たとえ全てを忘れても 作:五朗
夜の帳が降り。満点の星空が広がるその下で、負けじと光を放つ一角があった。
そこでは、今回【アポロン・ファミリア】が『神の宴』のためにギルドから借りた、宮殿かと見間違う程に広く、綺羅日やかな会場であった。
日が落ちる頃から、次々に途切れることなく現れる馬車から降り立つ着飾った神々と、その眷族達。
本日開かれる『神の宴』は、毎月のように行われる『宴』とは少し違い、ちょっとばかりの趣向がこうじられていた。
それは、今回の『宴』において、神は一人までであるが、眷族を含む誰か一人を、パートナーとして連れてくること―――であった。
今回のその趣向に対し、神々は笑みと共に応じたが、そのパートナーに選ばれた彼ら彼女らの心境は様々であった。
この
その中の一つに、
「ベル君、何をそんなに固くなっているんだい?」
「え、いやだって、仕方ないじゃないですか神様」
『神の宴』への参加だけでも緊張と興奮が凄いと言うのに、それに加えて他にも心配事があるのだ。
つい先日の事なのである。今回の『神の宴』を企画したファミリアである【アポロン・ファミリア】と揉め事を起こしてしまったのは。
その直後における『神の宴』の招待である。
怪しむなという方が、無理な話である。
だと言うのに。
「まぁ……気持ちは分かるけど、今回のような機会はそうそうないからね。せっかくだし楽しまなきゃ損だよ」
「そ、そう言われても……」
「ほらほら、立ち止まったりしないで行くよ」
兎が周囲を警戒するように、立ち止まってきょろきょろと辺りを見回していたベルの手を掴んだヘスティアは、勢いよくその手を引くと会場へと足を向けた。
しかし、直ぐに思い出したように立ち止まり、顔だけを先程自分達が降りた馬車へと向けて声を上げた。
「ほら、ミアハもさっさと行くよ。ああ、ちゃんとエスコートを忘れずに、ね」
「ああ、分かっているともヘスティア。さあ、手を―――」
「い、いえ、その―――だ、大丈夫ですからミアハ様……」
ヘスティアの声に応じて、正装を着たミアハに促され、赤を基調とした長い袖のドレスを着た犬人のナァーザが姿を現した。そのドレスの色にも負けない赤で頬を染め上げながら、ミアハに手を引かれるナァーザを確認すると、ヘスティアはそのままベルの手を引きながら歩き始めた。
そして迷子の幼子のように、不安げな顔を浮かべたベルの手を引き、ヘスティアは堂々と会場へと乗り込んでいく。宮殿の如く豪華絢爛な外観と同じく、その内部もまた綺羅美やかこの上なかった。神を模したと思われる彫像や、金銀に飾られた柱の数々。窓の向こうには、見慣れたオラリオの夜の姿が見えるけれど、何時も聞こえる喧騒は遠く、同じ
ぽかん、と口を半開きにしたまま、夢心地のように何処かふわふわとした足取りの中、ベルがヘスティアに手を引かれ、会場の中を進んでいると、横から声をかけてくる者がいた。
「あら、ヘスティアじゃない。貴女も来たのね」
「ヘファイストス!」
声をかけてきた者がヘファイストスだと知り、喜色の声を上げたヘスティアが笑みを返しながらベルの手を引くのとは違う手を、挨拶をするかのように左右に振る。
「随分とめかし込んでいるけど大丈夫なの?」
「え? 何が?」
「ペナルティよ。結構きつかったんじゃないの?」
声を潜めながら、ヘファイストスがヘスティアの耳に口を近付けて心配げに問いかけてくる。
それに対し、少し答えに窮するように口ごもったヘスティアだったが、ある意味ではヘファイストスも関係者でもあると思い直す。今の問いかけもそうであるし、ヘルメスや前回のダンジョンでの一件についての情報もある程度は把握しているのだろう。
あの一件での罰則は、【ファミリア】の資産の半分の没収。借金は増えてはいないが、きついのはきつい。
