たとえ全てを忘れても   作:五朗

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第二話 変わらない―――変われない【夢】

 それは、全くの偶然が重なりあった結果であった。

 その日、彼女は間近に迫る『遠征』のための物資の準備のため外に出ていた。回る先は事前に決まっており、最終調整のために回るだけの予定で、日が落ちる前には十分にホームに戻れる筈であった。

 しかし、最後に回った店で、連絡ミスがあったのか用意していた荷物が届いておらず、思いの他時間がかかってしまったのだ。遅くなると感じ、同行していた者に遅くなることをフィンに伝えるよう頼み、伝達に出した者はそのまま帰宅させたのだが、その直ぐ後に、頼んでいた荷物が届いてしまった。

 このまま帰るのも何だと思い、今日の食事は外でとるかと歩いていた時の事だった。

 

 ―――あの男を見かけたのは。

 

「―――っ」

 

 日が落ちる間近。

 黄昏に染まる迷宮都市(オラリオ)の中の、更に人混みの隙間に僅かに見えただけのその姿。

 普通ならば本人かどうかわからない。

 そんな刹那の出会いに、何故か私は確信を持って―――気付けば声を上げていた。

 

「シロ―――」

 

 手を伸ばしても届かない距離。

 ざわめいた群衆の中では大きな声を上げても届かないだろうに、上げた私の声は思いの他小さかった。

 咄嗟に再度声を掛けようと口を開いたが、それよりも先に彼が振り返るのが早かった。

 

「リヴェリア、か?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 微かな音色が流れるそこは薄暗い店の中であった。

 オーク調を主にした落ち着いた店の装いは、一目で高級とわかる気配を漂わせている。

 店内には5~6Mほどのカウンターの他に、離れた位置にある数席のテーブルがあるだけ。

 しかし、仕切りがある訳でもないのに、他に感じられる客の気配が酷く曖昧に感じられた。

 狭くはないが、極端に席の数が少ない。

 何か魔法道具(マジックアイテム)を使用しているのか、他にいる筈の客の姿や声がはっきりしない。

 何処かから聞こえてくるハープの音色もまた、奏者の姿はなく、これもまた何処かで弾いているのか、それとも道具で鳴らしているのかもわからない。

 確かにわかるのは、カウンターの奥にいる店主の初老のヒューマンの男と、隣に座る相手の姿だけ。

 明らかに密会を主にした店とわかる中、シロはガラスかクリスタルか透明だが微かな明かりを複雑に反射させるグラスに入った酒を片手に揺らしながら、その香気を感じつつ右隣に座るエルフに声をかけた。

 

「ここには良く来るのか?」

「ある程度『ファミリア』が大きくなれば、こういった場所を自然と知る事になるからな」

 

 隣に座るエルフ―――リヴェリアもまた、カウンターに置かれたままのグラスの先を指でなぞりながら応えると、すっと目を細め隣に座る男に目を流した。

 

「それにまぁ―――個人的に使うことも少なくはないし、な」

「ほう」

 

 意外そうに微かに口元を歪めたシロに対し、遮るように左手でグラスを持ち上げてみせる。

 

「言っておくが、その時は一人だぞ」

「ふ……わかっている。有名人は大変だな」

 

 そのまま肩を竦めグラスに揺れるもので口を湿らせたリヴェリアは、返ってきたシロのからかうような口調に、すっと男の姿を一瞬で下から上まで確認する。

 ここ(・・)ではあまり気にならないが、奇抜な格好をする冒険者の中でも目を引くだろう赤を基調とした軽装甲の姿と、何よりその身に漂わせる圧力染みた存在感の強さに、リヴェリアもまたからかうように鼻を鳴らした。

 

「ふっ……それはお前もではないのか?」

「顔は知られてはいないからな」

 

 空いた手で軽く自身の頬を叩き、燻らせていた酒を一息に飲み干したシロは、コツンとカウンターの上に空になったグラスを置いた。

 

