たとえ全てを忘れても   作:五朗

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 生きています。 


第五話 死妖精

 『大樹の迷宮』―――木肌で出来た壁や天井に加え、床に生えたコケから発する青い光に満ちた19階層から24階層にかけての迷宮。この迷宮には、様々な色や形、不思議な様子を見せる植物たちが無数に茂る姿が広がっているのだが、今はそこに奇妙なオブジェが幾つも加わっていた。そして、そのオブジェ、と呼ぶには、少しばかり生々しいそれに、近寄っては灰へと返す人影があった。

 その数は合計四つ。

 いや、正確に言えば三つだろう。四つの人影の内、一つは苛立たしげに他の三つを睨み付けている。

 とは言え三つの人影達は、それぞれその作業に慣れているのか、そのオブジェを灰に変えるのに、十秒も掛けてはいないだろう。道端の石を拾うような感覚でオブジェから何かを抜き出しては『大樹の迷宮』から異物を排除している。

 そんな中、流石に我慢の限界に至ったのか、一同の一番前を先行していた者が怒声を張り上げた。

 

「っ―――糞がッ!! 何時までチンタラしてやがんだッ! このままじゃ追いつけねぇだろッ!!」

 

 床を蹴りつけ大穴を開けながら、その凶悪な目つきを更に鋭くさせながら、人影―――ベートがオブジェ―――モンスターの死骸から魔石を取り出したばかりのシロへと向けて怒りの視線を向ける。

 

「黙れ。貴様が暴れなければ、もう少し先には進めていたはずだった。文句を言うなら手伝うか先に行けばいいだろう」

「あ゛あ゛ッ!!?」

「ちょ、ベートさん止めてください!」

 

 今にも殴りかからんばかりの気勢を見せるベートの前に、慌ててレフィーヤが駆け寄る。

 

「シロさんがこの先に必要になるかもしれないって言ってるんですし。それにあと少しで終わりますから」

「テメェには聞いてねぇんだよッ!」

「ひぃいい!!」

 

 牙を向くベートに、涙目になったレフィーヤが頭を抱えて蹲ってしまう。それを魔石をモンスターから回収しながら横目で見ていた最後の人影―――フィルヴィスが眉間に皺を寄せると、モンスターの死骸に乱暴にナイフを突き刺し魔石を抉り取りながらポツリと呟いた。

 

「さっきまで寝ていた奴が偉そうに」

「あ゛あ゛ッ!!」

 

 独り言だった筈のその言葉は、人狼たるベートが聞き逃すにはいささか大きすぎた。ぐるん、と勢いよく向けられた視線は、今にも噛み付かんばかりの剣呑さに満ちていた。

 

「何か言ったかこの耳長がぁッ」

「―――そこまでにしろ」

「っ」

 

 何時の間にかベートの背後に立っていたシロが、囁くような小さな声でベートに告げた。特に恫喝めいた声音もなにも感じられない言葉であったが、ベートは何故か奇妙な圧迫感と寒気を感じており。更には、ベートをこれまで幾度となく死地から生還させてくれた本能と野生が、逆らうな、と最大限の警告を告げていた。

 

「―――ッ、……ちっ」

 

 苛立ちと不満を深く息を吐くことで何とか押さえ込んだベートは、ゆっくりとした動作でシロから距離を取る。シロは次に、先程からじっとシロとベートの様子を見つめながらナイフを持つ手に力を込めていたフィルヴィスへと視線を向けた。

 ふいっと、フィルヴィスが視線を外し、ナイフを持つ手から余計な力が抜けるのを確認すると、シロは不満に満ち満ちているベートの背中に目を向けた。

 

「ここでの回収を終えれば、もう魔石は必要ない。後はアイズたちの後を追うだけだ。もう少し我慢しろ」

「命令される筋合いはねぇ」

 

 そう言いながらも、ベートはそのまま先には行かず、腕を組むと背中を壁に預けると目を閉じた。

 その姿に先程まで息を飲んで様子を見守っていたレフィーヤが、安堵の息を着くと、トコトコと何体ものモンスターの死骸が集中している場所へと歩いていく。横たわったモンスターの死骸の傍に片膝をついて魔石を回収していたフィルヴィスの横にちょこんと膝を曲げた。

