たとえ全てを忘れても   作:五朗

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 ……う~ん


第十一話 葛藤

「二つ?」

「そうだ」

 

 シロは軽く頷くと、立てていた二つの内一つの指を折る。

 

「一つは、『ステイタス』の更新を止め、ある程度モノになるまで『武術』に専念する」

 

 シロの説明にアイズが怯むように視線を泳がすと、シロは小さく肩を竦めた。

 

「だがこれは、メリットよりもデメリットの方が遥かに大きい」

 

 シロの言葉に、ほっと何処か力が抜けた様子を見せるアイズ。シロはその様子を説明を続ける。

 

「メリットは精々人型、またはそれに類似するモンスターに対抗する手段が一つ増えるだけだ。デメリットはそれこそ無数にあるな。先程も言った通り、才能のある者でも一定の領域にまで至るのに少なくとも十年は掛かる。そして何より、例えモノになったとしても、殆どのモンスターに対し、『武術』は有効な手段ではない」

「え?」

 

 大人しくシロの説明を聞いていたアイズが困惑の声を上げる。アイズたちの様子を遠巻きに伺っていたリヴェリアたちもシロの言葉に困惑を浮かべていた。

 有効ではない、とシロは言うが、その『武術』がアイズを圧倒した女を軽く捻ったのをリヴェリアたちは自身の目で確認していた。その『武術』が有効な手段ではないと言われても、そう簡単に納得出来るものではなかった。

 アイズたちの戸惑う様子に対し、シロは苦笑を向けた。

 

「不思議でもなんでもない話なんだがな。『武術』は対人間用に創られたものだ。そしてモンスターの多くは、人体とはかけ離れた存在だからな。人間用に創られた『武術』では対応仕切れないモンスターも多い」

「確かに……」

 

 シロの言葉に、リヴェリアたちの脳裏に今まで戦ってきた様々なモンスターの姿が浮かび上がる。

 モンスターは多種多様だ。

 人間に近い―――人型のモンスターは確かにいるが、アイズたちの知るモンスターだけでも、その割合は決して多いとは言えない。そうであるならば、シロの言葉の通り、人間用に造られたと言う『武術』は、確かに効果が薄いのかもしれない。

 

「他にも色々とあるが、(こまか)く言えば時間が掛かるからな」

「…………じゃあ、もう一つの方は」

 

 肩を落としたアイズが、力ない声でシロに続きを促した。

 

「ひたすらに『ステイタス』を更新することだ」

「っ、それじゃあ」

「『ステイタス』の成長率が落ちているのか」

 

 これまでと変わらない、そう続けようとしたアイズの言葉は、シロが発した言葉によって止められてしまう。

 

「何で―――」

「その様子を見れば、な」

「っ……」

 

 自分の焦りを見抜かれているような気がしたアイズが、逃げるように向けられるシロの視線から目を逸らしてしまう。

 アイズから目を逸らされたシロだったが、シロはそのまま視線を動かすことなくアイズを見つめ続け。

 

「だが、ゼロではないのだろ」

「それは……」

 

 確かにシロの言う通り、ゼロではない。

 しかし、アイズにとってはそれはゼロに等しかった。

 何処まで強くなっても不安であった。

 多くの人から『強い』と言われても、オラリオの『最強』の一角と言われても、それでもアイズにはまだ自分が強いという確固たる自負がなかった。

 まだ、強くなりたい。

 まだ、強さが足りない。

 強くなればなるほど。

 周りから賞賛されればされるほど、焦りだけが募る。

 そして、その焦りとは反して、更新する度得られる『経験値』は少なくなるばかりで。

 アイズにとって、最早それ(僅かな経験値)は、ただの誤差にしか感じられないでいた。

 自分の前にそびえる見えない壁を感じ、アイズの身体から力が抜ける。鉛を飲んだように身体が重く、自然と頭も俯きがちになってしまう。

 

「なら、続ければいいだけの話だ」

 

 そんな俯いてしまったアイズに、シロはただ淡々と言葉を告げた。

 

「百で駄目なら千。千でも駄目ならば万。幾度も繰り返せばいい。例え一しか成長しなくとも、それでも一は成長出来ているのだ。少なくともステイタスの更新を止め、『武術』を身に修めるよりも強くなれるのは確実だな。単独で深層に潜れば、更に効率は良いだろう。まあ、その分、危険は増えるがな」

「シロっ! それは―――」

「私は―――ッ!!」

 

 シロの余りの言い分に、リヴェリアが苛立ちが混じった声を上げようとしたが、それに被せるようにアイズの悲鳴のような声が上がった。

 シロだけでなく、周囲にいる皆の視線もアイズに向けられた。

 その声には、今までにない強い感情が混ざっていた。

 

「私は……何時か強くなりたいんじゃないんです……私は、早く、直ぐに、強くなりたいんです」

「アイズ……」

「何故、そこまでして強くなりたい」

 

 リヴェリアたち『ロキ・ファミリア』の皆は。気遣わしげにアイズを見つめる中、一人シロは凪いだ海のような深く伺い知れない瞳で見つめていた。

 