「で、何か私に用でもあるのか?」

「なければ駄目だったのか?」

 

 少しばかり固い問いかけに気付きながら、リヴェリアは再度カウンターの上に戻したグラスの端を指先でつつきながら返事を返す。

 疑問が混じった返事の中に微かな寂しさを感じ、シロはぐっと息を詰めた後、ため息と共にばつが悪そうに空になったグラスに目を落とした。

 

「……そう言うわけではないが」

「まあ、礼もあることだし、な……」

「礼?」

 

 顔を上げるシロの視線を酒の入った瓶が横切る。

 リヴェリアが席につくなり店主の男が置いていた酒瓶だ。

 薄い緑に色付けされた、これもまた一つの芸術とも思える細工がされた瓶である。樹木をテーマにしているのか、持ちやすいように作られれながらも、彫られた葉の一つ一つに葉脈さえ刻まれている見事なものだ。

 空になったグラスに注がれる酒の色は無色透明。

 漂う香りは殆んどなく、微かに清涼な緑を感じられる不思議なものだが、味は間違いなく一級品である。

 

「借りとも言えるか、最近ではレフィーヤやアイズの事で迷惑をかけたようだ」

「…………」

 

 ゆっくりとグラスに注がれる酒を見下ろしながら無言のまま返事を返すシロに、リヴェリアは注ぎ終えた瓶を置くと自分の分のグラスを手で持ち、注ぎ終えたグラスの縁に軽く打ち合わせた。

 

「大丈夫だ。私も事情を知っている。少なくともフィンたちも大体は把握している」

「―――仕事をしただけだ」

 

 チン、と金属同士がぶつかり合ったかのような音の残響が消えると、シロはまだ微かに震えるグラスを持ち上げた。 

 

「仕事か……だが、それでも助けられたのは確かだ。表だって何かが出来るわけでもないが―――」

 

 その拒絶を感じる姿に、しかしリヴェリアは苦笑ながらも笑みを浮かべると、またグラスに軽く口を付けて天井に注がれる微かな魔法の光に目を向け考えるように目を細めた。

 リヴェリアが納得していない様子に、シロもまたグラスの中を少しだけ口に入れると、胸中に濁る思いと共にそれを飲み下して一つの頼みを向けた。

 

「―――礼というのなら、あいつのことを目を瞑ってもらえれば助かる」

「何のことだ?」

 

 シロの言葉の意味がわからず、思わず小首を傾げてしまう。

 さらりと髪が涼やかな音をたてる。

 その音を耳に、シロは視線をグラスの中に向けたまま『礼』の続きについて語った。

 

「うちの―――いや、ベル、ベル・クラネルのことだ」

「ああ、あの。で、目を瞑れとは何だ?」

 

 「目を瞑れ」という少しばかり不穏な言葉と、リヴェリアの脳裏に浮かんだ純真無垢とばかりな真白い少年の姿が重ならない事に、思わず声色の中に戸惑いが混じっていた。

 

「最近、そちらの剣姫に色々と教わっているようだ」

「……あいつめ」

 

 一瞬にしてリヴェリアの纏う雰囲気に物騒なものが混ざった。

 静かに、しかし重々しいその呟きは、聞くものが聞けば体の震えを止めることはできないだろう。

 勿論、その中に件の人物がいることは言うまでもない。

 

「そう怒ってやるな。本人も問題をわかっていないわけでもないようだ。朝早く人目のつかないところで鍛えてやっているようだしな。それに、元々の要因は私にもある」

 

