たとえ全てを忘れても   作:五朗

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第四話 花開くとき

 

 カツン、カツンと幾つもの乾いた足音が響いていた。

 携行用の魔石灯の明かりが広い洞穴のような連絡路の暗闇を僅かに削り、押し開くように僅かな視界を確保している。

 長い―――長く深く続く、自然とも人の手によるものとも知れない階段を下りる中、何処までも続くかのような階段を下りる【ロキ・ファミリア】の面々の肌には、汗が滲み出し玉となって滴り落ちていた。

 しかし、それは疲労によるものではなく。

 

「あっ、つい……」

 

 ティオナがその露になった褐色の肌に浮かぶ汗を拭いながら誰にもなしに呟いた。

 そう、その言葉の通りそこは酷く蒸し暑かった。

 記述にあった極寒など欠片もなく。

 ただただ湿った熱が辺りに充満していた。

 洞穴―――連絡路の前で皆が感じていた微かな異変は、最早互いに話し合わなくとも確かな確信へと変じていた。

 皆がそれぞれ胸騒ぎを胸に宿しながら歩く先で、微かな明かりが見えた。

 

「出口、か」

 

 誰が口にした言葉かはわからないが、その言葉を合図にしたように皆の足の動きが僅かに早まる。

 しかし、そこに油断はなく。

 増した警戒心と緊張感で体に力が入りながらも、覚悟を決めた顔で前へ―――下へと進む。

 そして、ついに最後の階段から足を離し、辿り着いた先―――未到達領域。

 そこで彼らが目にしたものは―――

 

「―――密、林?」

 

 驚愕と、戸惑いと、困惑が入り乱れた声で、ティオネが周囲を見渡しながら知らず口から言葉を溢していた。

 その言葉の通り、そこには密林が広がっていた。

 【ゼウス・ファミリア】の記述にあった氷河などそこには何処にもなく、見るからに異常で醜悪な、ただただ不気味な植生が広がる密林がそこにはあった。

 ダンジョンは下へ下りるに従いその広さを増すという。

 その通り。直上の58階層よりも明らかに広いだろう一つの町すら収まりかねないその広大な『ルーム』は、今や何処か亜熱帯の大地を思わせる密林へと変じていた。

 謎の不気味な植物らは大地から生えているだけでなく、天井を見れば遥か頭上からダラリと垂れ下がる蔓や蔦があり、天井から続く壁へと視線を動かせば、何かがみっしりと埋め尽くしているのだろう壁面は緑一色に染まっている。

 そこはまるで、ダンジョンではなく別世界に紛れ込んでしまったかのような感覚をフィンたちに抱かせた。

 ただ、『ルーム』を照らし出す、緑肉に覆われていない天井の一部で輝く燐光の姿だけが、ここがダンジョンである事を示していた。

 

「これって、まさか……」

 

 呆然と辺りを見渡していたレフィーヤが、その光景に何処か既視感を覚え。

 それが何なのか思い至ると自然と口から言葉が出ていた。

 

24階層の(食料庫)―――」

 

 レフィーヤの言葉に、アイズとベートもまた同じ考えに至っていたことから警戒心を更に高めていた。

 【ロキ・ファミリア】の面々がそれぞれに周囲を伺い警戒するなか、シロもまた同じ考えに至り周囲を見渡していると、警戒するその感覚の中に、一つの異音を捕らえた。

 と、同時にそれに気付いたサポーターの一人であるラウルが遠慮がちに、しかしはっきりとした口調で声を上げた。

 

「あの、何か変な音が聞こえないっすか?」

 

 ラウルのその言葉と、そして向けられた先へと視線を向けた彼らは、その言葉の通り明らかにナニかが発する音を捕らえる。

 それが聞こえてくるのは連絡路を降りて真正面。

 密林を真っ直ぐに進んだ先―――この広大な『ルーム』の中心と思われるところから聞こえていた。

 何かを咀嚼する音。

 倒れ、崩れ落ちる音。

 そして微かな甲高い鳴き声。

 ナニかが、そこにはいる。

 確信を抱いた皆が、一斉に視線を一人のパルゥムへと向ける。

 【ロキ・ファミリア】の団長たるフィンは、その視線を受け止めると一つ大きく頷くと睨み付けるように『ルーム』の中心―――異音が響くこの異常の元凶がいるだろう場所へと視線を向けた。

 

「―――前進だ」

 