元々少なかった資金が半分になった上に、今回の『神の宴』には、これまで色々と世話になった礼として、ミアハとナァーザの服や馬車のレンタル代はヘスティアが支払っている。
そのお陰で更に懐の事情は大分酷いものとなっている。
しかし、
「まあ、なんとかなっているさ」
「……そう、ならいいわ」
ヘスティアはそんな負担を顔に出すことなく、ヘファイストスに笑みを返す。
「ところで、そっちの連れは誰にしたんだい?」
「ん? ああ、ちょっと最近調子が悪そうだったから、気分転換になればと思って連れてきたんだけど……目を離した隙に逃げられてしまったのよ。ま、ほっといても時期に戻ってくると思うけど」
そう口にする口許に苦笑いを浮かべ、頭を掻くヘファイストス。と、その横から姿を現した男神が声をかけてきた。
「やあヘスティア」
「―――ヘルメス」
何時ものように、にやけ顔を浮かべながら姿を現したヘルメスに返事を返したヘスティアの声には、じとりとした嫌気が混じっていた。
「俺もいるぞヘスティア」
「タケ!」
ヘルメスの背中からひょいと姿を現したタケミカヅチの姿に、ヘスティアはヘファイストスの時と同じ親しげな笑顔で出迎えた。
ドレスや燕尾服で着飾った他の神やけん族と違い、タケミカヅチは異国の正装であろう紋付き袴でそこに立っていた。そして、その背には、ドレスで着飾り、丸出しになった肩が艶かしい姿のタケミカヅチの【ファミリア】の一人であり、今回の宴のパートナーでもある命の姿があった。
彼女は普段の凛々しさは鳴りを潜め、もじもじと身体をゆらしながらタケミカヅチの後ろで、真っ赤に染め上げた顔を俯かせている。
乙女なその姿に、微笑ましげにヘスティアは目を細めると、タケミカヅチの後ろの隠れるように立つ命の傍まで忍び寄るように歩み寄った。
「やあ命君。今日はまた一段と可愛らしいね」
「かっ―――かわいっ?!」
ぽんっ、という音が聞こえるほどに、勢いよく更に顔を赤く染め上げる命に、ヘスティアは「あはは」と笑い声を上げながら、傍に立つタケミカヅチの脇腹に肘を軽く押し当てた。
「タケはしっかり見ておきなよ。目を離した隙に何処かへ連れ去られかねないからね」
「ああ、気を付けよう」
「タケミカヅチ様っ!?」
生真面目な顔をして、ヘスティアの忠告に頷くタケミカヅチに、命が悲鳴染みた声を上げる、と。顔を上げたタケミカヅチのその顔に浮かぶ笑みに、からかわれたと気付いた命が反射的にその頬を膨らませてしまう。
「そうそう、こんなに可愛ければ色んな奴に狙われてしまうからね。しかも、こんなに隙だらけだと―――ってて?!」
「ヘルメス様……」
からかわれ、むくれる命に近付いたヘルメスが、そっと命に手を伸ばそうとするが、その直前、音もなくそんな
「何時もヘルメスのお守りお疲れさま」
「いえ、こちらこそ。何時もご迷惑をお掛けしてしまって」
疲れた顔を浮かべるアスフィに、ヘスティアが苦笑いを向ける。
今宵の
眼鏡の奥の知的な眼差しは、ここまで来るのに何かあったのか、肉体的なのか精神的なものかは分からないが、疲労により何処と無く草臥れている。
その何処か弱々しく見える姿は、儚さにも通じ、何時もの知的で颯爽とした格好良さとはまた違った魅力を感じさせた。
「はっはっは―――失礼だなヘスティア。まるでオレがアスフィに何時も迷惑をかけているようではないか」
「はぁ……どの顔でそんな事を口にするんだ君は……」
快活に笑うヘルメスに、ヘスティアは非難がましい眼差しを向ける。しかし、それも長い時間は続かず、最後は呆れたようなため息と共に言葉を呟くヘスティアの耳に、会場の入り口からさざ波のように、動揺と興奮が入り交じった声が届いた。
