たとえ全てを忘れても   作:五朗

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エピローグ 空になった酒瓶

 ダンジョン18階層に存在するリヴィラの街。

 宿や酒場に武器屋に薬屋。玉石混合雑多に組み立てられたならず者たちの街は、あの襲撃の(食人花に襲われた)日から随分と立ち直っており、少し前に見た時よりもその雑多な様子は更に混迷を極めていた。

 そんな迷路のような街を泳ぐように、その金色の髪を靡かせながら小走りで走る影が一つ。太陽の代わりに明かりを放つ、天井にある巨大な水晶の光が届かない群晶街路(クラスターストリート)の裏道に入ると、迷いなく岩壁に開いた洞窟へと足を踏み入れた。

 そしてそのまま洞窟の入り口にある看板に示された赤い矢印の指す方向へと進み、軋む木製の階段を数段飛ばしで駆け下りると、耳に飛び込んできた賑やかな騒ぎ声に申し訳なさそうにその額に微かな皺を寄せた。

 貸し切りにしているのか、五つしかないテーブルは一つにまとめられ、そこでは【ヘルメス・ファミリア】のメンバーが酒や食事を飲み食いしていた。

 始めてそれなりに時間がたっているのか、全員が揃って酔っ払った状態で着いたばかりのアイズに誰も顔を向けることなく無邪気に騒いでいる。

 扉も仕切りもないが、ここ―――『黄金の穴蔵亭』の入り口と思われる場所で、宴もたけなわといった様子を見せる【ヘルメス・ファミリア】の一団を前にどう声を掛けようかと立ち尽くすアイズに、酒場の隅にあるカウンターで一人で座っていたアスフィが中身が半分ほど入ったグラスを持ち上げて声を掛けてきた。

 

「【剣姫】、こちらへ」

「すみませんアスフィさん。遅れてしまって。その、レフィーヤも一緒に来るつもりだったんですが、用事が出来たみたいで」

 

 一目でほっとした様子を見せたアイズが、チラチラと騒いでいる【ヘルメス・ファミリア】を見ながらも、アスフィが座るカウンターへ小走りで駆け寄ると、その隣に腰かけた。

 

「いえ、気にしないでください。こちらももう勝手に始めていますし」

「そう、みたいですね」

 

 自身も今まで飲んでいたのだろう。透明なグラスに半分ほど残った酒を揺らしながら持ち上げながらアスフィが笑うと、アイズは小さく笑いながら頷いた。

 その瞬間、何か可笑しな話があったのか、ドッと沸き立つ背後からの歓声にアスフィが浮かべていた笑みを苦笑に変えた。

 

「……すみません。見苦しい者ばかりで」

「あっ、いえ、そんな……大変、でしたし……」

 

 笑い、騒ぎ、大声を上げる彼ら【ヘルメス・ファミリア】の団員達の姿を見て、アイズが感慨深げに呟くと、アスフィもまた、自身の仲間を細めた目で見つめながら小さく頷いた。

 

「確かに……誰も死ななかったのが本当に信じられないくらいです」

「私が、あの時分断されなかったら―――」

 

 あの騒いでいる者達の中には、自分がいない間に致命傷を負った者も少なからずいる。

 もし、その場に自分がいれば、とその思いに駆られ、思わず漏れた声にアスフィが小さく首を横に振るった。

 

「仮定の話をすれば切りがありませんよ。それに、誰も死なずにすんだ―――それで十分です」

「……ですね」

 

 アスフィの言葉に、最悪の状況を想像し固くなりかけていた体から力を抜いたアイズは、緩んだ気持ちに流されるように酒場の中をぐるりと見回した。  

 

「どうかしましたか?」

「あ、その……あの人は」

 

 誰かを探すような動きと視線に、疑問を持ったアスフィが声をかけると、アイズは少しの期待を込めた声で返事を返す。

 

「……シロ、さん―――ですか……」

 

 しかし、目を伏せるような仕草を見せたアスフィの姿に、アイズは答えを聞く前にその結果を理解した。

 

「やっぱり」

「ええ。一応【ヘスティア・ファミリア】へ行ったのですが。どうも最近姿を見せていないそうで」

「あれから……」

「そうですね。会えていません。そちらは?」

 

 アスフィの探るような視線に小さく首を横に振る。

 

「私も……少し、聞きたいことがあったんですが」

アレ(・・)、ですか」

 