 他の『ファミリア』の者に色々と便宜を図ることは珍しいことではあるが全くないわけではない。

 仲が良い『ファミリア』同士ならば、訓練だけでなく物資の融通もすることもある。

 しかし、リヴェリアの所属する『ロキ・ファミリア』と『ヘスティア・ファミリア』はその主神同士の仲がよろしくはない。

 ならば、それを知られれば色々と面倒くさい事になるのは間違いないだろう。

 それを知っているシロがフォローするように眉間にシワを寄せ始めたリヴェリアに声を掛けるも、その皺が緩むことはなかった。

 ばれたら―――他の団員は兎も角、主神であるロキに知られれば、そのとばっちりを受けるのは間違いなく副団長である自分だとある種の確信を抱いたリヴェリアの思わず出た声が物騒なモノとなるのも仕方がないことだろう。

 そういった諸々の感情をグラスに入った酒と一緒に一気に飲み干したリヴェリアは、睨み付ける勢いでもってシロを見た。

 

「そうだな。何故自分で教えない」

「基礎の基礎は教えてはいたが、あいつの成長は急すぎた―――本格的に鍛え始める前だったからあいつも鍛練の方法がわからないんだろう」

「だから、今からでも自分で教えればいいだろう」

 

 空になったリヴェリアのグラスに、今度はシロが酒を注ぐ。

 ゆっくりと注がれる酒に視線を向けることなく睨みつけてくるリヴェリアから逃げるように注がれる酒へと目を向けていたシロだったが、とうとう注ぎ終えてしまうと観念したように残り僅かとなった酒瓶を横へ置いた。

 

「事情があってな……色々と…………」

「っ―――まあ、それでお前が納得するならこちらとしても何か言うつもりはないが……」

 

 大切な、それも主神を除けばたった一人の【ファミリア(家族)】の事だ。

 普通ならば他の、それも別の【ファミリア】の者に任せたりはする筈がない。

 それが分かるからこそ、リヴェリアは何か言いたくても口にすることはできなかった。

 シロにか、それとも自分にかは分からない苛立ちに、衝動的に注がれたばかりの酒をまたも一気に仰いだ。

 

「感謝する」

「それで借りを返せたとも思えんがな」

 

 小さく頭を下げるシロに、段々と酒精が混じり始めた吐息を溜め息と共に漏らす。

 

「いや、十分だ」

「そうは言うが、多分だが、アイズも何か考えがあって教えているのだろうからな。やはりそれだけというのも、こちらの具合が悪い気が…………」

 

 横目で見たシロの殊勝な態度に、少し感情的になっていた自分に罰の悪さを感じたリヴェリアが思わず顔を背けてしまう。

 この話題は終わりだと言外に伝えるリヴェリアの意思を感じ、シロが当たり障りのない話題を向ける。

 

「そこまで気にしなくてもいいと思うが…………それより、そんな事を気にしている余裕はあるのか。噂に聞こえているぞ『遠征』が近いと」

「既に準備は殆んど終わった。後は予定日まで最終調整といったところだ」

「59階層か」

 

 背けていた顔を戻したリヴェリアが、不敵な笑みを浮かべシロを挑戦的に見返した。

 その目は強い輝きが灯っていた。

 誰もまだ足を踏み入れていない階層は、踏破された階層と違いあらゆるものが未知で満ち溢れている。

 危険は勿論の事、新たな素材、モンスター、貴金属―――そして景色(世界)もまた。

 

「そう『未踏達階層』だ」

「『まだ見ぬ世界』、か」

 

 少し興奮したような口調のリヴェリア。

 何時もの冷徹にも感じられる普段の様子から掛け離れたリヴェリアの姿に、シロがからかいとは違う何処か優しげな笑みが混じった声に向ける。 

 

「っ、お前……」

 

 その声音に思わず声を荒げかけたリヴェリアだったが、グラスを片手に何処か遠くを見るシロの姿を見て、続く言葉をなくし黙り込んでしまう。

 

「何だ?」

 

 酒が回ったのか、声を上げるも雪のように白い頬に朱を混ぜさせ黙り混んでしまったリヴェリアの姿に、シロが不思議そうに首を傾げる。  

 

「……いや、何でもない」

 

 蚊の鳴くような小さな声で返事をするリヴェリアに、シロは疑問を払うようにグラスに残った酒を左右に振り始めた。

 