 

「あの、その……さっきはありがとうございました」

「何のことだ」

「その、また助けてもらって……私、本当にダメですね……」

 

 現在奇っ怪なオブジェと化しているモンスターの数は数十にも上るが、遭遇(エンカウント)した時はこの更に数倍―――三桁に迫りかねない群れであった。それも何かから急き立てられるかのように、どのモンスターも死に物狂いで走っていた。最悪な事に、丁度シロたちがいた場所は、逃げるところも隠れるところも何もなく、レフィーヤは何の覚悟も準備もする事も出来ずモンスターとの戦闘に突入してしまった。

 まるで氾濫した濁流のように一塊となって迫り来るモンスターの群れを、逆にベートは自ら襲いかかり易々と切り裂いていき、シロとフィルヴィスはそんなベートが取りこぼしたモンスターを淡々と狩っていた。しかし、突然の事態に不慣れなレフィーヤは、そうすぐには戦闘へと意識を切り替える事が出来なかった。そんな混乱状態のレフィーヤを、これまでと同じようにフィルヴィスがフォローしたのだった。

 頭を垂らし、肩を落とすレフィーヤの姿を横目に見るフィルヴィスは、何度か躊躇う素振りを見せた後、そっぽを向きながら口を開いた。

 

「……私とお前とでは戦い方が違う。魔法使いが近接戦ができなくとも問題はない」

「それでも、です」

 

 フィルヴィスの言葉に、しかし小さく首を横に振るレフィーヤは、そのまま小さくなって消えてしまいそうに感じるほど身を縮ませる。その姿に、思わずと言った様子でフィルヴィスが何かを言おうとした時であった。

 

「お前は―――」

「フィルヴィス・シャリア」

 

 フィルヴィスが自分の名を呼ぶ者に顔を向けると、そこにはモンスターから回収した魔石を詰めた袋を片手に立つシロの姿があった。

 

「それで最後だ」

「……分かった」

 

 シロの言葉に頷くと、さっとモンスターから魔石を取り出したフィルヴィスは、立ち上がると未だ立ち上がらないレフィーヤの背中を一瞥し、既に前に進み出していたベートの後を追い始めようとした。

 

「少し、いいか」

「……」

 

 シロの横を通り過ぎようとした間際、フィルヴィスにだけ聞こえる声で投げかけられた誘いに、フィルヴィスは無言のまま視線を向けた。自分を見つめる琥珀色の瞳と視線が交わり、一秒も満たない交差の後、フィルヴィスはそのまま歩を進めた。

 

 

 

 

 

「それで、私に何の用だ」

 

 スタンピート的なモンスターの襲撃が増えてきたことから、モンスターの対処に時間を取られるのを避けるため、速度を落としながら進む中、フィルヴィスは隣にいる男にだけ聞こえる声で問いかけた。

 

「そう警戒するな。ただの確認だ」

 

 シロはとなりにいるフィルヴィスに視線を向けずに口を開く。二人共、互いに顔を向けず、ただ前へと足を進ませている。

 

「確認?」

「そうだ。『ディオニュソス・ファミリア』のフィルヴィス・シャリアが何故ここにいるのか、とな」

 

 訝しがるように眉根に少しばかり皺を寄せたフィルヴィスだったが、直ぐに思い直したように元へと戻す。ただし、目に宿る疑惑の念は少しばかり深くなってはいた。

 

「……ディオニュソス様の命令だ」

「そうか」

「私がいると、何か問題でもあるのか」

 

 短かく素っ気ない返事に、こめかみがピクリと動く。からかうような調子も、疑うような様子も感じられない。しかし、フィルヴィスは胸の奥で、言葉にならない感情がグラリと揺れた気がした。

 それは思いがけず、自身の口から言葉が溢れてしまうほどに、衝動的で―――酷く不快な感情に近いものであった。

 

