たとえ全てを忘れても 作:五朗
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…………
「――――――ッソ!!!」
一寸先も見えない暗闇の中、女の苛立ちの声が響いた。
殴りつけるような声はしかし、何処か焦りを帯びていた。
「ん~あんま暴れんといてなティオネ。あんたが暴れたらうち潰れてまうから」
「そんなのわかってるわよッ!! だからこうして大人しくしてるんじゃないッ!! 全く、そうでなきゃこんなとこ―――ッ!!」
「落ち着きなよ。狭いんだからここ」
「……ごめんなさい」
「もう、アイズが謝る事なんかじゃないって。そもそもアイズがいなかったら、ロキなんて今頃食べられてたよきっと」
暗闇の中に上がるのは四人の女の声。
「でも……」
「でもじゃないって。今もこうしてロキが無事なのも、アイズが風で守ってくれてるおかげなんだから」
「そやで、だからアイズたんがそんな落ち込まんでもいいんや」
「あんたが言うことじゃないでしょっ!」
女の声の主は―――アイズ、ティオナ、ティオネ、そして彼女達のファミリアの主神たるロキの四人であった。
彼女たちは今、互いをぎゅうぎゅうに押し付け合いながら一塊となっていた。
何故、彼女たちがこのような事になっているかと言うと、それはほんの少し前の事であった。レフィーヤの魔法により、食人花をまとめて倒した際、これで全て終わったと油断した隙を、新たに現れた二体の食人花のモンスターに突かれたのだった。狙われたのがアイズやティオネ、ティオナだったのならば、どうにか出来ていただろう。避ける事も、捕まったとしても自力で脱出することも可能な筈であった。
しかし、モンスターが狙ったのは、同じく油断して戦場に現れたロキであった。
救出が間に合わないと判断したアイズにより、咄嗟に風で自分たちを包み込むようにして防護したことで、ロキが捕食される事は防げたが、その際、ロキを守ろうと同じく駆け寄ってきたティオナたちもまとめて風で包んでしまったのだ。そして、食人花は触手で何十と風ごとアイズたちを捕らえてしまい、現状に至る。
触手に捕らえられ逃げ場がないこの現状は、ただの冒険者たちならば絶望的であるが、アイズたちだけならばどうとでもなる筈であった。
だが、それを阻む者がここにはいた。
そう、ロキだ。
神とはいえ、この地上に存在している間は、ただの人間と変わりがない。いや、【ステイタス】のある人間と比べれば、脆弱といってもいいだろう。問題はそこにあった。アイズたちだけならば、風の魔法でこのまま触手を吹き飛ばせば良いだけであり、ティオネたちが無理矢理力技で触手を外すという手もある。
しかしこの場にはロキがいる。
アイズが風の魔法で触手を吹き飛ばそうとすれば、その瞬間強大な風圧によりロキの身体がクシャっとなる可能性が高かった。密閉した空間で団子状態の中、自分たちに全く影響のなく触手だけを吹き飛ばす魔法の精密な運用は、いくらアイズであっても成功率はかなり低い。ティオネたちによる力技も、力を込めた瞬間、挟まれているロキがその反動で潰されるのは確実であった。
現状、アイズたちに打つ手はなかった。
もうしばらくすれば、【ガネーシャ・ファミリア】の冒険者が応援で駆けつけるため、焦る必要はないのだが、問題は現れたモンスターが二匹であったということである。そして、その一匹が、自分たちではなく倒れていたレフィーヤを狙っていたのが、アイズたちが焦る原因であった。
アイズたちが触手に囚われてから、それなりに時間が経過していた。普通に考えれば、レフィーヤはもう駄目だと考えてしまう。しかし、アイズたちにはそのような悲愴な思いはなかった。理由は、外にはレフィーヤ一人ではないからだ。
そう、シロがいる。
Lv.1とは思えない埒外の力の持ち主。
彼がいるから、レフィーヤは無事だ。アイズたちは何故かそう思えていた。しかし、そうは言っても相手が相手だ。
武器がないとは言え、第一級冒険者であるアイズたちであっても、手こずるモンスターが相手である。確かにシロは武器は持ってはいたが、あのモンスターの身体を切り裂くにはどう見ても武器の格が足りなかった。あれでは精々頑丈な棍棒程度でしかない。
そして、倒す手段がないとなれば、後はジリ貧だ。
大抵のモンスターの体力は、冒険者であっても比べ物にならない程に高い。加えてこの食人花のモンスターは無数の触手を操る。相対している者にとっては、同時に何十というモンスターと戦っている気分にすらなるだろう。倒す方法のない敵が、何十と襲いかかるのをただ防ぐだけ。それでは、体力だけでなく気力すら目に見える勢いで削れていくだろう。
