たとえ全てを忘れても   作:五朗

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第八話 八極

「ほざけッ!! 二流がッ!!!」

 

 吠えると同時に赤髪の女が駆けた。

 いや、爆発した、というのが正確か。

 女の足元から大量の土砂が後方へと吹き飛び、その反動をもって女の身体が飛翔する。瞬く間もなく、女の身体がシロの眼前へと辿り着く。その速度は確かに尋常ではなかった。何故ならば、“勇者”とも呼ばれる第一級冒険者―――それもオラリオで最強と謳われる『ロキ・ファミリア』の団長(トップ)でさえ、女の動きを捕らえる事ができなかったのだ。

 女の拳は既に硬く握り締められ振りかぶられていた。

 対するシロは、驚くべきことに、何とその視線は確かに女の拳の軌道を追っていた。フィンでさえ見失うほどの超加速を、その鋭い視線が補足していたのだ。

 だが、残念なことに身体の方が目に付いて来ていない。

 女の拳の軌道上に身体が残ったままだ。腕が防御するように拳の前に置かれているだけだ。そんなもの(防御)は、女の拳の前では無いも同然だ。ギリギリ程の速度だ。このままでは、身体の上半分を吹き飛ばされ死ぬだろう。

 女の……これまでの経験から言えば―――だが。

 

「………ぇ?」

 

 小さな吐息が溢れるような声を漏れた。

 コンマ秒にも満たない停滞した時の中、溢れたその言葉の中には、明らかに疑問が浮かんでいた。

 『この壁は何だ?(・・・・・・・)』という。 

 女の眼前には何時の間にか壁があった。

 視界いっぱいに広がる一面土色の壁。

 終わりの見えないその壁が、地面だと気付いた時には、既にどうにかできる次元ではいなかった。

 

「――――――ッヶ!!!!?」

 

 叩きつけられる。

 顔面から、地面へと。

 シロに襲いかかった勢いのまま、女は地面へと衝突した(・・・・・・・・)

 大量の土砂と土煙を巻き上げながら、女は顔面でもって大地を耕しながら数Mもの距離を突き進む。

 

「ッ―――ガアアアアアァァァ!!?」

 

 常人であれば首がもげ胴体が削れていただろう。

 冒険者であっても首の骨がぽきりと簡単に折れていただろう。

 だが、女は尋常ではなかった。埋もれた顔の左右に両手を置くと、一気に頭を地面から引き上げた。鮮やかな赤色の髪を土と泥で汚しながら勢い良く立ち上がると、女はシロを睨みつけた。

 

「何を、したぁああぁぁぁああああッ!!」

 

 怒声とも悲鳴とも言える声を上げ、女が再度シロへと向かって襲いかかる。その速度と早さは先ほどと何ら遜色のない速度。再度シロの至近にまで辿り着いた女が、振り上げた拳を叩きつけようと振り下ろし。

 

「―――ッか―――ぁあ゛あ゛ッ!?」

 

 再び地面へと叩きつけられた。

 まるで自ら(・・)地面へと飛び込んでいくかのように顔面を地中へと埋めた女。直ぐさま立ち上がる。負傷はない。どれだけ勢い良く叩きつけられようとも、魔法すら耐え抜く肉体に、毛ほどの傷さえつけられるはずがない―――っ!

 

「っこの―――、?」

 

 その身体が、ぐらり、と僅かによろめいた。

 

 ―――何だ?

 

 疑問が一瞬浮かぶが、痛みは何処にも感じず、足元もしっかりとしている。小石でも踏んだかと直ぐさま気を取り直し、今度は蹴りを放つ。岩をも切り裂くその蹴撃は、受ければ防御ごと真っ二つになるのは必須。軸足を回転させ、(シロ)の身体を上下に分かたんとする。

 

「馬鹿が」

「―――かッ?!」

 

 何がどうなったのかが理解できなかった。

 蹴りが当たったと思えば、視界が一気に回転し、目に飛び込んできたのは巨大な水晶の塊(階層の天井)。そして直後に後頭部に衝撃。自分の身体が回転していると把握する前に受けた意識外にあった衝撃は大きく、ダメージによるものではないただの混乱により意識に一瞬空白が生まれた。

