たとえ全てを忘れても 作:五朗
「―――ラウルさんっ!!」
レフィーヤの叫び声に振り向いたときには、既に最早どうにもならない状況であった。
階層に大穴を開けた大火球は、幸いにもレフィーヤに直撃することはなかったが、その巨大な大穴にその身体を吸い込ませてしまう。
開いた穴の奥へと消えていくレフィーヤを追うように、即座にティオネ達が救出に飛び込んでいく。
咄嗟の判断で、フィンがガレスにまとめとして追うよう指示するのを耳にしながら、リヴェリアはその光景にデジャビュを感じていた。
感じながら、そう感じる自分自身に呆れていた。
実際に見たわけではない。
つい、先日聞いただけの話だ。
なのにこうも自身の心が不安定になっていることに、怒りにも近い苛立ちや憤りを自分自身に感じる。
(っ―――何を呆けているっ!!)
自分自身に渇を入れ、気を取り直す。
一秒にも満たない僅かな乱れ。
しかし、それでもそれは
(気にするなと言ったのはっ、自分自身だったろうっ!!)
階層無視による下層からの砲撃、仲間の
一秒毎に変わる状況と地形。
地獄のような周囲の光景―――ではない要因による動揺で波打つ心臓を押さえ込みながら、リヴェリアは落下していくベート達に支援魔法を掛けると先行するフィンの後を追いかけ始めた。
前を走るフィンの指示を耳に、時に確認の声を上げながら、
下から階層を破壊しながら放たれる砲撃。
怒鳴り付けるような指示に、悲鳴のような気合いを入れる声。
混乱し暴れまわるモンスターの方向に、自分自身の荒い呼吸音。
先程までのダンジョンの攻略のみに割かれていた思考が、しかしそれでも、微かに削られこべりつくように先程の光景が繰り返されている。
そして、その浮かぶ光景の中、落ちていくのは先程のレフィーヤではなく、一人の男の姿。
自分の目では見ておらず、ただ伝聞で聞いただけにも関わらず、こうまで鮮明に思い浮かべられるのは、何時かはこうなるのではと想像していたからだろうか。
先日の宴会の後、ガレスとレフィーヤから聞いた、あの男の結末について。
あの
『―――シロさんは、落ちました。突然崩れた階層に巻き込まれて、猛者と一緒に……』
その話を聞いた時、私は信じなかった。
猛者と互角に渡り合ったこと?
いや、そうではない。
確かにそれも信じられないような話だが、あの男はこれまでにも我々の常識から外れた力を見せていたことから、有り得ないと容易に断じる事は出来なかった。
あの男なら有り得るだろうと、妙な確信と共に思ってしまう程に。
では、何が信じられなかったのか。
それは、ガレスが口にした言葉。
『猛者との戦いで大分やられていた。その上崩落に巻き込まれては……あれでは流石に―――』
言葉にしなくともわかる。
『死』―――
前提のオッタルとの戦闘でさえ、耐えられるものはこの都市にすら数える程しか存在しない。
その上のダンジョンでの崩落。
例え崩落から生き残れたとしても、ここはダンジョン。
無限にモンスターが湧き出る地獄の底のような場所で、補給もなく戦い続けることは不可能。
最後には―――。
「―――っ」
階層ごと破壊されパニックに陥ったモンスターが暴れまわるのを避けながら小さく舌打ちを打つ。
苛立ちを紛らわかすように、飛びかかって来るモンスターを杖で殴りつけ先行するフィンの後を追う。
『リヴェリア様っ―――すみません……私は―――』
―――助けられなかった。
レフィーヤの言葉に出来ない叫喚に、リヴェリアはただ黙って首を横に振った。
その場にいたガレスでさえ、その戦いに割り込むことは出来なかったのだ。
彼の性格からして一対一の戦いに割り込むことはないだろうが。
それでも、一方的な戦いであれば何らかの介入はしただろう。
しかし、それをしなかったと言うことは、つまり、そう言うことだ。