 その言葉を合図に、前進を始める。

 フィンの指示がなくとも、自然とメンバーは編成を組んでいた。

 ベートとティオナが先頭にフィン、ティオネ、アイズ、その直ぐ後ろにサポーターと椿が。

 最後に砲台でもあり支援であるレフィーヤと殿を務めるリヴェリア。

 そしてリヴェリアの隣にはシロの姿があった。

 ベートを先頭に、中心へと続いているだろう一本道を進んでいく。

 ここ(59階層)に下りてきてから、未だモンスターとの接敵はなし。

 警戒による歩みの遅滞は次第にほどけるように解け、歩みは次第に早まっていく。

 しかしそれでも、異音の源へは辿り着かず。

 蒸し暑さだけでない汗が額に浮かび始めた頃、唐突に視界が広がった。

 

「なに、あれ?」

 

 先頭を歩んでいたからこそ、真っ先にそれを目にしたティオナが、後から続く者達の疑問を代弁するかのようにその疑問を口にした。

 ティオナの視線の先、そこに辿り着いた面々が視線を向ける先には、灰色の大地が広がる中心にそれはあった。

 気味の悪いうねる緑の体を押し付けるように集まっているのは、芋虫型のモンスターだけでなく、食人花のモンスターの姿もあった。

 同じ形のものがぎゅうぎゅうと群れる姿は、生理的な嫌悪感を抱かせるが、ティオナの疑問の先はそれではなく、それらが集う中心に聳え立つもの。

 一見すれば植物にも見えるが、遥かに大きく太すぎるそれは、植物よりも塔にすら見える。

 だが、それは塔などではなく。

 ましてや植物でもない。

 当たり前だ。

 その姿からは女のようにも見えるが、明らかに正常な姿のそれではない形は、もし作り手がいたのならばその精神を疑われかねない形をしていた。

 それが何なのか、彼らは知っていた。

 

「『宝玉』のモンスター……」

「寄生されたのは、あの異様からして『タイタン・アルム』か?」

 

 蠢くモンスターの群れの中心にあるその巨大な女体型のモンスターを見上げ、ぽつりと呟いたレフィーヤの言葉に応えるように、隣に立つリヴェリアが深層に潜む巨大な植物型のモンスターの名を口にする。

 敵も味方もなく、ただあらゆるモノを己の糧へと変える『死体の王花』と呼ばれるモンスターだ。

 『ルーム』の中心に集うモンスターの群れは、現れたフィン達に気付いていないのか、一匹たりとも意識を向けてくるものはいなかった。

 中心にいる女体型のモンスターへ集い、そして何かを捧げている。

 

「あれは、まさか―――」

 

 睨み付けるようにしてモンスターを観察していたフィンが、女体型モンスターへ向けて、芋虫型のモンスターが口腔から舌のようなものを伸ばしている姿を見て、訝しげに眉を曲げた。

 しかし、直ぐにその先端にあるモノが何であるかがわかると、強い危機感が含んだ声を上げた。

 

「―――魔石を与えているのかっ?!」

 

 フィンの声を切っ掛けにしたかのように、周囲のモンスターから捧げられる魔石を女体型のモンスターが無数の触手でもって貪欲に奪い取る。

 抵抗するどころか母鳥が雛に餌を与えるように、無防備に魔石を取られた周囲のモンスターは、灰へと変じ灰色の大地の一部へと変わっていく。

 

「ま、さか―――」

 

 灰となったモンスターの残骸の一部が、風にのって周囲に漂う。

 ゆっくりと漂い、少しずつ周囲に広がり落ちていくその様子を目で追っていた椿が、それが灰色の地面へと落ちると呆然と声を溢した。

 

「これが全てモンスターの残骸だと?」

 

 同じく、フィン達もそれに思い至っていた。

 しかし、だからといって驚きがなくなるわけではない。

 それぞれが驚愕に身を震わせる中、それが意味するところにフィン達は焦燥のあまり顔を歪めた。

 

「『強化種』ということかっ―――!?」

 

 見渡す限りに広がる灰色の大地。

 一体どれだけのモンスターが灰となったのか想像もつかない。

 それはつまり、それらを食らったこの女体型のモンスターの強さもまた、想像がつかないということ。

 誰もが目の前の脅威に身を震わせる中、ただ一人戸惑いの中にいた者がいた。

 

(―――なに、これ?)

