たとえ全てを忘れても   作:五朗

75 / 101
 FGOをやって、この小説の中でハサンを出そうと思った時に、このシーンを書きたいと思っていたので満足です。


エピローグ 魔人が見た夢

 ―――歓声が、まだ聞こえてくる。

 小波のように、時に強く、弱く、しかし途切れることなく聞こえてくる声は、未だに終わらず。

 戻ってきた風と共に、枝葉を揺らしている。

 森の奥。

 顔を上げる。

 18階層の端の一角にある森の奥深いここは、あの戦いの影響は殆どなかったのか、周囲に破壊の跡は見られない。

 風に木々や草が揺れ、虫の音が響き、深い緑の香りが辺りに漂う。

 ここだけを見るならば、あの戦いがまるで夢のようにも思えてしまうほどに。

 ただ、頭上を隠す木々の隙間から見える筈の光が、未だ届かない事だけが、あの戦いが夢ではなかった事を告げている。

 微かに届く、月光染みた青い光だけでは、あまりにもか細く、この奥深い森の闇を照らすには儚すぎた。

 

「―――それで」

 

 その、朧の闇の中に、一人の影が立っていた。

 高い。

 猫背気味のその様でありながら、2Mは確実にあるだろう高い身長の持ち主だ。

 一見すれば痩せ細ったようにも見えるその身体の四肢は長く、特に目を引くのはその右腕。

 何かを押し止めるかのように黒い布で何十にも巻かれている。

 その身体は闇に沈むような黒い不可思議な装いをしており、まるで地面から影そのものが立ち上がったかのようで。

 顔に張り付いた。

 白い髑髏の面が、まるで浮かんでいるかのように見える。

 

「何時まで、隠れているつもりだ」

 

 その白い面の奥で、ハサンは姿を見せない男に向かって声を掛ける。

 姿形も、声も気配すら感じられない。

 だが、それでもハサンにはわかっていた。

 男が、そこにいることを。

 

「『暗殺者(アサシン)』の真似事はそろそろ止めたらどうだ―――『弓兵(アーチャー)』」

 

 嘲笑う。

 挑発するような嘲りを含んだその声に、男は―――シロは苛立ちを込めた声で応えた。

 

「オレは『弓兵(アーチャー)』ではないぞ―――『暗殺者(アサシン)』」

 

 ハサンの背後に、木々の上から音もなく降り立ったシロがその背に向けて声を掛ける。

 背後を取られたハサンだが、最初から分かっていたかのように何の気負いもなくゆっくりと振り返ると、頭を横へと傾けた。

 

「ああ、すまんな―――()()()()()()()()()()

「っ―――」

 

 からかうような、そんなハサンの声音に、シロは心のざわつきを表すかのように舌打ちを鳴らした。

 

「そう猛るな。そうして姿を表したということは、何か聞きたいことがあるのだろう?」

「それは―――」

 

 そう、あれだけ姿を現そうとしなかったシロが、こうして簡単に姿を表した理由。

 単純な話だ。

 戦うだけなら、殺すつもりだけならば、声も姿も見せる必要など何処にもないのだ。

 知覚外からの攻撃が、一番効果的なのは相手が英霊であっても変わらない。

 特に弓兵であるならば、尚更だ。

 事実、そのためにシロはこれまで姿を表していなかった。

 あの時―――ベル・クラネルの最後の一撃を迎撃せんとしたゴライアスの腕を吹き飛ばした一矢。

 あの時、あの瞬間運良くこの男―――シロは18階層に来たわけではない。

 この男は、それよりもずっと前に、既にこの階層にいた。

 それこそ、ベル・クラネルがここ(18階層)に来た時には、既に潜伏していた筈だった。

 それを、ハサンは知っていた。

 気付いていた。

 シロが、一撃でもってハサンを殺せるように、息を潜め狙っている事に、当に気付いていた。

 狩人のように、暗殺者のように、必殺の時をじっと待っていたことに。

 それは、あのゴライアスへの一射により破綻することになったが、それでもその姿を完全に捉えられた訳でもなし。自ら姿を晒すという愚挙を理由はなかった筈だ。

 そう、別に理由がない限り。

 