「お前はもう、十分に強い。このオラリオ―――いや、世界でも上位に数えられるだけの力はある筈だ。それほどの力を持っていながら、何故そこまで未だに強さを求める」

「っ」

「アイズ、お前は何の為に強さを求める?」

 

 自分を見つめるシロの瞳に、吹き上がる感情の勢いを飲み込まれ立ち尽くすアイズを淡々と見下ろしながら、シロは問いかける。

 

「ただ、強くなりたいだけか?」

 

 問いかける。

 

「復讐か?」

 

 問いかける。

 

「アイズ」

 

 真っ直ぐ、目を逸らさず、逸らさせず。

 

「置いて……」

 

 やがて、アイズがポツリと小さく言葉を吐き出した。

 歯を噛み締め、握り締めた拳が震える程に力を込めながら、アイズは己の内に潜む想いを口にした。

 

「置いていかれたくない……」

 

 不安と、焦燥を。

 

「私は、弱かった……弱かったから、置いていかれた」

 

 揺れ動く心と同じように、濡れた視界がゆらゆらと揺れている。

 

「だから、私は強くならないと」

 

 言葉を発するために息を吸う度、胸を針でつつかれたような鋭い痛みが走る。

 乾いた息で喉が擦れ、奇妙な音が言葉と一緒に交わって出て行く。

 

「また、置いていかれないように……」

 

 頭に熱がこもり、鼻の奥がツンと痛みだす。

 息が上手く吸えず、荒い呼吸音が耳障りだ。

 

「早く、早く……強くならないと……」

 

 幼い子供のように感情を上手く言葉にできず、ただ何かに急き立てられているように言葉を吐き出してしまう自分が恥ずかしくて、悲しくて、辛くて。

 そんな風に感じる理由は全く分からない。

 分からない、けれど、アイズはただ思いのままをシロに伝える。

 もどかしく、どうにもならない胸の奥底で澱んでいたものをぶつけた。

 そして、

 

「アイズ」

 

 シロは、再びアイズの名を呼んだ。

 

「お前は、何処にいる」

「え?」

 

 問われた言葉の意味が分からず、一瞬惚けてしまう。空白の思考の中に、幾つもの言葉が疑問符と共に浮かび上がる度に消えていく。それらがまとまり形となり、言葉として口から出るよりも早く、シロは続けて問いかける。

 

「お前は、何処へ行こうとしている」

 

 似ているようで違う二つ目の問いかけ。

 どちらも問いとしては難しいものではない。

 対する答えは、考えなくとも直ぐに2、3は出てくるようなものだ。

 だから、その中のどれかを口にしようと。

 

「そんなの、私は―――……? 私、は?」

 

 見てしまった(見られてしまった)

 

 言葉は、自分を見つめるシロの目を見た瞬間、霧散した。

 琥珀色の瞳。

 その奥に揺らめく暗い、黒い、アレは、なに?

 それを見た(見られた)時には、もう、駄目だった。

 答えられない。

 答えが思い浮かばなかったのではなく、幾つも答えるものがあったからこそ、応える事ができない。ぐっと唇を噛み締めながらも、幾度も口元を震わせる。何度も口を開こうとするが、その度に閉じてしまう。それは、シロの問いが余りにも漠然としているため、答えがいくつもあるから―――そう、だから―――違う。

 そう、違う。

 そうじゃない。

 違う。

 私は、わたし、は……。

 っ、っ……わた、しは、……どこに、いる?

 どこに、いく?

 わたしは……私は、私は、わたしは、私は、わたしは何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ何処に何処へ……―――わから、ない。

 わからない。

 わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない―――私は、何処にいる? 私は、何処へ行く?

 そんな簡単な事さえ、私は答えられない。

 何故?

 どうして?

 私は何処にいる?

 そんなの、決まっている。

 私は、『ロキ・ファミリア』所属。

 だから、私は『ロキ・ファミリア』に―――本当に?

 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に? 本当に?

 

 本当に、そう?

 

 琥珀色の瞳が。

 

 琥珀色の―――暗闇が―――黒が、問いかけてくる。

 

 澱んだ、泥のような黒が、問いかけてくる。

 

 本当に、そうなの? と。

 

 黒い、泥が。

 

 黒い、私が、聞いてくる。

 

 本当に、あなたはそこにいるの? と。

 

 『ロキ・ファミリア』に、あなたはいるの? と。

 

 そんなの、いるに決まっている。

 だって、私は『ロキ・ファミリア』に所属して―――。

 

 じゃあ、どうしてあなたの周りには誰もいないの?

 

 ―――ッ!!?

 

 落ちていく。

 黒い、泥の中に。

 誰もいない。

 一人ぼっちだ。

 周りは、モンスターだけ。

 モンスターの残骸だけ。

 たった一人。

 私が一人、立っている。

 モンスターの死骸の中、一人だけ。

 一人、ぼっち。

 

 ねえ、何処にいるの?