 

 アイズは、先程から自身の鼓動が収まらなかった。

 早鐘を打つ鼓動は、時と共にその速度を増していく。

 驚愕、警戒、焦燥―――違う。

 そうではない。

 アイズは、危機感を元にするものではないと、本能的に悟っていた。

 視線の先。

 今も捧げられる魔石を貪り食らうおぞましい筈のモンスターの姿に、自分の中のナニかが―――。

 血が―――ざわめいている。

 そして、その衝動に押され、思わず手が伸びそうになった瞬間―――。

 

『―――ァ』

 

 それは、生まれた。

 

『―――ァァ』

 

 周囲から捧げられる魔石を受け入れるように、女体の姿をした部分を前に倒していたのを、ゆっくりと上げていく。

 くぐもった低い声が響き。

 それは次第に大きくなっていく。

 倒していた上半身が上がっていき。

 ついには完全に持ち上がった女の姿をした上半身が露となる。

 醜快な姿をした面から聞こえる低くくぐもった呻き声は、次第に大きく。

 明らかな何かの前兆―――悪い方向のそれに、フィン達の警戒が更に高まり―――そしてそれが顕れた。

 

『アアアアアアアアアアアアアア―――』

 

 一際大きな声を―――まるで赤子が生まれた時に上げる産声のように、それが声を上げた瞬間。

 女体の姿をした上半身がはっきりと蠕動した。

 リズム良く。

 まるで何かに合わせるかのように、一定の間隔で蠕動する女の形をした上半身は、フィンが行動を決定する前に更なる変化を起こした。

 

「「「―――ッ!!?」」」

 

 一回り以上にその上半身が膨れ上がり人の形から細長い緑の肉の塊となったかと思った次の瞬間、蕾が花開くようにそれは縦に幾つもに別れ開いていき。

 それは、顕れた。

 

『―――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』

 

 花開いたその中心には、『女』がいた。

 歓喜の声を、私はここにいるとでも叫ぶように産声を上げるそれは、先程までの醜い姿は何処にもなく、まるで女神かと間違うばかりの美しさだった。

 体の動きに合わせ右へ左へと優雅に揺れる長い緑の髪。

 ほっそりとした首、豊かな胸元、くびれた腰―――流れるようなそのなだらかな上半身を覆うのは、人の手では作り得ないだろう精緻な極彩色の衣。

 閉じた空を仰ぎ歓喜の声を上げるその姿。

 ただ一つ異様なものは、その体の全ては緑色をしていた。

 髪も、肌も。

 例外だったのは瞳だけ。

 瞳孔も虹彩もないその大きな瞳は、ただ一色―――黄金。

 どろりと淀んだその黄金の瞳を見開き、叫びを続ける『女』は、上半身が変わったところでその変化は終わらず。変化は植物の形をした下半身へと続いていた。

 長い蛇体にも巨木にも見えたそれは、何時しか巨大な花弁と無数の触手へと変じていた。

 

「っな―――何なのよあれはっ!?」 

 

 人では不可能な、息継ぎのない延々と続く産声は、もはや声ではなく高音の高周波。

 鼓膜を震わせ痛め付けるそれは兵器にも感じられるほどで、ティオネは両耳を強く両手で押さえつけながら不快に顔を歪ませながら現れた『女』を睨み付ける。

 誰もが耳を塞ぎ顔をしかめる中、ただ一人だけアイズは耳を塞ぐことなく立ち尽くし。

 その声を上げる『女』をただ見つめていた。

 爪を立てるような『女』の叫びは、しかしアイズには届かず。

 アイズはただ未だに高まる己の鼓動の音に意識を奪われていた。

 

 そんな―――

 

 まさか―――

 

 有り得ない―――

 

 否定の声が次々に生まれるが、それは一つ鼓動が打たれる度に消えていき。

 ついには否定の声は全て潰え、鼓動だけが響き続ける。

 そして、それが頂点に達し、何かを伝えるように一際強く鼓動が脈打ち―――否定できない現実としてアイズの前にそれ(答え)を突きつけた。

 

『―――アア』

 

 天を仰いで叫んでいた『女』が、何かに惹かれるようにぐるりと顔を曲げ、アイズを見た。

 アイズの目と、『女』の目が―――視線が交わる。

 己の内から溢れる衝動に身を震わせ、口を固く噛み締めたアイズに対し、『女』は柔らかく、無邪気に、その口元を大きく歪ませ笑った。

 

