たとえ全てを忘れても   作:五朗

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第三話 幻

 ―――ぃ―――

 

 

 ――――――ぁ……い―――

 

 

 ―――――――――せん―――い―――

 

 

 

 ―――おはようございます―――先輩…………

 

 

 

 ■ ■ ■ の名を呼び―――

 

 

 

 

「―――っ」

 

 

 

 

 ―――目を覚ます。

 

「………………ぁ?」

 

 開かれた目に映るのは、何を掴もうとしたのか、天井へと伸ばされた浅黒い自分の(見慣れない)手であった。

 夢と現が入り混じる奇妙な感覚に、一瞬目眩を感じ顔を顰める。口の中に感じるのは鉄の味。噛み締めた口元に血が滲んでいた。

 伸ばしていた手を胸元に引き戻し、ゆっくりと身体を起こす。自然と周囲を見渡した視界の中には、眠りこけているヘスティアとベルの姿がある。

 それも仕方のないことだろう。まだ日が昇る前の時間帯、未だ夜は明けていない。

 しかし、そんな時間だというのに、眠気は一切感じられない。

 原因は―――。

 

「……今、のは……」

 

 ベッド代わりのソファーに上半身を起こし、片手で顔を覆い小さく呟く。

 思い出すのは、目覚める前のこと。

 ()が失われる狭間に消えた影。

 意識が世界に浮上するその最中に聞こえた声。

 姿形は見えなかった。

 声、だけであった。

 暗い、闇の中。

 黒に染まった世界の果てから聞こえてきた声は、確かに少女の声であった。

 だが、それがどんな声だったのかは、もう思い出せない。

 低かったのか、高かったのか、怒ったものだったのか、悲しげなものだったのか、嬉しげなものだったのか……何もかもわからない。

 ただ、一つだけ。

 一つだけわかる(、、、)事は―――

 

 

 

 ―――守らなければ

 

 

 

 カノジョヲマモラナケレバ―――

 

 

 

「っ、く―――!」

 

 

 

 

 激痛が―――

 

 

 

 

 ―――ギ、チリ―――

 

 

 

 

 ―――走った。

 

 

 

 

 

 身体の内側から切り刻まれるような、まるで、何十、何百といった刃で全身を切り刻まれるかのような痛み。悲鳴を上げる余裕さえ生まれない閾値を超える苦痛と、寒気―――否、虚無感。

 魂が、別の何かに塗り替えられているかのような。

 自分が自分でなくなるような嫌悪感。

 許容量を遥かに超えるあらゆる感覚の嵐に視界が白く塗り替えられる中、シロが最後に見たのは、美しい菫色の―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――っ

 

 

 ――――――さん。

 

 

 ―――――――――ろさん。

 

 

 

「―――シロさん?」

「っ!?」

「シロさん。どうかしたんですか?」

 

 はっと顔を上げたシロの前には、心配気に首を傾げるベルの顔があった。

 戸惑ったような視線を向けてくるベルに声をかける事なく、シロはどこか茫洋とした眼差しで周囲を見渡し始めた。

 空は既に明るいが、空の端にうっすらと黒い影が見える事から、まだまだ早朝であることは間違いない。日中の人の多い時は歩くのも難しいほどに混雑する商店街を歩く者がまばらだからだ。

 

「シロ、さん?」

 

 何時もと様子が違うシロの姿に、ベルの心配気な声に真剣味が混ざる。

 と、

 

「……ああ。いや、何でもない」

 

 ベルの心配に首を左右に振りながらシロは口元に笑みを浮かべた。

 

「どうやら少しばかり、呆けていたようだな」

「シロさんにしては珍しいですね」

「弁解のしようがない」

 

 小さく肩を竦めるシロに、ベルは何処か嬉しげな笑みを浮かべた。何時も何時も完璧な姿を見せる兄の隙を見つけたかのような心情に、思わず浮き足立ったベルは、その心意気のまま歩く足の速度を早める。そのままシロの前に出たベルだったが、その足は背後からかけられた言葉で止められてしまう。

 

「―――ベル」

「はい?」

「俺は―――いや……やはりいい」

「シロさん?」

 

 後ろを振り返り見上げてくるベルに、シロは苦し気な目で何かを言おうとしたが、直ぐに思い直すように目を閉じる。そして直ぐに目を開けると、ベルの格好と向かう方向を確認するとその横を通り過ぎベルの先へ歩き始めた。

 

「あ、まってくださいよぉ~」

 

