たとえ全てを忘れても 作:五朗
「―――リヴェリアッ!!?」
フィンの声が聞こえた時には、もうモンスターは眼前へと迫っていた。
壁を破壊した勢いでもって、緑色の津波と化したそれらは、私の前まで一気に迫り押し潰そうとしていた。
一匹、二匹ならばこの距離であっても対処は可能であったが、最早そんな数ではない。視界を埋め尽くす緑は十を優に越えていた。
反射的に口から呪文の詠唱が漏れてはいたが、半ばまでいかずに押し潰されるのは目に見えていた。
あと数秒もしないうちに、モンスターのおぞましい体が自分を捕まえるのを容易に想像できながら、リヴェリアは引き伸ばされた意識の中、様々な思考が駆け巡っていた。
フィンやアイズ、ファミリアの事。
これからのダンジョン攻略について。
現状を打破できる可能性と、自分の生存の可能性。
ゆっくりとモンスターが自らに迫るのを知覚しながらも幾つもの思考が流れる中、最後の最後にリヴェリアの思考に残ったのは―――。
―――シロは、無事だろうか?
一人の男の姿であった。
そして、あらゆる手段が間に合わないと覚悟を決め、数瞬後に襲いかかるだろう衝撃と痛みにその痛みに身体を強張らせた瞬間。
「―――
「―――え?」
モンスターと己の前に、壁が現れた。
磨き抜かれた鏡面のようなそれに、一瞬巨大な鏡が現れたのかとも思ったが、それが続いて自分を囲むようにして空から降り注ぐと、ようやくそれが壁でも鏡でもなく、ひたすらに巨大な剣であると理解した。
とはいえ、それが剣であると理解しても、何が起きているのか状況を把握出来た訳ではない。
自分を取り囲む―――いや、守るようにして盾のように聳え立つ剣が一体何なのか、そして唯一視界が開けている上空から周囲のモンスターへと降り注ぐ剣の雨が何なのか。
何もわからない。
ただただ混乱と困惑に思考が埋め尽くされるなか、長く感じられた一瞬の豪雨は、周囲から聞こえたモンスターとダンジョンが破壊される音が止むと同時に降りやんだ。
すると、それに合わせるかのように、リヴェリアの周囲を守護していた剣が消え始めていく。
魔剣を使い終えたように砕け散るのではなく、溶け消えるように光の粒子のように解けていくように。
それは一種幻想的にすら思えて。
リヴェリアはこんな状況でありながらその光景に思わず目を奪われていた。
そんな時であった。
腐食液による溶解により上がった霧のように立ち込める煙の向こうから、何者かの足音と人影が現れたのは。
「ッ!!?」
慌ててその人影へ向かって杖を構え警戒を向ける。
フィン達も同様に、未だ正体が不明な人影へと警戒を向けていた。
ゆっくりと近づく足音と次第に形となる
近づくその人影に、ふとリヴェリアの頭に先程剣が降ってくる直前に聞こえた声が思い出される。
―――あの声、何処かで?
その答えが口から出てくる前に、それは目の前に現れた。
「―――なっ?!」
現れた答えを前に、リヴェリアは、いや、その場にいた全員が驚愕と共に息を飲む中、フィンが代表するかのようにリヴェリア達の気持ちを代弁するかのように口にした。
「どうして、君がここにいるんだい―――シロ」
構えていた武器の切っ先は下ろして見せてはいるが、何かあれば直ぐにでも対応できる雰囲気を見に纏わせた様子で、フィンがここにいる筈のない男に―――シロへとその鋭い視線を向けていた。
敵対的とも言えるその警戒した眼差しを向けられたシロは、立ち止まると、何も持っていないのを見せつけるかのようにゆっくりと腕を組んで見せると小さく肩を竦めて見せた。
「いきなり詰問とは―――随分と余裕がないようだな」
口の端を少し持ち上げながら、シロはフィン達の姿を目だけで確認すると腕をほどき歩くのを再開した。
「何人か姿が見えないということは、分かれた―――のではなく、分断されたというところか」
「止まれ」
「フィンっ?!」
近付いてこようとするシロへと向けて、フィンが槍の切っ先を向けた。
それを見たリヴェリアが思わずといった様子で声を上げるが、フィンから向けられた視線にはっとしたように口許を手で押さえた。
フィンの制止の声に素直に足を止めたシロは、何かを言おうとするも言葉を飲み込んだリヴェリアが向ける複雑な視線を受けると、小さくため息をついた。
