たとえ全てを忘れても   作:五朗

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第七話 最弱

「―――ベルくんッ!!」

 

 

 

 肩に置いていた手を振り払われ、床に倒れたヘスティアは直ぐに身体を起こすと既に出口に手をかけていたベルの背中へと声をかける。しかし、立ち止まることなくベルは店の外へと姿を消した。『豊穣の女主人』亭に残ったのは、戸惑いのざわめきだけ。

 「食い逃げか?」との声が上がるが、床にへたり込むヘスティアの姿を見て直ぐにその言葉も聞こえなくなる。代わりに「痴話喧嘩か?」とやらの声が上がり始める。常ならば困った顔をしながらも「いやぁ~困ったね」と何処か嬉しげに顔を緩めるだろうヘスティアは、呆然とベルが消えた出口に視線を向けたままだ。

 

「べ、ベル―――」

「―――ヘスティア」

 

 泣き声のようにベルの名を口にしようとするのを、ヘスティアの名を呼ぶことで止める。床に座り込んだままのろのろとした動きでヘスティアがこちらを向く。

 

「ベルを頼む」

「え? ベル、くんを?」

 

 まだ動きがぎこちないヘスティアに頷いて見せる。

 

「頼むって、どう、すれば」

「ベルはダンジョンに向かう筈だ。幸いまだベルはこの街に慣れていない。ヘスティアなら先回り出来る。俺が行くまでベルを捕まえておいてくれ」

「っ、シロくんはどうするんだい。ベルくんを追いかけは―――」

「―――こちらの要件を片付けたら、な」

「……え? 片付けるって、な、何を?」

 

 戸惑いながら聞いてくるヘスティアに背中を向け、ベートと呼ばれた獣人の男をいじり始めた【ロキ・ファミリア】に視線を向ける。『豊穣の女主人』亭は既に先の騒ぎから興味が失せたのか、それぞれの話で盛り上がっている。中には先程の【ロキ・ファミリア】の話題について話している輩もいる。

 どうにも、気分が悪くなる話を。

 

「シロ、くん。君、何をするつもりだい?」

 

 ヘスティアの震える声が背中に当たる。

 答えは分かっている筈だ。

 しかし、聞かずにはいられないのだろう。

 余りにも無謀だと、危険だと止めるために。

 全く、ベルがいなければ自分が先に食ってかかっていただろうに……似た者同士というところか……。

 振り向かないまま、その質問に答える。

 

「―――なに、ただの野暮用だ」

「ッ!? 君は―――」

「ヘスティア」

 

 何か言い募ろうとするヘスティアを制し、静かな声で伝える。

 

「早く行け。間に合わなくなるぞ。ベルの足は早い。ぐずぐずしていれば、近道をしたとしてもこのままだと間に合わんかもしれん」

「……君が行くわけには」

「―――すまない」

 

 数秒程、ヘスティアは黙り込み、そして立ち上がった。

 勢い良く立ち上がったヘスティアは、先の騒ぎで床に落ちてしまったコートを手に取ると着込みながら出口へと走り出した。

 その際、ヘスティアは走り出す直前、小さな声で呟いた。

 

「―――無茶は、しないでくれよ」

 

 ヘスティアがその小さな体を活かしてすいすいと乱雑とした店の中を走り抜け外へと飛び出していった。

 

「無茶をするな、か……」

 

 知らず浮かんでいた口元の笑みに手をやり整える。

 カウンターへ視線を向けると、女将が厳しい視線を向けてきていた。それに小さく目礼を返すと、女将は大きくため息を吐くと口をパクパクと動かしてきた。「店を壊すな」との忠告に頷いて答えると、気配を殺して忍び寄ってきた影へと顔を向ける。

 

「止めても無駄だ」

「ッ!?」

 

 死角から近寄ってきた影―――可憐な見た目に反し荒事に慣れていると評判の『豊穣の女主人』亭のウエイトレスの中でも、否、このオラリオの中でもトップクラスの実力を持つだろうエルフが、驚愕の表情で見上げてくる。顔見知り以上友人未満といった関係だが、このエルフが冷徹に見えるが正義感が強いことを知っていた。だから、これから俺がやろうとしていることを察し止めるだろうことは何とはなしに予感していた。そのため、直ぐに気配を殺し近づいてくる者がこのエルフ―――リューだと気が付いていた。

 

「……下手をすれば、【ファミリア】同士の抗争になります。そうなれば」

「下手をすれば、な。なら、上手くやってみせればいいだけの話だ」

 