例え、Lv.1としては規格外の力の持ち主であるシロであっても、だ。
だからこそ、アイズたちは焦っていた。
このままでは、【ガネーシャ・ファミリア】が駆け付ける前にシロがやられてしまう。どうにかして、この場から脱出しなければと焦るアイズたちの中、ロキがポツリと声を漏らした。
「―――何や?」
訝しげな、と言うよりも、何処か不快な様子を思わせる、初めて聞く主神の声に、思わずアイズたちがロキに顔を向けた瞬間であった。
「「「「―――ッ!!?」」」」
殴りつけるような魔力の奔流がアイズたちを襲った。火口から吹き上がるマグマのような燃えるような魔力の波に、戦慄と恐れに身を震わせた時―――
「―――ッ!!」
「わわわっ!!」
「ッ、こっ、つああ!!」
「ほわああああああああ!!」
―――衝撃が走った。
世界が揺れるような振動に、思わず悲鳴を上げる。
同時に、アイズたちを包む触手の群れが解け、光が差し込んだ。
考えるよりも先にアイズは魔法を解き、前後左右がわからないほどに揺れる中、ロキを抱え込んだ。そしてティオネとティオナもまた、何とか触手へと手を伸ばし、僅かに緩み空間が広がった触手の囲みを更に押し広げた。触手の檻に、人一人が通れる広さの穴が開いた時にはもう、アイズはロキを抱えたままそこから脱出していた。その後をティオネとティオナが追う。
一瞬にして世界が広がる。
触手の檻から脱出したのだ。
確かな大地に降り立ち、目を回しているロキを怪我をしないように地面に放り投げると、アイズは状況を確かめるために顔を上げ―――
「――――――」
絶句した。
「―――シロさんッ!!!!」
レフィーヤの悲鳴が上がり―――。
――――――ギンッ……
何処からか、硬い音が響き。
同時に、爆音が轟き瓦礫が宙を舞った。
「……………………え?」
レフィーヤは目の前の光景が理解出来なかった。ただ呆然と、脇道に建てられた一件の建物が崩れ落ちるのを見ていた。瓦礫と化して崩れ落ちるものの奥に見えるのは、極彩色の巨大な花弁。眼前に迫っていた筈の己の命を奪おうとした食人花が、何故か数十メイル先へと移動していた。
意味が、わからない。
全身を苛む痛みさえ忘れ、レフィーヤは眼の前で起きた光景をただ目を見開いて見ていた。
――――――ギンッ……
また、硬い―――剣戟のような音が聞こえてくる。
その音に、はっと我に返ったレフィーヤが音が聞こえてきた方向へと顔を向けた。視線の先、そこには男が立っていた。レフィーヤに背を向け、男は立っている。血に濡れた赤い背中。その背を、レフィーヤは知っている。
「シロ、さん?」
ポツリ、とレフィーヤの口から男の名が溢れ落ちる。
レフィーヤの呼び掛けに、男は答えず、ただ片手にぶら下げるように持つ剣を握り締めた。
と、
――――――ギンッ……
またもや、硬い―――鉄を叩くかのような音が響いた。
レフィーヤは、首を傾げた。
音が聞こえてくるのは、間違いなく男の―――シロの方向から聞こえてくる。
だが、鉄を叩くような、そんな音が聞こえてくるような物は見当たらない。しかし、間違いなく音はシロが立つ方向から聞こえてくる。
――――――ギンッ……
「また? これ、は……なに……」
聞こえてくる音に、レフィーヤは疑問を呟く。硬い何かを叩くかのような音。剣と剣とをぶつけ合うかのような―――剣戟のような音にも聞こえるが、何処か違うような。レフィーヤには辺りに響く音を、何処かで聞いた覚えがあった。
(何処で……確か……)
―――ギンッ……
レフィーヤの脳裏に、火花が散る。
砕けた炎が、闇に溶け崩れる。
赤い幻影に、レフィーヤは耳に届く鋼を叩く音の正体を知った。
「―――鍛、鉄の音……」
これは、鋼を鍛える音。
炎と鎚により、鋼を硬く強くするために鍛える音。
不純を叩き出し、ただの鋼を敵を貫き切り裂き打ち砕く為の力と成すために。
鍛冶場に響く音だ。
―――ギンッ……
鍛鉄の音が響く。
ガラガラと瓦礫が崩れる音と共に、巨大な影が立ち上がる。瓦礫の下から食人花が身を起こしたようだ。無数の触手を振り乱し、その極彩色の花弁をこちらへと向ける。
「―――まだ……っ」
レフィーヤの焦った声が上がると同時に、触手が襲いかかってきた。
咄嗟に逃げようとするが、やはりまだ身体は動いてはくれなかった。急に動こうとしたことから、身体に激痛が走り、思わず顔を顰めた。
(間に、合わない―――っ!!)