「何をそう警戒―――ああ、そうか」
眉間に皺を寄せてため息をついたシロであったが、何かを察したように小さく頷くとフィン達に背中を見せた。
「別に謝礼を求めようなどと考えてはいない。ただ
そう口にしてその場から立ち去ろうとするシロの背中へ、慌てリヴェリアの声が向けられた。
「まっ―――待てシロっ!?」
「……近付けば止まれと、去ろうとすれば待てと、お前達はオレに動くなと言うつもりなのか?」
肩越しに振り返ったシロの顔は、口許は若干の笑みの形をしていたが、その目は明らかに笑ってはいなかった。
その視線にフィン達は一瞬腰が引けてしまったが、気を取り直したリヴェリアが慌てて首を横に降り始めた。
「そ、そうじゃないっ。ただ、待ってくれ。私たちも混乱しているんだ。わかるだろうお前も」
「いや、わからないが?」
顔だけでなく身体を再度後ろへ、フィン達の方へと向けたシロが、リヴェリアの言葉に首を傾げる。
からかう様子の見られないその姿に、リヴェリアが口をつぐませていると、深いため息をつきながらフィンが代表するかのように前へ足を一歩出した。
「君はここが何処だかわかっているのかい?」
「ダンジョン―――わかっている、53階層だ」
「そうか、なら僕の言いたいこともわかっているんじゃないのかい?」
フィンの冗談が通じない眼差しを受けたシロが、降参するかのように両手を上げて答えて見せた後、続いた言葉には鼻を鳴らして応えた。
「冒険者がダンジョンにいて何か問題があるのか」
「ないね。だけど場所が問題だ。特に君がここにいる場合は。それとも、他に連れでもいるのかい?」
わざとらしくシロの背後に視線を向けるフィン。
常識―――シロがこの場にいる事で既に常識などないが、普通に考えれば誰かに連れてこられた可能性が考えられるが、フィンは自分で口にしながらそうは思ってはいなかった。
それは何かの理論的に考えたものではなく、直感的なものであったが、それに確かな確信を抱いていた。
「残念ながら一人だな」
「……なら、なおのことおかしな話だ」
シロの答えに是と考えながらも、やはりそれでもこれまでの経験という強固な常識が
という現実を否定する。
故にその葛藤が混じったような低い声が
「ほう」
「確かに君は強い。レベル1というのがあり得ない程に。しかし、そうであっても君がここにいるのはあり得ない」
「理由を聞こうか」
断定するフィンに、シロが話を続ける事を促すように顎を微かに動かす。
「普通は聞かなくともわかるんだけどね」
槍から離した片方の手をシロへと突きつけ、その手の指を一つ上げて見せる。
「一つ、いくら強いとはいえ、ここは最深層。モンスターの数も強さもこれまでとは桁違いだ。レベル1など話にもならない。例えオッタルでも一人ではここまではこれない」
単純な強さの問題だ。
確かに突出した強さを持つオッタルならば、単独でダンジョンを踏破し、階層主すら倒して見せることはできるだろう。
実際にそれだけの事をしたこともあると聞く。
だが、そうであっても、それだけの強さがあっても、
強さもそうだが、無限とも言える数が驚異なのだ。
怪我や体力はポーション等でなんとか出来るかもしれないが、武器の消耗は避けられない。
シロは鍛冶の腕もあると聞くが、それでも限界はある。
「二つ、ここに来るまでの障害はモンスターだけではない。あらゆる環境やダンジョンの名の通り迷路のような道と罠が幾つもある。そしてそれは公には公開されてはいない。僕は君が僕たちと同時期にダンジョンに入った事を知っている。今、ここで君と顔を合わせるのは有り得ない」
確かにギルドが公開しているダンジョン内の地図はあるが、それでも公になっていないものは数多く存在する。
その内の一つが自分達の持っているものだ。
ダンジョン最深層に至るまでの最短ルート。
それを使っての攻略。
確かに、以前よりも後方支援に力を込め、攻略速度は遅くはなったが、それでも何も情報がない者がこれるような所でも、ましてや情報を持つ自分達に追い付ける筈がない。
「三つ、君はオッタルと戦い、その最後はダンジョンの崩落に巻き込まれたと聞いた。オッタルとの戦闘での負傷に加え、崩落に巻き込まれた。普通に考えれば生きているのも難しい筈―――なんだけど」