あの男は、確かにあのオッタルと互角に渡り合ったのだろう。
そして、その末に―――。
「来るぞっ! 数八っ!」
フィンの警戒の声が上がり、具体的な指示を受けずとも、
他の階層とは文字通り一線を画す強さの強大なモンスター。
それを魔法を解放したアイズが飛び込み切り刻み、開いた穴を押し広げるようにフィンや椿が切り開いていく。
その背を追う中衛のラウル達の更に後ろ。
殿でその戦闘の全てを俯瞰しながらリヴェリアは時に支援を、時に砲撃を行い。
一秒毎に変化する戦況と環境に思考を割きながら―――それでも、こびり付いたような
『―――一応だが、ギルドへの報告はしてある。だが、ありのまま全てとは流石には、の。大規模な崩落でオッタルとシロが巻き込まれて落ちたとだけ伝えてある。まあ、それしか言えないがな』
『―――き』
『―――リヴェリア』
あの時、フィンが口を挟まなかったなら、私は何を口にしようとしたのだろうか。
レフィーヤの、あの、何かを言いたいような目は、何を伝えようとしたのだろうか。
いや、わかっている。
自分の事だ。
何を言おうかなど、分かりきっている。
『救助を―――』そんな言葉は、口に出来る筈がなかった。
ダンジョンでの他のファミリアへの救助はないとは言えない。
だが、それは基本依頼を受けてのことが前提。
例外はあるが、これはそれには当たらない。
レフィーヤのあの様子から、もう既にガレスに対し訴えてはいたのだろう。
だから、私に期待をした。
しかし、それは出来ない。
今、この時、ダンジョン深層の攻略には時間も資金も大量に使用した。
細かい事前の予定もある。
それでなくとも、あの少年を地上まで届け、彼の主神やギルドなどへ報告した事で時間を消費したのだ。
これ以上
そう、冷静に判断する理性に、それでもと震える感情があった。
だが、それを口にすることは、私には出来なかった。
『―――っ』
あの時。
私はレフィーヤの顔を見ることが出来なかった。
失望、落胆、非難、怒り、悲しみ―――あの時、どの様な感情が浮かんでいたかは知れない。
見てはいないから。
だが、それは見たくなかった訳ではなく。
私の―――。
「―――止まれ」
「ッ」
フィンの鋭い声に、はっと我に帰ったリヴェリアは、冷静な顔をしたまま周囲に悟られないよう現状を確認する。
いつの間にか下へ続く階段を掛け下りており、53階層まで来ていたようだった。
先頭に立つフィンが周囲を警戒している。
「出てこない、か」
その小さな呟きを耳に、リヴェリアもまた状況を把握する。
ここまで来るまでに、アイズは部隊の先頭で全力で暴れていた。
レベル6に至った力で、全力で魔法を行使し暴れまわっていた。
その際周囲に放出された魔力はこれまでの比ではない。
これに魔力に引き寄せられる性質を持つ新種のモンスターが現れないとなると、つまりこの周囲には新型のモンスターはいないーーーと、そう断じるにはどうやらまだ早いようだった。
周囲を警戒するフィンの碧眼が、何かを見通すかのように細められている。
確かめるかのように、槍を握る指をーーー親指を微かに動かしている。
何か、予感を感じているのだろう。
動き出した部隊の殿で務めながら、リヴェリアもまた警戒を強める。
先程の嵐のような状況から一変して、今では一匹のモンスターすら遭遇していない。
下からの砲撃が止んでいると言うことは、ガレスたちが対処したということだろう。
凪ぎ海のように静かで、しかし底に何か不気味なナニカが蠢いているかのような、そんな感覚を感じながら迷宮の中を駆け抜けていると、その正体が目の前に現れた。
「新種っす!?」
ラウルの声が上がり、全員の足が止まる。
部隊の進行上、目の前に立ちふさがるのは新種の芋虫型のモンスターの群れ。
幅の広い。大型のモンスターが存分に暴れられる程の幅広の通路を埋め尽くす数十もの新種のモンスター。