 アイズの言葉に、アスフィの脳裏に紅い炎の姿が浮かび上がる。

 魔導師―――それも大魔導師と呼ばれる者が長い詠唱を掛けて放ったかのような極大の業炎。

 事実、直後に放たれた【千の妖精】の【レア・ラーヴァテイン】と比べても遜色がないほどに。

 しかしそれは、あり得ない筈なのだ。

 何故なら―――。

 

「……あの炎―――本当に」

「はい。間違いなく【魔剣】です」

 

 疑いを多分に含んだ声で、恐る恐ると言った様子で尋ねてくるアイズに、アスフィは手に持ったグラスの中に揺れる琥珀色の液体に目を落としながら頷いた。

 

「でも、あの力は……」

「彼女の―――【千の妖精(サウザンド)】が直後に魔法を使いましたので、正確な威力はわかりませんが……」

 

 アスフィの言葉であっても俄には信じがたい事実に、アイズの戸惑った声が上がる。

 それに内心同意を感じながらも、自分の目で見た事実を否定することも出来ず、あの光景を知らず思い返したアスフィの額には、その胸に渦巻く疑問のように深い溝が生まれていた。

 

「……あの【魔剣】は」

「元々あれはそこの彼女―――ネリーの魔剣です。ですが、私の知っているのは、短剣型だったはずなのですが……」

 

 彼が振るった【魔剣】。

 もしかしたらそれが特別な物なのでは、という言外の質問に、その答えを知るアスフィは顔を上げると後衛のリーダーでもあるヒューマンの少女に視線を向けた。

 アイズも釣られるように向けた先で、その少女は酒で顔を真っ赤にしながら覆面を被った大きな男と杖の代わりに大きなジョッキを持ったパルゥムの少女をその細腕で抱き締めて笑っている。

 その光景に、難しい顔をしていた口許を緩ませたアイズだったが、耳に残っていたアスフィの言葉の中から小さな疑問が生まれ思わず声に出していた。

 

「短剣?」

「ええ……短剣です。それがいつの間にか長剣までの大きさに―――いえ、それだけでは、っあれは一体……?」

 

 その小さな呟きを聞き取ったアスフィが、アイズが疑問に思っている事に思い至りながら、あの時の光景を思い返す。

 あの時―――彼が掲げるように振りかぶった小さな短剣が、成長するように巨大な長剣へと変化したあの時の事を。

 まるで、植物がその身を伸ばすかのように、蛹が羽化するようなあの時の光景は―――。

 

「何かの【魔法】?」

「その可能性が一番高いかと―――ですが、そんな【魔法】聞いたことは……【剣姫】あなたは?」

 

 自身の思考に落ちかけたアスフィを、アイズの疑問の声が釣り上げた。

 はっと、するように顔を上げたアスフィは、アイズの言葉に内心で納得出来ないながらも頷きを返す。

 

「確かに似たような事を彼が使ったのは見たことありますが、でも……【魔剣】をあんな風に出来るなんて……」

「はい―――余りにも逸脱している」

 

 帰ってきた返事は、アスフィも納得できるものであった。

 何にでも規格外というモノは存在する。

 自身も持つ【飛翔靴(タラリア)】もその一つだが、彼のそれは似ているようで似ていない。

 微かな―――しかし決定的な何かが自分達の知るそれとは違っている。

 ある意味、彼女―――アイズの【魔法(エアリエル)】に似ているかもしれない。

 そう思いながら、アスフィは隣に座る、疑問を浮かべ中空を眺めるアイズを横目で見た。

 

「……シロさんは、本当に何者なんでしょうか……」

「……あれから、私なりに調べてはみたんです」

 

 天井から酒場を照らす光を目を細目ながら見つめ囁くように問われた言葉に、アスフィも同じく天井を見上げながら返事をした。

 返ってきた返事に細めていた目を驚きに開いたアイズが、期待を込めた視線を向けてきたのを感じながらも、アスフィはそちらの方へ顔を向けることはなかった。

 

「え?」

「ですが、結果としてわかったのは『何もわからない』ということでした」

 

 何故ならその期待には応えられないからだ。

 それなりの情報通の自信があったそれが、木っ端微塵になるくらいは、調べた結果は惨憺たる有り様であった。

 