レフィーヤやガレスの報告から、シロが負っただろう負傷は生死が不明な程であると聞く。
オッタルと戦い生き残っただけでも有り得ない上に、そこにダンジョンの崩落まで加わる。
正直、それを聞いた時には、自然と死んだなと思ったものであるが―――見た限りそんな怪我はない。
「そんな様子は見えないね」
確かめるようにシロの身体をじろじろと見るフィンに、シロは肩を竦めて見せるとからかうような視線を向けた。
「さて、それはどうかな。服の下は酷いことになっているかもしれないぞ」
「なっ―――!?」
「……そうは見えないけどね」
シロのあからさまとも言える言葉に、しかし思わず、といった様子で心配気な声を上げたリヴェリアに、何処か呆れたような視線を向けるフィン。
しかし、直ぐに目をシロに向けると、その視線を受けた本人はリヴェリアの様子に張り付けたような笑みではない笑みを口許に浮かべると、安心させるように首を左右にゆっくりと振った。
「ああ、すまないリヴェリア。大丈夫だ。そうだなフィン。確かにその通り怪我はない」
「エリクサーでも使ったのかい?」
「似たようなものだ」
その顔に浮かぶ微笑は変わらないが、その目が語っている。
話すつもりはない、と。
怪我を直した魔法のような方法を口にすることはないと判断したフィンは、追求する無駄を省くと、最初の質問へと戻る事にした。
「……で、答えてくれるかい?」
「何を―――ああ、そう怖い顔をするな。わかっている」
繰り事はしないと視線に込めて無言で告げると、シロはフィンかあら視線を外すと、その後ろにいたアイズにちらりと視線を向けた。
「とは言ってもな。『どうやってここに』という質問には普通に降りてきたとしか答えられないな。そして、『どうしてここに』という質問には―――」
そして、再びフィンへと視線を向けると目的地を告げた。
「―――59階層に用があってな」
「―――ッ」
その意味を知るアイズは、思わずといった様子で息を飲む。
それを方耳に事情を知るフィンは、確かめる意思をもって言葉を向けた。
「……
「まあ、そうだ」
「また、依頼でも受けたと?」
「似たようなものだな」
フィンがちらりとアイズへと視線を向けるが、未だに混乱した様子が見えるその様子からは判然としないが、何かを知っている様子は見られない。また、自分達の知らないところで何か依頼を受けたということはないようだった。
「それで、もう行ってもいいか。いい加減ここから離れたくてな」
何か間が込むように黙り込むフィンに、シロは周囲を漂う刺激臭が鼻につく煙を見回した。
「……確かに、ここにはあまり居たくはないね」
フィンはそれに見渡す限り腐食液で溶かされグロテスクな壁や地面となったダンジョンの様子に同意を示すように頷いた。
フィンの言葉を許可と取ったシロは、再びフィン達へと背中を向け立ち去ろうとしたが、その前にまたもリヴェリアの声がそれを阻んだ。
「それでは、失礼する」
「っ―――待ってくれっ!」
「また、なんだ?」
掴みかかるかのようなリヴェリアの声と勢いに、動き出そうとするシロの体が思わずといった様子で急ブレーキを掛ける。
これ以上話すことはないだろうと、無言のまま目で告げるも、リヴェリアは何処か焦った様子で言葉を放ちながら、周りに視線を向けた。
「あ、いや、その、だな。っ、そ、そうだっ! 59階層が目的地なら私たちも同じだ。一緒に―――っ」
リヴェリアの言葉と向けられた視線に、フィンは何かを考えながら縦に頭を動かし。
アイズは伺うように、小さな子供がするように下から見上げる形で何かを伝えたいような眼差しを向けて。
そして椿はただ無言のまま、その一つの赤い目だけを何かを確かめるようにまっすぐにシロへと向けていた。
「……そうだね。色々と納得はいってはいないが……まあ、向かう先は同じだ。僕は構わないけど」
「シロ、さん」
「……」
それ以外のここにるメンバーは、反対も賛成も示すことはなく、フィン達の決定にまかせるといった様子を見せていた。
その誰一人として反対する様子がないことから、シロは少し考える姿を見せた後―――。
「……どうあれ最後にはかち合うしかない、か……そうだな。そちらが構わないというのなら、少し厄介になるか」
頷いてみせた。
