たとえ全てを忘れても 作:五朗
『ダンジョン』と通称される地下迷宮の上に築かれた都市『迷宮都市オラリオ』。
この巨大な都市には、実に様々な種族がいる。ヒューマン、
常に生死を背中合わせにしてダンジョンにもぐる彼らは、己を鼓舞するかのように地上に上がれば生を謳歌するかのように騒がしい。その熱に当てられたかのように、都市は常に活気に満ち溢れていた。
とはいえ、何処にも例外というものは存在する。
ここもその一つである。
都市のメインストリートから外れ、細い裏道の奥。何度となく曲がり角を曲がった先に、袋小路に辿り着く。
そこには忘れ去られた建物があった。
人気のない裏路地の深くに建つそれは、うらびれた教会であった。
建てられた当初は荘厳であったであろうが、忘れ去られた今では、最早倒壊寸前の廃屋でしかない。
わざわざ人が来るような所ではない―――筈なのだが、何故かそんな建物の前に二人の人の姿が。
「ぼーっとするな。いくら人気がないとは言え。絶対なことなどない。さっさと中に入るぞ」
「あ、ご、ごめんなさい」
男―――シロはベルの背中を叩くと、扉の代わりに布で塞がれた玄関口をくぐり教会の中へと入っていく。その後ろを、我に返ったベルが慌てて追いかける。外見と同じく、教会の中も今にも崩れ落ちそうな半壊状態―――ではなかった。
確かに古い。
所々掛けた壁や天井が見られるが、雨漏りがないようしっかりと補修がされているし。教会としての名残がみられる祭壇は、罰当たりな事にシーツが掛けられ簡易的なテーブルとなっていた。外見からは想像もつかない小奇麗な中との落差は、ベルにとって、初めてここに来た時ほどの驚愕はないが、今でも僅かに違和感を覚えるほどであった。
毎度の事ながらも感心しながら周囲を見渡していたベルは、シロが祭壇の方向へと歩いていくのを見て慌ててその後をついていく。
「どうやら下にいるようだな」
「みたいですね」
シロとベルの二人は、祭壇の先にある小部屋へと向かう。その小部屋は、本の代わりに掃除道具や保存食が置かれた本棚が置かれていた。物置小屋と化したかつての書斎の奥。そこにある棚の裏には、地下へと繋がる階段があった。
覗き込めば階下が見えるその浅い階段を下りた二人は、下りた先にある扉の前に立つ。扉に設けられた小窓からは、炎特有の暖かな明かりが見えた。ベルの前に立つシロは、躊躇なく直ぐにその扉を開いた。
「―――今帰った」
「神様ぁ~、今帰りましたぁ~。ただいまー!」
扉を潜ったシロの後ろを手を上げたベルが部屋へと入る。
二人が入った先の地下室。そこは、地下とは思えない場所であった。それは明らかに生活臭がする部屋だからといったわけではない。まあ、確かにそれも理由の一つだが、最大の理由ではない。では、最大の理由。それは、人が暮らすのには十分な広さをもったその部屋が、あまりにも綺麗であったからだ。
一見すると、そこはアンティーク調のモデルハウスのように見えた。
元は古くなったり壊れた物を拾ってきては修理したものなのだが、丁寧に修理され整えられたおかげか、年月を感じさせる風格を帯びた調度品が並べられたその部屋は、どこぞの貴族の一室を思わせる。こまめに掃除を行っているのだろう、部屋の何処を見渡しても塵や埃の一つ足りとも見つけられない。香か何かを焚いているのだろうか、地下とは思えない清涼な香りが何処からか香ってくる。
廃墟同然の見た目の教会の地下が、何処か高級ホテルへと繋がっているかのようにさえ思えてくる。
外の教会の惨状との余りの落差から、ベルはこの部屋に入る度に、自分が何かの魔法をかけられているのではないのかと不安に思ってしまう。未だこの光景に慣れないそんな自分に内心笑いながら部屋へと入ったベルは、部屋の奥に置かれた紫色のソファーに寝転がる少女へと声をかける。
仰向けの姿勢で開いた本を見上げていた少女は、部屋へと入ってきた二人に気付くと、手にした本を放り投げ飛び起きた。
「お帰り二人共。今日はいつもより早かったね? どうかしたのかい?」
その細い足で二人の下へと駆け寄ってくる少女は、一言で言えば少女……正確には幼女寄りの少女である。身長はベルよりも頭一つ分は低い。だが、それと反比例してその胸は大きかった。小走り程度の速度で動くだけでも、大きく揺れる程に。