 そしてその隙を、逃すような甘い相手ではなかった。

 

「覇ッ!!!」

「コ―――ッは!!?」

 

 鈍く湿った息が強制的に吐き出された。

 仰向けに倒れ、人形のように呆然とただ天井を見上げていた一瞬の隙。そこを見逃さず足で鳩尾を踏み抜いたのだ。

 蹴るではなく、叩くでもなく、踏みつけられた。

 魔法、剣、牙、爪―――これまで散々に受けてきた。

 しかし、その悉くがこの身体に傷一つすら残す事はできなかった。

 規格外の肉体。

 この身体に傷を負わす事ができるのは、一握りの一級冒険者かそれに匹敵するモンスターのみであった。

 それは過信ではなく、厳然たる事実。

 これまで疑うことすらなかったその現実に、罅が入った。

 

 ―――苦ッ!!?

 

 まるで直接内臓を殴られたような衝撃と苦しみ。

 これまで受けてきたどれとも違う痛みだった。

 初めて感じる苦痛に、思わず腹を抱え身体を丸めてしまう。

 

「―――、っ?!」

 

 失敗だった。

 ぐるりと腹を抱えまるまった事で頭部への警戒を忘れてしまっていた。

 いや、間違いではなかった筈だった―――これまでならば。

 例え喉元を晒したとしても、それで自分を殺す事ができる者はこれまでいなかったのだから。

 その事実が、崩れた。

 衝撃。

 こめかみを踏み抜かれたのだ。

 目に光が散る。

 視界がぐにゃりと溶けだした。

 どろどろに溶けた世界に激しく揺らされて気持ちが悪い。

 急激にこみ上げてきた吐き気に逆らえず、喉元を胃液が逆流する。喉を焼きながら駆け上る胃液に、腹の痛みを耐えるため抑えていた手の一つを思わず口元にやるが、抑えきれず口から飛び出た胃液が指の隙間からゴボリと飛び出した。

 次々に襲い来る未知の痛みと衝撃に立ち上がることすらできない。だが、このままでは危険だと言うことは嫌でも理解できる、だから身体を回転させ地面を転がり逃げ出した。

 背筋にぞわりと寒気が立つ。

 そう簡単に逃がしはしないということか。

 未だ視界は不安定で思考も定まらない。何処から攻撃が来るのか分からない今、できることは少ない。

 だから―――。

 

「   !!」

 

 攻撃の意図など何もない、ただ力任せに無茶苦茶に地面を叩いた。強靭な肉体から繰り出される拳は、容易く地面を砕き割った。大量に持ち上がる土砂により、敵との間を分かつ急造の壁が生まれた。敵の足が止まっただろう隙に、ごろごろと地面を転がりながら何とか距離を取る。

 ある程度距離が取れたところで、どうにか体勢を整えようと、震える足を叩きながらゆっくりと立ち上がった。

 土煙は未だ晴れていない。茶色の霧の向こうに見える人影は、動くことなくじっとこちらの動きを見つめていた。

 

 ―――何だ?

 

 ―――何なんだコレ(・・)は?

 

 痛みと衝撃による混乱が収まるに連れ、疑問が吹き上がる。

 これまで、今まで―――様々な相手と戦ってきた。

 冒険者だけではない。

 モンスターやそれ以外も数多くの敵と戦ってきた。

 自分よりも強大な相手と戦ったこともある。強力な魔法や、不可思議なスキルを持つ相手とも戦ってきた。

 戦闘経験ならば、世界の誰よりもあるとすら思っていた。

 

 しかし、コレは何だ?

