たとえ全てを忘れても   作:五朗

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 遅れてすみません。


第四話 望んだ先の、望まぬ未来

 ………………鐘の―――音が聞こえる……

 

『―――――――――やっぱり、行くのね』

 

 昇る日を背に立つ女の声が、一日の始まりを告げる鐘の音に混じって聞こえる。

 

 ―――顔が、良く見えない。

 

 いや―――

 

『何もかも、全て捨てて……』

 

 ―――ただ、もう忘れてしまっているだけなのだろう。

 

 一体どれだけ昔の事なのだろうか。

 

 生前の記憶……それも私が■■■となる前の■■■だった記憶等―――もう、残っていることすら忘れてしまっていた……。

 

『もう……会えないの』

 

 ああ、その通りだ。

 

 そう、私と彼女の道が交わることはこれ以降二度となかった。

 

 それを、私も彼女も既に気付いていた。

 

 なのに……彼女は、それに気付いていながらも、そう問いかけてきた。

 

 ――――――私は、それに何と答えたのだろうか……?

 

 わからない……。

 

『―――ハ■ム』

 

 ああ、私の名を呼ぶ君は、一体どんな顔だったのか、どんな声だったのか―――もう、全てが遠く朧気で……。

 

 何故、私はあそこで振り返らなかったのか。

 

 立ち止まらなかったのか……。

 

 そうすれば、何もかも違った筈だった。

 

 もし、あの時、誰かに無理矢理にでも止められたのならば―――一体私はどうなっていたのか……

 

 だが、そんなもしもは、何処にもない……。

 

 私と言う存在がいる限り、そんなもしもは―――ないのだから……。

 

 だから、私は――――――――――――

 

 

 

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「―――すみませんでしたっ!?」

「あはは―――大丈夫大丈夫、事情は聞いてるから、あの神様に唆されたんだってね」

 

 そのまま土下座に移行するかのような勢いで頭を下げた僕に、ティオナさんはカラカラとした笑い声を上げながら、気にしていないと言うように右手の掌をひらひらと振って見せてくれる。

 

 ―――あれから、リューさんに連れられて無事に僕はロキ・ファミリアの野営地に辿り着くことは出来た。けれども、着いて直ぐに僕は何故、森の中で迷子となっていたのかを思い出すことになる。

 そう、ヘルメス様と共に、ロキ・ファミリアを主とした女性冒険者さん達の水浴びを覗いてしまったことに。

 勿論、僕にはそんなつもりは一切なかったのは確かだけど、それでも覗いた事実には変わりはなく……。

 最後に聞こえたヘルメス様の断末魔の声を思い出せば、未だに体が震えるのを止めることは出来はしない。

 出来れば森の中に戻り、そのまま隠れ潜みたくはなるのだけど……流石にそれは出来ず。

 ヘルメス様の断末魔の幻聴を耳に、それでも僕は勇気を振り絞ってあの場所にいた女性冒険者さん達に謝って回った。

 だけれど、幸いにも皆さんそこまで怒ってはおらず、ティオナさんのように笑って―――苦笑いしながらも許してくれた。

 

「あ、はは……」

「あの神様も色々とお仕置きされてたみたいだし。まぁ、皆気にしてないと思うけどなぁ~」

 

 頭の後ろで両手を組みながら、野営地の何処かへと視線を向けたティオナさんはにゃははと大きく口を開けて笑った。

 ―――と、直後ティオナさんの後頭部から破裂音が聞こえた。

 

「っ―――あ痛っ!?」

「皆あんたみたいに単純じゃないわよ、この馬鹿」

 

 勢い良く顔を前へと倒したティオナさんが、後頭部を押さえながら踞る後ろから、何かに使用した右手をひらひらと振りながらティオネさんが姿を現した。

 

「え~、ひっどいなぁティオネったら」

 

 ティオナさんが少し涙目となった目を非難がましく細目ながら、隣に立ったティオネさんを睨み付ける。ティオネさんは、そんなティオナさんの恨めしげな目を鼻を鳴らして散らすと、小さく肩を竦めて見せると、僕にからかうような視線を向けてきた。

 

「はいはい。で、これで君は一応全員に謝ったんでしょ。なら、これ以上あまり気にし過ぎるのもあれだから、後は色々と騒いでいる連中にだけ注意しときなさい」

「えっ、と……騒いでいるというのは……」

 

 ティオネさんは僕の疑問に対し、顎先に人差し指を当てて何やら考える仕草を取ると、ふっ、と挑発するように唇を曲げて見せた。

 

「一部の男連中がちょっとね。まっ、そこのところは、何とかしなさい。男でしょ」

「っ―――うぅ……わかり、ましたぁ……あっ、その、一つ良いですか?」

 

 そのティオネさんの言葉に、【ロキ・ファミリア】の男性冒険者さん達が、戻ってきた僕に向けたねば付いた敵意のこもった視線と共に、武器の具合を確かめる様子を思い出し、僕は自分の声と体が震えるのを止めることは出来なかった。

 だけど、それと同時に一つ気にかかる事も思い出した僕は、震える僕の事をにやにやとした笑みを向けているティオネさんに丁度良いとばかりに質問をした。

 

「なに?」

「その、実はアイズさんがまだ……」

 

 そう、ティオネさんは全員と言ったが、一人、謝っていない人がいた。

 アイズさんだ。

 ここ(18階層)に来てから、結局会えたのは、あの覗きの一件の時だけで。

 戻ってきてから他の人へと謝りながらも探していたのに、それでも会うことは出来なくて……。

 

「ああ、あの子ね……」

「あの、もしかした何処に―――」

 

 その僕の言葉に対してのティオネさんの様子に、何か心当たりがあるように見えた僕が、詰め寄ろうと一歩足を前へと動かしたけれど、ティオネさんは、それを首を横に振ることで拒否を明確に示した。

 

「……ちょっとあの子も色々とあったから。あの子には私から謝ってたって伝えておいてあげるから、無理に探さなくていいわよ」

「え? でも―――」

 

 それでもと、食い下がろうとした僕に、ティオネさんは逆に顔を近付けて脅すように、言葉の一つ一つを区切りながら僕に忠告をしてきた。

 