その緑の体表から、まるで緑の洪水が押し寄せてくるかのような光景に、圧し殺したような悲鳴が漏れ聞こえてくる。
それも仕方のないことだろう。
戦闘力は高くはないが、あのぶよぶよとした体の中にたっぷりと詰まっているのは、武器すら溶かしてしまうほどの腐食液だ。
それを知りながら、涼しい顔を出来るものなど早々いない。
「どうやら、それだけではないようだ」
フィンの声と視線に、全員の意識がその緑の中に浮かぶ一点の染みのような紫紺に向けられた。
「人、なのか?」
椿の疑問が呟きとなって口から漏れる。
一面の緑のなか、唯一の例外のようにある紫紺の色。
それは新種の芋虫型のモンスターの中で、更に巨体を誇る一体の背中に立っていた。
紫紺の外套で全身を覆い。
唯一除く顔の位置には、不気味な紋様が刻まれた仮面。
「あなたは―――っ」
その姿に、記憶を呼び起こされたアイズが声を上げる。
24階層で『宝玉の胎児』を持ち去った赤髪の怪人レヴィスの共謀者と思われる人物。
アイズの詰るような声に、その紫紺の外套を羽織った存在は応えるように手を上げた。
だが、それはアイズに応えるためではなく。
その理由は瞬時にその場にいた者達が理解した。
「っ―――いかんっ!?」
外套の人物が手を動かした瞬間、無秩序に蠢いていたモンスターの群れが、鍛え上げられた軍隊―――いや、それよりも何処か機械的な動きで一瞬にしてそれぞれの高さに合わせ並び階段のように整列する。
自分達に向けられたモンスターの顔、顔、顔。
重ならず向けられた芋虫の間抜けにも見えるその顔に。
フィンは背筋に走る寒気と親指に感じる疼きのままに叫んだ。
『―――殺レ』
「転進!! 横穴に飛び込めっ!!」
外套の人物の声に重なるようなフィンの指示に、その場の全員が戸惑うことなく従った。
通路全体を覆うかのような腐食液の一斉放射。
横穴に最後に飛び込んだリヴェリアが振り返った先では、ダンジョンの壁が溶かされる異音と異臭が響き漂っていた。
リヴェリアはその端正な顔を思わず歪めながらも、その耳は溶けた通路の向こうから蠢く足音を正確に捕らえていた。
「―――フィン」
「わかっている。このまま奥へ行くぞっ!!」
リヴェリアの声に頷き、フィンが先頭を駆ける。
あの量と勢いでは、例えアイズとはいえ捌ききれない。どうしても抜けてしまう
フィンやリヴェリアならば兎も角。中衛を成すラウルたちでは、それに耐えられない。
背後から確かに迫る
当たり前だ。
ただ前方に立ちふさがって一斉掃射。
あそこで待ち伏せしていたのだ。
逃げられた際の逃走先も理解しているだろう。
ならば、
「っ―――前方から来るっす!?」
ラウルの悲鳴染みた報告に、フィンは「やはり」と乾いた唇に下を這わす。
出くわすなり示し合わせたかのように一斉に腐食液を吹き出すモンスター。
モンスターの姿が視界に入った直後に転身した部隊の後ろをかするように腐食液が地面に撒かれ、異音と異臭が吹き上がる。
足を止めることなくそのまま走り続ける。
だが、何処へ行こうとも、新種のモンスターの群れはフィン達の前に立ち塞がった。
53階層の中を駆け巡る内に、後ろから追いかけてくるモンスターの群れは合流し続け増大し。今では100を遥かに越える数が津波のようにフィン達の後ろに迫っていた。
その中には芋虫型だけでなく、食人花のモンスターの姿もあった。
そしてその
『追イ詰メロ』
外套の人物の指示に従い、フィン達は逃げる
最早止まれば飲み込まれかねなく、対処する暇など有ろう筈もない。
ただモンスターが現れない先へ逃げ込み続けるだけ。
そこまでいけば、自分達の現状がどうなっているかなど子供でもわかる。
「誘導されているな」
「まさか、魔物に戦術を受けるとは」