目の前に迫る触手―――それが、弾けとんだ。
「―――……え」
赤い幻影が揺れる。
目にも止まらぬ速さで、赤い残光のみを残し、それは襲い来る全ての触手を迎撃した。
何十もの触手を、たった一振りの剣で防いでいる。
それも、明らかに余裕を持って。
有り得なかった。
レフィーヤは、今自分が見ているものが信じられなかった。
つい先程まで、シロは双剣をもってしても手数が足りず押されていた。傍から見ても、シロの劣勢は明らかであった。それが、今や余裕さえ感じられる程だ。まるで、別人になったかのような動き。
「なに、が……」
確かに、追い詰められてから発動するタイプの【スキル】は存在する。【ロキ・ファミリア】の中にもそういった者はいる事はレフィーヤは知っていた。しかし、レフィーヤはそれとは違うような気がした。根拠はない。強いて言うならば勘、であった。
―――ギンっ……
鍛鉄の音が、響く。
「また……」
シロの動きが一段と早くなる。
レフィーヤは気付いた。
この音―――鍛鉄の音の発生源を。
それは、シロから聞こえてきた。
シロのいる方向、ではない。
―――息を吐く。
熱い。
喉が、焼ける。
まるで、熱した油を口から吐き出しているかのようだ。
臓腑が焼き爛れ、崩れた内臓が溢れ出ているような気がするが、現実にそんな事は起きてはいない。ただ、そう感じる程の痛みがあるだけ。剣を振るう。腕を振るう、いや、指一つ動かせば、筋繊維の一つ一つがぷつりぷつりと千切れる音が響き、神経が鑢に掛けられるかのような痛みが走る。その度に、悲鳴を上げそうになる。しかし、開いた口から漏れるのは、陽炎のように揺れる熱された吐息だけ。
―――ギンッ……
鉄を叩く音がする。
身体の奥底から。
鎚が振るわれ、鉄を叩く音がする。
鍛鉄の音が。
鉄を鍛える音が響く度に、全身に激痛が走る。全身を切り刻まれるような鋭い痛みがあると思えば、鈍器で指先から丁寧に潰されるかのような痛みを訴え。神経を一本一本取り出しては裂かれるかのような痛みかと思えば、まとめてねじ切られるような痛みにも感じる。激痛が、激痛によって上書きされる。痛みのあまり気絶しようとも、痛みにより目が覚める。狂うことさえ救いに感じられる激痛の嵐の中。
唯一つの事だけを続ける。
剣を振るう。
ただそれだけ。
思考が痛みに犯されていたとしても、身体だけは動いていた。意志も意思もないまま、ただ剣を振るう。
―――ギンっ……
鋼が軋む音がする。ギシギシと、身体から剣が擦れ合う音が。口の中がやけに鉄臭い。激しくなる一方の呼吸と共に、口に溜まった赤いモノを吐き出す。溢れたそれは、中空にある間に蒸発する。赤い霧が一瞬宙を舞う。
自分の身体がどうなっているかなどわからない。
全てを侵す痛みの嵐が正常な思考を破壊している。
ただ剣を振るう。
痛みが走る度に。
鍛鉄の音が響く度に。
剣速は増し、力は強くなる。
振るわれる触手の動き一つ一つが手に取るように見えていく。
世界が粘性の液体の中に浸かっているかのように、あらゆる動きが遅く感じる。
迫り来る無数の触手の群れ。二本の剣でも足りなかったはずが、今や剣一本のみで余裕を持って対処出来る。その理由はわからない。自分がどうなっているのかもわからない。ただ一つ、わかっているのは。
このままでは駄目だということ。
その原因は―――。
全身を苛む肉体だけでなく精神すらも朽ち果てる狂うことさえ許してくれない激痛か?