「い、い、か、らっ」

「っぅう……はい―――」

 

 僕の口から出そうになった反論の声は、しかしただの唸り声へと変わり、肩は力なく垂れ下がって項垂れてしまう。

 だから、僕はティオネさんのその愚痴めいた言葉に気付くことは出来なかった。

 

「……全く、子供なんだから」

 

 そう、野営地の端を睨み付けるように見つめるティオネさんが、強さだけは一級品に関わらず、何処までいってもどこか子供っぽさが抜けきれない大切な友人に対して向けた非難染みたその言葉を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……アイズさん、どうして……」

「あの―――」

 

 あれから、ティオネさんに追い立てられるようにその場から強制的に立ち退かされた僕は、何となく神様たちのいる天幕へと戻ることはなく、ふらふらとした足取り宛どなく歩いていた。

 

「僕、何かしたのかなぁ……」

「あの―――」

 

 口から時折漏れるのは、自分自身の不甲斐なさに対する文句もあった。

 ぼうっとしたまま、僕が肩を落とし、視線も落としながら歩いていると―――。

 

「うぅ……覚えがあるようなないような……」

「あのっ!!?」

 

 突然眼前に現れた影が、僕の前に立ち塞がって声を上げた。

 

「ひっ、ひゃいっ?!!」

 

 びくりと背筋を伸ばし立ち止まった僕の前には、じとりとした眼差しをした、長い金の髪を持つエルフの―――。

 

「……今、いいですか……」

「あ―――あな、たは……レフィーヤ、さん……?」

 

 何時の日か―――アイズさんとの修行の日々に出会ったエルフの少女の姿があった。

 

「……ええ、お久しぶりです、と言うにはそんなに経ってはいませんね」

「そう、ですね……あの、僕に何か?」

 

 少し頬を膨らませた様子を見せるレフィーヤさんの姿に、思わず腰を引かせながら僕が尋ねる。

 レフィーヤさんは明らかに腰の引けている僕の姿を見ると、苛立ちを示すように腕を組み、ぼそりと小さく呟いた。

 

「……少し、貴方と話がしたくて」

「―――僕と、ですか?」

 

 一瞬もしかしたらあの水浴び場にレフィーヤさんもいたのかと思ったけれど、もしそうだったら、多分僕はこうして無事にいられるわけがないと思い至る。

 じゃあ、僕に話って?

 その理由がわからず、内心首を傾げる僕に向かって、レフィーヤさんは少し僕から視線をずらすと、何処か苦しげな顔を一瞬浮かべてその口を開いた。

 

「ええ―――彼の……シロさんの事で……」

「―――ッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あの、何処まで行くんですか?」

 

 レフィーヤさんに誘われて、船頭する彼女について僕は森の奥深くまでやって来ていた。

 もう【ロキ・ファミリア】の野営地の姿どころか、人の声すら届かない。

 それに、もうそろそろ日が暮れる―――『夜』の時間帯だ。

 そうなれば、真っ暗になって森の中であることも加えて歩くことも覚束なくなってしまう。

 そんな不安が募って、開いた僕の口に、レフィーヤさんはその足を止めると、僕へと向き直った。

 

「ここまで来れば、誰かに聞かれる事もないでしょう」

「レフィーヤさん?」

 

 言外に人に聞かれたくない話をするという言葉に、思わず戸惑う声を上げてしまう。だけど、レフィーヤさんは、特に気にした様子を見せることなく、ただ僕の様子を伺うような視線を向けて問いかけてきた。

 

「……貴方は、シロさんの事について、どれだけ聞いていますか……?」

「っ……18階層で……階層主との戦闘中に崩落に巻き込まれて行方不明とだけ……」

 

 レフィーヤさんの、その言葉に、一瞬あの夜に聞いた神様たちの話し声が思い出されたけれど、僕の口から出たのは、エイナさんから聞いた話だった。

 【ロキ・ファミリア】から提供された情報という―――シロさんの行方不明となった顛末。

 その、僕の答えに対し、レフィーヤさんは―――

 

「―――え?」

「え?」

 

 口と目を丸くするという、明らかに予想外と言った様子を表情で十分に語ってみせた。

 それに対し、僕も同じような表情を浮かべてしまう。

 

「「…………」」

 

 数秒ほど、僕らは互いに丸くした目で見つめ合っていたけれど、レフィーヤさんが首を傾げた事で、その見つめ合いは終わりを告げた。

 

「あれ? 本当にそれだけ何ですか?」

「え、あ、はい……」

 

 再度確認するレフィーヤさんに、僕は一応と思い出しながらも、改めて頷いて見せる。

 

「そ、そうですか……っんん―――ま、まあいいです」

「い、いやいやっ!? そんな風に言われたら気になりますよっ!? 何ですかそれだけって? 他に何かあるんですか?!」

 

 仕切り直すように咳払いをしたレフィーヤさんが、笑顔を浮かべながら話を切り替えようとする。しかし僕は、そうはさせじと詰め寄っていく。

 それはそうだ。

 レフィーヤさんのあの言い方だと、明らかに僕が言った言葉以外の()()()()()()ということだ。

 そんな事、気にならないわけがない。

 ぐいぐいと顔を寄せる僕に、両手を突き出して間合いを取ろうとするレフィーヤさんに尚も詰め寄る。

 

「ちょ―――ちょっと待って、落ち着いてっ?!」

「何かっ、知っているなら教え、て―――……」

 

 突き出される両手を振り払い、更にと近づこうとした僕は、だけど不意に【ロキ・ファミリア】の天幕から聞こえた神様の声を思い出す。

 その内容から、それはまるでシロさんが―――と考えてしまった僕は、一気に全身に力が入らなくなってしまう。 

 

「……?」

「あ、いえ、その……やっぱり―――」

 

 突然勢いを無くし消沈した僕の様子に、レフィーヤさんは訝しげな顔を浮かべる。

 そのまま、後ろに逃げるように後ずさる僕の足が、大きく引かれようとしたところで―――

 

「生きてますよ」

 

 何の気負いもなく、何でもないことのようにレフィーヤさんは、そう僕に告げた。

 その言葉の意味を、僕は一瞬理解できなかったから、反射的に口から出たのは、吐息のような気の抜けた声で。

 