鋭い視線を後ろに、モンスターの背に乗る外套の人物に向けるフィンに、椿が気楽な様子ではっはっはっと、しかし乾いた笑い声を上げる。
危機的状況に陥ってもなお、そのような態度を見せられるのは、自身への力の自負以外にも、
「貴重な経験だ―――二度とは経験したくはないが」
「違いない」
ふっ、と息を漏らすような笑いを交わし合うと、フィンはもう一度後方に視線を向けた。
そこには変わらず一際巨大な芋虫型のモンスターの背に乗りこちらを追う外套の人物の姿がある。
その意識の先には、部隊の先頭を走る自分達よりも先を駆けるアイズの姿。
やはり狙いはアイズか―――又は敵対する
「で、どうする?」
「確かに、このままではじり貧だ」
全く不安を見せない椿の信頼を乗せた視線に頷きを返し、フィンは脳裏に53階層の地図を広げる。
53階層まで来れば、その広さは都市一つまるごと抱え込める程までに巨大である。
確かにフィン達はここ53階層を越えてはいたが、その全てを踏破したわけでない。
しかし、それでも広げた地図に記載された道行きはある。
そして、いま走るここはその中にあった。
「―――アイズっ!! そこを右に曲がれっ!!」
フィンの幾度目かの指示。
しかし、そこに含まれた声なき声にアイズはしっかりと頷きを返し応えた。
先行して右の通路に入り、姿が見えなくなったアイズを確認した後、フィンは背後に視線を向ける。
中衛のラウル達、そして殿のリヴェリア。
瞬きもない瞬時のアイコンタクトで、今後の方針を示す。
その様子に都市最強の一角であるロキ・ファミリアの実力を垣間見た椿が戦慄と共に頼もしさに笑う。
そして通路の三叉路。
そこを右に曲がった先に向こうには、アイズが既に剣を構え待ち構えていた。
アイズの傍で急ブレーキを掛けて転身、フィンと椿は武器を構えながら今通りすぎたばかりの分かれ道へと体を向ける。
と、同時に中衛のラウル達が姿を現す。
待ち構えるフィン達に頷きを返し、そのままの勢いでもって追い抜くと直ぐに転身。
「盾三ッ!!」
短いそのフィンの指示に、ラウル達は正しく従った。
背負った荷物からラウルを除く三人が大盾を取り出し、フィン達の背後に隙間なく並べ立てる。
決して大きいとは言えないが、上級冒険者が支える確かな障壁が立ち上がった時には、殿を務めていたリヴェリアもまた曲がり角から姿を現していた。
既に迎撃の体制を整えていたフィン達の姿に、駆ける速度を更に速めると、フィン達が招き入れるように人一人が通れるだけの隙間が開けられた盾と盾の開いた一本道を走り抜ける。
リヴェリアが通り抜けると同時に、盾はまたも隙間なく一つの塊と化す。
そしてリヴェリアが再度後衛の位置に着いた時、モンスターの群れもまた曲がり角から姿を現した。
水路に大量の水が流れ込むかのように、曲がりきれず壁に叩きつけられ潰れ周囲を溶かしながらも、無理矢理速度を落とすことなく突き進むモンスターの群れ。
悪夢的なその光景に、怯む声や圧し殺した悲鳴が上がるが、逃げ出そうとする気配は微塵もない。
それを背後に感じながら、フィンは先頭に立ちモンスターを睨み付けるアイズに声を上げた。
「
「―――ッ!?」
フィンの指示の意図を図りかね、一瞬背後に視線を向けたアイズの目に、その後ろに築かれた盾の砦が映り込む。
そして同時にフィンの指示を理解する。
「了―――」
膝を曲げ、一気に解き放つ。
後方に宙返りをしながら飛んだアイズの足裏が、並べられた大盾に接触する。
「―――解」
衝撃を吸収するように大盾の上で柔らかく曲げられた膝により、一瞬盾を持つ者等はアイズが盾に接触していないと勘違いしそうになったが、盾の向こうに確かに感じる気配と高まる魔力に勘違いを振り払うように頭を振ると同時に次に来るだろう衝撃にその身を備えた。
なら、次に来るのは―――。
「【リル・ラファーガ】ッ!!」
