たとえ全てを忘れても   作:五朗

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第五話 この世あらざるもの

 

 

 ただ、見惚れた。

 

 

 

 絶対の筈のリヴェリア様の結界が罅割れ、砕け。

 吹き込む風が突風となり、熱を孕み焦熱として吹き寄せる。

 時と共に絶望は加速度的に心を侵し。

 身体と共に心も焼け焦げ。

 思考すら砕け、ただ来るだろう避けられない未来(炎の嵐)を幻視し。

 地面に座り込み、すがるように杖を抱き締めていた私の前に、炎ではない赤が見えた。

 吹き付ける焦熱を前に、一切揺らがず前を行く背中。

 赤い外套をはためかせながら、前へ―――結界を維持するリヴェリア様の更に先へ。

 そうして、誰よりも前へと歩んだあの人が、砕けゆく結界へと向けて片手を向け―――花が、咲いた。

 光で出来た七枚の花弁。

 それが花開くように、押し寄せる炎の嵐を押し返しながら広がっていった。

 リヴェリア様の結界すら破壊した、埒外の威力のあの炎を。

 押し返すだけでなく、彼の張った()()は渦を巻く炎を受け止めきっていた。

 その、余りの出鱈目さに。

 その、何処かの英雄譚の一節のような光景に。

 その、まるで光で出来たかのようなその(結界)に。

 

 ただ、見惚れた。

 

 あれほど荒れ狂っていた焼けた風は、今やそよ風程度も感じられず。

 僅かに肌を震わせるのは、割り砕き燃やさんとする炎を受け止める光の花弁が受ける衝撃故か。

 誰一人、あれだけ反発していたベートさんすら、憎まれ口どころか、呆然と目を見開き声一つ上げてすらいない。

 あの歴戦の団長達すら、この光景に目を奪われている。

 今や、先ほどまでの絶望は遠く。

 それどころか、まるで私たちは舞台から下ろされた役者のように、シロさんの後ろ姿(新たに舞台に上がった主役)をただ見つめていた。 

 そんな奇妙な疎外感のような感覚を感じていた時であった。

 ピシリ、と何かに亀裂が入ったかのような音が響いたのは。

 それを耳にした瞬間、リヴェリア様の結界に損傷が生まれた状況を思いだし、慌てて目の前に広がる花弁に視線を向けた視界に、それが映った。

 

「―――っ、そんな!?」

 

 光輝く七枚の花弁の内一枚に、確かに亀裂が入っていた。

 それに気付いたのは私だけではなく、周囲からも先ほどまでの灼熱の地獄を思いだし恐怖が入り交じった声が漏れ聞こえてくる。

 ガレスさんがリヴェリア様の結界が破壊される直前に用意していた盾を構え直し始め。アイズさん達がそれぞれ武器を握り直し、また来るだろう焦熱に身構える中。

 私もまた、再び来るだろう炎に崩れ落ちそうな身体を必死に耐えながら歯を食い縛った。

 だけど、そんな私たちの覚悟は、彼の上げた声により梯子を外されてしまう。

 

「―――流石は『精霊』といったところかっ……()()は抜かれてしまうな」

 

 炎の嵐を受け止める衝撃は、やはりそれだけのものがあるのだろう。

 彼の声には耐えるような苦しげなそれが感じられたが、だけど、それだけだった。

 あの時、声を上げたリヴェリア様に感じられた焦燥は何処にもなく。

 何処か余裕すら感じられるその声音に、私は―――私達が動揺する間に、永遠に続くのではと感じられた炎の嵐の勢いが―――。

 

「っ―――炎が」

 

 アイズさんの声を切っ掛けにするように、炎の勢いが明らかに弱まっていく。

 急速に光の花弁が受け止める衝撃と炎の勢いが弱まり、周囲の光景がうっすらと見えてきて。

 そして、遂に罅が入っていた一枚の光の花弁が割れ砕けた音と共に、周囲に渦を巻いていた炎の姿が消え去っていた。

 

「終わった、の?」

 

 ティオネさんが、何処か呆気にとられたような声を漏らしながら周囲を見渡す先では、花弁の一枚が砕けても未だ健在な(結界)の向こうに『ルーム』中に広がっていた筈の密林の姿は消え去っていた。

 その光景に、『精霊の女』の魔法に恐怖すればいいのか、それともそれを受け止めきった彼の()()()()を驚けばいいのか分からず。混乱の余り私の心は不自然なほどに穏やかにすら落ち着いていた。

 それは私だけではないようで、ラウルさん達も何処か気の抜けた顔をしている。

 ただ、やっぱり団長達は私たちとは違って、その顔には未だ緊張感と戦意で厳しく引き締められていた。

 だけど、そんな風に周囲の様子を伺っている暇や心地なんて、あっという間に消え去ってしまうことになる。

 だって、私の耳に、また聞こえてしまったのだ。

 

『【地ヨ、唸レ―――】』

 

 魔法執行直後には、その放った魔法の威力に準じた硬直がある。

 そんな、無意識にまで染み込んだ魔導師だからこその常識ゆえの思考の硬直を突くように、間をおかず再詠唱を始めた『精霊の女』の姿に私だけでなく、団長達すら凍りついてしまう。

 

『【来タレ来タレ来タレ大地ノ殻ヲ宝閃ヨ星ノ鉄槌ヨ―――】』

 

 でも、それも一瞬。

 直ぐに事態を理解し、武器を手に詠唱を止めるため駆け出そうとするアイズさん達。

 だけど、無理だ。

 魔導師だからこそわかってしまう。

 詠唱文が先程よりも少ない。 

 それはつまり、それだけ早く詠唱が終わってしまう。

 確かに周囲に他のモンスターはいないけれど、無数の触手や花弁の盾は健在だ。

 さっきも止められなかったのに、今のこれを止められる筈がない。

 何処か他人事のように、冷静な自分が頭の中で告げる中、それでも私は間に合わないとわかっても詠唱のため口を開こうとする。

 でも、どちらを?

 攻撃魔法か、それとも気休めしかならない、それどころか間に合わないかもしれない結界魔法?

