たとえ全てを忘れても   作:五朗

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 お待たせしました。
 


第七話 暁鐘は英雄に、晩鐘は怪物に響く―――

 何時―――からだろうか…… 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()……

 ハッキリと、私がそれを自覚したのは、17階層と呼ばれる場所へと足を踏み入れた時だった。

 ……いや、それは正確ではない。 

 正しくは、あの鐘の音を聞いた時だ。

 あの鐘の音……。

 遠く、近く響く鐘の音……。

 聞き覚えのないそれに、何故か私は懐かしさを感じていた。

 それは、あの―――最早朧気で、輪郭さえ定かではなくなった、ナニかを見た想いがそうさせるのだろうか……。

 それこそが、私がこの少年にこうまで拘る理由なのか……。

 そう……自分自身の事でありながら、私は自分の行動が理解できないでいた。

 私が己がハサンである事を理解(思い出した)したのは、あの鐘の音を聞いた時。

 気付けば、私はあの少年を襲っていた巨人を殺していた。

 そこまではいい。

 気まぐれでも、己を取り戻す切っ掛けとなった恩を返したという理由でも良かった。

 そこで、終わっていれば、であれば……。  

 何故か、私はそれ以降もその少年を、ベル・クラネルの後を離れようとはしなかった。

 何故?

 この少年が、アレと同じ【ファミリア】と呼ばれるものに所属していたからか?

 いや、私が特にアレに気を配る理由はない。

 逆に、離れるのは兎も角、自分から近付く理由など無かった。

 では、何故……。 

 何故、私はあの者から離れようとはしなかったのか。

 それが、分からなかった。

 なのに、私はあれ以降も何かがある度に、ベル・クラネルの前に姿を晒し、手を出すだけでなく、余計な事まで口にする始末。

 一体、何故……。

 

 

 

 ……目覚めた時から時折見る、不可思議な幻影。

 それが、私ではない私の物語である事は、何時からか気付いてはいた。

 その世界の私は、私の知る私とは、余りにも違った。

 何が違うのか……それは……ああ、それはっ―――。

 

 

 

 ……私は―――私が聖杯に望むのは、私が私として歴史に名を残すこと……。

 歴史に己を刻む事を望み、【ハサン】に至るも、望むそれとは全くの真逆のそれであると理解し、絶望し、故に私は聖杯にそれを望んだ。

 それが私だ。

 そのような俗物が己だ。

 恥知らずにも程がある。

 だが、それでも私はそれを求めることをやめられなかった。

 そのために、例え外道とわかる老人(魔術師)とさえ手を組んだ。

 嫌々ですらなく、嬉々として『共に永遠を目指そう』と……。

 結局は、私もあの老人(魔術師殿)も、願ったモノは手に入れる事は叶わず。

 その命を散らすはめとなったが……。

 しかし、二度と()()()()()()()()()()()()()()()と思いながら消えた意識が、このような所(異なる世界)で目覚める事になるとは。

 そういった特殊な事情による弊害なのか、あちら(元の世界)にいた頃には、一度も経験することのなかった白昼夢の如き幻影(他のハサンが経験した記録)を見ることになったのは……。

 ああ、何もかもがわからない。

 己の事だというのに、何も分からずにいる。

 

 

 

 何故、私はあの小僧(ベル・クラネル)を気に掛けるのか。

 何故、私はあのような()()を見るようになったのか。

 何故、私は―――あの私(私ではない私の記録)は、()()()()()()()()()()()()……。

 

 

 

 そう、()()()()()―――あんな風に、何故、(ハサン)は誇らしげに戦えていたのか……。

 

 わからない―――わから、ない……。

 

 ―――……いや……だから、なのか?

 

 ()()()()()()()()()()()()()……?

 

 わからないからこそ―――わかるため―――知るために―――知りたいからこそ、私はベル・クラネルを気にかけた、のか?

 

 わからないからこそ、自分で自分を不合理だと笑いながら、意味のないことだと嘲りながら、それでも何度も手を伸ばした理由が……。

 

 きっかけは何であれ、最初に私が動いた理由であるベル・クラネルを知ることで、私の中に生まれた()()かを知ることが出来るかもと、自分でも知らず手を伸ばしていたのか……。

 

 ……全く……我が事ながら、何とも馬鹿らしい事だ……。

 

 ―――だが。

 

 幸いなことに―――。

 

 ああ……どうやら()()()()()()()()()()()()

 

 未だ確たるモノはない。

 

 言葉にして頷けるようなモノはない。

 

 だが、それでも私がそう納得できるのは――――――。

 

「――――――はっ」

 

 声が聞こえる。

 

「はは―――はっ―――」

 

 心がわかる。

 

「ハハハハ―――ハハハっ!!」

 

 抑えきれず溢れ出る哄笑が、心臓が破けんばかりに鳴り響く沸き上がる鼓動が。

 

「ハハハハッハハハハッハハ―――」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――リオンっ!?」

「っ、またっ!?」

 

 暴れる黒いゴライアスを押さえ込める者は、最早何処にもいなかった。

 下手な魔法も高レベルの前衛の冒険者による一撃ですら痛打に成り得ぬ耐久力に加え、頭を丸ごと吹き飛ばされても復活する出鱈目な回復力を前に、それでもと立ち上がれる者は少なかった。

 その僅かな例外である二人。

 アスフィとリューの二人は、互いにフォローしながら何とかゴライアスの足止めに努めていたが、それも殆ど意味を成すことはなかった。

 二人の攻撃が己に通じぬと知っているためか、やがてゴライアスはアスフィ達の攻撃を無視し、周囲に見える魔導士達を狙って襲いかかっていた。

 そして今もまた、リュー達の攻撃を無視し、背をそらせる『咆哮(ハウル)』の予備動作を見せつけるかのように見せてくる。

 

「全員離れなさいっ!!」

「どうするっ、どうすればいい―――このままではっ」

 

 ゴライアスが顔を向ける先―――『咆哮(ハウル)』の向けられる先にいた冒険者達に大声で避難を叫びながら、リューの隣では、頭を抱えるようにしながら走るアスフィの姿があった。

 出来るだけ遠く、攻撃の進路から外れるように走る中、ぶつぶつと呟きながら焦燥に駆られるアスフィに対し、発破を掛けようとしたリューだが、背後から感じる魔力の高まりに気付き、反射的に注意の声を上げる。

 

「アンドロメダっ!? 来るぞッ!!」

「まったく―――っ、少しは考える時間ぐら―――ぇ?」

 

 リューの声に、顔をしかめながら伏せるか、それとも何処か物陰に隠れるか一瞬の思案を浮かべたアスフィの目に、あり得ない光景が飛び込んできた。

 思わず走る足の速度を緩めてしまう程の驚きは、しかし、直ぐに別の驚きをもって塗り替えられることになる。

 

「何だ―――だれ、だ?」

「速いッ!!?」

 

 遠く、黒い点にしか見えなかった影が、リューの驚愕の声と共に、その姿を次第に詳細に描き上げていく。

 みるみる内に大きくなるその姿から、こちらに向かって駆け寄る者の速度は、かなりの高レベルの者だと思われたが、アスフィの知る中に、それに該当する者の姿は何処にも見当たらなかった。

 

「馬鹿なっ!? 突っ込むつもりか!? 一人で、無茶だっ!!?」

 

 あっと言う間もなく近付いてきたその人物が、勢いを落とすことなくそのまま真っ直ぐに、今にも『咆哮(ハウル)』を放とうとするゴライアスへと向かっている。

 

「速い―――けれど、間に合わないっ!?」

「【咆哮(ハウル)】が―――」

 

 『咆哮(ハウル)』が放たれる前に、何かをするつもりか、と推測したアスフィ達であったが、既にゴライアスの準備は終了。後は放つ段階にあり。最早どのような手を持っても先手を打てる事は不可能。

 瞬後の惨劇を幻見し、上げかけた悲鳴を飲み込んだ二人の耳が、場違いなそれを拾った。 

 

「ハハッ―――ッカカカカカカッッ!!?」

「笑って―――気が狂ったのか―――っ?!」

「―――来るッ!!?」

 

 微かに聞こえた声―――笑い声に、リューの歯が強く噛み締められる。

 絶望的な状況に狂い、モンスターの群れなど、これまで見てきた、経験してきた『死』へと自ら落ちていく者達の姿を思い返し、リューの顔が苦々しく歪む。

 そして、同時にアスフィの警告の声が上がった。

 

『アアアアアアアアアアアアアア―――』

「「―――ッッ!??」」

 

 魔力塊と共に凄まじい衝撃波が周囲へと襲いかかる。

 ゴライアスの口から竜巻が吐き出されたかのような暴威が周囲を叩き潰し、吹き飛ばし、切り刻む。

 暴力の塊。

 アスフィは見た。

 最後の瞬間―――影のような黒い人影が、真っ直ぐに放たれた『咆哮(ハウル)』へと向かって飛び出したのを。

 そうなれば結果は見らずともわかる。

 反射的に背けたアスフィの目に、刻まれ潰された()()が幻視され―――ゴライアスの嗜虐に満ちた咆哮が周囲に響き―――。

 

『アアアアアア―――ッガゲェ、アッ??!』

「っな!!??」

「―――え……なに、が……?」

 

 ―――渡る事はなかった。

 代わりに、ゴライアスの口から濁った悲鳴が上がっただけであった。

 驚愕に見開かれたリューとアスフィの視線の先で、ゴライアスの首元から出血が上がっていた。

 

「ッカカ―――姿形は同じなれど、やはり違うか―――()()

 