「……あ~、と、その、実は……」
「こいつがどうやら一目惚れとやらをしたようでな」
「っな?!」
「ほほぅ!?」
誤魔化すように頭を掻き、しかし、しどろもどろながらも今回の失敗を報告しようとしたベルであったが、それが形となる前に横からとんでもない事を口にされ、驚愕の声を上げた。
二人の前に立つ少女は、顎に手をやりニヤリと口元を歪めると、どことなく底意地の悪い笑みを浮かべ頭を抱えるベルへと顔を寄せた。
「それは実に興味深いね。詳しく話を聞かせてもらおうか」
「うぐぅ」
にやにやと笑う少女の前で、これから自身に降りかかる運命を理解したベルは、緩慢な動作で膝を抱えると、身体をブルブルと震えはじめ出した。
床に座り込んで小さくなったベルの周りを、少女はぐるぐると回りながらからかいの言葉を投げかける。
顔を真っ赤にして小さくなったベルを心底楽しそうに
―――これが神だとは未だに信じられんな。
そう、この幼女ともいえる少女は―――神、であった。
文字通りの『神』。
なるほど、確かに彼女は神と呼ばれても何らおかしくはないほどに美しい容姿をしている。
銀の鐘の形をした飾りが付いたリボンでツインテールの髪型に纏められた腰まで長い漆黒の髪は、それ自体が輝いているかのように感じられるほど艶があった。身体つきもその幼い容貌とは反比例し、腰はくびれ胸は成熟しきり豊満に実っており、アンバランスさを含め一つの美の完成形にすら思えてくる。
だが何よりも彼女を神と、人とは違うと感じさせるものは、その透き通るような青みがかった瞳。
どのような宝石すら超える、幻想的な青の宝玉。
将来は傾城、いや傾国の美女となること間違いないだろう少女だが、残念ながらこの少女はこれ以上成長することはない。
ベルが口にした通り、彼女は―――『神』であるからだ。
様々な種族が揃うこの
神であるため、彼女は歳もとらず、これから幾年月を経ようとも、その姿形は変らない。
「そのへんで勘弁してやれ。それよりもさっさと夕食の準備をしろ。これ以上ふざければ、夕食は抜きにするぞ」
「なっ! そ、それはあんまりだよ!」
「ならさっさとテーブルの準備でもしていろ。ベルもさっさと起きて準備を手伝え」
「はっ、はい!」
「むぅ~、ボクは神様だぞ」
「神でも働かざる者食うべからず、だ」
「ふっふ~ん。いいのかな? そんなこと言って。今日は露天の売上に貢献したということで、このとおり大量のジャガ丸くんを頂戴したんだからねっ! 別に君の慈悲に縋らなくても問題はないんだよ!」
「ほう」
先程まで寝転がっていたソファーまで走って戻ったヘスティアが、そのソファーの影に置いていた大量のジャガ丸くんが入った紙袋をシロの前に突き出した。シロは紙袋の中を覗き込むと、ニヤリと口元を歪めた。
「ならばヘスティアは今日の夕飯はいらないと、まあ、それもいいだろう。だが、その際は俺特製の秘伝のタレの使用は許可できんがな」
「なっ、何だって!?」
『ガーン』と後ろに効果音が現れそうな表情で驚愕するヘスティアに、部屋の奥に保存されていた何かが入った瓶を指差すシロ。
「当たり前だろう。タレとはいえあれも俺が作った料理の一つだからな。そのジャガ丸くんは塩でも振って食べるんだな」
「ぐぬぬぬぬぅ……!!」
ぎりぎりと歯を鳴らしながら唸るヘスティアの頭に手を置くと、シロはくしゃりとその髪を軽く撫でた。うっ、と小さく声を漏らして動きを止めたヘスティアからジャガ丸くんが入った紙袋を取り上げたシロは、地下室の出口である扉へと向かって歩き出した。
「それでは上で夕食を作ってくる。まあ、今日はこれがあるからな、そんなに時間は掛からんだろう」
「は~い!」
「むぅ……」
扉の向こうへと消えた背中に向けて元気よく返事するベルの隣で、神である少女は顔を俯かせシロから撫でられ少しばかり乱れた髪に触れて何やら唸っていた。
―――遠い昔、『天界』から地上へと下りてきた『神々』。その目的は、言ってしまえば暇つぶしであった。何ら刺激もない楽園である天界で無限の時を過ごす毎日に飽いた神々は、神にとっては無駄としか思えない文化や営みを育む下界に生きる人間―――彼らから言えば『子供達』の世界に興味を持ち、下りてきたのだ。