 迷いながらも、口は動く。

 無意識のまま選んだ声が最初の一文を形作る―――その直前。

 

『【代行者ノ名ニオイテ命ジル与エラレシワ―――バッ??!!?】』

 

 『精霊の女』が吹き飛んだ。

 

「「「はぁっ!??」」」

 

 同時に、駆け出そうとしていたアイズさん達の足が思わず止まり、その口からは揃って動揺や驚きが入り交じった混乱した戸惑いの声が漏れて。

 それは私も同じだったけど、直ぐに私の目は反射的に、彼へと向けられていた。

 そして、それは正解だった。

 

「ゆ、み?」

 

 背中しか見えない彼の手には、構えられた黒い大きな弓の姿が。

 その弦は細かに揺れていて、今まさに矢を放ったと告げていた。

 瞬間、私はなんの疑問も浮かばず、彼がやったのだと理解した。

 矢を放ち、あの『精霊の女』を射ち砕いたのだと。

 

「シロ、っ―――君は」

 

 団長が彼の背中へと何かを言おうとしたけど、それよりも彼の行動の方が早かった。

 弓を下ろす彼の腕が背中で隠れた一瞬、直後見えた彼の()()には、あの双剣の姿があった。

 あれだけ大きな弓は何処に。

 剣は何処からといった疑問が浮かぶが、そんな疑問が晴れる前に、彼は駆け出していった。 

 

「―――っ!?」

 

 誰が、何を言おうとしたのか。

 それはわからない。

 彼が駆け出すと共に、それに立ち塞がるように地から沸きだした触手の群れによる地面を割り砕く音がそれを掻き消してしまったから。

 彼の前に左右に、取り囲むように現れた触手は、その矛先を彼へと目掛け降り下ろしていく。

 一本一本が巨木の如く太いそれが、数十も集まったことにより、最早壁となった触手の塊が彼へと目掛け襲いかかる。

 開いた私の口から出ようとしたのは、悲鳴だったのか、それとも警告の声だったのか。

 意識するよりも先に口から出ようとした言葉は―――

 

「―――あ」

 

 形とならずただ、息となって消えていくことになった。

 彼は、自身へと落ちてくる巨壁のごとき触手の群れを、片手に握った双剣の一振りを文字通り横に一閃させることで切り払ってしまったのだ。

 私だけじゃない。

 触手の固さを知るがゆえに団長達が受けた衝撃は私以上だったのだろう。

 動き出そうとする姿のまま、目を見開き切断された触手が地面へと落ちていく向こうを駆けていく赤い背中を呆然と見送っていた。

 しかし、やはりそこは都市最強と語られる【ファミリア】。

 切り払われた触手が地面に落ち、周囲に轟音と衝撃が広がるその僅かな間で気を取り直すと、直ぐさま指示を出し始めた。

 

「っ―――ガレスっ! 前衛を率いてシロの援護へ向かえっ!! リヴェリア達はラウル達と合流し補給と援護をっ!!」

「は、はいっ!」

「わかったっすッ!?」

 

 反射的に返事を返しながらも、視線は『精霊の女』へと走り行く彼の背中を追っていた。

 地面に落ちた触手の一部が巻き上げた土煙であまり視界が良くはない上に、また沸きだしてきた触手によりもう彼の姿は見てとれなくなっている。

 

「って―――えっ?! アイズさんっ!?」

 

 そんな私の目に、団長の指示よりも先に飛び出していったアイズさんの後ろ姿が見えた。

 アイズさんはシロさんにより触手が切り払われ、新しい触手が沸き出てくる一瞬の間を突くようにして、もう新しく現れた触手の群れの向こうにその姿はあった。

 

「なっ!? アイズ何をしているっ!?」

「あの馬鹿っ!! 一人で突っ走りやがってっ!!」

「あ~ん―――もうアイズったら早すぎだよっ!?」

 

 私のその声で団長達もアイズさんのことに気付いたのか、口々に罵声やら文句を口にしながらも、新たな触手へ向けてベートさんたちが挑み掛かる。

 だけどやはりあの『精霊の女』の触手は他とは違い、ベートさんたちですら容易に越えられる代物ではなかった。

 では、それを容易に、ただ横に一線するだけで切り払った彼は一体―――。

 確かに、あそこ(嘆きの壁)階層主(ゴライアス)を左右に真っ二つにするところは見た。

 けれど、やっぱり現実感に乏しく感じられる。

 何処か、ふわふわとした感覚を感じている間でも、戦いは続く。

 

「っ―――このっ! クソッたれがっ!!?」

「っっ!!? やっぱり固いっ!?」

「ふんっ!!」

 

 ベートさんとティオネさんが複数の触手にそれぞれ攻撃を仕掛けるが、激しい衝突音は響くけれどもただそれだけだった。

 折れる様子も切られた様子も見られない、その余りの耐久力に苛立ちを隠せないベートさんが、その不満をぶつけるようにして周囲の触手に躍り掛かる。

 その無謀にも見える動きを―――

 

「どりゃああああぁぁぁっ!!」

 

 ガレスさんの振るう斧が断ち切った。

 

「―――っ!?」

 

 ベートさんが殴り付けようとしていた触手だけでなく、周囲にあった数本の触手も同時に切り飛ばして見せたガレスさんは、未だ周囲で蠢く数十もの触手を威嚇するように睨み付けながら口を開いた。

 

「お前達はさっさと行けっ! アイズを一人にさせるなっ!?」

「っ、何を言って―――」

「もうっ! 突っかかっている場合じゃないでしょっ! 行くよっ!!」

「っ―――うるせぇ!」

 

 ティオネの言葉に反射的に威嚇するも、ベートは不満げな視線を触手の群れへと斧を振るうガレスを一瞥したのち、アイズを追うため地面を蹴った。

 

 

 

 

 

「―――やっぱり、厄介」

 

 思わずアイズの口から愚痴めいた言葉が溢れてしまう。

 そこらのモンスターならば、剣の一振りで容易に蹴散らすことが可能なのに、ただの無数にある触手の一本にもそれを攻略するのに少なくない時間が掛かってしまう。

 今もようやく、同じ位置に数十もの斬撃を打ち込むことでようやく一本の触手を攻略することが可能となっていた。

 そんな自分に対し、今も『精霊の女』へと目指し駆けていく彼が、前を遮るように現れた触手に対し両手に握った双剣のどちらかを振るえば、その時には妨害のため固まっていた触手がまとめて切り飛ばされていた。

 技か、身体能力か、それとも武器か?