 ゴライアスの背後、丁度後頭部の少し上の辺りに、先程駆け抜けていた男の姿があった。

 宙でくるりと身体を反転させ、苦しむ、というよりも混乱するゴライアスの背中を、男はその白い髑髏の面に隠された目で見下ろしていた。

 アスフィは顔を背けていたため見てはいなかったが、リューは見た。

 あの瞬間。

 自らゴライアスの『咆哮(ハウル)』へと飛び込んだ後、あの髑髏の面を被った者は、吹き上げる衝撃波の上を、まるで風を受けて走る船のように滑って行ったのを。

 そしてそのままゴライアスの眼前まで至ると、その勢いのまま首元へと向かい。手に持った短剣で深く首を切り裂きそのまま飛び抜けたのだ。

 一体どのような方法をもってあの衝撃波から身を守るだけでなく、ゴライアスの眼前まで移動できたのかは不明ではあるが、見事一撃を入れたとしても、今はその身は宙にあり。

 翼を持たない者では、最早死に体。

 混乱に陥っていたゴライアスも、自らを傷つけた者をそのまま放置する筈もなく。 

 

『ッガアアアアアアアアアア!!?』

「あぶ―――」

 

 宙にいる、回避など出来ようもないだろう男へと向かって、その巨岩の如き拳を振り抜こうとする。

 手も足も、警告の声すら間に合わないと分かっていながらも、上がった声に―――

 

「な―――宙で移動、を?」

「あれは―――糸?」

 

 髑髏の面を被った者は、何かに引き寄せられるように宙を移動し、危うげなくゴライアスの拳を避わしてのけた。

 驚愕のリューの声に、隣のアスフィが答える。

 アスフィの目は、あの一瞬腕を引いた男の動作と共に、既に癒えたゴライアスの首元から伸びる黒い紐の姿を捕らえていた。

 ゴライアスの『咆哮(ハウル)』を避わすと共に、その首元を切りつけたあの者は、そのまま押し込むようにして短剣を身体に埋め込んだのだ。そして、回復し身体(首の中)に収めた短剣から伸びる紐を利用することによって、先程のように宙での回避に成功させたのだ。

 

()()()―――ッカカ」

 

 ゴライアスの身体の上。

 先ほど自分が切りつけた首元へと降り立った髑髏の面の者が、囁くようにゴライアスの耳元で囁くと。

 

「―――怨むのならば、手間を惜しんだ己を産み出したものを恨め」

『オオオオオオオオオオオオ―――』

 

 己の肩ごと押し潰さんと、手加減することなくその巨大な拳を降り下ろしてくるのを、ゴライアスの背中側へと飛んで避けた髑髏の面をした者―――ハサンは、その仮面の奥の目を何かを見定めるかのように細めると、一気に背中の一点へと向けて短剣を突き刺した。

 

「シィイイイイアアアアアアアアッ!!!」

『―――オオオオッ―――ギィアアアアアアアアアアアアアアア??!』

 

 金属音染みた。

 蟲のそれに似た声と共に突き出された短剣の切っ先は、潜り込むようにゴライアスの黒い肌に突き刺さると、落下と体重を加算させた力を持って、肩口から臀部付近までを一気に切り裂いて見せた。

 

「な―――馬鹿なっ!? あのゴライアスの身体をっ!?」

「―――切り裂いた?」

 

 

 

 

「貴様如きが私を捕らえられるか?」

 

 足の付け根まで斬り降りたハサンが、短剣をゴライアスの身体から引き抜くと同時に、その身体を蹴り上げた。

 向かう先は上。

 ゴライアスの身体を、先程とは逆に登頂していく。

 ほぼ九十度のその身体(坂道)を一息に駆け上がる。

 

「―――さあ、踊れぇえッ!!」

『オオオオオオオオアアアアアアアアアアアッッ!!?』

 

 一気に肩口まで駆け上がったハサンが、怪鳥のように広げたその長い両手には、黒塗りの短剣が二つ。

 ゴライアスが、己を傷つけた存在に対し顔を向け、その怒りの衝動のまま咆哮を上げる。

 小さな―――己の掌に収まるほどの矮小な存在からの挑発に、激怒し吠えるゴライアスに対し、ハサンは斬撃を持って応えた。

 

「一体、何が?」

「【魔剣】? いえ、しかし―――」

 

 視線の先―――始まったゴライアス(巨人)ハサン()との戦いに目を奪われるアスフィ達の頭は目の前の現実に混乱し、口からは疑問しか出ないでいた。

 それは二人だけではなく、先ほどまで逃げ回っていた他の冒険者達もまた、足を止め振り返り。その神話や伝説に語られるかのような、巨人と人との戦いに目を奪われ立ち尽くしていた。

 巨人は自身の周囲を飛ぶようにして、己が身体を平坦な地面を駆けるように走るハサンを掴みかかるが、その指先に掠りすらしない。それどころか、苛立ち遂には掴むのではなく殴り潰そうとした結果、無駄に自身の身体を自分で叩きつけるという自爆という無様さえ晒していた。

 ただ駆け回っているだけならば、ゴライアスもそこまで気にしはしなかっただろう。

 アスフィやリオンの時のように、無視していれば良い。

 だが、その羽虫のように飛び回るそれが、己の身体を裂き、傷付ける毒蟲であったのならば話は別である。

 ハサンが両手に握る短剣を振るう度に、ゴライアスの強靭な筈な外皮は容易く切り裂かれ、赤い血が吹き出ていく。反射的にそこへ―――ハサン目掛けて拳を振り抜くが、肝心な姿は既にそこになく。代わりに開いた傷口を、自らの手で押し開く始末。

 ゴライアスの口から痛みとも苛立ちとも分からぬ絶叫が迸る。

 明らかに、先程までの一方的な蹂躙ではない戦いがそこにはあった。

 ゴライアス(巨人)ハサン()との戦いの光景。

 その中で、特にアスフィとリオンの二人の目を引いたのは、ハサンが振るう短剣。

 正確には、自分達の攻撃が全く届かなかったゴライアスの身体を切り裂いているという理由。

 スキルか魔法か、それとも単純に振るっている短剣によるものか。

 二人の頭脳が攻略の糸口を掴むために高速で回り始める。

 

「アンドロメダ―――あの男が振るっているのは、【魔剣】か、それとも何かの【魔道具】なのか?」

「……遠すぎます。ここからでは判断つきません―――が、勘ですがそのどれでもないと思いますよ」

 

 眼鏡の奥で細められたアスフィの目が、ゴライアスの拳を掻い潜りながら、ハサンがその頭上を空気を殴り砕きながら通過する腕に短剣を突きたたせ、その勢いを利用し切り裂く姿を見てリオンの声に応える。

 

「では、どうしてあのゴライアスを、ああも容易く切り裂いている?」

「そんなのこっちが聞きたいですよッ!!」

 

 手首付近から肘辺りまで一気に切り裂かれた事なのか、それとも何時までも捕まえられない事や自分の動きを利用された事に対する苛立ちからか、一際巨大な咆哮が周囲に轟き渡る。

 全身が震える巨大な咆哮に負けじと、何もわからない、何も出来ないでいる現状に対するアスフィの苛立ち混じりの上がった声に、リューの目がびくりと大きく見開かれた。

 

「っ、すまない」

「……いえ、こちらこそ。でも、やはり無理ですね」

 

 巨大な絶叫の名残を肌に感じながら、目を伏せるようにしてリューが謝罪の声を上げると、直ぐに冷静になったアスフィも恥じるように顔を俯かせた。

 しかし、直ぐに顔を上げると、ゴライアスとハサンとの戦いに目を向ける。

 自分達が戦っていた時とは逆に、攻守が入れ替わったかのような戦い。

 矮小な筈の、ゴライアスと比べ物にならないほどの小さな身体でありながら、圧倒するかのようなハサンの立ち回りではあるが、アスフィの目には余裕の色はなく。逆に焦るかのような焦燥の色が濃く存在した。

 

「あの耐久力を越えて傷を与えているのは確かに凄まじい―――が、あの出鱈目な回復力の前では」

「焼け石に水―――全く痛打に成り得ない」

 

 アスフィの自問自答の声に、隣のリューが頷いて同意を示す。

 眼前の戦い。

 あの髑髏の面の男(ハサン)は一体どれだけゴライアスの身体を傷付けたかはわからない。自分達のあらゆる攻撃が届かなかったその外皮を容易く切り裂くその力には瞠目せざるを得ないが、あのゴライアスの厄介な点は、その耐久力以上にその異常な回復力だ。

 今もまた、髑髏の面の男(ハサン)が先程切り裂いたばかりの腕の傷が、赤い燐光と共に傷跡すら残さず完治していた。

 改めて見れば、ゴライアスの身体には一切の傷が見えないでいる。

 あのゴライアス(化け物)にとって、あの程度の傷は傷にもならないのだろう。

 それでも髑髏の面の男(ハサン)を追いかけ回すのは、不可侵である筈の己の身体を容易に切り裂く存在に対する警戒からか。

 

「しかし、注意は向ける」

 

 リューの覚悟が決まった声が響く。

 手に握る木刀に力が籠る。

 ゴライアスの身体に攻撃を通す事が出きる髑髏の面の男(ハサン)であっても、その命までは届くことは不可能。

 しかし、時間は稼げる。

 時間が稼げれば、あのゴライアスに大きな損傷を与えられた方法がもう一度取れる可能性が出る。

 逃げ散った魔導士達を集め、今度は多段で放てばその命まで届く可能性が。

 

「……それも何時までもつか、無視されれば意味がありませんよ」 

「なら、無視されないようにこちらも動く」

 

 アスフィの冷静な意見に対し、薄く口元に笑みを浮かべリューが返す。

 リューの応えに、アスフィは小さく目を開く。

 あの戦いの中に飛び込むつもりか?