 

 モンスターの残骸と泥が混じりあった汚濁の中、小さな女の子()が聞いてくる。

 

 ねえ、何処へ行くの?

 

 ねえ、何処にいるの? ねえ、何処へ行くの? ねえ、何処にいるの? ねえ、何処へ行くの? ねえ、何処にいるの? ねえ、何処へ行くの? ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえ――。

 

「答えられないか」

「―――ッッ!!!???」

 

 ヒュウッ、と喉が鳴り、視界が一気に明るくなった。

 自分が今何処にいるのか分からず、思わず周囲を見渡してしまう。

 私は、さっきまで黒い―――くろ、い……くろい?

 あれ?

 私は……何処に。

 呆然と周囲を見渡す私に、ため息混じりの声が掛けられる。

 

「……人に言えた義理ではないが、お前はもう少し周りを見ろ」

「……え?」

 

 声を掛けてきたシロへと顔を向けると、ぽん、と頭の上にごつごつとした手の平を置かれた。頭の上に手を置かれながら、手の持ち主であるシロへと目線を向けると、シロは何処か寂しげな色をした目を細めていた。

 

「過去に捕われ、(めくら)のまま歩けば何処へ行くか分かったものではない。このままでは、お前が置いていかれるのではなく、お前が置いて行くことになるぞ」

「私が、皆を置いていく?」

 

 逆じゃないのだろうか、と言葉にすることなく目でシロへと訴え掛けるが、向けられた当の本人は別の方向に視線を向けていた。アイズが釣られてそちらの方向へ目を向けると、そこにはフィンたち『ロキ・ファミリア』の皆の姿があった。

 

「まあ、大人しく置いていかれるような奴はいそうにないが……それに、置いていかれても必死についていきそうな奴もいるしな」

「?」

 

 言葉の意味が分からず、アイズは思わず小首を捻った。

 シロの視線の先では、レフィーヤが何やら頬を膨らませ。リヴェリアは腕組をしながら何やらそわそわと身体を揺らして。フィンは何時もどおり口元に笑みを浮かばせて、ティオナは髪の先をいじりながらもこちらをチラチラと見ている。ティオネは口元に指を当てながら何やら物欲しそうな目でこちらを見つめている。

 何時もどおりのような、何時もどおりじゃなさそうな、でも、やっぱり何時もどおりの皆を見て、何処か安心したアイズが、改めてシロを見上げ。

 

「シロさん」

「何だ」

「私は、これからどうし―――った!」

 

 再度シロに助言を求めようとしたら、頭に置かれていた手が拳に変わり、脳天を小突かれてしまった。 

 

「し、シロさん何で?」

「助言を求めるのは良いが、行先まで他人に任せるな。ただでさえ狭い視界が、更に狭まるぞ」

「? それって」

 

 微かに潤んだ目で見上げると、シロは乱雑にガシガシと自身の頭を掻きながらそっぽを向いていた。

 

「さっきは二つと言ったが、そもそも強くなる方法なぞ、それこそ無数にある」

「本当に?」

 

 すっと細まった目の中に疑いの色が強く出たのは、まあ、仕方のないことだろう。シロは口の端を苦笑気味に歪ませながら、頭を掻いていた手をひらひらと振ってみせた。

 

「お前が気づいていないだけでな。その中にお前が求めるものもあるだろうが、そうそう簡単にそれが見つかるわけもない、が……」

「ないが?」

「……お前のようなタイプ(天才型)は、直感的にそういうのを見つけるものだが……さて、本当に気付いていないのか、それとも見て見ぬふりをしているのか」

「…………」

 

 横目で覗いてくる視線に対し、俯き押し黙るアイズ。

 

「はぁ、まあいい。本当に気付いていないのならば良いが、そうでないのなら、アイズ」

「は、はい」

 

 顔を上げず、硬い声で返事をするアイズの態度に何かを言おうと口を開くが、シロは小さな溜め息を一つ着くと目を閉じた。

 

「……やる(・・)のなら、決して一人で挑むな」

「……」

「俺から伝えられる助言はその程度だ」

 

 無言を貫くアイズに、シロは背中を向けた。

 

「あ、ど、何処に」

「流石にこれ以上先はキツいからな、少し戻って見逃した場所がないかもう暫らく探索するつもりだ」

 

 立ち止まるが、振りからないままシロは応える。

 

「一人で?」

「……ああ」

「一緒に―――」

「アイズ」

 

 小さな、しかし、明確に拒絶を含んだ声。

 背中を向けるシロへと近づこうと動かそうとした足がピタリと止まった。

 アイズが見つめる先で、シロの顔がゆっくりと振り返っていく。

 

「……俺が言うのも何だが、もう少し、仲間を頼る事も覚えろ。さもなければ―――」

 

 そして、振り返ったシロの顔。

 自分を見つめる目と視線が交わり。

 

「―――っ」

 

 息を呑んだ。

 

「俺のようになるぞ」

 

 その、虚ろな。

 

 空虚な瞳に。

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。

 一応次がエピローグの予定です。

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