たとえ全てを忘れても   作:五朗

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第一話 噂話

 【ロキ・ファミリア】のホームである『黄昏の館』。その中央にある塔の最上階。そこは、ファミリアの主神であるロキの自室であった。大小様々な酒瓶に、珍しい道具(アイテム)が整理もされず所狭しと散らばっているその部屋の真ん中で、部屋の主たるロキが胡座を組んで座っていた。両手に持ち広げて見ているのは、このオラリオの商人や一部の【ファミリア】が作成、販売している羊皮紙の巻物である。数枚が重ねられたその羊皮紙には、共通語(コイネー)で書かれた記事が幾つも記載されている。文字だけでなく、所々に精緻な挿絵があり、眺めるだけでも面白い。勿論肝心の中身も、大きく書かれた興味をそそられるような表題や、思わずくすりと笑ってしまう小話めいたものもある。書かれている内容は、その殆どが噂話(ゴシップ)―――真偽が定かではない、いや、殆んど作り話のものが多くあるが、中には真面目なものもある。ロキはその中にある、先日起きた怪物祭(モンスターフィリア)に関する記事を読んでいたが、目新しい情報がないことを確認すると、座ったまま後ろに倒れながら手に持った羊皮紙を背後に放り投げた。床にごろりと寝転がったロキは、不満も露わに唸り声を上げながらゴロゴロと部屋の中を転げまわり始めた。

 

「あ~……も~……やっぱどこも似たり寄ったりやぁ」

 

 ゴロゴロと転がるロキの周りには、先程投げ捨てた羊皮紙と似たようなものが幾つも散らばっていた。これらは全て怪物祭(モンスターフィリア)の事故について書かれてたものであった。紙面の中では、様々な憶測が書かれてはいたが、ロキが求める情報―――食人花についての情報は全く見つからなかった。そう、匂わせるようなものすらなかった。あの場には、少なくない数の人がいた筈なのに……。

 

「な~んか……臭うなぁ」

 

 ぽりぽりと鼻を掻きながら、天井を見上げるロキ。あれこれと考えるが、どれも想像でしかなく、確定するにはまだまだ圧倒的に情報が足りない。空回っとるな、と熱を持ち始めた頭を軽く叩きながら、ふと横目で散らばる羊皮紙の一つに目をやった。目に映ったのは、一つの記事。

 ロキが情報収集のため集めた様々な羊皮紙(情報源)は、それこそ様々な記事が乗っている。真面目なものもあれば、一目でわかる作り話。求人にペットの飼い主の募集。短編小説が載ってあるものもある。そのため、ロキが集めたものの中で、同じ記事(内容)怪物祭(モンスターフィリア)の事故ぐらいのものであった。しかし、それに次ぐもの(記事)もあった。

 

「……これにも載っとったか」

 

 ロキが求めている記事(情報)ではない。

 ない、が―――興味は惹かれる記事であった。

 ロキの視線が向けられる先。一枚の羊皮紙に載せられた記事には、こう書かれていた。

 

 『ダンジョンの中層で、またもや―――』

 

 

 

 

 

 オラリオでは今、一つの噂が流れていた。

 

 曰く―――そいつは、長身のヒューマンの男である。

 

 曰く―――そいつは、赤い外套を着ている。

 

 曰く―――そいつは、浅黒い肌をしている。

 

 曰く―――そいつは、色が抜け落ちたような白い髪である。

 

 曰く―――そいつは、双剣を使っている。

 

 曰く―――そいつは…………

 

 

 

 

 

「―――はぁっ―――はぁっ―――はぁっ―――ッッ!!」

 

 走る―――走る走る走る走る走る走る―――先の見えないダンジョンの中を走り続ける。目に見えるのは見慣れぬ光景。自分が今何処を走っているのか、何処へ向かっているのか等随分前からわかっていない。ただただ走る―――走り続ける事だけに必死で、ルートの事など欠片も考えていなかったから仕方がない。一体どれだけ走り続けていたのか。今しがた泳いできたかのように全身が汗で濡れている。喉はからからで、足だけでなく身体の至る所が悲鳴を上げている。今すぐ倒れ込みたい。だけど、それは出来ない。一度でも足を止めれば、もうそこから先へと進むことは出来ないからだ。体力が続かない、という点は勿論ある。だけど、それ以上に深刻な理由がある。

 それは―――

 

『『『『―――ガアアアアアアアァァァッ!!!』』』』

 