それとも、一級冒険者すらも手こずらせる巨大モンスターの力か?
違う。
確かにショック死の恐れすらある痛みは無視することはできないが、剣を振るうことはできる。それとも相手をするモンスターの強さ故か? そうではない。ただ単純に、武器がもはや限界に近いということだ。
下手な鎧よりも頑強な身体を持つモンスターを相手に、幾十、幾百千と振り続けた結果故か、もはや手にある剣はあと十合ももちはしないだろう。
―――ならば、どうする。
このままでは、己は負ける。
モンスターと戦えるだけの力を手にしても、武器がなければどうになりはしない。この身一つで倒せるほどに、モンスターの力は甘くはない。だが、いま手にしている剣ではこの食人花の身体に傷を付けるのが限界。切り倒す事等不可能だ。だが、それならばどうする?
逃げれない。
だが、このままでは打つ手はない。
俺がここで倒れたら―――。
―――ギンッ……
鍛鉄の、音が響く。
全身が溶けた。
燃える溶岩が身体に流し込まれる。熱と痛みに頭がどうにかなりそうだ。思考が蒸発し、神経が溶け崩れる。己の形が人の姿をしているのかわからない。狂うことさえ許されない痛み。悲鳴どころか、声の一つとすら上げられない。
そんな中、霧と消えた思考を掻き集め、勝つための手段を模索する。だが、その手段は思い浮かばない。時間だけが過ぎていく。痛みが収まる様子も弱まる様子もない、それどころか強くなる一方で。
どうすればいい。
どうすれば、守れる。
痛みに染められゆく思考の中、守ることのみを想う。すると、背中が熱く。全身を苛む痛みとは違う熱。そこに一瞬意識が向けられ、声が、聞こえた。
―――クベロ、と。
何を、とは思わなかった。
それが何なのかは声が聞こえた時には既に理解していた。それがどれだけ大切なものか、捧げれば取り返せないことも、自分がどうなるのかもわかっていた。
―――迷いは、なかった。
しかし、一つだけ、願いがあった。
だから―――。
「―――ッ!!!」
襲いかかるモンスターの身体にシロが蹴りを叩き込んだ。鍛鉄の音が一定の間隔で響く中、レフィーヤは繰り広げられる闘争に見入っていた。Lv.1である筈のシロの蹴りは、レフィーヤの目にはLv.5であるベートのそれと何ら遜色がないようにさえ見えた。巨木に匹敵する身体が軽々と吹き飛び、瓦礫の山へと衝突する。並のモンスターならばあの一撃で倒せていただろうが、この食人花のモンスターにとっては大したダメージにはなっていないだろう。直ぐにでも起き上がり、襲いかかってくる。ならば、戦えない今のレフィーヤにとって、できることは少しでもこの場から離れることであり、本人もその事に気付いていた。
しかし、レフィーヤはその場に微動だにせず、目の前に立つ男の背中を、魅入られたように見つめていた。
男の背中は、燃えていた。
現実に炎が上がっているわけではない。
自身の血で赤く染まっていた背中は、今は浅黒い男本人の身体の色を見せていた。が、男の身体から発せられる熱により、レフィーヤの目には男の背中が陽炎のように揺らめいて見えていた。男の背中に刻まれた【ステイタス】の文字が、歪んで見える。一体どれだけの熱量を発しているのか、離れた位置にいるレフィーヤの身体は、まるで大火の前にいるかのように熱せられていた。
「し、ロ……さん?」
目の前の男が、本当に自分の知る男なのか得体の知れない不安に襲われたレフィーヤが、怯える幼子のような声を上げる。迷子の子供が、確かめるようにそっと袖を握るような。恐る恐ると言うような声が男に、シロに掛けられる。