 アイズの直感は、9割り武器だと結論していた。

 シロが振るう左右一対であろう双剣。

 あれが、異常だ。

 気付けば、何故気付けなかったのかと呆れるほどに、その剣は違った。

 私たちの知るどの剣とも―――武器とも違う。

 その存在感。

 雰囲気とでも言うのか。

 まるで英雄譚で語られる精霊が武器と化したそれのような。

 意思すら感じられそうな存在感。

 アイズの脳裏に、ガレスの言葉が蘇る。

 

『―――異常なのは奴だけではなかったな。剣だ。奴が振るっていた双剣こそが、あのオッタル(最強)を追い詰めた』

 

 オッタルと対峙した彼が振るったと聞いた双剣こそ、今シロがその両手に握る双剣であると確信する。

 

「―――っ、抜けるっ?!」

 

 触手の群れをどう越えて彼の下まで行こうかと思考していたアイズの目に、後を追っていた彼の姿が触手の向こうに消えていく姿が映る。

 自分が触手の群れの対処に手間取っている内に、彼は既にその更に先へと行こうとしていた。

 援護のために飛び出していながら、彼の近くに行くどころではない自分の弱さに、知らず歯を噛み締めてしまう。

 しかし、そんなアイズの感情など知ったことかと言うように、触手の群れによる攻撃はその激しさを増していく。

 滅多矢鱈に触手を振り回すその様子からは、まるでパニックに陥った子供が恐ろしい何かを近づけさせないように暴れているかのような雰囲気すら感じられた。

 無秩序に振り回されるそれは、聞けば対処が容易に感じられるが、振るわれ暴力の規模が違い過ぎる故に、冷静に考えられて振るわれる暴力よりもある意味質が悪い。

 ただ振り回される数十もの巨木の如き触手の群れが、自分目掛けて空気を切り裂いて襲いかかってくるのを目にしながら、アイズは食い縛った歯の隙間から苛立ちが混じった声を漏らした。

 

「―――邪魔、しないでっ!!」

 

 

 

 

 

 それは、理解できなかった。

 無数にある己の触手。

 その強固さは、具体的にどれ程のものかは知らずとも、獣が己の牙に疑いを持たないように、本能的に自身のそれが慮外のものであるとわかっていた。

 だからこそ、そんな触手(自信)をただの一振りでもって切り裂くその存在がわからなかった。

 ただ、それ(理解不能)が自分へと迫り、そして殺そうとしているのだけはわかる。

 故に、振るった。

 迫り来る不快で恐ろしく、忌々しいそれを、地中にある触手の全てを引き上げ振り回す。

 でも、それでも―――止まらない。

 止められない。

 もう、それは直ぐそこまで来ていた。

 間近。

 この距離とそれの速度ならば、数秒もしない内に届きかねない。

 ああ、なんと恐ろしい。

 ―――しかし、と。

 鼻下まで再生していた身体で、その口を歪に笑みの形に変える。

 

『―――残念、ソコハ行キ止マリ』

 

 歪んだ。

 それは子供が悪意のないまま―――悪意を理解しないまま蟻の巣に水を流し込むような心地で笑みを浮かべ、必死に迫ってくるそれに告げた。

 直後、それの目の前に地中から新たな触手が立ち上がる。

 自分の身体から別れた触手―――とは違うそれは、自身の操るそれ以上に強固なるもの。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 襲いかかってきた幾つもの魔法から自身を守り抜き、欠片一つすら落とさなかった自慢の花びら()よりも強固なる無数の触手が集って出来た不壊の壁。

 絶対の自信をもって、それの前に立ちふさがらせる。

 同時に、それの左右、そして背後に自身の操る触手を持ち上げる。

 触手の壁を前に、攻略することが出来ず足を止めるだろうそれを一気に押し潰すために。

 どうやって自身の触手を切り払っているかはわからないが、対処を越える全方位からの一気多量の触手による打撃は、耐えられないだろうと、浮かべる笑みを更に深く。

 だから、触手で出来た壁(絶対の盾)触手(絶対の矛)に囲まれてしまう一瞬、それが前へ―――触手の壁に向けて何かを投げつけたことに、再生し始めた目で見た時も特に何も思わず。

 ただ、次に起きる立ち往生してしまったそれが、触手によって叩き潰される際にどんな声を上げるのかと残酷なまでに無邪気な笑みを浮かべ――――――

 

 

 

「―――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 

 

 

 

 ―――砕けた。

 

 口許に浮かべていた笑みは、絶対だと信じていた彼女の触手による盾(絶対の盾)が轟音と共に砕け散ると共に崩れてしまった。

 浮かべていた笑みは、あっけにとられたように開かれた口により間抜けに崩れ、再生しきった目も同じく眼前の光景が信じられず丸く。

 目の前で起きた光景が信じられず、理解できず。

 意識が空白に陥った間にも―――世界は動く。

 事態は続いている。

 それを理解させられたのは、それ(恐怖)が砕け散った触手の破片と舞い上がった土煙の中から飛び出して来るのを目にしたとき。

 

『―――ヒッ』

 

 直ぐに迎撃しなければならないのに、口から出たのは短い悲鳴。

 ただ傲慢に、無邪気に、狂っていた思考に―――確かな恐怖が刻まれていた。

 

『ッ―――ヤダッ!!?』

 

 ただただ幼子のように、恐怖と忌避が混じった声を上げても、とまるようなそれ(恐怖)ではなかった。

 それ(恐怖)は、何かを持っていた。

 自身の中の何かがそれ(恐怖)が持っているそれを特に恐れているのを感じる。

 

『止メテェッ!!!?』

 