 数十は軽くいるだろうモンスターの群れに追いかけられているからだ。

 油断、していた。それは否定できない。仲間の半数以上がLv.2を超えた事から、中層へと進む事になった。私もその中の一人だった。私がLv.2になったのは仲間内でも比較的早く。中層に降りることに決まった時は、『やっと』という気持ちがあった。今思えば、その時から既に油断はあったのだろう。ギルドの職員や、他の【ファミリア】の者から、中層は違うと幾度となく聞いていたにも関わらず、愚かにも私は油断していた。

 最初は順調だった。上層とは大きさも強さも違うモンスターだったが、大半がLV.2を超える私たちにとっては何ら問題はなかった。恐ろしいまでに順調に私たちはダンジョンを降りていった。だからこそ、調子に乗ってしまった。自分たちの力を、過信してしまったのだ。モンスターの一団と戦った際、逃げ出した一部のモンスターを追いかけた私たちに、待ち伏せしていた数十ものモンスターが襲いかかってきたのだ。突然の事態に混乱した私たちは、禄な反撃も出来ずただただ逃げ出すしかなかった。連携もなく、好き勝手に逃げ出したのだが、どうやら私は貧乏くじに引いてしまったようだ。数十ものモンスターが、たった一人の私を追いかけてきた。モンスターの速さはLv.2の私でも振りきれないほどの足を持っており。お陰で今もこうして逃げ続けている始末。

 しかし、それももうそろそろ終わりが見えてきたようだ。

 もう、体力の限界。

 転びそうになる身体で、飛びかかるように壁に身体を寄せると、背中をピタリと押し当て、迫り来るモンスターの群れと対峙する。

 足はとっくの昔に限界を超えていた。もう一歩も動けない。精々上半身がなんとか動く程度だ。なら、何もできずモンスターの群れに蹂躙されるよりも、一匹でも多く道連れにする方がまだましだ。

 そう、強がりを口にするが、やはり強がりでしかなかった。手に握ったナイフが笑えるほどに揺れている。ガタガタと、疲労によるものではない原因からの揺れにより、剣先が何十にも重なって見えていた。不敵に笑って見せているつもりの口は、緊張で満ちた身体と頭でも気づくほどに引きつっている。【ファミリア】の仲間たちから、常々『お前は色々と(・・・)アマゾネス以上だな』とか『種族を誤魔化していないか?』なんて言われて自分でも『そうかも』と笑って答えていたけれど―――いざ窮地に陥れば自分の弱さに泣きそうだ。

 いや、実際もう泣いてしまっていた。

 頬を流れているのは、汗だけではない。

 視界が歪んで見えているのは、汗が目に入ったわけでも、緊張のせいでもない。ただ単純に、私が泣いているだけ。

 冒険者とは思えない己の女々しさに、更に涙が流れる量が増える。

 もうモンスターの群れは目と鼻の先。あと何秒もしない内にモンスターは襲いかかってきて、私は何ら抵抗もできず死んでしまう。もう、どうにもならない。

 ダンジョンでは、死は身近だ。油断すればその矛先は誰にでも襲いかかってくる。高Lvの冒険者であっても、小さな油断や予想外の出来事で簡単に死んでしまうこともある。だからこそ、冒険者は慎重でならなければならない。安易な行動は、自分だけでなく仲間の命すら危機に陥れるからだ。

 例え目の前で誰かが死にかけていても、例えその誰かを救えるだけの力があったとしても、勝手な判断で助けてはいけない。もしかしたら、そのモンスターには仲間がいるかもしれない。もしかしたら、襲われているのは演技で、助けた瞬間後ろから刺されるかもしれない。疑い深い、疑心暗鬼に過ぎる考えであるが、あながち間違いではない。ダンジョンでは絶対にないとは言い切れないからだ。実際、そうして命を落とした冒険者がいたと聞いたこともある。

 だから、都合良く助けが来ることは、まず有り得ない。

 運良くあったとしても、まず確実に見返りを要求されるだろうし、助けてくれた相手がモンスターに変わって襲いかかってくる可能性もある。

 まあ、でも今は少なくともその可能性は考えなくてもいい。

 こんな何十匹ものモンスターの前に、助けに来てくれるような輩が冒険者の中にいるはずがない。

 だけど―――そう、だけど、そんな事はわかっているけれど、私はその言葉を口にしてしまっていた。

 避けられない死を前にして、自然と、その言葉を口にしていた。

 その言葉に応える者などいないと、わかっていながら。

 上級冒険者でも尻込みしそうな何十ものモンスターの群れを前に、その言葉に応える者など―――それこそ物語の中にしかいないと思いながらも。

 私は―――声を上げた。

 助けを、求めた。

 