「いや、ただ疑問に思っただけだ」

 

 不意に向けられた明らかにトゲトゲしい念が篭った言葉に対し、男は戸惑う様子も見せずに先程と変わらず平坦な声音で返事を返すだけ。

 それが何故か、フィルヴィスには気に食わないと感じられた。

 それは、酷く珍しい、いや、フィルヴィスにとって、初めて感じるものであった。似たようなものは感じた事はあった。己の神である『ディオニュソス』が、他の女と仲良くしていた際に、相手の女に対し感じていた気持ちと似てはいるが、全くの別物。

 

 ―――気に入らない。

 

 ―――気に食わない。

 

 言ってしまえば、それはそんな感情でしかない。

 怒りにも似たそれは、この男の澄まし顔をどうしても許せないでいた。

 それが何故かは分からない。

 しかし、思いとは裏腹に、感情は更に高ぶり、己の背を押す。

 焚きつける心を堰止める事は難しく、フィルヴィスは口は何時になく饒舌になっていた。

 普段ならば、必要なものであっても、最小限の言葉で済ませる筈が、気付けば口を開いてしまう。

 

「……それ以外にあるのではないのか」

「それ以外に何が」

 

 ようやく、男が自分の方へと顔を向けた。

 琥珀色の瞳に、自分の姿が映る。

 真っ黒な髪を持つ、歪な、穢れたエルフの姿が。

 真っ直ぐに、ありのままを映し出す。

 

「貴様のその目、気に入らない」

「何か気に障ったか?」

 

 男が、目元に手を持っていく。

 鋭い目元を細めながら、すっと撫でるように目の下あたりを指先でなぞる。

 

「別に、ただ気に入らないだけだ」

「目つきが気に入らないと喧嘩を売られた事はあったが、目、自体を気に入らないと言われたのは初めてだな」

 

 男は、口の端を微かに持ち上げ、小さな笑みを浮かべる。 

 その笑みに、何処かバツの悪さを感じ、思わず顔を逸してしまう。

 

「ふん……貴様は、私の事を『『ディオニュソス・ファミリア』のフィルヴィス・シャリア』と言ったな。貴様は、私の事を知っているのか?」

「それなりには、な」

 

 男の答えは、フィルヴィスにとって意外ではあったが、驚きはなかった。

 男は自分の事を知っているという。

 なのに、自分の事を知る者が向けてくる視線の中に感じるものが、この男からは一切感じられなかった。彼女(レフィーヤ)のように何も知らないというわけではないにもかかわらず、この男の自分に向けるものに、嫌悪も、忌避も、憐憫も、一切の負の感情を感じられない。

 確かに、こういった者も少なからずいる。

 自分の過去を、そして自身に纏わりつく噂を知っていながら、負の感情を向けず、それどころか優しさを向けてくれる人がいることを。

 しかし、そんな人達とも、この男は違う。

 この男の目にあるものは、そのどれとも違った。

 

「だから、だろう」

「……何がだ」

 

 違う。

 それはわかるのに、それが何なのかが、フィルヴィスには分からなかった。

 だから、言葉を更に続けてしまう。

 

「私があの『フィルヴィス・シャリア』だから声を掛けたのだろう。彼女とは、仲が良いみたいだからな。心配したのか」

「それは関係ない」

「彼女とがか? それとも―――」

「どちらともだ。ただ疑問を解消しようとしただけだ。ただでさえイレギュラーばかりだ。解消できるものは解消したかっただけだ。根拠のない噂に関わっていられるほど暇ではないのでな」

「根拠がない、だとっ」

 

 言葉の続きを切り捨てるように言い捨てる男の言の中の一つに、自分でも意外なことに声が荒がってしまう。

 そのまま男に掴みかかりかけた時、背後から戸惑った声が上がった。

 

「―――噂?」

「っ?!」

 

 思わずビクリと背筋が震わせたフィルヴィスが、慌てて後ろに顔を向けると、そこにはオドオドとした様子を見せながらもこちらを伺うレフィーヤの姿があった。話に意識を集中させすぎたせいか、何時の間にかすぐ近くまで来ていたレフィーヤに気付くのに遅れてしまっていた。