 ベルの声を無視してそのまま歩き去るシロの後を、ベルは慌てた様子で小走りに追いかける。

 後ろから追いかけてくるベルの気配を感じながら、シロは早鐘の如く打つ心臓と焦りに満ちた内心とは裏腹な涼しい表情を浮かべていた顔を苛立ちによる歯ぎしりで歪ませた。

 

 

 ―――また(・・)、か……。

 

 

 初めてではなかった。

 こういった事―――記憶の欠落が起きるのは。

 これが起きるのは何時も決まって、何かを思い出した時だけ。だが、思い出したという記憶はあるが、何を思い出したかが思い出せない。覚えているのは、ただただ痛みだけ。そう、何時もそうだ。何かを思い出したと思った瞬間、耐えられない苦痛が襲いかかってくる。痛みのあまりに気絶し目を覚ませば、身に覚えのない事をしている状態で意識を取り戻す。

 まるで、気絶している間、自分が他の何者かになっていたかのようで―――。

 

「「っ!?」」

 

 ベルがシロの背に追いついた瞬間、二人は同時に振り返った。

 二人の視線が、自分の背後を確認する。誰も自分たちを見ていない事を確認した二人は、互いに視線を交わし合う。

 

「……シロさん」

「ああ……視られていたな」

 

 敵意でも殺意でもない。

 かと言って好意的でもなく無機質なものでもない。

 徹底的に、奥の奥。隠された全てを暴き立てようとするかのような。相手の意思も感情も一顧だにしない、無遠慮な視線。

 頭だけでなく足も使ってぐるぐるとベルが忙しなく周囲を見渡すが、視線の主は見つけられない。道の真ん中でキョロキョロと顔と身体を動かすベルに、商店街を歩く者達の奇異の視線が向けられる。しかしベルはそんな視線を気にする余裕はなく、必死な形相で視線の主を探していた。

 

「……ベル。無駄だ」

「無駄、ですか?」

 

 ベルの肩に手を置いたシロが小さく首を横に振った。

 

「もう気配を感じない」

「―――そう、ですか」

 

 シロの言葉に、ベルは逆らわなかった。自分には全く感じられなかった何かを、シロは感じ取っていたのだと信じていたからだ。それほどまでに、ベルはシロに全幅の信頼を寄せていた。気を取り直すように勢い良く顔を振ったベルは、若干青白くなった顔で無理矢理に笑みを作る

 別に、こういった事はベルにとって初めてのことではなかった。

 最近だが、何度となく感じていた。最初はただの気のせいではと思っていたのだが、それが何度となく続けば、流石にベルでも分かった。

 僕は誰かに見られている、と。

 その正体不明の存在に不気味さと恐れを感じるが、シロが大丈夫だと言えば、それも大分和らぐ。

 

「あれ? シロさん?」

 

 不意に聞こえた背後からの声にベルが振り返ると、そこには一人のヒューマンの少女がいた。

 特徴的な服装の少女であった。

 白いブラウスと膝下までの若葉色のジャンバースカート、その上に長目のサロンエプロンを着た少女は、何処かの食堂の給仕なのだろう。これから市場に行く予定なのか、手には大きな買い物籠をぶら下げていた。

 後頭部でお団子にまとめ、そこから馬の尻尾のようにぴょんと飛び出たひと房の薄鈍色の髪をゆらゆらと揺らしながら、その少女は髪色と同色の瞳で戸惑った顔を見せるベルの横にいるシロを見つめていた。

 

「ああ、おはようシル。早いな、店の買い出しか?」

「はい。これから市場へ行くところですが、シロさんはこんな朝早くからダンジョンですか?」

 

 え? え と困惑しながらシロと少女の間で視線をうろつかせるベルをほったらかしに、シロは少女との会話を続ける。

 

「こいつと一緒に、な。そうだ、今日の夜にでも店に顔を出そうと思っているんだが」

「え!? ほ、本当ですか! わあっ、シロさんがお店に来てくれるなんて久しぶりですね。皆喜びますよ。特にアーニャなんて飛び上がって喜ぶと思いますよ。あの子シロさんが大好きですから」

 

 ぱあっ、とシロからシルと呼ばれた少女は笑顔を輝かせた。 

 

「っく、大好き、か。ただつまみ食いがしたいだけだと思うがな」

「は……はは。そ、それは確かに違うとは言い切れませんね」

 