ここ(オラリオ)にいれば、ある意味『夢』は叶い続けるようだな」

 

 開いた口から出たのは、少し前に聞いた筈なのに、随分昔に聞いたかのように感じるリヴェリアの『夢』について。

 なに不自由のない王族としての暮らしを飛び出して、外の世界へと向かった理由()の事。

 『まだ見ぬ世界を』―――狭い窮屈なエルフの世界を飛び出した原動力にして『夢』そのもの。

 

「ああ、そうだな。勿論、こんな所で終わるつもりもないが」

 

 自然と笑みの形となっていく口許を横目で見ながら、シロもまた小さく笑った。

 

「世界は広い。その(まだ見ぬ世界を見る)は、終わることはないが、叶い続けるものでもあるな」

 

 『未到達階層(まだ見ぬ世界)』だけではない。

 何時かは未知に詰まった迷宮都市(オラリオ)すら飛び出して、またもう一度外の世界(まだ見ぬ世界)を回る。

 それが彼女(リヴェリア)の夢。

 

「……それは、お前もじゃないのか」

「…………」

 

 ポツリと、そう呟かれた言葉は、シロが浮かべていた笑みを解かすように消し去った。

 

「実際、お前は救っている。私が知るだけでも両手で数えきれないぐらいのな。自覚しているのかしていないのかはわからないが、お前は普通に冒険者をしていたのでは考えられない数を救っている」

 

 シロの身に纏う気配が変わったことを気付きながらも無視してリヴェリアは言葉を続ける。

 視線はカウンターの向こう。

 並べられた数えきれない幾つもの酒瓶へと向けられていた。

 隣に座る男がどんな顔をしているのかはわからない。

 ただ、笑っていないことは明らかだろう。

 リヴェリアは、その事に理由がわからない胸の痛みを感じながら、それでも口を止めることはなかった。

 

「もう長い間ここにいる私よりも多くの、な」

「…………」

「―――辛くは、ないのか」

 

 無言の間を作るのを嫌がるように、咄嗟に口から出た言葉は、以前から感じていたものであった。

 

「辛い?」

 

 ―――なにもなかった。

 本当に『辛い』と感じたことがなかったのだろう。

 返ってきた言葉には、ただ―――虚をつかれたかのような声だった。

 

「何時も、救えるわけではない筈だ」

「…………」

 

 無言は、肯定だろう。

 どんなに強くとも、どれだけ速かろうとも、何時も窮地の誰かを救えるわけではない。 

 

「何時も間に合うわけでも、助けられるわけでもない」

 

 今もまた、同時に、何処かで、複数ヵ所で誰かが窮地に陥っているだろう。

 危機に間に合ったとしても、溢れる命を救い続ける事など出来る筈がない。

 何時かは(何時も)―――きっと彼は取り零している。

 その想い(願い)とは裏腹に。

 

「感謝されるだけでもない筈だ」

「…………」

 

 無言の肯定は続く。

 大事な者がいなくなれば、例え命の恩人だとしても責めてしまう者は多い。

 見当違いとわかっていても、感情とは儘ならないものだ。

 例え窮地に駆けつけ自分を救ってくれた『正義の味方』であっても、間に合わなかった仲間がいれば『間に合わなかった(救ってくれなかった)(正義の味方)を責め立てる者もいる。

 それは―――仕方のないことだ。 

 

「まだ、続けるのか」

「…………」

 

 無言は続く。

 

「……すまない。別に説教するつもりはなかったのだが」

 

 微かに聞こえていたハープの音色も、もう聞こえない。

 無言の―――静寂が二人の間に満ちる。

 横目でも隣を見ることが出来ず、空になったグラスに視線を逃がしていたリヴェリアに―――

 

「飲みすぎてしまったか……」

「―――俺は、変わったか……」

「え?」

 

 かすれた声が向けられた。

 