 慌てるフィルヴィスに対し、シロは最初から気付いていたのか、驚いた様子を見せてはいない。

 

「どうした?」

「え、あ、すいません。その、たまたま聞こえて……」

「……」

 

 何処か不安気なレフィーヤの視線が、フィルヴィスに向けられる。逡巡するように視線が数度揺らめいたが、直ぐにそれは定まり両の目がシロとフィルヴィスに向けられた。

 

「それで、その、噂って」

「くだらない噂だ。レフィーヤが気にするような事ではない」

 

 ぐっと身を乗り出すような問いかけに、シロは壁を感じさせる言葉でレフィーヤの問いかけを切り捨てた。一瞬レフィーヤは顔を悲しげに歪ませたが、直ぐに誤魔化すように小さく笑ってみせた。

 

「そう、ですか……」

「―――そうだ、気にするような話ではない。ただ、私が組んだパーティーの者が死ぬというだけの噂だ」

「……」

 

 だからだろうか、言うつもりなどそれまで微塵も思っていなかったのに、気付けば口を開いていた。

 男の視線が一瞬鋭くなるのに感じながら、思わず口元に自虐的な笑みが浮かんでしまう。

 

「え? あ、あの、それは、どういう……」

「私に聞くよりも、その男から聞いたほうが早いのではないのか」

 

 面白いように戸惑う様子を見せるレフィーヤに対し、隣の男へと視線を投げかける。レフィーヤの視線は導かれるように男へと向けられ、戸惑いながらも問いの声を上げた。

 

「シロ、さん」

「良いのか?」

「いずれ知られることだ。それが今だというだけの話でしかない」

 

 男の言葉に、顔を背けながら返事をする。

 言葉とは裏腹に、自分の身体は拒否を示している。

 膝が微かに震えているのは、もしかしたら、話を聞いたこの純真な同胞に、嫌悪の視線を向けられるのを恐れているのかもしれない。

 しかし、後悔してももう遅い。

 背中に、男が同胞の少女に私の過去が伝える声が聞こえる。

 

「ふぅ……レフィーヤは、六年前に起きた、『二十七階層の悪夢』について、どの程度の知識がある?」

 

 無知であったからこそ純粋な目を向けてくれた同胞の少女に、過去が語られる。

 私が、穢れてしまった物語を。

 呪われてしまった過去の物語。

 六年前に起きた、『二十七階層の悪夢』―――敵も味方も区別なく、等しく苦しみ死に塗れた地獄の物語―――その後の物語も。全滅したパーティー。唯一生き残り、そんな不吉な私を受け入れてくれたパーティーが、それから幾つも全滅し、何時しか呼ばれるようになった二つ名の物語。

 男の話す物語は、フィルヴィスの知る限り、最も真実に近いものであった。人の不幸をネタにしたものは、その性質上大げさなものとなってしまいがちであるが、男がレフィーヤに教えているものは、ただ、どうしてフィルヴィスがそう呼ばれるようになったのか、その理由を淡々と語るだけのものであった。話としては全く面白くはないが、噂がどういうものであるのか、何故そう噂されるようになってしまったかを知るのには、わかりやすいものではあった。

 

「そうして、何時の間にか彼女はこう呼ばれるようになった。仲間に死を招き入れる者―――『死妖精(バンシー)』とな」

「『死妖精(バンシー)』……」

「…………これで分かっただろうレフィーヤ・ウィリディス。私はお前が思うようなものじゃない……近づいていいようなものでは、ないのだ。私は……」

 

 自分を見つめるレフィーヤの目には、嫌悪も、忌避も感じられない。ただ、悲しげな色が浮かんでいるだけ。その事に、少しだけ心が浮かばれながら、同時に、決意も硬くなる。こんなにも優しく純真な同胞を、自分の傍にいさせてはならないと。

 

「私は……穢れている」

 

 ハッキリと、口にした。

 伸ばされた手を振りほどくように、拒絶の意思を込めた言葉をもって、レフィーヤ(優しい同胞)を突き放す。

 

