たとえ全てを忘れても   作:五朗

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第一話 ベル・クラネル

「エイナさあああああああああああああんっ!!」

 

 ダンジョンを運営管理する『ギルド』で働く窓口受付嬢であるエイナ・チュールは、唐突に聞こえた自分の名を呼ぶ声に手に持っていた小冊子から顔を上げた。

 エイナ・チュール―――ギルドの制服である黒のスーツとパンツで身を包み、受付嬢として『ギルド』で働くハーフエルフである。

 澄んだ緑玉色の瞳にセミロングのブラウンの髪。艶のある髪の間からのぞくのは、ハーフである事を示すかのように普通のエルフよりも僅かに短い尖った耳。その容貌もまた、一つの芸術のように完成されたエルフのそれとは違う、何処か角の取れた容貌をしている。しかし、それは彼女の魅力を損なうようなものではなく、逆に親しみを感じさせ、更に魅力を感じさせるものであった。

 そのエイナは、自分を呼ぶ声の持ち主が誰であるかを察すると、薄い唇を苦笑の形に変え声が聞こえてきた方向に顔を向けた。

 自分の名を呼ぶ声の主。

 顔を見なくとも分かるまだまだ大人と呼ぶには早い幼ささえ感じさせる声の持ち主は、エイナがダンジョン攻略のアドバイザーとして監督している少年であった。歳は十四。声の調子の通り、まだ年端もいかない子供である。種族どころか、老若男女関係なく文字通り誰でも冒険者となれるが、同じく犠牲となる者も老若男女関係はない。エイナは初めからその少年―――ベル・クラネルが冒険者となることに良い顔は出来なかった―――が、しかし、そんな年端のいかない子供が危険極まりないダンジョンにもぐるというのに、実の所エイナは余り心配はしていなかった。

 何故ならば―――。

 

「エイナさぁぁぁああああああああああんっ!!」

「まったく、今度は一体どうしたの? ベ―――」

 

 眼鏡をかけ直しながら駆け寄ってくる人物へと顔を向けた瞬間、エイナは悲鳴を上げた。

 

「っきゃあああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁっ!!?」

「アイズ・ヴァレンシュタインさんの情報を教えてくださああああああああぁぁぁぁっ!!!」

 

 それは仕方が無いことだろう。

 何故?

 当たり前だ。

 だって突然全身が余すことなく黒い血に染まった件のベル少年が、駆け寄ってきているのだから。

 しかも満面の笑みで。

 ……それはまあ、悲鳴を上げるのも仕方が無いことだろう。

 

 

 

 

 

「本当にもうっ! キミは一体どういうつもりなの? 返り血を浴びたのなら、『ギルド』に来るその前に身体を洗ってくるのが常識でしょ」

「はい―――はい―――はい、すみません……」

 

 小さく身体を縮こませながらペコペコと頭を下げる少年―――ベル・クラネルは、ギルド本部のロビーに設けられた小さな一室で仁王立ちするエイナに幾度も謝っていた。悲鳴を上げた後、今度はそれに倍する怒声を上げたエイナにより、ギルドにある風呂場に叩き込まれ丸洗いされたベル。お陰で血で染まった髪は、元の処女雪のような真っ白へと変わっていた。

 ホカホカと微かに湯気を立ち上らせる頭を必死に下げるベルの頭を、三角となった目で見下ろしていたエイナだったが、椅子の上で小さな兎のようにプルプルと震えるベルの姿を見ているうちに、あっという間に怒りが萎みきってしまう。

 小さくため息を吐いたエイナは、気を取り直すように頭を左右に振った。

 

「はぁ……それで、どうしてまたあの(・・)アイズ・ヴァレンシュタイン氏の情報が欲しいの?」

「えっ!? ……そ、それは、まあ、なんというか……」

 

 エイナの言葉に顔を赤くしたベルは、もじもじと身体を揺らし始めると、先程何があったのかを語りだした。

 ダンジョンにある程度慣れて来たということで、5階層に下りたのはいいが、そこで突然落石にあってしまったこと。

 その際、仲間とはぐれてしまったこと。

 どうにか合流しようとしたが、そこで5階層にいるはずがないミノタウロスに遭遇してしまったこと。

 逃げたが直ぐに追い詰められ、今にも殺されそうになったその瞬間、『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインに救われたこと。

 まあ、その際、アイズ・ヴァレンシュタインが切り裂いたミノタウロスの返り血で全身を真っ赤に染められはしたが……。

 そして救ってくれた礼を言おうとしたが、当の救い主(アイズ・ヴァレンシュタイン)に手を差し伸べられた瞬間、緊張と羞恥が膨れ上がりパニックを起こしてしまい、その場から逃げ出してしまったこと。