「ん? どうしたんだい?」
「ああ―――これは珍しい」
声が聞こえた方向に反射的に顔を向けたヘスティアだったが、身長が低いこともあり、何やらざわめきの中心に集う者達が壁となって、視界が塞がれ何もわからないでいた。
しかし、同じ方向に視線を向けていたヘルメスの目には、身長が高い分、何かが見えたのか。その細い目を軽く驚きに見開いていた。
「何があったんだい?」
「あった―――じゃなくて、来た、といった所だな。珍しいことに彼女が来ているようだ」
「げ―――まさか」
「神様?」
ヘルメスの何時もの3割り増しににやけた笑みと共に返された言葉に、ヘスティアの焦りを含んだ呟きがこぼれる。
その様子に、訝しげに首を傾げたベルに、慌てて向き直ったヘスティアは、直ぐにその両手を伸ばした。狙い違わず、ヘスティアの両手はベルの両頬を挟み込むと、無理矢理騒ぎが聞こえてくる方向とは別の方へと変更させる。
「いっ―――たたた、ちょ、え? 神様!?」
「駄目だベル君!? 向こうを見ては―――目を合わせてはいけないよっ! 見つかってしまえば、君みたいな子はパクリと一口で食べられてしまうっ!?」
「モンスターか何かでもいるんですかっ!?」
「―――ある意味そうとも言えるかもしれない……」
「あら、酷い言いようねヘスティア」
「っ!!? ……だけど、君は否定できるのかい?」
いつの間にか、ヘスティアの背後にいた美しい女神が、輝かんばかりの完璧な笑みを浮かべ立っていた。その背後には、影のように控える2Mを越える猪人の冒険者にして、この都市最強と唄われる男であるオッタルが無言で控えていた。
錆び付いたブリキの人形のように、音が出るようなぎこちない動きで背後を振り返ったヘスティアは、そこに予想通りの姿を目にし、一瞬驚きの顔を見せたが、直ぐにばつの悪そうな顔へと変えると、むくれながらも返事をした。
それに言葉による返事ではなく、笑顔による返答をする美の女神たるフレイヤは、ヘスティアから視線を外すと、その周囲に立つミアハやヘルメス達に向かって笑みと挨拶を向けた。美の女神による笑みにより、同輩の神であるタケミカヅチ達が照れながらも返事を返すと、それぞれの同伴者達から脇腹や足元へと痛みを与えられた。
それを尻目に再度フレイヤの視線を向けられる事に対し、ヘスティアは自身の眷族を守るように立ち、腕を組んだ。
「―――その子があなたの眷族なのね」
「そうだよ。可愛いボクの家族だ。だからそんな目で見ないでくれよ」
「あら? そんな目って、どんな目かしら?」
捕食者から我が子を守る母の如く立ち塞がるヘスティアに対し、フレイヤは頬に手を添えて小首を傾げて見せる。
「そんなつもりはないのだけれど、ねぇあなたはどう思うかしら?」
「え―――ぼ、僕ですか?」
「こらっ! ベル君は答えなくていいっ!?」
ヘスティアを無視して、その背後へと誘うような視線を向けてくるフレイヤに対し、ベルが真っ赤に顔を染め上げながらしどろもどろに戸惑って見せる。
「あら、いいじゃないヘスティア。噂のあなたの子と少しぐらい話をさせてくれたって」
「―――ほなら、うちも少し聞きたいことがあるんやけど。参加させてもらおかな、なぁどチビ」
「―――なっ……ロキ」
「―――あら?」
ヘスティアとフレイヤの間に唐突に声と姿を挟んできたのは、男装の装いを身に付けた【ロキ・ファミリア】の主神であるロキであった。
常に浮かべたにやにやとした笑みを張り付けながら、その細めた目の奥に隠された瞳に、剣呑な火を灯しながら、ロキは周囲を見渡した。
「―――?」
いつもと変わらないように見えるロキの姿に、しかしヘスティアは何か違和感を感じていた。
違和感―――と言うべきだろうか?