 遂に、それ(恐怖)がここまで到達した。

 地面との境。

 最も太く強固なはずのそこ()にするりとそれは入り込み。

 何の停滞もせずにすり抜けていくのを感じた。

 と、同時に視界が意思とは別に移動していく。

 まるで内部で何かが破裂したように、大きく抉れた痕を見せる触手の壁の残骸から、『ファイヤーストーム』の効果範囲から外れていたため、生き残っていた緑肉が張り付いた天井へ。

 そして『ファイヤーストーム』によって燃やされてしまったため、緑肉で封じていた筈の連絡路のぽっかりと空いた穴。

 それが、何度も連続して順に見える。

 何度も繰り返す内に、理解した。

 自分がくるくると上下に回っていることに。

 

『ヒ―――ア―――ハッ』

 

 開いた口は何を言おうとしたのか。

 悲鳴か、魔法か、それとも笑いか。

 結局それは形になることはなく。

 切断され中空を回っていた身体が地面へと叩きつけられることでその機会は奪われてしまった。

 

『ア―――ァ―――アア』

 

 地響きを立て落ちたそこで、朦朧とする意識。

 埒外の事態と状況に歪んではっきりしない意識は、しかし、立ち昇る土煙の中に、人影(赤い恐怖)が浮かぶことで沸き上がった恐怖とともに確と固まる。

 

『ヒ―――嫌、ヤメ、テ』 

 

 ただ、そうであっても口からは迎撃のための詠唱は流れず、ただ胸の奥から吹き上がる恐怖から生まれた悲鳴と嫌悪の声しか上がっては来ない。

 近付いてくるそれ(赤い恐怖)から逃れるように、地面から切断され蛇のような下半身となったそれで攻撃するのではなく。無様に手を汚しながら土を掻く腕に合わせうねらせて、少しでもそれ(赤い恐怖)から逃れようとするだけ。

 心は既に恐怖に染め上げられ。

 先程まであった驕りにも似た無邪気なものは欠片もない。 

 ただただ、目の前の理不尽(恐怖)に対する疑問に思考を埋め尽くされていた。

 

 ―――ドウシテ?

 

 ―――私ハ、タダ空ヲ見タイダケナノニ

 

 ―――『アリア』ト一緒ニナリタイダケナノニ

 

 ―――何デ、私ヲ苛メルノ?

 

 ―――ドウシテ、私ヲ殺ソウトスルノ?

 

 ―――嫌ダ

 

 ―――嫌ダ

 

 ―――死ニタクナイ死ニタクナイ死ニタクナイ死ニタクナイ死ニタクナイ死ニタクナイ死ニタクナイ

 

 ―――空ヲ風を大地ヲ感ジタイ

 

 ―――邪魔ナ蓋ヤ障害ヲ全部壊シテデモ

 

 ―――空ヲ

 

 ―――モウ一度……

 

 

 

 

 

 握った双剣の残った片割れを強く握りしめる。

 牽制―――確認の意味を合わせて放った矢で単純に斬っただけでは死なない事はわかっていた。

 だから、剣を打ち込み、内部から破壊しようとしていた。

 そのため、ゆっくりとだが、離れていくその姿を見ても止めるための対策等は取らなかった。

 ただ、巻き込まれない位置まで下がった瞬間を逸さないために、また、奇襲がないよう油断なく周囲を伺っていた。

 だから、後ろから迫っている彼女のことには気付いていた。

 彼女がそのまま攻撃するとしても、彼女の攻撃範囲ならば十分止めを刺せるため、もし『精霊の女』に攻撃を仕掛けても止めるつもりもなかった。

 そのため、自分の横を通りすぎた時も気にしなかった。

 流石に、こんな事は予想できなかったからだ。

 

「――――――何のつもりだ?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 シロの横を通りすぎたアイズは、そのまま勢いで『精霊の女』に襲いかかるのではなく。即座に反転してシロに向き直ると、まるで『精霊の女』を守るかのような位置に立っていた。

 

「っ、少しだけ、待って」 

「待て、だと?」

 

 黒い剣(莫耶)を握ったシロは、アイズと共に『精霊の女』を視界に収めた目をすっと細める。

 その視線と身体から立ち上っている鋼の如き殺気に身をすくませながら、アイズはちらりと視界の端に映った『精霊の女』に意識を向けた。

 

「彼女に、聞きたいことが」

「無理だ、わかっているだろう。それは狂っている。まともな答えなど聞けはしない」

 

 アイズの胸に宿った疑問。

 これまで抱いていた疑問の答えが。

 それそのものでもなくとも、何かのヒントになるかもしれない言葉が聞けるかもしれない。

 しかし、そんな儚い希望は、シロの他を寄せ付けない言葉により一刀両断される。

 

「でも―――」

「問答するつもりは―――」

 

 易々と受け入れられない事は最初からわかっていた。

 アイズとしても、最初からこんなことを考えていたわけではない。

 ただ、砕けた触手で出来た壁の向こうへと、立ち昇る土煙を越えた先に見えた地面へと落とされ怯える『精霊の女』と、止めを刺そうとするシロを目にした瞬間、気付けばこんな状況になっていたのだ。

 普段の自分なら絶対にしないこと。

 いや、考えすらしない行動に出てしまったのは、やはり今も動揺に震えるこの心のせいなのか。

 自分の事だからこそ、わからないままアイズはシロの前に立ち塞がっていた。

 

 

 

 もしもの話だ。

 if(もし)の話だが、『精霊の女』が放った『魔法(ファイヤーストーム)』に、リヴェリアの結界魔法が破壊された時、その場にシロがいなかったとしたら。

 アイズは絶対にこんな事(『精霊の女』に話を聞こう)はしなかっただろう。

 何故ならば、『ファイヤーストーム』によって味方は蹂躙され、全滅間際の状態。

 例え奮起して『精霊の女』に挑むとしても、無数の触手と絶対防御の花びら()の上に、連続して魔法を行使できる化け物を相手にするのだ。

 話をする等といった余裕など生まれる筈がない。

 必死で、無心で『精霊の女』を倒そうとしていただろう。

 しかし、そんなif(もしも)は現実にはなく。

 アイズが目にしたのは、自身の疑問を晴らせられるかもしれない弱々しく追い詰められた『精霊の女』。

 これがただのモンスターならばアイズも話を聞こうとは欠片も思わなかっただろう。

 しかし、相手はただのモンスターではなく狂っているとはいえ『精霊』であった。

 自身の起こした自分でも疑問に思う行動。

 自分の身体に流れる『血』をざわめかせる存在(精霊の女)