『アア―――アリア』

 

 淀み、濁り、曇ったその黄金の瞳を嬉しげに歪ませ、『女』は笑ってアイズを見て彼女を呼ぶ。

 

『アリアッ―――アリアッ! アリアッ!!』

 

 自分を見て、自分じゃない名を叫ぶ『女』を見て、とうとう否定が出来ず、遂にアイズはそれを口にしてしまう。

 その『女』の正体を。

 震える声でもって。

 泣きそうな声で。

 

「―――精、霊」

 

 その声は、囁きよりも小さくともその場にいた者の耳に届いていた。

 塞いだ耳から手を離しても、『精霊の女』の叫喚による影響が未だ続いていたティオナだったが、その声は不思議と聞こえていた。

 まるで聞き違いであってくれとでも顔と声でもってアイズへと視線を向けながら、指先を『精霊の女』へと向けた。

 

「あんな気味が悪いのの何処が精霊だってっ!?」

 

 否定を求めるティオナの声に、しかしアイズは首を横に振って否定する。

 確かに上半身だけなら、一見すればそう思ってしまうかもしれない。

 しかし、美しい上半身とは別に、その下半身は禍々しいばかりのモンスターの姿で。

 下手にその女の姿が美しいことからも、醜いモンスターの下半身が合わさり恐ろしさと醜悪さは否応に増し。

 何よりもその身に纏う平衡感覚を失わせかねない狂った雰囲気が、それが『精霊』等とは欠片も思い至らせない。

 何よりも思いたくなかった。

 

「―――つまり、新種のモンスターはアレをこの姿にするための、長い触手だったということか」

 

 ぽつり、と。 

 周囲に漂っていた恐れにた雰囲気を散らすように呟かれた声は、フィンのものであった。

 冷徹で冷静なその声音と、短くも落ち着いた言葉に浮き足立っていた者達の心が落ち着いていく。

 浮き足だっていた【ロキ・ファミリア】の心を、団長であるフィンの声が落ち着かせる間にも、件の『精霊の女』は笑い続けながら、アイズへと呼び掛け続けていた。

 

『アア―――アリアッ! アリアッ!! 会イタカッタッ! 会イタカッタッ!!』

「ッ、何で、どうして―――っ、違う―――私は―――」

 

 『アリア』と呼び掛けてくる『精霊の女』に、アイズは顔を横に震わせながらも、その瞳は動揺と疑問に揺れていた。

 周囲もまた、落ち着くと同時に『精霊の女』の言葉と視線がようやく頭に入り、疑問と戸惑いの視線をアイズへと向ける。

 ただ数人。

 フィンやリヴェリア、ガレスの三人は何か事情を知っているのか、アイズに視線を向けることはなく。

 顔を険しく歪めながら、『精霊の女』にだけその鋭い視線を向けていた。

 そして―――

 

『アハハ―――ネェ、アリア』

 

 疑問と戸惑いに警戒と、様々な思考が入り乱れるなか、アイズへと呼び掛け続けていた『精霊の女』がふと口を止めると―――。

 

『貴女ヲ―――食ベサセテ?』

 

 ―――にっこりと幼子のような笑みを浮かべた。

 

「―――総員戦闘準備っ!!」

 

 フィンの警戒の声と同時。

 『魔石』の献上のため集まっていた数十ものモンスターの生き残りが、一斉にフィン達ーーーいや、アイズへとその矛先を向けると襲いかかってきた。

 同時に周囲から聞こえてくる轟音は、壁を覆う緑肉が階層の出入り口を塞ぐ音。

 それを耳に、目にしたフィン達は撤退ができないことを悟る。退路を塞がれ動揺に意識を向かいかけた団員達だったが、それをフィンの一喝がその意思を強引に引き寄せる。

 

「来るぞッ!!」

「「「―――ッ!!」」」

 

 フィンの声に、各々が武器を構え襲いかかるモンスターの軍勢と対峙しーーー接敵。

 モンスターの体液が吹き上がり、咆哮が響く。

 50を越えるモンスターの群れは、黄緑の洪水となってフィン達へと襲いかかる。

 波打つ波音の代わりに、破鐘の咆哮を響かせ迫るモンスターに、フィン達は不壊属性(デュランダル)の武器を振り抜きその波を切り裂く。

 アイズもまた、未だ動揺に揺れる意識と早鐘を打つ心臓を意思の力で押さえ込むと、愛剣(デスペレード)を抜き放ちモンスターの群れへと飛び込んでいった。

 