 

 理解できなかった。

 強固な身体だ。

 魔法すら耐え抜く身体。

 事実、相手の攻撃による傷らしい傷などどこにもない。

 ない―――筈なのに、痛みがある。

 これまで感じたことのなかった痛み。

 剣でも魔法でも、それ以外の武器のどれでも感じたことのなかった痛み。

 何より打撃による痛みでもなかった。

 ズキズキと、未だ消えぬ身体の中(・・・・)から感じる痛み。

 それがおかしいのだ。

 人外の耐久力と回復力を誇るこの身体に、未だ痛みがある。

 つまり、何処かが傷ついているということだ。

 なのに、一見して負傷しているところは何処にも見当たらない。

 

 ―――何なんだッ!!?

 

 ―――一体何だと言うんだッ!!!??

 

 ふらつく頭を押さえながら、舞い上がる土煙の向こうから、ゆっくりと姿を現した男を睨みつける。

 

「貴様ッ―――一体何者だああァァァッ!!!??」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤髪の女が叫んでいる。

 

 お前は何者だと。

 

 それは俺も知りたい。

 

 俺には記憶がない。

 

 いや、それは正確ではない。

 

 以前ならば確かにその通りだったが、幾つかの記憶を取り戻した今では、その答えは正解ではなくなってしまったからだ。

 

 そう、だから正しくは―――

 

 

 

 

 

 始め、俺がこの世界(・・・・)で目覚めた時、俺には一切の記憶がなかった。

 

 自分の名前、年齢、何処で生まれ、何を目指し、何をしてきたのか……その全てを俺は忘れてしまっていた。 

 

 しかし、ある事件を切っ掛けに、全てではないが、俺は記憶を取り戻し始めた。

 

 取り戻した記憶はバラバラで、その全てに繋がりはなく、まるで何万というパズルのピースの中から、無造作に掴み取ったかのようだった。

 

 それでも忘れてしまっていた記憶を取り戻しているのだ。

 

 俺は取り戻した記憶を懸命に思い出し、自分が何者なのかを知ろうした。

 

 

 

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 …………

 …

 

 

 

 ―――記憶があった。

 

 

 誰かと共に笑い合っている記憶があった。

 

 誰かを殺している記憶があった。

 

 誰かに教えを受けている記憶があった。

 

 誰かを殺している記憶があった。

 

 誰かを助けている記憶があった。

 

 誰かを殺している記憶があった。

 

 誰かを護っている記憶があった。

 

 誰かを殺している記憶があった。

 

 誰かが叱ってくれている記憶があった。

 

 誰かを殺している記憶があった。

 

 誰かが泣いている記憶があった。

 

 誰かを殺している記憶があった。

 

 誰かから逃げている記憶があった。

 

 誰かを殺している記憶があった。

 

 誰かを殺している記憶があった。

 

 誰かを殺している記憶があった。 誰かを殺している記録があった。 誰かを殺している記録があった。 誰かを殺している記録があった。 誰かを殺している記録があった。 誰かを殺している記録があった。誰かを殺している記録があった。誰かを殺している記憶があった。誰かを殺している記憶があった。誰かを殺している記憶があった。誰かを殺している記憶があった。誰かを殺している記憶があった。殺している記録があった。殺している記録があった。記録が記録が記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録記録――――――。

 

 

 

 

 ―――俺は、多くの記憶を取り戻した。 

 

 いや、違う。

 

 正しくは、記憶(記録)を取り戻した、だ。

 

 思い出した記憶に対し、俺は一切の感情が浮かぶことがなかった。

 

 誰かと笑いあった記憶がある―――だが、その誰か(・・)がどんな顔をしていたのか、どんな髪をしていたのか、どんな声をしていたのかが―――思い出せない。

 笑い合っていた。

 その記憶(記録)はある。

 なのに、どんな相手と、どんな気持ちで、どんな話で笑い合っていたのかが思い出せないのだ。

 ただ、笑っていた―――その事実だけ。

 それだけしかわからない―――無味乾燥とした記録。

 思い出した記憶の全てが、それだった。

 

 笑っている記憶があった。

 

 怒り狂っている記憶があった。

 

 泣き崩れている記憶があった。

 

 穏やかに誰かと話している記憶があった。

 