「え?」

「絶対に、あの人は」

 

 そんな、間の抜けた僕の答えに対し、レフィーヤさんは特に反応することなく。

 ただ、自らに言い聞かせるかのような強い言葉と声で、改めて告げた。

 シロさんが生きている、と。

 

「それは―――」

「根拠はありません」

 

 知らず上がった僕の声に被せるようにして、僕の甘い考えは即座に否定される。

 梯子を外されたかのような感覚に、思わず体も倒れかけてしまう僕。

 

「へ?」

「だけど、私は確信しています―――ううん、違いますね。きっと、ただ信じているだけ」

 

 天井から降り注ぐ水晶から放たれる光を仰ぎ見るかのように、顔を上げて目を細めるレフィーヤさん。

 木々の枝葉に遮られるなか、僅かに出来た隙間から伸びる、数本の線状となった光の柱がレフィーヤさんの回りに差し込んでいる。

 

「レフィーヤ、さん?」

「―――あなたは、どうなんですか?」

 

 気付けば、レフィーヤさんが僕を真っ直ぐに見つめていた。

 その眼差しは鋭く、強く。

 でも、何処か優しくて。

 

「……」

「……私は、あの人がいなくなったその場にいました」

「っ?!」

 

 思わず見惚れるように、それとも聞こえないかのように、レフィーヤさんの問いかけに答えずに、僕はただ黙り込んでいた。でも、次にレフィーヤさんが告げた言葉には、反応せずにはいられなかった。

 

「詳しくは……残念ですが、理由があって話すことは出来ません。ですが、彼が行方不明となった場所に、私はいました」

「え? それは―――あ、『遠征』」

 

 【ロキ・ファミリア】からの情報とまでは聞いていた。

 でも、その現場にレフィーヤさんがいたというのは考えもしていなかった。

 けれども、少し考えれば分かってしまう事でもある。

 あの時期、ダンジョンに潜っていたのは、【ロキ・ファミリア】の中でも上位陣である遠征組の人達だけだったのだから。

 

「? っ、あ、ああ。ま、まぁ、そう言うことです。詳しい事は言えませんが、『遠征』関係で彼と少し関わることになって、そして、その時に……」

「……」

 

 レフィーヤさんは、一瞬僕の言葉に首を傾げるような仕草を見せたけれど、直ぐにその通りだとうんうんと頷いて見せた。そこに少し引っ掛かる感覚を得たけれど、僕は特に言及することなく黙って話の続きを聞く用意をする。

 

「普通に考えれば、助かる見込みは0です。そんな絶望的な状況でした」

「っ!?!」

 

 だけど、構えていた僕に向けられた言葉は、想像通りの最悪の言葉だった。

 一瞬悲鳴を、否定の声を上げかけたけれど、直ぐにそれを飲み込んで改めてレフィーヤさんに向き直る。

 

「きっと、団長たちも、皆も……」

「その場に、アイズさんは……」

「……いました」

 

 もし、その場にアイズさんがいたのなら、それでもシロさんがいなくなってしまったと言うのならば、それは本当に絶望な状況だったのだろう。例え、もしその場所に僕がいたとしても、きっとどうしようもない。

 仕方のなかった―――そう、何処かから誰かの声が聞こえる。

 

「―――っ」

 

 酷薄な心の奥から聞こえた言葉に、沸き上がった嫌悪感を無理矢理飲み下す。

 細く、長い吐息を吐き出して気持ちを押さえ込む。

 

「あの場にいた人は皆……口にはしていませんけど」

「それは―――」

 

 言い辛そうに顔を背けているも、それでもレフィーヤさんは話を続けていた。

 もし、そのレフィーヤさんの言葉の通りならば、オラリオの中でもトップを誇る彼らがそこまでいう程に至った者が、そう断言するということは―――本当に危険だったのだろう。

 

「でも、さっきも言いましたが、私はあの人が死んだなんて思っていません」

「あ―――っ、どう、してですか……?」

 

 肩を落とし、項垂れる僕は、だけど、直ぐに思い直す。

 そう言うけれど、レフィーヤさんは先程何を言ったのか、と。

 そこに思い至り、咄嗟に顔を上げた僕に対し、レフィーヤさんは、あの例の奇妙な眼差しを僕に向けながら口を開いた。

 

「わかりませんか?」

「え?」

「本当に、わかりませんか?」

「その、それは、どういう―――」

 

 わからない筈はないだろうという、確信に満ちた声と目が、僕を真っ直ぐに見つめてくる。

 だけど、僕にはわからない。

 困惑し、動揺し、目を逸らしかけた時、レフィーヤさんはその答えを口にした。

 

「あの人が、()()()()()()()()()

「……え?」

 

 レフィーヤさんが口にした『答え』は、あまりにも漠然として、具体性にかけていて。

 普通に聞けば、シロさんが生きているという理由になんて到底なり得ない、ただの希望的な観測にすぎない言葉でしかなかった。

 それは僕も同じで、そのレフィーヤさんの言葉に納得なんて欠片もなくて。

 だから、僕の口から出た疑問の戸惑いの中には、疑問と不満、そしてほんの少しの―――。

 

「―――私は、何度もあの人が戦う姿を見たことがあります」

 

 レフィーヤさんの声が、僕が自分の胸の奥底に過ったものに向けていた意識を引き戻す。

 はっ、と気を取り直した僕の前で、レフィーヤさんは辛そうに眉根を寄せた表情で、微かに震える声で教えてくれた。

 僕の知らない―――シロさんを。

 

「決して、楽な戦いばかりではなかった。あの人が何度も追い詰められている姿を見たことがあります」

「シロ、さんが?」

「はい。でも、その度に彼はそれを乗り越えてきました」

 

 僕の知るシロさんは、強くて、優しくて、料理と掃除がとても上手で―――何時もどんな時も余裕を失わない頼れる人で……。

 だから、レフィーヤさんが言うような、見たことのあるような―――追い詰められる姿なんて想像も出来なくて……。

 

「傷だらけで、ぼろぼろで、何度も死にそうなほど追い詰められて―――でも、それでも、その度に立ち上がって、立ち向かって……最後まで貫き続けて……」

「…………」

 