 巨人(ゴライアス)髑髏の面の男(ハサン)の戦いはよりいっそう激しさを増し、最早巨大な嵐と成っている。その戦いの余波に巻き込まれ、大岩が砂のように吹き飛び、その戦いの影響だけで地形が瞬く度に変わっていく。

 

「本気で言っていますか?」

「……白い髑髏の面に黒い衣装―――特異な様相にあの動き―――レベルは5、いや6、か? しかし―――」

 

 呆れたような、逃げ腰をありありと、それとも態とらしく見せるアスフィの声を無視するかのように、リューは顔は戦場から動かず、その目を凝らすように細め、口からは眼前の戦いを分析するように無意識の言葉が羅列される。

 

「―――あんなレベル6は聞いたことがありません」

 

 そのリューの(疑問)の中の一つに、アスフィも同じく己の知識から検索した結果を口から出力する。

 先程から何度も頭の中の記憶をひっくり返すも、あのような男の存在は少しも存在していなかった。

 あの戦闘力。

 どう低く見積もってレベル5―――下手しなくてもレベル6に届いているかもしれない。

 そして、それだけの力を持つ存在は、世界中を探してもそうはいない。

 確かに世間に知られない強者はいるだろう。

 しかし、これだけの力を持っていながら、欠片も噂話でさえ出ないというのは―――。

 

「下手に手を出せば邪魔に成りかねない」

「……見ているしかありませんか」

 

 アスフィの思考を止めたのは、リューの歯軋り混じりの声であった。

 握り潰さんばかりに木刀を掴む手を越えて、全身を己の無力に怒るように震わせるリューが、地面を蹴りつけながら自らの現状を吐き捨てる。 

 

「っ―――不甲斐ない」

「ですが、あの人も決定打に欠けているようです。やはり、このままでは―――」

 

 リューの言葉に、アスフィもまた、見ているしか出来ないでいる自分を責めるかのように拳を握る手に血を滲ませながら、何か出来ないのかと頭を回していた。

 その時、二人の目が同時に見開かれる。

 それは焦燥によるもの。

 髑髏の面の男(ハサン)がゴライアスの攻撃を飛んで避わした姿。何度も見た光景であったが、今は少し違う。ハサンの動きに合わせてか、それとも偶然か、ゴライアスがその身体を大きく動かしたのだ。結果、ハサンは降りる足場を失い、その身体は宙に無防備を晒している。

 それに目掛け、大きく腕を振りかぶるゴライアス。

 

「っいけない!?」

「狙われ―――」

 

 悲鳴が二人の口からが上がる。

 既にゴライアスの巨腕は振り抜かれていた。

 その拳の先が、ハサンの身体を直撃する―――その直前。

 

「「――――――ッッ!!???!」」

 

 爆音が轟いた。

 大量の泥の塊の中心で、爆弾を破裂させたかのような湿った爆音と共に広がる()()()()()()()()()が周囲に轟く。

 咄嗟に眼前に腕を翳したリューとアスフィは、しかしその隙間から見えた光景を捕らえていた。

 その光景が―――現実が理解出来ないかのように、頭に押し込まれ情報がそのまま垂れ流されるかのように二人の口から溢れる。

 

「っ―――う、腕、が……」

「―――吹き飛んだ?」

 

 大きく降り下ろされたゴライアスの巨腕。

 もしかしたら、あの巨大なクレーターを作った時と同じくらいの勢いがあったかもしれないその一撃は、()()()()()()()()()()()()()()()により、ハサンにも地面にも届く前に、腕自体が吹き飛ぶことによりその致命的な衝突は免れる事になった。

 降り下ろす勢いのまま、肩口から吹き飛んだ腕は明後日の方向へと飛んでいき、火口の如きクレーターの外縁部に接触し、それを大きく崩すと共に転がって地面に突き刺さっていた。

 

「何が……」

「―――っ!?」

 

 肩口に手をやり、悲鳴を上げるゴライアスから目を離したリオンが、数メートルはあるだろう、巨木の如き腕が地面に突きたつ姿に目を奪われている中、アスフィがそれへと向かって駆け出していた。

 

「アンドロメダっ!?」

 

 慌てて追いかけたリューは、直ぐに地面に突き刺さった巨腕を調べているアスフィへと追い付く。アスフィは背中に立つリューに視線を向けることなく、忙しなく千切れ飛んだ巨腕を調べていた。

 

「……この跡……それに、この臭い……まさか」

「アスフィ―――一体どうし」

 

 アスフィが、特に千切れ飛んだ肩口付近を調べていると、我慢できなくなったのかリューがその背中に声を掛ける。

 と、リューの予想とは反し、アスフィは振り返りはしないままその声に直ぐに応えてくれた。

 

「リオン」

「……どうしました?」

 

 自分の名を呼ぶアスフィの声の調子に、何かを感じ取ったのか、リューは無意識に息を飲みながら答えを待つ。

 

「わかりましたよ」

「何がですか?」

「全く、とんでもない人ですよあの人は」

 

 呆れたように呟かれたアスフィの声はしかし、隠しきれない畏怖に満ちていた。

 その理由を知りたく、一歩前に出したリューへ対し、アスフィは立てた人差し指を巨腕の肩口へと向けた。 

 

「見てくださいこれを」

「焦げた跡? それにこの破片は……」

 

 斜めに地面に突き立つ巨木の如き巨腕の上。そこには枝や葉の代わりに緑ではなく明らかに黒色の肌とは違う焼け焦げた跡にも見える黒に染まった箇所があり、また、何か金属片のようなモノが無数に見えた。

 

「どうやら、あの人は『火炎石』を使ったようです」

「『火炎石』を?」

 

 鼻を鳴らし、周囲に微かに漂う独特な臭気を確認したアスフィがその原因を答える。一時期―――いや、つい最近嗅いだことがある臭いに、間違いはないと確信したアスフィが、リューに頷きをもって応えた。

 そして、そこから推測された予想を口から出していく。

 

「ええ。あの人はゴライアスの身体を切り裂くと同時に、『火炎石』と一緒に壊れた剣などを傷口から―――関節の近くに押し込んだみたいですね」

 

 破壊力を上げるため、爆弾の中に金属片を入れる物もあるとアスフィは知っていた。自分もまた、そのようなモノを作ったこともあったからだ。『火炎石』の威力は知っている。上級冒険者であっても、まともに食らえば致命傷になりかねない。その力はあの暗黒期に嫌でも目にしたし、自分でも身を持って知っている。

 しかし、その力であっても―――。

 

「しかし、それであのゴライアスの腕を吹き飛ばせますか?」

 

 そう、リューの言う通り、その力であっても、あのゴライアス(化け物)の腕をあのように吹き飛ばすことは難しいだろう。そう、()()()()()()

 

「無理でしょう。だから、相手の力を利用した」

「っ―――態と狙わせたっ!?」

 

 アスフィのその短い言葉だけでも、リューはその答えへと辿り着いた。

 強大な敵。

 巨大な敵と戦う際、自分達も時には使う手段だ。

 自分だけの力では足りない。

 ならば利用するだけだ。

 魔法を、道具を、環境を―――それでも足りなければ、敵である相手の力さえ利用する。

 そう、あの髑髏の面の男(ハサン)は、態と隙を見せ、自ら囮になることでゴライアスに攻撃をさせ、タイミングを見計らい、どうにかして爆発を起こした。そして、爆発による損傷と衝撃、それにゴライアス自身の力が加わり、あのように腕を吹き飛ばしたのだ。

 だが、言うは易し行うは難し、だ。

 痛みを感じているのかはわかないが、傷口に『火炎石』や剣等の残骸を押し込むのは簡単ではない。気付かれずに、という条件も含めれば更に難度は上がる。それに加え、爆発させるタイミングもまたそうであるし、態と攻撃を狙わせる事も、尋常な心では不可能だ。

 あらゆるモノが、異常である。

 アスフィには本当にわからなかった。

 この髑髏の面の男が、何者なのかが。

 

「……本当に何者なのでしょうかあの人は。これだけの力、技? ああも容易くあのゴライアスの身体を切り裂く事が出きる理由もまるでわからない……本当に何なの? あんなにスパスパと、まるで料理するように―――」

 

 身体から切り離されたからか、灰化が始まった腕からようやっと目を離したアスフィが、腕を失い混乱するものの、いまだ戦意を落とすことなく戦いを続けるゴライアスとハサンに目を向けながら、何処か呆れたような口調で自問するように呟くと。

 何かが引っ掛かったのか、唐突にリューが眉間に皺を寄せ考え込み始めた。

 何かが引っ掛かった。

 アスフィの先程の言葉。

 スパスパと?

 容易く?

 わからない?

 料理するように―――料、理?

 

「―――料理?」

「リオン?」

 

 口にして記憶が蘇る。

 あれはそう。

 『豊穣の女主人』停で働き始めたばかりの頃であった。

 ミア母さんが、固い―――金属染みた固さを持つ食材を、ただの包丁ですぱすぱと切り刻んでいる姿を見て、何か特別な刃物なのかと聞いた時のこと。

 ミア母さんは何と言った?