いつもと変わらない、周囲を煙に巻くような憎たらしいにやけ顔。しかし、そこに何時も感じられる余裕は感じられず、代わりに焦りや怒りといったものを感じられた気がした。
「……ふぅん、やっぱ連れとんのはそっちの方かいな」
「どういう意味だい?」
ベルを一瞥したロキが、舌打ちと共に吐き出した言葉にヘスティアが眉根をひそめた。
「もう一人の方は何処にいるんや。死んだっちゅう話はあるけど……どうなんや」
「……ああ、シロくんは生きているよ」
からかうような様子はなく、静かに問いかけるロキではあるが、その声の底に感じられる気配は飛びかかる寸前の狼を思わせた。そのロキの様子に、ヘスティアは戸惑いながらも、その問いに答えた。
隠すような事でもないと、堂々と胸を張って答えるヘスティアに、ロキではなくその背後に控えるように立つ者が、その答えに反応した。
「っ―――それは、本当に?」
「君は―――」
「あっ―――アイズさん……」
ロキの後ろから身を乗り出すようにして声を上げたのは、お姫様のように着飾ったアイズ・ヴァレンシュタインであった。薄緑色を基調としたそのドレスは、胸元と背中が大きく開いており、大人となる前の少女の青々しさと艶かしさを合わせた奇跡的な色気を周囲に広げている。当の本人はそんな事に気付いた様子もなく、何時もの人形のような美しい顔に何の感情を浮かべてはいなかったが、何処と無く身に纏う雰囲気は暗いというか、落ち込んでいるようにも見えた。普段とは違う、影のある様子ではあるが、それはそれとして何時もとはまた違った魅力を感じさせるのは、その類い希な美貌によるものか。アイズは自身の美貌を気にすることなく、すがるような視線をヘスティアへと向けていた。
「……ああ、本当だよ。何処にいるかはわからないけど。でも、シロ君は生きてる。それはボクが保証するよ」
「そう、ですか」
生きているという言葉に、落ち込んだ、沈んだ雰囲気を漂わせていたアイズから、歓声染みた声が上がるが、続くヘスティアの言葉に、力なく項垂れる事へとなる。
そんなアイズの姿を横目に見ていたロキは、小さく舌打ちを一つすると頭を振った。
「ちっ―――あんま期待してはなかったんやけど。やっぱり無駄足やったか」
「なんだい? 君も何かシロ君に用があったのかい?」
疑問に、ではなく警戒するような声を目線をロキに向けるヘスティア。目尻を上げて睨んでくるヘスティアの視線を、片手で払いながらロキはその口許を忌々しげに歪める。
「用っちゅうか、聞きたいことやな」
「聞きたいこと?」
「あら? それは私も興味あるわね。一体あなたがアレに何を聞きたいのかしら?」
ロキの言葉に首を傾げるヘスティアの横で、フレイヤが好奇心に満ちた声を上げる。その背後では、ヘファイストスやヘルメス達やその眷族達も興味津々な視線を向けていた。
それらの視線に晒されるロキは、一旦口を閉じると何かを思い直したのか、じろりと自分へと視線を向けるやからを睨み付けながらその言葉を口にした。
「―――『ランサー』」
「ん?」
「へぇ……」
ロキがその言葉を口にした時、反応は大きく二つに別れた。
全く何もわからないといった様子の者と、興味を引かれるといった様子の者の二つに。
「そう呼ばれとう男について、何か知ってないか?」
「『ランサー』―――槍兵かい? それは二つ名? それとも」
ヘスティアが口許に手を当てながら考え込む。
単純にその言葉を聞くだけならば、槍を使う者が思い浮かぶが、この冒険者が犇めく
有名な槍使いと言えば、当の本神の眷族であり団長でもある者がその一人である。
「さあ? それも知りたいんやけどな。本名か通り名か。それとも他の何かなんか」
「他に何か特徴とかはないのかしら? 呼び名だけじゃ流石にわからないわよ」
ロキの言葉に興味を引かれる様子を見せたフレイヤも、その探し人? 自身はわからないのか、他の手掛かりを求める。
それに対し、ロキは腕を組むと少し視線を中空に浮かべ、何やら思い出す仕草を見せた。