 尚も考え直させようとするリューの前に手をやり制し、【ロキ・ファミリア】へと向かって歩き出そうとするが、そこに立ちふさがる影がもう一つ。

 

「……シル。すまないがそこをどいてもらえるか」

「いや、です」 

 

 通せんぼするように前に立つシルは、配膳の途中なのか、水差しとコップが乗ったお盆を両手に持ったままだ。脇に避けて進むことは造作もないが、流石にそれははばかられた。震える身体で行かせようとしないシルは、これから自分が何をしようとしているのか気付いているのだろう。

 

「相手は【ロキ・ファミリア】なんですよ。このオラリオで一、二を争う【ファミリア】なのに、本気ですか?」

「ああ」

「先程の話が、原因ですか」

「……」

「酷い、とは思います。でも―――」

「シル」

 

 言い募るシルを静かな声で止める。

 その声に、ハッ、と我に帰ったシルに、笑みを、向ける。

 

「すまない」

 

 静かに、優しさすら感じられる声に何か言おうと口を動かしたが、それは言葉になることなく、シルはそのままくしゃりと顔を歪ませると、俯き体を横にどかした。

 シルの前を通り過ぎ、【ロキ・ファミリア】へと向かっていると、背中に、小さな呟きがコツンと当たった。

 

「―――何で、シロさんが謝るんですか」

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

「―――だから俺は言ってやったんだッ!」

 

 あれから更に酒を飲んだのか、大声というよりも怒声に近い声で話している獣人の男の背に立つ。

 手には先程シルの前を通り過ぎる際失敬した水の入ったコップが一つ。

 真下には、意気揚々と喋っている獣人の男―――ベートと呼ばれていた男の頭がある。

 テーブルを囲む【ロキ・ファミリア】のメンバーは、酔っ払ったベートの相手をするのに疲れたのかそっぽを向いているからか、こちらに気付いている様子はない。

 ならば、気付かれる前にやるとしようか。

 手に持った水がたっぷり入ったコップを、一気に逆さまにする。

 重力に従い、液体が真下へと落ちていく。

 そして、真下に鎮座していたベートの頭に降り注いだ。

 

 ―――バシャリッ。

 

 その音は、話し声や調理の音などの喧騒で満ちた店の中、奇妙な程に響き渡った。

 店の視線が、一斉に音の発生源に向けられる。

 直後、ざわりと小波のような声が漏れ始めた。

 

「…………………………おい、何のつもりだ」

 

 下から、ゾッとするほど平坦な声が聞こえてきた。

 

「ああ、すまない。手が滑ってしまったようだ」

 

 わざとらしく空になったコップをべートの前に置く。

 

「はっ……手が滑って中だけこぼすなんてなぁ、随分と器用な真似が出来んだな」

「手先は器用な方でな」

「ッッ!!」

 

 ガタンッ! と椅子を蹴倒しベートが立ち上がった。やはり目の前にするとそれなりに迫力がある。身長は自分と同じくらいか。今の気分を表すように、苛立たしげに頭頂部にある獣の耳が細く動いている。ベートが立ち上がると同時に、あちこちから悲鳴が上がり椅子やテーブルが床を擦る音が連続して響く。【ロキ・ファミリア】の実力者がこんなところで暴れればとばっちりを食らうと恐れ慌てて離れようとしたのだろう。

 

「ちょ、ベートっ! 落ち着きなさいって! あんたも、さっさと謝りな! 殺されるよっ!」

 

 アマゾネス、なのだろう。アマゾネス特有の露出が激しい服を着た少女が慌てて忠告をしてくる。豊満な者が多いアマゾネスにしては、胸のサイズが少しばかり可哀想な少女がベートのズボンを掴み何とか手綱を取ろうとしていた。

 

「そうだな。ふむ、確かベートと言ったか? すまない。どうやら随分と酔っている様だったのでな。水でも飲ませて酔いを覚ましてやろうと思ったんだが」

「俺は酔ってねぇッ!!」

「酔っぱらいは大抵そう言うな」

「ああんッ! 俺の何処が酔ってるんだってんだっ!!」

 

 やれやれと肩を竦ませると、それが大層気に入らなかったのだろう。ベートが激しくテーブルを叩く。冒険者が良く来るからだろう、ちょっとやそっとじゃ壊れそうにない頑丈なテーブルが、大きく軋みを立てた。

 

「そういうのならば、まずはもう少し声を落とせ。怒鳴らなくとも聞こえる。そうぎゃんぎゃんと吠え立てんでもいいだろうに」

「吠えるだあ? 手めえさっきから調子に乗ってんじゃねぇぞッ! お前俺が誰か分かって口きいてんのか?」

「さて、な。俺はこのオラリオに来てからまだ日が浅くてな。有名どころでもほとんど知らんよ」

「……あん? なんだおめえ? もしかして駆け出しか?」

 