 確か―――。

 

『それは、何か特別な包丁なのですか?』

 

『なんだって? はっ、そんな大層なものじゃないさ』

 

『では、どうしてそんな簡単にこれほど固いものを? 何かのスキルですか?』

 

『馬鹿を言ってんじゃないよ。こんな事、そこらの婆さんでも出来ちまうよ』

 

『そんな筈は―――』

 

『こう言うのは経験さね』

 

『経験? ですか?』

 

『何十、何百、何千とやってる内に、自然と身に付くもんさ。あんたにも覚えがあるんじゃないかい? 同じモンスターを何度となく相手をしている内に、自然と何処にどの角度で、どれぐらいの力で刃を突き立てれば良いのか、分かったりしなかったかい?』

 

『―――ああ、確かに……』

 

『それと同じことさ。そこまでなれば、そんな上等な獲物がなくともこれぐらいのもんなら簡単に切れるようになる』

 

『そういうものなのですか……』

 

『ま、食材なら兎も角。生きたモンスターはそうは出来ないけどね』

 

『何故ですか?』

 

『経験だって言った筈だよ。食材のように日に何度もやることなら兎も角、モンスター相手に身体に覚え込ませるとしたら、一体どれだけの時間がかかるのやら? それも凪ぎ払うように倒していちゃ意味はない。一体ずつ丁寧にやる必要があるからね。モンスター相手にそんな暇なんてないだろ?』

 

『そう、ですね。では、やはりそんな事は出来はしないと……』

 

『まあ、そうだね。猟師みたいに、そこらへんの、似たようなモノで代用するって手もあるかもしれないけど……モンスターに応用出来るようになるには、それこそ桁違いの()()が必要だからね。現実的じゃない』

 

 そう言って、肩を竦めて見せたミア母さんの顔は、言外に有り得ないと言っていた。

 私もそれに同意した。

 当たり前だ。

 獲物(武器)の優劣に関わらず、モンスターの耐久を無視するかのように切り裂くには、一体どれだけの経験が必要なのか。百やそこらで届く筈がない。

 千を越え、万にすら届く必要がある。

 現実的ではない。

 しかし、私の勘が告げているのだ。

 それが正解であると。

 では、あの髑髏の面の男はどのようにしてそれだけの経験を得たのか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 直後、リューの脳裏と背筋に氷柱が突き刺さったかのような悪寒が走る。

 あの髑髏の面の男の動き。

 常に死角に入り込む動きと、目の前で戦っているというのに、気を抜けば見失いかねないその気配の薄さ。

 その姿と戦い方に、実のところリューは既視感を感じていた。

 それは昔―――自分が復讐に走り()()()紛いの方法で敵対する【闇派閥】を襲っていた時。

 その時の自分と、何処か似ている。

 そう、その動き、気配、やり方―――その姿はまさしく。

 では、この髑髏の面の男が、これ程までの技量を高めた相手というのは、つまり―――

 

「まさか、そんな―――いや、しかしっ」

「リオン、一体どうし―――」

 

 自ら思い至ったその結論に、驚愕し恐怖したリオンが、自らの考えを否定するかのように頭を左右に振る姿に、アスフィが慌てて肩を押さえ落ち着かせようと声を掛けた瞬間であった。

 

 

『キィアアアアアアアガアアアアアアアアアアアッっ??!!!』

 

 

 二度目の爆音と絶叫が上がったのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「腕を失っても痛打には成り得ぬか―――だが、()()()()()()()()

『アアアアアアアアアアアアア!!』

 

 ハサンの予想に反し、ゴライアスの無くなった腕は未だ完全な姿を現してはいなかった。確かに肩口から次第に腕が形成されてはいるが、それでも頭が無くなった時のような、爆発的な回復は見られない。

 振り回される残った腕を余裕を持って避けながら、ハサンは仮面の下で口許を歪める。

 あの花の化け物を倒した際、回りにいた白い衣装を着た者達の身体を探った時に見つけた『火炎石』と呼ばれる道具は、思った以上に便利なものであったが。破壊力を上げるため、一緒にそこらに散らばる折れた剣などを詰め込んだが、やはりそれだけでは足りなかった。

 爆発だけでは精々千切れかける程度。そこにゴライアス自身の腕の力が加わらなければ、腕を吹き飛ばすには至らなかった。

 とは言え、今の確認で十分にわかった。

 ()()()()()()()()()()()()、と。

 そう、例え腕を潰しても暫く立てば元に戻る。

 そして、こちらが厄介だと、多少のダメージを無視して逃げられれば意味がない。 

 だからこそ、そうはならないように、準備した。

 失敗しないように、()()()()()()()

 そうして確認は終わり。

 次は本命。

 叫び更に激昂し暴れ、絶叫染みた咆哮を上げるゴライアスにハサンは囁くように告げる。

 

「そう、喚くな―――」

『ッガアアアアアアアアアアッ!!』

 

 肩口にのったハサンを反射的に振り払おうと身体を大きく振り回すゴライアスに合わせ、宙へと飛び上がる。

 

「愚かな―――そら、次は―――」

『アアアアアアアアア―――』

 

 ゴライアスの背中の方へと落ちていくように飛ぶハサンを追うように、片足を上げたゴライアスの身体が大きく回り、円を描く身体の切っ先。足にゴライアスの超重量が重くのし掛かり。

 そして。

 

「足だ―――」

『―――ッアアアアアィッ!??』

 

 ハサンが手に握る二本の紐の内一つを勢いよく引き寄せる。

 固い何かから抜け落ちる感覚を感じると共に、何十、何百本もの湿った荒縄が千切れる音と共に、ゴライアスの絶叫と爆音が、その身体の下方。足元の付け根から響く。

 先程の腕と同じ。

 しかし、腕とは違い。

 爆発の衝撃が抜けたそこには、 

 

「ほう、耐えるか―――だが、それも」

『ガアアアアアアアアアァァァアッ!!』

 

 大きく内から裂け、血肉を削られてはいるが、未だ身体に繋がる足の姿があった。

 ゴライアスは痛みよりも怒りが満ちた声を発しながら、倒れかかる身体を無事な方の足を地面に叩きつけるかのようにして、倒れそうになる自分の身体を支え―――

 

「―――把握済みよ」

『ッギャアアアアアアアアアアアア??!』

 

 ハサンの手が再度引かれる。

 手に残る最後の紐が引かれ、その先にある短剣がゴライアスの肉体に埋もれていたその身を勢いよく飛び出させる。

 同時に、ゴライアスの無事な方の足が地面へと接触し、体重と勢いがその足に掛かった瞬間にその付け根の内側から爆音が響いた。

 先と同様。

 何百もの濡れた荒縄が千切れるかのような音に加え、今度は何十もの剣が同時に折れたかのような金属染みた破砕音が同時に響いた。

 湿った弾けた音と共に、ゴライアスの身体がずれていく。

 反射的にまだ身体にくっついている最初に爆破された足へと体重を掛けたが、それは最悪の選択であった。

 何とか繋がっていたそれは、既に再生が始まってはいたが流石に完全に治るまで時間を必要とした。治りきる前に、まともに受けた自身の体重と衝撃は、傷ついた足では到底受け止められるものではなく。

 残酷な現実をゴライアスに突きつける。

 耳を背けたくなるような湿った千切れる巨大な音と共に、両足を根本から千切られたゴライアスが、後ろへと、仰向けに地面へと倒れ込んだ。

 

「右腕に両足―――これで少しは時間は稼げるだろうが……ほう」

 

 その姿を、両足を失い、四肢の内残った左手をくねらせ何とか身体を動かそうとするゴライアスを、クレーターの外縁部へと退避していたハサンが見下ろす中。その視線の先で、小さな二つの影が、倒れたゴライアスへと向かう姿を見つけた。

 微かに聞こえる声は旋律となり、その身からはあふれでる魔力が燐光となって沸き上がっていた。

 ()()()を先行していくのは、羽を生やした靴を使い空を飛ぶ一人の女。

 両手には、『火炎石』を越える爆発の力を宿した魔道具がある。

 戦意をみなぎらせ向かう先には、赤い燐光を纏わせながら、駄々をこねる赤子のように暴れるゴライアスの姿が。

 

「流石にこれほどの好機を逃すような愚か者はおらぬか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの巨体を誇るゴライアスが、両足と右腕を根本から失い。今や地面へと転がり残った左腕を降りますしか出来ないでいる。しかし、ただそれだけであっても、地を揺らし瓦礫を周囲へと吹き飛ばすという危険を辺り一面へ振り撒いていた。

 恐怖で混乱しているようにも、自暴自棄にも見えるその姿であるが、アスフィの目にはその何れでもないと映っていた。

 あれはただの時間稼ぎ。

 立ち上がる砂ぼこりの中に、ほら、()()()()()()()()

 

「衆目の目に晒すつもりはなかったんですが―――仕方ありませんね」

 

 あの、痛みに悶えるかのような姿は擬態だ。

 アスフィは確信していた。

 地面を転がり回り、苦しむ振りをして、あれは待っているのだ。

 手足が完全に戻るのを。

 無くなった首をまるまる回復させる回復力の持ち主だ。 

 失った手足もそう時間を掛けることなく取り戻すことだろう。

 しかし、それがわかっていて、素直に時間をやるほど、こちらも甘くはないし、余裕もない。

 とは言え、あの暴れようだ。

 素直に近付かせてはくれないだろう。

 下手に近付けば、残った左腕に潰されるか、巻き上げられる土砂に押し潰されるか。

 高い確率でそうなってしまう。

 そう―――()()()()()()()()()()()()()()、だが。

 小さく諦めたようにため息を吐いたアスフィは、身体を少し屈め、右手の指先で履いた(サンダル)をそっと撫でた。

 瞬間―――

 

「―――『タラリア』」

 

 (サンダル)に巻き付くように飾られていた金翼の飾りが、まるで命を宿したかのようにその二翼一対の四枚の羽を広げ出した。

 光輝く四枚の羽は、燐光をその翼から散らしながら一気に空へと駆け上がる。

 飛翔。

 羽なき者が、今、重力の楔を解き放ち空へと駆け上がっていった。

 その奇跡の光景に、周囲で遠巻きにこの戦いに注目していた冒険者達だけでなく。暴れていたゴライアスでさえ、思わずといった様子でその暴れを止めて、空を飛ぶアスフィを見つめていた。

 飛翔靴(タラリア)

 【万能者(ペルセウス)】と呼ばれる【ヘルメス・ファミリア】団長アスフィ・アンドロメダの至上の魔道具である。

 