「……『ランサー』と言うだけあって2Mはあるだろう赤い槍を使う男や。ほんで身長も180Cぐらいで、それに奇妙な青い服を着とったってな」
「流石にそれだけじゃ、ね。でもあなたがそこまで気にするのなら、何処かで噂でも耳にするはずだけど、聞いたことはないわね」
「……さよか」
「ボクもさっぱりだね。で、何でそんな男を探しているんだい?」
ロキが口にしたのは、一度目にすれば少しは記憶に残るだろうものではあるが、それ以上に奇抜な格好をしている者などこの都市には唸るほどいる。中には下着一丁で戦う男達もいるほどだ。そんな輩に慣れた目では、数日どころか一日も経てば記憶から消えてしまうだろう。
しかし、問題はそんな所ではない。
その思いはヘスティア以外にもあるのか、その投げ掛けた単純な質問に、その場にいる者達の視線と意識が向けられた。
「―――」
「な、何だよ。本当に知らないぞボクは」
投げ掛けられた質問に、ロキは暫しヘスティアをじっと見つめていたが、返ってきた反応にため息と共に肩を落とし、小さく頭を左右に振った。
「……みたいやな。なに、少しばかりうちのもんが世話になったようやからな」
「世話に?」
「あら、それは……」
ロキのその言葉に含まれた意味と、声に潜んだ隠しきれない苛立ちや怒りを感じ、警戒するように目を細めたフレイヤが口を開こうとするが、それを制するように声が挟まれた。
「なぁフレイヤ」
「―――何かしらロキ?」
先を制されるようになったフレイヤが、若干の不機嫌さを言葉に乗せて応えると、ロキは周囲を軽く見回した後に口を開いた。
「今日は来てないようやけど、あんたはイシュタルの奴とトラブっとったな」
「あっちが勝手に突っかかってくるのよ。こちらとしてはいい迷惑だわ」
「そんなんどっちでも良いわ。で、最近はどないや?」
ため息をつきながら首を振るフレイヤに、ロキが探るような目を向ける。それに対し、フレイヤは浮かべた微笑を崩すことなく小さく小首を傾げて見せた。
「どうって?」
「あん女の様子や」
「何であなたがそんな事を気にするのかしら?」
すっ、とフレイヤの目が細まる。
何者をも見通すような奥底が見えない深い瞳が、ロキの糸のように細めた瞳の奥から真意を探り取ろうとする。
数秒ほどの睨み合いに似た探り合いの後、頭を振ったロキが体ごとフレイヤから視線を外した。
「……もうええわ」
「聞くだけ聞いて何も教えないつもりかい」
未練を見せるようにチラチラとヘスティアとベルに視線を向けるアイズを背に連れ、その場から立ち去ろうとするロキの背に、からかうような口調でありながら、何処と無く真剣みが感じられるヘルメスの声が向けられる。
その声に何か思うところがあったのか、離れようとする足を止めたロキは、そのまま振り返る事なく、背を向けたままその場にいる者達に対し忠告を口にした。
「―――最近の
「ロキ?」
「ドチビのとこの白い少年の事もそうやけどな。いや、そいつはまだましやな」
何時もの人を食ったような口調やからかう様子も見せず、剣呑とも違う、しかし物騒な雰囲気を纏いながら、ロキはちらりと横目でフレイヤの背にそびえるように立つオッタルに目を向ける。
「明らかに異常な
忠告とも脅しとも言える言葉を告げた後、ロキはそのままアイズを連れ会場へと姿を消していった。
その様子からして、どうやら何か目的があって今回の『神の宴』に参加したようではあるが、その目的とやらが達成できなかったのか、それともいなかったのか。その様子から、もしかしたらもう帰ってしまう可能性すら考えられた。
「そうらしいわよオッタル?」
「―――例え何が相手であろうと、立ち塞がるのならば全て灰塵に帰すまでです」
ロキの姿が見えなくなると、フレイヤが背後に控えるオッタルに口元に浮かべた笑みと共に問いかけると、その
その答えに、フレイヤは満足するように浮かべた笑みを深くする。
「頼もしいわね」
「―――流石は都市最強の冒険者といった言葉であるな」
フレイヤの言葉に同意するかのように、聞き覚えのない男神の声が響いた。