「『何もわからない』?」

「はい。彼がヘスティア様と契約した後ならいくらでもあるのですが、その前―――迷宮都市(オラリオ)に来る以前の情報が全くありません」

「それは……シロさんが迷宮都市(オラリオ)出身とかじゃ―――」

「勿論ありません」

「……それは」

「まるで、ある日突然現れたかのようで……」

「…………」

 

 アイズの自分で言いながらもその可能性はないだろうという気持ちが多分に含んだそれに、同意として否定の言葉を向ける。

 アスフィは、続く言葉が浮かばず視線を揺らがせるアイズに、自分が得た事実から考えられる答えを口にするが、それは言い切られる前に尻すぼみに消えていく。

 長くはないが、短くもない無言の時間が過ぎる。

 二人の脳裏には、同じ人物の姿が浮かんでいた。

 赤い外套を靡かせて、背中を向けて立つ一人の男の姿。

 何者にも縋らず巌のように立つその姿は、まるで―――。

 想像というよりも妄想に近い考えにアスフィが耽っていると、何時の間にか自分を見つめるアイズの視線に気付いた。

 罰の悪い気を感じながらも、それを見せない何時も通りの無表情(ポーカーフェイス)でアイズに顔を向ける。

 アイズはそんなアスフィの僅かな葛藤に気づく様子も見せないまま、何か言いにくそうな様子を見せていた。

 

「アスフィさんは、シロさんを―――」

「恩人、ですね。彼のお陰で死なずにすんだものがいます。この借りは何時か返さなければいけません。ですが……」

 

 続く言葉が自分にも口にする本人にも嫌なものだと敏感に感じ取ったアスフィは、遮る勢いでアイズへと返事を返す。

 その勢いと声の調子に察しの良くない方であるアイズも、何とはなしにそれに気付くと、乗っかるようにアスフィの言葉に相づちを打つ。

 

「今、何処に……」

「それなりに探したんですが、少なくともあれ以降迷宮都市(オラリオ)で姿を見たとの話は聞きませんでした」

「じゃあ、ダンジョンに?」

リヴィラの街(ここ)でも姿は見ていないそうです。一時期は良く姿を見せていたそうですが、あれ以降は一度も、らしいです」

「じゃあ、なら本当に今何処に―――」

 

 地上(オラリオ)にも地下(リヴィラの街)にもいない。

 噂にもならない只人ならともかく、色々と噂の的となっている彼の情報が欠片も得られないのは、アスフィには納得がいかなかった。

 少なくとも、ダンジョンから出るならば、バベルで誰かに見られている筈だが―――そういう情報を専門に扱う情報屋もあれ以降新しい情報は手に入っていないらしい。 

 アイズの言葉ではないが、じゃあ、本当に今彼は何処に……

 そう二人が深まる謎と疑問に無言のまま考えに耽っていると、アイズの背中に衝撃が走った。

 

「ああっ!!? アイズじゃんっ!! 何時の間にっ?! んん? なあんだぁあ~っ!? そんな暗い顔してっ!? ほら飲めっ!! 飲みまくれぇえ~っはっはっはっ!!」

「わっ、え? あの―――」

 

 考えに耽りすぎたせいか、それとも相手に欠片も敵意がなかったからか、それともその両方からなのか、背後からの衝撃に不意を突かれた形となったアイズが慌てて後ろを振り向くと、そこにはジョッキを片手に自分の首へ腕を回すルルネの姿があった。

 

「ほらほらこっちっ! こっちおいでよ! みんなぁ~! 【剣姫】が来たよぉ~!! ってキークスあんたもう飲みすぎでしょっ! あんた腹に穴空いてたんだよ!」

 

 首根っこに抱きつくようにして捕獲したルルネが、無理矢理逃げ出すことも出来ず戸惑ったままのアイズをそのまま引きずるようにして【ヘルメス・ファミリア】が集まる一角へ引きづり込んでいく。

 そのままテーブルの近くまで連れていくと、アイズから体を離したルルネは、飲むというよりも被る勢いでジョッキを煽るキークスに気付いて呆れ混じりの非難の声を向けた。

 

「いいじゃんいいじゃん! っんぐんぐっ!! かぁあ! アスフィさん手製の薬でもう元気一杯だからだいじょおうぶっ!?」

「おおっ! 美人が増えるのは大歓迎ですぞ。ふふふ、ほれほれ某の隣に―――」

 