「先に行きますよリオンっ!」

「ええっ、合わせますっ!!」

 

 くるりと調子を確かめるようにリューの頭の上で一回りしたアスフィが、合図と共に前へ―――ゴライアスへと目掛け空を行く。

 その後ろを、遅れてリオンも走り出す。

 我に帰ったゴライアスが、近づく二つの影を威嚇するかのように咆哮を上げ、更にいっそう激しさを増して暴れだす。

 

「【―――今は遠き森の空。無窮の夜天にちりばむ無限の星々】」

『ッアアアアアアアアアアアアッ!!』

 

 飛んでくる岩や土砂を避けながら、リューが詠唱を始めながら駆ける上空。

 先行するアスフィが更に一段と高く飛び上がる。

 そして、眼下に暴れるゴライアスの姿を全て納める位置に留まると、初めてその巨人(ゴライアス)を見下ろした。

 

「―――この短時間でここまで回復しているなんて。本当になんて出鱈目な回復力」

 

 自分の足元。

 十数M下では駄々をこねる幼児のように暴れるゴライアスの姿がある。

 千切り飛んだゴライアスの右腕と両足は、この短時間の間で、既に肘や膝辺りまで回復していた。

 あと十数秒も経てば、立ち上がりかねない早さだ。

 しかし、強力な威力のある魔法を持っていないアスフィの力では、あの異常な耐久力を持つゴライアスの外皮を貫くことは出来ない。 

 

「外皮の耐久力も桁違いで、私の使える手で通じるものは一つもなかった―――()()()

 

 そう、しかし。

 あの髑髏の面の男(ハサン)が教えてくれた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() 遠慮はいりませんよっ! 全部持っていきなさいっ!!」

 

 魔導士達による一斉掃射や、スキルを併用した強力な魔法以外では、傷一つ付けることは不可能な外皮であっても。

 内側からの―――外皮の下の部分は、そこまで異常な耐久力は無いと言うことを。

 覚悟を決め、アスフィは上空から一気に下へ。

 ゴライアス目掛け飛翔する。

 それは飛行というよりも落下。

 落下に加え飛翔の加速を加えた急降下。

 暴れるゴライアスの両足から舐めるようにその頭の方へと抜ける航路。

 その途中で、アスフィは最後に残っていた爆炸薬(バースト・オイル)を三つに分け投下する。

 ぎりぎりの位置で、至近まで接近し、()()()()()()()()()へと投下した爆炸薬(バースト・オイル)は、治りかけていた傷口を大きく押し広げ、ゴライアスの口から明確な悲鳴を上げさせた。

 

『キイオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアア!!!??』

 

 

 

 

 

「―――空を……っ何て人達だ」

 

 空を駆け、その後ろを地上を走って、それも詠唱しながら追いかける人達の姿を、その目に捉えた命が、驚愕と己の不甲斐なさに加え、微かな嫉妬を胸に声を思わず漏らしてしまう。

 ベルを庇い瀕死の重症となっている桜花を千草に預け、何とか一矢報わんと戦場に戻ってみれば、髑髏の面の男があのゴライアスの四肢を奪い追い詰めているわ。倒れ伏しながらも、未だ盛大に暴れる敵に果敢に向かっていく冒険者が一人は空を飛び、もう一人はこの少しの油断もならない戦場において『平行詠唱』を行っている。

 あまりもの自分との違い。

 『差』に、眩暈すら感じてしまう。

 何か出来るのではと、駆けつけた足が、思わず後擦りしかけてしまう。

 臆しかけた心を、しかし命は唇を噛みきりながら頭を振り、胸を苛みかけた弱気を吹き飛ばし。勢いよく顔を上げた。

 

「っ、それでも―――()()()()っ!! 私だってッ!!」

 

 自分に臆している暇など何処にもない。

 桜花があれだけの姿を見せたのだ。

 自分もそれに恥じるような姿など見せられる筈がない。

 声と共に、胸に火を宿し、言葉と共にそれを激しく燃やし炎に変える。

 そして、詠唱を始めた。

 

「【掛けまくも畏き―――】」

 

 主神(タケミカヅチ)にダンジョンでの使用は厳禁と言い含められていたそれを破り。全身全霊を込めて、この『魔法』に全てを掛けて詠唱を続ける。

 あの今も聞こえる風が吹き抜けるような軽やかな『平行詠唱』とは余りにも真逆。武骨で鈍重な己のそれを恥ながらも、それでもと命を込める心地で呪文を唱える。

 

「【いかなるものも打ち破る我が武神よ、尊き天よりの導きよ。卑小のこの身に巍然たる御身の神力を】」

 

 崖の上に張られた細い糸の上を、全力で走り続けるかのような緊張感を保持し、リューは駆ける。

 地面に転がり暴れるゴライアスの動きが、三度の爆発の後更に激しくなっていた。

 それには反射的な動きが見える。

 痛みを紛らかすような、その激しい動きと、大口を開けて絶叫するの声からその理由を大いに察せられた。

 舞い上がる土砂、吹き飛ぶ大岩を避け、前へと進む。

 最早、ゴライアスの巨体は目の前にある。

 ゴライアスはこちらに―――気付いてはいない。

 そう確信し、リューは一気に地面からゴライアスへと目掛け飛び上がる。

 

「【―――来れ、さすらう風、流浪の旅人。空を渡り荒野を駆け、何者よりも疾く走れ。星屑の光を宿し敵を討て】!」  

 

 飛び上がった瞬間、仰向けになっているゴライアスの顔が、自分の方向へ向いた。

 その目はリューの姿を捉え、反射的に大きく開かれている。

 そして先程まで絶叫していた口は、未だ閉じてはおらず。

 

「【ルミノス・ウィンド】!!」

『―――ガッッッボ!!!』

 

 詠唱の完成と同時に、その大きく開かれた口へと目掛け、リューは緑風を纏った無数の光る巨大な玉を全て、その口腔へと叩き込んだ。

 咄嗟に咆哮(ハウル)で迎撃しようとしたゴライアスだったが、リューの方が圧倒的に早かった。

 迎撃に出ようとしたことは裏目に出て、大きく開かれた口の中へとリューの魔法は全て叩き込まれてしまう。

 頭と内蔵が吹き飛びかねないエルフ(リュー)の高威力の魔法に、アスフィ達の顔に会心の笑みが浮かぶ。

 だがそれは、この化け物(ゴライアス)の前にしては油断に過ぎたものであった。

 

「な、あっ!!?」

「嘘でしょっ?!」

 

 魔法の衝突により起きた爆風に舞い上がった土埃の向こうから、ゴライアスの顔がアスフィとリューへと目掛け向かってきていた。

 腹筋の力だけで身体を持ち上げたゴライアスの頭部は、火山弾のような勢いでアスフィ達へと迫る。土煙を引き裂きながら迫るゴライアスの顔は、確かに内側から大きく破壊されてはいる。特に口の回りは殆ど形が残ってはいない。その姿から、咄嗟にアスフィの脳裏はその理由を導きだしていた。

 

 ―――リオンの魔法を()()()()()ッ!!?

 

 しかし、例えそれが正解でも間違っていたとしても、今のアスフィ達には関係がなかった。

 もう、瞬きをするよりも先に、ゴライアスの頭がアスフィ達へと―――

 

「【天より降り、地を統べよ――――――神武闘征】!!」

 

 その間際。

 命の魔法が完成した。

 

「【フツノミタマ】!!」

『~~~~~~~ッッ!?』

 

 ゴライアスの巨頭がそのまま、超重量の投石のようにリュー達へと迫りぶつかる直前。

 そのゴライアスの頭部直上付近に突如現れた巨大な一振りの深い紫に光輝く剣が、一気に落下する。

 頭頂に突き立ち、そのまま顎を抜け腹を貫き大地に突き刺さると、その光剣を中心に巨大な魔法円(マジックサークル)に似た複数の同心円が刻まれ―――重力の檻が形造られた。

 半径にして十Mはあるだろう巨大な重力の力場は、その中にゴライアスの巨体を押し込め押し潰さんとする。

 突如現れた自らの身体を押し潰さんとする重力の檻に囚われたゴライアスは、咆哮すら飲み込む力場の中で更に激しく暴れ始めた。

 危機的状況に、魔物の本能が猛ったのか、回復を示す赤い燐光が爆発的に増加し、見る間に失った足と腕をゴライアスに取り戻させようとする。

 力場を形成するための、命の突き出した握った拳がふるふると震えている。

 その掌の中には、何も掴んでいない筈なのに、まるで握った拳の中で何かが暴れているかのように、揺れる両の手の震えが激しさを増す。

 命の前では、丸い円を描く光を飲む黒い重力の力場が、握る拳が大きく揺れるのに合わせ、撓み歪んでいる。

 

「ッ、ぁあ、あああああああっ??!!」

 

 捉えて未だ十も数えていないにも関わらず、命は既に限界に至っていた。

 最早重力の檻は不定形に歪み出し、押さえ込むことは不可能。

 それでも、せめてリュー達が待避できる時間を稼がんと、血を吐く勢いの絶叫混じりの声を持って命は拳を握る。

 

「まっ―――だっ!! まだまだぁあああああッ!!!」

 

 

 

 

 

「――――――くそっ―――くそッ! ―――くそったれがぁあッ!!?」

 

 ヴェルフは走っていた。

 あの時。

 ベルがゴライアスに吹き飛ばされた時、自分は何も出来ないでただ見ているしかなかった。

 自分達を殺しかけた、あの気にくわない(桜花)が身を挺してベルを救ったというにも関わらず、ヴェルフはただ見ているしかできなかった。

 力がなかったからだ。

 ベルの下まで駆けつけられる早さも。

 豪腕を受け止める力も。

 遠くから敵を倒す魔法も、ヴェルフはなにも持ってはいなかった。

 でかい口を叩きながら、結局何も出来はしない。

 己の不甲斐なさ、惨めさに頭が沸くほどの怒りが身を焦がし。

 気付けば、ヴェルフは走っていた。

 向かった先は、あの場所。

 ヘスティア様からヘファイストス様からと渡されたあの『魔剣』を落とした場所。

 拾いもせず、探しもせず、そのまま誰にも知られることなく朽ちていけと思いながら、こんな時にだけすがるように探しだす己にへどを吐きそうになりながらも、ヴェルフは己が打った『魔剣』を求めて走り出した。

 そうして、辿り着いたそこで、その『魔剣』はまるでヴェルフを待っていたかのように直ぐに見つける事が出来た。

 それを見た時、ヴェルフは何を思い、感じたのか。

 その顔は酷く険しく歪んでいる。

 泥や草葉で汚れた白い布で巻かれたその『魔剣』の柄を固く握りしめ、ヴェルフは駆ける。

 この『魔剣』は、ヴェルフがかつて【ヘファイストス・ファミリア】に入団する際打ち上げた代物だった。

 自分の力を示すために打ち上げたその『魔剣』を、ヴェルフは直ぐに手放した。

 忌み嫌うように、何の呵責もなく放り捨てるようにして、その『魔剣』をヘファイストスに預けた。

 あの時、ヘファイストス様は何と言ったか?