大盾が凹みかねない勢いでもって蹴りつけられた飛翔は、アイズを巨大な一つの弾丸と化してモンスターの群れへと突き進ませた。
アイズが構えた『デスペレード』の切っ先は、確かにモンスターを操る外套の人物へと向けられて。
瞬く間にその身を貫くだろう。
だが、それを容易に許してはくれるような優しい相手ではなかった。
「
外套の人物は焦った様子を見せてはいたが、その行動は確かに的確であった。
自分に従うモンスターの大半を担う芋虫型のモンスターに腐食液の一斉掃射を指示したのだ。
ダムの放流にも似た勢いでもって放出される腐食液。
一つの固まりと化して迫るそれに、しかしアイズは避ける様子は見られない。
弾丸と化した我が身に、更に風を纏わせそのまま突き進む。
螺旋を描く風を纏い、一条の矢となったアイズは、そのまま突き進み―――壁と化した腐食液を吹き飛ばし貫いた。
一瞬の停滞もなく腐食液の壁を越えたアイズは、些かも速度を減じることなくそのまま外套の人物へと目掛け突き進む。
「―――グッゥ?!」
驚愕の声を上げながらも、外套の人物は予想外の光景に硬直することなく瞬時に退避を選択する。
モンスターの背から飛び退いた瞬間。先程まで自分が立っていた位置に一条の風の矢が通りすぎる。
それを回避中の空中で確認した外套の人物は、直後吹き付ける強大な風の嵐にその身を壁へと叩きつけられた。
「ッグ―――馬鹿ナッ!?!」
外套の人物が叩きつけられた壁面から身体を起こし罵倒するように声を吐き出すと、
「―――手間を掛けさせないでくれ」
真横から皮肉な笑みを混じらせながら槍を構えたフィンが姿を現す。
「―――ッ!?」
「遅い」
咄嗟に逃げようと壁面を蹴りつけるも、フィンの動きは早く、槍の間合いから逃げるには時間も速度もあまりにも足りなかった。
自身の首へと向けられた切っ先を、咄嗟に両腕に嵌めたメタルグローブで受け止めるが、威力も勢いも圧し殺す事も出来ず更に後方へと吹き飛ばされる。
アイズの
逃げ出そうとする外套の人物の意思とは反するように、フィンの身体はピタリとその間合いから遠ざかることはない。
繰り出されるフィンの熟練の槍捌きに、外套の人物は防戦一方。
反撃どころか防御もままならない。
いまだまともな一撃食らうことなく防いではいるが、それが時間の問題であるとは本人が一番理解していた。
「
悲鳴のような指示に、
地面から、壁から、天井から黄緑色の蔦が涌き出るように現れたかと思うと、フィンの槍を受け止めた。そして現れた無数の触手がフィンへと襲いかかる。
一転して攻守が入れ替わった。
無数の触手が全方位から囲むようにしてフィンへと襲いかかる。
それに混じり、外套の人物のメタルグローブを嵌めた腕による連撃が加わった。
黄緑の鞭と銀の拳撃。
隙間なく襲い来る襲撃に、しかしフィンは慌てない。
焦った様子も見せず、足を止め全ての攻撃を受け止める。
そのモンスターに加えた自身の攻撃がかすりもしない事に、苛立ちを募らせる外套の人物が更に触手を呼び、一気に畳み掛けようとメタルグローブを嵌めた腕に力を込め、飛びかかろうと意識を前に向けた時。
「―――がッ?!」
「当たったっす!?」
振りかぶった腕の肩に衝撃を受け足を止めてしまう。
肩には一本の矢が突き刺さっており、飛んできた方向へと視線を向けると並べられた大盾の後ろで弓を構えて喜びを露にする
「貴様ッ!!」
「げっ!? 全然効いてないっす?!」
肩に突き刺さった矢を引っこ抜き、地面へと叩きつけ憎悪の声を上げた外套の人物の姿に、ラウルが動揺と恐怖の声を上げる。
そしてその声に呼び寄せられるかのように、外套の人物の意識と足の先がラウルへと向けられた瞬間―――。
「―――無視とは、余裕だね」
「ッ!!?」
耳元で囁かれるような距離でもって聞こえたフィンの冷たい殺気が込められた声に、外套の人物が顔を向けた時には既に遅きに逸していた。