 【ロキ・ファミリア】の精鋭を蹂躙した(精霊の女)を容易に追い詰めたシロの異様。

 アイズはいつになく不安定であった。

 だから、それに気付けなかった。

 そして、気付けたのは常に周囲を警戒していたシロだけだった。

 だからこそ、その悲劇は起こってしまった。

 

「―――アイズッ!!?」

「ぇ?」

 

 シロが唐突に、何の前触れもなくアイズへと迫り、その身体を掴んだかと思った瞬間。

 アイズの身体は前へ―――シロの後ろへと投げつけられていた。

 意識の隙間を突くような唐突な行動と状況の変化に、アイズは地面に転がる衝撃で自分が投げ飛ばされたのだとそこでようやく気付いた程であった。

 だから、その瞬間を目にしたのは、ようやく触手の群れを突破し、シロが砕いた花びらの向こうから姿を現したベート達だけであった。

 そう、その瞬間を。

 シロがアイズの身体を後ろに投げつけた瞬間。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のを見たのは。

 そしてその飛び出してきたナニか(切断された『精霊の女』の根)が、シロを飲み込みながら切り飛ばされていた『精霊の女』の上半身を食らう姿を。

 

「ッ―――シロッ!?」

「そんなっ?!」

「ッ―――何やって!?」

 

 視界を塞ぐ土煙を抜けた先で見た光景。

 シロが地中から現れた何かに飲み込まれるその姿を、レベル6故の常人とは隔絶した目であるからこそ見間違えることはなかった。

 確かに、シロの身体がそれに飲み込まれるのを。

 

「――――――ぇ」

 

 地面を転がり、足を止めてしまったベート達の足元でようやく止まったアイズが、混乱しながらも振り返ったその先の光景を目にし、吐息のような疑問の声を上げた。

 先程まで自分が立っていた場所には、巨大な樹木が何時の間にか聳えていた。

 現実感が感じられないまま、アイズの視線が下からゆっくりと上へと向けられていく。

 そして、それを見た。

 

『―――アハッ』

 

 剣を握るシロの前で、地面に転がっていたまるで幼い子供のように弱々しく転がっていた姿はそこにはなく。

 

『アハ―――ハハハッ―――アハハハハハハハハハ』

 

 そこには、初めて見た時と同じ―――無邪気と狂気が入り交じった哄笑をあげる『精霊の女(化物)』の姿があった。

 

「そん―――な」

 

 それを見て。

 狂喜するその『精霊の女(化物)』の姿を見て、アイズは悟ってしまった。

 自分が、取り返しのつかないことを仕出かしてしまったことを。

 自分が犯してしまった、罪を。

 

「わた―――しは―――」

 

 怒りに吠えるでもなく。

 悲しみに涙するでもなく。

 アイズはただ、現実を直視する理性と悲劇を否定する願望のぶつかり合いにより、上手く思考が定まらなかった。

 アイズが、いや、ここまで辿り着いたベート達ですら、その瞬間(シロが飲み込まれた)を目撃した衝撃により、意識と身体にずれが生まれ動けないでいた。

 

『アア、アリガトウ【アリア】ッ!! アナタノオ陰デ助カッタッ!! アノ怖イノヲ、アナタガ止メテクレタカラッ!! アハハヤッタッ! ヤッタッ!!』

 

 両手を広げ、感極まった顔で笑い声を上げる『精霊の女』を前に、そこでようやく意思と身体が合致して動き始めたベート達がそれぞれに武器を構え始める。

 それを前に、アイズもまた、愛剣(デスペレード)を握りしめるとゆっくりと立ち上がっていく。

 

『アハッ! アハハハハッ!! 【アリア】ッ! 【アリア】ッ!! ネェッ! ネェッ!! ネェッ!!!』

 

 先程までのどこかぼんやりとした目はそこにはなく。

 ただ、煮えたぎるような怒りを秘めた瞳で、剣を握りしめながらアイズが睨み付ける先で、『精霊の女』は笑い続け。

 

()()()()()()()()()()

 

 カパリと、その笑みの形をした口を開いてアイズを見た。

 覗いたその口の奥は、暗く、黒く。

 何処までも深い闇のようで。

 

「ッッ―――――――――ッアアアアアアアアアァァァァ!!!」

「アイズッ?!」

「待ちなさいっ!」

「っ―――馬鹿がっ」

 

 一気に『精霊の女』に向かって飛び出すアイズ。

 無闇に飛び出したアイズの姿に焦りながらも、直ぐに後を追って前へと走り出したベート達。

 4人のレベル6が一斉に襲いかかるも、『精霊の女』の浮かべる笑みが崩れることはなく。

 瞬時に地中から現れた花弁がアイズ達の前へと立ちふさがった。

 アイズが勢いのまま花弁へ向けて剣を振るう。 

 無意識の内に風を纏わせた剣による斬撃は、驚異的な威力を孕んでおり、確かに強固な花弁を確かに傷つけた。

 だが、それだけであった。

 深く抉るような痕をつけたが、破くことは出来なかった。

 そのまま花弁にぶつかるようにして強制的に動きを止められたアイズに、ベート達が合流した瞬間。

 

『アハハ―――残念』

 

 足元を砕きながら勢いよく沸き上がった無数の触手がアイズ達をまとめて後方へと薙ぎ払った。

 悲鳴を上げながら先程の巻き戻しのように後ろへと飛ばされるアイズ達。

 弾丸のように飛ばされた先は、シロが砕いた花弁を更に越えた先。

 ようやく収まりかけた土煙の中に落ちて、再度盛大に土煙を巻き上げながら地面を転がっていく。

 

「っ―――この」

「舐めやがってッ!!」

 