 確か、そう―――今はそれでいい、そう彼女は言った。

 

「ヘファイストス様っ、俺は―――」

 

 だけど、彼女は続けてこうも言った。 

 

『―――意地と仲間を秤にかけるのは止めなさい』

 

 あの時、俺はそれにどう答えた。

 思い出せない。

 多分、否定的な事を口にしたのだとは思うが、ヴェルフはもう覚えてはいなかった。

 代わりに、思い出したのは―――

 

「俺はっ―――」

 

 ―――一人の男の背中だった。

 

『―――『魔剣』が嫌いだそうだな』

 ―――あんたは?

 

 あれは、何時の時だったか。

 そんなに昔ではなかった筈だ。

 【ファミリア】の鍛冶場で、何かを打ち終えた帰りですれ違った男。

 

『……ただのよそ者だ。少し鍛冶場を借りにな』

 ―――鍛冶師、なのか?

『いや、まあ……そういうわけじゃないんだが』

 

 白に近い灰色の髪に、浅黒い肌。

 振り返った俺に対し、あの男は背を向けたままだったから顔は見ていないが。

 あの体つきからして、多分冒険者だったのだろう。

 

『で、何で嫌いなんだ?』

 ―――あんたには関係ないだろうが。

 

 あの時、何故俺は話を続けたのだろうか。

 何時もなら、無視してさっさと離れていた筈なのに。

 何故?

 

『まあ、確かにな。ただ、余計なお節介なのはわかってはいるんだが……』

 ―――なら

 

 ……わからない。 

 今でもわからない―――だが、事実、あの時の俺はあの場から離れようとはしなかった。

 

『見てしまったからな』

 ―――あ?

 

 見てしまった―――と、あの時、あの男はそう言った。

 それが何か、俺にはわからない。

 ただ、それが多分、俺が打った剣だと言うことは、何となく察してはいた。

 

『―――『剣』は、所詮『剣』でしかない』

 は? あんた何言って

 

 あの時、あの男はどんな顔をして話していたのか。

 あの男は結局一度も振り返らなかったから、その声からしか男の感情を伺う方法はなかったが、その声からは怒りも、不満も、悲嘆も笑うような感情を何も感じられはしかなった。

 

『日々の糧を得るためのものでもなく、道を切り開くためのものでもない。ただ『敵』を殺すためだけのものだ』

 ―――……

 

 淡々と吐き出されたその言葉は、何故か今も思い出せる。

 男の言った事は当たり前の事だ。

 鍛冶師に限らず、そこらの冒険者でも、いや、戦いと縁もない農民でも知っている当たり前の事だ。

 

『そして『剣』と『使い手』は永遠に共にいられることはない。『剣』が先か『使い手』が先かは分からないが、どちらかが残されるのは避けられはしない』

 ―――そんなことっ

 

 そう、そんなことは当たり前のこと。

 誰にだってわかる当たり前のこと。

 俺も、そんな事はわかりきっていた。

 しかし―――

 

()()()()()()、と?』

 ―――ッ!?

 

 本当に?

 俺は本当に()()()()いたのか?

 

『なら、責任を果たせ』

 ―――あ? 責任?

 

 なら、何故、俺は『魔剣』を嫌うのか?

 自らが打ち上げこの世界に産み出した『魔剣』を、()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、何故思った?

 

『どう思い、何を考え打ったのかは知らないが、形を与え、力を込め、造り出したのはお前だ』

 ―――っ、ぁ……

 

 『魔剣』は嫌いだ。

 俺は、『魔剣』が大嫌いだ。

 何の才も努力もなく、振るうだけで簡単に強者を打倒しうる『魔剣』が。

 自らを削らずに得られる栄光に、使い手も鍛冶師も知らず堕落せしうる『魔剣』が嫌になる。

 何より、使い手を残し、絶対に砕けていく『魔剣』が嫌いだ。

 だけど、本当に?

 ()()()()()()()()()()()()()

 

『『剣』とはただ『敵』を打倒するためだけのモノ』

 

 そもそも『魔剣』と『剣』の違いは何だ?

 使えば必ず砕けること?

 強者を容易に打倒できること?

 魔法を放てること?

 考えれば直ぐに思い付く『答え』―――だけど、違う。

 根本的には、結局は同じだ。

 『魔剣』も『剣』も、ただ『敵』を打倒するためのモノでしかない。

 なら何故、俺はこんなにも『魔剣』を―――

 

『―――お前の感傷に、『剣』を付き合わせるな』

 

 淡々と聞こえたあの男の声が、何故かあの時、俺には―――……

 

 

 

 

 

 森を抜け、視界が一気に開く。

 眼前に広がるのは地獄もかくやといった光景。

 視界の一番向こうに見えるのは、卵形の深紫の決壊がぼこりぼこりと歪んでいる姿。今にも何かが生まれ落ちんとする化け物を孕んだ(結界)が今にも破れそうな姿。周囲には土砂によるできた小さな丘擬きに、大岩や石が転がっている。

 それに潰されずに生き残ったモンスターや冒険者が今も血身泥になって戦っている。何かを斬り破る音に悲鳴や怒号が満ちる空間に、場違いなほどに澄んだ音が一つ、聞こえる。

 それが何の音なのか気付いた時には、既に自分がやる事を、成すべき事を理解したヴェルフは今にも崩れ落ちそうになる足を緩めることなく、更に力を込め前へ。

 今まさに深紫の(結界)から()()を突き破った化け物へと向かって速度を上げ駆けていた。

 

「ッッ!! ―――どけぇええええええええッッ!!」

 

 視界の先。

 己の前(攻撃範囲)にいる者達へと警告の声を上げた瞬間。

 

「っ、もうっ、破られますっ!!」

 

 命の声が上がった。

 重力の檻を突き出した両手をもって押し広げ、歓喜か怒りかわからない咆哮を上げ姿を現すゴライアスに、リューとアスフィがそれぞれ武器を構える。その先に、一人前を走るヴェルフの姿があった。

 咄嗟に制止の声を上げようとするアスフィ達の前で、ヴェルフが肩に担ぐ剣の姿が目に入る。

 既にその剣からは、全身を隠していた白布の姿はない。

 天井()から僅かに降り注ぐ光を受け、その炎を凝縮させたかのような赤い刀身を誇らしげに晒している。

 飾りなど一切無い。

 刀身と柄だけのシンプルな長剣。

 岩から削り出したかのような武骨極まりない剣身なのにも関わらず、あらゆるものの目を奪う程に美しい。

 まるで自ら発光しているかのように赤々と輝くその剣を握り、大きく振りかぶったヴェルフは叫ぶ。

 声を上げられない『剣』の代わりに雄叫びを上げる。

 己はここにあると。

 誇るように。

 哭くように。

 産声を上げるかのように―――

 

「っッぁぁああああああああアアアアアアッッッ!!!!」

 

 その『真名()』を叫ぶ。

 

火月(かづき)ぃいいいいいいいいいいいいいッ!!!!」

「「「――――――ッ!!??」」」

 

 大豪炎。

 炎が現れた。

 大上段。

 天を斬るとばかりに振り下ろされた剣身から放たれたのは、炎の激流。

 眼前にある全てを喰らい噛み砕き飲み込みながら、大炎は結界を破り四肢を持って地に降りた化け物(ゴライアス)をも飲み込んだ。重力の結界に囚われながら四肢を回復させた恐るべき化け物は、しかし脱出した先で今度は炎の檻に囚われる事になる。

 ヴェルフの『魔剣』から放たれた炎は、ゴライアスの全身を包むとそのまま消える事なく強靭な外皮を、それ自身を燃料にするかのように更に火勢を上げ燃えていく。

 歓声のような音を立て燃え上がる轟音の中に、ゴライアスの確かな悲鳴が聞こえる。

 声すら焼き殺す炎中で、未だ暴れ続けるゴライアスの姿が、揺らめく赤の向こうに見えた。

 その姿を、ただ一振りで刀身が砕け散った『火月』の、残った柄を握りしめながら、地面に倒れたまま見上げていたヴェルフが、意識を失う寸前呟いた言葉。

 

「っ―――は、はは―――これで、満足か、よ……」

 

 それは、誰に対してのものだったのかは、ヴェルフ自身もわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鐘の音が聞こえる。