 シロが苦笑いすると、シルも同じような困った顔で笑いながらも、しっかりと頷いてみせた。シロはそんなシルの様子にますます苦笑いを深めたが、気を取り直すように一息つくと、話を切り出した。

 

「まあいい。シル、一つ聞きたい事があるんだが」

「はい?」

「最近【ロキ・ファミリア】は店に来るのか?」

「【ロキ・ファミリア】の皆さんですか? ええ、良くこられますけど、どうかされたんですか?」

 

 ほっそりとした顎に細い指先を当て小首を傾げたシルが、疑問を呈すると、シロはそこでようやくベルへと視線を向けた。

 

「ん? まあ、俺、というかこいつが、な」

「え、っと……?」

 

 シロの視線を追いベルを改めて見直したシルは、説明を求めるようにシロへと顔を向けた。シルの無言の問いに、シロはぼけっとしていたベルの肩を叩いた。

 

「おい、ベル。彼女が働いている店が以前言った心当たりだ」

「え、あっ、そうなんですか。じゃ、じゃあ、その、えっと、は、初めまして。僕はベル・クラネルって言います」

 

 シロの言葉に、おろおろと顔を左右にふらふらと揺らしたベルだったが、胸に手を当て何とか動揺を落ち着かせると慌てて頭を下げて自己紹介をした。そんなベルの様子に目を丸くさせたが、直ぐにその目を笑みの形に細めると、同じように綺麗に頭を下げてみせた。

 

「はい。初めましてベルさん。私はシル・フローヴァです。それで、ベルさんは【ロキ・ファミリア】の方達に何か用があるのですか?」

 

 微笑みながらシルがベルに問いかけると、ベルはもじもじと身体を揺らしながらもごもごと小さく口の中で呟いた。

 

「あ、は、はい。その【ロキ・ファミリア】っていうか、その……アイズ・ヴァレンシュタインさんに……」

「ん? アイズ・ヴァレンシュタイン……って、ああ~そういうことですか」

 

 眉を曲げながらベルの聞き取りにくい小さな声を聞いていたシルは、ベルの言葉の中にあったアイズ・ヴァレンシュタインの名前と、その名を口にした時のベルの様子から事情を察すると、によによとした笑みを浮かべしたり顔で頷いて見せた。

 

「あ、あの、えっと、その、あはは……」

「ええ、【ロキ・ファミリア】の方達が来られるときは彼女も一緒ですよ」

 

 あっさりと自分の企みがバレてしまったベルは、乾いた笑いを漏らしながら誤魔化すように頭をかいてみせた。そんな初心なベルの姿に、シルはふふふと口元で笑う。シルの微笑ましげな者を見るかのような生暖かい視線に、ベルは頬を赤く染めると顔を俯かせていた。

 

「そ、そうですか……」

「『そうですか』、じゃないだろう。まったくお前という奴は……ふぅ、すまないなシル。まあ、そういうわけでな。もし、今夜俺たちが来る前に【ロキ・ファミリア】が来たら出来るだけでいいんだが、足止めをしてもらうことはできるか? 報酬はそうだな。新しいレシピでどうだ?」

「ん~……と母さんに聞いてみないとわかりませんが、多分大丈夫だと思います。以前教えてもらったレシピのお陰で、大分儲けさせてもらったって母さん言ってましたから」

 

 俯くベルの後頭部を叩きながら交渉を持ちかけてくるシロに、シルは「ん~……」と視線を彷徨わせた後、縦に頭を振る。

 

「そうか、それでは頼む」

「はい。それじゃあ、お気を付けて」

「シルも気をつけてな。―――おいベルしゃんとしろ。さっさと行くぞ」

「っわ!? っと、その、あ、ありがとうございました!」

 

 シロが片手を上げ返事をすると、まだ顔を俯かせていたベルの頭を一際強くはたいた。ベルはシロの一撃を受け、目を白黒させながら頭を押さえ慌てて顔を上げると、勢い良くシルへと頭を下げる。恥ずかしいのか顔を下げたおかげで丸見えとなった首筋が真っ赤に染まっていた。赤くなった顔を見られたくないのか、ベルはそのまま顔を下に向けたまま動かない。十数秒ほど様子を見ていたシロだったが、直ぐに痺れを切らすとベルの首根っこを掴み引きずるように都市の中央部、白亜の摩天楼施設へと向かう。歩く速度が速いのか、あっという間に小さくなるベルたちの背中に向けて、シルは大きく手を振った。

 

 

「―――お気を付けて」

 

 

  




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