 先程までの激高がウソだったかのように、声を落としたベートが首を傾げた。

 

「ああ、そうだ」

「ちっ、なんだLv1かよ。はんっ、Lv1(最弱)相手に本気になってもしょうがねぇ。おら、犬みてぇに這い蹲って許しを乞いな。そしたら許してやってもいいぜ」

「ベートッ!」

「黙っとけババァッ!! 俺が水ぶっかけられたんだよっ! ここで舐められたら【ロキ・ファミリア】も舐められっちまうぞッ!」

「っく、それは―――」

 

 こちらをそっちのけに【ロキ・ファミリア】のメンバーのエルフとベートが言い争いを始めた。このまま放っておけば、うやむやのうちにこの諍いは終わってしまうだろう。これが本当に偶然の出来事ならば、それは歓迎することだが、残念ながら、まだ付き合ってもらう必要があった。

 

「―――クッ」

 

 今にも掴み合いが始まりそうだったエルフと獣人の間に、笑い声が割って入った。

 

「あん?」

「え?」

 

 睨み合っていた二人は、同時に視線を声が聞こえてきた方向に向ける。苛立ちと戸惑いの視線が向けられる中、笑い続ける。

 先ほどよりも、強く、大きく、大袈裟なまでに。

 

「クク、ッハハハハ」

「てめぇ……何笑ってんだよ」

 

 エルフから身を離し、ベートがこちらへ一歩詰め寄ってくる。

 手を伸ばせば届く位置に立つベートに向かって、からかいを露わに頭を左右に振って答える。

 

「いや、すまない。どうやら本当に酔っていなかったようだな」

「あん?」

 

 訝しげな声に、口の端を歪める。

 

「どうやら俺は勘違いしていたようだ」

「勘違いだぁ?」

「ああ、酒の勢いか、酔っ払って前後不覚な状態だったからと思っていたんだが」

「だから何が言いてぇッ!!」

 

 ベートが、猛け吠える。

 常人、いや冒険者であってもレベルが低ければ腰を抜かすほどの殺気が混じった圧を受ける。その殺意を感じたのだろう、胸が残念なアマゾネスが、今にも掴みかからんと伸ばそうとするベートの手を押さえつけた。

 

「ちょ、ベート落ち着きなさいって」

「っ! 邪魔だっ!」

 

 腕を押さえつけてくるアマゾネスを振り払ったベートに、笑みを向ける。

 軽蔑が多分に混じった笑みを。

 

「―――女ひとり口説くのに、人を貶めなければならんとは、酒に酔っていたのならばまだしも、まさか素面だったとは……貴様がここまでガキとは流石に思っていなかった。すまなかったな―――小僧」

 

 

 ブチリ、とナニかが千切れる音を、その場にいた者たちは聞いた気がした。

 

 

「ッッッッ!!!!??? テメェエエエエエッ!!!!???」

「ベートッ!」

「ま―――」

「っ―――」

「やめ―――」

「ひっ」

 

 怒りに飲まれた餓狼が吠え、その致死の爪を獲物へと伸ばす。

 第一級の冒険者が怒りに我を忘れて放つ一切の手加減のない一撃。

 並の、いや、たとえ同じ一級の冒険者であってもまともに喰らえば重傷、下手すれば命を取られかねない必殺の一撃が振るわれるのを前に、『豊穣の女主人』亭に様々な声が上がる。

 間に合わないと感じながらも上がる制止の声。

 直後に起きるだろう惨劇を幻視した悲鳴。

 声を上げる間を惜しみ、止めようと手を伸ばす者もいた。

 誰もが灰色の髪と浅黒い肌を持つ男の死を予感した。

 流れるだろう血の赤に、先走った悲鳴を放たれる。

 そして―――。

 

 

 ―――ドサリ、と何か重いものが床に落ちる音がした。

 

 

 

 静寂が、『豊穣の女主人』亭を満たす。

 重い、空気それ自体が物質化したかのような粘性さえ感じさせる重苦しい沈黙が満ちた。

 誰も、声を上げない。

 シンッ、と静まり返る中、ポツリと、誰かが零した声が落ちた。

 

「―――うそ」

 