その姿にフィンは確かな笑みを顔に浮かべると、見に纏っていた緊張感という警戒心を剥がし捨てるとシロへ向けて大仰に頷いた。
「色々とすまなかった。まあ、君ならわかるだろ?」
「確かに、間も悪かったようだしな」
シロはフィンの言葉にしなかったものを正確に捉えていた。
フィン達を襲ったのは、ただ襲いかかるだけのモンスターとは違う。
考え思考し、時には罠にはめ姦計を張り巡らす。
以前には、殺した冒険者の頭の皮を剥いで変装すらする。
だが、そうではない。
シロは偽物ではなく本物である。
それは間違いない。
「ああ、そういえば肝心な事を言い忘れていた」
「ん? 何だ? まだ何かあったか?」
シロが小首を曲げて頭を捻ると、フィンは苦笑しながらも真剣な眼差しを向けると。
「一番最初に言わなければならなかった事だよ。僕としたことが、どうやら本当に混乱していたようだ」
そうして、深々と頭を下げたフィンは、一言一言に感謝の気持ちを込めてシロへと礼を告げた。
「ありがとう。リヴェリアを助けてくれて。本当にありがとう」
「ッ!!? ―――どうしてこいつがここにいるんだッ!!?」
リヴェリアの魔法により周囲一帯が氷漬けとなった中で、ベートの怒声が響いた。
しかし、その声には普段の勢いはなく、隠しきれない疲労があり、そしてその中には幾分かの混乱が混じっていた。
それもそうだろう。
分かたれた仲間との合流を喜ぶよりも先に、戦力が増した事を機にフィンの指揮の下、58階層での戦闘は一気に終息へと向かうことになった。
そしてその場にいたモンスターを全て倒し、一息つける状況となったことから、再会を喜ぼうと集まったところで、そこにいる筈のない者の姿を見つけることとなった。
有り得ない状況を前に、豪胆を形にしたようなガレスでさえ言葉を失うなか、唯一声を上げたのがベートであった。
「おいフィンッ!! これはどういう事だッ!!?」
ベートも周囲と同じく困惑はあったが、それを塗りつぶすだけの感情があったことから、
しかし、やはりそんなベートであっても、あらゆる意味でいる筈のない男がここにいることに困惑が隠せないのだろう。シロに掴みかかるよりも先に、その矛先は事情を把握している筈のフィンへと向けられる事になった。
「どういう事、か……まあ、少し上で合流してね。その際彼に助けられたんだよ。で、行き先も同じということで共に行くことになった」
「ッ! 馬鹿にしてんのかッ!?」
肩を竦めて苦笑するフィンに、怒髪天をつくという言葉を表すかのように、頭髪だけでなく全身の毛を逆立てたベートが目をつり上げ気炎を上げた。
「俺が聞いてんのはッ―――」
「わかっている」
怒りで疲労も吹き飛んだのか、今にも飛び掛からんとする勢いでもってフィンに詰め寄ろうとしたベートに、フィンがそれを制するように手を伸ばした。
「だけど、今言えるのはこれだけなんだ。
「っ……本当にいいのか」
言い含めるようなフィンの言葉と意思を込めた視線に、ベートは喉まで出てきた反発を無理矢理飲み込むと、その刃のような鋭い視線をシロに一度投げつけた後、もう一度フィンへと問いかけた。
「言っただろう。助けられたって。それに、出来れば彼には目の届くところにいてほしい」
「―――ちっ」
最後は小さく獣人であるベートだからこそ聞こえた程の小さな言葉に、忌々し気に鋭く舌打ちを鳴らす。
そのまま目障りだと言わんばかりに勢いよくシロに背中を向けると、ベートはその場から離れていった。
何時爆発するかわからない状況から解放され、何処か空気が一息ついたような感覚が拡がる中、ようやくといった様子で分断された彼らが合流を喜ぶようにそれぞれの安否を確認する中、顔を俯かせながら一人外れた場所に佇むシロへと近寄る人影が一つあった。
「……シロ、さん」
「どうしたレフィーヤ」
手を伸ばせば触れられる程の距離まで近づきながら、顔を上げることもせずに俯いたままのレフィーヤに、何処か優しげに聞こえる声でシロが声を掛ける。
「あ、あの、私は、その―――」
「あの時は、助かった」
「―――っ」
ぐっ、と言葉に詰まりながらも、何かを言おうとするレフィーヤを制するように、シロは何気ないことのように感謝を告げた。