「なんだ?」

 

 口を開いたが、何かを言い切る前に自らその口を閉ざしたシロに、促すようにハサンは聞く。

 二人の間には十数M程の間しかない。

 二人にとって、そんな距離はないも当然である。

 一足一刀の間合いの空間に、奇妙な緊張が満ちていた。

 それは戦いの最中に満ちる、それとは似ているようで違う何かであった。

 

()()()()()()?」

 

 躊躇うように噛み締めていた口許を開いたシロが吐いたそれは、短い問い掛けであった。

 どうとでも取れるその言葉を、しかしハサンははぐらかす事なく受け止めた。

 

「ただの気まぐれよ」

「なに?」

 

 ふざけたつもりはない。

 少なくとも、ハサンは真面目に考え、嘘偽りのない自身の言葉で応えたが、受けたシロはそうは思わなかった。

 はっきりと苛立ちが混ざるその声に、ハサンは仮面の下の口許を歪める。

 それは相手に対してか、それとも自分に向けたものなのか、自身でもわからないまま口を開いた。

 

「そう、真実ただの気紛れでしかない。故に、貴様も気にするな」

「何を―――」

 

 シロの眉根が訝しげに歪む。

 それはどちらの言葉に対してのものだったのか、繰り返し口にされた言葉に対してか、それとも自分でも気付いてはいない心の内を言い当てられた事故か。

 

「舐めるなよ小僧。貴様の殺気が鈍っている事に気付かぬと思っているのか」

「―――っ!?」

 

 ハサンの言葉に、シロは息を飲む。

 言われて、初めて自覚した。

 確かにあった、硬い鋼のような決意にも似た殺意が、言われて初めて揺れるように鈍っていたことに。

 戸惑うように、自分の手を、身体を見下ろすシロに、ハサンはからかう言葉も様子も見せる事なく、淡々とした声で話を続ける。

 

「聞きたいことはそれだけか? それならば―――」

「なら、何故助けたっ」

 

 遮るように、シロの声が上がる。

 怒声ではない、苛立ち―――でもない。

 焦りを含んだ、懇願染みたその声と言葉に対し、ハサンは無言のまま。

 

「…………」

「一度ならば気紛れもあるだろう。だがっ、貴様は何度もベルを救った!?」

 

 そう、シロには理解できなかった―――わからなかった。

 何故、ハサン(アサシン)はベルを救ったのか。

 シロがハサンを見つけたのは、丁度17階層からベル達を連れてきた時であった。

 あの時の動揺は酷かった。

 ハサンの姿が、影のようなそれではなく、あの世界での姿のままであったことだけではない。ベルとその仲間達を連れていたこと、そして彼らを【ロキ・ファミリア】の野営地の前まで運んだこと。

 まるで、ベル達を救うかのような動きを見えていたことに。

 意味が、わからなかった。

 もしかしたら、一度だけならば、ハサンが口にしたように何か気紛れで助けた可能性も、なくはないのかもしれない。

 しかし、その後も、ハサンはベルを助け続けた。

 助言染みた事も告げていた。

 わからない。

 何故?