 それは、鏡面の如し湖に落ちた雫のように、波紋を呼ぶ。

 ざわりと、空気が動いた。

 『豊穣の女主人』亭にいる者全ての視線が一点に注がれる。

 視線の先。

 そこには、床に倒れる男と、それを見下ろす男の姿。

 数秒前まで誰もが予感しただろう光景―――だが、その配役が違った。

 

「うそ、でしょ―――ベート」

 

 アマゾネスの少女がふらり、と覚束無い足取りで倒れたベートに近付いていく。膝を突き、ベートの身体を揺するが、何の反応も返ってこない。暫らく身体を揺すっていた少女は、全く反応を示さないベートから手を離すと、ゆっくりと首を左右に振った。

 

「……完全に気絶してる」

「うそ」

「そんなっ!? 何でっ!」

「何が、どうしたんだ」

「……ッ?!」

 

 ざわりと動いた空気は響めきへと代わり、店の中を悲鳴のような驚愕の声で満たし始めた。

 驚愕から覚めた『ロキ・ファミリア』のメンバーの何人かが、倒れたベートに駆け寄り診断を行い始めた。その様子をじっと見ていたが、何時までもそうしている暇はない。近づいてくる気配に顔を向け、先んじて声をかける。

 

「―――どうやら酔いつぶれてしまったようだな」

「なんやて?」

 

 目の前に立つ【ロキ・ファミリア】の主神であるロキに向かってそう言うと、戸惑った声が返ってきた。細められた目から、探るような視線を向けられる中、倒れ伏すベートを顎で示す。

 

「興奮しすぎて酔いが回ったのだろう。数時間もすれば目も覚める筈だ」

「あん程度の酒でベートが潰れるとは思えんがなぁ」

「では、何だと?」

 

 ギラリと、ロキの目が光ったような気がした。

 下界にいる神々(彼女達)は、神の力は使えない筈だが、流石は神といったところだろう。心の奥底まで覗き込まれるような強い視線を向けてくる。精神が弱い者ならば、洗いざらい吐いていまいそうだ。

 

「……うちの目には何が起きたかは見えんかったけど、うちの子の中には目の良いもんもおるからなぁ~」

「はっきりとは見えなかった、けど」

 

 ロキの言葉に応えるように、背の低い一見すれば幼い少年に見える小人族(パルゥム)の男が、倒れたベートとこちらを見ながら言葉を紡ぎ始める。小人族(パルゥム)の言葉に、その場にいる者達の視線が一斉に向けられる。

 

「カウンター、かな」

 

 「まさか」と言う声が上がるが、倒れたベートの姿を見て、否定の声は嚥下の音の中消えていった。ざわざわと、何が起きたか次第に理解を始めた者達が、有り得ない現実を前に内心の動揺を口々に放ち始め、『豊穣の女主人』亭はやにわに喧騒に満ち始めた。

 

「―――っは」

 

 その喧騒を、男の笑い声が止めた。

 今この場の中心である男に、皆の視線が集まる。全員の注目が集まるのを感じると、笑い声を上げながらロキに向かって挑発的な視線を向ける。

 

「それでは何だ? 【ロキ・ファミリア】の一線級の冒険者が、冒険者になって間もない駆け出しのLv1の男に、カウンターを食らってやられたと、そういうことか?」

「「「ッ!?」」」

 

 改めて口にされた有り得ない現実に、誰もが息を呑む。

 そんな中、じっ、とこちらを見つめてくるロキへと一歩、近づく。

 

「神、ロキ。俺には(・・・)、この男が酔って自分の足を滑らせ転けたとしか思えないのだが」

「あんた―――」

 

 含みを持たせた言葉に、何が言いたいのか察したのだろう。

 ロキは口元に笑みを浮かべた。

 しかし、目は全く笑ってはいない。

 

「もう暫くは目が覚めんだろうな。で、どうする?」

「……ほんまに、いい度胸しとるな」

 

 顎に手を当て、暫らく考え込んでいたロキだが、膝を叩いて大きく頷くと、口が裂けたような笑みを浮かべると手を差し出してきた。

 

「どうもあんたの言う通りのようやな。これから暫らくはベートは禁酒にしとかないかん」

「そうだな。酒に酔ってしまえば、有りもしない想像を口にしてしまうこともあるだろう」

 

 笑顔でロキと握手を交わし、近くまで寄ってきていたリューに今晩の料金を渡すと、店のあちこちから向けられる視線に応えることなく真っ直ぐに出口に向かう。

 その背中に、ロキの質問が刺さった。

 

「……あんた、何もんや?」

 

 足を止め、振り返らずにロキの質問に応えた。

 

 

 

「なに、ただのLv1の冒険者だ」 

 

 

 

 




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