たとえ全てを忘れても   作:五朗

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 第二部始まります。


第二部 外典 聖杯戦争編 第一章 現れたる■■
プロローグ 人魚の歌


 

 

 轟音が響いている。 

 

 巨大な質量が止めどなく落ちては弾ける轟く音が。

 そこは、深いダンジョンにある『巨蒼の滝(グレートフォール)』と呼ばれる巨大な滝の滝壺の一つ。

 緑玉蒼色(エメラルドブルー)の壁のようにも見える『巨蒼の滝(グレートフォール)』のその滝壺の傍を、轟音と蒼い飛沫を全身に浴びながら歩く人影が一つあった。

 ここは『下層』と呼ばれる上級の冒険者であろうとも油断は出来ない領域であるにも関わらず、そこを一人歩く男の姿からは危機感どころか緊張感も感じられない。街角を歩くかのような、気軽にも感じられる足取りで、男は滝壺のある大空洞から水晶の迷宮へと向かっていく。

 迷いない真っ直ぐな歩みは、男にはっきりとした目的地があることを示していた。

 ふと、男の足が止まった。

 男は目を閉じると、五感の一つに意識を集中させる。

 背後からは未だに滝壺に落ちる轟音が全身で感じられる。

 まともに会話も出来ないだろう音が響くそんな中、集中する男の耳は微かに『歌』を感じた。

 歌詞のない。

 伴奏もない。

 ただ、己の喉を震わせ(楽器とし)歌う原始の『歌』。

 優しく撫でる風のような、水のような歌声。

 自然と口元に笑みを浮かべた男は、歩みを再開させる。

 歌声に導かれるようにして。

 暫く歩き続けた男の先に、小さな広間が見えてくる。

 広間には泉があり、その中に足を浸けて腰かけている少女の背中があった。

 よくアマゾネスの女が着ているような胸元だけを隠すような服? を着た背中は殆ど裸のようで、少女の真珠のように白く滑らかな肌が露となっている。

 ゆっくりと歌声に合わせ左右に揺れるその背中から溢れる歌声に、目を細めて見つめていた男だったが、気配を感じたのだろうか。歌声が途絶えると、あの『巨蒼の滝(グレートフォール)』と同じ緑玉蒼色(エメラルドブルー)の髪を揺らしながら少女が振り返った。

 びっくりしたようにその大きな翡翠色の瞳を何度かパチパチと瞬きさせると、直ぐに幼子のような無邪気な笑みを見せ、その喜びを見せるかのように泉に浸けていた尾ひれ(・・・)をパシャリと跳ねさせた。 

 

「―――アっ、オカエリ」

「ああ……ただいま」

 

 ぱしゃりぱしゃりと尾ひれを振りながら、その人魚の少女(・・・・・)が男を迎えた。

 男は少女の隣まで歩み寄ると、直ぐに地面に腰を下ろし少女と目線を合わせた。 

 

「大丈夫ダッタ?」

「問題ない、が。少々困ったな」

 

 男が座ると、直ぐに少女は男に寄り添うように近付き、小首を傾げながら男に問いかける。

 男は少女の濡れた体で服が湿る事を気にする様子もなく、少し困ったように眉根を寄せた。

 

「ドウシタノ?」

「軽く見て回れる範囲にまともなものがなかった」

 

 少なくとも男の調べられる範囲では、目的のものを見つける事は叶わなかった。この階層にも探せばあるだろうものではあるが、全く情報がないまま宛もなく探し回っても見つかるようなものではない。

 唯一の情報源の彼女も、水辺ぐらししか知りようもなく、たいした情報は持っていなかった。

 とは言え、そんなに緊急性のあるようなものではない。

 ただ単純に。

 

「オ魚ハダメ?」

「いや、流石にそればかりはな。世話になるばかりだ」

 

 食料を探していただけであった。

 それも、魚以外の。

 食料自体は少女が捕ってきてくれる魚で十分賄えることが出来るが、それだけではと探しに出てみてはみたものの。結果は何もなし。

  