 しかし、その全てが、そういった事があったということしかわからなかった。

 

 思い出した記憶の全ては、自分の記憶の筈なのに、それが本当に起きた事なのか実感が沸かない。

 

 まるで、誰かの記憶を本にしてそれを読んでいるかのような気さえする。

 

 ……それを一番実感するのは、思い出した記憶(記録)の中で、最も多い記憶(記録)について考える時だった。

 

 俺は、殺していた。

 

 男を、女を、老人を、老婆を、少女を、少年を……。

 

 老若男女関係なく―――殺していた、殺していた、殺していた、殺していた、殺していた、殺していた、殺していた、殺して殺して殺して殺して殺し尽くしていた―――。

 

 何故、どうして、何のために殺していたのかはわからない。

 

 ただ、その事実だけしかわからない。

 

 俺は怖かった。

 

 恐ろしくて堪らなかった。

 

 俺が数多くの人を殺していた―――事ではなく。

 

 その事実を思い出し。

 

 なのに全く心が動いていない自分自身に。

 

 記録の中の俺は、殺していた。

 

 何人、何十人、何百人もの人間を、剣で、銃で、爆弾で、槍で、弓矢で、素手で―――命を奪っていた。

 

 それが妄想でも空想でも何でもなく、現実にあったことだというのは、他ならぬ自分の身体が理解していた。

 

 様々な殺しの技術が、俺の身体には刻み込まれていた。

 

 それを俺は、このダンジョンに潜っている間に何度も理解させられた。

 

 本能にまで叩き込まれた殺しの技は、モンスター相手に対しても遺憾なく発揮された。

 

 剣で、槍で、弓矢で―――そして素手で、俺はモンスターを殺してきた。

 

 記録に刻まれた殺しの技の全てを、俺は問題なく再現する事ができた。

 

 そう、今と同じように―――。

 

 記録の中の俺と同じように。

 

 赤髪の女が叫びながら襲いかかってくる。

 

 迫るその速度は速く、振るわれる拳は硬く強い。

 

 肉体は文字通り鋼のように強く、下手に撃てばこちらの拳が砕けかねない。

 

 まともにぶつかれば、ひとたまりもないだろう。

 

 だが、己よりも圧倒的な強さを持つ敵と戦う―――その方法を、俺は知っている(・・・・・)

 

 視認すら不可能な速度に迫る拳。

 

 迫る驚異を、しかし俺は既に察知していた。

 

 『聴勁』と呼ばれる技法だ。

 

 手で触れた相手の動きを皮膚をアンテナにし察知する技術だが、修行を積み重ねる事で手だけでなく身体のどの部分でも相手の動きを察知する事が可能となる。更に修行を積めば、身体が離れていても相手の出方を察知する事が可能となる―――今の俺のように。

 

 下手に受ければ受け手ごと引き裂かれかねない一撃に対し、俺は伸ばした腕を螺旋を描くように回転させる。

 

 『纏』と呼ばれる技法だ。

 

 本来は相手の腕を巻き取る技だが、今相手にしている者の力が規格外ため掴む間がないため、力の向きを変えるだけに留める。力の向ける先は真下―――地面だ。自分から飛び込んでいくように赤髪の女が地面に叩きつけられる。直ぐに立ち上がり離れようとするが、何度も地面に叩きつけられた上に、先程頭に震脚を叩き込まれたことから足元がふらついている。倒れないよう踏ん張るが、身体は大きく倒れ頭頂部がこちらを向く。

 その隙を逃さず相手の間合いに踏み込む。

 ズシン、と局地的な地揺れが発生する。

 震脚により発生した力を足首、膝、腰を回転させることで増大し、その力をそのまま掌底で女の頭頂部に叩き込んだ。

 衝撃を直接脳に叩き込んだのは、流石にきつかったのか、赤混じりの黄色の胃液を吐き散らしながら地面に倒れ込もうとする。目の前に女の上がった顎が。女の顎先に掌を乗せるように置き、一気に突き出す。

 ゴクッ、と重い音が響かせ、女は顔の下半分を激しく揺らしながら吹き飛んでいった。

 