 意味が、わからなかった。  

 

「何故だっ!?」

「言った筈だ。気紛れだと」

 

 震え割れる程に大きく発せられたシロの声は、怒声というよりも、悲鳴のようにも聞こえた。

 小心の者ならば、耳を塞ぎ踞りかねない強さを持ったその声に対し、しかし向けられる当事者たるハサンの様子からは、何の痛痒も感じていないように見える。 

 

「気紛れで、救ったと? 貴様が―――貴様のような奴が―――」

「私の何を知っている」

 

 変わらない、淡々とした同じ返事に対し、シロは胸の奥から沸き上がる感情に任せるまま、弾劾するかのように声を上げるが、それはハサンによる問いにより急速に萎むことになる。

 

「っ―――それ、は……」

 

 言われ、戸惑うように口を何度も開けては閉じを繰り返した後、シロは口元を噛み締めると共に俯いた。

 

「……今の私には(マスター)はおらん。その行動全ては私の意思によって行われる。確かにこの身は穢われしものではあるが、それでも私は快楽で人殺すような畜生ではない」

「―――特に理由がないならば、殺す事はなく。気紛れでも理由があれば人を救うこともある、と」

 

 ハサンの言葉に、シロは顔を俯かせたまま呟くように受け取った言葉からの推測を口にする。

 自問自答のようなそれに対し、ハサンは一つ頭を縦に動かす。

 

「そうだ」

「……なら―――」

 

 顔を俯かせたままのシロは、数瞬の沈黙の後、肩を落とすような気配を出しつつ何かを口にしようとしたが、それを遮るようにハサンが口を開いた。

 

「―――見逃す、とでも言うつもりか」

「それ―――は……」

 

 その声は、明らかに苛立ちと侮蔑、そして怒りに満ちていた。

 激する炎のようなそれに、反射的に顔を上げたシロに向けて、変わらず闇に沈んだ影のような姿で、ただ一つ浮かび上がった白い髑髏の面の、その眼窩の奥から鋭い刃物のような視線が突きつけられる。

 

「馬鹿か貴様」

「な―――っ」

 

 呆れた、とでも言うような調子で、しかしその奥底に炎のように揺れる憤りにも似た怒りに満ちたその声と言葉に、シロは気圧されたかのように、一歩、無意識に後ろに足を動かしてしまう。

 

「貴様は知っている筈だ。私が―――いや、()()()()()()()()()()()()

「それ―――は……」

 

 生まれた瞬間は目にしてはいない。

 しかし、ナニから生まれたかは分かっていた。

 狂ってしまった精霊。

 侵され狂いに狂って壊れてしまった精霊の残骸()から生まれたモノ―――それが(ハサン)彼等(サーヴァント達)であった。

 

「あのような狂ったモノの肚から生まれた我らが、マトモなモノであると本当に信じているのか?」

「―――っ」

 

 その言葉に、シロは自身の心が想像以上に動揺している事を自覚した。

 理由は、何とはなくに察していた。

 何故なら、それは。

 何故なら、自分は―――。

 

「……それとも、ただ()()()()()()だけか?」

「貴様ッ!」

 

 己の中で、答えが形となる直前、ハサンの言葉がシロの胸を撃つ。

 反射的に激昂した声が上がったが、続く言葉が形となるよりも前に、ハサンが口を開く方が早かった。

 

「―――声が、時折聞こえる」

「なに……?」

 

 しかし、その口にした言葉の意味がわからず。シロの内から吹き上がった感情が、行き場を失うかのように急速に萎む中、ハサンの独白染みた言葉は続く。

 

「『壊せ』『殺せ』『閉じ込める全てを』―――そう、囁く声がな」

「それは―――まさか」

 

 続く言葉に、シロは何かを察した。

 彼等(サーヴァント達)が、一体どうして、どうやってこの世界に現界したのかはわからない。

 彼等がこの世界に現れた瞬間を、自分は目にしてはいないからだ。

 しかし、自分が切っ掛けとなった事は理解している。

 自分がアレに取り込まれた(喰われた)後に、彼等(サーヴァント達)が現れたからだ。

 そして、彼等(サーヴァント達)はその狂った精霊を元に、この世界に現界した。

 どのような行程を踏んで現れたのかはわからない。 

 自分の知る召喚と、どれだけ近いのか、それとも全く別のものなのかもわからない。

 しかし、ハサンの口ぶりからして、少なくとも何らかの影響を受けているのだろう。

 そしてそれは―――それの意味するところは―――。

 