咄嗟にその声が聞こえた方向に顔を向ける面々は、その声の主を目にした瞬間様々な表情を浮かべたが、最も顕著であったのはヘスティアであった。
まるで苦虫を何十匹も口の中に放り込まれたかのような苦い顔を浮かべると同時、その口からヒキガエルのような呻き声を漏らした。
「げっ!?」
「ああ、ヘスティア。女神がそのような声を上げるのはいただけないぞ」
「アポロン……」
両手を広げ、大袈裟に顔を左右に振って芝居染みた姿で嘆きを示して現れたのは、美しい男神であった。背は高く、筋骨隆々ではないが、バランスの取れた均整のある体つき。日の光を凝縮させたような目映い黄金の髪に、緑葉を備えた月桂樹の冠を乗せ。その金を線にしたような豪奢な髪にも負けない、美しい容貌を快活な笑みで形作った男神が誰であるのかは、ヘスティアの苦い声により伝えられた。
「こうして言葉を交わすのは久しぶりだな。嬉しいよヘスティア」
「ボクとしては、二度と口を聞きたくも会いたくもなかったけどね」
片手を胸に当てながら、にこやかに口にするアポロンに対し、ヘスティアは真逆の表情を浮かべ吐き捨てるように言葉を告げる。
それに対し、アポロンは増々その浮かべた笑みを強くすると、その背に立つベルに視線を向けた。
何処か湿ったような、じとりとした視線を受け、ベルの身体が無意識に怯えるように震える。
「ふふ……そうそう、先日は私の【ファミリア】の子が君のところの子に世話になったようだね」
「それはお互い様だろ。ベル君も君たちの所の団長にやられたって聞いたけどね」
怯えるように震えるベルの姿に、何かを味わうようにペロリと赤い舌で唇を舐めたアポロンが、視線をその前に立つヘスティアに向けると何気ない様子で先日に起きた揉め事について口にした。
それに対し、ヘスティアの視線がアポロンの周囲に向けられるが、お気に入りと聞く団長のヒュアキントス処か、【アポロン・ファミリア】の団員が誰一人も連れてはいなかった。
「ああ、確かに。しかし、だからといって
「はあ? 闇討ち?」
髪をかき上げるように片手で顔を覆ったアポロンが、大袈裟に周囲に聞こえるように口にした物騒なその言葉に、ざわりとした声が上がった。
全く身に覚えがない、理不尽な言いがかりに、ヘスティアが怒りが滲んだ声を上げる。
「ああそうだ。私の可愛いルアンが、あの後君のファミリアの子に闇討ちを受けてしまったんだ。ほら、おいでルアン」
「っっ、いてぇ、いてぇよぉ」
怒声混じりのヘスティアの声に、しかしアポロンは何の動揺を見せる事はなく。騒ぎを聞き付け集まり始めた群衆の中から、一人の男を招き寄せた。
集まり始めた群衆の中から、包帯で全身を覆った背丈の小さな男が転がるように姿を現した。びっこを引きながら現れた男の姿に、ヘスティアが息を飲む。
「な―――」
「ほら、酷い様だろう」
悲しみを堪えるように両手で胸を押さえ睨み付けてくるアポロンの目が、笑っている事にその視線を受けるヘスティアは気付いていた。
その姿から、何かを狙っていると気付くも、その狙いがヘスティアには分からなかった。しかし、嫌な予感はどんどんと強くなっているのは感じていた。
それを振り払うように、ヘスティアが強気の口調で声を上げる。
少なくとも、自身の眷族たるベルは、闇討ちをするような少年でないことは断言できた。
「っ、ベル君がそんな事をするはずがないだろっ!?」
「そっ、そうですっ! 身に覚えなんて全くありませんっ! 完全に誤解ですっ! 言いがかりですっ!」
身に覚えのない罪に、ベルもヘスティアと声を合わせ抗議の声を上げる。
ヘスティア達の背後では、タケミカヅチ達等も、非難の眼差しで言い掛かりを口にするアポロン攻め立てていた。
しかし、ヘスティアやミアハ達からの攻め立てる声や眼差しを受けるアポロンは、余裕の笑みを欠片も崩すことはなく。ヘスティアの非難の声が一瞬収まるのを見計らうと、そっと、毒を塗った刃を差し込むように口を挟んだ。
「―――いや、言いがかりではないよ。それに闇討ちをしたのは君じゃないよベルくぅん」
「え?」