「ッ―――圧力が!?」

 

 後方にてモンスターへ砲撃を放っていたレフィーヤが、レベル6であるフィン達でさえ一掃することができないモンスターの圧力に息を飲みながらも、次々に魔法を放っていた。

 しかし、不意にこの場にいる筈の一人の男の状況に思い至ると、慌てた声でその男を呼んだ。

 

「シロさんっ! あなた武器は―――」

 

 レフィーヤが覚えている限り、シロが武器を持っていた姿は見ていなかった。

 59階層へと続く連絡路を降りている時にも、バックパックさえ持ってはいなかった。

 あの時は、それを指摘する余裕がなかったが、それは今の状況を思えば致命的。

 レフィーヤが焦った様子で周囲を見渡すと―――。

 

「え?」

 

 シロが二振りの剣を振るいモンスターを倒す姿を目にした。

 先程まで―――少なくとも59階層へ降りるまでシロが武器を持っていなかったのは確かであった。

 もしやラウル達から武器を渡されたのかと思ったが、それも違う。

 何故なら、あの芋虫型のモンスターを切り裂きながら、シロの振るう剣は一切の損壊は見られない。

 ならば不壊属性(デュランダル)の剣の筈。

 しかし、こちらが用意できた不壊属性(デュランダル)の武器は全員今使用している。

 ならば、あれは?

 疑問が浮かぶ思考の中に、

 

「あの―――剣はっ!?」

 

 皆と混じって剣を振るっていた椿の喜色が混じった声が入り込む。

 その椿の声に、レフィーヤの記憶が呼び起こされる。

 嘆きの壁。

 死闘。

 オッタル(最強)の肉を切り裂いた二振りの剣。

 レフィーヤがそれに思い至った瞬間。

 それまでの思考を吹き飛ばすような鋭いフィンの指示を告げる声が上がった。

 

「レフィーヤ! 女体型を狙えっ!! ラウル達はレフィーヤの援護をっ、魔法を放つ直前に魔剣で取り巻きのモンスターを一掃しろっ!」

「―――っはい!!」

「了解っす!!」

 

 フィンの声に、思考を切り替え詠唱を始めるレフィーヤの周囲を、ラウル達サポーターが固める。

 体には何時でも使用できるように魔剣が装備されていた。

 

「合わせるっす!」

「―――っ!」

 

 護衛を務めるラウルの声に、その背中に向けて詠唱を続けながらレフィーヤが頷く。

 状況が進むなか、戦闘は更に激しさを増していく。

 モンスターの群れの圧力は未だ収まらない中、100Mは離れている筈の『精霊の女』も戦いに加わってきていた。

 巨大植物の下半身から生まれた無数の巨木の如き触手を振るい始めていた。

 その狙いは全てアイズへと向けられていたが、それらは目標(アイズ)へと届く前にティオナとティオネの二人が迎撃する。

 しかし、迎撃に成功する二人の顔は大きく歪んでいた。

 手に残る衝撃と痺れ。

 ここに来るまでに対峙した階層主(ウダイオス)逆杭(パイル)を容易に越える力に戦慄が走る。

 不壊属性(デュランダル)の武器で切り払った触手は、切り飛ばす処か傷一つついていない。

 (精霊の女)は未だ遠く、こちらからの有効な攻撃は一つも通っていない状況に、リヴェリアが魔法の詠唱のため声を上げようとする。

 

「まだだ」

 

 それをフィンが制する。

 リヴェリアが詠唱を始めるため開いた口を疑問へと変えフィンへと向ける。

 

「どういうことだ?」

「わからない―――ただ、何かが、来る」

 

 リヴェリアへ背中を向けたまま迫るモンスターを斬り倒しながら、フィンは疼く親指を槍にすり付けながら苦渋のこもった声で告げる。

 フィンの答えにならない声に、しかしその身に纏う雰囲気とこれまでの経験から、リヴェリアは反論することなく、幾度となく危機を救ってきた団長の直感を信じた。

 しかしそれは、これから何か恐ろしいことが起きると言うことでもある。

 これ以上何があるのか、とリヴェリアが杖を握りしめながら、警戒を込めた視線を『精霊の女』へと向けた時であった。

 アイズへと視線を向け、『アリア』と呼び掛け続けていたその口が、別の言葉を溢したのは。

 