「どうあれ()()から呼ばれた我らには、その影響がそれなりにあるのだろう。今は無視出来るが、これが何時まで続くのか、このままなのかもわからん。唐突に意思を奪われる可能性も否定は出来んしな」

「アサシン……」

 

 己の現状を赤裸々に語るハサンの姿に、シロは戸惑いを隠せなかった。

 動揺をさそうにしても、意味がわからなかったからだ。

 それを口にして、一体どのようなメリットがハサンにあるのかが、全く検討がつかない。

 メリットどころか、デメリットだけだ。

 そんな言葉を口にして、シロが黙って見過ごせる訳がないことぐらい、わからない程ハサンは愚かではない筈なのに。

 ―――何故?

 そんな事、まるで……。

 

「それを聞いても、貴様は私を放置できるか?」

「―――何故、それを言った」

 

 そんな事を口にすれば、自分が何をするのか―――どうするのかぐらい、直ぐにわかる筈だった。

 少なくとも、今、この場で口にする理由は全くなかった筈だ。

 これといった怪我はなくとも、あれだけの大物とやり合った直後だ。

 宝具も使用している。

 消耗は無視できる範囲を越えている筈―――なのに、何故?

 そんなの、まるで―――

 

「……」

「黙っていれば―――」

 

 知らず、シロは口を開いていた。

 聞いても、問いかけても応えてはくれないとわかっていながらも、口を開かずにはいられなかった。

 しかし、予想に反し、ハサンは言葉を返してきた。

 シロがその問いを言い切るよりも前に。

 淡々とした声で、変わらない答えを。

 

「―――気紛れよ」

「なっ―――馬鹿な……」

 

 気紛れ。

 気の迷い。

 気が、変わりやすいということ。

 その時々、時期や場所、状況によって気分や行動を変える様。

 ハサンに―――アサシンに―――暗殺者に―――最も遠い言葉だ。

 なのに―――

 

「そう、何もかもが気紛れでしかない……」

「アサシン、お前は……」

 

 淡々とした声に言葉。

 しかし、その奥に、何処か苦笑するような、そんな自分に向けた呆れにも似た感情を感じた気がしたシロは、それに対し何かを言おうと口を開いたが、結局形になることはなく力なく閉じられることになった。

 

「さて、ではやるとするか」

「…………」

 

 ふっ、とハサンの気配が変わった。

 僅かに感じられた気配が消えるように薄まりながらも、同時に戦意が沸き上がる。

 矛盾した、そんな感覚を感じさせる姿を前に、しかしシロの体は動かなかった。

 だらりと力なく両腕を垂れ下がらせる姿からは、何の戦意も感じられる事はない。

 

「構えないのか?」

「――――――」

 

 構えも見せない。

 ただ立ち尽くすようなそんなシロに向け、ハサンは黒く塗りつぶされた短剣(ダーク)を右手に持ち構えている。

 黒く塗りつぶされたその短剣(ダーク)の切っ先は、真っ直ぐにシロの心臓を狙っていた。

 しかし、それでもシロは構えない。

 殺気も戦意も見せる事なく。 

 何処か呆然と、自暴自棄にも見える姿で立つ尽くすシロを目にした、対するハサンは、その仮面の下で口元を厳しく引き締めていたが。

 

「ふっ―――」

 

 小さく吐息を吐くような笑いを漏らした。

 それは、嘲笑のそれではなく。

 何処か、迷い子を見た大人のような、そんな、不思議なそれであり。

 そして、それが幻のように消え去ると同時、ハサンは声を上げた。

 高らかに、あの時のように、見せつけるように、示すように。

 シロに向かって宣言した。 

 

「我が真名は【ハサン・サッバーハ】ッ!! 暗殺者(アサシン)教団教主『呪腕のハサン』なりッ!!」

 