下界に下りてきた結果は、神である彼らの想像以上だった。
平和で、代わり映えのしない無限の時がただ過ぎるだけの天界とは違い、この下界で起きる様々な出来事は一瞬の油断すら許さないほどの刺激に満ち溢れ、神々を楽しませた。
全知全能に近い力である『
神の決定に、逆らえる者はおるはずがなく、むしろ『恩恵』を授ける存在である神々の存在は歓迎された。
その神の一柱が、今シロの目の前で特製のタレをつけたジャガ丸くんを冬ごもりの栗鼠さながらに頬を膨らませ頬張る少女―――ヘスティアであった。
「―――それで、ベルくんが一目惚れしたっていう子はどんな子なのかい?」
「っぶ! っぐ、ケホッ、こほ、っ……な、何を―――」
「……ふぅ、少ししつこすぎじゃないか?」
食事を終え、シロが入れたお茶で一服していた最中、ヘスティアが放った一言に、ベルはお茶を吹き出しむせ始めた。シロはそんなベルの背中を撫でながらジロリとヘスティアを睨みつけた。
「そうは言ってもだね。これは結構大事なことなんだよ。ほら、他のファミリアに入っている子だったら、もう軽く絶望的じゃないか」
「っう……」
「はぁ」
「あれ?」
突然頭を抱えて泣きそうな声を漏らすベルと、呆れたため息をもらすシロの姿に、ヘスティアは戸惑った声を上げた。
シロとベルの様子を交互に見てはっと何かに気付いた様子を見せたヘスティアは、そろそろとシロに近づくと、その耳元に口を寄せた。
「もしかして、ベル君が好きになった子は―――」
「ああ、その通りだ。ヘスティアも聞いた事があるだろう。ロキファミリアのアイズ・ヴァレンシュタインだ」
「
「あの、だ」
暗い未来しか想像できない現実に絶望しているベルの隣で、こそこそと話し合っていた二人は、軽く目を見合わせると同時にため息を吐いた。
「はぁ~……全く、ベル君もとんでもない子に一目惚れしたね」
「ふぅ……全くだ。他のファミリアだけでも問題だが、更に相手があの『剣姫』。希望は無いといってもいいな」
そう、シロの言う通りであった。
【ファミリア】に加入している者は、同じ【ファミリア】に所属している者か、又は
こういった理由から、別の【ファミリア】の者とお付き合いする事は、はっきり言って『無理』の一言であった。
その上、ベルが懸想する相手であるアイズ・ヴァレンシュタインはロキ・ファミリアを代表する冒険者の一人だ。
ロキ・ファミリアの主であるロキが許すはずがない。
「あ~っ! もう仕方がないなぁっ! そんなに落ち込まなくてもいいじゃないかっ! ほらっ、落ち込むのは終了! 気分を変えるためにも【ステイタス】の更新でもしようじゃないか!」
「ぅ~……わ、わかりました」
ヘスティアの言葉に、のろのろと起き上がったベルは、もそもそと鈍い動きで服を脱いで上半身を裸にする。のろのろと部屋の隅に置かれた簡易ベッドまで歩いていくと、倒れるようにその上に転がった。うつ伏せに倒れたベルの色素の薄い肌をもつ背中には、びっしりと黒い文字が書き込まれている。
これが、神の『恩恵』―――『
「えいっ」と掛け声とともにうつ伏せになったベルの背中にヘスティアが飛び乗る。
「さて、それじゃ始めようか」
ごそごそと身体を動かし、丁度ベルのお尻の位置で落ち着いたヘスティアが、取り出した針を自身の指先に当てた。プツリと指先に生まれた小さな血の玉を、ヘスティアはベルの背中へと滴り落とす。
ベルの背中へと落ちた神の血は、まるで水面に石を投げ入れたかのような波紋を生み出した。
血が落ちた場所に指を落としたヘスティアは、ゆっくりとベルの背中をなぞり始めた。そして、左端から文字でも描くように、
これが、『
神々が扱う【
『
成し遂げた事の質と量の値―――形のないこれらを使用し、神々は【
「そのアイズ・ヴァレンシュタイン、だっけ? ベル君には悪いけど、諦めたほうがいいね。噂に聞くだけでも物凄く強くて美人だって言うじゃないか。届かない高嶺の花ばかり見てたって時間を無駄にするだけだよ」
「うぅ……そんなぁ……」
きついヘスティアからの言葉に、ベルが泣き言と共に枕に顔を埋もらせた。