 

 

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 …………

 …

 

 

 

「―――お、おお゛、あ、ぁああ゛あ!??」

 

 地面に突っ伏した女が、外れた顎を押さえながら呻いている。

 痛み、というよりも精神的な苦痛により悲鳴を上げているのだろう。見開かれた瞳には、ハッキリとした恐怖の色が浮かんでいる。何が起きたのかわからず混乱しているのが、その様子から容易に見て取れる。

 こんな事は初めてなのだろう。

 それが顎が外れたことなのか、それとも自分よりも明らかに弱いと思われる相手に圧倒されることなのかは、その怯えた目を向ける先を見れば誰にでもわかってしまう。

 

「っ、が、っぐううう!!」

 

 唸り声を上げながら、慌てながらも女は両手で顎を一気に押し上げて外れた顎を元に戻す。

 

「―――流石に、それぐらいはできるか」

「っ!?」

 

 荒い呼吸を繰り返していた女は、シロの声にびくりと肩を震わせると、電気を流されたように顔を勢い良く上げた。顔を上げた先でシロと目があった女は、一息で身体を地面から離すと大きくシロから距離を取った。

 

「っ、一体何の『魔法』を使ったっ!!? それとも何かの『スキル』かっ!!?」

「…………」

 

 女の疑問に、シロは何も応える事はなかった。

 ただ、冷ややかな視線を送るだけ。

 

「何なのだ貴様は……何故、当たらない……どうして、私がこうまで一方的に……」

 

 呻くように呟く女の疑問に応えず、シロは手を差し出す。

 

「これ以上やっても結果は同じだ。観念して大人しく捕まれ」

「っ、馬鹿を言うなッ!!!」

 

 シロの言葉に女はさっと顔色を変えると、強く拳を握り締め怒声を放った。その赤い髪に負けないほど顔を怒りで真っ赤にすると、女はシロに向かって指を突きつけた。

 

「どんな手品を使ったかは知らんが、もうどうでもいいっ!! その生意気な口を、あの間抜けな冒険者と同じように頭ごと潰し―――ッ!!!」

「―――ほう、やはりお前が【ガネーシャ・ファミリア】の冒険者を殺した犯人だったか」

 

 女がそう口にした瞬間、空気が変わった。

 冷たい、とも、硬い、とも違う。

 言うなれば、それは、酷く冷めたものだった。

 女はそれを敏感に感じ取ったのか、あれほど激高していたにも関わらず、身を守るように身体を縮めると、この不可思議な空間の中心にいるシロに向かって構え直した。

 

「なら、一つ聞きたい事があるのだが」

「素直に話すと思っているのか?」

「なに、大した事じゃない」

 

 戸惑った様子で、シロとの会話を続ける女。

 女は奇妙な感覚に陥っていた。

 まるで、奥底が見えない谷底を、何の命綱もなく身を乗り出して覗き込んでいるような不安な気持ち。

 恐ろしいが見てみたい―――ではなく。

 逃げ出したいのに、動けば落ちてしまいそうで動けない。

 そんな恐怖を―――。

 

 ―――恐怖?

 恐れているのか?

 私は、この男を。

 

「お前が殺した冒険者だが、奇妙なところが一つあってな」

「…………奇妙なところ?」

 

 確かに厄介な男だ。

 こちらの攻撃は何故か当たらない。

 そして相手の攻撃は何故かわからないが外傷がないにも関わらず、今も鈍く痛み続けている。

 驚異的な回復力を誇るこの身体に、こうまでダメージが残ったのは今までなかったことだった。

 

「顔の皮がなかった。貴様が頭を潰したのは、皮を剥いでいった事に気付かれないためなのだろう」

「………………」

 

 だが、それ以上に奇妙な事がある。

 この男のLVだ。

 戦っていて確信したが、どう高く見積もってもこの男のLVは3か4。

 LV.5の身体能力には絶対に届いていない。

 それは明らかだ。

 なのに、こちらの攻撃は当たらず、向こうの攻撃は確実にダメージを与えている。

 