 シロに短剣(ダーク)の切っ先を向けたまま、ハサンは声を高らかに名乗りを上げる。

 己が何であるのかを。

 世界に、相手に示すように。

 こんな事は、有り得ない事であった。

 あの時も、今も、こんな事を生前の己が知れば、一体何と罵倒されることになるのだろうかと、自分でも呆れながらも、しかしハサンは声を上げた。

 そして、問う。

 相手に、己が相対する者に対し。

 

「貴様は何だッ!?」

「っ―――おれ、は……」

 

 揺れている。

 シロの視線が、身体が、心が揺れている。

 自身が立つ大地が揺れているかのように、その上に立つ全てが揺れている。

 

「貴様は誰だッ!!?」

「お、れは―――俺はぁああああああああッ!!?」

 

 再度の問い。

 それに、シロは叫びで答えた。

 雄叫びではない。

 悲鳴染みた。

 己を鼓舞し、奮い立たせるためのそれではない。

 敵を否定し、己すら否定する。

 迷いを振り払うそれではなく、迷いから逃げるようなそれで。

 声を上げ。

 叫びを上げ。

 両の手に双剣を手に、ハサンへと向かって(逃げて)いく。

 

「―――ふ」

「―――ああああああああああああああああああああああああ」

 

 それを前に、双剣を手に迫るシロに、仮面の下で、何を思ったのか。自分でもわからないままに、浮かんできた感情を口元に浮かべ、ハサンも前へ出る。

 真っ直ぐに。

 愚直なまでに、ただ前に。

 あの、少年のように―――。

 あの―――英雄のように―――……。

 何の仕掛けも虚もなく。

 ただ、一突きに。

 短剣(ダーク)を前に。

 それは、確かに速かった。

 レベル5処かレベル6の冒険者であっても、避けることは難しい程の練磨の動き。

 しかし―――

 

 

 

 

 

「……アサシン―――オレは……」

 

 ―――歓声は、もう、聞こえてこない。

 ただ、時折吹く風が、木々を、草葉を揺らす音が響くだけ。

 未だ暗い闇に沈む森の奥であるそこで、二人の影が、互いに背中を向けて立っていた。 

 二人の間には、先程と同じぐらいの距離があり。

 違うのは、互いに背中を向けていること、そして二人の立つ位置。

 そして―――。

 

「―――我らは終わった存在だ」

 

 逆の立場。

 先程までハサンが立っていた位置。

 青い月光にも似た光すら届かない闇の中に立つシロへと向けて、滓かに明かりが落ちる。

 先程までシロが立っていた位置に立つハサンが、背中を向けたまま言葉を紡ぐ。

 

「っ」

 

 『終わった存在』―――それが何を意味しているのかは、シロは知っていた。

 そう、(ハサン)は―――彼等(サーヴァント)とは、もう終わってしまった存在。 

 

「肉を持ち、意思があったとしても、結局はただの影法師に過ぎん……」

「――――――」

 

 言葉を話し、肉を持ち触れ合えたとしても、互いに情を交わしあえたとしても、彼等彼女等は所詮は過去の―――もう消えてしまった存在。

 歴史の影。

 何時かの誰かの影法師でしかない。

 

「既に結末が描かれた―――物語から溢れた残滓……」

 

 喜劇か悲劇か、それともまた違う何かなのか。

 どうあれ、終わってしまった物語の登場人物でしかない。

 

「それが私だ―――それが我らだ―――」

「―――……」

 

 わかっている。

 そんな事は、わかりきっていた。

 だから、肯定も否定もしない。

 だまって、受け止めるだけ。

 そうだ―――。

 どれだけ似ていたとしても、同じだとしても、決して本物ではない彼等。

 それは、自分も―――

 

「―――だが、貴様は違う」

「ぇ?」

 