「これ以上、私に関わるな。お前まで穢れてしまう」

「ッ!! そんな―――」

 

 背を見せ、離れようとするフィルヴィスに、それでもと、手を伸ばすレフィーヤ。振りほどいた手が再度伸ばされるのを背中に感じながらも、フィルヴィスは足を鈍らせることなく前へと進む。その背中は、硬く冷たい壁を感じさせ、どのような言葉や思いさえも拒絶していた。

 しかし―――。

 

「馬鹿か貴様は」

「っ!?」

 

 それは、剣のような言葉であった。

 硬く鋭く、そして何より冷たい―――言葉()

 どのような言葉も触れる事さえ拒んでいた壁は、刀剣の如き言葉によって切り裂かれた。

 フィルヴィスの意思も意地も誇りさえも、何ら感慨もなく切り裂き捨ててしまう。

 

「……『死妖精(バンシー)』の噂は、周りが勝手にそう言っているだけだと思っていたが、まさか貴様自身がそう考えていたとはな。馬鹿が、関わっただけで人が死ぬ? その理由が『自分が穢れているから』だと? ふんっ、貴様程度がそんな大した存在なわけがなかろう」

「貴様ッ」

 

 続くはずだった言葉は何故か形にならず喉の奥へと消えてしまった。

 知らない内に握りしめていた拳は、今にも自身の力で自分の手をつぶしかねない強さで握り締めていた。

 攻めているのならば迎え撃つ。

 蔑んでいるのならば踏みつけよう。

 同情しているのならば叩き伏せる。

 しかし、この男の言葉にそんな単純な思いは感じられなかった。

 いや、そもそもそんな事は最初からだ。

 この男の言葉に、態度に、雰囲気に、何よりもその目に、自分は最初からこれまで一度たりとも何らかの感情を感じられなかった。

 苦笑? しているのは先ほど見たが、そういうことではない。

 ないのだ?

 感じられなかった。

 先程も、今も、何も―――。

 その顔に浮かぶ形から、奥底に隠れる感情が伺い知れない。

 隠しているのだろうか?

 それとも、そう見えないようにしているだけなのか?

 それとも―――本当に感情がない、のか?

 それは分からない。

 分からない、が。

 気味が悪い。

 まるで、目の前のこの男が、人間ではないナニカ―――ヒトの形をした、精巧な人形のようにさえ見えてしまう。

 

「何を怒る。まさか近づくだけで穢れる等といった戯言を、本気で信じているのか?」

「ッ、それは―――」

 

 男の言葉に、フィルヴィスは唇を苦々しく歪ませ、噛み付かんばかりの勢いでもってシロに詰め寄った。

 

「っ、お前に―――お前に何がわかるっ!!」

「その通り、何もわかりはしない」

 

 男の胸ぐらに掴みかかりかけていた手は、その直前に男の言葉により、ピタリと中空で固まった。

 

「な……?」

「俺が知っているのはお前の噂だけだからな。だが、しかし―――」

 

 掴みかからんと伸ばされるも、凍りついたように固まってしまった自身に向けられた指先をなぞり、男の琥珀色の瞳が、フィルヴィスを貫いた。

 怜悧な刃物(視線)が、するりと真っ直ぐ心の中心へと差し込まれゆく。

  

「お前は、何をそんなに怯えている」

「―――っ」

 

 

 

 

 ―――仲間の声が聞こえる。

 

 モンスターに半身を食われながらも、最後まで逃げるよう叫び続けた仲間の声が。

 

 必死に立ち向かった仲間が、あっけなく引き裂かれて上げた断末魔の声が。

 

 逃げろと叫び、悲鳴を押し殺したまま、モンスターの喉奥へと落ちていく間際に聞こえた―――聞こえてしまった助けを呼ぶ声が。

 

 

 

 

 

「フィルヴィス・シャリア」

「―――ッ」

 