「お前の目から見て、俺は、変わったように見えるか」

 

 咄嗟に横に向けた視線の先で、淡い光を漂わせる天井を見上げているシロの横顔があった。

 細めた目はここではない何処かを見るように遠くに視線を向け、僅かに寄った口元は、何処と無く苦しげに引き締められているように感じられた。

 

「……シロ」

「―――すまない。久しぶりに飲んだせいか、どうやら私も酔ってしまったらしい」

「そう、か…………」

 

 思わず上げた声に、シロの口元がほどけ言い訳をするように苦笑い混じりの声が返ってくる。

 しかし、リヴェリアの瞼の裏には、一瞬目に入った虚無が浮かぶシロの瞳が焼き付いていた。

 それでも、リヴェリアは言及することが出来ず頷きながら言葉を尻すぼみに消していく。

 頷きに傾いた顔はそのまま下に向けられたまま動かない。

 さらりと二人の間を遮るように、溢れた髪がリヴェリアの横顔を隠してしまう。

 互いに言葉を繋ぐ事が出来ず、酒も二つのグラスの中にはない。

 シロの手がカウンターに触れ―――

 

「そろ―――」

「―――変わっていない」

 

 腰を上げようとした時、緑の奥から小さくもはっきりとした声が返ってきた。 

 

「―――」

「私は、そう思う」

 

 思わず座り直したシロが、横目で隣を見る。

 リヴェリアは動かず、その遮りから向こうの横顔は朧気で、どんな顔をしているのかはわからない。

 その声もまた、感情によるブレが感じられず。

 それは抑制したような、不自然な硬質さを感じさせた。

 

「変わっていない、か……」

「お前は、そう思っていないのか」

「どう、だろうな」

 

 リヴェリアの疑問に、自身に問いかける。

 これまで―――今まで何度となく問い続けた。

 

 自分は、変わったのか?

 

 自分は、変わっていないのか?

 

 ―――それとも、戻ったのか?

 

 いや―――そもそもオレニハ―――

 

「変わったのか、変わっていないのか……そもそも変わったと言えるようなモノが、もとからあったのか……」

「『夢』は、どうなんだ……今でも、お前の『(全てを救う正義の味方)』は変わっていないのか?」

 

 問いかけるリヴェリアの声に震えが混じり出す。

 苛立っているような、怒っているような、悲しんでいるような―――複雑で、そして単純な感情が混じった震え。 

 出来ることならば、今すぐその震えを止めたいが、どうしてもそれはできなかった。

 言い繕うことは出来るだろう。

 しかし、彼女はそれを決して認めないだろう。

 そんな予感が、確信めいたものがあった。

 だから、何も言うことが出来ず。

 ただ、黙り込むしかなかった。

 

「…………」

「『正義の味方』になる、か―――言葉にするのは容易いが、それの意味するところを突き詰めれば、答えのでない複雑で困難な道だ」

 

 真っ当で、真っ直ぐな気性の持ち主ならば、いや、幼い小さな頃、誰もが一度はふと夢にした事もあるかもしれない。

 そんな綺麗で純心な想い(願い)は、現実という重みの前に地に落ち汚れて潰れてしまう。

 過去―――この迷宮都市(オラリオ)にも【正義】を掲げる者達は多くいた。

 しかし、今はいない。

 たった一つの正義などなく、彼ら彼女らは多数によって最後には消えていってしまった。 

 

「絶対的な正義というものは存在しない。立場で、状況で、境遇で―――立ち位置によって常に『正義』は変わってしまう。そう、人を襲うモンスターにとって、私たち(冒険者)が悪であるように、絶対的な正義など何処にもありはしない」

 

 そう、あのモンスターでさえ絶対悪ではない。

 三大冒険者依頼の最後の一つ―――【隻眼の竜】さえも崇める者達もいるのだ。

 あらゆる者達の中に正義はあり、それは似ているが一つ一つ全てが違っている。

 それを皆、自覚しながらも―――自覚していない。

 

