくれ、と。

 自分の事はいい、と。

 己の身を省みることのない、少女の声。

 思わず、笑ってしまう。

 全く、逃げれるわけがない。

 そんな事を言う子を見捨てる事なんて、俺に、できる筈がない。

 モンスターが迫る。

 その醜い口腔を広げ、俺を喰らうために。

 俺の後ろにいる、彼女を喰らうために。

 そんな事は、許されない。

 許すことなど、できはしない。

 身体に残った全ての力を掻き集め。

 この一撃に耐える。

 耐えたなら次もまた同じように耐える。

 耐えて、耐えて、耐えて、耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて―――耐え抜いて。

 彼女を救ってくれる誰かが来るまで、耐えきるのだ。

 俺は、弱い。

 だから、仕方がない。

 彼女を救うのが、自分でなくとも。

 彼女が無事であるのならば。

 それまでの時間稼ぎになるだけでも十分。

 最早モンスターの息さえ感じられるまでに迫り、己の命が消える間際。

 胸中に宿るのは―――。

 ただただ―――守ると約束した、彼女の無事だけであった。

 

 

 

 

 

 

「―――シロさんッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、レフィーヤの(悲鳴)が響き。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 荒野が広がっていた。

 

 

 

 荒れ果てた大地。

 

 

 

 何も無い。

 

 

 

 動物も、虫も、草木の一本たりともない。

 

 

 

 

 不毛の荒野。

 

 

 

 

 それが、眼前に広がっていた。

 

 

 

 

 

 地平の彼方まで広がる世界(荒野)

 

 

 

 

 世界は赤く染まっている。

 

 

 

 

 日が沈んでいるのか。

 

 

 

 

 日が昇っているのか。

 

 

 

 

 

 

 

 それは、わからない。

 

 

 

 

 

 世界を赤く燃やしている太陽の姿は、何処にも見当たらない。

 

 

 

 

 

 吹き付ける風さえも、乾ききっている。

 

 

 

 

 触れた頬が、切り裂かれたかのような痛みを訴えている。

 

 

 

 

 自分が何故ここにいるのかわからない。

 

 

 

 今さきほどここに来たようにも。

 

 

 

 

 生まれた時からここにいるかのようにも思える。

 

 

 

 ただ、自分がここにいることに、違和感は感じない。

 

 

 

 

 まるで、生まれ故郷にいるような気さえしてくる。

 

 

 

 

 ただ、何か足りない気がした。

 

 

 

 ここには。

 

 

 

 

 この世界には、ナニカがあった筈だ。

 

 

 

 

 そう感じながらも、ソレが何かはわからなかった。

 

 

 

 

 ただ漠然と、足りない気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれくらい、ここにいたのだろうか。

 

 

 

 

 気がついてから、どれだけ時間が過ぎたのだろうか。

 

 

 

 

 何の変化もない光景の中、ただ立ち尽くしているだけ。

 

 

 

 

 自分は、何故、ここにいるのだろうか。

 

 

 

 

 

 そんな疑問が浮かぶ。

 

 

 

 

 

 わからない。

 

 

 

 

 

 わからない―――が。

 

 

 

 

 

 焦燥があった。

 

 

 

 

 早く、行かなければ、と。

 

 

 

 だが、そこが何処かはわからない。

 

 

 

 ここが何処かさえわからないのだ。

 

 

 今、自分が向いている方向が前なのか、それとも後ろなのか、右なのか、左なのかさえわからない。

 

 

 何処へ行きたいのか、自分が何処にいるのか、何もわからない。

 

 

 焦燥が高まり、息が荒くなる。

 

 

 何もわからない。

 

 

 泥のような黒いナニカガ身体を侵していく。

 

 

 それは、恐怖なのだろうか。

 

 

 

 自分が今、何処にいるのか、何処へ行けばいいのかわからない。

 

 

 

 それが、恐ろしい。

 

 

 

 ――――――『シロさんは、怖くないんですか?』

 

 

 

 誰かの言葉を思い出した。

 

 

 何時か、誰かが言った。

 

 

 それは、少女だ。

 

 

 

 だが、それが誰の声なのかはわからない。

 

 

 

 一体、誰、だったか。

 

 

 

 ……思い、出せない。

 

 

 だが、思い出せる事はある。

 

 

 ……そう、彼女は記憶がなくて、怖くはないのかと言ったのだ。

 

 

 ああ、今ならば、彼女の言わんとしていた事がわかる。

 

 

 

 恐ろしい。

 

 

 

 確かに。

 

 

 

 これは、怖いものだ。

 

 

 

 自分が何処にいるのか。

 

 

 

 自分は何処へ行くのか。

 

 

 

 何をしなければ行けないのか。

 

 

 

 何も分からないのは、恐ろしいものだ。

 

 

 

 まるで自分が実体のない、幻のようにさえ感じられる。

 

 

 自分が存在しているのか、わからない。

 

 

 

 焦燥は、強くなるばかり。

 

 

 彼女の言葉を思い出してから、強くなる一方だ。

 

 

 

 自分は、何か大切なものを守ろうとしていたような。

 

 

 

 そんな気が。

 

 

 そう―――俺は守ろうとしていた。

 

 

 誰を?