その呼び掛けに、シロは背中を向けたまま―――。
「……頼みが、ある」
「―――ぇ」
その声は、先程まで鬼神の如き戦いをしていた者とは思えないほどに、弱々しい声であった。
今にも泣き出しそうな。
崩れ落ちそうな。
鋼鉄を思わせる男の、罅割れ、軋む音に、レフィーヤは声を漏らす。
シロは背中を向けており、その顔をレフィーヤは確認することはできない。にも関わらず、レフィーヤの目には、泣いている男の顔が見えた気がした。目の前には巨壁のようにそびえる男の背がある。黒く、硬く、崩折れる所など想像もできない。筈なのに、一瞬、小さな少年が立ち尽くしているように、レフィーヤには見えた。
「シ―――」
「言ってくれただろ」
「……え?」
再度、確かめるように男の名を呼ぼうとしたレフィーヤの口は、しかし、それを遮るかのようにシロが口にした言葉に閉じられてしまう。シロの口にした言葉の意味がわからず、レフィーヤは疑問の声を上げる。シロはその疑問の声に、背中を向けたまま続きを口にした。
「『笑っていた』と……」
宝物を、大切な想いを確かめるように。
「『良い思い出』だと……」
優しく撫でるように、想いを語る。
「俺の親父を……『良いお父さん』だと……言ってくれただろ」
シロの声は、優しく、穏やかであるが、その奥には硬い決意が隠れていた。
それは、何者をも止める事が出来ない。
硬い、硬い―――硬すぎる願い。
レフィーヤの目には揺らめくシロの背中しか見えない。しかし、それでもレフィーヤはシロが泣いているようにしか見えなかった。
足を止めさえすれば失うことなどないと言うのに、それでも前へと進むことを止めない―――出来ない、不器用で、愚かで……誰よりも優しく馬鹿な男の背中に、レフィーヤは何も言えなかった。
シロが何故、こんなにも悲しげなのか。こんなにも傷付いていながら、それでも戦えるのか。何で、唐突にこんな事を言いだしたのか。何もわからなかった。想像すら出来ない。当たり前だ。レフィーヤはシロの事を何も知らない。最近知り合ったばかりの、それも他所の【ファミリア】で、しかも自分たちの仲間を倒した男でしかない。そんな相手が、ボロボロになりながら、自分を救おうとしている。理由がわからない。男の何もかもが、レフィーヤには理解不能だった。
なのに、レフィーヤは苦しかった。
後悔で胸が一杯だった。
何故、私は
どうして、彼の事をもっと知ろうとしなかったのか。
もう少し、
突き刺すような痛みを胸に感じながら、レフィーヤは涙を流す。
高熱を発し揺らめく男の背中が、涙で滲む。
理解、していた。
最早、シロを止める事は出来ないと。
わかっていた。
だから、レフィーヤは笑った。
無理矢理に目を細め、頬を上げ、
完成した笑顔は、酷く歪で、誰が見ても笑っているようには見えない到底『笑顔』と呼べるものではなかった。それどころか、泣き叫ぶ直前のような顔にさえ見える。そんな顔で、そんな笑顔で、レフィーヤはシロの言葉に頷いた。
「―――はい」
震える声で、涙に濡れる声で、何故自分が泣いているのかさえわからず、レフィーヤは泣き笑いで男の言葉を肯定する。
「―――なら、お前だけでも覚えていてくれ」
ふっ、とシロが笑った気がしたように、レフィーヤは思った。
他愛ない、世間話のように、何の気負いもなく、シロはレフィーヤに一つの願いを口にした
『親父との思い出を覚えていてくれ』と。
そしてシロは両手で剣を握り、それを天へと掲げ。
「俺が、たとえ全てを忘れたとしても―――ッ!!!」