反射的に声が聞こえてきた方向とは逆へと飛び退く。
喉元をなぞるかのような槍先の感触に寒気を感じながらも、窮地を脱した事に安堵を感じていた外套の人物だったが、未だ窮地は脱してはいなかった。
後方へと飛び退き、フィンの間合いから逃れたそこへ、脇に構えた太刀の柄に手を置いて駆け抜ける椿がいた。
「斬るぞ」
「―――ナッ!!?」
許可を得るのではない断定の言葉と同時に、鞘走る音と一刃の光が抜ける。
振り抜かれた太刀は、確かに
「ッアアアアアアアアアアッ!!!?」
「っち、避けたか」
上がった悲鳴の中で、椿が悔しげに口許を曲げる。
宙を飛ぶ銀の腕。
メタルグローブに包まれた外套の人物の腕がくるくると切り飛ばされ中空を舞っている。
胴を二つに別けようと振り抜くも、分かたれたのは腕一本のみ。
武人ではないが、それでも満足いかない
細められた隻眼が倒れ込むようにして右腕を犠牲にしながら辛くも斬撃を避けた外套の人物を追いかける。
振り抜かれた太刀は既に再度振りかぶられ、その刃は確と怪人の胴を狙っていた。
『食ラエッ!!』
だが、刃が敵の胴に食らいつくよりも先に、外套の人物の呼び寄せた食人花が食らいつくのが早かった。
食人花が食らいついたのは、椿―――ではなく、呼び寄せた本人たる外套の人物。
怪人は自身が呼び寄せた食人花に自らを丸飲みさせることで、椿の斬撃から逃げ出したのだ。
まさかの逃走方法に、僅かだが椿の追撃の手が緩まる。
その数瞬の隙で、怪人を丸のみにした食人花は椿の間合いから逃げ出すことに成功していた。更にその際に、伸ばした触手をもって切り飛ばされた怪人の腕も回収していた。
直ぐに気を取り直し、跡を追い掛けようとした椿だったが、背後から感じた立ち上る魔力の奔流にその足を止めて振り返った。
視線の先では、詠唱を完成させたリヴェリアが魔法を放つところであった。
「【ウィン・フィンブルヴェトル】ッ!!」
腐食液に溶かされ異臭が混じった煙が立ち上る通路に、三条の白銀の光が駆け抜ける。
漂う煙を氷の粒に変えるだけでなく、通りすぎる通路を氷結の世界に変えながら突き進む白銀の光は、狙い違うことなく逃走を図る食人花へと突き刺さった。
断末魔さえ凍りつかせられるように一瞬にして氷像へと変わった食人花。
それに目掛け、肩に太刀を乗せて駆けていた椿が勢いをそのままに飛び上がったかと思うと、大上段に構えた刀を降り下ろした。
左右に真っ二つに斬り分けられる食人花。
ズルリ、と左右が上下にズレたかと思った瞬間、食人花全体に罅が入ったかと思えば粉々に砕け散ってしまう。
毒々しい氷の粒が周囲に舞うなか、椿がその残骸に意識を向ける。
そこに、探すモノが見つけられなかった椿は、小さく舌打ちを鳴らすと唯一残された痕跡を掴み取った。そのまま地面へと下り立った椿は、小さくため息をつくと残敵を掃討し駆け寄ってくるフィンとアイズにそれを投げつける。
「ローブだけ?」
「すまん。逃げられたようだ」
アイズが目の前に落ちた外套に目を落とし疑問を口にすると、椿は罰が悪そうに頭を掻きながら小さく頭を下げた。
「いや、敵の方が上手だっただけだ」
それに対し、フィンが小さく頭を横に振り否定する。
「まるで蜥蜴だな」
フィンの言葉に気を取り直すように小さく笑った椿は、凍りついて砕け散った食人花の残骸に混じった外套以外の敵の痕跡。
メタルグローブや仮面に視線を向ける。
勿論その中身は綺麗になくなっている。
律儀と言えばいいのか、切り飛ばされた筈の腕の方も、そのメタルグローブの中身も無くなっていた。
「吹雪で一瞬視線が防がれた瞬間に逃げたのだろうけど、信じられない早業だ」
「どうするフィン?」
アイズが小首を傾げながら今後の方針をフィンに問う。
追うか、追わないか。