「何故、顔の皮を持っていった?」

「………………」

 

 それは有り得ない事だ。

 階層主にも劣らない耐久力を誇るこの肉体にダメージを与えるには、それ相応のLVが必要。なのに、確かにこの身体にはダメージが蓄積されている。

 LVの差を覆す。

 有り得ないことではないが、それには絶対に理由がある筈だ。

 

「そういう趣味なのか?」

「………………」

 

 そう、例えば『魔法』―――低Lvであっても全魔力を掛けた一撃といったものならば、あるいはこの肉体に傷をつけられるかもしれない。

 例えば『スキル』―――耐久力を無視するといった反則的なものがあるとすれば、可能性は無きに等しいが、あるかもしれない。

 しかし、そのどちらとも違うとも感じている。

 

「それとも、あの男に何か恨みでもあったのか?」

「………………」

 

 では、何なのだ?

 何故、こうも追い詰められているのか?

 っ―――そう、追い詰められているのだ。

 強者な筈な私を、この(弱者)が―――っ!?

 

「それとも……必要だったから、か」

「―――っ」

 

 思わずびくりと身体が震えてしまっていた。

 疑問、ではなかった。

 確信した声だった。

 男が冷めた―――いや、何の感情も浮かんでいない瞳で見ている。

 睨みつけているのではない。

 まるで、そう、そこらに落ちている石ころでも見ているかのような。

 いや、違う。

 取るに足らないものを見ている目でもない―――これは、ナン(・・)だ?

 

「―――そうか、わかった」

「……な、何が」

 

 何という目で見ているのだ。

 見ているようで見ていない。

 見ていないようで見ている。

 何の感情もない。

 そう、隠されているのでもなく、見えないでもなく、浮かんでいないでもなく―――ないのだ。

 この男には―――何もない。

 

「いや、なに……」

 

 だが、何処かで見たことがあるような。

 こんな目を、何処か―――遠い昔に見たことが……。

 

「お前はここで始末しておいた方が良い、とな」

「―――っ!!?」

 

 男が―――シロと呼ばれた男が、初めて構えた。

 片手を持ち上げ、ゆるりと指を伸ばした掌をこちらに向け、腰を落とした奇妙な構えだ。

 どう見ても素早く動けそうにない格好だ。

 にも関わらず、まるで牙を剥き出しにした大型のモンスターを前にしたかのようなプレッシャーを感じている。

 背筋に、どっと粘ついた冷たい汗が流れた。

 

「随分と手馴れているようだったが、これが初めてというわけではないのだろう。あの惨状の中見て取れたのは、作業的とも言える極めて冷静で合理的な意志だ。お前は必要だったから顔の皮を剥いだ。その理由は予想できるし理解もできる」

「なに、を」

「必要ならば、これからも貴様は同じような事をするだろう」

 

 淡々とした口調で、男は告げる。

 確信が篭った声で、言葉で。

 

「それこそ何十、何百と必要(・・)だという理由だけで」

「―――っ」

 

 息が、上手く吸えない。

 男に打たれた所が、鈍く痛む。

 まるで、内蔵を直接殴られたかのような。

 粘ついた唾液が喉に絡み、上手く話せない。

 

「っ、ぁ―――く、き、貴様……は、()だ?」

「……………………」

「何なんだ?」

「……………………」

 

 こちらの問いかけに応えず、男はただ無言で構えたままこちらを見ている。

 あの、何も見えない―――何もない瞳で。

 ああ、何処で見たのか?