 そんな僕の知らないシロさんの事を口にするレフィーヤさんの姿を目にして、僕は先程から感じる胸のざわつきが大きくなっていることを自覚する。

 それが、何なのか―――僕はもうわかってしまった。

 これは、きっと―――。

 

「そんな人が、そう簡単に死んだりするものですか」

「―――レフィーヤさんは、本当にシロさんの事を……」

「そう簡単に死んでしまうような可愛いげのある人じゃないですよ、あの人は……」

 

 生きていると、本当に信じているんですね―――と言う言葉は、笑顔を浮かべ『当たり前だ』と言うように応えたレフィーヤさんの返事に遮られた。

 僕を見る瞳は、うっすらと濡れていて、間もなく『夜』になる前の水晶の光を受けてきらきらと輝いている姿からは、シロさんが生きている事を微塵も疑う様子はなくて。

 その姿が、言葉が―――僕は胸が苦しくなるほどに羨ましくて。 

 ああ、そうだ。

 僕は、そんなレフィーヤさんに―――嫉妬しているんだ。

 

「―――で、あなたはどうなんですか?」

「ぼ、く―――?」

 

 そんな気付いてしまった自分の自分勝手な思いに動揺してしまっていた僕では、そのレフィーヤさんの問い掛けに直ぐに答えられる訳もなく。

 混乱する頭と心に乱れる僕とは裏腹に、僕を見つめるレフィーヤさんは羨ましいほどに揺るぎないように見えた。

 

「ええ」

「それは、でも―――っ」

 

 『生きている』『死んでいる筈がない』―――そうレフィーヤさんは言うけれど、でも皆、神様も―――。

 それなのに、どうして?

 レフィーヤさんも自分で言った筈だ。

 絶望的な状況だったって。

 あの団長さんたちも死んだと思うほどの状況だったって―――。

 なら、どうして貴女はそれでも、そんなに自信を持って信じられるのか、僕には―――わからない。

 

「状況から推測しろだなんて聞いてるんじゃないんです」

「っ、ぇ……?」

 

 口は開けど言葉が出ない僕に、レフィーヤさんは揺れ動く僕の瞳を捕まえるようにしっかりと見つめながら、言葉で詰め寄ってくる。

 そうして、刺し貫くようにして僕へと問い掛けを言い放つ。

 

()()()()()()()()()()()()()()?」

「僕、の……」

 

 シロさんが陥った状況や、誰かの言葉なんかではなく。

 ただ、自分がどう思うのか、それだけを問い掛けてくる。

 死んでいる、生きているとかそんなものじゃない。 

 ただ、単純に『あなたはシロさんをどう思っている』という問いに、僕は―――  

 

「―――っ、僕――――――です」

「え?」

 

 気付けば、『答え』を口にしていた。

 

「僕も、です」

「何が、ですか?」

 

 さっきまでの、何処か責めるような視線ではなく。

 暖かな、しっかりと受け止めてくれるような目と声で、レフィーヤさんは僕にもう一度問いかけてくる。

 だから、僕は息をゆっくりと、大きく吸い込んで、はっきりと口にした。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 シロさんが、生きているって(シロさんを、信じているって)

 

「……私がそう言ったからですか?」

「違います」

 

 確かめるように、僕の目を覗き込みながら問うレフィーヤさんに、はっきりと首を横に振って僕は応える。

 

「じゃあ、何でですか?」

「それは―――うん、わかりません」

「へ?」

 

 うん、と一つ大きく縦に頷いた僕は、そうはっきりと応えた。

 ぽかん、と口を開いて、さっきまでの大人びた様子が消え去ったレフィーヤさんの姿に、内心で『してやった』という何処か子供染みた意地のようなものを思いながら、僕は自分の中からその理由を探していく。

 

「もしかしたら―――ううん、多分半分以上は、ただの願いでしかないと思います」

「じゃあ、他は?」

「それは―――」

 

 そう、僕は答えを出した。

 『シロさんは生きている』―――って。

 だけど、それはレフィーヤさんと同じような、明確な根拠や理由があるものではなくて。

 応えたように、ただの『願望』に近いものだけど。

 それでも、そうはっきりと応えられた理由は―――きっと―――。

 

「―――【ファミリア(家族)】、だから」

「……何ですか、それは」

 

 じと目で、下から睨み付けるようなレフィーヤさんのそんな目に、僕は反射的に仰け反ってしまう。

 

「うっ、それは、その……」

「でも、それが一番かもしれませんね」

「レフィーヤ、さん?」

 

 でも、直ぐにレフィーヤさんは、ぱっと花開くみたいな笑顔を浮かべると、くるりと体を回して僕に背中を向けた。

 そして、一、二歩と前へ歩くと、背中を向けたまま、優しく労るような声で僕に話しかけてきた。

 

「……少しは、顔色が良くなったみたいですね」

「―――え? あ、その」

 

 安堵が多分に含まれたその声に、反射的に恥ずかしさと―――ちょっとした反発心と共に頬へと血が集まり熱くなる。

 それを誤魔化すように、反射的に口が動いてしまう。

 

「何ですか?」

「どうして、僕に……」

「―――あの人には色々と発破を掛けてもらいましたから、ね」

 

 咄嗟に動いた口から出た疑問は、でもそれは最初から感じていたもの。

 知り合いとは言っても、僕とレフィーヤさんの関係は精々数回ほどだけ話をしただけでしかなく。

 ここまで気に掛けてくれる程までに、仲が良いような関係性ではなかった筈で。

 そんな僕の疑問は、後ろ手に組んだ両手の指を、その複雑な心境を物語るように動かしながら答えてくれたレフィーヤさんの言葉に、晴れるどころか更に深くなってしまう。

 

「へ?」

「―――っ、たっ、ただの、私の都合なだけですよっ。あなたもさんざん身に染みている筈でしょダンジョンの恐ろしさは。なのに、何時までもあんな顔してたら、命が幾つあっても足りないでしょうから、ね」

「あ―――」

 

 深まった疑問は、しかし何かを誤魔化すように両手を振り回しながら振り返ったレフィーヤさんが、最後にびしりと僕へと指を突きつけてきたことにより、再度問いかける機会を逸してしまった。