 それは、自らの内から響いていた。

 リンリンと、始まりは小さな鈴のような音が。

 今は大きく巨大に―――周囲を轟かせるまでに。

 しかし、周りの音を掻き消すその音の中に、聞こえる声が一つ。

 

『もし、英雄と呼ばれる資格があるとするならば―――』

 

 それは、遠い―――遠い(過去)に聞いた声。

 大切な家族から教えられた(与えられた)言葉。

 ベル・クラネルの原点(始まり)の声。

 

『剣を執った者ではなく、盾をかざした者でもなく、癒しをもたらした者でもない』

 

 何もないと、あの人(ハサン・サッバーハ)は言った。

 『資格』がないと、言った。

 祖父(おじいちゃん)は言った。

 

『己を賭した者こそが、英雄と呼ばれるのだ』

 

 僕は、『英雄』じゃない。

 物語の彼等(英雄達)のような力も知恵も何もかも持ってはいない。

 憧れるあの人達(アイズさん達)の、足元にすら届いていない。

 

『仲間を守れ。女を救え。己を賭けろ』

 

 そんな事は当たり前で、言われなくても痛いほど良くわかっている。

 閉じた瞼の闇に浮かび上がるのは、これまでの挫折の数々。

 自分の力の無さを実感される現実。

 

『折れても構わん、挫けても良い、大いに泣け。勝者は常に敗者の中にいる』

 

 だけど―――うん。

 覚えている。

 覚えていた。

 祖父の言葉(始まりの光景)を。

 

『願いを貫き、想いを叫ぶのだ。さすれば――――――』

 

 そう、僕は何もかも足りなくて、何にも持ってはいない。

 だけど、たった一つだけ持っているモノがある。

 あの日、あの時、始まりの日に教えてくれた。

 唯一のモノ。

 誰もが持っていて。

 誰もが振るえる唯一の武器。

 たくさんの言葉で現す事ができるそれ。

 自分の力と、打倒すべきモノとの越えがたい壁に立ち向かうために必要な唯一のモノ。

 

『―――それが、一番格好のいい英雄(おのこ)だ』

 

 ―――『勇気』

 

 

 

 

 

 鐘の音が響く。

 限界解除(リミット・オフ)―――『神の恩恵(ファルナ)』を突き破るほどの想いにより、掴んだ天元の頂き。

 神の思惑すら越える、人の願いが至った力。

 身を震わせる程の音色となったそれを全身に感じながら、ベルはリリから渡された巨大な漆黒の大剣のその太い柄を両手で握りしめる。

 正中に構える中、ゆっくりと瞼を開く。

 深紅(ルベライト)の両眼の先で、山火事のように燃える固まりが見える。

 鈴から鐘へ、そして大鐘楼へと至った音色と共に、ベルの身体から沸き出るかのように現れる白い光が、手に持つ黒い刀身へと集まっていく。

 その音に、その輝きに燃やされながらも脅威を感じ取ったのか、ゴライアスが全身を燃やされながらもその足をベルの方へと向けた。

 皮膚ごと削ぎとるように両手を動かし、炎を文字通り身を削ぎながら進むゴライアスのその様相は、地獄の亡者の如く。

 不快で恐ろしいその姿。

 どれだけ傷つけても殺しても蘇るその浅ましい姿に、心の底から恐怖で震えてしまいそうになる。

 それを、勇気を持ってその場にとどまる。

 憧憬(願い)を燃やし、剣を握る。

 もう3分は過ぎた。

 だけど、それでもベルは待つ。

 足りないと、わかっているからだ。

 あの異常なほどの耐久力を持つ黒い外皮と、今も燃えながら回復するその回復力を越えて、あの化け物(ゴライアス)を打倒するには、もう少しだけ時間が必要だった。

 だけど、もう(足止め)はできない。

 あの驚異を止めるための手段が最早無い。

 猶予がない現実を前に、ベルが覚悟を決めたその時―――

 

「―――良い顔だ」

 

 何時の間にか、目の前にあの人(ハサン・サッバーハ)がいた。

 ベルに背を向け、立ちふさがるように立つ彼は、何処か笑っているかのような声を上げる。

 

()()だ」

「え?」

 

 言葉の意味がわからず、反射的に首を傾げたベルに、ハサンは告げた。

 

「今、貴様の身の内にあるものこそが、『資格』よ」

「『資格』……」

 

 『資質』よりも大切なものと言った『資格』。

 英雄になるための必須なそれを、あるとこの人(ハサン)は口にした。

 でも、何が?

 僕の何処に、何があるのかと、視線だけをその大きな背中に向けるベルに、ハサンは応える。

 

「越えがたき壁、強大な敵、身を心を蝕む絶望―――くず折れる身体に、地に沈む意志」

 

 英雄にならんとする者が、何時か何処かで必ず前にする(絶望)を前にして、何を為すか。

 強大な敵か。

 名もない人の集まりたる群衆の意思か。

 目に見えぬ、されど世界を覆う巨大な権力か。

 何かはわからない。

 しかし、『英雄』を目指すのならば、何時か何処かで必ず前にするそれらの前で、その時何ができるのか。

 無様に負けるかもしれない。

 地に叩き伏せられ、泥を啜り汚泥の中を這う羽目に陥ることもあるかもしれない。

 その時。

 その瞬間こそ、『英雄』たる『資格』が問われる。

 そう―――

 

「しかし、そこで『それでも』と立ち上がる者こそが、『英雄』と呼ばれる」

 

 過去がどうあれ、『資質』がどうあれ、その時、必要なその瞬間に、立ち上がれなければ何もできはしない。

 立ち上がれなければ、何も成し得ないのだから。

 

「『覚悟』、『勇気』、『願い』―――多くの言葉で伝わるそれが何であれ、立ち上がって見せること、立ち上がれることこそが『英雄』の証し」

 

 今、此の時。

 ベル・クラネル(英雄たらんとする者)ゴライアス(絶望)を前に立ち上がれたように。

 

「―――未だか細いそれであるが、貴様は確かに見せた」

 

 周りから支えられ、一人で立ち向かうことが出来なかったとしても。

 声を上げ、立ち上がって見せた。

 小さく儚くも、確かな『資格』を魅せてみた。

 だからこそ―――。

 

「ならば、私も見せよう」

 

 (ハサン)が右手を掲げる。

 その何十にも巻いた黒い布をほどく。

 はらはらと、何十もの拘束具を一つ一つ外すかのように、一つほどける度に周囲に電流染みた怖気が走る。

 

「……ベル・クラネル。貴様は『英雄』を星のようだと口にしたな。ならば―――」

 

 見てはならない。

 其は『死』―――そのものであるが故に。

 なのに、その腕から視線が外せない。

 神様達(ヘスティアやヘルメス)も、冒険者達(桜花さんやリリ達)の目も、其から目が離せない。

 悍ましく忌々しい―――しかし強大な『凶』そのものを前に、魅いられたように目を奪われる。

 

「―――目を凝らせども見えない程に小さな星ではあるが、その輝きを貴様に見せてやろう」

 

 黒い布(封印)の奥から姿を現したのは、赤い―――血のように紅く染まった長い腕。

 死に満ちた戦場の大地から、血肉を糧に伸びる忌まわしいナニかのように、ゆっくりと()()()()()()()()()()

 

「だが、覚悟せよ」

 

 明らかに()()()()()()()()()()()()は、長く、数Mはあるだろう。

 ぐにゃりと蛇のように揺らめかせるその腕は、まるで其そのものが意思を持っているかのようで。

 

「我が身は『暗殺者』―――その輝きは、忌まわしきモノ故にっ!!」

 

 誰もが言葉を失う中、一人の英雄(暗殺者)が駆け出していく。

 その身を黒き風と化して、駆けゆく先には、炎を削ぎ落とし、代わりに回復を示す赤い燐光を全身から発して走るゴライアスの姿が。

 

「―――ッカカ!!」

 

 山が迫ってくるかのような、恐ろしすぎる圧迫感と絶望を前に、しかし男は―――ハサン・サッバーハは嗤う。

 呵々と嗤った。

 

「さあっ! 聞こえるか怪物よッ!!」

 

 その背には、鐘の音。

 大鐘楼の鐘の音。

 嘗て耳にした茫洋たる過去の向こうに響くそれではなく。

 一人の少年()が鳴らす、今を照らす鐘の音。

 

「この鐘の音がッ!!」

 

 地面を蹴り、飛ぶ。

 一瞬にして、ゴライアスの眼前へと迫る。

 右腕は、既に構えていた。 

 知らず、口からは言葉が漏れ出ている。

 抑えきれないこの高揚は、一体何処から来ているのか自分でもわからないままに。

 その思いのままに、ハサンは叫ぶ。

 

「これこそっ! 新たな英雄たらんと立ち上がった者に響く暁鐘でありッ!!!」

 

 全身を震わす鐘の音。

 人のモノではない魂たる霊基を震わせる大鐘楼。

 新たな英雄を称える(暁鐘)である其は―――

 

「貴様にとっての晩鐘よッ!!!!」

 

 ―――同時に対するモノにとっての(晩鐘)でもある。

 この鐘の音に何を思ったのか。

 それとも自身に向けられた人のモノではない赤い腕を警戒してか、ゴライアスの足が微かに―――しかし確かに鈍った瞬間。

 

「さあっ―――晩鐘は貴様の名を示したッ!!」

 

 英雄(ハサン・サッバーハ)の一撃は振るわれた。

 

妄想心音(ザバーニーヤ)ッッ!!!!」

 