 男が私の名前を呼ぶ。

 硬く、冷たい、鋼のような声で。

 平坦で、何の感情を見せない声が、瞳が、私を粉みじんに切り裂き―――押し殺していた記憶を暴き出す。

 立ち竦み、顔を上げる力もなく俯いたフィルヴィスの髪に、男の声が触れ微かに触れる。

 

「お前は、何を隠して―――」

「―――っ!!」

 

 顔を隠していた黒髪の隙間を、紅い赤光が切り裂いた。それは物理的な圧力と重量を感じさせる程の濃密な殺意を孕んでシロへと叩きつけられた。

 嫌悪、拒絶、いや、排除の意思を抱いたそれに、シロが応じようとしたその一瞬―――

 

 

 

「―――穢れてなんかいません」

 

 

 

 空間が軋みを上げかねない空気の中、レフィーヤの場違いな程に穏やかな声が響いた。

 聞こえてきた言葉の意味が理解できないような、戸惑った顔でフィルヴィスはレフィーヤに顔を向けた。そこには、じっと自分を見つめるレフィーヤの姿があった。

 先程までの、シロとフィルヴィスとの険悪なやり取りなど知らないと言わんばかりに、レフィーヤは何の気負いのない様子でフィルヴィスの前まで歩いていくと、そのまますっと手を伸ばし―――

 

「―――あ」

 

 ―――ギュッと、フィルヴィスの冷たい、氷のように冷え切った手を、両手で包み込むようにして握った。その瞬間、フィルヴィスはビクリと身体を震わせると、まるで、火に手を当てたかのような動きで握られた手を振りほどこうとするが、レフィーヤの手はしっかりと握り締められており、離れる事は出来なかった。

 離れないレフィーヤの手を見下ろすフィルヴィスは、ぐっ、と下唇を噛んで下を向いてしまう。その姿に、レフィーヤは小さく口の端を持ち上げると、フィルヴィスの手を包んだ自身の手を、ゆっくりと自分の方へと寄せた。

 

「―――やっぱり、貴方は汚れてなんかいません」

 

 自分の胸元にまで引き寄せると、自身の体温で温めるかのように、フィルヴィスの両手をその胸で抱きしめると、小さな笑みを口元へ浮かばせた。

 

「それどころか、私なんかよりずっと優しくて、綺麗な人です」

「っな、何を言って……お前も、あいつと同じだ。何も知らない癖に」

「はい。何も知りません」

 

 その言葉は、先ほど(シロ)が言った言葉と同じものだった。

 しかし、それを言われたフィルヴィスには、全く別の言葉に聞こえた。戸惑い揺れる瞳に映るレフィーヤは、恥ずかしそうに笑いながら「だから」と続けて。

 

「これから、一杯見つけます」

「は?」

 

 ぽかんと間抜けのように口を開けたフィルヴィスに向けて。握った手に緊張からか汗を滲ませながら、それでも、真っ直ぐに、レフィーヤは言った。

 

「貴方の良いところも、悪いところも。たくさんっ」

「……」

 

 きょとん、とした顔で固まっていたフィルヴィスは、ふっと、小さな吐息とも笑みとも言えるものを漏らすと、脱力するように身体から力を抜いた。そして、じっと何かを期待するように自分を見つめるレフィーヤに少し細めた目を向けると、笑い混じりの声で指摘した。

 

「それは、結局答えになっていないぞ」

「ですよね」

 

 指摘に、握っていた手を離して頬をかいたレフィーヤは、チラリともう一人の方へと視線をやると、そこには腕を組んだ姿で、何処か眩しげに自分を見るシロの姿があった。その、どことなく距離を感じる姿に、何かを感じたレフィーヤだったが、小鳥が囀るような小さな笑い声が耳に触れると、直ぐにそちらへと顔を向けた。

 そこには、弧を描く口元から笑みをこぼすフィルヴィスの姿があった。

 

「お前は、やはり変わったエルフだ」

 

 そう、肩を揺すりながら、笑い混じりの言葉を告げるフィルヴィスに、レフィーヤは一瞬目を丸くして驚きを示した後、釣られるようにレフィーヤも口元を綻ばせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

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