どろりとした視線と声で舐め上げるかのようにベルに言葉を放ったアポロンに、背筋を震わせながらも疑問の声を上げたベルの前で、ヘスティアの目が見開かれた。
アポロンが何を口にするつもりなのか気付いたヘスティアが、噛みつかんばかりにその顔を怒りに歪めるのを、満足げな笑みを浮かべたアポロンが口を開く。
「もう一人いるじゃないか、君の所には」
「っアポロン―――!?」
ヘスティアの怒声が会場に響く中、アポロンはその名前を口にした。
「―――シロ、と言ったかな。彼がルアンを闇討ちしたんだよ」
「っ、そんな事ある筈が―――っ」
「なら、証明できるのかい?」
反射的に否定の言葉を上げるヘスティアだったが、アポロンの反論に続く言葉が上手く形にすることが出来なかった。
「それ―――は……っだけど! 絶対にシロ君はそんな事はしないよっ!」
「だから、それを証明することは出来ると言えるのかい?」
焦りと怒りが混じったヘスティアに対し、アポロンが冷静で落ち着いた声で詰め寄るように答えを求める。しかし、その声には隠しきれない愉悦が潜んでいる事に、その場にいた者は皆気付いていた。
しかし、見世物を見るように集まった群衆が浮かべるものは、同じような愉悦や観劇を見るかのような笑み、可哀想な者を見るような目や同情が向けられるも、ヘスティアの擁護するような者は現れなかった。味方とハッキリ言えるタケミカヅチやヘファイストスも、ヘスティアがはめられた事がわかっていてが、この場ではどうすることも出来ないことも理解できているため、臍を噛むような顔をして怒りが籠った視線を、ただアポロンに向けるしか出来ないでいた。
「しなくてもボクは確信しているっ! それで十分だっ!」
「そうか、どうあっても認めないと言うわけか」
強固に否定するヘスティアの姿に、アポロンは芝居染みた様子で顔を振ると、残念がるように肩を落として顔を俯かせた。
「何が言いたい……」
「こちらにも面子というものがあるからね。闇討ちされて、『はい、そうですか』と黙ってはいられないんだよヘスティア」
アポロンの様子に、何か言い様のない不安を胸に抱きながらも、ヘスティアが歯をむき出しにして威嚇するように鋭く尖らせた視線を向けたまま問いを放つ。
それに対し、ゆっくりと俯かせていた顔を上げるアポロン。
その金髪に隠された瞳が、睨みつけるヘスティアの視線とぶつかった。
「それで、なら、どうするつもりなんだい」
「『
「ッ!?」
ポツリと、そう呟かれた言葉に、ヘスティアだけでなく周囲から驚愕の気配が沸き上がる。
「それで白黒ハッキリつけようじゃないか」
「何を言って―――」
集まった群衆から「ひでぇ」「マジかよ」と言ったわざとらしい笑いが混じった非難の声が次々と上がるのを耳に、じりっ、と足元を後退させたヘスティアに対し、一歩詰め寄ったアポロンが、満面の笑みを浮かべながら、その視線をベルへと向けた。
「ああ、そうだ。私が勝ったのなら、その際は君のところの―――そこのベル君をもらおうかな」
「ッ―――最初からそのつもりで」
ドロリとした粘ついたベルに向けられるその視線に、ここにきて完全に相手の狙いをわかったヘスティアが、ここまで追い詰められた自身への憤りを含んだ怒りの声と視線をアポロンに向ける。
しかし、そんな物理的な圧力さえ感じさせる強い感情を向けられるも、アポロンはその浮かべた笑みを崩す事なく、最後通告のようにヘスティアに問いかけた。
「さあ、どうするヘスティア?」
「―――やはり、ヘスティアには断られてしまったか」
怒りと共に会場からヘスティアが眷族と共に去ってから暫くして、向けられる好奇や非難、嗤いの眼差しや言葉がある程度落ち着いたのを見計らったアポロンは、眷族達に後を任せ一人バルコニーに出ていた。澄んだ風を感じるように目を細め、会場から手にしていた酒の入ったグラスを、天上に上った月へと掲げる。
「まあ、これで用意した策が無駄に為らずにすんだ。それに―――」
掲げていたグラスに入っていた酒を一気に飲み干したアポロンが、まるで誰かに語りかけるかのように声を放つ。
「―――君の願いもこれで叶えられるかな?」