 ルルネの非難を片手でいなしながらも飲み続けるキークスは、明らかに調子に乘った勢いで空になったジョッキを投げ捨てると、隣に座るホセの前に置いてあったジョッキに手を伸ばそうとするが、先の一杯で限界を越えたのか赤ら顔が一瞬で青色へと変化し始めていた。

 そんな隣の様子に気付いた様子を見せず、自身のジョッキを取られた事にも気付いた様子も見せることなく、近くにあった椅子を自分の横へと移動させながらアイズを誘うホセ。

 しかし、それを遮るように椅子を掴んだドワーフのエリリーが、そのまま椅子を持ち上げて自分の横へとそれを置くと。バンバンと軋む音を鳴らせながら椅子を叩きアイズを誘った。

 

「何言ってるのよこの酔っぱらいっ! ほらこっちおいで。女は女同士飲みましょうよ。あなたのそのスタイル。絶対何か

やってるでしょっ! やってないって言ってたけど! 私信じないからぁっ!?」

「あらあら、エリリー何やってるのよ。もう、ほらこの水飲みなさい」

 

 自分で言いながら、唐突に泣き崩れるエリリーに、慈母のような笑みを口許に浮かべたパルゥムのポットが妙にぬめった光沢を放つ透明な液体が入ったグラスを差し出した。 

 

「ちょ、ポットそれ水じゃ―――」

「いいのよポック。これで酔い潰しているから、あんたはさっさと【剣姫】と話をしてきなさい」

 

 背後から向けられる弟であるポックの突っ込みを背中を向けながらあしらうと、器用に首を動かしてルルネから解放された位置から動けずに立ち尽くしているアイズを指し示した。

 

「な、何でそんな―――」

「あら? 【団長】さまのお話が聞きたかったんじゃないの?」

「ぐっ」

 

 ポットの言葉に、酒で赤らんでいた頬をますます赤く染め上げながらも、ポックは否定の言葉を口にせずそのまま無言でアイズの下へと歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………あそこから抜け出すのは難しそうですね」

 

 時間経過と共に【ヘルメス・ファミリア】の中に姿を消していくアイズに、何処か安堵が滲んだ声で呟いたアスフィは、未だ口をつけていないグラスを目の前まで持ち上げると、それをゆっくりと揺らし始めた。

 あそこへ行く直前、ここで皆で飲んだお酒の残り。

 帰ってきたら全員で残りを飲むために半分残したボトル。

 それは、つい先程アイズが来る前に全員に分けて飲んでしまった―――自分以外は。

 あの時、飲んだふりをして口をつけなかったのは何故なのだろうか……。

 一人カウンターに座り、揺れるグラスの中の波を見つめる。

 琥珀。

 彼の瞳の色と同じ。

 最後に見たのは、あの時―――。

 アイズとベートとの共闘により追い詰められたあの赤い髪の女が、逃げるために食料庫(パントリー)の要である大主柱を砕いたあの時。崩壊する食料庫(パントリー)から負傷と疲労からまともに動けなかった私達の代わりに負傷者を連れて脱出した後、彼はお礼を伝える間もなく気付けば姿を消していた。

 まるで、全てが幻であったかのように…………。

 

「【最強のレベル0】、ですか…………」

 

 揺れる琥珀の水面が収まっていくなか、ポツリと呟かれる言葉。

 【最強】―――最も強い。

 【レベル0】―――最も弱い。

 矛盾した言葉。

 でも、ある意味でこれ以上ないほど彼を示しているのかもしれない。

 レベル1でありながら【二つ名】を持ち。

 それに【レベル0】という言葉が含まれている。

 そう言えば、この二つ名は神が名付けたわけじゃないらしい。

 彼が主神(ヘスティア)と契約する前に、真実レベル0であった頃、複数の冒険者と戦いそれに勝利したことから誰かが言い始めたと聞く。

 もしかしたら、この二つ名を口にした者も、今の自分と同じ気持ちがあったのかもしれない。

 

 そう、きっとその誰かも、神の加護なく自身の力で戦い抜く彼の姿に―――。  

 

 口元に浮かんだ感情を隠すように、グラスに残った最後の残りを一気に呷ったアスフィは、吐息と共に何処か幼さを感じさせる緩やかな声で誰に告げるでもなく呟いた。

 

 

 

「まるで、【古代の英雄】のようですね…………」

 

 

 

 ―――【英雄】の姿を見たのかも、しれない…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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