 盛大に吹き飛ばされたが、そこで倒れるような柔な者はいなかった。

 直ぐに立ち上がったアイズ達が、それぞれ武器を握り直し、再度立ち向かおうとするが、それを待ちかねるように花弁が、触手が立ち塞がる。

 

「っ―――そんなものっ」

「待ちなさいアイズっ!」

 

 そんなの関係ないとばかりに、再度突撃をしようとするアイズを、ティオネが慌ててその肩を掴む。

 

「離してッ!?」

「馬鹿っ! 無策で突っ込んだら死ぬわよっ!!」

「っ―――そんなの」

 

 ティオネの手を振り払い、そのままの勢いでまた飛び出そうとするアイズを。

 

「落ち着け、アイズ」

 

 フィンの冷静な声が押し止めた。

 

「ッ、フィン」

 

 冷水の如く冷えきったフィンの声に感じた、隠しきれない感情に、怒りに沸騰していたアイズの思考が急速に冷却される。

 

「今は何よりも時間が惜しい。指示に従わないなら無理矢理にでも下がらせるぞ」

「わた、しは―――」

 

 グッと押し黙ったアイズを無視するかのように、ベート達の前へ出たフィンは、花弁と触手によって守られた『精霊の女』に厳しい目を向けた。

 

「厄介な事態になったな」

 

 フィンはシロが『精霊の女』に飲み込まれたその瞬間は見てはいなかった。

 しかし、聞こえた『精霊の女』の声と状況から事態をほぼ正確に読み取っていた。

 それを含め、これらの事態を打開するため思考を高速で回しているが、事態は先程よりも更に難度が上がっていた。

 まだシロの生死は不明である。

 そのため、『精霊の女』に対する無差別な攻撃は、生きているかもしれないシロへダメージを与える可能性があり取りずらくなった。

 理性ではそんな事(シロの生死)に構っている余裕はないと言っている。

 だが、それを無視した命令による、他の者(アイズ達)への影響は無視できるようなものではない。

 しかし迷っている暇はない。

 『精霊の女』がまた何時、あの冗談のような速度と威力を誇る魔法を放つのか分からないからだ。

 フィンが今後の方針をどうするかと、あらゆる状況を考慮して考えながらも、『精霊の女』の動きの僅かな兆候も見逃さないとばかりに睨み付けていた―――その瞬間だった。

 

「――――――ッ!!!!!!」

 

 何の前触れもなく。

 何の切っ掛けもなく。

 唐突に。

 親指が。

 千切れた。

 

「ッ―――――――――グッ!!?」

 

 違う。

 そう感じてしまった程に、痛みが走ったのだ。

 指はある。

 だが、痛みが、酷い。

 感じたことのないそれに。

 思わず地面に膝をついてしまう。

 

「ッ―――ッ――――――!!??」

「フィンッ!?」

「団長っ?!」

「おいどうしたっ!?」

 

 始めてみるフィンの様子に、ベート達は思わず『精霊の女』から視線を離してしまう。

 戦闘中に敵から目を離すと言うあり得ない行動を、しかしフィンは叱ることは出来なかった。

 経験したことのない不快で強烈な()()に、声が出なかったからだ。

 そう、それは痛みではなかった。

 正確に言えば―――疼き。

 フィンが何かを予感したとき。

 特に悪い予感を感じる際に感じる疼き。

 それが、痛みと間違うほどの強さで自分へと警告していた。

 

(っ―――何が――――――?)

 

 痛みで声が出せない中であっても、思考は無理矢理にでもフィンは回していた。

 回さなければ、意識を失ってしまう。

 そんな予感があったからだ。

 そうであっても、我慢できないほどのその疼き(痛み)の中、濁る視界の先。

 『精霊の女』の姿見えた。

 

(っ、駄目だ。今魔法を受ければ――――――)

 

 指示が出せない状況で、あの威力の魔法が放たれれば全滅しかねない。

 フィンの心が、焦燥に焼けつけかけたその時であった。

 

『―――――――――ェ?』

 

 『精霊の女』の口から、何処か呆けたような、戸惑った声が漏れたのは。

 

『何、コレ?』

 

 『精霊の女』の上げたその声と雰囲気は、フィンの様子を伺っていたアイズ達の意識を再度呼び戻すのには十分であった。

 未だ蹲るフィンを心配しながらも、新たな動きを見せようとする『精霊の女』に意識を向けたアイズ達は、しかし視線を向けた先の光景に戸惑いの声を上げた。

 

「なに、あれ?」

「何してんのよ?」

 

 『精霊の女』は、自分の身体を確かめるように頭や腹、頬や背中を撫でたり叩いたりしていた。

 それはまるで踊っているかのようにも。

 周囲に飛び回る蚊を叩き潰そうにも。

 そして、自分がそこにいるのかをたしかめているかのようにも。

 見えて。

 そして、それもまた、前触れもなく。

 唐突に―――始まった。

 

『ア―――アア―――――――――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』

「っ―――何っ!?」

「ひ、鳴?」

「何がっ?!」

 

 自身の頭を両手で挟み込むようにした『精霊の女』が、空を仰ぎ見ながら声を上げていた。

 その声は、誰が聞いても痛みと苦しみを訴えるそれで。

 鼓膜を叩くその声量ではない要因で、聞くものの顔を歪ませるほどに、それは余りにも悲痛に過ぎたものであった。

 

「フィンっ!? どうしたっ何があった!?」

「え? だ、団長っ!?」

 

 耳を抑え顔を歪ませながら、蹲るフィンを囲みながら苦痛の絶叫を上げる『精霊の女』を警戒していたアイズ達の背後から、後方を担っていたリヴェリア達が合流する。

 走りにくそうに耳を抑えつつ、頭を揺らす高周波染みた声に顔を歪ませながらも駆け寄ってきたリヴェリア達は、アイズ達に囲まれた中心に蹲るフィンの姿を目にすると、耳や頭を苛む(痛み)を忘れたかのように苦痛に歪んだ顔から一転、驚愕に目を見開いた。

 

「わからんっ!? あの化物の異変の直前からこうだっ!? おいフィンっ!!? 何をやっとる! しっかりせんかッ!!」

 