 真名と共に発動された『宝具』たる其は、ゴライアスの胸部の中央―――やや左寄りに触れると、直ぐにそこを押すようにしてその場から身体を離す。

 宙を身体を回転させながら地面へと降りていくハサンに、ゴライアスは何故か攻撃仕掛ける様子は見られない。

 それどころか、巨人たるその身を小揺るぎもさせない筈のハサンの攻撃とも思えない先の一撃を受けた後、何故かゴライアスの足はその場で留まっていた。

 それどころか、あれほど見せていた憤怒の感情を何処かへ落としたかのような気の抜けた間抜けな顔で、自身の胸―――先程ハサンが触れた位置に手を置いている。

 大鐘楼の鐘が響く中、奇妙な間が出現した。

 そして、最初に()()に気付いたのは、ゴライアスの一番近くで先程まで戦っていた二人。

 その二人―――リューとアスフィの目は、驚愕と恐怖に見開かれていた。

 

「あれ―――……は?」

「いや、まさか、しかしあの大きさは―――っ?!」

 

 視線の先は、足を止めたゴライアスではない。

 そのゴライアスへと、何かをした男―――ハサン・サッバーハに向けられていた。

 地面に降り立ったハサンの前には、長い―――自身の身長よりも長大な数Mはあるだろう右腕。

 その先には、赤黒いナニかが握られている。

 小さな子供程の大きさの、その赤黒い塊は、一定のリズムで動いていた。

 まるで、鼓動のように―――。

 違う、()()()、ではない。 

 あれは、間違いなく。

 

「馬鹿なっ!? ゴライアスのっ?! どうやって!?」

 

 ―――心臓だった。

 赤い、血の塊のようなそれは、確かに心臓であり。

 その大きさからかなりの巨大な生物のそれで。

 それこそ、目の前のゴライアスのような。

 しかし、その方法がわからない。

 一体、どうやって、どんな方法でそれを成し遂げたのか、全く理解の欠片すら掴むことができない。

 それはまるで、神の振るう権能の如く。

 アスフィ達の疑問(恐怖)の声に応えるかのように、ゴライアスの心臓を握るハサンが、その仮面の下で口角を曲げて呟いた。

 

「―――魂など飴細工のようなものよ……」

『ギィアアアアオオオオオオオオオッ―――ッゲ??!!』

 

 それが―――眼下に立つその(ハサン・サッバーハ)が持つそれが、己の心の臓であると本能的に察したゴライアスが、悲鳴とも怒号ともつかない絶叫を伴って手を伸ばすが。それよりもハサンが右手に握るそれを潰すのが速かった。

 熟れすぎた果実を潰したかのような、湿った重い音と共に、絶叫を上げるゴライアスの口から血が吹き出される。

 ハサンへと伸ばした腕の勢いのまま、ゴライアスはその場に膝を着く。

 地が揺れ、大地に罅が刻まれる音が響く中、合図のように、ヘスティアの声が上がった。

 

「っベルく――――――んッ!!!」

 

 号砲と共にベルは駆けた。

 真っ直ぐに、ひたすら前に。

 両手に握る黒い大剣を肩に、黒い刀身から白い光を放ちながら。

 大鐘楼をその身から響かせながら、ベルは走る。 

 

「っ―――ああああああああああああああああああああ」

 

 声を上げ。

 願い(憧憬)を燃やし。

 武器を手に、魔物を倒すために。

 対する魔物たるゴライアスは動かない。

 膝を着いたままの姿。

 しかし―――

 

「!? ―――っいけない!!?」

「ち―――ぃっ!?」

 

 異変に気付いたのは、僅かに二名。

 その経験から、何が起きるかわからないと一瞬の気を抜くことなくゴライアスの様子を伺っていたリューと、己の(宝具)はこの化け物(ゴライアス)と致命的に相性が悪いと知るハサンの二人。

 だが、気付いたからといって、間に合うかは別であった。

 もう既にベルは駆け出しており、あと数秒もしない内に全てが決してしまう。

 このままでは、()()()()()()

 膝を地に落とし、だらりと垂れ下がったゴライアスの長い腕。

 その右腕が、ぴくりと動いたのをリューとハサンは見逃していなかった。

 予感がする。

 確信とも言えるそれが伝えていた。

 ベルの一撃よりも、ゴライアスの一撃の方が早い、と。

 そして、それを防ぐのは間に合わないと言うことも、二人にはわかっていた。

 しかし、だからと言って何もしないわけにはいかない。

 咄嗟に動き出そうとする二人。

 だが、その視界に、あるモノが過った。

 

 

 

 

 

 走る―――走る―――走る―――ッ!!

 

 もう体力は既に底を着き、最早一歩も動けない―――その筈なのに、それでも足を前へ、先へと伸ばす。

 飛ぶように地面を駆け抜け。

 向かう先には山のように巨大な巨人(ゴライアス)の姿が。

 一人では決して届かない壁を前に、皆が、仲間達が、名も知らない冒険者達が一つ一つ足場を作り上げてくれたその道を、真っ直ぐに駆けていく。

 だけど、直感した。

 間に合わないと。

 ゴライアスの右手が、僅かに揺れるよう動いたのに気付いた。

 極限の集中が、時間をゆっくりと感じさせる中、ゴライアスの動きも手に取るようにわかる。

 だから、嫌でもわかってしまう。

 僕が一撃を放つ前に、ゴライアスの一撃が僕を押し潰す、と。

 ゴライアスの腕の届かない間合いの外で、攻撃するという考えは、しかし直ぐに避けられる可能性が高いと却下される。

 よしんば当たったしても、その(魔石)には届かない。

 そうなれば終わりだ。

 回復したゴライアスに今度こそ殺される。

 どうする?

 足を止めて、攻撃を避けてから一撃を入れるか?

 だけど、今足を止めたら、次は動けるのか?

 もう、身体は限界を当に越している。

 一度でも足を止めたら、もう終わりだと告げている。

 次はない、と。

 でも―――だけど―――と、答えのない懇願染みた言葉が脳裏を過ぎていく―――その時。

 

 ―――いけ

 

 声が、聞こえた気がした。

 大鐘楼の鐘の音で、閉じられた耳から聞こえるそれじゃない。

 

 ―――いけっ

 

 心に直接語りかけるかのような。

 身体の内から響くその声が、何なのか―――誰のものなのか、僕は―――知っているっ!

 

 ―――いけっ!

 

 背中が、熱い。

 神の手により刻印が刻まれた背中が熱い。

 突き刺すような、強い()()を受けた背中が、熱い。

 それが―――僕の背中を押す視線が、身体を貫いて、心を震わせ形となって叫んでいた。

 

 ―――いけっ!!

 

 それが誰の視線で、誰の声なのか。

 教えられなくてもわかりきっている。

 視界が、歪む。

 信じていた。

 信じていた―――けど、それでも怖かった。

 思う度に心に冷たい風が吹き抜けていた。

 その度に、それでもと思ってはいた。

 目が、熱い。

 目の端から溢れた涙が、後ろへと飛んでいく。

 不安や恐怖が溢れ落ちていく。

 全身を苛もうとしていた寒気が、何時の間にか何処かへと消えて、今は燃え上がるように全身が熱い。

 剣の柄を握り砕かんばかりに掴み、大きく振りかぶる。

 ゴライアスの右手が、動い―――て……。

 声が―――

 

 いけっ!! ――――――ベルッッ!!!

 

 ―――響く。

 背中を、押されるっ。

 頭上より、流星が走る。

 超音速で疾るそれを、目にした者処か気付いた者さえ片手で数える程しかいなかった。

 18階層の端。

 遥か遠く―――視界に捉えられない程の彼方から放たれたその一条の()は、瞬く間もなくゴライアスの右腕―――その付け根へと至り。

 

「「――――――っ!!?」」

「ふふっ――――――やっぱり」

 

 一矢をもってその巨腕を切断した。

 同時―――

 

「ああああああああああああああああああっ!!!!」

 

 ―――ベルの振るった大剣から放たれた極光がゴライアスを包み込んだ。

 ゴライアスの異変に気付いた者は、殆どいなかった。

 また、気付いた者も、直後に起きた光景により忘れ去る事になる。

 ベルが振るった一撃。

 大鐘楼の鐘の音の下に振るわれた一撃は、ゴライアスの腰から上の全てを包み込み。

 その全てを蒸発させた。 

 

「―――――――――――――――」

 

 地面に膝を着いたままの下半身だけが残っている。

 18階層に沈黙が満ちる。

 全ての者の目が、下半身だけとなったゴライアスへと注がれる中、遂にそれは始まった。

 ゆっくりと、ゴライアスの残った身体の端が崩れ始めたのは。

 灰へと変じ、形を崩すゴライアスを目撃した者達は、示し合わせたかのように一斉に息を飲み。

 そして―――

 

 

 

『――――――……うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』

 

 

 

 一斉に声を上げた。

 驚愕、驚嘆、歓喜、爆発のように広がる声は18階層の隅々まで轟き震わせる。

 その中心で、それを成し遂げた少年が、崩れ落ちるように地面へと倒れ込むのを見て、仲間達が駆け寄っていく。

 

「ベルっ!」

「ベルさまぁああッ!!」

「クラネルさんっ!!」

 

 知った顔も、見知らぬ顔も集まって倒れた少年を―――新たな『英雄』を取り囲むその姿を、遠目で細めた目で見つめていたヘスティアは、ゆっくりとその口元に笑みを浮かべながら頷いて見せる。

 

「……やったね、ベル君」

 

 そして、ゆっくりと後ろを振り返る。

 目を向ける先には誰もいない。

 木々に生い茂る森の姿しか見えない。

 だけど、ヘスティアの目は、確かに誰かの姿を捉えていた。

 

「全く、顔ぐらい見せたらどうなんだい」

 

 白に近い灰色の髪に、浅黒い肌の―――自分の大切な家族の一人を。

 

 

 

「―――シロ君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。
 
 次話がエピローグで、二章は終わります。
 多分、来週には間に合うものと思われます。
 頑張ります。

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