 

 

「―――だれ、か―――助けて―――っ!!」

 

 

 

 応える者などいる筈もなく、少女はモンスターに引き裂かれる―――

 

 

 

「――――――…………ぇ?」

 

 

 

 ―――筈であった。

 モンスターへと最後の悪あがきと突き立てる筈だったナイフを落として頭を抱えて蹲った少女の頬を、風が撫でた。と、同時に人の気配に気付き顔を上げた少女の前に、赤い背が飛び込んできた。大きく膨らんだ赤い外套を着た男が、少女を背にして立っている。黒い軽装甲で身を包んだ、白髪頭の浅黒い肌の男だ。男がやったのだろう。少女に襲いかかろうとしたモンスターが、壁や地面に半壊した状態で散らばっている。男が両手に握る剣は、今しがた切り伏せたばかりのモンスターの血で濡れている。

 呆然と目の前の光景を見つめる少女。

 少女は何が起きたか理解できなかったが、ただ一つわかる事があった。

 自分は、助かったのだ、と。

 極度の混乱と、深い安堵に、少女の意識は急速に薄れていく。

 少女の目に最後に映ったのは、自分を守る男の赤い背中だった……。

 

 

 

 

 

 ……………………………………

 

 ………………………………

 

 ……………………

 

 …………

 

 ……

 

 …

 

 

 

「――――――っ!!?」

 

 最初に目に映ったのは、星空だった。

 街の明かりにその光を弱めながらも、優しい光を落としてくる星の輝きが少女の目に映っていた。声もなく、息すら忘れ、少女は暫くの間その星空を眺めていたが、やがて自分が夢を見ているわけでも、幻覚を見ているわけでも、ましてや死んでしまっているわけでもないことに気が付くと、ゆっくりと少女は石畳に寝ていた身体を起こした。地面に手をつき、身体を起こした際、身体の下に何かが敷かれていることに気付く。ふと視線を落としてみると、そこには目にも鮮やかな赤色が広がっていた。

 

「これ、て……」

 

 少女は自分が覚えている最後の記憶を思い出す。モンスターの群れに追い詰められ、もう駄目だと諦めて、それでも諦めきれず助けを呼んで―――赤い外套を着た人が現れた。

 

「助け、られた?」

 

 呆然と、言葉が溢れた。あの光景が夢でも幻でもないとしたら、自分はあの人に助けられ、ここまで―――地上まで運ばれたのだろう。

 あれだけのモンスターをどうしたのか?

 何故、自分を助けたのか?

 何故、命を救った事に対して何の要求もせずにいなくなったのか?

 何故? どうして? 何で?

 様々な疑問が浮かぶが、答えは用としてしれない。ただただ疑問符ばかりが浮かぶ頭の中に、ふと、最近耳にした噂が蘇った。

 モンスター()に襲われ、迫る命の危機。絶体絶命のその時、上げた助けを求める声に答えて現れる―――。

 

「……ま、さか……あの人―――」

 

 それは、最近オラリオで流行っている噂話(ゴシップ)の一つだった。冒険者の街であり、世界の中心と呼ばれるこのオラリオでは、日々様々な話が生まれては消えていっているが、その中でも、特に異彩を放っている噂だ。

 

 

 

 曰く―――そいつは、長身のヒューマンの男である。

 

 曰く―――そいつは、赤い外套を着ている。

 

 曰く―――そいつは、浅黒い肌をしている。

 

 曰く―――そいつは、色が抜け落ちたような白い髪である。

 

 曰く―――そいつは、双剣を使っている。

 

 

 

 それは、噂だった。

 

 

 

 曰く―――ダンジョンで危機に陥った時、助けを呼べばそいつは現れる。

 

 

 

 面白可笑しく噂される、それは、唯の噂だった。

 

 

 

 曰く―――そいつは、代償も、要求も、望みも、命令も―――何もしない、求めない。

 

 

 

 少女も、それが唯の噂でしかないと思っていた。

 

 

 

 曰く―――そいつは、名前も、所属も、何も語らない。

 

 

 

 それは、こんな噂であった。

 

 

 

 曰く―――最近、ダンジョンに―――

 

 

 

 

 

「―――正義の、味方」

 

 

 

 ―――正義の味方が現れるという。

 

 

 

 

 

 

 




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