「ほらほらそんな声出さない。はい、これで終わりっ! と。さて、そんな叶わない恋はさっさと忘れて、また新しい出会いでも探してみな。君ならきっといい子に出会えるよ」
「……あんまりだよ神様」
ぴょんっ、と背中からヘスティアが飛び降りると、ベルは顔を歪ませながら身体を起こすが、ベッドから降りずにそのまま座り込んでしまう。そこに近づいてきたシロがベルの頭に手を置くと、何時もよりも優しげな声をかけた。
「―――ヘスティアはああ言っているが、人の恋路がどうなるかなどそれこそ神でも分かりはしない。ベルの気の済むまで頑張ってみろ」
俯いたままベッドから動かないベルの頭を乱暴に撫でて慰めの言葉をかけたシロは、次に背後で用紙に更新した【ステイタス】を書き写しているヘスティアの頭を軽く叩いた。
「ぅわ!」
「お前はもう少し言葉を選べ」
「ぅ~、わ、わかってるよ……だけど、その、相手が【ロキ・ファミリア】の子だって思ったら、つい……」
「ああ、そういえば【ロキ・ファミリア】の主神とは仲が悪いんだったな」
シロに叩かれた頭を押さえていたヘスティアは、不意ににやりとした笑みを浮かべた。そして上から見下ろしてくるシロに向かって胸を強調するような仕草を見せた。
「仲が悪いって言うか、まあ、ひがんでるんだよあいつは、胸がないからね。ボクのこの胸を羨ましくてしょうがないらしい」
「……ぁぁ、そうか」
ふふんっ、と鼻息荒く見つめてくるヘスティアに、シロは哀れなモノを見るかのような目線を向けた。期待した反応を示さなかったシロにヘスティアが不満の声を上げようとしたが、それよりも先にシロの手がヘスティアの持つベルの【ステイタス】が書き写された用紙を掴み取り、ヘスティアに背を向けた。
「ベル」
「あ、ありがとうございます」
ぶーぶー騒ぎながら掴みかかろうとするヘスティアを背中を向いたまま押さえつけるシロが、シロとヘスティアのやり取りを見て乾いた笑みを浮かべていたベルにステイタスが記された用紙を差し出した。ベルは一瞬このまま神様を無視して受け取っていいものかと躊躇するも、まあ何時もの事かと気を取り直し差し出された用紙を受け取った。
ベル・クラネル
Lv.1
力:I77→I82
耐久:I13
器用:I93→I96
敏捷:H148→H172
魔力:I0
《魔法》
【 】
《スキル》
【 】
「―――ヘスティア」
「わかってるよ君の言いたい事は」
シロが続く言葉を告げる前に、ヘスティアは頷いた。
ヘスティアは夕食の後片付けのためキッチンへと向かうベルの背中を見つめながら、シロが口にするはずだった言葉を形にした。
「ベル君の【ステイタス】の事だろ」
「ああ、何故伝えない」
「う、そ、それは……」
口ごもるヘスティアをシロはジロリと睨みつけた。
「まさかとは思うが、ただの嫉妬だとは言うまいな」
「っ!!!?」
シロの言葉にビクリ身体を震わせ、驚いた猫のしっぽのようにツインテールの髪がピンと立つ。
図星かと片手で顔を覆いため息を吐くシロに、慌ててヘスティアが言い訳を募る。
「い、いや、その、そういうわけじゃないんだ! ほ、ほんとう、本当だよ! ほら、あれだ、何というか、そう、アレなんだよ!」
結局何がいいたいのかわからないめちゃくちゃな言い訳をするヘスティアに、シロは無言でプレッシャーを掛け続ける。それでも言い訳を続けていたヘスティアだったが、直ぐにしゅんと小さくなると、肩を落とした姿のままポツポツと言葉を漏らし始めた。
「だ、だって、なんだか悔しかったんだよ。何というか、可愛がっていた弟が取られてしまったというか……」
「はぁ……まあいい。これはこれで都合が良かったのかもしれん」
「え? 都合がいいって?」
顔を上げたヘスティアが首を捻ると、シロは細めベルの背中に記された【
「ベルのあの《スキル》は、自覚させない方が効果が高そうだからな」
ベルの背中―――【ステイタス】のスキル欄。
ベルに渡した用紙には記されていなかったその欄には、本当は一つのスキルが刻まれていた。
《スキル》
【
・早熟する。
・
・
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