 ベルの話を聞いていたエイナは、話が進む毎にその秀麗な美貌が険しくなっていく。

 しかしベルはそんな様子に気付くことなく、頭を下げた姿勢で必死にアイズの情報を教えて欲しいと願い出す。

 

「……ねぇ、ベルくん。そういえば聞いてなかったんだけど、()はどうしたのかしら?」

「え? 彼? ……っ、ぁああっ!!?」

 

 目だけ笑っていない笑顔で問いかけられたベルは、最初その言葉の意味が分からずポカンとしていたが、直ぐにそれが意味するところを思い出し、悲鳴じみた驚愕の声を上げた。

 

「っど、どど、どどっどっどうしましょうかエイナさんっ!? もしかしたらダンジョンにまだいるかもしれませんっ?!」

「どうしましょうじゃないわよベルくん! もうっ、まったくいくら慌てていたからって、一緒にいた人のことを忘れていたなんてもってのほかよっ! あなたよりも先に冒険者になったとはいっても、彼もまだ駆け出しと言ってもいいぐらいなんだからっ!」

「すっすみませんっ!! い、今すぐダンジョンに戻って―――」

 

 エイナの言葉で一緒にダンジョンに潜っていたファミリアの仲間の事を思い出したベルは、慌てて椅子から立ち上がろうとした―――が、

 

「―――落ち着け」

「ぷぎゃっ?!」

 

 頭の上を押さえ込まれ、強制的に椅子に押し戻されてしまった。

 

「っ―――え?」 

「あ」

 

 頭を押さえながら顔を上げたベルと驚きに小さく口を開いたエイナの視線が向けられた先には、一人の男。

 ダンジョンから真っ直ぐギルドへと来たのだろう。服の間から覗く浅黒い肌や服は、返り血や砂埃で汚れていた。砂埃でうっすらと黄色に染まった白い髪は無造作に伸びており、その鋭い眼差しを僅かに隠している。男はその白い髪を掻きながら、伸びた髪の隙間から厳しい視線をベルへと向けていた。

 

「……ダンジョンには美少女との出会いを求めて潜っていると言っていたが、まさか本気で言っていたとはな」

「あ―――え、っと……その~」

「しかしだからといって仲間をダンジョンに置いたまま、女の情報を求めにギルドに向かうほど薄情とは思わなかったぞ」

「ちょ―――そ、そんなことはっ!?」

 

 腕を深く組んだ男は、重いため息を吐くと小さく頭を振った。

 目を細め厳しくベルを睨み付ける男。

 

「同じ男としてお前の気持ちも分からんでもないが、時と場合をよく考えてから行動しろ。その内酷い目に遭うぞ」

「っ、ご、ごめんなさい」

 

 俯いて今にも泣き出しそうな声音で謝るベルをチラリと見下ろした男は、ふっと口元を緩ませた。

 ぽん、とベルの頭に手を乗せた男は、乱暴な手つきでその頭をこねくり回した。

 

「ふわあっ?!」

「―――まったく、仕方がない奴だな」

 

 最後に軽くベルの頭を拳の背で叩いた男は、エイナへと顔を向けた。

 

「すまなかった。どうやらこいつが迷惑をかけたようだな」

「……はぁ、もういいですよ。あなたこそ無事でよかった」

「ああ、心配をかけてしまったようだな」

 

 頭を振って安堵の息を吐くエイナの姿に苦笑を浮かべた男は、頭を抑えて唸っているベルの首根っこを掴むと、部屋のドアへと向かって歩き出した。

 

「あ、ちょ、ま、待って。エイナさんに聞きたい事が―――」

「アイズ・ヴァレンシュタインの事なら心当たりがある。俺の分の換金は済んでいる。お前はまだだろう。さっさと終わらせて家に帰るぞ。腹を空かせて待っている奴がいるだろうからな」

「えっ! ちょ、ほ、本当ですか!? 本当にヴァレンシュタインさんの事を知っているんですか!?」

「心当たりがあるだけだ。彼女が所属するファミリアの行きつけの店を知っている。教えてやるから今度行ってみろ。それはいいから、さっさと行くぞ」

 

 不満顔を一変。ぱあっ、と輝くような笑顔で見上げてくるベルに若干いらっとしたのか、男は首元を掴む手に力を込める。

 

「あ、ちょ、い、痛いですって」

「痛くしているんだ。全くこの馬鹿が。それではすまなかったなエイナ。迷惑をかけた」

「いいえ……少しは手加減してあげてね」

「……考慮する」

 

 ひらひらと軽く手を振るエイナに小さく会釈した男は、痛みで唸り声を上げるベルを引きずりながら部屋を出て行った。

 パタンとドアが閉まり、部屋に一人残されたエイナは、部屋を出る間際見せた男の顔を思い出す。

 

 

 

「……全く、厳しいんだか優しいんだかわからない人ですねあなたは―――ね、シロさん」

 

 

 

 




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