 溢れた声は、本当に何かを思ってのものではなかった。

 自然と、口から上がったそれは、疑問、ですらなく。

 意味が、わからなかった。

 言葉の真意が、わからなかった。

 どういう、意味なのか。

 本当に。

 だから、それは疑問でも、戸惑いでもなく。

 

「貴様の『物語』は……未だ終わってはいない」

「―――っ」

 

 その声は、何処か笑っているような。

 呆れたものを、見るかのような、そんな苦い笑いで。

 しかし、忠告染みたその言葉は、何処か、優しげでもあり。

 

「我らとは違う……」

「ハサ―――」

「―――いけ……」

 

 咄嗟に上げかけた言葉に続くのは、一体どんなものだったのか。

 しかし、それもやはり形にはならなかった。

 遮るように、告げられた言葉。

 

「っ―――……」

 

 その声は、既に力はなく。

 しかし、その声に、シロは抗う事は出来なかった。

 瞬時の躊躇の後、結局シロは無言のまま、そのまま前へと進む。

 闇に沈んだ、森の奥へ。

 振り返らず。

 消えていった。

 

「―――全く……私は本当に何を、して……いるのか……」

 

 気配が、消えた。

 この場から、立ち去ったのだろう。

 もう、振り返って確認する力もなかった。

 力、が、抜けていた。

 命が、魔力が消えていく。

 (消滅)が、間近に迫っていた。

 恐怖は、ない。

 怒りも、ない。

 不満も、ない。

 後悔も、ない。

 全力だった。

 単純な、真っ直ぐに前へ。

 ただ、それだけ。

 何の仕掛けも技もない。

 愚直なまでのそれ。

 自殺紛いな行動だ。

 普段ならば、考えられない。

 全く、何を考えていたのやら。

 何も、考えていなかったのか……。

 本来の戦い方で望めば、それなりの勝機はあっただろう。

 今の自分ならば、それだけの力はあった。

 しかし、そんな事をする理由も、必要も己にはなかった。

 その結果が、これ。

 一刀で右腕を切断され、二刀で(霊核)を斬られた。 

 

「―――軽い、な」

 

 斬られた右腕、その二の腕と肩の間。

 切断された右腕は、森の向こうに落ち、形を保てず既に消え去っている。 

 故に、己の右腕は既にない。

 右腕一つ。

 ああ、しかし、元々そこに私の右腕はなかった。

 自ら切断し、そこへ魔神の腕を取り付けたのだ。

 力が、才能がないからと、自らの身体を改造して。

 何時―――からだろうか。

 右腕が、重いと感じたのは。

 何時―――からだろうか、そんな事を感じなくなったのは。

 魔神の腕を奪い。

 それも自らの右腕に繋ぎ。

 そうまでして得た、辿り着いた頂き(ハサン・サッバーハ)に、しかし私は絶望した。

 村を捨て。

 恋しい女を捨て。

 己の顔を捨て。 

 遂には名すら捨ててまで得た頂き(ハサン・サッバーハ)に、私は絶望した。

 何者でもない。

 誰でもない何者かに。

 しかし、何故、私はそんなものを目指そうとしたのか。 

 『山の翁』の名を求めたのか……。

 

「け、きょく……なぜ、わた……しは……」

 

 声すら、もう上手く出せない。

 意識も、次第に薄らいでいく。

 そんな中、思うのは、何故、私は『山の翁』の名に手を伸ばした理由。

 その切っ掛け。

 原因。

 要因。

 私は、己を偉大な者―――優れた者として名を残したかった。

 しかし、それは、何故?