「ン……ソレハ駄目ナノ?」

「まあ、気持ちの問題だな。命の恩人にこれ以上迷惑を掛けるのもな」

 

 自分の持ってくる分では不十分なのだろうかと、落ち込んだ様子を見せる少女に、男は小さく首を左右に振ると少し困ったように口元に笑みを浮かべた。

 

「迷惑? 迷惑ジャナイヨ。ソレニ、シロ、コレクレタヨ」

「あ~……いや、それはオレ自身の為というか、な」

 

 男―――シロの言葉に、不思議そうに小さく小首を傾げた少女は、自身のその綺麗な曲線を描く胸元を隠す貝殻等で出来た服? を指差した。

 その指先に自然と視線が移動し、間近に少女の胸を凝視してしまったシロだったが、直ぐに顔を背けると何かを誤魔化すように指先で頬を掻いた。

 

「? コレダケジャナイ。最初ニシロガ私ヲ助ケテクレタ」

 

 シロの何処か焦ったような様子にますます首を傾げていた少女だったが、直ぐにまたその顔に無邪気な笑みを浮かべるとその身体をシロに押し付けるようにして抱きつかせた。

 

「そうだが。あの後マリィが助けてくれなかったら危なかったからな」

 

 腰に抱きつくと、そのまま胸元にぐりぐりと頭を押し付けてくる人魚の少女ーーーマリィと名乗る『モンスター』の濡れた頭を撫でながら、シロは数日前の事を思い出す。

 あの後―――オッタルとの戦いの最中、崩れた地面と共に落ちた先は、18階層ではなかった。

 何が、どうしてそうなったかはわからないが、シロが落ちた先は水の中であり、水棲のモンスターでさえ溺れかねない激流の中、流された先は水晶で出来た洞窟であった。

 オッタルとの戦闘に加え、その後の落下、更に激流に揉まれると言うその一つだけでも致命的な状況を潜り抜けた先は、『下層』という『新世界』とも呼ばれるダンジョンの奥深く。

 肉体的にも精神的にも既に限界を越え、最早まともに歩ることすらままならず。このまま意識を失えばモンスターに殺されるとわかっていながらも、消え行く意識を保つことは出来なかった。

 

 ―――少女の助けを求める声が聞こえなかったのなら。

 

 意識が暗闇に落ちる間際、微かに聞こえた助けを求める声。

 自分の方が瀕死であるにも関わらず、考える力もない状態で這うようにして声の聞こえた先に向かえば、そこにはモンスターに襲われている『人魚(モンスター)』の姿があった。

 モンスターがモンスターを襲う。

 それは別にないわけではない。

 珍しいと言うほどでもない。

 ただ一つ、怪物(モンスター)である筈の人魚が助けを求める声を上げていたこと以外は。

 何か考えがあった訳ではなかった。

 その時にはもう、疑問に思う力さえなかった故に。

 この身体は、その求め()に応じた。

 奇跡的なのか、それとも何か本能的なものなのか。あれだけの中、手放さずにいた双剣の片割れを、身体を倒れ込ませる勢いをもってして何とか投げつけた。

 その勢いは弱く遅く。

 上層のモンスターならば兎も角、下層、いや中層のモンスターでさえ避けられる程にまで弱かった。

 が、投げつけられた先のモンスターは、不幸にも目の前の獲物(人魚)に意識が囚われていたことから反応が遅れてしまい―――その身体を上半身と下半身に分かたれてしまった。

 幸いにも魔石に当たったのだろう、直ぐに灰へと変わったモンスターの姿を尻目に、シロの意識はそこで途絶えた。

 次に目を冷ました時には、この少女―――人魚(マリィ)の顔が目の前にあった。

 

「シロノ言ッテルコト難シイ」

 