 

「ま、余計なお世話だったかもだけど」

「い、いえ、そんな事は……」

「―――ふん」

 

 明らかに何かを誤魔化した感のある言葉に、しかし否定も出来ないその言葉に、僕はただ頭を下げる事しか出来ず。

 でも、頭を下げた僕の思考に、ぽっと浮かび上がった疑問が、顔を上げた時、反射的にころりと言った様子で口から出てしまう。

 

「でも、こんなに気にしてくれるなんて、その、もしかしてレフィーヤさんはシロさんと、何か、その、特別な関係なんですか?」

「―――え?」

 

 腰を曲げたまま、顔だけを上げて見上げるレフィーヤさんの口が、何度目かのぽかんと開いた口の形となる。

 そのままカチリと石になってしまったかのように固まったレフィーヤさんだけど、その白い肌がみるみるの内に赤く染まっていき―――。

 

「え? あの?」

 

 その姿が、まるで何かの秒読み(カウントダウン)のようで。

 そしてそれが、僕にとっては決して良い方のものではないことを感じて―――。

 

「わ、私と、あの、人が―――!?」

「あ、あの~……レフィーヤ、さん?」

 

 少しでも落ち着かせようと僕は話しかけてしまった。

 脳裏には、何時かシロさんが言っていた、女性に関して『少しでもいかんと思ったら直ぐに逃げろ』という言葉が何故か思い出されて―――。

 そして、シロさんのそんな忠告は無駄になってしまう。

 

「そ―――そ、そ、そ、そっ―――そんなわけないでしょ~がッ!!?」

「ひっ、ひぃいい?!!」

 

 顔を真っ赤にさせたレフィーヤさんが、歯を剥き出しにして雄叫びを上げて僕へと威嚇? の声を上げた。

 

「わた、わた、私とあいつがっ、なん、なんでそんな―――絶対にそんな事は―――」

「は、はぃいい~?!」

 

 尻餅をついた僕は、レフィーヤさんが何か言っていたけれど、今すぐにここから逃げなければという思いに従い、今度こそ慌てて走り出していた。

 

「っちょ、まちなさぁい!?!」

「い、いいい、いやですぅ~っ!!?」

「あっ、ちょ―――はや―――」

 

 レフィーヤさんが右手に杖を掲げて叫ぶのを走りながらチラリと見てしまった僕は、走る足に更に力がこもり、更に速度が上がっていく。

 あっと言う間に逃げ去った僕に対し、レフィーヤさんは舞い上がった土埃の中一人取り残され。

 

「どう、しよう……見失っちゃった……」

 

 威嚇するように上げていた両手をゆっくりと下ろすと、見えなくなった背中と間もなく『夜』となることに思い立ったレフィーヤが、震える声でぽつりとそう焦った言葉を吐き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ど、どうしよう……完全に道に迷ってしまった……」

 

 レフィーヤさんの突然の謎の怒りから思わず逃げ出してしまった僕は、気付けば『夜』となった森の中、一人さ迷い歩いていた。

 周囲をぐるりと見回してみるが、当たり前であるが見覚えなど全くなく。

 本日二度目の迷子となってしまっていた。

 迷子―――とそんな可愛げなものではなく、モンスターのいる森に一人道を失うと言うただの遭難なのではあるが、それを自覚すると余りにも怖くなりすぎるため自分を騙すためにそう思うことにしておく。

 動かない方がいいのか、それともなんとか自力で戻るための努力をすればいいのか、判断に迷っていた僕の耳に、微かな誰かの話し声が聞こえた。

 

「あれ? こんなとこに人が……?」

 

 足音等だったら、ほぼ確実にモンスターではあるが、話し声ならば間違いなく人間である。

 とは言え、僕が言うのは何だけど、『夜』の森に人がいるのは何かおかしい。

 だけど、このままこうしていてもどうしようもない。

 モンスターならば、話し合いも何もないけれど、でも、相手が人間ならば少なくとも話はできる。

 野営地まで送ってもらえることは出来なくても、方向ぐらいは教えてくれるかもしれない。

 そんな希望的な観測を下に、僕は声の聞こえてくる方向へと向かっていった。

 そして―――

 

「あの~! すみません、道に迷ってしまって」

「ッ!? 冒険者だとっ!?」

「え?」

 

 森の道なき道を歩く()()()()()()()()()()()3人の男だろう人へと話しかけた。

 モンスターと勘違いされないように、はっきりと声を上げながら姿を表した僕に、彼らは驚愕の声を上げると共に、慌てて周囲を見渡した。

 そして、僕の他に誰もいないことを知ると、三人で互いに視線を会わせた後、ゆっくりと僕を囲むように―――包囲するように動き始めた。

 

「―――っ、いや、幸いにも一人か……」

「ならば逃げられる前に殺すぞっ!」

 

 嫌な予感が急速に高まり、後ろ足でゆっくりと下がっていく僕に向けて、とうとう三人の内一人が決定的な言葉を放つ。

 その言葉を聞いた瞬間、僕は反転し森の中へと飛び込もうとする―――が。

 

「―――っ?!」

「おいっ!! 食人花(ヴィオラス)を出せッ!!」

「なっ!? モンスターっ!!?」

 

 白い装束の男が声を上げた瞬間、僕が飛び込もうとした森の中から何か金属音が響くのが聞こえ振り返ると、巨大な何かがずるずると姿を現してきた。

 それはぱっと見れば巨大な蛇にも似た、極彩色の長大な長細い体躯を持ったモンスターだった。

 森の中から現れたモンスターを前に足を止めた僕が、気を取り直し周囲を確認した時には既に遅く、最初に見た白装束の三人の男に加え、モンスターが出てきた森の中から新たに現れた4人の白装束が周囲を固めていた。

 

「運の悪い奴だっ! 食人花(ヴィオラス)の移送の最中に遭遇するとはなっ!」

「殺れぇええっ!!」

「っ―――」

 