 遠い昔、見た気がする。

 こんな、瞳を。

 何も見ていない、見えない目。

 人間のようで、人間でない。

 

 ―――ああ、思い出した。

 

 この男の目は―――

 

「『冒険者』、いや……お前は、そもそも『人間(・・)』、なのか?」

 

 ―――人形の目に、良く似ている。 

 

 

 

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 …………

 …

 

 

 

「……そろそろ、終わりにしよう」

「ッ!! それはこちらのセリフだッ!!!」

 

 心を侵す怯えを振り払うように、女が吠えた。

 空気を、大地を揺るがす咆哮に、しかしシロはピクリとも動揺していない。

 

「吠えるのだけは相変わらず威勢が良いな」

「馬鹿にするなぁああああああああっ!!」

 

 吠えながら、女は拳を振るう。

 拳が何十にも増えたとも錯覚しかねない人外の速度での連撃は、しかし、当たらない。

 一撃一撃は威力は先ほどまでには及ばないが、代わりにその速度は倍近いものがあるにも関わらず、シロはその悉くを躱し続けていた。一発でも当たれば、いや、カスリでもすれば戦局を傾けることが可能だと女は理解している。だからこそ、我武者羅に、ただ当てることだけに集中して殴りかかっている。なのに、当たらない。

 まるで幻を殴っているかのような不安な気持ちを隠しながら、女はただただ拳を振るう。

 

「そんな腰が引けた攻撃など当たりはせんぞ」

「っく、このっ―――化物がああぁぁぁっ!?」

 

 シロの言葉に、思わず腕に力が込もってしまった。

 大振りになり、一瞬明らかな隙が生まれてしまう。

 何時もならば問題はなかった。

 例え隙を突かれ一撃をもらったとしても、致命傷になった事などなかったのだから。

 だが、これは駄目だと。

 そう思った。

 シロは構えていた。

 先ほどの、掌をこちらに向け腰を落とした格好。

 

「―――ひ」

 

 喉元から、奇妙な息が漏れた。

 それが自分の口から溢れた悲鳴であると、女は気付くことが出来なかった。

 何故ならば、それが漏れた時には既に、

 

「ハァッ!!!」

「―――ッッ!!!????」

 

 シロの掌が鳩尾に深々と突き刺さっていたからである。

 

 

 

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 …………

 …

 

 

 

「     !!!!???」

 

 シロから数十M程離れた位置で、女が声にならない悲鳴を上げながら地面の上で痙攣している。

 何の言葉にならず、ただ開けているだけの口からは、どす黒い血が女の口がパクパクと動く度に溢れており、目玉がこぼれ落ちんばかりに見開かれた両目の縁からは、赤い血が涙のように流れている。鼻からは留めなく血が流れ、秀麗な女の顔を真っ赤に染め上げている。時折女の身体が激しく痙攣すれば、女の両耳から血が流れ出し、下腹部からも何処からか多量に流れ出した血により赤く染まっていた。

 

「良い反応だったが」

 

 褒めるような言葉だが、全くの感情が込められていない。

 しかし、シロの言葉は事実であった。

 シロの一撃を喰らう瞬間、女は神がかり的な反応を見せた。

 自ら後ろに飛んだのだ。

 その高Lvの冒険者にも勝る圧倒的な身体能力によって、瞬間移動にさえ感じられる勢いでもって背後に飛んだのだ。が、完璧に逃げる事は出来なかった。

 確かに、奇跡的とも言える回避行動により、女は本来の半分近くまで受けるダメージを減らすことに成功したが、その成果は即死を避けただけに終わっていた。このまま動けなければ遠からず止めを刺される事は間違いなかった。

 だが、逃げようにも女は上手く動かなかった。

 そんな状態では、背を向けた瞬間殺られるのは見て取れる。

 せめて一瞬でも、シロの動きを止められれば。

 油断なくシロは近寄ってくる。

 瀕死の相手であるのにも関わらず、一切の油断が見えない。

 歴戦の冒険者であっても顔を顰めかねない惨状を晒す女に対し、シロは変わらず何の感情も見えない顔でゆっくりと歩み寄っていく。

 その動きに全く隙は見当たらず。

 死に体にしか見えない女に対し、警戒を怠っていないことが傍から見ても明らかであった。

 

「無駄に苦しみを長引かせただけだったな」

 