 

 

 何を?

 

 

 

 ―――わからない。

 

 

 

 わからない……が、わかることはある。

 

 

 

 行かなければ。

 

 

 

 そう、ここで止まっていられない。

 

 

 

 こんなところで、立ち止まってなどいられない。

 

 

 

 それだけは、わかる。

 

 

 

 だから、歩こう。

 

 

 

 行き先もわかない。

 

 

 何処を目指せばいいのかもわからない。

 

 

 

 だが、それでも―――それでも進まなければ。

 

 

 

 例え行き着く先が、変わらぬ荒れ果てた荒野であっても。 

 

 

 

 例え行き着く先に、何もなくとも。

 

 

  

 俺は、立ち止まってなどいられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――イクノカ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歩きだそうとした瞬間、何処からか声が聞こえてきた。

 

 それは、何処か聞き覚えのあるような気がした。

 

 

 

 ―――アンタガイッテモドウニモナラナイゼ

 

 

 

 呆れるような、嘲笑うかのような声。

 

 

 

 ―――ヨエエアンタデドウニカナルヨウナアイテジャネエ

 

 

 見下すような、蔑むような言葉。

 嘲笑混じりの悪意のある声で、囁くように。

 

 

 

 ―――シニニイクヨウナモンダ

 

 

 

 話しかけてくる相手の姿は見えない。

 相も変わらず周囲は荒野が広がるのみ。

 人の姿など何処にも見当たらない。

 

 

 ―――ソレデモイクッテイウノカ

 

 

     「そうだ」

 

 

 気付けば、声に応えていた。

 思ったよりも、強い言葉で、男の声に答えていた。

 

 

 

 ―――ドコヘ

 

 

   「わからない」

 

 

 ―――ドウシテ

 

 

  「わからない」

 

 

 ―――ナニヲシニ

 

 

 「わからない」

 

 

 ―――ナニモワカラナイノニイクノカ

 

 

「そうだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………バカダナ

 

 

 暫くの静寂の後、帰ってきた言葉は、何処か笑っていたように聞こえた。

 それも、悪意のない、苦い笑いのように。

 

 

 ―――ナラ、ドウルイ(・・・・)ノヨシミダ

 

 

 そう、声が聞こえると、目に刺すような痛みが走った。

 光だ。

 唐突に現れた輝きが目に飛び込んできた。

 眩い輝きに目がくらみ、顔を伏せる。

 痛みが残る両目を片手で押さえながら、ゆっくりと顔を上げ。

 

 

「――――――っ」

 

 

 息を呑む。 

 小高い丘が、何時の間にか眼前に出来ていた。

 だが、驚いたのはそこではない。

 その丘の頂。

 そこに、一振りの剣が突きたっていた。

 遠く、その詳細はわからない。

 ただ、美しい剣であることだけは知っている(・・・・・)

 そう、知っていた。

 俺は、あの剣を知っている。

 誘われるように、足は動いていた。

 丘の上を、登っていく。

 一歩一歩、踏みしめ、丘を登る。

 そして、辿り着いた先。

 そこには、刀身を半ばまで埋めた剣が。

 美しい剣がそこにはあった。

 黄金の剣だ。

 眩いまでの剣だ。

 これは、王の剣だ。

 

 

 

 ―――センテイノツルギダ

 

 

 

 声が、聞こえた。

 

 

 

 ―――サアエラベ

 

 

 

 声は、誘う。

 

 

 

 ―――ヌカナケレバオマエハシヌ

 

 

 ―――チカラガタリズオマエハシヌ

 

 

 

 悪魔のように、どちらを選んでも面白い、と。

 

 

 

 ―――ヌケバオマエハシヌ

 

 

 ―――コノツルギハシュクフクデアリノロイダ

 

 

 ―――コノツルギハヤガテオマエヲコロスダロウ

 

 

 

 あらゆる悪意の詰まった声で、囁いてくる。

 

 抜かなければ死ぬ。

 

 力及ばず死ぬという。

 

 抜けば死ぬ。

 

 剣の力が何時か俺を殺すという。

 

 なら、迷うことなどなにもない。

 

 剣を握る。

 

 

 

 

 何時かの彼女のように。

 

 

 

 何時か来る破滅を予言された身で。

 

 

 それでも、目指すべき先のために。

 

 

 

 

 迷わず、逡巡もなく。

 

 

 

 

 

 

 剣を―――引き抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、世界が黄金の光に満ち――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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 次回『無窮之鍛鉄』

 

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