世界に宣言するように、シロは大音声でもってそれを口にした。
「―――【身体は剣で出来ている】ッ!!!!」
――――――キンッ……
――――――キンッ……
硬質な音が響く。
何かが砕け散る音が。
澄み切った氷が砕けるような。
薄氷が踏み砕かれるような。
硝子が砕け散るかのような。
――――――キンッ……
鉄よりも硬く。
硝子よりも脆く。
淡雪よりも儚い。
何かが、砕ける音が。
――――――キンッ……
色鮮やかな思い出。
月光の鮮やかな光。
星明かりに照らされ浮かび上がる陰影の濃い道場の姿形。
父の髪色、肌の色、着ていた服の色形。
自分の小さな影と父の大きな影。
遠くから聞こえる虫の音。
――――――キンッ……
道場の独特の香り。
夜の闇の香り。
自分と、父の匂い。
――――――キンッ……
鮮明に思い出せる、思い出が。
記憶が。
大切な想いが。
――――――キンッ……
砕ける。
――――――キンッ……
割れる。
――――――キンッ……
色褪せる。
――――――キンッ……
ただの、記録となる。
――――――キンッ……
無機質な、情報へと成り下がる。
――――――キンッ……
壊れたものは、戻らない。
例え形を取り繕っても、元に戻る事は二度とない。
砕けた瞬間、思い出はただの情報の一つへと変わってしまう。
ただの情報へと変わった記憶を振り返ったとしても、それを己のものとは二度とは思えない。
――――――キンッ……
死者が決して蘇る事のないように、記録が思い出として蘇ることは、もう二度とない。
――――――キンッ……
だが、後悔はない。
必要だったから。
守るために。
今度こそ、守れるために。
約束を、守るために。
だから、俺は―――。
――――――キンッ……
『―――いいかい■■■、魔術を習うということは、常識からかけ離れるということだ。死ぬときは死に、殺す時は殺す―――僕たちの本質は、生ではなく、死、だからね―――魔術とは、自らの身を滅ぼす道に他ならない……』
色あせ、モノクロのただの情報と化した思い出から、声が聞こえてくる。
『一番大事なことはね。魔術は、自分の事じゃなくて、他人のためにだけに使うということだよ……』
最早、何の感情も浮かばない。
『―――さて、まずは基本中の基本……魔術回路の造り方だ。君の身体に、魔力を通すためのラインを創りだす』
それが、自分の
『自分の身体の全て―――内臓から、指先、爪の一枚、髪の毛の一本に至るまでを、イメージし操作する』
小さな赤毛の子供に、苦笑を浮かべた男が何かを言っている。
『自分の身体を、魔術が使える装置として創り変えるんだ。今の自分を凌駕するイメージを描いて―――限界を超える』
――――――キンッ……
『■■■、これは君が君自身に勝つための戦いだ』
―――ウン、ソウイウコトナラ負ケラレナイ
『イメージを描くための自己暗示。集中力をギリギリまで高めるために……何か一つ、切っ掛けとなる言葉を考えておくといい。ボタンを押してスイッチを入れるように―――この一言で意識を切り替える……そういう強い言葉を……』
―――ソレッテツマリ、呪文ッテコト……
『誰のためでもない―――君一人にだけ効く呪文だね。自分の内に深く働きかける……印象的な言葉が良いんだが……』
―――エット……ウ~ン……何ダカイマイチピントコナイナ……
『――自分の身体をイメージし、仮想させた意識を先行させる……自分の分身だね。これをトレースするように、隅々までモノの造りを見て回るんだ』
――トレース?