「そんなこと、お前もとうに理解しているだろう」

「ああ……」

「…………っ、それでも、お前は目指すのか、『正義の味方(全てを救うこと)』を」

 

 誰も彼も救いたい。

 そんな余りにも真っ直ぐで当たり前な【願い()】を持つ者だからこそ、きっと誰よりも理解している。

 そんな事は、不可能だと。

 

 何故―――

 

 どうして―――

 

 何で―――

 

 お前は、目指すのか…………。 

 

「感謝もされず、利用され、裏切られ、結果なにも為せず朽ちることになるかもしれない、それでも……」

「―――それでも」

「っ」

 

 ナニかが、切れた気がした。

 怒りか―――

 悲しみか―――

 それとも、それ以外のナニかか―――?

 閾値を越えて、その衝動のままに何かを言おうと顔を上げて―――

 

それしか(・・・・)、ないからな」

「―――――――――」

 

 見て、しまった。

 

「…………『それしかない』って。シロ―――お前それは」

 

 何か、何かを言わなければという恐れにもにた焦りのままに上げた声には、すがるようなそれで―――自分でも情けないと感じるような弱気な声で…………。

 視線は動かせず、まるで魔法でも掛けられたように動かない。

 

「リヴェリア」

「―――」

 

 静かなその声は、まるで堅い、固い、硬い―――剣のようで。

 

「それしかないんだ」

「お前―――」

 

 震えの一切ない。

 迷いが感じられないそれは、無機質で。

 

「すまないな」

 

 なのに、何故か、酷く脆くも感じられ。

 それはきっと、自分を見つめる瞳の奥に―――

 

「遠征を前に気を悪くさせてしまったようだ」

「待て、シロ―――っ」

 

 息を飲んでいることしか出来ないでいる間に、シロはカウンターにジャラリと明らかに多目の代金を置くとその場を立ち去るために席を立った。

 そのまま背中を向け逡巡することなく立ち去ろうとする彼の背中に、胸を突く衝動のままに声を掛ける。

 しかし、続く言葉は出ない。

 このまま行かせてはいけない。

 確信めいたその感情が赴くまま―――何時もの冷静で理性的な意思から外れたところから続いた言葉は―――

 

「―――っ『ファミリア』はっ! ヘスティア様はっ、ベル・クラネルはどうなんだっ!」

「……………………」

 

 淀みなく進んでいた彼の足を止めた。

 数歩だけ進んだ先。

 手を伸ばしても僅かに指先が届かない。

 そんな間近といってもいい距離が、余りにも遠く、断絶しているように感じられる。

 

「彼らは―――お前の『ファミリア(家族)』だろう」

 

 繋ぎ止めるように吐き出した言葉は、微動だにしない背中に当たり何処へ行ったのか。

 一体、今、彼はどんな顔をしているのか。

 何を思っているのか。

 それは―――わからない。

 

それ(正義の味方になる)しかないなんて、そんなこと―――」

「リヴェリア」

「―――っ」

 

 彼の【(正義の味方)】を否定するかのような言葉は、変わらず硬い硬質な声をもって返された。

 言い切れなかった最後の言葉を口の中で噛み潰し、知らず険しく厳しくなった目で彼の背中を睨み付け―――

 

「―――すまない」

 

 堅く(脆く)強い(弱い)その声に、力が抜けてしまった。

 そのまま、その一言だけ告げ、彼は去っていった。

 一度も振り返ることなく。

 どんな顔をしていたのかわからない。

 声からも、その感情を推し量る事はできなかった。

 そして自身もまた、胸に渦を巻く感情があまりにも複雑で。

 初めて感じる胸中に満ちる嵐のような想いの中―――溢れ出た言葉は―――

 

「―――何故、お前が謝るんだ…………馬鹿が………………」

 

 

 

 

 ―――どうしてか、少し濡れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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