フィンが悔しがるような、呆れるようなそんな微妙な顔を浮かべながら、敵が逃げたのだろう人一人が通れる程度の小さな横穴に視線を向ける。
周囲の状況から、敵はこの小さな横穴へ逃げ出した可能性が高い。
フィンは腕を組むと、目を細め少し思考を傾ける。
様々な選択肢が浮かぶなか、数秒程度の、しかし幾つもの先を読んだ思考の結果に結論を出したフィンが、顔を上げると自分を見る椿とアイズにしっかりと答えを出した。
「追跡はしない。今はガレス達との合流を急ぐ」
「わかった」
「仕方なし、か」
アイズが頷き、椿が苦笑を浮かべる。
フィンは二人の了承を得たことに小さく頷くと、大盾をバックパックに取り付けながらこちらへ走ってくるラウル達中衛の後ろ、殿を務めていたリヴェリアに視線を向けた。
フィン達の雰囲気からどうやら敵を逃した事を把握したのだろう。何時もと変わらぬ冷静な表情なのに、何処か悔しげに感じられる顔を見せるリヴェリアに、さて、何て言おうかとフィンが少し困ったような笑みを口許に浮かべ―――。
油断が、あったのかもしれない。
下からのモンスターの攻撃により部隊を分断され、そこに更に正体不明の敵が大量のモンスターを操り襲ってきた。
追い詰められるように襲いかかられるが、それさえ咄嗟の判断と仲間の協力により撃退してのけた。
怒濤のように押し掛けてきた窮地を、全員が無傷で乗り越えた。
その直後。
悪魔の時間とでも言えば良いのか。
隙とも言えない。
ただ、その瞬間全員の意識が逃げ去った正体不明の敵や分断された仲間の事、今後の予定等、
という何時も息を吸うようにして行っていたそれが、たまたま、偶然にも全員が一瞬その思考から外れていた。
そして、それは起こった。
ある意味で、それはフィンのミスであった。
自分でも言っていた筈であった。
つまり、何処かへと連れていこうとしていたということ。
大量のモンスターを操り、広大なダンジョンの通路を把握する者が、他に仕込みをしていない可能性を考えていなかったわけではなかった。
しかし、敵は逃がすも、味方に被害なく撃退したことに確かに油断が生まれたのかもしれない。
考えた筈なのに。
追うか、追わないか。
敵も馬鹿ではない。
反撃され撃退される可能性も考えていたはずだ。
ならばその際、敵は追跡される可能性を考え、何らかの対策も考えて―――。
―――ピシリ、と何かに罅が入る音が響いた時には、既に遅かった。
フィンが親指に疼きを感じ周囲を見渡した瞬間には、もう
「―――リヴェリアッ!!?」
フィンの悲鳴染みた警告の声が響く。
リヴェリアを挟み込むかのように、通路の壁が内から吹き飛ぶように破壊されると、雪崩れ込むように芋虫型のモンスターが姿を現す。
その勢いでもって、リヴェリアを押し潰さんと迫る。
最悪なことに、殿を務めていたこともあってか、それとも何か他に理由があったのかリヴェリアは一人取り残されているかのように近くには誰もいなかった。
そしてリヴェリア本人も、この襲撃に対し対応が遅れていた。
明らかに対処が遅れていた。
逃げるにしても反撃するにしても、動きが遅い。
レベル6であるとはいえ、リヴェリアは魔導師。
近接戦であっても、そこらの冒険者やモンスターならば十分に戦える。
だが、この芋虫型のモンスターは近接特化の上級冒険者であっても対処が難しい。何より下手に攻撃すれば、その体から危険極まりない腐食液が吹き出してしまう。
その上にこの数だ。
例えリヴェリアであっても危険であった。
既にフィンの視界からはリヴェリアの姿が見えない。
アイズは既に駆け始めているが、助けに入るには距離が離れ過ぎている。
アイズとはいえ僅かに間に合わない。
最悪の光景がフィンの脳裏に過り―――
「―――
瞬間、ダンジョンに雨が降った。
鋼で出来た鋭く硬い剣の雨だ。