 白装束の7人の男達が、口々に殺意を上げ武器を取り出す中、頭部の蕾を花開かせ、その醜悪な顔を露にしたモンスターが割れ鐘染みた咆哮を上げる。

 武器を取り出して僕を囲い込んだ男達だったけれど、直ぐに襲いかかる事はなく、蛇のようにその巨体をくねらせながら近寄ってくるモンスターを遠巻きにして見ていた。見るからに迫り来るモンスターは強靭に感じた僕は、モンスターとの戦闘を避け逃げ出そうと周囲を再度見渡す。

 先程見た男達の様子から、それほど脅威は感じなかったことから、もしかしたらレベルは僕と同じくらいか、下かもしれなかった。

 だから、モンスターではなく男達に向かって飛び込めば、何とかこの包囲網から抜け出す可能性は高かった。

 だけど―――。

 

「逃がすなぁッ!」

「ここで確実に殺すっ!」

「絶対に殺せぇ!」

「―――っ、ぅ」

 

 僅かに見える生身の部分―――目から、そしてその声からわかる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 モンスターとは違う。

 野性的な、本能的なそれでもない。

 生々しい感情と意思を持った殺意が、僕の手と足を―――身体を震わせる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()()という確信を僕にもたらす。

 震えが更に強くなり、体が固まる。

 その一瞬の躊躇が、最後の機会を逃すはめとなった。 

 

「っ―――くぅっ、【ファイア―――ボルト】ッ!!」

 

 食人花(ヴィオラス)と呼ばれたモンスターが、先程までのゆっくりとした動きとは違う。その巨体からは、信じられない程の俊敏さを持って僕に襲いかかっていた。

 頭部の全てが口となっているような、そんな異形の顔で襲いかかってくるモンスターに、僕は咄嗟に右手を差し出し魔法を放つ。

 

「無詠唱だとっ!?」

「っどうだ―――っ?!」

 

 詠唱のない瞬時の魔法の行使に、周囲の男達から驚愕の声が上がり。僕の口からも、まともに当たった事による会心の声が上がったが、モンスターの頭部から上がった爆炎が消え去った後に現れた、損傷のないモンスターの様子に息を飲む。

 

「はっ、その程度で食人花(ヴィオラス)が殺られるかっ!!」

「―――っグ?!!」

 

 そのまま突っ込んできたモンスターを、何とか身体を掠めながらもぎりぎりのところで避ける。何とか避けられはしたものの、体勢が完全に崩れてしまった。よろける体の舵を必死に取るなか、視界にこちらへと再度突進してくるモンスターの開いた口が見える。

 

「―――ッ!!!?」

「終わりだぁ冒険者ぁあああッ!!?」

 

 咄嗟に抜き出していたヘスティアナイフ。

 何度も窮地を救ってきてくれた頼りになる相棒だったが、今眼前に迫るこの巨体を前にしては、どうしようもないという答えしか出ない。

 迫るモンスターの口中は、もう避けられない距離で。

 瞬きもしない間に、僕の体はその中へと捕まえられてしまう。

 それを理解して、僕の口から上がったのは、気の抜けたような声で―――

 

「あ―――」

「―――終わるのは貴様等の方だ」

「―――ぇ?」

 

 最後になる筈の僕の声は、だけど突如現れた()()()により続く事となった。

 終わりの筈の間の抜けた声に続いた言葉は疑問の一言。

 周囲に()()()()が舞う中、僕を囲んでいた7人の白装束の男達は全員が倒れ伏している。

 何が起きたのかは全くわからない。

 ただ、モンスターがその吐息すら感じられる距離にまで迫った瞬間、僕の顔の真横をナニかが物凄い速度で通り過ぎ。モンスターのその開いた口中に飛び込んだのを感じた時には、残骸である灰が周囲に広がり、僕を囲んでいた白装束の男達は全員が倒れ伏していた。

 ぴくりとも動かないその姿からは、遠目で見てもその命が既に失っていることがわかってしまう。

 何時の間にか膝を地面へと着いてた僕は、理解できない周囲の状況に思考を混乱に乱していた。

 

「な、にが……?」

「…………」

 

 しかし、灰が舞う中、立ち上がった影のように近くに立つ、その白い髑髏の仮面を被った黒いローブで全身を隠した人? を目にした瞬間、無理矢理混乱から自身を引き戻した。 

 

「あ―――? あな、たは……」

「…………」

 

 話さなければ。

 声を掛けなければ直ぐにいなくなってしまう。

 そんな確信と共に、何とか声を上げて呼び止めようとする。

 だけど、彼? は僕を一瞥すると、立ち去ろうとする気配を感じた僕は、咄嗟に立ち上がって必死に声を上げた。

 

「まっ―――待ってくださいっ!!?」

「……何だ」

「―――あ、そ、その……」

 

 やっぱり、夢じゃなかった。

 呼び止めながら、返事が返ってくるとは思いをしなかったため、続く言葉はでなかった。

 ただ、返ってきた返事で、彼が―――多分声の感じからして大人の男の人だと思う―――が、夢ではなかったという確信を改めて思う。

 彼の姿を見たのはこれで3回目。

 だけど、その前の2回はどちらも夢幻の中で会ったかのようにあやふやな感じがしていて。

 こんな風にはっきりと会ったのは初めてだった。

 とはいえ、今も『夜』の時間帯だから、決して視界が良好と言うわけでもないけれど。

 それでも、前の二回とは心理的な状況は、まだましな状況であった。

 

「あな、たは……一体誰なんですか? 何で、僕を助け―――ぁ」

 

 と、そこで自分がこの人が夢でもなんでもないことでわかったら、最初に言わなければならない事を思い出した。

 

「す―――すみませんっ! あのっ! ありがとうございましたっ!!」

「……」

「その、これで、二回目、です、よね……」

 

 そう、この人を初めて見たのは、多分あの時―――17階層の階層主に襲われた時。

 僕だけじゃなく、リリ達仲間を、この人は救ってくれた。

 だから、最初にまずはなによりもお礼を口にしなければならなかった。

 

「助けて、もらったのは……」

「……」

「どうして、か、聞いてもいいですか?」

 

 深々と下げていた頭を、ゆっくりと起こしながら問いかける。

 一度目、階層主に殺られかけた時、助けてくれたのは、たまたまだとしても、二回目。

 昨日の夜に、彼からモンスターから助けてもらったのは流石に賢くない僕でもたまたまではない事ぐらいはわかる。

 だからこその僕の問いかけに、

 