 リヴェリア達へ向かって、ガレスが周囲に響く悲鳴に負けないように声を張り上げる。

 しかし、周囲に響く(絶叫)が邪魔をしてリヴェリアの耳には殆ど届かなかった。

 

「っ―――一体何が!?」

「あれ? シロさんは?」

 

 アイズ達と合流したリヴェリアが蹲るフィンの様子を伺う傍では、レフィーヤがあの目立つ赤色が目に入らないことに困惑の声を上げていた。

 その様子に、声は聞こえなくとも周囲を見渡すレフィーヤの姿に誰を探しているかに気付いたアイズが、苦痛を耐えるように歯を噛み締めると、まるで逃げるかのように今も悲鳴を上げ続ける『精霊の女』を睨み付けた時。

 事態は、またもや急変する。

 

『―――アアアアアア、ア、ァ……アエ? ア、違ウ―――嫌、違ウ、ソウジャ―――ソンナ、嫌―――止メ―――』

「え?」

 

 アイズが『精霊の女』へと視線を向けたのと同時、あれだけの苦痛を叫んでいた声がピタリと止んだ。

 それだけではなく。

 『精霊の女』は、まるで何かに怯えるかのように、泣きそうな顔で幼子のように違う違うと顔を横に必死に振って何かを否定していた。

 その視線はアイズ達ではなく中空に。

 視点はぼんやりと定まってはいなかった。

 

「っ、どう、しよう?」

「隙だらけ、だけど―――」

「クソッたれがっ」 

 

 アイズ達をまるで無視した『精霊の女』の姿に、ティオナ達がそれぞれ武器を握り直すが、あれだけ隙だらけなのに―――何故か身体は前へ進もうとはしなかった。

 戦意がなくなったわけではない。

 内に宿る熱は今も火が吹くほどに燃え盛っている。

 なのに―――それなのに、身体が前へと―――『精霊の女』へ向かおうとはしなかった。

 『精霊の女』の戦力や、異常な姿に怖じ気づいたわけではない。

 間違いなく、心は戦おうとしている。

 しかし、それに反して身体はここから―――いや、あの『精霊の女』から離れたがっている。

 それはまるで、野性動物が、猛毒を持つ危険なモノを本能的に恐れて避けるかのような。

 意思とは別の―――本能的なそれで。

 

『違ウ違ウ違ウ違ウソウジャ―――ソンナ事望ンデナイッ!』

 

 心と身体の解離にアイズ達が戸惑っている間も、『精霊の女』の不審な挙動は続いている。

 

『イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ―――犯サナイデ侵サナイデ冒サナイデ食ベナイデ噛ジラナイデ咬マナイデ砕カナイデ潰サナイデ―――』

「っ―――ちょっと」

「これは―――」

 

 まるで凶悪なナニかを飲み込んでしまった蛇のように、『精霊の女』はその蛇体のような植物の下半身と女の上半身を振り回し捻り回し始めた。

 攻撃のそれではない。

 ただ、痛みかなにか、兎に角耐えられないナニかから逃げるように『精霊の女』は暴れていた。

 その暴風の如き暴れる様と異様に、前へ進むどろこか、アイズ達の足はじりじりと逃げるように―――忌避するように後ろへと下がり。

 

『私私私私私私私私ガガガガガガガ――――――ヤダ』

 

 そして、それは狂った。

 

『aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaayadayadayadayadayadayadayadayadayadayadayadayadyadyaydaadadanaariaariaariariaariaariaariaaraiaaaaaalambamfeonogbnmamarmgmoranbnaon fmc;amfoirgonafuibh om rinaornoaramr―――』

 

 それは最早声ではなく。

 悲鳴でもなく。

 絶叫でもなく。

 聞くものの耳から震わせ脳を犯す。

 呪いのようで。

 抗うことは一瞬たりとも出来なかった。

 例外なく、アイズ達は同時に耳を抑えその場に倒れ込んだ。

 叩きつけられるかのような勢いで、自らその(呪い)から逃げるように。

 

『mojeijgoandntomafaoanognaotoagnbvornoagneontoenoagooamッ――――――――――――!!???』

 

 誰もが急変を続ける事態に混乱し、状況を把握出来ないまま流されるように混沌の渦の中にいた。

 だから、それに気付いたのは、本当に偶然だった。

 意識的か、無意識なのか。

 何も分からない。

 悉くの異変の中、拠り所を探すように目を開けたレフィーヤの目に、身体を振り回す『精霊の女』から何かが飛んでくるのを。

 そして、それが赤い何かであると気付いた時には、身体は既に動いていた。

 

「―――シロさんッ!!?」

 

 声を上げ、倒れていた身体を起こし耳を塞いでいた手は前へ。

 どれだけの力だったのか。

 投げ捨てられ空を飛ぶシロの身体は、アイズ達の上を越え更に後ろへ。

 だらりと力ないその姿から、意識はないのは見てとれる。

 この勢いで叩きつけられたら、下手をすれば―――。

 未だ続く『精霊の女』の(呪い)に意識を削られながらも、前へと倒れ込むように駆ける。

 だが―――。

 

(間に―――合わない)

 

 それでも、伸ばした手は遠く。

 走る足は鈍く。

 届かない手が、歪んで見えて。

 落ちていく―――彼の姿が幻視()えて。 

 

「っ――――――間に、合わせるッ!!」

 

 咄嗟の判断だった。

 いや、意識してはいなかった。

 シロの身体が地面に叩きつけられる直前。

 地面を蹴ったレフィーヤの伸ばした両手が、横からシロへとぶつかった。

 直後、レフィーヤの両腕に響いた衝撃は強く。

 レベル4の身体であっても砕きかねない程のものであった。

 折れてはいないが、罅は確実に入っている。

 直感的にそれを感じながら、地面を削りながら倒れたレフィーヤが、ぼんやりとした意識と視界のまま顔を上げれば。

 少し離れた位置には、やはり自分と同じように地面に転がるシロの姿があった。

 赤い外套や服だけではない赤色に染まったその身体に、レフィーヤの心臓が跳ねたが、僅かに胸が上下している事に気付くと小さくため息を吐いた。

 