その言葉に、言いかけた言葉を喉に詰まらせたように止まったレフィーヤに、シロは言葉を続ける。
「あの時、レフィーヤが立ち塞がってくれなかったなら、オレはあそこで終わっていた」
「っ、それは―――」
「本当に、強くなったな」
「っ―――私はッ」
自分でも原因はわからなかった。
何がそんなに自分の感情を駆り立てたのか本人でも分からなかったが。
その言葉に、レフィーヤは俯かせていた顔を髪を振り乱す勢いで上げると、滲む視界で驚きを見せているシロを睨み付けた。
「私は強くなんてないっ! だって、私はあの時、結局何もできなかったっ! 何もできず、ただ見ていることしかできなかった!」
「レフィーヤ」
「ただ、立ち尽くしていただけなのに―――」
「レフィーヤ」
「―――あ」
捲し立てるように。
内から溢れでる感情を言葉として吐き出す勢いは激しく。
放っておけば、喉が裂けるまで自身への攻撃は止まなかっただろうそれを、シロはレフィーヤの頭の上に置いた手を少し乱暴に撫でることで止めてみせた。
「それが、どれだけの偉業かは、オレは知っている」
自分の手で遮られて今レフィーヤがどんな顔をしているのかはわからず、また先程とはうって変わって何も口にしないことを良いことに、シロは伝えたい事を言葉にする。
「奴と対峙したからこそわかる。あの男は強く、恐ろしい。そんな男を前に、立ち塞がるだけでも出来る者などそうはいない。そして、レフィーヤが立ち塞がってくれたからこそ、オレは立ち上がる事ができた」
その言葉に、偽りは欠片もなかった。
対峙したからこそ良くわかる。
戦闘体勢に入ったあの男の前に立つのは、生中な心意気で出来るようなことでは決してない。
気迫だけで、下手な相手であれば気を失いかねないだろう。
それなのに、レフィーヤは啖呵さえきってみせたのだ。
偉業と言っても過言はない。
「―――でも」
頭の上に置かれたシロの手を振り払う事もせず、なすがままにされていたレフィーヤだったが、何かを言い淀むように伏せた顔の下何かを口にしようとする。
その声音に、まだ自分を責める様子が見られたから。
「―――でももないだろ。助けられたオレが言っているんだ。それが答えだ」
「シロ、さん」
シロはレフィーヤの頭の上に置いていた手を少し強めに撫でるように動かすと、その頭を強制的に上に向けさせる。
大した抵抗もなく顔を上げたレフィーヤと視線が交わる。
その大きな瞳は濡れて揺らめいて。
今にも零れ落ちそうだった。
大きな不安に揺れているように見えるその瞳は、しかし何処か誘うような微かな色気が混じっていた。
重なる視線の中、互いに無言でみつめあう。
何か、奇妙な雰囲気が生まれかけた―――その時。
「ん~? 二人ともどうかしたの?」
「っ!?! てぃ、ティオナさんっ?!」
何の前触れもなく、ひょっこりと二人の間に顔を現したティオナによって生まれかけた妙な雰囲気は微塵に砕かれた。
「やっほ、シロっ! そう言えば随分久しぶりだね。まさかこんな所で会うなんて思わなかったよっ!?」
「ああ、そうだな。連戦が続いていたようだが、体の方はどうだ?」
猫が何かやらかしてしまったことを毛繕いして誤魔化すかのように、一歩後ろに下がったレフィーヤが髪の毛を手櫛で整え出すのを尻目に、ティオナはシロへとぐいぐいと詰め寄っていた。
「ポーションも飲んだからばっちしっ! でっ、でっ! 何でシロはこんな所にいるの!? と言うか、どうやって来たの!? ここ58階層だよっ!!? シロレベル1だったよねっ!?」
「59階層に用があってな」
最早抱きついているのではと疑いが生まれるほどの距離にまでシロへティオナは詰め寄っていた。
その勢いに飲まれないようにするかのように、シロは努めて落ち着いた声音と雰囲気で対応している。
「59階層に? へ~そうなんだ……ってそれだけ?! もっとこう色々あるんじゃないのっ!? だってここ58階層だよっ!! モンスターなんてほんと強くて数も桁違いだしっ! さっきなんかもう大変だったんだからっ!!」
「まあ、確かに色々とある事はあるが、そこは秘密ということで」
きらきらと輝くように煌めくティオナの目からは、何かを探ろうとする様子は見えず。ただただ純粋なまでの好奇心で輝いていた。