『【火ヨ、来タレ―――】』

 

 涼やかな声で、奏でられたのは歌だった。

 しかしそれは、フィン達を絶望を告げる呪文()でもあった。

 

「っ―――うそでしょっ!?」

 

 ティオネが動揺のあまり、眼前のモンスターから『精霊の女』へと向けてしまう。

 そしてそれはティオネだけでなく、他の団員達も同じ。

 

「何で、モンスターが詠唱をっ!!」

「魔法が、来るっすっ!?」

 

 驚愕と動揺が広がるなか、『精霊の女』の足元(根本)から巨大な魔方陣が広がった。

 紅い燐光と共に広がるその魔法陣(マジックサークル)の巨大さは、これから振るわれる魔法の威力の桁違いさを強制的にフィン達へと告げていた。

 

「リヴェリアッ!! 結界を張れッ!!!」

 

 フィンの冷静さをかなぐり捨てた声が上がる。

 その声が上がる前に、リヴェリアは既に結界のための詠唱を始めていた。

 

「【舞い踊れ大気の精よ―――】」

 

 リヴェリアが詠唱する間も、フィンの指示は続く。

 

「何としてでも詠唱を止めさせろッ!」

 

 フィンの声と同時に、事前に詠唱を始めていたレフィーヤが呪文を完成させ、それと同時にラウル達が準備していた魔剣を振り抜いた。

 

「【ヒュゼレイド・ファラーリカ】ッ!!」

 

 レフィーヤの魔法による数百もの炎の矢と共に、魔剣による一斉掃射が放たれる。

 魔法と魔剣による光が一帯を染め上げる中、破壊の矛先を向けられた『精霊の女』は、詠唱を続けながらその目を笑みの形に歪めると、下半身に備わった10枚の巨大な花弁を正面に―――迫る魔法へと向けた。

 直後、魔法が着弾。

 閃光と爆音が響き、衝撃と共に周囲に土煙が広がった。

 視界を塞ぐ土煙に目を細め、破壊の中心へと視線を向けるフィン達の前で、大きく土煙が歪んだ。

 

「っ―――あれで、無傷?!」

 

 誰の声だったのか、その驚愕の声は全員の思いでもあった。

 ゆっくりと前方へと移動させていた巨大な花弁を元の位置へと戻しながら現れた『精霊の女』の身体には傷一つなく。

 それどころか盾となっていた広げられていた花弁にすら破壊された跡などは見受けられなかった。

 勿論のこと、『精霊の女』の口は未だに詠唱を続けており、吹き上がる紅い魔力光の強さは強まり続けている。

 

「間に―――合わないっ!?」

 

 苦しげに歪んだフィンの口許から、悔しげな声が漏れる。

 

『【猛ヨ猛ヨ猛ヨ炎ノ渦ヲ紅蓮ノ壁ヲ業火ノ咆哮ヲ突風ノ力ヲ借リ世界ヲ閉ザセ―――】』

「【舞い踊れ大気の精よ、光の主よ―――】」

 

 『精霊の女』の詠唱と平行してリヴェリアの詠唱が続く中、レフィーヤ達の魔法の一斉射が防がれてフィン達は立ち竦んではいなかった。『精霊の女』の詠唱は止められはしなかったが、周囲のモンスターは吹き飛ばすことはできた。出来た空白(チャンス)を逃がす程愚かではない。フィンが指示するまでもなく、アイズがティオネがベートが直ぐに直接『精霊の女』へと襲いかかった。

 しかし、レベル6の猛者達の猛攻は、『精霊の女』の振るう無数の触手によって阻まれることとなった。

 一体何本あるのか。

 モンスターの護衛がいなくなった事など問題ないとばかりに。

 それどころか、邪魔がいなくなったとばかりに数と勢いを増し振り回される無数の触手は、アイズたちの攻撃を迎撃する処か、魔法を詠唱するリヴェリアの援護のため引き帰えさなければならない程に激しいものであった。

 

「―――っ、総員、リヴェリアの結界まで下がれっ!!」

 

 そして遂にフィンは決断した。

 『精霊の女』の詠唱を止める事は不可能と判断し、未だに触手の群れを相手にするガレス達に向かって苦渋に染まった声を上げた。

 触手の鞭を切り払い、忌々しげに詠唱を続ける『精霊の女』を睨み付けるも、直ぐに意識を切り替えるように首を振ったガレスは、大きく一歩前に出ると共に斧を地面に叩きつける。