『物をなぞるって意味だ。真似るとか……複製っていう意味もあるかな……』
ボタンヲ押スミタイニ、スイッチヲ入レルヨウニ、自分ヲトレーススル……
――――――キンッ……
―――トレース……トレース、ネ…………
――――――キンッ……
炎が燃え上がった。
シロの身体から吹き上がる炎の如き魔力の奔流が、天を貫かんばかりに吹き上がる。レフィーヤは思わず顔を両手で庇う。規格外の魔力が吹き上がり、その余波だけで吹き飛ばされそうだった。身体を低く倒し、吹き飛ばされるのを防ぎながら、レフィーヤは混乱していた。
先程、シロが何かを口にした瞬間、鍛冶場で聞いたことのあるような鍛鉄の音とは違う硬質な音が響き始めた。それは硬い硝子同士を打ち付けるかのようにも、どこまでも透明な水晶が割れているかのような美しくも儚い音だった。
それが暫く続いたかと思えば。
レフィーヤは混乱していた。
この魔力の嵐の発生源は、間違いなくシロであったが、レフィーヤの知る限りこれだけの魔力を持つのは自分のような魔法使いしかいない筈であった。確かに魔法を使える剣士もいる。その中で規格外とも言える者もいて、その人は【ロキ・ファミリア】にいる。だが、その人に比べても、いや、自分の知る魔法を操る誰に比べても、この魔力は異常だった。
魔力量だけでなく、その質も。
本能が告げていた。
この力は、あってはならないものだと。
レフィーヤの混乱が頂点に達する間際、魔力の奔流の中心にいたシロへ瓦礫を吹き飛ばし立ち上がった食人花が襲いかかってきた。目指す先はシロ。巨大な魔力の残滓を纏うレフィーヤよりも、そんなものと比べ物にならない魔力を溢れ出すシロへと目標を変更したのだろう。牙が並ぶ口を広げ、シロを一呑みにせんと弾丸のように迫るモンスター。
それが―――
「―――
―――吹き飛んだ。
巨大な黒い塊が、空を飛んでいく。
大きく見開かれたレフィーヤの瞳は、その正体を映していた。
モンスターだ。
食人花の頭が空を飛んでいる。
切り飛ばされたモンスターの頭頂部が、投げつけた壁から跳ね返るように飛んでいく。勢い良く飛んでいくモンスターの頭が向かう先には、アイズたちを捉えていた食人花が。食人花の頭同士がぶつかりあい、その衝撃にアイズたちを包む触手の繭が緩む。その瞬間、中からアイズたちが飛び出してきた。
アイズたちは危機を脱した。レフィーヤはそれを見ていた。
見ていた、が―――意識はそちらに向けられてはいなかった。
レフィーヤの意識と視線は今、たった一つのものに向けられていた。
それは剣であった。
しかし、それは余りにも巨大であり、余りにも異形であり、何よりも―――余りにも強大な力が秘められていた。
レフィーヤは知らない。
そんな剣など知らない。
冒険者として今まで数多くの武器を見てきた。その中には魔剣と呼ばれる剣もあった。アイズやティオネたちが持つ特別な属性を持つ武器もあった。
だが、こんな剣は知らない。
見たことも、聞いたこともない。
こんな―――歪な剣を。
それは身の丈はあろうかという程に巨大な剣。大きく反った太く厚い刀身は赤黒い血管のようなものが走り、その背からは、溢れ出した力を表しているかのように歪な羽のようなものが浮き上がっている。
歪で不気味な剣だ。しかし、問題はその姿形ではない。それに秘められた力だ。周囲が歪んで見える程の力を発する剣は、どう見ても禍々しい。まるで、使い手を破滅へと追いやる魔剣のように。
「シロ、さん……」
「―――シロさん?」
「え? なに、あれ……」
「……っく」
「………………何や、あれ」
歪な凶悪な剣を持つシロの姿を見たアイズたちが口々に内心を吐露する。誰もがシロが持つ剣の禍々しさに気付き、そしてそれと同じ雰囲気を身に纏う男に眉を顰めた。
様々な想いが宿った視線が向けられる中、シロはその長大な剣を握り締める。その視線は真っ直ぐ、最後に残ったモンスターへと向けられていた。
「―――終ワラセヨウ」
そう、静かに口を開いたシロが、一歩足を踏み出す。今までどれだけ痛めつけられようと恐れを見せなかったモンスターが、恐れるように身を縮めるようにビクリとその巨体を震わせた。その姿に、シロが憐れむように目を細め。
一歩。
大地を揺らし、周囲を埋める瓦礫が一瞬浮き上がる程の踏み込み。
それだけで十分。十数Mの距離は、その一歩で踏み潰され。
レフィーヤの視界からシロの姿が消え。
次にその目に映ったのは、真っ二つに割れた食人花と、その前に立つシロの姿。脳天から唐竹割りに分かたれた食人花は、ゆっくりと左右に倒れていく。二つに分かたれ倒れていくモンスターを背に立つシロの手には、禍々しき剣の姿はなく。
禍々しい黒い灰のような魔力の粒子と……砕けた剣の欠片のような銀の輝きが舞っている。
周囲には、ただ、静寂だけが満ちていた……。
感想ご指摘お待ちしています。