「さて、それはどうであろうかな」
人影がなかった筈のバルコニーの片隅から、音もなく姿を現したのは、陣羽織に身を包んだ雅な雰囲気を身に纏った男であった。唐突に現れた男に、アポロンは驚きの顔を見せることなく、小さく肩をすくめて現れた男を歓迎する。アポロンの近くまで歩いてきた男は、手にしていた酒の入った瓶を差し出し、空になったグラスへとその中身を注いだ。
「小次郎、これは何処から?」
「中から少しばかり拝借した」
懐から杯を取り出した男―――佐々木小次郎は、手酌で酒を移すと、それを月を眺めながらゆっくりと飲み干していく。
「確かこれは、【ソーマ・ファミリア】の所の一級品だった筈だが……会場には確か数本ほどしかなかった筈なんだが? よくもってこれたな?」
「なに、少しばかり気配を消せば気付かれないものよ」
ふっ、と小さな笑みを浮かべる小次郎に、アポロンもニヤリとした笑みを向ける。
「これで君のご執心の彼が現れるかな?」
「確実ではないが、私の知る奴に近ければ、見過ごすことはないだろうな」
「それで、首尾よく終われば―――」
月を背に立つアポロンの顔に、深い笑みが浮かぶ。
それを何と言い表せばいいだろうか。
悪魔のような、と言うよりも、
そんな笑みを向けられる当人は、全く気負いのない飄々とした様子を崩す事なく、手酌でついだ酒を飲みながら小さく頷いて見せる。
「ふむ。約定通り契約とやらを受けよう」
「ふふ、それは楽しみだ」
小次郎の言葉に、満面の笑みを浮かべながら頷くアポロンだったが、ふと思い直すように眉間に皺を寄せると唸り声を上げた。
「むう、しかし。君がそこまで執心する相手であるのならば、私としては是非手に入れたいのだが」
「ああ、それはやめといた方がよかろう」
「んん? それは何故だ?」
アポロンの言葉に小さく否定の声を上げる小次郎に、問いを向ける。
「あれは未だ色々と定まっておらんからな。下手に手を出せば狂いかねん」
「―――それはそれで興味がでるな」
アポロンの返事に処置なしとばかりに肩を竦めた小次郎は、ちらりと視線を未だ盛況な会場へと向けた。
「あれが噂に聞く
「やはり興味があるかい?」
「最強の武人と聞くからには無視できぬ」
アポロンがいなくなった会場で、多くの神に取り囲まれる女神の側に立つ偉丈夫について興味を示す小次郎が、しかし、と続ける。
「余り勘は良くは無いようだがな」
「それはどういう?」
最強の男に対する言葉として理解できない物言いに、アポロンの訝しげな目が小次郎に向けられる。それに対し、小次郎は杯を手すりの上に置くと、懐から一輪の花を取り出した。それを片手でくるくると弄びながら、会場の中、男神達に囲まれる美神へと視線を一つ向けた。
「なに、美しき者に花を贈ろうと思ってな。しかし、あれだけの美女に渡す程の花はそうそうない。故に簪の代わりにと、な」
「っ―――まさか」
小次郎の言葉の意味を理解し、アポロンの口から驚愕の声が漏れる。慌てて視線を会場へと向けたアポロンの目に、フレイヤの髪に差された小次郎の手元にある花と同じものが映った。
「どう、やって」
あの最強の目を誤魔化し、更には色々と油断ならない
「何も特別な事はない。無念夢想―――明鏡止水の心得に至れば、この程度の些事誰にでも出来よう」
そう呟きながら、会場へと足を進ませる小次郎の姿が、アポロンの目から少しずつ消えていく。ゆっくりと溶けるように姿を消していく姿に、その、何の『スキル』でもなく『魔法』でもない。ただの技術による―――しかし神ですら理解できない領域の技に、アポロンは様々な感情により身体を震わせ見入っていた。
そうして、
「ああ、やはり君は最高だよ―――佐々木、小次郎……」
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最初はシロを【カーリー・ファミリア】と【ロキ・ファミリア】の戦いにぶっこもうと思っていたのですが、ちょっと無理あったので、青い兄貴を代わりにぶっこみました。
さて、一体青い兄貴は何処にいるのでしょうか?