 全てを捨ててまで、そうまで望んだのは―――。

 浮かぶ、情景。

 それは、遠い、遠い過去。

 己が生きた―――世界。

 砂と、乾いた風が吹きすさぶ厳しい大地。

 そして、そこに生きる民と。

 信仰する神の教え。

 それらを、私は守りたかった。

 だから―――私は―――……

  

「―――ぁ」

 

 天を仰ぎ見る。

 白い髑髏の面の奥。

 虚ろの眼窩の下の目が、微かに光を捉えた。

 それは、この広い18階層を照らす、巨大な白水晶が甦ってきていることであり。

 少しずつ、強くなる光。

 白い、光。

 そこに、下から上っていく、黄金の光の粒が混じり。

 影が、見えた。

 二つの、影。

 私が、私であると思い出した時に、見たのに似ている。

 初めてあの、鐘の音が聞こえてきた時に見た、二つの影。

 しかし、一つ違うのは、大きな方の影が、前よりも大きく。

 明らかに女の形ではなく。

 大人の、それもかなり背の高い男の影に見える。

 その男の影は、欠けていた。

 右腕だ。

 その男の影には、右腕がなかった。

 男の影は、残った左手で何かを持って歩いている。

 その後ろを、前と同じ。

 小さな子供の影が歩いている。

 その小さな頭は、小さく男が持つ荷物とそれを持つ男の手を何度も見返している。

 何を、考えているのか、はた目から見れば明らかだ。

 男の影は、気付いていないのか。

 それとも、気づいていて無視しているのか。

 思わず、届かないと分かっていながらも、声を上げそうになった瞬間、子供の影が動いた。

 男の持つ荷物を奪い、代わりに自身の右手で空いた掌を掴んだ。

 そして、そのまま引っ張っていく。

 恥ずかしさを誤魔化すように、走り出す。

 それに引かれ、男の足が早まる。

 それを、見て、何故か、視界が歪んだ。

 身体の形すら保てなくなったのか、そう思ったが、違った。

 違うと、わかった。

 揺れる視界。

 滲む世界。

 熱い。

 目が、熱い。

 これは、有り得ない。

 こんなことは、有り得ない。

 当の昔に枯れ果てたものが、甦る事がないことを、知っている。

 では、これは?

 これは、なんだ?

 この、熱いものは。

 歪む視界が示すものは。

 一体、私は何を見ているのか。

 私は、何故、こんなものを見ているのか、わからない。

 ああ―――これは、有り得たかもしれない、世界なのかもしれない。

 私が―――(ハサン)ではなかったのならば、有り得たかもしれない世界。

 しかし、こんなものは有り得なかった。

 もう、私は選んでしまった。

 もう、私は終わってしまった。

 私の物語は、終わってしまっていた。

 

 何故、私は『山の翁』を目指したのだろう?

 

 動かぬ身体。

 天を仰ぎ見る形で、ぴくりとも動けない。

 そのまま天から降りてくる光と、下から上る黄金が交わる光を見つめる中で、何かが、見えた。

 歩く大人の男と、子供の二つの影。

 その向こう。

 光の向こう。

 光の始まりに、それが、見えた。

 少女だ。 

 少女が、隣にいる少年に何か話しをしている。

 ああ―――父親から寝物語に話された物語を、少年に伝えているのだろう。

 それは、とある英雄の物語。

 偉大な、一人の男の物語。

 それを、満面の笑みで、楽しげに話している。

 憧れの顔で、嬉しげに、楽しげに。

 

『―――ねっ、だからすっごく格好いいんだよっ!!』

 