「どうして、僕を助けてくれたんですか、あの時も……今も……何で……」

「……」

 

 しかし、彼は無言のまま。

 それでも、と僕は続ける。

 何より彼には、昨日助けてもらった後に言われた言葉もあった。

 何故、見も知らない筈の僕を助けて、あんな事を言ったのか。

 もしかしたら、僕が知らないだけで、この人と僕は何か繋がりがあるのかという思いと共に、疑問を投げ掛けようとした僕に対し。

 

「それに、昨日は―――」

「―――やはり、貴様には無理だ」

 

 髑髏の面を被った彼は、無感情な声で、そう僕に告げた。

 昨日の夜のように。

 

「え?」

「気付いていただろう」

「な、にを……」

 

 僕の言葉に、彼はローブの隙間から指先を出すと、周囲に転がっている白装束の男の人達の遺体を指差した。

 

「逃げるには、そこの奴等を処理するのが確実だと言う事に」

「―――っ」

「そして貴様の力ならば、モンスターは兎も角、この程度の奴等を殺るのならば不可能ではなかった」

 

 彼の言葉を、僕は否定できなかった。

 逃げるに当たって、あのモンスターを突破することは難しいと僕は判断していた。そして、遠巻きに僕を囲んでいた白装束の彼らならば、僕の力なら一人でも抜けられる事にも。

 そして、その場合、彼らはきっと死に物狂いで抵抗してくる事も。

 そうなれば、まだまだ未熟な僕では、どうしても手こずってしまう。

 それも、わかっていた。 

 

「それ、は……」

「そうすれば、あそこまで一方的に追い詰められる事はなかった筈だ。そして、その事を貴様も気付いていた」

「っ!?」

 

 彼の言葉が、僕の内心を抉り出す。

 僕の弱さを突きつける。 

 

「だが、やらなかった」

「……」

「人が相手であることに躊躇ったか」

「っ」

 

 何故、僕は躊躇した。

 どうして、僕は彼ら(白装束)へと向かっていかなかった。

 

「ならば、やはり貴様は……」

「っ―――確かにっ、出来たかもしれませんっ! でも―――」

「ならば、何故動かなかった?」

 

 言い訳は、開いた口からは出なかった。

 そうだ、言い訳も何もない。

 何で白装束がいる方向へと向かわなかったのかなんて、自分自身が一番よくわかっている。

 喧嘩や他の【ファミリア】の人達との小競り合いは何度か経験はあった。

 けれど、殺し合う事なんて、そんな事はなかった。

 いや、それ以前の命の取り合いになるかもしれないと言う、その一歩手前のものでさえ経験はないのだから。

 だからこそ、僕は躊躇ってしまった。

 

「……殺すどころか、傷つける事すら躊躇うか」

 

 モンスターではない。

 話し合う事ができる人間との殺し合いに。

 

「っ、ぁ……」

「……度し難い―――貴様のような輩が、何故こんな所にいる?」

 

 反論すら出来ず、喉を鳴らすだけの僕に、仮面の人は吐き捨てるようにそう言い放つ。

 その姿に、咄嗟に僕は言い返そうと口を開いたけれど。

 

「っ、僕は、でもっ―――それでもっ―――」

「―――『英雄になりたい』、と言ったな」

 

 彼の、恐ろしく冷たく冷徹な声に、続く言葉を飲み込んでしまった。

 

「え?」

「語られるような、そんな英雄に、と」

「あ―――」

 

 彼が口にしたのは、昨夜僕が今のように『夜』の森の中で彼に言ったこと。

 僕が憧れる―――望む未来の姿を。

 その口調にからかうような様子はなく、ただ、冷徹で冷たい刃物のような鋭い堅い意思のみが宿っていた。

 そして、彼は僕に問う。

 

「―――ならば貴様は、()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 『英雄』のもう一つの姿について。

 

「え? 語られない、英雄?」

「……貴様は、英雄を星のようだと言ったな」

 

 彼は、そう言うと天井を見上げた。

 そこには光を失った水晶が敷き詰められた天井があり。

 僅かに灯る光が、夜空に輝く星のようにも見えた。

 

「言い得て妙な事だ。確かにその通り、英雄は星のようなものだ」

 

 顔を前に、僕へと向け直した彼は、小さく一つ頷くと僕の言葉を何処か皮肉げな心地でそう評した。

 

「その在り方も、その様も、良く似ている」

 

 彼の口調も声音も全く変わってはいない。

 だけど、何となく僕には、彼が悲しんでいる? それとも羨んでいるかのように聞こえた。

 

「貴様は、英雄の事を良く知っているようだが、ならば問おう」

「っ」

「貴様の知る【英雄】は、一体どれ程いる?」

 

 ぐっ、と僕に顔を近付けた彼が、そう僕に問いかける。

 ぱっと思い浮かぶだけでも十数人はいる。

 おじいちゃんも言ってたけど、僕は英雄についてなら多分かなりの人数は知っていると思う。

 もしかしたらおじいちゃんの創作も入っているかもしれないから、正確な人数はわからないけど、少なくとも数十人は僕は知っていた。

 だけど、そんな僕の自信は―――

 

「十数か? 数十か? それとも数百か?」

 

 彼の笑いと共に―――

 

「ハハ―――そんなモノではない」

 

 憎々しげで―――

 

「数千、数万、数十万―――尚も足りんっ」

 

 悲しげな声と共に告げられる言葉に、吹き飛んだ。

 

「それこそ()()()()()()()()()()

 

 髑髏の面の向こう。

 夜の闇よりもなおも深く暗い眼窩の奥底に、ぎらりと輝く光を見た。

 それは、闇の奥底で輝く星のようにも見えた。

 

「―――だが、語られ、知られる英雄は僅かばかり」

 

 気付けば、彼は僕の目の前に―――手を伸ばせば届くほどの間近に立っていた。

 間近に迫った彼は、僕が考えていたよりも遥かに背が大きく、もしかした2M近くは身長があるかもしれない。

 

「何故だか分かるか?」

 