 局地的な地震と共に大量の土砂が間欠泉の如く吹き上がり。響き渡る衝撃と轟音に触手の動きが戸惑ったように一瞬その動きを止めた。 

 その生まれた僅かな間隙で、示し合わせたように前線を務めていたベート達が後方へと一斉に下がっていく。

 そして、殿を務めていたガレスがリヴェリアの背後へと辿り着くと同時、詠唱が完成した。

 

「【大いなる森光の障壁となって我等を守れ―――我が名はアールヴ】!」

 

 杖を掴んだ右手を突きつけるように前に出し、未だ詠唱を続ける『精霊の女』へ対峙し、リヴェリアは自身の使える魔法の中で、最も秀でた防御魔法を展開した。

 

「【ヴィア・シルヘイム】!!」

 

 淡い翡翠色の光を放っていた魔法円から、一際強い輝きが放たれると共に、緑光がドーム状に展開し術者であるリヴェリアを含んだ14名の全てを包み込んだ。

 魔法だけではなく、物理的な力にも作用する絶対防御。

 リヴェリアの絶大な魔力によって展開されるそれは、これまでにも数多くの脅威から自身を、仲間を守ってきた。

 この『結界魔法』には自負がある。

 それだけの功績を積み上げてきた。

 しかし、仲間を背に、敵と対峙し杖を握るリヴェリアの頬には、一筋の汗が流れていた。

 その胸には、言い様のない焦燥が募っていた。

 

 ―――そして、『魔法』が放たれる。

 

 リヴェリアが結界を展開するのに合わせるかのように、詠唱を終えた『精霊の女』が、微笑みと共に完成した魔法の名を唱える。

 

『【ファイアーストーム】』

 

 瞬間、世界が紅に染まった。

 前方から襲いかかってきた炎はあまりにも大きく巨大で、一瞬にしてフィン達の視界は赤へと変えられる。

 『精霊の女』が放った魔法は、周囲にまだ生き残っていた他のモンスターを飲み込むだけでなく。広大な『ルーム』の全てを包み込んでいた。

 理知外の威力と範囲。

 結界を支えるリヴェリアの目は見開かれ、歯は砕けんばかりに噛み締められている。

 燃やし砕かんと押し寄せる炎の津波の衝撃の程を物語るように、強固である筈の結界が震えていた。

 それを支えるリヴェリアもまた、がくがくと身体を震わせながら、両手で握りしめる杖に寄りかかるように立っている。

 

「っ―――これは」

 

 フィンの口から知らず焦燥に濡れた声が呟かれた。

 親指の疼きがなくともわかってしまった。

 耐えられない、と。

 フィンのその思考を肯定するかのように、美しい緑光による絶対の障壁に亀裂が走り始めた。

 

「―――うそ、でしょ」

 

 周囲から聞こえ始めた恐怖と不安が入り交じった声と共に、結界に罅が入る音は加速度的に増えていく。

 前方から濁流となって結界へとぶつかってくる炎の勢いからは衰えた様子は見られない。

 間もなく訪れるだろう確実な未来に、フィン達の顔が歪む。

 動揺と恐怖が広がるなか、フィンは睨み付けるように結界の向こうに見える炎の先にいる『精霊の女』に視線を向けたまま思考を回し続ける。

 結界が耐えられる時間。

 破られた際の被害。

 各自の耐久力と負傷状況。

 反撃か逃走か。

 様々なデータが脳裏を巡り、今後の対応を考え抜く。

 上がる結果はどれも最悪で、下手をしなくとも全滅すら有りうる。

 しかし、絶望はしない。

 瞳に宿る光に陰りはなく。

 絶望の先の光の欠片を見いださんと、歯を食い縛りながら思考を続ける。

 1秒がその数十倍に引き伸ばされたかのような感覚の中、頭が熱を発し湯だる脳と思考で、僅かな可能性すら残さず考え抜くフィンの耳に―――

 

 

 

「フィン―――すまないが手を出させてもらうぞ」

 

 

 ―――イレギュラー(思考の外)からの声に一瞬意識が空白となった。

 

「っな」

 