 その、あまりにも楽しげで、嬉しげで、憧れを溢れさせてその物語の英雄を語る少女を見て、少年は何と言ったのか。

 何を思ったのか、そんな事は――――――……ああ、良く知っている。

 思わず、笑ってしまう。

 あの少年を、全く笑えない。

 まあ、しかしそういうものだろう。

 男が、英雄を志す理由なんて、大抵がそんなものだ。

 笑ってしまうほど、単純な者でしかない。

 例えば、そう、好きな幼馴染みの少女に、振り向いて欲しい―――そんな、単純で、馬鹿なもので……。

 もう、何も考えられない。

 消えていく。

 身体が。

 意識が。

 ゆらゆらと。

 薄くなっていく。

 ―――ぁぁ、そういえば、あの小僧は、少し、似ていたのかもしれない。

 顔立ちとか、そんなものじゃない。 

 性別すら違うのだ。

 性格すら似てはいない。

 ―――……ただ、あの真っ直ぐな瞳だけは、何処か、似ているのかもしれない。

 もう、何もかも思い出せない。

 あの子に―――

 彼女に―――

 ふと、()()()()()()()()()()()()()()()……。

 そっと、労るような、そんな優しさを感じられるほどの力で。

 動かない筈の、顔が動く。

 意識すらなく、知らず動く身体。

 曖昧だ。

 何もかも、曖昧。

 目も、もう見えない。

 光が、満ちている。

 透明なヴェールが揺れて隠されている。

 白いような、黄金のような。

 光が満ちる中。

 女が、横にいた。

 ()の隣に立って、右腕を掴んで見上げている。

 誰、だ?

 わからない?

 いや、良く、見えない。

 ぼやけて、よく、見えない。

 ただ、真っ直ぐにこちらを見る瞳には、何処か、見覚えが……。    

 

『―――ハナム』

 

 鈴の音のように、美しい声が、俺の耳を震わせる。

 ()()()―――。

 それは私の―――俺の―――……。

 

 ああ、こんなものは有り得ない。

 

 しかし、これは幻覚にしては、はっきりとしていて。

 

 しかし、妄想にしては、余りにも優しすぎて。

 

 だから、きっと―――これは―――……

 

 何もかもを削って、捨てて、失って……。

 

 人を捨て、誰でもない何かに落ちてしまった。

 

 終わってしまった物語の登場人物が、本が閉じられる間際に見る。

 

 そう、それは―――

 

 

 

『―――とっても、格好良かったですよ……』

 

 

 

 ――――――魔人が 見た  夢  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月の下、開く花があった。

 

 太陽の下。

 

 日向に咲くのではなく。

 

 誰にも見られない。

 

 月光の下で咲く花が。

 

 花は、自らの美しさを伝えるが、咲く姿を見ていないものは決して信じなかった。

 

 どれだけ花が、声高に叫んでも、信じられることはなく、無視され続けた。

 

 何時しか、花は諦念の中にいた。

 

 それでも、夜、月光の下で、花は咲き続けた。

 

 そんな、ある日。

 

 花に、声を掛けてきたものがいた。

 

 遠い、遠い彼方。

 

 空の向こう。

 

 月よりも更に遠い向こうに浮かぶ。

 

 小さな石ころ。

 

 輝くことも出来ず、無限の空に浮かんだ小さな石ころ。

 

 それが、花に話しかけた。

 

 『ああ、あなたはとても綺麗だ』―――と…………

 

 

 

 

 

 たとえ全てを忘れても

 

 第二部 外典 聖杯戦争編

 第三章 瞬激の■■■

 プロローグ 男には酒を、女には華を

 

 

 

 




 感想ご指摘お待ちしています。
 これにて二部二章は終了となります。
 次回は三章となりますが、順調にいけば来週には投稿できると思います。

 ハサンの強さ

 もしも誰々と戦ったとしたら?
 私の脳内設定としては、このハサンがオッタルと正面から戦ったとしたら、その勝率は2割り程度。しかし、暗殺としてオッタルを狙ったとしたら、ほぼ10割りの確率でハサンの勝利となります。
 攻撃するまで気配を感じさせない。防御力無視の攻撃とかチート過ぎます。
 なので、他にアイズやフィンとかと戦っても、真正面からはその勝率は半分程度ですが、暗殺ならば全員ほぼ10割りで暗殺成功となります。
 それどころか、【ファミリア】全員を狙ったとしても成し遂げかねないと考えています。
 身体能力は総合的にレベル6の中位。
 しかし、宝具を含んだ能力の全てで暗殺を行うとしたら、レベルとして8以上。
 そんな感じて考えていました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。