 ぐるりと身体を回し、膝の上に頭を乗せながら見上げてくるマリィをシロは優しく見下ろしていた。 

 あの後、直ぐに逃げ出そうとしたマリィを何とか引き留めて話をしてみると、どうやら彼女の血によって怪我を治してくれたようだった。

 人魚の生き血は、ユニコーンの角に並ぶ程の回復アイテムの一つだ。

 その力は確かに凄まじく。瀕死であった筈の身体は、疲労も含め全て回復していた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()や、それ以外にも色々と話しているうちに、マリィはすっかり警戒心をなくし、シロが心配になる程になつき始め。情報が全くない現状もあり、シロはそのままずるずると気付けばここで数日間を共に過ごしていた。 

 

「……なあ、マリィ。何か困っている事とかはないか? オレに出来ることなら何でもやろう」

「困ッテルコト?」

 

 とは言え、マリィの話や周囲を偵察することによって、少しずつだが自分の置かれた状況がわかり始め、シロはそろそろここから出る頃合いだと考えていた。

 しかし、先ほど自分が口にしていた通り、マリィは命の恩人。 

 言葉だけの感謝だけではどしても納得のいかなかったシロは、何かないかとマリィに少しでもないかと尋ねてみる。

 

「……ア」

「何かあるのか?」

 

 シロの膝の上でごろごろと右へ左へと寝返りを打っていたマリィだったが、不意に小さく声を漏らしピタリとその動きを止めた。

 

「最近、何カオカシイノ」

「おかしい?」

 

 マリィはシロの問いに少し顔を傾けると、目線をずらし膝へ―――その下、地下へと目を向けた。

 

「ズット下ノ方デ何カ? 何ダロウ?」

「いや、オレに聞かれても」

 

 くるくると両手を自分とシロの間で回していたマリィは、自分でも何を言いたいのか分からなくなりますます首を大きく傾げてしまう。

 答えのわからない答えを求められたシロが、苦笑しながらマリィと同期するように首を傾げる。

 と、マリィは上げていた腕を自身の胸元へ置くと、何かを確かめるように目閉じ記憶から何かを取り出すように少し重い声を絞り出した。

 

「ン~……何カザワザワ? スル?」

「ま、まあ、下から何か嫌な気配がするということか……」

 

 やはり要領を得ない答えに、シロがとりあえずといった気持ちで反応すると、マリィはぱっと目を開くとビシリと指を突き付け頷いた。

 

「ンッ。多分、ソウ」

 

 シロは眼前に突き付けられたマリィの指をゆっくりと押さえながら元の位置へ戻すと、そのまま背中を押し上げ腰を上げさせた。

 マリィはその流れに逆らうことはなかったが、シロから身体が離れると、少し不満そうに頬をぷくりと膨らませていた。

 

「なら、少し調べに行ってみるか」

「大丈夫?」

 

 しかし、それも一瞬、シロが立ち上がり先ほどマリィが見ていたように地下へと視線を送っていると、心配そうにその顔をわかりやすく落ち込ませた。

 

「ああ、なに、気にするな。怪我はもうすっかり全快で、動きにも問題はない。何せ君が助けてくれたからな」

「危ナイヨ。一人ジャダメ。死ンジャウ」

 

 シロが無事をアピールするように大きく両腕を広げながら笑いかけるが、マリィの心配気な顔は変わらなかった。

 

「大丈夫だ。単独行動には慣れている」

「デモ……」

「少しでも恩返しがしたいんだ。心配してくれてありがとう」

「ン」

 

 幾つか言葉を送るも変わらないマリィの様子に、もう一度足を屈めたシロは、その蒼緑玉色の髪を撫で付けるようにゆっくりと触れた。

 シロの指先が髪に触れると、マリィは猫のように目を細めながら顔をぐっと近寄らせてくる。

 シロは撫で付けるような撫で方から頭頂部付近を軽く叩くような撫でかたに変えると、子供を落ち着かせるような口調で話しかける。

 