 あと数歩の距離。

 はっ、はっ、はっ、と女は短く浅い呼吸を繰り返す。

 その顔は、ぐしゃりと奇妙に歪んでいた。

 悲鳴を上げることもできず、ただ弱った小さな生き物のように小さな呼吸を激しくする女に向かって、シロは止めを刺すために手を―――

 

「―――待って!!」

「ッ!」

「くっ」

 

 その瞬間、三つの事が同時に起きた。

 アイズが悲鳴のような制止の声を発したこと。

 仰向けに倒れ、瀕死の様を見せていた女が唐突に地面に拳を叩きつけたこと。

 女の拳により大地が隆起し、多量の砂と岩が舞い上がりシロが反射的に背後に飛んで逃げたこと。

 巻き上げた土砂により視界が遮られたシロは、油断なく視界が晴れるまで砂埃の外にいた。砂煙は十秒も経たないうちに薄く向こうが見えるようになったが、その時には既に女の姿はなかった。地面に残された血の跡だけが、女がそこにいたことを示していた。

 シロは女が作った血溜りをチラリと見た後、女が逃げたであろう方向に顔を向けるとポツリと呟く。

 

「あれを受けてまだ動けるとは……」

「し、シロ……」

 

 感心するような声を漏らすシロの背に向かって、声を掛ける者がいた。

 シロが背を向けたまま、顔を向けることもなく声を掛けてきた者に返事をする。

 

「どうしたリヴェリア」

「―――っ、どうした、じゃないだろう―――っ!!」

 

 穏やか、とも言える声音に一瞬びくりと身体を震わせたリヴェリアだったが、直ぐに顔を振って気を取り直すと、怒りが滲んだ声で叫んだ。

 その声には、様々な感情が複雑に絡みついていた。

 特に大きいのは、怒りと―――悲しみ。

 

「お前がっ!? どうしたんだっ!!」

「…………」

 

 震える声で、リヴェリアは問いかける。

 

「何なんだ一体っ!? どうしたというんだっ!!?」

「……どうもしていない」

「―――なっ」

 

 無言を貫いていたシロだったが、このままでは掴みかかってきそうなリヴェリアを牽制するように返事を返した。

 シロの応えに、リヴェリアは口を開いたまま呆然とシロの背中を見た。

 

「あの女は危険だ。下手に生かしておけば犠牲者が増えるだけだ。アレは、目的のため―――いや、それが必要だというだけ(・・・・・・・・)で何でもする類の輩だ」

「どうして、そんな事が言えるんだ……っ、い、いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。私が言いたいのは―――」

「…………」

 

 何かを振り払うように左右に振る頭を押さえながら、リヴェリアはもどかしげに口を開いては閉じる。苛立ちを露わに地面を何度も蹴りつけるリヴェリアに対し、シロはただ無言で背中を向けたまま動かない。

 岩のように不動な背中にふと目を止めたリヴェリアは、一瞬泣き出しそうに目元を歪め。

 

「お前の夢は―――」

「―――リヴェリア」

「っ」

 

 リヴェリアが何かを言おうとするのを止めるように、シロがリヴェリアの名を呼んだ。

 何を言おうとしたのか、それが形になる前に止められたリヴェリアは、中途半端に口を開いたままシロの背中を見る。

 

「……すまない。俺はどうやら、こんなやり方しか知らないようだ」

「―――まっ」

 

 そのまま顔を向けることなく、歩き出したシロの背中に向かって、リヴェリアが反射的に手を伸ばす。

 しかし、その手が届くことはなく、制止の声もまた形になる前に、シロの背中は小さくなっていく。

 もはや声も手も届かない距離までになると、リヴェリアは伸ばしていた手を力なく垂らした。視線は遠くシロの背中から地面へと変わり、戦いの余波で荒れた大地を睨みつけるように鋭く目を尖らせ、リヴェリアは吐き捨てるように小さな声で不満を口にする。

 

「……どうして、お前が謝るんだ」

 

 その顔はまるで、

 

「馬鹿者め……」

 

 泣き出すのを必死に堪える、幼子に似ていた。

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。

 ……題名を『マジカル八極拳』にしようか少し迷いました。

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