 そんな彼は、ぐぐっ、と体を曲げて、僕の顔へとその白い髑髏の面を近付けて問いかけてくる。

 その問い掛けに対する答えを、僕はしかし出せないでいた。

 答えるどころか、口を開かない僕に、彼は顔を僕から離すと、滑るようにして距離を取りながら、その問いの答えを語っていく。

 

「―――立場、成り立ち、血筋、偉業―――理由は様々あるが、結局のところ成し遂げたモノだ」

 

 彼の声は抑揚のなく、淡々とした様子で語られるが、その声は何処までも深く重く、まるで古の賢者が真理を語るような厳かな雰囲気すら感じられた。

 

「眩いばかりの偉業を成し遂げなければ、例えその時代に英雄と祭り上げられたとしてもやがて埋没してしまう」

 

 僕は彼が何者で、どうしてそんな事を言うのかなんて疑問を挟む事なく、ただ食い入るようにして彼の言葉を耳を傾けた。

 

「……家を、愛する女も、顔も、名すら全て捧げ、捨て去り―――登り詰めた先に得たとしても、望んだものとは限らん」

 

 そう、口にする彼の様子は、先程までの否人間的な―――超越的な様子ではなく、世捨て人のような、何処か疲れた様子を滲ませていた。

 

「……いや、【英雄】に成ったからこそ、望んだものに届かない事もある……」

「あな、たは……」

「それでもと、貴様は望むか―――」

 

 反射的に僕の口は動いていた。

 何を言おうとしたのかは、多分、彼にとってとても失礼な事だったのかもしれない。

 それは形となる前に、遮るように放たれた彼の言葉により僕の口は閉じられたからだ。

 

「―――【英雄】を」

 

 放たれた言葉は、確認。

 昨日と同じく、僕に問いかける言葉。

 お前はそれでも『英雄』を望むのか、と―――。 

 

「ぼ、くは……」

 

 震える僕の言葉の続きは、何と形作るつもりだったのか。

 揺れ動き消えていった言葉の先を、彼は問い詰めることもなく、ただ吐き捨てるようにして僕に言い放つ。

 

「……『資質』も『資格』もなしに、望むのならば……好きにするが良い」

 

 昨日と同じ―――『資質』と『資格』がないと、僕に言い放って。 

 それを耳にした瞬間、反射的に僕は声を上げていた。

 

「っ―――そんなことっ、僕もわかってるっ!!? 僕はアイズさんやシロさんみたいに強くなんてないっ!? でもっ―――だけどっ―――」

「……だから貴様はなれん―――いや、成るべきではないのだ」

 

 どれだけ努力すれば届くのだろうか。

 嫉妬も起こらない程の先を進む、遠すぎる背中を幻視して叫ぶ僕に対し、髑髏の仮面は僕に告げる。

 

「―――っ!?」

「【英雄】を目指すのならば、確かに『資質』は重要。しかし、全てではない。例え『資質』無き者であっても、確かな『資格』があるのならば、例え何者であっても【英雄】と成れる」

 

 『資質』―――本当に必要なのは強さといったものではないとい言うことを。

 

「じゃ、じゃあ、なんですか、何なんですかその『資格』って!?」

「……聞いて備わるものではない。特に貴様のような―――……」

「あな、たは……」

 

 では何なのだと、叫び問う僕に、彼はため息混じりに言葉を溢しながら、小さく首を振る。

 その姿に、憐れみを多分に感じ激高するのを躊躇い止まった僕が、改めて、何故こうまで彼が僕を気にかけてくれる理由が気になった。

 そんな僕の気持ちに気付いたのかどうなのか、彼ははっと顔を上げると、自嘲するように小さく自分自身に向けて呆れた口調で言い放った。

 

「私は……一体何を言っているのだ……」

「え? あの―――まだ聞きたいことが」

 

 急速に彼の気配が遠退くのを感じ、慌てて呼び止めようとする僕を、彼はもう興味を失ったとでも言うような様子で、適当な様子で返事を返す。

 

「……結局は、貴様が選ぶ道だ。好きにすれば良い……」

「っ―――ちょっと待ってくださいっ!!?」

「……何だ」

 

 早くしなければ、消えてしまうと感じた僕が、咄嗟に大声で彼を呼び止める。

 その必死さが伝わったのか、彼は踏み止まるようにして僕にその白い髑髏の面を被った顔を向けた。

 

「どう、して……どうして僕を助けてくれたんですかっ!? それに、昨日はっ―――今もっ、何で、あなたは―――」

「……さて」

 

 これまでの事も、先程も、命を助けてくれただけでなく。

 これからの事について助言染みた言葉まで言ってくれる。

 そこまで彼がそうする理由は、全く思い付かない。

 一体、何故彼は、どうして―――

 そんな僕の疑問に対し、彼は数瞬の間考えるように無言となった後。

 

「―――私にも、分からん。何故、私はこんな事を……―――」

「え? あの? 何か―――」

 

 小さく首を捻りながら、それでももう一度考え直した彼が至った結論―――それは。

 

「―――気紛れよ」

「え、と?」

 

 たったそんな短い言葉で。 

 結局僕が望んだような、考えた理由ではなく。

 そしてそれは多分、彼自身もそうなのかもしれない。 

 

「ふん―――そう、ただの気紛れに過ぎん」

「あ―――」

 

 何か誤魔化すように小さく鼻を鳴らした彼は、そう言って姿を消した。

 僕の目の前で、瞬きもしていなかった筈なのに、彼は気付けばその姿を消していた。

 一人、森の中取り残された僕は、木々の枝葉から僅かに覗く天井に見える微かな明かりを灯した星めいた光を示すそれを見上げながら、ぽつりと呟いた。

 

「……気紛れって―――本当に、あなたは……一体、何者なんですか……」

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。
 投稿一日遅れてすみませんでした。
 次は、多分大丈夫だと思います。
 
 それと、1月1日0時に、設定の話を更新する予定ですが、この世界の設定的なものを記載する予定ですので、何か質問などがあれば感想で書かれれば返信しようかと思います。
 答えられない質問には、すみませんが答えられませんが……そこのところは了承してもらえれば助かります。
 ネタバレ的なところもありますので、そこのところはご注意を。

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