 思わず漏れた声には、隠しきれない動揺が混じっていた。

 完全に思考から抜け落ちていた。

 忘れられない、忘れてはいけない存在であったにも関わらず。

 半日もない。

 僅か数時間の付き合いでしかないため、通常なら仕方がないですませられたかもしれないが、この男はあまりにも異常だった。

 だから、常に目を意識を向けていた。

 しかし、ここ(59階層)での怒濤の異常事態のあまりに、何時の間にか自身の意識から外れてしまっていた。

 58階層までの道行き(ガレス達と合流する前)と58階層、そしてここ(59階層)で起きた戦闘では、確かにレベル1とは明らかに隔絶した戦闘力を見せてはいたが、ガレスから聞いた程のものは感じられず、最初に向けていた警戒心は薄まり。そして、ここでの状況の変化のあまり何時しか意識から外れてしまっていた。

 そんな意識外からの(シロ)の声に、動揺しその言葉の意味を捉えられず硬直してしまった間も、事態は容赦なく進行していく。

 

「―――っ―――フィンっ、もう―――」

 

 普段聞くことのない、切羽詰まったリヴェリアの声がフィンの意識を瞬時に再起動させる。

 はっ、と顔を向けた先では、杖にすがり付くようにして、何時しか地面に膝をついたリヴェリアがいた。

 罅の入っていた結界は既に古びた器のように隙間のような穴が空き、そこから尋常じゃない熱が熱波となって吹き込んでいる。

 咄嗟に顔を片手で防ぐが、隙間から叩きつけるように吹き込む熱波が顔を焼く。

 それでも僅かに開けた目の先で、風で煽られはためく赤い外套が見えた。

 

「―――っ―――ッ―――」

 

 吹き付ける熱波は時と共に更に激しくなり。

 それを示すかのように緑光の結界の放つ光は陰り、軋みを上げる音は更に甲高く悲鳴を上げる。

 何を言おうとしたのか、開いた口は一瞬で焼き付けられ枯れた声では自分の耳ですら何も形として聞こえなかった。

 そしてそれは、最前に立つリヴェリアも同じであり、更に状況は深刻であった。

 全身に叩きつける熱波は最早炎と変わらず。

 全身が燃え上がっていないことが不思議でならないほどであり。

 目どころか口を開く事も出来ず。

 吹き付ける炎の如き風と結界の破砕音で耳は閉じられてしまっていた。

 最早結界を維持することは不可能。

 既に限界は突破しており、次の瞬間には砕けてしまう。

 そして、一際強い破砕音と共に炎の濁流が結界を越えたことがわかり。

 

「―――ッ、ガレス!! アイズた―――」

 

 衝撃に身体が飛ばされながらも、焦熱に身を、喉を、声を燃やされながらも叫んだ声は―――しかし、

 

 

 

「―――後は、任せろ」

 

 

 背を何かに支えられ、耳元で囁かれるようにそう告げた声が聞こえた瞬間。

 

 

 

「―――I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)」 

 

 

 

 花が―――

 

 

 

〝熾天覆う七つの円環”(ロー・アイアス)―――ッ!!」

 

 

 

 ―――咲いた。

 

 

 

 その時、リヴェリアは見た。

 全身に叩きつけていた焦熱が何かに遮られた瞬間。

 僅かに開いた目と視界の先。

 世界を燃やし吹き飛ばさんと迫る焦熱の前に立つ赤い背中を。

 赤い外套をはためかせ、揺るぎなく立つ彼が、迫る炎の濁流に向けて突きだした手から現れたそれは、まるで何かの蕾のように見えて。

 それが間違いでなかったとわかったのは、直後だった。

 七つの花弁を花開かせたそれは、間近まで迫っていた炎を押し返しながら見事に咲き誇った。

 何時しか地面に座り込んでいたリヴェリアは、熱により霞む視界の中、仰ぎ見るように先に立つ背中を見入られたように見つめていた。

 あれほどまで荒れ狂っていた地獄のような焦熱は最早感じない。

 叩きつけるような風すらなくなった凪ぎの中、聞こえるのは光輝く七枚の花弁に叩きつけられる炎の濁流の衝撃音だけ。

 何が起きているのか、現状がどうなっているか等といった思考は欠片も思い浮かばず。

 ただ呆けたように座り込んでいたリヴェリアの耳に、シロの声が聞こえた。

 それは、フィン達にも、この炎の向こうにいる『精霊の女』にも伝えているかのような。

 宣言じみた。

 声と―――言葉であった。

 

 

 

 

「―――ここからは、オレが相手となろう」

 

 

 

 

 

 




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