それはまず、リヴェリアの眼前へと迫っていたモンスターの鼻先を削るようにして地面へと突き刺さった。
まるで巨人が振るうかのような剣であった。
人が使うモノであるとは考えられない程に巨大な―――刀身だけで三メドルすら越える大剣であった。それが隙間なくリヴェリアを取り囲むようにその周囲に突き刺さったかと思うと、次に剣の雨はモンスターの上に降り注いだ。
強靭なモンスターの体表を貫く強固さを備えたその剣は、刀身が霞む程の速度で飛翔し、強力な腐食液を蓄えたモンスターの身体を確実に貫き、切り裂き、斬り潰し、細切れにした。
剣の雨は、そこに動くものがいなくなるまで降り注いだ。
モンスターの断末魔は、ダンジョンが砕き、削られ、腐食液による溶解する音にかき消されて何も聞こえない。
一体どれぐらいの時間降り続いたのだろうか。
長く感じられたが、実際はほんの数秒程度だったはずだ。
その超常の光景に、駆け出していたアイズの足も知らず止まり、その非現実的な光景に目を奪われていた。
いや、アイズだけではない。
その場にいた全ての者が目と思考は、剣の雨が降り止むまでの時間、確かに奪われていた。
そして長く感じられた短くも激しい豪雨が降りやんだ時、そこにはただ巨大な剣が数本突き刺さっていただけであった。
モンスターは細く切り刻まれた上に、自身の腐食液により完全に溶け消えていた。降り注いだ大量の刀剣の姿もないことから、モンスターの腐食液により共に溶け消えたのだろう。
残されたのは3メドルはあるだろう、何かを取り囲むようにして地面に突き刺さったその巨大な剣のみ。
腐食液を被ったのだろう、その刀身は明らかに劣化が見て取れるが、ただそれだけ。
かなりの業物なのだと推測される。
誰もが身動きどころか声すら上げられない中、唯一形を残していた巨大な剣が掻き消え始めた。
一瞬腐食液により溶けたのかとの思考が彼らの頭に浮かぶが、それは
誰もが、あのフィンですら言葉を失う中、まるで幻であったかのように掻き消えた大剣の向こうから姿を現したのは、皆と同じように呆然とした様子を見せるリヴェリアの姿であった。
明らかに動揺している様子ではあるが、傍目から見る限りでは怪我はないように見えた。
そのことに安堵の息を漏らし、フィン達が声を掛けようと口を開こうとすると、リヴェリアの後ろ、未だ溶解液による腐食の末立ち上がった霧のように漂う煙の向こうから足音と共に人影が現れた。
「「「―――ッ!?」」」
一瞬にしてその人影に向かってフィンやアイズ達が戦闘態勢を整える。
このタイミング、この状況からして、相手はあの剣の雨に関わる者であることは容易に推測される。
リヴェリアを助けてくれたように見えたが、安易に警戒を解くわけにはいかない。
とは言え、もし相手が敵対してきた場合は、かなり危険であるとフィンは危機感を募らせていた。
あの剣の雨を、今度は自分たちの上に降らせられたら対処は可能か?
楽観的な光景は少しも浮かばない。
全員の意識がゆっくりと近付いてくる人影と足音に集中し。
そして煙の向こうからその姿を現した正体を目にし、その場にいる全員が己の目を疑った。
いや、意識だろうか。
自分は夢でも見ているのでは、と。
夢ならば、ダンジョンの中で剣の雨が降ってくることもあるだろう。
そんな馬鹿な事を考えてしまうほどに、有り得ない光景がそこにはあった。
その場にいる全員の言葉を代弁するように、微かに震える声でフィンが口を開いた。
驚愕に震えながらも、しっかりと強い眼差しで射抜くような鋭さを持って。
煙の向こうから現れた、以前とは違う赤い外套を身に纏った軽装甲の騎士のような男へ向かって、問い詰めるように。
「どうして、君がここにいるんだい――――――シロ」
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