「マリィは、ずっとここにいるのか?」

「……ズット、私ハコレダカラ。ズットココデオ留守番ナノ」

 

 目を細めシロに撫でられるまま、マリィはパシャリと尾びれを揺らして水を跳ねさせる。

 問いへの返事は最初からわかっていた。

 マリィとは数日前にあったばかりだが、殆ど一日中一緒にいたことから、大抵の話を既にしていたからだ。

 それでもシロがマリィと同じような話でも何度もするのは、それをマリィが必要としていることがわかっていたから。

 人懐っこく、その能天気とも言える穏やかな気性の中には、孤独を拒否する幼く柔らかなものがあることを。

 それでも、彼女が仲間に無理矢理ついていくことなくここで一人で待っているのは、自分が負担になることをわかっているため。

 何時も待ってという言葉を心の奥でとどめて、見送っていた。

 それを言葉で聞いてはいなくとも、感じ取れていたシロは、マリィの頭を撫でる強さを心持ち強くすると、最後に終わりを告げるように強めにぽんと押すようにして頭から手を外した。

 

「そう、か。しかしそれなら、また会いに来るよ。その時は、また君の歌を聴かせてもらっても良いか」

「フフ……モチロン」

 

 足を折って騎士のように片膝立ちとなり、マリィの頭より少し高い位置でシロが笑いながら問いかける。

 マリィは細めていた目をゆっくりと開き、顔を上げその翡翠のような瞳でしっかりとシロを見つめると、何時も見せてくれる幼子のような無邪気な笑顔を一杯に広げ大きく頷いて見せた。

 

「ああ、楽しみだ」

 

 それに、ふっと、力が抜けるように口元に小さな笑みを浮かべたシロは、名残惜しむようにゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

 ―――そしてその姿を。

 

 

 

 立ち上がり、背中を向けた彼の後ろ姿を、水辺に腰掛けながら私はじっと瞬きすることもなく見つめていた。

 

 ほんの少し前に会ったばかりだというのに、まるでずっと一緒にいたみたいに思えた彼。

 

 仲間達から耳が痛くなる程注意を受けていたのに、関わってしまった彼。

 

 モンスターでしかない私を、全くそれを感じさせない姿で接してくれる彼。

  

 不思議で不可思議な彼は、これから私の不安を取るために恐ろしく危険な下へと行くのだろう。

 

 瞬き一つ、息を一つするのも命がけになりかねないそこへと向かう彼の背中。

 

 でも、何故か私の胸には先程まで思い返してざわついていた胸の奥のざわめきが消えていた。

 

 それどころか、少しの暖かささえ感じるほどに。

 

 それが何故なのかはわからない。

 

 全く何もわからない―――けど、それがとても大切で大事なものなのだと感じていた。

 

 だから、歌おう。

 

 彼が、言ってくれたから。

 

 また、聴かせてくれって―――。

 

 楽しみだって―――。

 

 言ってくれた。

 

 だから―――その、約束の時に。

 

 もっとずっと上手になっているために。

 

 胸の奥の暖かさを抱き締めながら。

 

 喉を震わせて―――私は唄う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――マリィ?」

 

 もう、あの巨蒼の滝(グレートフォール)の音さえ聞こえない場所の筈なのに、不意にマリィの唄が聞こえた気がして、周囲を見渡すが、やはり気のせいだったのか聞こえるのはモンスターの気配とその物音だけ。

 未練かな、と小さく自分に苦笑を向けるが、それも一瞬。

 厳しく顔を引き締めるとマリィの言っていた下の方から感じる嫌な気配についてもう一度考察する。

 ここはダンジョン。

 何が起きようとも、何があろうともおかしくはない。

 そしてその広大さからマリィの口にしたそれが何なのかはわからない。

 だが、一つ。

 心当たりがあった。

 あの食料庫(パントリー)の一件で赤髪の女がアイズに向かって最後に口にした言葉。

 

 

 

「―――59階層か」

 

 

 

 

 

 

 

 




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