「全く、もう―――何時も心配ばか――――――」

 

 引きずるようにして身体を起こしたレフィーヤは、両腕の痛みに顔をしかめながらも、何処か笑っているような雰囲気を口に浮かばせ―――凍りついた。

 まるで、全身の細胞を氷で出来た針で貫かれたような。

 小さな小さな蛆虫が、全身に集って噛じりついたかのような。

 不快で不安で気色が悪く―――何よりも恐ろしいナニかを感じ。

 錆びた機械のように首をゆっくりと回し。

 後ろのソレ(・・)を見た。

 

「―――――――――」

 

 自分が何を口にしたのか、レフィーヤはわからなかった。

 悲鳴だったのか。

 罵倒だったのか。

 否定だったのか。

 それとも何も言わなかったのか。

 ただ、一つだけ分かっていたのは。

 それ(・・)は、否定しなくてはならないもの(世界にあってはならないもの)であると言うこと。

 さっきまで『精霊の女』であった筈のそれ(・・)は、もう女の形をした上半身はなく。

 大蛇のような、巨木のような下半身もまた、生物的なそれではなく。

 そこには、一つの柱のようなナニかがあった。

 気味の悪い黄緑はそこにはなく。

 暗く深い黒が。

 いや、違う。

 黒ではない。

 あらゆる色彩を無秩序に混ぜ合わせ、最後に致命的なナニかを混ぜ合わせた結果、()()()()()()()()()()()()()()()()ように感じる。

 光の届かない深い森の夜の闇のようにも。

 何処までも続く深い穴の黒のようにも。 

 負に関わるナニかを感じるそれは、ただしソレを例えるならば、きっと皆同じ言葉を口にするだろうと妙な確信があった。

 それを裏付けるように、凪ぎのように静まり返った『ルーム』の中に、団長の声が響いた。

 

「――――――泥?」

 

 その団長の声を切っ掛けにしたように。

 まるで、正解だと告げるかのように。

 塔のように聳え立っていたそれは、音もなく。

 影のように、幻のように崩れ―――()()()()()()()()()()

 

「「「―――――――――ッ!!!???」」」

 

 前触れもなく、一瞬で崩れ水溜まりのように下へと広がるソレに。

 瞬く間に広がったそれは、アイズ達の元までは届いていない。

 しかしアイズ達は一斉に、躊躇することなく全力で後ろへと飛びずさった。

 サポーターであるラウル達もまた、必死な形相で転倒しかけながらも後ろへと逃げていく。

 事前に決めていたかのように、後ろへと跳んだアイズ達はレフィーヤの傍に降り立った。

 リヴェリアやアイズ達は、レフィーヤの近くに転がるシロの姿に一瞬目をやり、意識はないが生きていることを確認すると、安堵の息を吐くが、直ぐに顔を厳しくすると地面へと広がった黒い泥のようなナニかに視線を向けた。

 

「アレは、一体?」

彼女(精霊の女)は、死んだの?」

「でも―――」

 

 『精霊の女』が死んだのかというアイズの疑問に、近くにいたティオナが強く戸惑いが混じった声を上げる。

 モンスターは、死ねば灰となる。

 確かに、ドロップアイテムを落とす事はあるけれど、泥のようなナニかに変わるなど聞いたこともない。

 続く異常。

 急変する事態。

 理解できない状況は、まだ、終わったわけではない。

 いや、違う。

 

 

 

 ―――()()()()()()()()()()

 

    

 

 誰も、目を離してはいなかった。

 もしかしたら誰かは瞬きはしたかもしれない。

 しかし、全員が同時にソレから目を離した―――見ていなかった等といったことは絶対になかった。

 なのに、誰も()()がどう現れたのかがわからなかった。

 ただ、ソレが現れたのと同時、地面に広がっていた泥が消えていたことに、フィンを始め数人が気付いていた。

 だから、多分()()は泥から産まれたのだろう。

 

「なに、アレ?」

「ひ、と?」

 

 泥のようなナニかがあったその場所の中心に、5つの人影(・・・・・)があった。

 ()()姿()ではない。

 ソレは、まるで黒いナニかで形造られた人形のようで。

 だけど、周囲の空間が歪んで見えるほどの存在感が感じられて。

 

 一つは、細長い身体を老人のように前へと曲げた、両腕が長い姿()で。

 

 一つは、異様に刀身が長い東方出身の冒険者がよく使う刀と呼ばれるものに近いナニかを握った姿()で。

 

 一つは、2Mはあるだろう細長い棒か槍を握った、輪郭が分かりにくい黒一色でも形が良いとわかる身体を持つ姿()で。

 

 一つは、5つの中で最も小さいが、鎧を身に付けているように見える形をした長剣を持つ姿()で。

 

 一つは、5つの中で最も巨大な2Mを確実に越すだろう巨体を持つ、そしてその手には、ティオナが使う巨大な武器よりも大きいだろう剣のようなモノを握った姿()で。

 

 5つが全部、バラバラで、でもナニか共通しているかのような。

 ただ、何も分からないままでも。

 一つだけ確かなことがわかっていた。

 それは―――

 

「総、員―――」

 

 フィンの圧し殺せないナニかで震えている声が、アイズ達の耳を震わせる。

 どんなときでも生意気な口を吐く筈のベートの噛み締めた口許は微かに震えて。

 恐ろしい敵や恐怖を破壊するかのように危機で哄笑を上げるガレスすら、武器を握る右手が震えているのを左手で押さえ込むように掴み。

 全員が全員、目の前にいるソレに対し己の内から沸き出る恐怖を否定できないまま。

 それでも、フィンが口にするだろうそれに応えるため、歯を食い縛り、全身に力を行き渡らせる。

 

「戦闘態勢ッ!!!」

 

 フィンの声に応じるように、目の前の5騎(・・)の化け物がそれぞれ武器を構え。

 

「―――来るぞッ!!」

 

 アイズ達に一斉に襲いかかってきた。 

 

 

   

 

 

 

 

 

  

 

  




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