その背後、少し離れた場所で睨み付けるようにこちらを見つめてくる双子の姉とは違って。
「え~けち。良いじゃんか教えてくれたって」
「まあ、そこは勘弁してくれ」
「む~……まいっか、リヴェリアを助けてくれたって聞いたし。ありがとね」
ぐいぐいと、態度や言葉だけじゃなく、物理的にその身体も寄せてきていたティオナだったが、不意に一歩後ろに下がると、改めてシロを見上げ満面の笑みを浮かべたかと思うと勢い良く頭を下げてきた。
その時に一緒に言葉にした感謝のそれには、確かに強く深い感謝の念が込められていた。
「いや」
清々しいまでのその姿に、思わず口許が緩んだシロは、頭を下げたままのティオナの後頭部へと向けて何かを言おうとしたが、それがまともに形になる前にそれを遮る形でレフィーヤが驚きの声を上げた。
「えっ!? リヴェリア様を助けてくれたって、それは―――」
「ここに来る前に少しな。安心しろ。リヴェリアに怪我はない」
間にいたティオナを乗り越えて掴みかからんばかりの勢いでシロへと再度の突撃を噛まそうとするレフィーヤの前に手を出してそれを制する。
そしてリヴェリアの無事をしっかりと伝えると、パニック状態に陥りかけていたレフィーヤも直ぐに落ち着きを取り戻せた。
「そ、そうですか……」
「それで、話は済んだかい?」
ふうっ、と特大の安堵の息をついたレフィーヤの背後から、次に姿を現したのは小柄な人影。
【ロキ・ファミリア】の団長フィンであった。
「あっ―――だ、団長っ?!」
文字通り飛び上がって驚きを示したレフィーヤに苦笑いしながら、フィンはシロへと視線を向ける。
「ああ、何だフィン」
「これからについてだよ」
シロの問いに、フィンは返事を返しながら59階層へと繋がる連絡路へと視線を向けた。
「59階層、か」
「ああ、少し59階層の連絡路を確認してきたんだが」
尻すぼみに消えていくフィンの言葉に混じった困惑の色に気付いたシロが、それについて指摘を投げ掛ける。
「それで、何か問題が?」
「問題、なのか……【ゼウス・ファミリア】が残した記録では、59階層から先は『氷河の領域』とあるんだが……」
最後にちらりと自分へと向けられた視線に、シロは一瞬分からなかったが、それが自分の装備に関してかと考え安心させるための言葉を告げる。
「それが―――ああ、
「いや、それは気にしなくても予備はあるんだが、問題はそれが必要になるかといった所なんだ」
「―――どういう事だ?」
どうやら自分の答えは不正解だったようだと理解すると、シロは正解を求めるため続きを促す。
「記録によれば、そこは第一級冒険者の動きすら凍てつかせる程の恐ろしい寒気だとあった。だけど、通路の前まで行ったのに全くと言っていいほどに冷気は感じられなかった」
「え? それって」
「【ゼウス・ファミリア】の誇張、というわけではないのか?」
そこまで言えば、何を問題にしているのかは流石にわかった。
だからこそ、現時点で考えられる最も高い可能性を口にしたが、それを言いながらシロは自分でも信じてはいなかった。
それもそうだろう。
いくら誇張しても、何時かは必ずばれてしまうのだ。
そんなことは当時の彼らにも分かっていた筈。
ならば、下手な誇張は入れず、出来るだけ忠実に伝えていた筈だ。
「僕たちのこれ迄の経験から言わせてもらえばその可能性は低い」
「なら」
だからこそ、フィンの言葉に素直に頷いたが、それはある意味では良くないことを示すものとなるだろう。
故に、フィンは向けられたシロと視線を合わせると同意を示すため大きく頭を下げた。
「ああ、何かあるね」
「確かめるには、行くしかないか。まあ、元よりそのつもりだ」
シロの目が細まり、その鋭い眼光が59階層へと繋がる連絡路へと向けられる。
「そうだね。各自の準備が終えた次第、出発する予定だ。そちらはどうだい?」
「構わない。こちらは何時でもいける」
互いに横に並ぶと、フィンとシロは59階層へと続く連絡を共に見つめる。
既に【ロキ・ファミリア】のメンバーは椿も含め大体のコンディションを整えていた。
フィンはシロの同意を受けると、小さく頷き顔を上げた。
「それじゃ、行くとしようか。誰も知らない―――未知へと、ね」
感想ご指摘お待ちしています。
……展開と言うか進行が早いでしょうか?